風に木の葉が翻るように、カードが舞う。豪華絢爛に、きらびやかに。  カジノは場末の賭場とは違う。客を常に楽しませ、興奮させ、満足のうちに金を吐き出して貰わねばならない。シャッフルひとつであろうと、美しくなければ許されない。 「いい腕だ」 「恐縮です」  グリード・サンタマリアは、客を見たまま返答する。賭場荒らしとして、ディーラーとして、様々な状況で賭博をこなしてきた指は、どんな状況でも動揺に震えなどしない。 「では、ご準備よろしいですか」  グリードは、霧のような体をひとつ揺らめかせ、にこやかに問うた。客たちが手元のカードに目をやる。と同時に、グリードの指が、素早くカードを入れ替える。  バサッ、と音を立て、派手な入墨を施された襟が翻った。 「……」 「いい腕だ」  チキンディナーは再び褒めた。左右色の違う目が、愉しそうに細くなっている。子供ほどの背丈しかない、この竜人の男は、膂力だけならば、大して鍛えてもいないグリードにも劣るかもしれない。だがこの男、犯罪組織九頭竜の幹部の一人にして、非合法カジノ経営者。裏社会にその名を轟かせる、油断ならぬ怪物である。 「続けなよ」 「もちろん」  グリードの指がカードを捲る。赤ら顔の紳士が笑みを浮かべた。カードを示す前から、そうなることはわかっていた。 「あなたの勝ちです。続けられますか?」  客が頷くことも、グリードにはわかっている。そうなるように仕組んだのだから。グリード・サンタマリア、カジノ「メルトサンジェルマン」のディーラーは、本来ならば必要のないイカサマなどしない。今回彼は、九頭竜とメルトサンジェルマンの会談を前に、ディーラーの力量を見せるために派遣されている。好む好まざるにかかわらず、腕を見せつけてやらねばならない。カードが再び翻る。 「残念、運が向かなかったようですね。では次のカードを」  カードは消えて新しいゲーム。白髪の老人が掛け金を失う。その一瞬に何が起きたか、誰も気づいていない。 「ベットはよろしいですか?」  カードが捲られる。太った婦人の手元に金が流れ込み、紳士の赤ら顔が青ざめる。 「素晴らしい。あなたの勝ちです」  あらゆるカードが、あらゆる手が、グリードの手の内から、幻のごとく現れては消え、消えては現れる。勝たせる。負けさせる。持ち上げて落とす。はらはらさせて寸前で勝たせる。金が魔法のように吸い出され、宙に浮き、あるいは懐に押し込まれる。  客たちには何も見えていない。全ゲームの結果を平均すれば、彼ら全員がほぼ同額を、平等に負けている。しかし彼らはこの場で起きたことどころか、自身が負けたことさえ、理解できていないだろう。 「素晴らしい」  しかし、チキンディナーは理解していた。イカサマの指摘をせずとも、その笑みがすべてを物語っていた。ワンゲームが終わり、客が離れたテーブルに、緑の鱗に覆われた手が置かれる。竜人らしく尖った爪は、ゲームの邪魔にならないよう、きれいにやすりをかけられている。 「ちょいと遊ばせてもらおうか」 「かしこまりました。ゲームはどうされますか」 「『ムーンプール』を」  『ムーンプール』。場に提示された札と、配られた手札で役を作るカードゲーム。両者から見えている場札、両者から伏せられている山札、提示されない相手の手札、自身の手札。イカサマを用いて勝利するためには、この四種類を操作する必要がある。 「できるよな」  チキンディナーの目が笑う。グリードも笑い返す。 「ええ」  グリードの手がカードを広げる。 「もちろんです」  カードが目に映った一瞬を記憶、シャッフルしながらカードを並び替える。まずは双方の手札を操作、自身に都合のいい場札を選択し、山札の並び順に仕込みを入れる。一瞬の早業。 「どうぞ」  チキンディナーは手元のカードを広げ、実に楽しそうに目を細めた。襟の皮膜が広がって震える。 「完璧だ」  無論、完璧だ。グリードは、自身の技術にプライドを持っている。千回やっても隠し通す自信がある。 「カードは」 「引くよ」  チキンディナーは笑みを浮かべたまま、手札を捨て、場札を手札に加え、山札を引く。グリードはその様子を、冷静に見つめる。手元には既に役が揃っているのだ。 「よろしいですか」 「構わんよ」 「では、『星月夜』です」  カードを提示する。『星』二枚、『森』『三日月』各一枚。強力な役だ。 「『サンライズ』だ」  対するチキンディナーが、微かに笑みを薄くする。投げ出したカードは、『太陽』一枚と『海』三枚。『ムーンプール』最強の役である。 「……!」  グリードは、動揺を表情に出さず、胸のうちに留めた。イカサマの気配はなかった。しかし、『ムーンプール』六十四枚のカード中、『海』は四枚、『太陽』はたったの一枚。仕込みもなしに、初手で出せる役ではない。 「悪いな。こいつは生まれつきなんだ」  チキンディナーは、本当にすまなそうな顔をして、肩をすくめる。  失敗だった。表情を変えぬまま思考する。カードに仕込みを挟むなどという、手緩い操作ではなく、全てのカードを完全に支配して、相手の役が一切成立しないようにもできたし、そうすべきだった。世の中には、異常な強運の持ち主がいる。僅かであろうと、隙などあってはならなかったのだ。 「続けるかい」 「ええ、もちろん」  グリードは笑顔で答えた。『サンライズ』は既に成立せず、『海』三枚が消費された以上、『サンライズ』の次に強力な『ムーンライズ』も狙えない。仕込みは場に残されている。もう強力な役は作らせない。 「いいね。気に入ったよ、グリード・サンタマリア」 「光栄です。チキンディナー様」  チキンディナーが小柄な体躯を反らせ、真っ直ぐに視線を投げかけてきた。グリードもその目を見返す。次は勝つし、その次も勝つ。  と、カジノに微かにどよめきが起きた。チキンディナーは少し首を傾げ、横目で騒動の出処を確認し、唾を吐くように言葉を吐き捨てる。 「あいつか」  ハイエナに似た顔立ち、黄褐色のまだらの毛皮の魔物。ハウル=リスキーダ。幸運の女神に愛されると自称する、異常な強運の持ち主。とあるカジノと協力関係にあるらしいが、時たまこうして、ふらりと他所の賭場に現れることがある。 「よしとけって兄さん!ツキが向いてねェよ」  だが、今日の彼は、博打とは関係ない何事かに、心を奪われているようだった。他人に興味が薄い彼には珍しく、若い男の肩を抱かんばかりにして、熱心に説得している。 「あンた今日はもう無理だぜ!やめて帰んな」 「いや、まだまだ……」  冒険者だろうか、腰にホルスターを下げた茶髪の男。悪い女にでも連れ込まれたのか、明らかに博打慣れしていない雰囲気がある。少額のチップを場に出し、彼は宣言した。 「赤!」 「やめとけよ……」  ハウルが耳をぺたりと倒して呻いた。はたしてボールはあやまたず、黒のポケットに落ちる。 「くそっ……黒だ!」  ボールは元気よく転がり、自ら飛び込むように赤のポケットに落ちた。 「赤!」 「黒!」 「赤!」  ボールは耳が聞こえているかの如く、常に宣言と逆のポケットに落ちる。 「え〜っ……なんでだ?必勝法があるとか……?」 「単にツキがないンだよ。悪いこた言わねェ、帰れよ今日は」  グリードとチキンディナーは視線を交わした。今男がやっているように、黒か赤二択で賭け続ける場合、ルーレットというゲームは、異常な負け方はしない。確かに連続で負けることはある。だが、常に裏を向いて落ちるコインがないように、勝ち続けることも、負け続けることも、不可能なのだ、通常ならば。 「赤……いや黒!」 「俺も黒だ」  ハウルが耳を倒し、たてがみを逆立てて宣言した。はっきりと場がざわつく。ハウルは周囲の喧騒など知らぬげに、盤をじっと見つめる。彼がこういう表情をする時、そのツキの力は最大限に行使される。そして必ず勝つ。 「よし来い!」  ボールが転がり、男が叫ぶ。黒のポケットにボールが落ちようとしたその瞬間、滑らかに回転していたルーレット盤が、不意にガタンと揺れた。ハウルが耳を立てる。大きく跳ねたボールは、盤を飛び出し、ころころと床を転がる。 「失礼。お客様。設備に不備があったようです」  チキンディナーが割って入った。ハウルがその姿を認め、小さく鼻を蠢かす。襟の皮膜がわずかにはためいた。 「こちらへ」  カジノオーナーは、別のルーレットを示しながら、グリードに目くばせをした。グリードも、目で了承の意志を伝える。チキンディナーの強運に似た何かか、あるいはハウルが持つような憑き物なのか。とにかくこの若い男の周りで、何かが起きている。危険なものか無害なものか、解明せずに放ってはおけない。  グリードは盤の前に立った。ギャラリーも後を追って移動してくる。 「賭けは?」 「黒!」  男は威勢よく答えた。 「俺も黒に賭ける」  ハウルが告げる。場がざわつく。 「俺も黒だ」  チキンディナーが宣言した。ざわつきは静まり、沈黙が場を支配した。 「では」  グリードはルーレットを回転させた。彼にとって、狙った場所にボールを落とすことは容易い。容易いはずだ。何事もなければ。  グリードのイカサマと、二人分の強運を乗せ、ボールが盤に投げ込まれる。いやいやという風情で転がったボールは、突如音もなく2つに割れ、半分を盤に残したまま、黒のポケットに落ち込んだ。