熱い勝負を求めた、世界を股にかける旅。行く先々で勝負を繰り返し、時に名勝負に心躍らせる。自由気ままに西へ東へ、勝負の気配に釣られて北へ南へ。楽しくはあるが……それでも疲れてしまう時はある。 そんな時は熱く濃いコーヒー片手に、ぼんやりと空を眺めるに限る。満たす青、流れる白、嘆きのグレー、さよならのオレンジ、沈黙の黒……ただの一度だって同じ顔は無く、けれどいつだってそこにある。変わっていくけれど、変わらないモノ――なんとなく心を惹かれる。 『……ん。誰か来るぜ』 「ああ、分かってる」 傍らの《R.S.F.K.》(相棒)の声に短く返す。 感じる気配は一つのみ。こんな所まで――標高2000mの僻地まで足を運ぶ奴の心当たりなんて……まあ、なくはなかった。 コーヒーを飲み干して、それから一つ大きく息を吐いて立ち上がる。座ったまま出迎える、なんて失礼な真似はしない。どんな相手でも敬意を払うのが一流の勝負師ってヤツだ。 それがたとえ、望まぬ相手だとしても。 「わざわざこんな所までご苦労な事だな、レディ?」 岩陰から姿を現したのは、二十歳かそこらの女だった。160cmくらいの体躯はモコモコとした防寒具に覆われている。手入れをしている暇がないのか、そもそもする気がないのか……くすんだ金の髪は肩先で乱雑に切られていた。強い意思を示す様に目尻は吊り上がっていて、瞳はまるで夕焼けが隠れた後の空の様な、深い青紫色。その右目に重なる様に、縦に短く入った傷痕が痛々しく、そっと目を逸らす。 名前は忘れた……いや、そもそも名乗られた覚えすら無かったか。それはともかく、その姿は何度か見た覚えがある――秘密結社D.E.Lの人間。予想通りでうんざりだ。 「まったくだよ、アンタ。もう少し居場所は考えな」 女も同じくうんざりした様子で吐き捨てる。不服そうに歪めた唇から白色が伸びては、景色に紛れて消えていく――久しく忘れていた光景だった。この寒さなら着込むし、吐息は白に染まる……『普通』ならば。 『……ん?どうかしたか?』 四六時中側にいるのが気の置けない相棒(クリーチャー)だけだと、ついつい忘れてしまう。人の世の理というヤツを。 「いや、何でもねぇよ、相棒」 短く答えて女に向き直る。相棒の声は聞こえていないからか、怪訝そうな目をしていたが、特段驚いた様子は無い……それも当然か。 D.E.L(コイツら)はオレの正体を知っているのだから。その上で、オレを狙っているのだから。全く以て面倒極まりない事だった。 「さて、『居場所は考えな』だったか?……ご忠告、痛み入るね。無粋なヤツが来て困っちまうのも確かだし、さっさと引っ越した方が良さそうだ」 「はんっ、今度はアタシに住所を教えとく事だね。散々探し回らされて、面倒ったらありゃしないよ!」 「そいつは重畳!隠れんぼを楽しんでいただけた様で何よりだぜ、やかましい配達屋さん」 「……随分と口の減らない事。まったく、本当に面倒なヤツだよ」 「それはこっちのセリフだ。後何回逃げたら、アンタらは諦めてくれるんだい?」 「さてね。こちとら『上』の駒だからねぇ……アンタが大人しく捕まってくれさえすりゃ、こっちだって追いかけ回したりしないんだけどねぇ?」 「手間かけさせて悪いな、レディ。チップを弾む気はさらさら無いが」 「ふん……大体、デュエルから、勝負から逃げるなんて勝負師の名が聞いて呆れるよ」 「楽しめない勝負はしないのが流儀なものでね。もっと情熱的なお誘いなら、応えるのも吝(やぶさ)かじゃないんだが」 逃げるのは簡単だが、だからこそ情報を少しでも引き出すべく、時には煽りも交えて会話を重ねる。良い加減、諦めてくれないか――そんな淡い期待を込めて、そして裏切られるのが常。 だが、今日のそれはどうもおかしかった。 感じられないのだ――いつもの敵意が。そして悪意が。 そのせいか、いつも以上に口が回ってしまう。敵であるはずの彼女を前に、不思議な居心地の良さすら覚えてしまって……奇妙な感覚だった。 「――だったら、応えてもらおうか。『情熱的なお誘い』とやらに」 「何?」――言葉を返すより早く、彼女はその場に腰を下ろした。その振る舞いからは相変わらず、敵意も悪意も感じられない。 何だ?何を考えている?――その思考が表に出てしまっていたらしい。見上げてくる瞳が意地悪げに歪んでいた。 「アンタのそんな顔、初めて見るね。いつものふざけた余裕面より、よっぽど親しみやすくて男前じゃないかい」 「口説いているのか?だったら悪いな、オレのパートナーはもう決まってるんだ。他を当たってくれ」 「おやおや、こんな美人を袖にするなんて男が廃るよ?」 思いっきり笑える愉快なジョークに、あえて沈黙で返してみせる。少しは噛みついてくるかと思ったが、ニヤニヤと読めない笑顔のまま。余裕も理性も、意外とあるらしい。 「さ、アタシと勝負しようじゃないか」 「……何?」 「アンタが言ったんだよ?『もっと情熱的なお誘いなら、応えるのも吝(やぶさ)かじゃない』って。もちろん、逃げたりしないよねぇ?」 意地悪く笑っていたその視線を真っ直ぐなモノに変え、挑戦状を叩きつけてくる。 なるほど。つまり、こう言っている訳だ――いつもの悪意を持った戦い(追いかけっこ)ではなく。この場に限って、善意を持った勝負(ゲーム)を楽しもう、と。 「信用できないかい?」 「いや、信用はするさ。アンタからは敵意も悪意も感じられない。ただ……」 「ただ……なんだい?」 「……率直に言えば、どういう風の吹き回しなのかと……真意を測りかねてはいるな」 オレの疑問も当然だろう。これまでは追って追われてをやってきた身。それをいきなり一時休戦、なんて虫が良すぎる。 悪意が無いのは分かっているが、だからこそ理解出来ない――その真意が、どこにあるのか。 「勝負を楽しみたい……それだけじゃ足りないのかい?」 懐疑心に満ちたこちらの視線に臆する事なく、しっかりと目を合わせて告げられた言葉。そこにはやはり、嘘偽りは無かった。 「まあ、もっと言えば……知りたいのさ。アンタ程の力を持つクリーチャーが、心を奪われるモノを」 どこか翳(かげ)りを帯びた声。その瞳に映ったのは好奇心だけでなく……自嘲、か? ――途端、知りたくなった。彼女が何を思って、勝負に興味を持ったのか。彼女がオレとの勝負の先で、何を見つけるのか。 入場料(チャージ)は、それで十分だった。 「……いいだろう。応じてやるぜ、レディ」 「はっ、そう来なくっちゃねぇ」 元より誰が相手だろうと。嘘偽り無く、勝負を知りたいと言うのならば。楽しみたいと言うのならば。 オレに出来る事は――オレがすべき事は、「何故?」と疑う事なんかじゃない。その想いに応える事だ。 一緒に勝負を楽しむ事だ。 「ただし場所は変えさせてもらう。こんな場所じゃ、まともな勝負は出来ないからな。……ああ、ワイルドなのがお好みなら、そっちに合わせてやってもいいが」 そう言うと彼女は手を広げ、肩を竦めてみせた。「好きにしな」――そう言っているのだろう。 「では、ご招待しよう」 右手を掲げ、指を鳴らす――オレの正体を知っているヤツが相手だと、大っぴらに力を使えて便利だ。その意味では、彼女がD.E.Lの人間な点に感謝すべきなのかもしれない。 「ようこそ、オレの秘密基地(カジノ)へ。……なんてな」 寒々しい剥き出しの岩場(アウェー)から、華美にして粛々たる賭場(ホーム)へと。指先から飛んだ鋭い音が周囲に溶け込むより早く、景色が変わる。 二人きりで独占するにはいささか広く寂しいが、D.E.Lである彼女を招待しても問題無く、そしてルーレットテーブルやトランプ等の勝負に必要な物が揃っている場所となれば……オレが密かに整えていた、この場くらいのものだろう。 「………………」 「……ん?どうした?男のホームに招かれて緊張でもしているのか?」 彼女は呆れた様に、半目で辺りを見渡しながら立ち上がる。差し伸べた手は、しかし無視された。つれない事だ。肩を竦めてみせる。 「まさかこの空間、呼び寄せたのかい?」 「馬鹿を言うな。そんな訳ないだろ」 「はは、流石にそうだよねぇ……いくらアンタと言えども――」 「持ってくるより、オレ達が飛んだ方が手っ取り早いからな」 「――はあ……。こんな規格外のヤツを捕まえろ、なんて……とんだ無理難題だよ……」 「お褒めに預かり光栄だ」 深々とした溜息。楽しむべきこの場に相応しくないそれを右手で払うついでに、そのまま体に添えてお辞儀(ボウ・アンド・スクレープ)を一つ。戯(おど)けたそれがお気に召さなかったのか、返ってきたのは冷たい視線。流石にかしこまったお辞儀(カーテシー)で応える、なんて満点の解答を望んでいた訳じゃなかったが、何とも肩透かしな事だった。 「なんならついでに、『アイツの追跡はさっさと諦めろ』と提言してくれても良いんだぜ?」 「出来るもんか。アタシらは駒なんだよ、『上』の。『やれ』と言われたら、尻尾を振ってやるしかないんだ」 「尻尾じゃなくて、首を横に振れば良いものを」 「だから、『上』には逆ら――」 「アンタは今、誰の意思でここに居る?他の誰も連れずに、ここに居る?……空っぽの人形って訳じゃないんだろ?」 「……それ、は……」 噛みついてきた彼女の言葉に、ここまで指摘してこなかった事実をぶつける。途端、張り詰める程ハキハキとしていた言葉が、風に流れる雲の様に柔く揺らいだ。どうやらこの辺りに、彼女が勝負に興味を持った理由がありそうだ。 だが、それを深掘りするにはタイミングが悪すぎる。これから楽しい勝負をしようと言う時に、気分を下げる真似をするディーラーはいない。 「……ま、何でも良いさ。それより、アンタの事は何と呼べば良い?」 「……うん?」 意識を他へ向けるため、あえて突飛な話題を出す。……実際、オレが知りたい事でもあったから、全く無意味な話題と言う訳では無いのがミソだ。 「『レディ』は気に入らないらしいし、『アンタ』じゃ味気ない。かと言って『貴女』と呼べる程の敬意も持てちゃいない」 『レディ』――オレが広く使うその呼び方は気に入らないらしい。そう呼ぶ度に、ぴくりと眉根が動いていたのが証拠。ならば代わりの呼称が欲しい所だった。 「……ああ、そう言えば名乗ってなかったね。アタシは――」 立てた人差し指を唇に当て、続く言葉を止める。「自分から聞いたくせに」――そんな不満を込めた、疑心の表情。思いっきり眉根を寄せたそれはどうして中々、魅力的だった。 「やめておこうぜ。深入りしすぎない方が良い。どうせ一夜限りの逢瀬が終われば、敵に戻る身だ」 「アタシは別に構わないけどね。アンタの名前は知ってるし」 「Ⅴ(ブイ)、だろ?それだって本名じゃないさ」 「そうかい。だったら、そうだねぇ……ラムダ、にしておこうかな」 「ラムダ……?《コスモ・セブ Λ》でも使――ああ、そういう事か。なるほど……良い名前じゃないか」 ラムダ、ギリシャ文字の大文字だと「Λ」。丁度「Ⅴ」を逆さまにした形。このオレへの挑戦者として相応しい名前だ。同時に挑発も兼ねているのは、彼女の表情を見れば分かる事だった。 「さて……それじゃあΛ。勝負は何から始める?デュエマに限らず一対一(サシ)で楽しめるゲームは一通りは揃ってるし、必要ならルールも教えよう」 「そうだねぇ……それでもやっぱり、まずはデュエマから始めようじゃないか」 ニヤリと笑って、彼女はデッキを取り出す。その笑顔には見慣れない、子供の様な純粋さがあった。 「いいだろう……それでは、お相手させていただこうか!」 同じ様にデッキを取り出し、笑みを返す。 心躍る夜になる――そんな予感がした。 「「デュエマ・スタート!!」」 ――勝負師としての、確信にも似た予感だった。