Q.E.D. 「いや、やっぱりこれ短すぎますって……」  メイク直しも終わってヘアスタイリストさんに髪を整えてもらっていると、往生際の悪すぎる声が傍らから聞こえてきて顔を向けるも、毛先のカットの途中だったせいですぐに顔の向きを直されてしまった。  仕方なく視線だけを向けると、どうも実際にフィッティングした衣装についてなにやら物申したいことがあるらしく、純佳ちゃんはここから二つ隣のメイク台の鏡に映しだした自分の姿に悶絶しながらくねくねと身をよじらせている。 「大丈夫だって純佳っち、めっちゃ可愛いよ!」 「塔子は朝のテレビとかで慣れてるかもしれないけど、私は初めてのランウェイだから緊張するよ……それも、こんな、イメージと真逆な……」  言って、純佳ちゃんは改めて現在の自分の出で立ちを見下ろした。パステルカラーを好みがちな彼女が自分で選ぶとは到底思えない鮮やかな赤チェックのスカートは丈がひどく短く、治安の悪そうなスプレーアートがプリントされたトップスは片側の肩を大きく露出させてルーズな色気を醸し出させている。チェーンのついたチョーカーやベルトなどの小物も相俟って、せめてもの抵抗ともとれる網タイツすらも相乗効果でむしろ艶めかしさを演出していた。 「いいかげん諦めなって〜」 「桜さんは出ないからそういうことが言えるんですって」  それにしたって当日の、しかも出番の直前になってから言うようなことじゃないだろう。オファーや打ち合わせの段階でコンセプトやコーディネート案なんかは知らされていたのだし、それを了承して受けたのはまぎれもない彼女自身だ。なら、あとは仕事をまっとうするのがプロってものでしょう。 「大丈夫、似合ってるから。しんどかったら今後私のこと、恨んでもいいよ」  今回のスタイリングを担当したスタッフが怖気づく彼女を勇気づけるように肩に手を置いた。頬を朱に染めて唇を尖らせていた純佳ちゃんは、その言葉を受けて数秒唸ったかと思うとついに観念したのか意を決したように「わかりました」と宣言する。様子を見守っていたメンバーたちからは茶化すような拍手が巻き起こった。 「でも、私からしたらまだちょっと地味なくらいだよ。もっとシルバーアクセつけるとかさ」 「もう、私の雰囲気には合いませんってば!」  首からスタッフパスを提げた彼女の口からやにわに飛び出した冗談に、純佳ちゃんもさすがに怒り、周りからは和やかな笑いが起きる。けれど付き合いが長い私は知っていた。こういう時の彼女の発言は冗談のように見えて案外本気で言っているのだ。  それを証明するかのようにどこか残念そうにみうちゃんが眉を下げて笑うのを、私は見逃さなかった。 ◆  どうしてあんなことを言ってしまったのだろう。  カメラも入っていて映像として永遠に残ってしまうのだから、当たり障りのないエピソードを挙げてなんの遺恨もなく送り出すことだって私にはできたはずだ。それこそ、いつものように冗談でも言って彼女のことを笑わせることができたはずなのに。なんて不幸せな別れだろう。 「やりたくないんなら、そこ、代わってよ」  振りかざした言葉は心に深く刺さる鋭利な刃で、ずっと私の奥底に溜まり続けて吐き出すことのできなかった膿でしかない。そんな怖ろしくて汚いものを受け止めながら、彼女は向かいの席で少しだけ俯いてただ私の語る内容に耳を澄ませていた。 「なんとなく、感じ取ってはいたよ」  彼女は人一倍周囲の空気感に敏感だ。きっとあの時もあの時もあの時も、前向きな言葉をかける笑顔の裏の淀みの一端には、それがどういうものなのかは解らずとも気付いていたに違いない。 『いちばん、やりたくないことをしに来ました』  彼女の言葉が鼓膜の奥から頭蓋に響く。  確かにあの時、私は彼女の在り方からたくさんのものを受け取った。けれどそれは立ち向かう覚悟や挑戦する勇気といったポジティブなそれらだけではなくて、妬みや嫉みのような負の感情すらも私の心に芽生えさせてしまった。  そんな考え方が嫌で嫌でたまらなくて、私は他人との間に紗幕を張った。いつだって誰かに侵されることに怯えて、薄布越しに触れ合った。無意識に誰かを傷つけてしまわないための予防策。自分で自分を傷つけないための防衛策。 「さーちゃんって、一番奥には踏み込ませてくれへんよね」  こんなにオープンな奴捕まえといて何言ってるんだか。  みんな薄々気付いていながら深く追求したりはしないのは、きっとお互い様だろうから。  あぁ、ここはなんて居心地がよくて、息苦しい。 ◆ 「みんな、素敵だったよ」  先月のフェスに続いて出番を観てくれていたみうちゃんたちと終演後に合流して、一緒にマイクロバスに乗り込んだ。前回は事務所が無理して捩じ込んだ見習いコーディネーターとして裏方参加していたけれど、今回は普通に招待客だ。  タクシー代りに利用させてもらうことには引け目を感じはするけれど、ダメ元で頼んでみたら「今回だけですよ」と渋い顔をしながら合田さんは許可を出してくれた。いったい何回目の今回なんだという話だが、犯罪に関わるだとか無謀が過ぎるだとかのよほどのことがない限りはOKしてくれるので、我ながらライン取りが上手くなったものだと思う。長年の付き合いで踏み越えてはいけない線がどこに引かれているかは承知しているつもりだ。それともこの大人数で固まって電車移動をすることのリスクとを天秤にかけたか。どちらにせよありがたく使わせてもらうことにしよう。  移動ののち、愛しの我が家に集まった面々は今日一日の大荷物を部屋の隅に積み上げて、眠たげな表情で思い思いの場所に腰を下ろした。実際、うとうとと船を漕いでいる子もいる。 「私、本当にここにいていいんでしょうか……」 「問題ないでしょ」  申し訳なさげに俯く蛍ちゃんにそう答えて返す。 「お仕事は終わったんだから、ここからはプライベート。だったら友達とどう過ごそうが勝手じゃん」  誰にどう思われようがそれだけは譲っちゃいけないラインだろうから。仮にそれが許されないというのであれば、そんなものからはきっと逃げ出してしまって正解だ。  辞め方が辞め方なだけに負い目を感じてしまう気持ちはわからないでもないけれど、今日はあなたたちのための集まりなのだから主賓がそんな浮かない顔をしていてはどうにも締まらない。  インターホンが鳴って注文しておいたピザが届いたことを知らせた。荷物持ちに何人かを伴って、玄関先でまぁまぁ大量の段ボールを受け取る。これは解体が一苦労だぞと思うものの、そういえば面倒で後回しにしていたAmazonの空き箱もついでに手分けして潰せばいいかと思い直してむしろ手間が減ってラッキーかもしれない。  本当ならいつかみたいにタコパにしたかったのだけれど、スケジュールとの兼ね合い、ライブ終わりからそのままの強行軍、開催を決めたのがつい最近という要素が重なって準備もなにもあったもんじゃなかったので肴はデリバリーということになった。 「来たよぉ」 「桜さーん、飲み物何にしますー?」  玄関から戻るとそらちゃんたちが名前の記入された紙コップに炭酸飲料を注ぎ、各人の前に紙皿を配っていた。  実際に実行したことはまだなかったけれど、漫画やアニメでよく見るお花見ってこんな感じなのかなとぼんやりと思ったりした。 ◆  たぶん最初の違和感はポジションの指定を告げられた時だった。  絢香ちゃんの卒業シングルの表題曲が絢香ちゃんセンターなことにはなんの異議も異論もなかったのだけれど、その次のシングル表題曲のセンターポジションとして、なんと私に白羽の矢が立ったのだ。  もちろんカップリングとかの曲単位で見れば各メンバーの見せ場とも言えるセンターポジションは貰っていたけれど、表題曲でというのは前例がない。いつだって私たちの真ん中にはみうちゃんが立っていたはずだったから。指令のプレートには当時復帰の目処が不透明だったニコルちゃんのポジションもしっかりと添えてあり、困惑と高揚がない混ぜになった気持ちを抱きながら合田さんの報告を聞いていた覚えがある。  だというのに当のみうちゃんは重責からの一時的な解放からか、いつも以上に和やかな笑顔で「がんばってね」だなんて言うもんだからどうにも調子が狂ってしまった。  二度目はいつだったかなぁ。  私がそれをなんとなく感じ取ったのは、おそらくきっと桜の花弁が舞う春の日のことだったのかもしれない。 ◆  一同が固唾を飲んで見守る中、彼女の歯が恐る恐るそれを捕らえた。  ほんのちょっぴり、先端の数センチを噛み千切り、おっかなびっくり咀嚼して味わって嚥下する。 「……おいしい」  静寂はやがて歓声に変わり、祝福と労いの拍手が彼女を包み込んだ。 「えらい!えらいですよみうさん!」 「今日という日を国民の祝日とする!」 「やるじゃない、滝川さん」 「えっ、ニコルちゃんもしかして泣いてる……?」 「ししょお〜〜〜!!」  みうちゃんがついにピザを食べられるようになったから、十月十八日はピザ記念日。聞いててわけがわからないかもしれないけど、そうなのだ。けれどこの先一緒に食事をする時の選択肢が増えるというのは、一般的に見て良いとされることだろう。昔は尖ってたのにすっかり丸くなっちまったなぁ、なんて感想はジョークでしかありえない。  まるでトイレトレーニングが成功した小犬のごとく褒めちぎられて、喜んでいいのかいつまで経っても子どもみたいな扱いを受けることに憤慨していいのかわからずに曖昧な表情を浮かべるみうちゃんを眺めていると、さすがの私も感慨深い。出会ってから8年半。もうすぐ9年の付き合いになるか。  あの夕暮れの公園で私が強引にでも彼女を連れ戻そうとしなかったのは、信じていたからか、あるいはもしかしたらを期待していたからか。もう今となってはその時の心境を思い出すことは難しい。 「お邪魔しました。みうさん、またご飯行きましょうね」  宴もたけなわ、ぽつぽつと、メンバーたちが帰路についていく。  実家通いの子たちは割と浅い時間に帰っていった。ニコルちゃんはライブの翌日だというのに早出らしい。来月からのソロデビューに向けての準備で忙しい蛍ちゃんは名残惜しそうに荷物をまとめ、帰りたくないと駄々をこねる子を説得しようと試みる一人暮らしの地方出身者たちを横目に私は残ったごみやらなんやらの片付けを開始する。  諸場代として一人最低ひとつ潰すことを家主権限で命じたおかげですっかり平たくなった段ボールたちをまとめ終えると、ちょうどみうちゃんが帰り支度を済ませたところだった。  ビニール紐でくくったそれをひとつ持ち上げて、「どこ?」と聞かれたので「下」と答えて返す。  床に根っこを張ってしまった穂乃花ちゃんを最後まで心配そうに眺めていたみうちゃんと連れ立って、マンションのごみ集積場へと向かった。資源ごみの回収は三日後だったけれど、宛先伝票は全部剥がしたはずだし住民や管理人に変に突っ込まれないことを祈っておこう。 「今日はありがとう」 「企画したのは後輩ちゃんたちだし、私は場所を貸しただけだよ」 「だったらありがとうは間違ってないね」  それもそうである。珍しく謙遜なんてしないで素直に受け取っていれば発生しなかった、余分なやりとりだ。 「行くとこ決めた?」 「候補はいくつか。早く願書書かなきゃ」  お世話になったスタイリストさんの紹介で働きつつ、来年の春からは学校に通って服飾の勉強も始めるらしい。昔のみうちゃんからは考えもつかない未来があった。  いつか彼女のデザインした衣装を纏ってステージで踊る日が来るのだろうか……って、似たようなことはもうこの前叶ったっけか。  なら、もういいか、なんて一瞬よぎった。  私が今もアイドルを続けていられる理由は、アイドルをやりながらでも十分やりたいことができているからだ。裏を返せば別に無理に続ける理由もないということ。  要はきっと、負けたくなかったのだ。負けたくない人が身近にいたから、ムキになって歩みを止めることをしなかったんだと思う。  アイドルとは叛逆者だ。いつだって何かに抗って、どうしようもなく何かに逆らう生き物だ。 「桜ちゃんに言われたこと、ずっと考えてた」  少し肌寒い秋の夜空を見上げながら、みうちゃんが口を開いた。対談のときのことだろうか。それとも最後の耳打ちか。 「たとえそうだったとしてもね、桜ちゃんがいてくれたから私はここまで歩いてこれたんだよ」  そんなの、私だってきっと同じだ。最初から最後まで、私たちは付かず離れずずっと歩調が合っていた。 「桜ちゃんがずっと目を逸らさないでいてくれたから、転んでも起き上がれた」  決して解り合えていたとは言えないのに、誰よりもお互いのことを深く理解できていた。お互いに、「そんなところで終わらないでしょ」って。 「だから、私たちはもしかしたら、ライバルだったのかもしれないね」  抱いていたのは決して好意なんかじゃないけれど、決して敵意なんかでもなかった。だから「だった」だなんていざそれを実際に言葉にされてしまうと、もう隣に彼女がいないことを深く思い知らされてしまうのだ。  自宅の玄関まで戻ってくると、ちょうど純佳ちゃんとみず姫ちゃんが部屋を出るところだった。咄嗟に赤く腫れた目元を隠す。 「泣いてたんですか」 「いいでしょ別に」  開口一番に、純佳ちゃんが不機嫌そうな顔でそう言いながら私の脇をすり抜けていく。 「穂乃花ちゃんは?」 「瀬良のことなんてもう知りません。今日はお疲れ様でした」  かなりご立腹の様子で、一度こうなってしまうと流石の私でも手に負えなくなるからこういう時はほとぼりが冷めるまでは触らないが吉だ。 「ほのちゃん、全然動いてくれなくて……もう電車やばいんで後頼んでいいですか?お疲れ様でした!」  エレベーターホールへ向かう二人の背中を見送って、洟をすすりながらリビングに入るすんでのところでポケットの中身がぶるりと震えた。 『瀬良が元気ないとか調子狂ってしょうがないんで、きつーくお灸据えちゃってください(^_^)』  なんていうめんどくさくてまどろっこしいRAINにサムズアップの絵文字だけを投げつけて扉を開くと、出る時と変わらない位置でクッションを抱きながら体育座りをし続ける穂乃花ちゃんがすぐに目に留まった。 「帰らないの」 「……玄関を出ちゃったら、帰り道で落ち込んじゃいそうで」  聞くと、数瞬ののちに誰かを思い出すような小さな声でもごもごと返事が返ってきた。本気を出せばジェットエンジン並みのクソデカボイスの持ち主とは到底思えない。  大きなため息をついて、シャワーを浴びるように促して、替えの歯ブラシはどこに仕舞ったっけと記憶をたどった。  今日のところは二人でとことん落ち込もう。落ちるところまで落ちてしまえば、あとはもう上がるだけだろうから。 ◆  毎朝のジュンちゃんのポスト通り、その日は朝から小雨がぱらついていた。お昼過ぎには止むようだけど、窓からのぞく灰色の空は本番前の不安定な気分を下降させるには充分だった。 「もしかしたら逆だったかもしれないねぇ」  誰にともなくひとりごとを呟く。  22/7はなにかと大事なイベントで雨に見舞われがちだ。初期メンがどんどんと卒業していき、みうちゃんまでもが離れていっても相変わらずなのでいよいよ候補が絞られてきて自認晴れ女としては焦るったらない。まぁまだニコルちゃんとのタイマン勝負が残っているし、後輩たちの中に強烈な雨女が潜んでいる可能性もなくはないけれど、陽の者が揃っているからそれも望み薄かもしれなかった。  今日も何人かOGが来てくれているらしく、差し入れのお菓子がプチ豪華だった。甘いものが嫌いな女子なんてそうそう存在しないのだから、あればあるだけいいというものだ。 「本番5分前です」  影ナレが終わって舞台裏で肩を組んで円陣を作った。ずいぶん顔と顔が近くなったなぁ、なんて思ってみたりする。  早く一人前になって私たちを舞台へ送り出してよね。私が気の長いタイプじゃないってことくらい、言わなくてもあなたは知っているでしょう?  今まさに客席に座って私たちの登場を待っているであろう人に向けてテレパシーを送った。返信不要だ。きっと困り眉で頑張るねって言ってくれるだろうから。  再会はまだまだ先の話かもしれないけれど、その時を信じることで歩みを進める脚は驚くほど軽くなる。  ならきっと、まだ輝けるはずだろう。 「よっしゃあ!雨雲なんて吹き飛ばすぞー!みんなを照らす!サンシャインイエロー!」 当たり前のことだ。 陽が射さないと虹は掛からないものでしょう。 ■