泣き虫狼 6話前編    だんだんと暑かった夏も落ち着き、涼しくなってきた今日この日。それこそが一日千秋の思いで平介が待ち望んでいたイベント──文化祭の開催日だ。  前日からソワソワと落ち着かず、布団に入ったのはいつもより1時間も早い21時であった。寝つきのいい平介には珍しく、何度も寝返りを打つ始末。それでも10分もすれば眠りの淵に落ちていくのだが。  そして目を覚ましたのが朝5時である。準備をするのにも有り余るこの時間、何度も読み返した文化祭の冊子を飽きずに眺めている。  ──それだけ、平介は初めての文化祭を楽しみにしていたのだ。  大学の文化祭となれば中学高校とはまず規模が違う。それは先だって平介がオカルト研の先輩カップルに連れられて体験したことである。  それまでの平介が参加したことのある祭りは、自分の村の収穫祭や新年祭くらいである。過疎化が進みすぎて一人きりだった学生生活に学祭はなかった。  だから初めて連れて行ってもらった文化祭というものにいたく感動したのである。魅入られたと言ってもいい。大学の広い敷地にあきれるほど人が集まるのだ。誰もが楽しげに、明け透けな表情で出店を冷やかし展示にあれこれと意見を言う。なんと自由なことか。あれほど平介が都会へ来てよかったと思ったことはない。全てがキラキラと輝いて見えたのだ、平介の目には。  途中でよく分からない戦いこそあったが、連れて行ってくれた先輩たちには感謝している。それに、知り合いを増やすことができたという意味では悪くなかった。  そんなわけで、流行り物やイベントに対して人一倍憧れの強い平介にとっては、頭を焼かれるのに十分な体験であったことは間違いない。  それからというもの、時々楽しかった記憶を反芻している平介である。ひそかに、というには目を輝かせすぎていた。だから、この純朴な平介のためにオカルト研の先輩二人は考えた。なにせテンションが高すぎる上にトラブルを引き寄せがちな二人にも、なんだかんだでついてきてくれる平介は得難い後輩である。二人きりだと同好会の部屋も追い出されてしまうのだ。ともあれ、平介が楽しげにしているのは大変結構なことだったし、そこまではしゃぐ姿は子供を見るようでほほえましかった。元々オカルト研でも展示を予定していたから、その程度でも十分に楽しんでくれると思っていた。  だがその後、突如として平介はひどい落ち込み方をした。二人には詳細こそ分からなかったが、何とか元気を出そうと空回りする平介はとてもみていられないものだった。    だからこそ、平介が一番楽しそうにしていた文化祭を全力で楽しませてやろうとの計らいが、今回の出店である。通年の単なる展示ではなく、せっかくなら今や平介の好物となったタピオカ屋でもやらせてやろうと考えたわけである。そして、この思わぬ文化祭への出店参加は平介を大いに喜ばせたのであった。  さて、そんな先輩の心遣いへ大いに感謝しつつ、平介は今日という日をひたすらに待ち続けた。タピオカの手配や飲食店を出すにあたっての講習、こまごまとした書類の申請など物の数ではなかった。何もかもが文化祭へつながると思えばすべてを楽しむことができた。だが、それも終わりである。すべては今日この日のため。    まだ日が昇ったばかりであるのにもかかわらず、はっきりと目が冴えている。最高の一日になることを予感して、平介は期待に身震いするのであった。  *** 「気に入らないわね。」  デスクに行儀悪く腰掛けながら、千年桜織姫がつぶやく。  近年、デジタルワールドからリアライズしたデジモンが問題になっている。ただ迷い込んできたものならばいい。見つけ出してお話(物理を含む)をすればそれで済む。この街は比較的テイマーが多いこともあって、織姫が出る前に片が付くことも多いのだ。    だから問題はそれ以外の連中だった。悪意を持ってリアルワールドへと現れる、質の悪いデジモンども。  テイマーの存在は今やデジタルワールドでも知らない方が少なくなっている。平和に日常を過ごすテイマーが増えたということもあるが、何度もデジタルワールドを救った、と言うのも大きい。  人とデジモンの絆は、広く噂や物語として語られるからだ。だが、だからこそ問題だ。強く大きくなることはほとんどすべてのデジモンの命題である。  世界を救うほどの力を得られるのだ、テイマーがいれば。  無論単に人を連れてくればいいわけではない。が、そのような短絡的な手段をとる者が理性的な判断を下せるはずもない。当然その手の輩は即時叩き返されるのが常だが、それでもリアルワールドでの体験が質の悪い者たちへ噂としてめぐるのだ。  つまり、パートナーのいないただのかよわい人間ほど、愉快なものはないと。  そうしてやってきた悪意を持って人を害すデジモン。当然リアルワールドにいるテイマーを警戒しながら、人を狙う。  なにせどういう手段であっても自力でリアライズする者たちだ。ただのお巡りさんでは太刀打ちできない。立ち向かうにはデジモンの力が必要だ。そして、そう言った悪意に対してはただのテイマーは弱いところがある。なにせ多くが成人すらしていない子供たちだ。たとえ世界を救おうとも、自らの快楽のためだけに人を傷つけるような邪悪と向かい合うには経験が足りない。健やかな成長こそ望まれる柔らかな心に、ドス黒い悪意など触れさせるべきではない。無論、大人であっても悪意に傷つくことは同じではあるが。  よって、悪人への戦い方を知る──当然テイマーであることが最低条件だ──警視庁電脳犯罪捜査課やデジタル庁デジモン対応特務室といった組織が対応することとなる。  そして在野であっても、悪と戦えるだけの戦士もだ。  魔戒法師の一族である織姫としては、邪悪なデジモンの対処は自らの使命と心得ている。だから戦うことはいい。だが、問題はそのせいで自分の私生活を乱されることだった。    すでに今期のニチアサヒーロータイムを2度も見逃している。リアタイを逃すことへの怒りは不届き物へと直接叩き込んではいるが、それでもフラストレーションがたまる。警察のような組織力はない以上、ターゲットの捜索には時間がかかる。被害があれば飛んでいく必要があるがゆえに、依頼を受けている状況では心寄せる人への逢瀬も叶わない。  協力者、多くは織姫の友人知人ではあるが、捜索に適性のある心当たりはある。だが、どうにも戦いには不向きな性格ゆえに、過度な協力要請はためらわれるのである(必要であれば即時引っ張り出すのではあるが)。  特に夏の終わりからの落ち込みようは激しく、織姫であってもさすがに気を使わざるを得ない状況が続いていた。  最近になってようやく明るさを取り戻しており、先日などは大層嬉しそうに文化祭に参加するからとわざわざチケットを手渡しに来たほどだ。  一切の手加減なしで語られる期待に満ちた言葉は、大部分が方言の”キツさ”で聞き取れなかったが、希望と喜びにあふれていることだけは織姫にも十分伝わるものであった。  手元にある10枚つづりのチケット。表には大学名と学祭名がでかでかと書かれている。これを出すと出店での飲食が半額になる。どうせなら無料のが良かったと言えば、平介も運営委員会のけち臭さと書類仕事の面倒臭さを愚痴る。だが、ぜひ来てくれと言われれば──悪い気もしなかった。  依頼人から受け取った資料は机に放りだしたまま。いくつかのむごたらしい写真と状況がまとめられている。記された被害を点で結べば、ある施設を中心に円を描くことがわかる。書類に書かれた施設名は、手元のチケットと同じもの。潜伏場所は間違いなく”そこ”だ。 「どうしてこの手のものは重なるのでしょうね……。」  形のいい眉を顰め、思わず余人には聞かせられないスラングが出る。  だが何かを思いついたのか、チケットを鞄に丁寧にしまいながらにやりと笑う。 「これは貸しにしておいてあげますね、逆井平介。」  本人からすれば寝耳に水もいいところである。が、おそらくひとしきり騒いで、不服そうに感謝を告げるだろう。その光景が目に浮かぶ。邪悪なデジモンの討伐は楽しい仕事ではないが、それでも近い将来実現するだろう、平介のなんとも言えない表情を見るのだけは楽しみであった。  ***   「結構でかい大学通ってんだな、平介の奴。」 「総合大学ってやつなのかな…。農学部って言ってたし…、あっちの方には畑とビニールハウス、もあるみたい。」  平介の通う大学、その入り口に二人の青年が立っている。派手な金髪に赤いヘッドフォンが目立つのが轟ライゴ。隣には目元を隠すような黒髪の土門明生。イベント特有の人込みの多さにどちらも落ち着かない雰囲気である。祭りに血が騒いでいるライゴと、内気さから出る人見知りの明生とその理由は正反対ではあったが。  共通点のあまりない二人ではあるが、ここにはいない平介と合わせた三人は不思議と馬が合った。三人とも今年の春に入学した大学一年で、同じくデジモンとの強いかかわりがある。ライゴがぐいぐいと人見知り二人を引っ張るような形ではあるが、こまめにやり取りをする中となっていた。  だから平介に誘われて二つ返事で学祭へとやってきたというわけだ。  文化祭開催をでかでかと告げる門をくぐった先で、案内図とにらめっこしながら目当ての出店を探している。二人が背負うカバンにはそれぞれのパートナーが仕舞われている(他になんて言えばいいのだろうか)。特にライゴのパートナーである、サンダーボールモンはさっさと外に出せと主張が激しい。どうすっかなとライゴが辺りを見渡してみると、楽し気な仮装をした学生や、着ぐるみにぬいぐるみ、風船に喜びを露にする子供たち。一見すると何がいてもおかしくなさそうな雰囲気がある。   「大丈夫…じゃないかな。」 「ま、ばれてもうちの大学じゃねぇしな!」  そりゃそうだけどと明生は眉を下げるが、ライゴは一切気にした様子がない。  早速カバンの口を開けると飛び出してくるのが、サンダーボールモンだ。狭いカバンから外に出られてうれしげにあたりを飛び回る。土門もアルマジモンを丁寧にカバンから引き揚げている。アルマジモンも外の空気を大きく吸って伸びをしている。 「まずは平介んとこ行って、タピオカだな。んで飲みながら散策しようぜ。平介も休憩時間ならいいんだけどよ。」 「タピオカ? それは俺たちが食べたってよかとか?」 「多分大丈夫じゃない? ……アルマジモンね、こないだ玉ねぎ食べておなか壊したんだ。」 「玉ねぎって俺みたいなシルエットの奴だろ? そりゃ悪いことしたな!」 「お前形が似てるだけだろうが。」  和気あいあいとだべる2人と2匹だが、意外なほどにその姿は学祭の雰囲気に溶け込んで目立つことはないのだった  *** 「ねえ織姫さん? そろそろ私が連れてこられた理由を教えてほしいんだけど。」  そう織姫に尋ねるのは橘樹文華だ。はっきり言えば今更も今更である。なにせすでにここは大学構内。ターゲットの潜むであろう敵の拠点だ。だというのに、今更何のために連れてこられたのかと聞いてくるのだから、織姫に輪をかけてのんきである。  だがそれも当然ではある。  見た目はか弱き女性そのもので、中身はポンコツボッチ気質。であれども、その実力は織姫をして目を見張るものを持つ。黒き獅子の意匠を身にまとうその戦闘形態のごとく、自らの力に絶対の自信を持つ強者のふるまいだ。 「アッ、ちょっと唐揚げ棒買ってくるからちょっと待ってて!」  単純に別の理由かもしれない。ため息とともにこめかみに手を当てる。まあすぐに敵が動き出すとは思えない。なにせまだ学祭は始まったばかり。資料にある通りの性格(目立ちたがりで露悪的)であれば、動き出すのは最も人が多くなったタイミングだ。つまり、お昼時。それまでにこの広い大学から目標を見つけ出さねばならぬと言うのに。   「橘樹さん。私はこれからこの大学に潜むデジモンの討伐を行います。あなたにはそのお手伝いをお願いしますね。いいですか?」 「あ、そうだったの。もう、言ってくれればよかったのに。うちの大学だし、案内してあげる。」 「初めからそのつもりでお願いしているんですが。」 「大丈夫、大船に乗ったつもりでいていいわよ。でもデジモンの追跡なら私より逆井君の方がよかったんじゃない?」 「彼がどれだけ今日を楽しみにしてたか知ってて言ってるんですか?」 「それもそうね。ああ、そういえば。」  ごそごそとカバンを漁り──あれじゃないこれじゃない──と時間をかけて取り出したのは割引チケット。当然この学祭のものだ。 「じゃーん! 逆井君から貰ってたのでした! いいでしょ?」 「なんで自分だけが貰っていると思っているですか? 知り合い全員に配っていますよ、それ。」  織姫もカバンの内ポケットからスッと取り出してみせる。しかし文華はお構いなしだ。アッ、さっき使えばよかった!と騒がしい。  まったく、逆井平介と同様に、どうにも頼りになるんだかならないんだか分かりにくい人間である。まあこのくらいのスカポンタンな方が付き合いやすいともいえるか。 「逆井君はどのあたりでお店やってるのかしら?」  見通すように周りを見渡す文華だが、当然この混みようでは見えるわけもない。第一挨拶は後だ。せっかくの学祭に厄介なデジモンがいるだなどと、わざわざ告げる理由もない。 「それは先に依頼をこなしてからにしてください…。さあ、行きますよ?」 「……なんか織姫さん、逆井君に甘くない?」 「そう見えるならあなたも自分の行動を見直してみることです。」  頭からはてなマークを出している文華を笑い、さっさと進んでいく。 「ちょっと、置いてかないでってば!」  ***  大学校舎に潜む影はすでに複数の脅威を感じ取っている。デジモンの力をまとう人間が3人。うち一人は自らに近い匂いすら感じる。それに、また2体新たにデジモンが校内を彷徨いている。    目的は自分だろうが、簡単に刈られてやるほど甘くはない。なにせ自分はテイマーというものの弱点を知っている。ごそりと、雑に並べた黒い塊をなでる。すでに学内のいたるところに設置している。これがあればたとえどれほどの数のテイマーが押し寄せようが、勝利は揺るがない。    そしてこの戦いが終われば、文字通り自分の天下だ。集まった人間をどうしてやろうか。全ての人間は自分を楽しませるためだけに使い潰してやろう。その苦悶の顔を思い浮かべるだけで、笑みがこぼれる。  影──道化師じみた姿を持つ究極体”ピエモン”は暗い校舎の隅で声を抑えてひたすらに笑い続けるのだった。  *** 「ありがとうございましたー!」  オカルト研先輩の溌溂とした声がよく響く。短髪をバンダナで覆い隠し、やたらと屋台が似合っている。そう、ここはオカルト研が出している出店、タピオカ屋である。  今日の天気は最高に近い。空を見上げれば雲一つなく、時折誰かが放してしまった風船が飛んでいるくらい。比較的あたたかな気候に助けられて、開店直後から絶え間なくお客さんが訪れてくれている。このペースであれば初日の今日だけで黒字まで到達する可能性がある。ゆえにオカルト研はみんなご機嫌である。と言っても平介は文化祭で屋台をやっていること自体ですでにご機嫌ではあったが  ちなみに看板はタピオカ屋とあるが、実はサブメニューとして豚汁、もとい猪汁もあったりする。農大である利点を生かし、とれたて野菜をたっぷり使ったメニューだ。なお、猪の肉は平介の村の村長から送られてきたもの。午後になればそれなりに肌寒くなる季節だから、午前からお昼は冷たいタピオカ、日が陰り始めたら温かい豚汁の二段構えである。 「タピオカ屋から豚汁の匂いがしたら結構ビビるよな。」 「しかも肉は猪だしね。これは村長さんに感謝よねぇ。」  いつの間にか平介の村の村長と連絡先を交換していたらしく、文化祭で豚汁を出すと聞いてわざわざ送ってきたらしい。平介は何も聞いていなかったので、サプライズ成功に笑う二人の先輩に頭をかくばかりであった。 「まあいいけんども、豚汁ど言って牡丹肉はまずぐねがな?」 「ダイジョブダイジョブ。ほら、当店は豚肉以外も使用していますって書いてあるから。」  小さく目立たないところに書いてある。まあ大丈夫か。いざとなればマジックで書き足せばいい。  そう考えていると、早くも次のお客さんだ。  すみませーんと新たなお客さんの声に、髪をまとめ直して女性の方の先輩が対応する。お客さんの注文に合わせてタピオカを注げるように用意していると、平介の名前が呼ばれる。顔を上げると楽し気に笑う先輩二人。そして出店の外には最近知り合った友人の笑い顔。 「おお! 来てけだのが!」 「めっちゃでかいなお前の大学! 結構まよっちまったぜ。」 「ふらふら歩いているからでしょ…。僕は初めからここ目指してたからね。」  悪びれることなく笑うライゴに、その影に隠れるようにして膨れている明生。思わず店頭まで身を乗り出し、いい大学だろうと自慢げな平介。を、後ろから先輩がつつく。振り返れば、休憩していいよとのお言葉。 「朝からずっとだったからな。お前、まだ学祭全然見て回ってないだろ? 一年坊主は学祭を楽しんで来い! ああ、2時くらいに戻ってくればいいぞ。俺らはそれから飯にするからな。遅れそうなら連絡忘れんなよ。」 「ほら、お駄賃代わりのサービス! 水分補給も忘れずにね。」  そういうと3人分のタピオカミルクティーを出してくる。まだお昼にも早い。2時まで、学内を見て回るには十分な時間だ。 「じゃ、そんだら、ちょっと行ってきます! 時間には戻ります! あど、もしおれの知り合いが来だら、よろすく言っておいでもらえれば。」 「ああ。代金は全部逆井のツケにしておいてやるよ。」  もう!といいながらも、頭を下げる。そして元気よく屋台の外へ飛び出す。 「もう全部見で回ったか?」 「そりゃ無理だよ。あっち側はまだ全然。ライゴは全然おとなしくしてくれないし…。」 「あれ? あっちは来た方じゃねぇの?」 「来たのはこっち。あっちはまだだよ。」  遠慮も気おくれもなく遊びに向かう平介を見送り、二人の先輩がほっと息をつく。一時期は落ち込んでいただけに、こうして元気が出たなら何よりと。学内ではまだ碌に友達はできていないようだが、学外であっても同年齢の友達がいるのなら心配は要るまい。互いに目くばせをして、やってきた次のお客さんへの対応を始めるのであった。  ***  わちゃわちゃと色気よりも食い気、そして稚気を見せて遊ぶ3人組──を遠目に見つけたのは織姫である。あら、ようやく友達ができたのねと、その視線は内気な弟を見る姉のようでもある。  なかなかに喜ばしいことではあるが、肝心のターゲットはいまだ見つかっていない。    二人は戦意を隠さない。相手は究極体、ピエモンである。そこまで進化したデジモンであれば、自らの力に自信があるものだ。魔人型とはいえ、縄張り意識がないとは思えない。ならばそのテリトリーに入り込んで大きな顔をしている二人を見逃すことはない。つまりは、ただ歩くだけでも喧嘩を売っているのに等しい。  だというのに、鼻息荒くやってくるだろう敵が一向に姿を見せないのだ。 「何かありますね……。」 「その通りね。」  珍しく織姫の意図に適切な相槌が打たれる。文華には自分の考えにのめり込むことがちょくちょくある。つと目をやれば、文華はてくてくと目の前の生垣へと入り込んでいく。突然の奇行に二の句を告げずにいると、ごそごそと生垣を揺らして文華が戻ってくる。その両手には真っ黒な石が一つずつ。 「…そういう意味で言ったのではありませんが……。でも、お手柄ですね。」 「でしょう? ね、これって多分あれよね。」  あれ。別にいつぞやの流行語ではない。二人の頭にあるのは一時期デジタルワールドで乱立していたというダークタワーのことである。デジモンの進化を強制的に抑える効果を持つ、嫌がらせのために作られたとしか思えない黒い塔。これは恐らくそのかけらだ。なんでも、破壊されてなお能力を失っていない塔の欠片がダークゾーンでは取引されているらしい。現物を見るのは初めてではあった。だが、確かに自分たちの力が阻害されるのを感じる。 「かなり、力が制限されますね…。私ならダスクモンまでかと。とはいえ、この程度の小細工を使うような相手なら、それで十分でしょうけれど。」 「私もそう思う。さっさと済ませて逆井君のタピオカ飲みに行きたいわね。」  自身の力が制限されている。進化をすることも難しい。二人の歴戦の闘士を抑えるだけの能力がこの小さい欠片一つ二つにあるわけもない。おそらくこれだけではないだろう。学内に何十とまき散らされているはず。  しかし、今の今まで、歴戦の二人からも巧妙に隠されていたそれが見つかったのはなぜか。 「なかなかの自信家ですねぇ。このピエモン相手に大した自惚れだ。」  にこやかな表情で、しかし声色は硬く、仮面と派手な装いに身を包んだ人影が現れる。比較的背が高い文華ですら、その影の腰程度。ゆうに3mを超える大きさはまさに怪人のそれ。 「あら、やっと出てきてくれましたか…。ようやくこれで依頼が進みますね。」  そう言うと、織姫のしなやかな指先が宙に文字を描く。人払いの術だ。まかり間違っても一般人へ被害を与えるわけにはいかない。今日は楽しい文化祭。自分たち以外にとっては、ただそれだけでいい。  ***  平介が突如として立ち止まる。サンダーボールモンとアルマジモンも同時に動きを止める。 「ん、どうした?」 「なんか、やな感覚さあって……。いや、今もだ。」 「こりゃああれだ、この阻害されちょる感覚、ダークタワーだと思う。」  ダークタワーという単語に今一つピンと来ていない平介とライゴ。どちらもデジタルワールドで起きた事件の知見がほとんどない。同じ立場のはずの明生はといえば、アルマジロモンから概略程度は聞いていた。  サンダーボールモンはすでにどこからその感覚が来ているのか、あたりを見回している。そして待っててと言い残しふわふわと飛んでいく。サンダーボールモンが戻るまでに、アルマジモンと土門が説明する。とはいえざっくり分かればいい。 「要は進化を阻害する塔があるんだと思う…。」 「ただ、ちいと弱い気もする。けんど完全体以上への進化はたぶん難しいぞ。」  平介とライゴが顔を見合わせる。   「塔なんざ見当たらねぇけど。にしても今?その感覚が出たってことは、誰かが起動したってことだよな?」  と、サンダーボールモンが何かを抱えて戻ってきた。それは真っ黒な石、のようなもの。彼らが知る由もないが、少し前に文華が見つけたものと同じものである。 「これが塔?石ころにしか見えねぇけど。壊していいか?」 「これな、一つじゃなかった。適当にあっちにばらまかれてた!多分、学内にかなりあるぜ。」 「じゃあ壊しても焼け石に水か。つーかやっぱばら撒いたやつがいるってことだろ、それ。要はバトルの合図ってことだな!お前ら、行けるか?」 「たぶん、ヴォルフモンまでなら大丈夫だど思う。そっちは?」 「分からん。でも、サンダーボールモンでも十分やれるぜ。」 「待って待って! さすがに無策で行くのはまずいよ。」 「こげなの隠れて用意しちょるくらいだし、おおかた頭が回る、たちの悪いやつじゃろうなぁ……。」  沈黙が落ちる。だがそれは力不足を嘆くなどといった弱気な理由ではない。三人が、それぞれのできることを、やるべきことを考える、そのために黙ったに過ぎない。  それを知っているからサンダーボールモンもアルマジモンもただ黙って待つ。  顔を上げたのは同時。 「僕はここから離れる。範囲外から砲撃でいいね?」 「任せる。俺たちは犯人を捜す。多分誰かとやり合ってるだろうからな、場合によっては救助活動もだ。」 「あっちの畑だら収穫は終わってっから避難場所にすて大丈夫だ。ライゴ、二手さ分がれでたねんべ。見づげだら連絡で。明生、学内の棟番号どがわがるが?」 「もう覚えてる。番号言ってくれればそこを狙うから大丈夫。」  せっかくの学祭だ。まだまだ見て回りたいところはある。この後だって出店に戻って先輩たちに休憩してもらわないといけない。だから、邪魔をされるわけにはいかない。  どんな理由があるかは知らないが、今日ばかりはこの学祭を乱す輩を許すわけにはいかない。問答無用で制圧する気である。 「じゃ、他の人さ気づがれる前にやっちまおう。」 「なる早でな!」 「僕らの砲撃は花火ってことに……できるかなぁ。」 「なるべく音が出ないようにしてみるがのぅ。気を付けてはみるけど、駄目だったら何とかごまかしちょくれな。」 「ええど。これも実行委員にでも言えばいいのがな? まあ、この騒がすさならみんな気にすねぇど思う。下手さ出す渋ってっ被害出る方がおっかねぇさ。おれとライゴがけん制ど誘導。足止めさしぇ、明生が一発ぐらわす。前どおんなずだ。」  初対面の時同様に、敵の相手を平介とライゴ、サンダーボールモンが務める。そして動きを止めさせたところに明生とアルマジモンの一撃を見舞う、彼らの必勝パターン。  じゃあやるか。  平介の言葉に、全員がうなづく。そして各々のすべきことのために走り出していくのであった。