深夜 デジタルワールド 某所/小さな入り江  旅の最中、一晩の野営地にと選ばれたそこで、真菜は一人仲間と離れて夜風にあたりながら物思いに耽っていた。  ここを訪れるより少し前、"スプシ図書館"と呼ばれる場所での出来事が、真菜にはどうも引っかかって仕方がなかった。 『人になれ。今のあんたはトロフィーだ』 『物に可能性はない、人の可能性に巻き込まれて壊れるだけの存在だ』  ──思い出すだけで、腹立たしい。  私とたった一度戦っただけで何を分かった気になっているのだろう、あの男は。  トロフィー? 随分とまた、過大評価をされたものだ。今の私をモノだと呼ぶなら、それはトロフィーなんかじゃない。壊れたガラクタだ。  今の魚澄真菜に、誰かに求められるだけの価値も資格もない。  唯一と言っていいほどだった取り柄の泳ぎは失われてしまった。泳げない魚はただ死を待つだけだ。可能性に巻き込まれるなどと大それたことも起きない、水底に横たわる、生きているだけの死体だ。  死んだ魚が釣れたところで、喜ぶ人間などまず居ない。今の私にある価値はせいぜい衛生面の危うい死骸を捨てる手間程度のものしかない。  そんな腐って朽ちていくだけのものを、さも偉そうにトロフィーと評するだなんて。馬鹿馬鹿しいにも程があった。  シードラモンは賢くて強いデジモンだが、パートナーが自分だったばかりに、滅多に十全にその価値を示せない。  私がいるせいで、私が足手纏いなせいでと思ったことは、一度や二度ではなかった。  アトラーカブテリモンの森での戦いでは、あの森に満ちた生命力のようなモノのおかげで一時的に究極体になることができた。  隕石迎撃戦においても、何らかの強い力が働いていたのだろう。だが、平時においては、私はシードラモンを進化させることさえままならない。なんなら、自分は彼女に無理をさせているとさえ言えた。  ……結局。どこまで行っても、自分はお荷物なのだ。助けを請われて張り切ったところで、後に残ったものはこのざまなのだから。  浅瀬から海を覗き込む。私の顔と、黒黒した水面だけがあった。 「真菜」 「……っあ。なに? シードラモン」 「……バイタルが乱れている。スプシ図書館での戦いからこっち、あまり休まっていないのではないか?」 「それは……まぁ」  半分は正解だ。休まらないのは心のほうだが。 「……シードラモン」  こて、と、相棒のつるりとした体に寄りかかる。彼女の身体は水中に適応してひんやり冷たいが、大きくて包容力があった。 「どうした、真菜」 「シードラモンは、どうして……私が、デジタルワールドに来たんだと思う?」  そうだ。そもそも、私はこれもわからないままに戦っていた。この前エンシェントモニタモンにそのまま聞いておけばよかったかな、と少しだけ後悔している話題だ。 「……難しいな。ふむ……君の兄はどうだったんだ?」 「兄さんたちは、私にあんまり詳しい旅の話はしてくれないから。でも、何かするべきことがあって、それをやり遂げて帰ったみたい」  海里お兄ちゃんは、あのスプシ図書館で何かがあって、早織さんも同じようにあそこに起因する使命、みたいなものがあったんだろうことはわかる。  明良お兄ちゃんは、ファンビーモンの言葉を聞く限りでは……悪い虫のデジモンと戦って、何だかすごく強いデジモンを倒したみたいだし。  ……。  今の仲間のみんなは、やりたいこと、やれること、やるべきこと、……みんな、私にはない価値を持っている。 「今の私には、使命も、やりたいこともない。帰る手段を探して旅をしてはいたけど、……実のところ、もう、本当はそんなもの探さなくても帰れるらしいし」  お兄ちゃんたちは、私を連れ戻すために探しに来てくれたらしい。  それを断ってこちらに残ることを選んだのは自分だが、本当はあの時……森の時や、図書館の時に帰った方が良かったのかもしれない。 「私、ここにいていいのかな」 「…………。少なくとも。私は君を、必要としている」  スリ、とシードラモンの大きな頭甲が私の頬を撫ぜるように擦る。私が不安がっている時、怖がってる時、安心させるようにいつもしてくれる仕草だった。 「……うん、ありがとう、シードラモン」  シードラモンは私にここまで尽くしてくれているのに、不誠実なことを言ってしまった気がする。どうにも、気持ちを吐き出すのはままならないものだ。 「もう少し、ここで休んでから戻ろう」 「うん」  一つだけ、自分の思考を訂正しておく。壊れたガラクタ、は言い過ぎだったかもしれない。  手間のかからない、愛玩用のぬいぐるみ。まぁ、そんなところだろう。