俯いてひっそりと腹を撫でる手つきには、どこか魔性のものがあった。 突端のぷっくり飛び出た臍から、丸く張って腿に接地する下端まで、指はなだらかに降りていく。 そしてその手つきを男がこれまた無言で見つめていることに気付くと、 少女――の姿をしたもの――は、照れたような笑顔を、彼に向けるのである。 朝を告げる言葉が彼から、次いで彼へと返った。わざとらしいような、高い声だった。 一度聞けば、彼女が人ならざるもの、限りなく人に似せた作り物であることがわかるだろう。 そしてその声を聞くまで、男は目の前の相手が人間ではないことをほとんど忘れてもいた。 自身の腹部を撫でる様――慈愛に満ちた、ほんのわずかの口端の歪み。 それは己の内側にあるものを、単なる有機的なたんぱく質の塊ではなくて、 一個の、生命を持った――そんな風に捉えているのかとも思わせる。 事実、それは“本物”めいて胎動さえもしてみせるのであった。 不規則に、ぼこりと盛り上がる腹部の皮。内側から蹴り上げられている、目に見える証。 そう、作られているのであろうか。そう、なるようにできているのであろうか。 限りなく精密に――人間そっくりに作られ、機能している人工子宮の内部に、男は想いを馳せる。 人間の生態にまつわる全てを紐解き、理論化できたならば、当然、再現も可能となる。 そしてその機構を人型の人工物に載せたなら、こと生殖機能において、 それは限りなく、生身の女性に近づいた――いや、子宮の構造を理想的な形にできる分だけ、 本物の、たった一つしか持ち得ない繊細な部位を使っての重労働より、よほど安全な行為だ。 彼もまた、自分の子を生すための道具として彼女の身体を用いているのだから、 二人の関係性を他の動物のそれに重ねれば、つがい、ということになろうか。 黒く色の濃くなった乳首。広がった乳輪、左右に重そうに垂れる乳房、 それを下から持ち上げている、大きく張った臨月の妊婦の腹に匹敵する腹部。 いずれを取り上げても、彼女の肉体が妊娠状態の人間の雌と同じ状態であることは変わらず、 やはり胎内のもの――二種の生殖細胞を掛け合わせた産物は、人間同士の子と変わるまい。 にも関わらず、彼がどこか冷めたような気分になるのは、相手が人ではないからだろうか。 同種の雌ではなく、人形相手に腰を振り――“孕ませた”という認識のせいか。 男の眉が不機嫌そうに吊り上がるのを見て、また電子音声が寝室に響く。 条件反射的に、彼の若い性器はそり立つ。雌の、甘ったるい媚びた声、閨で何度も聞いた声。 自身に絶対服従の、いくら犯しても、子を孕ませてもいい雌の声―― 妊婦相手に性的な興奮を抱くことは、人間の生殖の原理上では無意味なことである。 哺乳類は一度妊娠すれば、一年近く雌の胎に新たな種を蒔くことはできなくなる。 どこまでいっても、“無駄打ち”にしかならない――だというのに、固く、勃起した性器は、 “身重”の彼女の膣奥を叩きたい余りに、びくびくと震えているのであった。 主の興奮に感応するかのように、整った――そう作られた――顔は淫らに微笑む。 手のひらに余る乳房をたぷたぷとこね回し、見せつけるように腹部を撫でながら、 自分が妊娠中であることを、彼の興奮を煽るためだけに、わざわざ言う。 彼がそのような背徳的な悦びに惹かれること――腹部の曲線に視線を留めていること。 そういったことは、全て彼女にはお見通しなのであった。そうして、固く勃起した性器を、 己の膣内に受け入れることが、まるで自分自身の望みでもあるかのように、 挿入と同時に蕩けた声を挙げ、腹部の内容物を気遣うような言葉を吐き―― もっとゆっくりお願いします、とさえ懇願するのである。 人間の体内で生成される色素からは作り出されるはずのない、碧い髪。 それは彼女が“つくりもの”であることをこれ以上なく示している。 そして同じ規格――同じ髪、瞳、体型に至るまで、何もかもぴったり同じに作られたものが、 壁一つ隔てた隣人の腕の中、抱かれていてもおかしくないのだった。 実際に男は――自分の家にいる個体と同じ顔つきをした別の人形が、 自分以外の雄の腕に絡みつくように甘え――背にはおんぶ紐を括っているのを見たことがある。 理性では、“あれ”と“これ”は別のものだと理解していても、心はそう素直に受け入れはしない。 そのことが一層、彼の執着心を強くした。彼女の肉体にけして消えぬ印を、 子を孕み、産んだという跡を残してやりたくてたまらなくなった―― そしてそれが成った今、不意に、彼の頭には理性が戻ってきた。 名も知らぬ件の男の腕の中のそれと、今、股間から白い精の塊を噴き出しているこれとは、 同じ女であるわけもないのに――無体なことをしたものだ、と。 それまで彼は、彼女を家に迎え入れてから、その本来の役割、 人間の身体を模し、声帯を持ち、しかし人間には発声不可能な音程で歌う―― 歌唱人形としての役割を、彼女に与えていたはずだった。 若い女の肢体を模しているとはいえ、人は人、人形は人形。 こんな用途で使うために買ったわけでも――そうするつもりも、なかったというのに。 男は自身のその感情を嫉妬の一語で表すのは、不可能なように思った。 同じ外見のものが、別の男の胸の中に抱かれていることを想像しただけではない。 自分の知らない使い方をしているその男が――内心に自分を見下しているようにも思えた。 せっかく“こう使える”のに、紳士ぶって手を出さずにいる馬鹿だと言われているようにも―― 何を指示しても従う若い女体に、性的なものをぶつけずにいる方がむしろ、不健全なのでは? 思考はぐるぐると、理性と本能の境を見失ってかき混ぜられていく。 そして急に、彼女の胎内にいるものがおぞましい怪物であるかのように思えてくるのだった。 自我というものを持たない――はずの――人形の胎内に、人間の汚い欲が吐き出されて形を持つ。 それはすなわち、欲そのものが生命に変換された存在に過ぎないのではないか。 自分の精子と、この人形の中に保存されている人口卵子から生るものは、 事実上、己の――雄の欲によってこの世に産み落とされた罪深きものではないか。 人の子とは、父と母とが個々の思惑を一致させて初めて作るべきものではないか。 似非宗教家と化した彼は、腹部の膨らみと共に不安と焦りとを大きくさせていく。 そしてその反動として――一層強く、妊婦の腹に欲情する。 突き殺してしまえたなら、己の罪が雪がれるかと思っているかのように。 浅ましい欲望を、身重の人形は受け止め――誘い、甘え、肯定する。 あたかも、妊娠している自分自身が我慢しきれずに彼を誘ってしまい、 赤ん坊のことを心配しながらも、性感を得たいがために母性を抑え込んでいる、と演ずる。 それらの言動も――予め組み込まれた電子的な命令の一部に過ぎないのではと思いつつも、 男は目の前の、妊娠によってより淫猥に育った身体に溺れていくのである。 人形の電子頭脳の中に、母性が勝手に生まれるとは思えなかった――けれど、 その貌も、手も、言葉も――本物の“母親”のそれと、何も変わることがない。 そしてその腹部に、彼自身の手が触れてしまえばもうどうにもならない。 見計らったかのように赤子は身体を蠢かせ、父の掌に胎動を返す。 作り物ではない本当の生命であるかのように、彼を巧みに騙しにかかる―― 次第に男は、人かそうでないか、ということの違いに鈍感になっていった。 事実として目の前にいる、自分の子を孕んだ雌の存在――それが他に何の意味を持つのか? 黒く染まった乳輪にしゃぶりつく。音を立ててすすれば、奥から人肌のとろみある液体が、 自然にあふれ、彼の喉の奥へと滑り落ちていく。そして彼を見下ろすその顔は、 子に妻を取られる不安に駆られる夫を見守る女の表情を、緻密に再現したものなのだ。 男はその優しい嘘の中に、どこまでも溺れていきたいような思いに駆られていた。