狐坂ワカモには周期的に巣を渡る習慣があります。 二か所に拠点を設け、一週間未満の滞留と移動を繰り返します。 また、巣渡りを覚えるようになるまでは極端な攻撃性が見られ、 定住よりも遊牧と略奪を好み、財宝を粗末な拠点に貯めこみます。 巣渡りを身に付ける時期になると、協調性を覚え、群れの若輩を守り、 周囲からの贈り物を飾るために一定の住居を構えます。 今日は温帯から乾燥帯の拠点に移動する様子が捉えられました。 目覚めの挨拶を先生に送ると、続けて群れの仲間に移動を伝えます。 まだ早朝です。誰からも返事はありません、寂しくもありません。 昨晩から移動の準備をしていました。身支度は短く、家を出ます。 よく使い込まれ、よく手入れのされたロードバイクは 待ち遠しい学校への道を、より長く感じさせます。 自転車通学にしているのは、シロコに一緒がいいと強請られたからです。 ロードバイクの入手経路は、ノノミがまた来て欲しいと送ってくれました。 メンテナンスに失敗したら、アヤネが代わって調整してくれます。 サイクルウェアも特別です、ユメさんが候補を探して、先生が褒めてくれたもの。 ホシノは自分を乗せてと荷台を付け、セリカは交通安全のお守りをくれました。 記憶は心を弾ませます。 それだけで時計は焦れて、地図が滲んで。 それでも、現実は何一つ変わりません。 いつもと同じく、仲間から返信が来きました。 学校まであと半分、この時間になればシロコが起きてきます。 歓迎の意を込めたスタンプが幾度も送られ、自身のメッセージはもう遠く。 足を止めてシロコに返信をすれば、またもやスタンプで埋め尽くされてしまいました。 何度か漕ぎなおして、途中でバスに乗り遅れたアヤネを荷台に拾って。 ワカモがアドビスに泊まる初日は、仲間みんなが少し早く学校に来ます。 校内のシャワーを浴びて、制服に着替えると調理室に向かいます。 この日は料理を持ち寄って、揃って朝食を囲むのです。 ──事の発端はセリカでした。 アドビスは照明・空調費節約のために全学年が同じ教室に過ごしていますし、 席も気分次第で自由ですから、ワカモとセリカが隣になる日もあります。 『一粒で一年分のカロリーと栄養を!』と謳うサプリメントを鵜呑みにして、 授業中にお腹を鳴らしていた彼女に机をくっつけました。 ノートでの学習に集中している人も、BDで機材にイヤホンを付けている人も、 机を引き摺る音には気を取られます。そこに座っているのがワカモだからではありません。 外部からの襲撃がようやく落ち着き、纏まった時間の学習自体が新鮮な時期でした。 机はバリケード、あるいは堤防。教室でなく、戦場の音に聞こえたのです。 注目されたワカモは、素知らぬ顔でセリカの肩をつつき、耳打ちをします。 セリカの表情がころころ変わって、ひと段落すると二人で机の上にノートと端末を立てます。 銃弾どころか、小石でさえ倒れる防壁は、しかし前方からの視線を遮りました。 口角を上げたワカモが鞄から机上に乗せたものは、ユメさんとホシノには見えません。 ですが、後ろから覗いているシロコの羨まし気な表情と、ノノミとセリカの驚愕。 そして、ワカモとセリカの所作で、全員が理解してしまいます。 『あの二人は生徒全員の眼前で、堂々と早弁をしている』と。 セリカは恥ずかしそうに礼を告げ、ワカモは笑顔で受け取って、箸を進めます。 ワカモ自身はそれほど空腹感を覚えていませんが、 以前から惣菜パンばかりを朝食としていた姿が気掛かりで、 機会があればセリカには栄養のあるものを食べて欲しいと考えていたのです。 痛みを覚えるほどの空腹と、ワカモの気遣いが嬉しくて、セリカは周囲の視線に気付きません。 授業中だからと抑えていた声量も上りかけて、注目も集まります。 そうなると甘えたがりのシロコが混ぜろと机を寄せてきて、学級崩壊は決まりました。 セリカが箸で掴んている玉子焼きを齧り、ワカモの腕を称えます。 ようやく状況を理解したセリカを容赦なくおちょくると、ノノミさえ便乗して昼食を広げます。 ホシノは止められませんでした。 ユメさんが満面の笑みで行いを肯定し、自らも鞄を手に取ったからです。 ──そうして始まったのが、ホシノ主導となる早弁対策委員会の主活動、朝食会です。 ホシノは、ワカモによる後輩への餌付け独占を激しく非難し、独断により施行しました。 ワカモが弁当を持参する滞在初日のみ、敢えて全員が弁当を共有する日とする。 誰も損をすることなく、ホシノの私欲は受け入れられました。 ワカモも反対をしませんでした。先生を狙う競争相手の力量を測る好機でもあるからです。 今では規模が大きくなり、持ち寄った弁当の共有のみならず、 砂を被った調理室を修繕し、校内で調理をする者さえいます。 ユメさんとホシノはいつも張り切って、炊き立てのご飯と焼きたてのパンを準備してくれます。 ワカモが調理室に着いた頃には、アドビス生徒は勢揃いで配膳をしている最中でした。 一人一人に挨拶をして回り、持参したお惣菜の詰まった弁当を温めます。 料理が出そろうと、ユメさんが音頭を取って朝食を食べ始めます。 向かいの席のホシノから放たれるお決まりの文句を躱して、温かい食事に手を付けます。 何度アドビスに転校する提案を受けたでしょうか。 最初は断っていましたが、次第に返答を濁して、今はもう何も言えません。 口に出してしまえば、もう戻らないのですから。 百鬼夜行に帰郷する際にユメさんとホシノから尾行され、 向こうでしか出来ないことがあると、分かって貰えた筈でしたが。 逃げたくても、ワカモとホシノは向き合って座る理由があります。 ユメさんが作る料理はどれも絶品で、争いの火種でもあります。 後輩たちの手前、最初は譲りさえするのですが、残りが少なくなると ユメさんが大好きなホシノと、見事に餌付けされたワカモで奪い合いになります。 加えて、ホシノは該当曜日の深夜パトロール当番で、ワカモは長距離サイクリング後で空腹揃い。 争いの激しさもひとしおで、両者の争いを避ける手段の探求が繰り返されました。 食品は一切無駄になっていませんが、本当に最低限度のテーブルマナーの問題です。 最初は対角線上に分けられました。 お互いの手元にある料理を欲し、食卓全域が戦場となりました。 次に、ユメさんの両脇に置かれました。 直接的な喧嘩は収まりましたが、ユメさんと向かい側の後輩と仲良くするワカモにホシノが脳爆散。 そのまた次は、何も挟まず両隣。 獰悪を極める醜い争いが起こり、光のビナーが遊びに来るまで続きました。 最終的には今の位置。向かい合わせ。 巻き込まれる者はなく、ちょっと後輩から引かれる程度の争いで収まります。 ワカモとホシノはたった二人、席を動かせないのです。 普段は相棒とばかりに並び立つ彼女達は、数日ぶりの再会の度に年甲斐もなくはしゃいで、 親友と悪友と姉妹の距離感で食卓を揺らして、ユメさんとアヤネに叱られたのです。 居場所が出来て有頂天のワカモと、先輩が快復して感無量のホシノに対する、 後輩からの尊敬は移ろって、生徒会長への信頼に転じました。