林立する木々の隙間には、確かに風の抜ける――人も通れるほどの幅は空いている。 けれどどうだろう。ただそれの続くだけの道のりは、容易に方向感覚を融かしていく。 せり出した木々の根は足元に凸凹と不愉快な傾斜を好き放題に作り出しており、 自分たちが今降りているのか、登っているのかさえ、はっきりしなくなる有様だ。 思わずついたため息が、すぐさま凍りついて頬に張り付く――そんな気がする。 散々に歩いて染み出した汗は、既に肌着を濡らすだけでは済まなくなっていたのに、 それでもなお、何か冷たく芯にぞくりと突き抜けるようなものが、二人には感じられた。 早く降りねばならぬと焦りを覚えるほどに、平衡感覚さえも失われていくようだ。 頭がぐるんぐるんと、ゆっくり回されているような不愉快さが付きまとっている。 ここが慣れた道であったなら、あるいは先を急いでさえいなければ、 少女らはたまに地面から半身を乗り出した岩にでも、腰を掛けていたのだろう。 けれどそうしているわけにはいかない。すぐにでも誰かに助けを求めねばならない。 仲間内四人で登った山深い森の中、目の前に現れた一匹の――白い毛が斑に生えた猿。 それはじろりと、四人の“何か”を見定めるように紅い瞳を動かしていた。 動物好きの彼女さえ、そこには触れ難い禁忌のようなものを感じ取っていた。 数瞬のうちに、白猿はまた煙のように姿を消し――いくらか年若い猿が横に並んだ。 山の獣に餌を与えてはならぬ。刺激してはならぬ。近づいてもならぬ。言うまでもない。 登山中に猿の群れが現れたとて、本来両者は不干渉であることが望ましいはずだ。 しかし猿たちは、四人の少女の行く先々に、先回りしているかのように付いてくる。 その上、木陰に消えてまた出てくるそのたびに、環視はじわじわと狭くなっていく。 折悪しくも、雨上がりでたっぷりと水気を含んだ山の大気は呼吸と共に霧を吐き、 とても、本来予定していた山頂までの行軍は困難と予想されていた状況である。 あと四、五回の再会で彼女らに指先が届く距離に――そう思われた頃に、 最も年嵩の一人と、最も年若き一人とが、二手に分かれて様子を見ることを申し出た。 彼女らを後に残して、登山口に幼馴染二人が引き返したのが、これまでのこと。 確かに目の前に、あの不気味な猿の群れが姿を見せるような風はなかった。 けれど霧は足を進めるたびに二人の肩口にまで縋りついてくるようであった。 己の吐いた息は――意志を持った冷たい感触として肌に触れ、身を冷やしていく。 座るのにちょうどいい岩が、もう何度目かに視界の端をちらちら、と横切っていく。 そこに腰掛け、心身にへばりつく重たい疲れを剥がしたくなったのも無理はあるまい。 山の天気は変わりやすいというが――既に二人の周りは木目さえ霞ませる霧が囲み、 その中を黒い何かがゆら、ゆら、と幽霊めいて動くのが、実に恐ろしげな有様だ。 ただの高校生二人に、それはどれだけ心細いことだろう。家の有り難みを教えるだろう。 それでも彼女らがいつまでもこうしているわけにはいかなかった。 待たせている友二人、自分たちと年は変わらない。一緒に往こうと決めたではないか。 ほんの少しの休息で芯まで冷え込んだ身体に鞭を入れて、一歩、また一歩―― ざく、ざく、と土を踏み鳴らし、己の肉体に喝を入れる。電波の届くようなところへと、 誰か頼れる大人の庇護のもと、残してきた二人を連れて帰るために―― そうして霧の中から現れた影は、既に何匹もの猿に身体のあちこちを掴まれて、 地面に押し倒されながら服をずたずたに引き裂かれている仲間のものであった。 息を呑む。あれだけ歩いたはずなのに、不乱に脚を進めたはずなのに? 二人は登ってきた道に沿って逆側に急いでいたはずが、さらに方向を逆にして、 いつの間にか、出発した地点にそのまま戻ってきてしまっていたらしい。 何度も何度も同じ光景が見えたのも、あるいは狭い範囲を回っていたから―― そんなことを考えると、抑え込んでいた疲労が一気にぶり返してくる。 がくん、と膝の折れたのに合わせて、何匹かの猿が同じように掴みかかってきた―― 彼らの視線は、ぞっとするように均質であった。本能に支配された個の獣ではない、 一つの群れとして、彼女ら四人をどうにかしてやろう、という意志を持っていた。 奮発して買った寝袋も背負い鞄も何もかも、野生の爪と歯の前には無力であったし、 もし、“彼ら”の意に反することをすれば――それがたちまち柔肌の上に振り、 四つの肉塊が生まれるだけなのは、もはや疑いようのないことだった。 白斑はまるで白髯の老人がそうするように、己の頬を手で包むようにして撫でた―― それを合図として、若き猿たちは、すっかり裸に剥かれた雌猿四人に向けて、 己の性器を見せつけるように、後ろ足だけで一斉に立ち上がるのである。 拒絶の言葉は通じない。それを発する権利さえ、彼女らには与えられていない。 雌が抵抗する力を失って、発情した雄の前に並べられば起きることは一つだ。 がしり、といよいよ直肌を掴んできた猿の指は、人間の男のそれよりよほど直接的に、 お前に俺の子を孕ませてやる――そんな原始的な暴力性を伝えてくる。 喚く。身をよじる。霧に湿った土が、地面に擦れた肌にぺたぺたとつく。 だが既に抑え込まれてしまった今、そんな行為が一体何になると言うのか。 猿が牙を剥いてじいっと少女らの顔を覗き込むと、四人は現状を突きつけられてしまい、 そのうち二人は、恐怖のあまりに失禁した――ひくひく、と猿の鼻の穴が蠢く。 うら若き乙女の、汚れなき肉体の匂いを感じ取って――全ての猿が笑う。 尻だけを上げさせられた少女らは、尻たぶに猿の指の沈む不快さに呻いた。 そして挿入された雄の欲そのものへの、どうしようもない拒絶感にまた叫んだ。 霧の中に声は消える。木々はただ、何も知らぬかのように凌辱を見過ごしている。 人と猿とで交尾の形態に違いなどあるまい。その根本は、繁殖への強い憧れである。 猿たちは興奮にきぃきぃと鳴きながら、柔らかな尻に腰をがつんがつんとぶつけては、 自分の足元で泣き叫ぶ無力な雌への支配欲への充足感に、勝ち誇ったような顔をする。 雌猿の腿の間、強引に擦り上げられて赤くなった陰唇からは、 純潔の失われたことが、白混じりの色としてはっきりとそこに見えていた。 猿たちは互いの雌を交換しながら、あるいは他の個体と交代しながら、 自分たちの縄張りに入り込んだ愚かな人間に、身の程を教えてやるのだった―― 常に何匹もの猿が、彼女らの周りに控えてじっと睨み続けている。 霧の中に何匹かが消え、すぐに入れ替わりに別の猿たちが戻ってくるのが、餌の合図だ。 彼らは懐に、どこから拾ってきたのかわからぬ木の実を満載にしていて、 飼われている雌たちに、それをくれてやっているのだ――交尾という報酬と引き換えに。 もちろん、猿たちからの交尾を拒絶する選択肢は少女らには与えられていない。 自ら尻を向ける“準備”をしてやらない、という形で抵抗して見せたところで、 結局無理やり犯されることに変わりはなく、ただ餌が与えられない空腹感が残る。 誰かが神に祈りを捧げた。私たちをここから出してください、家に返してください。 その無力な願いを、白斑は見透かしたように頬を撫でながらくちゃくちゃ唇を動かす。 そもそも逃げること自体できないのだ。服もすっかり毟り取られて裸足のまま。 彼ら猿たちと彼女らの違いは、眼鏡やら髪飾りやらのほんの小さなものにすぎない。 そんな状態で、あの霧の中を四人で無事に突っ切っていけるとも思えなかった。 こみ上げる、不愉快な吐き気を四人が共有してしまっている今となっては―― 腹部の張りが目に見えるようになってからは、少女らは抵抗らしい抵抗もしなくなった。 給餌係の猿が戻ってくると、全員で尻を並べて挿入をねだり、 八人分の栄養を賄うために、己の身を差し出す屈辱にも慣れてしまっていた。 猿に犯されて妊娠するはずが――などと、常識ぶったことはもう言えない。 そもそも見目からして、猿たちは尋常のそれとは、どこか離れたような感じがあった。 あるいは文明から引き離され肉体一つに還元された自分たちの方が、 人間より猿に近い存在に堕しているのか――四人は時折、そう話し合う。 誰が悪かった、だとか、どうすればよかった、だとか。そんなことにも意味はない。 胎内に在る“それ”は、果たして人なのか猿なのか、ということさえ不明なのだ。 そもそもここは、現実の世界なのだろうか――そう訝しむこともあった。 霧はただ無愛想に灰色の分厚い膜として、四人が集められている木立の隙間を包む。 その向こうで太陽が昇っているのか、沈みつつあるのかも、よくわからない。 ゆっくりと重みを増していく腹部が、時間の流れらしきものを感じさせる唯一の指標だ。 四人はやがて自分たちが互いの名前をも忘れてしまうのではないかと、必死になって呼ぶ。 それに比して――それ以外のあらゆる人としての言葉が、失われていくような気がする。 骨盤が押し拡げられる痛みは、無論彼女らにとって体験したことのないものだ。 手近なものを懸命に握りしめて、産道を降りてくる“仔”のことだけを考える。 みちみちと肉が裂け、羊水と混ざった血がぶしゅ、ぶしゅと何度も噴き出す。 握るものは足元の根であったり――仲間の手であったりの違いこそあれど、 産みの苦しみは等しく、四匹の猿に降り掛かっている――酷い鳴き声がその証拠だ。 いたい、いたい、おかあ――言葉を続けない。余裕がないのか――忘れてしまったのか。 呆然としながら仔をひり出した少女らは、もつ何一つ語ることなどできはすまい。 神無月の風に絡んで、初産の疲れはじんわりと冷たく染み込んでくるようであった。