赤い翼のデジモンは背に少女を乗せて北北西へ突き進む。 「それでまずは、デジタルワールドに行くの?」 背に乗る少女、名張一華は必死にフェニックスサンダーホークモンにしがみついている。 昨日までの彼女にはなんてことはない風圧が、今は命を奪いかねない暴風となって襲いかかっている。 「いや、まずは安全な場所に向かう。」いつの間にクロスオープンしたのか、すぐ後ろにヒエイと名乗った男がいた。 どうやら音声発声は必須では無いようで、あれらの派手な行動はわざとやっているのだと一華は気づいた。 「安全な場所?そんなところ…」彼女は最後まで言えなかった。ヒエイが無言でカードスラッシュしたのだ。 (これは催眠プラグイン!なんでこの人が……)名張家オリジナル、非売品のプラグインを持っていることに疑問を抱くも、強い眠気が思考を中断させる。 眠って動くなった一華をヒエイは抱きかかえる。 「アタル、気を抜くな。」そう呼びかけられてヒエイは面を上げる。 仮面で表情は見えないが、腕の中の少女に気を取られていたようだ。 「うん、ごめんアンズーモン。行くよ、デジメンタル励起、シンクロ開始!」 「応よ!デジメンタル、ダブルブート!シンクロナイズ!」 アタルとアンズーモンの体が光に包まれる。 『時間』のデジメンタルとそのコピーデジメンタルを同調させることで余剰出力を発生、人間一人追加して時を渡る力を確保する。 「行くよ、母ちゃん……」光に包まれた飛翔体は加速し、音速を超えたところで空間から消失した。 時間の消失した亜空間で、アタルとアンズーモンは時間跳躍直後にデジタルワールドへ突入する準備を始める。 「Dゲートフィールドをテクスチャ上に展開、通常空間に復帰と同時に前方に投射、一気にゲートを突っ切る!」 「りょうかぁい!」アタルの指示にアンズーモンは威勢よく応える。 亜空間が消失し、曇り空の下に出てくる。 「射出ゥ!」アンズーモンの掛け声とともに撃ち出された何かはすぐにデジタルゲートに変化する。 「突入!」アタルが叫ぶ。アンズーモンは二人を乗せてゲートに突入し、直後にゲートはリアルワールドから消失した。 今でない時代、此処でない何処か。 少し薄暗く調整された作業室で、初老の男がキーボードとマウスを忙しなく操作していた。 少し離れた場所で、赤い髪の少年が椅子の上で胡座をかいている。 男のすぐ横にある何本かのロボットアームが細かく動いており、その中央の作業台にはメガネが置かれていた。 「物理面の調整はあともう少しだよ、アタル。」モニターから目を離さずに男は少年に言う。 アタルと呼ばれた少年は所在なさ気に視線を彷徨わせると、椅子に逆向きに座り直した。 その背もたれに抱きつくようにしながら顎を上に乗せる。 「なあ、カイのおっさん、あの変な口上って何か意味あったのか?」 メガネの調整を続ける、カイと呼ばれた男に対し、アタルはそう尋ねた。 「普通に攻撃してそのまま追い払えばよかったんじゃないの?」 「……前に『上位存在』のことは説明したね?」作業の手を止めずにカイは話しはじめる。 アタルが黙って頷くと、カイは説明を続けた。 「君の宇宙用アーマーやアンズーモンの仮装、そしてあの口上はいずれも異世界の忍者や戦士を模したものだ。」 「へぇ、そうだったんだ。」なぜカイがそれを知っているのかは不思議に思わないアタル。 「普通の人間にはそういった異世界の存在を認知することは不可能だ。だが上位存在は別だ。」 「別、というと……?」 「君に施した偽装は、それを知る者に対し傍目には意味不明な言動を催させる効果がある。」 「そんな効果がアレに……」 「つまりアレに対して特異な反応したものは上位存在、あるいはそういったものと関わりがあるということだ。」 そこでカイは手を止めてアタルをまっすぐに見た。 「非常に危険な存在だ、出たらすぐに逃げろ。」 「……わかった。」アタルは神妙な面持ちで頷いた。 「さて、もうすぐ物理調整も終わる。彼女を起こしてこなきゃいけない。」 そう言うとカイは傍らにあるフルフェイス型の仮面を取り出した。 「変身してもらえるかな?」 「お目覚めかな?」気がつくと、一華は寝台の上に横たえられていた。 話しかけてきた仮面の男の声はあからさまにボイスチェンジャーがかけられている。 「……あなたがプラグインを解除したから。」 警戒感を含んだ声を発しつつ、一華はもう一人のヒエイを名乗った男の方を見る。 視界がぼやけているため、目を凝らそうとして睨んだような顔になってしまう。 「よく見えてないんだろう?これを掛けなさい。」仮面の男がメガネを差し出した。 一見、赤い太めのセルフルームのメガネの用に見えるそれを掛けてみる。 ぼやけていた視界が多少はっきりする。が、『奪われる前』には程遠い。 「コマンド、現在の着用者をマスターユーザーに設定。」仮面の男がそう言うと、キュインという小さな甲高い音が聞こえた。 直後に一華の視界にいくつもの文字列が浮かんだ。メガネのレンズに文字が映し出されているのだ。 「デジルビー、デジエメラルド、デジサファイアをナノ単位で組み込んで透過型ディスプレイと集積回路の能力を持たせたレンズだ。」 その発言に一華は耳を疑った。それはまだ理論だけの段階で試験モデルの設計が始まったばかりだと記憶していたからだ。 「波形パターン登録、量子通信回路生成、ユーザー様、お名前の登録をお願いします。」 「名張一華……あっ。」システム音声に言われてそう答えた一華は思わず声を上げた。 つい反射的に本名を名乗ってしまったことと、システム音声の女声に聞き覚えがあったからだ。 (……まぁ本名はもうバレてるからいいのか、な?) 『名張一華様のお名前は当機のライブラリに収録済み、問題はありません。』今度は頭の中に直接音声が響く。 「!!」脳の聴覚領域に直接伝達されたと思われるこの音声の感覚にも覚えがあった。 「これ、シャルウルの……まさかあなた、海津さん?そしてここはみら」 そう言いかけた一華の唇に仮面の男が人差し指をあてた。 一華の視線を引き寄せた人差し指は彼女を黙らせるとゆっくりと離れていき、左右に振られた。 「ダメじゃないか、判ったことをすぐにそのまま口に出すのは。」ボイスチェンジャーは切られていた。 「痛い目を見たばかりだと言うのに、まだ学習が足りないのかい?」聞き覚えのあるバリトンボイス。 「あっ!……はい、ごめん、なさい……」うなだれる一華。だが必死に回転する思考は止められない。 『視度補正最大。この状態での視力は0.7相当です。外部入力を推奨します。』とある航空自衛官に酷似したシステム音声が告げる。 「あー、やっぱりか。まぁそうなると思って助っ人を用意してあるんだ。」 先程までのねっとりとした口調から一転、棒読みスレスレな感じになる仮面の男。 「全く、見えてないはずなのに推理だけで……出ておいで。」 「おうさぁ!……ハジメマシテ、ボクはサーチモン、よろしくね!」 鈍色に光る、円盤を背負った甲虫の姿をしたデジモンが姿を現す。しかし…… 「なんか……小さく、ないです?」一華の持つ知識ではサーチモンは少なくとも大型犬か家畜並みのい大きさのデジモンである。 しかし目の前にいるそれは手のひらサイズである。 「ああ、リサイズしてるからね。」仮面の男はさらっと言う。 「出力は多少下がるけど日常生活のサポートにはそれでも十二分なはずだよ。」 ということはサーチモンの走査能力を視覚に転用する目算なのか。 「サーチモン、やってくれ。」仮面の男がそう言った数秒後、 『外部より接続申請を受信、許可しますか?』一華の意識にシステムがそう告げた。 「……っ、きょ、許可します!」思わず、弾かれたように、直接音声で応答してしまう。 『識別名レイカ=ワームモンとの接続開始、視覚情報を視神経に転送します。』 今度はかなり視界がはっきりとしてきた。さすがに以前の『眼力』には程遠いが、日常生活に不自由することはないレベルだ。 『視力1.2相当に補正。これ以上の補正は大脳視覚野へのミラーリングが必要になります。』 「やめといたほうがいいよ?」仮面の男のぶっきらぼうな助言を、しかし一華は聞き入れなかった。 「ミラーリング開始!」音声でコマンドを入力した途端に、大きく視界が歪んだ。 (うっ!これが……デジモンの視界を、『生身』で受けた状態……!!) 視野範囲、可視領域、見えている情報、すべてが人間のそれを上回っていた。 『忍者』が持つ多次元演算能力が健在な時ならば難なく処理できるそれらが、いまの彼女には過大な負荷となってオーバーフローを引き起こす。 『異常検知、セーフティー作動。ミラーリングを停止します。』視界が通常のものに戻る。同時に頭痛と疲労感が彼女を襲う。 「ほら、言わんこっちゃない。」 「いいんです、今の、わたしの、限界を……把握、したかった、だけです、から。」明らかに呼吸が乱れている。 「いいから休もう、ヒエイ、彼女を客間のベッドへ運んであげて。」一華からメガネを取り上げると仮面の男はそう言った。 一華を客間に運んで戻ってきたアタルは、変身を解除すると疑念の眼差しをカイに向けた。 「カイのおっさん、あのサーチモンって、レイカ兄ちゃんのワームモンとユリカ姉ちゃんのデジメンタルだよな?」 「君なら見れば『判る』だろう?確認の必要があるのかい?」仮面を外したカイは冷ややかな視線を送る。 「……レイカ兄ちゃんとユリカ姉ちゃんを巻き込んだのか!」少年の声が怒気をはらむ。 「バカじゃないの!レイにぃとユリねぇがアタルにぃのやってる事に気づかないわけ無いでしょ?」 突如割り込んできた声に、アタルの目が見開かれる。 「アネモネ!?お前なんでこんなところに!?」そこに立っていたのは白髪の少女。 父親譲りのややツリ目気味かつ不敵な笑顔が目を引く、アタルの一つ歳下の妹である。 アタルは昔からこの妹には何かと負けることが多く、似たような雰囲気を持つオアシス団員の少女のことも同様に苦手と感じる一因にもなっていた。 「そりゃワタシの力が必要だからに決まってるじゃないのバカルにぃ?」 「正確に言うと俺だがな。」少女の背中をよじ登ってきたアルマジモンが口を挟んだ。 「とりあえず一華…『ちゃん』には今日一日はここで休んでもらうことにしよう。その間にアネモネとアルマジモンには『工事』に行ってもらう。」 言い争いになりそうな気配を察したカイが割り込んだ。 「ちゃんとサーチモンから『知識のデジメンタル』を忘れずに借りていくんだよ。」 「わかってるわよ。それで明日はレイにぃの『友情のデジメンタル』でいいのよね?」 「ちゃんと覚えてたね、偉い偉い。じゃあアンズーモンを呼んでくるね。」 立ち上がって部屋を出ていくカイ、自慢気に鼻を鳴らすアネモネ。 それを見て不安気な表情のアタルに対し、妹が人差し指を突きつけながら言い放つ。 「あのねアタルにぃ、事はワタシたち兄弟全員の問題なのよ。なのに兄弟の誰にも相談しないで!」 「そりゃだって……」相談できる訳ないだろ、とも言えずにだまっていると、 「アタルにぃって昔っからそう!なんでいっつも相談しないの!?」 「…………。」それについてアタルは、反論も弁明もできなかった。 それができる性格だったらそのような糾弾を受けることが最初から無いのだが。 翌々日、連れて来られた時と同様に催眠プラグインで眠らされた一華が目覚めると、そこはリアルワールドだった。 最初に目に飛び込んできたのは白いインド風の建物だったので、もしや海外?と思ったが周囲の植生が明らかに日本のそれであった。 そして建物の反対側に海が見下され、そこには陸と橋でつながった、大きな鉄塔の目立つ島が浮かんでいた。 この建物と風景が組み合わされる場所に心当たりはひとつしか無かった。 「ここは……龍口寺?」 「おっ、よく解かったな。」フェニックスサンダーホークモンを名乗るデジモンが感心した声を上げる。 「悪いけど観光してる余裕は無い。少し歩くよ。」地味なトレンチコートに身を包んだヒエイが促す。フェニックスサンダーホークモンは次の用事があるのですぐに飛んでいった。 二人は山を下りて踏切を越え、川を渡って龍宮城を模した駅に入る。サーチモンはリサイズ状態で髪の毛の中に隠れている。 ヒエイのほうもパートナーデジモンを連れているようだが、その姿は全く見えない。 一区間だけ電車に乗って降りた駅前は、昔ながらの商店街の雰囲気が色濃く残っていた。 その中の一つ、一階が店舗でニ階より上が賃貸となっている建物の一つに案内される。 「準備が整うまではここで潜伏しててくれ。なるべく外には出ないように。気づいていると思うけど、『この世界』にはデジモンは基本的に見かけない。」 やっぱりか、と一華は思った。サーチモンが何も言わなくても自分から隠れ、ヒエイがパートナーを隠している様子から、また今までの自分の見聞きした事物や記憶から察しはついていた。 自分もやることがあるから、と言ってヒエイは立ち去った。賃貸の二階には一華とサーチモンだけになった。 まず電気や水道が使えること、空調が動くことを確認した。次に食料を確認し、冷蔵庫の中も含め一週間分はあることを確かめた。 次に今の所持品を確認する。鋸歯苦無やロープなどの各種サバイバルアイテム、宝石や砂金が捨て値で2000万相当、肌着や靴下などの着替えが数回分。 能力が落ちた都合で動力付きのバックパックは用意せず、持ってきたコンピューターも最低限の自作タブレットとSSDのみ。 それとは別にヒエイ達から支給されたのが数万円分の現金――食い違い等を恐れてあえて自分たちでは用意しなかった――と、女児向けの服が何着か。 とりあえず最低数日間は外出しなくても済ませられる状態にはされてあった。 それから一週間、一華とサーチモンはその部屋から出ること無く過ごした。 部屋にはネットの回線が通っていたので一華は思う存分、『この世界』についての常識的な情報を集めることはできた。 ただし検索に「デジモン」という単語を使うことは慎重に避けた。万が一、秘匿や監視の対象であった場合、要らぬ注目を集めかねないからだ。 しかしUMA関連の噂などを集めていく中で、もしかしたらこの世界にもデジモンがいるのではないか?と推測されるような不確定情報は得られた。 賑やかな年の瀬の商店街の様相を、新年の付近の車の爆音を、鎌倉や江の島への観光客でごった返す特急電車の通過音を、まるで自分には関係ないものと目を背けるように情報収集を続けた。 その間、サーチモンはしばしばリサイズを解除しては家事などを手伝ってくれた。 「ボクはママのためなら何だってがんばるからね!」そんなことを言うサーチモンに対し、 「……わたしは、あなたのママじゃない、よ?」一華は少し困ったようにそう返したのだが、 「……ソウダネ!ボクはキミからは生まれてないネ!」サーチモンはそう答えて一人で納得しているのだった。 年が明けて1月5日。部屋にヒエイが老夫婦を連れてやって来た。 「こちらはオットー・ローゼンベルグ氏とオクサーナ夫人……という設定の方々だ。」 設定?と一華が訝しむ間もなく、オクサーナと紹介された老婦人が光に包まれる。 光が消えたあとに立っていたのはババモンだった。 「当然偽名だ。あなたには彼らと一緒に偽装家族として暮らし、学校にも通ってもらう。」 一華に異論はなかった。このまま潜伏しても怪しまれるだけである。どこかで戸籍を獲得し、学校に通うのが一番怪しまれない。 保護者役がいないと養護施設送りになり、潜伏するだけなら問題は無いのだが彼女の今後の目的のためにもなるべくそれは避けたかった。 それにしても人間の老夫婦に化けられるレベルのテイマーとデジモン、それも究極体デジモンのコンビを見つけるとは思わなかった。 「さて、『設定』を詰めるかのう?」老人のテイマーの一声で打ち合わせが始まった。 ローゼンベルグ夫妻は何十年か前に日本で暮らしていたことがあり、その娘は日本人と結婚して帰化していたのだが夫婦揃って事故死。 以前から娘の暮らす日本に再来日を考えていた夫妻は娘の遺児を引き取るために急遽来日した……という設定で示し合わせた。 「……それで、一華さんの学年設定だけど無難に4年生にするか、それとも『目標』との接触機会を増やせる6年生にするか、どうする?」 ヒエイの質問に一華は少し考えてから、 「……6年生で、行きます。」そう答えた。 「学力面は問題ないけど体育はどうしても不利になる。身長も6年生としては最低レベルだ。それでもいいのか?」 「構わない。わたしはただ逃げてきたんじゃない、『彼』に会うためにここに来たんだ。」 一華の表情にも声にもかつてのような自信も力もまるで感じられない。 それでもなお、そこだけは譲れないという意地が感じられた。 「……じゃあ、名前だけど『鈴木千代子』で登録するか、それとも『名張一華』で登録するか、どうする?」 「!?」訊かれて一華は一瞬息を呑む。 名張一門が使う偽名として鈴木姓は同業者の間では知られている。しかし名前の方は秘匿されており、ましてや一華が使う『千代子』の偽名は殆ど使われたことがない。 それを知っているということは、やはり彼らは……。 「………『名張一華』のほうで、お願い、します。」 「いいんだね?」 「あまり拝くんに、迷惑を、掛けたくない、から。」 一華の言葉に、なぜかヒエイはホッとしたような様子を見せる。 「ア……ヒエイ!撤収準備終わったよ!」先程からサーチモンと一緒に片付け作業をしていたエスピモンが報告する。 一華はこの時になってようやくこの男のパートナーデジモンを視認し、そして納得した。 「サーチモンのための新しいデジヴァイスも用意できた。」ヒエイはそう言うとスマートウオッチのように見える何かを差し出した。 「デジヴァイスVVにディーアークやディースキャナーの機能を追加するアダプターを組み込んだ特別製だ。」 ということは中身の基本はバイタルブレスなのだろう。早速左手首に装着する。 『アジャスト開始。レイカ=ワームモンをパートナーとして設定します。』システム音声が脳内に響く。 どうやらこのメガネは最初からデジヴァイスと連携する前提で設計されていたようだ。 「これでサーチモンを一般人に気づかれる恐れが大きく減った。逆に言うと、気づいた奴は一般人じゃないから気をつけて欲しい。」 ヒエイの言葉に一華は無言で頷く。 「それじゃ準備もできたようだ。案内しよう。」ヒエイの言葉に全員が立ち上がった。 賃貸の目の前にある駅から電車で40分ほどで町田駅に到着する。そこからはローゼンベルグ夫妻と一華だけだ。 「俺がついて行くのはここまでだ。」窓越しにタクシーの運転手に行き先を指示してヒエイが言う。 「どうか、気持ちを強く持って欲しい。」 「……うん。」彼のその言葉に、一華は額面以上のなにか大きな気持ちを感じていた。 しかしそれが何だったのかを知るのは、かなり先の話である。 「不定期で様子を見に行く。それじゃあ、また。……行ってください。」 走り去るタクシーをいつまでも見送るヒエイに、姿を消したエスピモンはなかなかに声を掛けられなかった。 着いた先は一軒の住宅だった。和洋折衷スタイルのニ階建てで、特徴といえば南向きに小さな温室が備えられていることだろうか。 手荷物を玄関に置いて、用意してあった菓子折りを持って隣家に引越しの挨拶に行った。 その表札に『穂村』と書いてあるのを見て、一華の胸が高鳴る。 (えっ!?ええっ!?)同じ学区だからそのうち出会えるだろうとは聞いていた。 だけどこれは…………嘘ではない、嘘ではないけど!心の準備が! 気がつけばすでにオットーが呼び鈴を鳴らしていた。返事する女声の声が聞こえる。そして、聞き覚えのある、少年の声も。 思わず慌ててオットーの背後に隠れるような位置取りをする。 ドアが内側から開けられた。 「……結局、『わたし』がどこに行ったのかわかんないのね?」 「『見てない』状態ではアーカーシャから情報を引き出せないのよ。リンクはネーさんが遮断しちゃったし、地道に探すしか無いわね?」 「……意外と使えないわねえ、六代目?」 「余計なお世話。私の未来予知でも分からないということは未知の何かが関与してるのよ。迂闊に動けないわ。」 「なるほど?それでこれからどうするの?わたしとしては、オアシス団を見てて欲しいんだけど?」 「……深淵を覗くものはまた深淵からも覗かれるのよ。わかってるの?」 「いいじゃない、そういう性分なのよ、わたし。」 「……私としてはアリーナとかいう場所が気になってるわね。」 「まぁ、あなたはそうでしょうね?それじゃあ、オアシス団とアリーナの二つを当座の拠り所としましょうか?」 「わかったわ、『裸の女王様』。」 (了)