酔いつぶれた竜馬と嫁の話 あまりお酒が強くないのに、それでも付き合ってくれる。そういうところが、とてもうれしい。 キリっとした普段の目の形も、とろんとなって、いつもより優し気になる。少しだけ緩くなる口元。だんだん傾いてくる背筋。気を抜いた呼吸。普段とは異なる姿もまたいいなと思う。 睡魔に敗れて穏やかに眠っている、その柔らかな髪を撫でながら、ぼんやりと考え事をする。私にだってそういう日くらいある。 一緒に過ごすようになってから、いつだって二人でいられるのが楽しい。なかなかの鉄面皮ではあるけれど、専門家たる私にかかれば犬の尻尾より分かりやすいのが彼の表情なのだから間違いない! でも、時には過去の記憶が噴出してくることだってある。 いつか、彼がこぼした幼少期の記憶。ぽつりぽつりと語られるそれは、幼い子供が受けるにはひどすぎる仕打ちだ。忘れてしまいたいのに、未だにそれに縛られている。過ぎ去った過去に振り回される自分が情けなくなるのだと、その声は少しだけ震えていた。それでも、ハッとしたように、代わりにその後はいい仲間に恵まれたのだから、人生塞翁が馬、いやトリケラモンだと笑っていたけれど。 その時の横顔が、うつむく顔が目に焼き付いている。 タイムトラベルみたいに過去を塗り替えることはできない。できるのは、ただ話を聞くことだけだ。 どんなに話を聞いたところで過去は変わらない。つらい記憶が褪せることはないし、嫌な体験ほど染みついて消えてくれない。話せば楽になることはあるけれど、傷が開くことだってある。 辛かった記憶、忘れたいような記憶はもうどうしようもない。 だけど、彼のその記憶に、もし私がいたら。 泣いてたら撫でてあげるし、嬉しいことがあったのなら手を叩いて喜ぶだろう。悲しいことがあれば抱きしめてあげるし、一緒に泣いてしまうかもしれない。彼を傷つけようとするなら、例え怪物相手でも抗議する。 ああ、本当に私がそこにいたのなら。絶対に独りにはしないのに。 過去は過去のまま、傷は傷のままだ。 でも、次に彼がその記憶を思い出した時には、きっと私の顔が浮かぶはず。 彼の代わりに泣いて、怒って悲しんで、化粧も崩れてぐしゃぐしゃな私のことを。 そしたら、一緒に笑ってはしゃいで、照れたり、ふくれたり、ちょっと喧嘩をしたり。そんな、何でもない日常の思い出が押し寄せてくるだろう。 ──何より、今ここにあって、これからも続く幸せを。 そうしたら、辛い記憶に傷つくことなんてなくなるはずだ。そんなこともあったななんて、鼻で笑えるくらい弱っちいただの記録に変わるかもしれない。 だって悲しみの記憶なんかより、私たちが作ってきた思い出の方が強いに決まっている。記憶なんて所詮は記憶なのだ。これから二人で紡ぐ未来に敵うものなんてないのだ。 どんなに嘯いたって変えられる過去などないけれど、未来の幸福は過去の悲しみに勝るって信じてる。 などと、一人で気炎を上げてみたりもする。まあ、ほとんどは私がそうしたいからしていることなのだけれど。 ふと、グラスについた水滴をそのまま落ちるに任せてみる。私の膝を枕に気持ちよさそうにまどろむその頬に、グラスの底から冷えた水滴がエントリー。自由落下のもとにぴちゃりと頬を濡らす。ぬぅとうなり声。こんな声ですらかわいらしく思うのだから私は重症だ。 もう一滴とグラスを揺らしたところで、目が合う。いたずらの瞬間を見事に抑えられてしまった。ふへへと笑ってごまかしてみる。 彼が私の顔に手を伸ばす。大きな手のひらが、頬に触れる。 きっと、こんなたわいもない日常が彼の心を満たしていくのだ。 むにむにと仕返しに頬を引っ張られながら(痛くない絶妙な力加減!)、そんなことをぼんやりと考えているのだった。