夜、人類軍駐屯地ワナデス… 本来、人類軍が魔王軍に対し反撃の足掛かりとなるその地では異様な光景が広がっていた。 倒すべき相手である四人の魔王軍が本陣に座し、彼らの前には虚ろな表情で人類軍の兵士たちがずらりと整列している。 「こうも上手くいくとはな…予想外でしたよ、軍師殿」 ヘルノブレス軍所属、禁術師センノウンが感嘆の声を漏らす。 称賛され、同じくヘルノブレス軍所属の万能軍師ゴノット・ホールは得意げに顎髭を撫でた。 「これも“魔導”のワーサー殿のお力添えあってのこと…尋常ならざる効力ですな、『失楽園』は…」 「フン…」 右手に巨大な眼球を持つ異様な魔族、ワーサー・レルナーは軽く鼻を鳴らして肩をすくめる。 彼は本来ヘルノブレス軍ではないものの、客将という立場でゴノットたちの作戦に参加していた。 『失楽園』…標的を「もっとも幸せだったころの記憶」に閉じ込め行動を封じる強力な幻覚魔法…。 ワナデスに駐留している兵士たちは皆、この術にかかり魔王軍の手に落ちてしまったのだ。 しかも、それだけではなく…――― 「当代の勇者がこの程度とはな…」 肩透かしを食らったかのようにワーサーが呟く視線の先にいたのは勇者パーティと呼ばれている者たちだ。 特に勇者ユイリアと勇者イザベラ…彼女らは幾人もの魔王軍幹部を葬ってきた恐ろしい敵だ。 だが『失楽園』を受け、虚ろな表情で整列する彼女らには何の脅威も感じられない。 ゴノットは大量の戦果を前に満足げに顎髭を撫でながら続ける。 「一騎当千の猛者たちも精神面を突けば存外弱いもの…」 「そして、その猛者たちがこれより我が軍の旗下に加わるということです」 センノウンが指をポキポキと鳴らし、一歩前に出た。 ワーサーの『失楽園』で無力化した人類軍をセンノウンが催眠魔術で魔王軍の尖兵に作り替える…。 これがゴノットが考えた今回の作戦だった。 「忌まわしき勇者たちとは言え、決していかがわしい洗脳をかけてはなりませんぞセンノウン殿」 「…御冗談を、軍師殿」 「ハハハハハ!」 ゴノットのセクハラじみた冗談はセンノウンの心に軽く刺さった。 そのようなことに催眠魔術を使ったことは一度もないというのに、彼にはこういった風評被害が絶えない。 「さて…冗談はさておき頼みましたぞ」 「待て」 作戦を第二段階に進めようとしたその矢先、話の腰を折る者がいた。 ゴノットが若干イラッとしながら振り返った先にいたのは、ヘルノブレス軍所属の創面の男…スカーフェイスである。 人間でありながら魔王軍に所属する彼は今回戦闘要員として作戦に参加していた。 「何ですかなスカーフェイス殿」 「逃げたやつらがいる」 スカーフェイスが指した先、虚ろな目で傀儡と化す勇者パーティだが…何人かが欠けている。 ほう…とワーサーが意外そうな声を漏らした。 「あの中に『失楽園』が効かなかった者がいたというわけか…」 「ですが主要戦力は全てここにおります、大した問題ではないでしょうな」 「洗脳を終えた兵士たちに追わせましょう、何…どうせこのワナデスからは逃れられん」 センノウンが指令を出すと何人かの洗脳兵士たちがばらばらと駆け出していった。 脱走者への対処はそれで済ませ、いよいよ作戦は第二段階に進められる…。 * 「クソ…!冗談じゃねえぞ…!」 虚ろな目で駐屯地内を徘徊する兵士たちの目をかいくぐり、物資の山に隠れながら魔術師マーリンは毒づく。 このワナデスに到着したのは数時間前…魔王軍襲撃の予兆があると各勇者パーティに救援依頼があったのだ。 結果として既にワナデスは魔王軍の手に落ちており、集結した救援勢の大半はワーサーの術にかかってしまった。 思い返せばあの救援依頼自体が勇者パーティを呼び寄せる罠だったと考えられる。 「しかし…なんでオレだけ術にかからなかったんだ?」 “目”は確かに自分も見た。だが術は発動しなかった。 もしかして術の対象には条件があるのか…?そう考えていた矢先、小声で彼に語り掛ける者があった。 「マーリン…魔術師マーリン…!」 「うおっ!?…お、お前ヴリッグズ!お前も無事だったのか!」 ホフゴブリンのヴリッグズ、イザベラパーティの一員である。 マーリンは闇から出てきたゴブリンの顔にぎょっとしながらも仲間がいたことにホッと胸を撫で下ろした。 それはヴリッグズも同じだったようで…。 「あんたも無事で安心しやしたぜ…イザベラの姐さん、ジュダの姐さん、クリストの旦那、皆やられちまった」 「こっちもだ、ユイリアもおっさんもハルナも全員奴の術にかけられてやがる」 「状況は最悪ってやつですな…よりによってオレとあんただけ無事とは」 マーリンもヴリッグズも二つのパーティの中では実力的には弱い方に分類される。 この二人でどう戦うか…重い沈黙が二人の間に流れる中、さらに小声で呼びかける者があった。 「二人とも…!こっち、こっちです…!」 二人に背中から声をかけたのはこんな場所には不釣り合いに明るい赤毛の少女である。 簡素だが軽装鎧を身に着けていることから王国の兵士であることは伺える。 他の兵士たちと違い、虚ろな目をしていないことから術の支配下にないことは一目瞭然だった。 一瞬警戒したものの二人はすぐに警戒を解き、マーリンが問う。 「あんたは?」 「王国兵のアリエルです、向こうに倉庫があるので来てください…催眠にかからなかった方がもう一人います…!」 「おお、そりゃありがてえ…!まだ仲間がいるのか…!」 アリエルと名乗った少女に案内されるままマーリンとヴリッグズは倉庫へと駆け抜ける。 どうやら催眠兵たちの巡回ルートからは外れているらしく倉庫近辺は比較的安全なようだった。 二人が周囲を見回す中、アリエルは倉庫の扉を開いて中へと呼びかけた。 「ドアンさん!お連れしました!」 「げっ!ドアン・セス!?」 マーリンの嫌そうなリアクションと共に倉庫から現れたのは鎧に大量の広告を貼り付けた男、勇者ドアン・セス。 闇夜でもきらりと光る白い歯を輝かせてドアンは三人に笑いかけた。 「やあ、君たち!大変なことになったな!」 この男、ドアン…勇者を名乗りながら完全なビジネスワークと捉えており広告収入で荒稼ぎする金の亡者である。 他の勇者パーティ間ではすこぶる評判が悪い男であったが、その強さは間違いなく一流であった。 地獄に仏とはこのことだが…あまり借りを作りたくない存在でもある。 ヴリッグズが彼に問いかける。 「ドアン、あんたもパーティが術にかけられちまったんで?」 「ああ、フレイ君もアリシア君もクロウ君も美しい過去があったらしい…彼らのプライベートに興味はないが」 「美しい過去…?なんだそりゃ?」 マーリンの疑問にドアンは少し思案した。自分が仕入れた魔王軍の情報をタダで渡すか迷ったのだ。 しかし今は非常事態、ドアンは正直に話すことに決めた。 「右手に眼のある魔族…ワーサー・レルナーの『失楽園』だ、標的の精神を最も幸せだった頃の記憶に閉じ込める」 「…!」 息を呑む三人に、ドアンは解説を続ける。 「つまり幸せな過去を持つ者だけが対象の幻覚魔法…ハマれば自力での脱出は不可能だろう」 「なるほど…それでオレには効かなかったってわけか…」 ヴリッグズが納得したように呟いた。 ヴリッグズは変わり者のゴブリンだ。同属の仲間からはつまはじきにされ、人間からも忌み嫌われてきた。 彼が最も幸せなのはまさに三人に認められて冒険している今なのだ。今が最も幸せな者に『失楽園』は効かない。 「へへ…」 「何照れ笑いしてんだよ、気持ち悪ぃな」 「なっ…!マーリン、あんたこそ今が一番幸せってことじゃねえんですかい!?」 んなワケあるか!と言い返そうとして、マーリンは言葉に詰まる。 確かに初めは無理矢理巻き込まれた冒険だったが真っ当な冒険者として活躍して時に誰かに感謝されることもある。 初級冒険者を騙して小銭を巻き上げ、衛兵に追われ回る日々に比べて幸せでないといえば嘘になるだろう。 それに仲間たちにもちょっとだけ…ほんのちょっとだけ情みたいなものが湧いているのかもしれない。 「フ…フン!そんなの絶対認めるわけねえんだからねっ!」 「男のツンデレは気持ち悪いですぜ」 「うるせえぞ!ゴブリンのくせに!」 「あっ種族差別!それ言うならあんたはそもそも犯罪者でしょう!」 ぎゃあぎゃあと喧嘩を始めた二人を尻目に、アリエルも納得したようにポンと手を打った。 「あたしに催眠魔法が効かなかったのも過去の記憶がなかったからなんですね!」 「ああ…確かに記憶喪失の者ならば『失楽園』も効果範囲外だろうな、幸せな記憶が存在しないのだから」 納得する三人ははたとドアンを見る。 自分たちに幻覚魔法が効かなかった理由は分かった。だが目の前の男…ドアンは一体どういうことだろう。 マーリンが代表して問いかけた。 「ドアンよぉ…もしかしてお前も過去がおつらい奴だったりすんの?」 「過去か…特に辛かった記憶はないが、強いて言えば…」 ドアンは白い歯を輝かせて笑う。 「今よりも収入が低い過去の方が幸せということはまずないな!」 三人はそれ以上追及するのをやめた。 とにかく幻覚魔法から逃れられた理由は分かった。問題はどう打開するかだが… 「ドアン、あんた出鱈目に強かったですよね?どうにかならねえんですかい?」 「確かに、このワナデスにいる魔王軍だけなら僕一人で十分倒せるだろう…スカーフェイスは多少苦戦するかもだが」 ただ…とドアンはいつになく真剣な面持ちで言葉を続けた。 「あくまで魔王軍だけの話だ…ユイリア君やイザベラ君が洗脳されて敵に回っていればどうにもならない」 「あたしたちが加勢してもですか?」 「敵は魔王軍四人に腕利き冒険者が九人、その上王国兵たちもいる…戦力以前に前提として数が違いすぎる」 アリエルとヴリッグズの表情が曇った。自分たちだけ逃れられてもどうしようもない戦力差が存在している。 そんな二人を見、ドアンは一人思考を巡らせているマーリンへと話を振った。 「マーリン君、君の意見を聞こう」 「情報が足りねえ、魔王軍は四人だな?そいつらの情報を教えてくれ」 「…本来なら有料だが…緊急事態ということでサービスにしておこう」 ドアンは独自のルートで調べ上げた敵の情報を明かす。 ゴノット・ホール…今回の指揮官である魔族は戦闘能力は低い、あくまで頭脳働きがメインだろう。 ワーサー・レルナー…『失楽園』の使い手、魔王軍古参だが幻覚魔法以外の情報は謎に包まれている。 センノウン…催眠魔術の使い手、厄介な能力者だが過去の怪我により最盛期より戦力は落ちているという情報がある。 スカーフェイス…直接戦闘能力に劣る今回の護衛要員と思われる。ドアンが苦戦するほど強い。 マーリンはそれを聞き、拾った棒でがりがりと地面に計画図を描いていく。 「前提として一人一殺できるほどこっちの戦力は揃ってねえ、連携して各個撃破がベストだな」 マーリンは描いた簡単な似顔絵の中の一人、仮面の男を指した。 「で…まず狙うならセンノウンだ、ユイリアたちが眠ったままでもこいつさえ落としちまえば敵に回ることはねえ」 「催眠魔術の阻害ですね!確かにあのテの術は術者を倒せば解けるのが定番です!」 「で…次にワーサーをぶっ倒して全員の目を覚まさせる…ゴノットは相手にするだけ無駄だ、倒すのは最後にする」 「一番強いスカーフェイスはどうするんで?」 「そこはドアンが単騎で足止めしてくれ、オレらじゃ到底敵いそうにないんでな」 「随分なオーダーだ、普段なら特別料金を取るところだが…まぁ良しとしよう」 優先目標をするすると答えるマーリンを三人は少し見直した。 ただの小悪党かと思いきや、予想以上に知恵が回るようだ。ユイリアパーティの参謀という噂も頷ける。 だが、この計画には大きな問題点がある。アリエルが重々しく口を開いた。 「問題は…どうやってセンノウンを最初に倒すか、ですよね…」 センノウンは敵の作戦の要。常にスカーフェイスと洗脳兵に守られた最後方に立つだろう。 そんな相手に遠距離攻撃を持たないこのメンツではそもそもとして攻撃を当てる手段が存在しない。 …が、マーリンは帽子のつばを押さえながらにやりと笑った。 「そこはこの大魔術師マーリン様にいい考えがある」 悪い笑顔を浮かべたマーリンは、さらに何事かを計画図に書き加え始めた。 そして三人の方へと向き直り、問う。 「ヴリッグズ、アリエル、お前ら金持ってるか?」 * それからしばらくして… 勇者ドアンは堂々と、何に臆する様子もなくたった一人で魔王軍の本陣へと姿を見せた。 ゴノットは想定外の来客に思わず呻く。仲間を取り返しに来るとは思っていたが、まさかこんなに早くとは… 「これは驚きましたな…いやはや勇敢と言うべきか無謀と言うべきか…」 「当たり前だ!僕は勇者ドアン・セス!君たちのような卑劣な魔族に臆したりはしない!」 ドアンはきらりと白い歯を見せて笑い、鎧中に装着された広告をド派手にアピールしながら言葉を返した。 卑劣な魔族…その言葉に反応したセンノウンはいきり立つかのように掌に魔力の炎を纏う。 その手の侮辱は彼が最も嫌っている侮辱だ。 「面白い…その蛮勇を後悔させてやる…」 「まあ、待ちたまえ」 いきり立つセンノウンを制止したのは、あろうことか挑発したドアン本人であった。 ドアンはそのまま本陣の奥に控えるスカーフェイスに向けて指を向ける。 「僕が最も許せないのは人類の裏切り者、スカーフェイス!君だ!」 ぴくり、とスカーフェイスの剣を触る手が動く。 表情は変わらないが、事情も知らずにぬけぬけと裏切り者と言い放つ勇者に対し、確かな怒気を放っていた。 効果があったか…遠目に挑発の手ごたえを感じながら、ドアンは続ける。 「まずは君に一騎打ちを申し込む!」 「何をバカな…この状況で一騎打ちなど…!」 ゴノットが言い返すより先にスカーフェイスは動いていた。 最後方から一足で跳躍し、ドアンの前へと降り立ってゆっくりと剣を抜く。 ゴノット、センノウンは忌々しげに舌打ちする。この人間の独断専行は今に始まった話ではない。 しかしスカーフェイスにはその横暴を補って余りある強さがある。下手に手を出せば自軍にまで被害が及ぶだろう。 そしてこの中で最も地位が高いワーサーも黙して人間同士の戦いを観戦する気だ。興に水を差すことも躊躇われた。 結果として一騎打ちは成立…他三人が仕掛けてこないことを視認し、ドアンはわざとらしく一礼して見せる。 「僕の決闘を受けてくれてまずは礼を言おう」 「御託はいい…」 スカーフェイスは怒気と殺気を放ちながら、傷だらけの無骨な剣を構えた。 「さっさと始めるぞ」 「ああ…」 ドアンもまた剣を抜き…一瞬、いつもの営業スマイルでない悪い笑みを浮かべた。 「始めようか」 * 勇者たちは夢の中にいた。 ユイリアは勇者として育てられ、父公爵に期待をかけられていたあの日の中に…。 イザベラは父と母と妹の四人で暮らす温かなあの日の中に…。 クリストは聖都で立派な先輩騎士たちの背中を見ながら修行を続けるあの日の中に…。 永遠に続く安寧の中、勇者たちは穏やかに微睡み続け…――― 『赤ちゃんの頃…あなたはお母さんの読む絵本を聴いていました  子供の頃…あなたは物語を読んで空想の世界を広げていました  そして大人になった今…あなたは…  あなたの今、傍に本はありますか? …王都出版』 『ああ~明日クエストに行かないといけないのに装備が全然足りない~!  通販まだ届かないのかな~!これじゃあクエストに行けないよ~!  え!?荷車を乗せた馬車が土砂崩れで通れない!?明日には間に合わない!?  こんな心配ありません!安心と信頼の空中輸送!天馬運輸!!』 『回復魔法の使い手がいない…そんな時にこそ置きポーション!  魔力が切れて回復できない…そんな時にこそ置きポーション!!  相手を削りきるにはちょっとだけ体力が足りない…そんな時にこそ置きポーション!!!  旅薬局です』 勇者たちは一様に夢の中でイラッとした。 * 「ぐっ…なんだこのクソ広告は…」 センノウンは頭を振って直接脳内再生される広告を振り払う。 勇者ドアンは戦闘状態に入ると半径2km以内の者に強制的に脳内広告を流すのだ。 センノウンは無駄に耳に残る陽気で不快なBGMを忘れるよう努めながら、洗脳兵の無事を確認する。 どうやら洗脳兵たちは広告中に『失楽園』が一時的に途切れ、連動して催眠魔術の支配下からも外れてしまっている。 もう一度やり直さねばならないようだ…センノウンは忌々しげに舌打ちした。 その瞬間が命取りだった。 「やるぜぇヴリッグズ!」 「おう!!」 いつの間にか至近距離まで接近していたマーリンとヴリッグズが一気に襲い掛かる。 不意を打たれたセンノウンは驚きの声を上げた。 「何!?貴様らいつの間に!?」 「テメェがボケッと広告見てた間にだよ!食らいやがれッ、炎の魔法!」 「くっ…!」 マーリンの手投げ弾を間一髪で躱しながらセンノウンは跳び下がる。 洗脳兵の制御は完全に途切れてしまっている。咄嗟に動かすことはできない。 だがあの脳内広告は対象を敵味方問わず流れるはず…彼らは一体どのようにしてあの広告中に動いていたのか! (金払えば簡単に先制取れるなんてとんでもねえ能力だぜ…!) (迷惑押し売りっぽくてとても勇者らしいとは言えやせんがね…) そう、ドアンのサブスクに加入していれば広告は切ることができる。 皆がドアンのサブスクに一時的に加入、広告で敵の五感が封じられている間にセンノウンへと接近し一気に仕留める。 それがマーリンの考えた作戦であった。 魔王軍がドアンのサブスクに加入していれば一切通用しない策であるが、彼らにはそれが絶対にないという自信があった。 何故なら彼らもまた平時ならば絶対入りたくないものだからである。 「技借りやすぜ、ジュダの姐さん!『模倣・瞬転剣』!」 マーリンの起こした爆炎に紛れ、ヴリッグズの姿が掻き消える。 センノウンが目を疑った時、既にヴリッグズはセンノウンへの背後に回り込んでいた。 瞬転剣…彼のパーティメンバーである剣士ジュダが得意とする神速の剣技である。 「喰らえッ!」 「がはっ…!!」 石剣による重い一撃が閃いた。 無防備な背面からの強撃を受けたセンノウンは地に叩きつけられ意識を手放した。 センノウンは後方支援タイプ…命こそは奪えていないが耐久力は低い。この戦闘での復帰は難しいだろう。 マーリンとヴリッグズはそれを見届けた後、次の標的であるワーサーへと向き直る。 今はセンノウンに止めを刺すよりも『失楽園』の解除を優先だ。 「次はテメエだぜ、目ん玉野郎!」 「姐さんたちを返してもらう!」 思わぬ奇襲の混乱の最中、ワーサーは向かってくる二人に身構える。 この二人には『失楽園』は効かない、しかし… 「魔王軍古参を舐めるなよ、小僧ども!」 斬りかかってくる刃より先にワーサーの前蹴りがヴリッグズの腹部に突き刺さり弾き飛ばした。 その先にはいたのは魔法を発動しようとしているマーリンだ。回避が遅れ、飛んできたヴリッグズと衝突する。 倒れ込んだ二人が復帰するより先にワーサーは大地を蹴って突撃、巨体に見合わぬスピードで間合いへと飛び込んだ。 そのまま左腕を伸ばしてマーリンの首根を捕らえ、右足でヴリッグズの胸部を地面に踏みつける。 「ぐえっ…!」 「がぁっ…つ、強い…!」 『失楽園』が効かない相手など今までもいくらでもいた。それでもワーサーが数々の戦いを潜り抜け魔王軍古参として高い地位を築いていたのは何故か… その答えがこの夢魔族離れしたフィジカルだ。力自慢の魔族にも決して遅れは取らない。 二人を捕らえたワーサーの左腕と右足が徐々に力を増し、彼らの骨肉がメキメキと破壊の音を立て始める。 「ぎゃああああっ!!」 「ぐぅぅぅぅっ!!」 「貴様らはこのまま永遠に覚めない眠りに落としてくれるわ!」 奇襲には驚かされたが、ただそれだけだ。このまま二人とも縊り殺し、後は一番厄介な勇者を仕留めるだけである。 『失楽園』から逃れた三人はそれで終了………三人…? ワーサーが疑問を覚えた次の瞬間、マーリンが叫ぶ。 「ア…リエル!今だあッ!!」 「だあああああっ!!」 姿を消す魔法、解除。 ワーサーの背後に今まで姿を隠していたアリエルが突如として出現した。 マーリンの二つ目の策…戦力的に未知数なワーサーに対しては、姿を消す魔法で伏兵を置き二段目の奇襲を叩き込む! そしてワーサーは今左腕と右足が塞がっている…防御姿勢は取れない! またもや一杯食わされたワーサーは怒気を飛ばしながら叫ぶ。 「小癪な!貴様のような小娘の攻撃でこの俺が倒せるか!」 ワーサーには長年鍛え上げられた強靭な肉体がある。 見習い兵士に過ぎないアリエルの通常攻撃では完全に不意を打ったとしても一撃で大きなダメージを与えることはできない。 そう、アリエルの通常攻撃であるならば… 「チンチロッド!!」 アリエルは三つのサイコロが組み込まれた奇妙な杖…チンチロッドを振りかざした。 出目によって打撃力が激変するその魔法の杖は、事前にマーリンからアリエルへと渡されていたものだ。 チンチロッドは掛け声とともにそのサイコロを高速回転させ、三つの出目を示した。 1・1・1…ピンゾロ!巨竜の頭蓋をも砕く一撃がワーサーへと襲い掛かる! 「ぬぉおおおっ!?」 ズドム…と鈍い打撃音が響き渡り、小柄なアリエルのフルスイングがワーサーの巨体を吹き飛ばした。 ヴリッグズとマーリンは解放されて咳き込みながら、ワーサーの様子を見て舌打ちする。 直前で二人を手放し防御姿勢を取られたせいか、一撃が思ったより浅い…あれでは戦闘不能に陥らせることはできない。 それはアリエルも承知の上だったようで、間発入れずに第二撃の体勢に入る。 「もう一発行きます!!」 「あっバカ!“切り替えろ”!」 マーリンが焦って声をかけるも時すでに遅し、アリエルは攻撃態勢に入っている。 吹き飛ばされながらもそれを見逃すワーサーではない。先ほどの一撃…あれはイカサマであると確信した。 出目によって威力が激変するチンチロッドは細工をすれば出目を固定できるイカサマを仕込むことができるという… しかしそれは決してノーリスクではなく、イカサマを指摘されれば賭博の神から裁きの雷を受けることになる。 「チンチロッドっ!!」 アリエルが振りかぶったチンチロッドのサイコロが高速回転し再び三つの出目を示す。 示した出目は…1・1・1…ピンゾロ!ピンゾロが連続して出るなど“ありえない”!間違いなくイカサマだ! 「それ、イカサマ!」 ワーサーはチンチロッドを指して叫ぶ。 瞬間、突如として急激に空が曇り始め、渦巻く黒い雲が稲光を走らせ始める。 そしてその中心から狙いすました雷光を矢のように解き放った。賭博の神による裁きの雷である。 その標的として打ち据えられたのは… 「ぐあああああっ!?」 なんと指摘したワーサー本人であった。 激しい雷に灼かれた彼はたまらず膝をつき、全身から煙を上げる。甚大なダメージだ。 何故指摘したはずの自分が裁きの雷を受けたのか…ワーサーは遠のく意識の中でその理由を直感する。 賭博の神が裁きの雷を与えるパターンは二つ。一つはイカサマを指摘された場合、もう一つはその指摘が間違っていた場合。 つまり… 「イカサマは……していなかったのか……」 それだけ呟き、ワーサーは前のめりに倒れこんで意識を手放した。 絶命したわけではないようだが裁きの雷は強力、すぐには復帰できないだろう。 アリエルは大きく一息吐き、後ろで呆気に取られるマーリンたちに振り返り、言った。 「…マーリンさん、これイカサマモードに切り替えるのどうやるんですか?使い方忘れちゃって…」 どうやら二撃とも素の運命力だけでピンゾロを出したらしい… もはや驚いていいのか呆れていいのかわからないマーリンの心境の中、次第に正気に戻る兵士たちが現れ始めた。 ワーサーが戦闘不能に陥ったことで『失楽園』の効果が切れ始めたのだ。 最後方で事の成り行きを見守っていたゴノットは無念そうに呟く。 「作戦は失敗…どうやら退き時のようですな…」 敵の奇襲は迅速だった…センノウンとワーサーが立て続けに撃破された今、状況を打開する手をゴノットは持たない。 途中までは完璧だった作戦がどこで破綻したのか。 ドアンが乗り込んできた時に護衛のはずのスカーフェイスが一騎打ちを受けてしまったところか。 『失楽園』が効かず逃げた敵の対処を半端に留めてしまったところか。 そもそもとして勇者パーティを複数このワナデスに誘きよせてしまったところか。 反省点はいくらでもあるだろう…それを逐一洗い出さなければ次の作戦の成功はない。 ゴノットは瞬間移動装置『帰還の宝玉』を握りしめて撤退の合図を送った。 ドアンは横目でそれを見ながら目の前の敵に語りかける。 「どうやら魔王軍は撤退するようだ、残念だったなスカーフェイス君」 「チッ…」 彼と激しく斬り合っていたスカーフェイスは舌打ちし、跳び下がる。 こうなれば勇者の首を一つでも手土産にしたいところだが目の前の敵は強い…一筋縄ではいかないだろう。 彼は代わりに捨てセリフを一つ残して去ることにした。 「次は殺す…」 「それは怖いね、だがそんな時の旅の仲間保険だ、君は保険には入っているかい?」 「………」 これ以上話しても無駄だとスカーフェイスが踵を返すと同時、『帰還の宝玉』が発動した。 発動者のゴノット、気絶するセンノウンとワーサー、剣を収めたスカーフェイスの体を眩い光が包み込む。 次の瞬間、四人の姿はその場から消え去った。魔王城へと空間転移したのだ。 ドアンは軽く息を吐いて剣を収めマーリン、ヴリッグズ、アリエルの三人へまたもや白い歯を見せて笑った。 「我々の完全勝利だ!やったな!」 「はいっ!ドアンさん、マーリンさん、ヴリッグズさん!上手くいきましたね!」 「完全勝利…という割には二名ほど重傷ですがね…」 「同感だぜ…早いとこ回復魔法をかけてくれぇ…」 ドアンとアリエルは地面に倒れ伏したマーリンとヴリッグズを助け起こす。 辺りは目覚めた兵士や勇者パーティの声で次第に喧騒が大きくなり始めていた。 * 「不覚です…まさか魔王軍の催眠にかかっていたとは…」 「同感だよ…あいつらのやり口は知ってたのに…」 目覚めたクリストとハルナがしきりに反省する中、『失楽園』を受けた者たちの顔はどこか晴れやかだった。 昇ってきた朝日にぐっと伸びをしながらユイリアはうんうんと頷く。 「でも久々に良い夢が見られた気がします!初心に戻れたというか…」 「吾輩もあの頃の気持ちを思い出したのである!今後とも一層精進していくのである!」 「せやなあ…敵に催眠されとったのになんや爽やかな気分やわ…」 目覚めスッキリといった感じで盛り上がる面々に、マーリンとヴリッグズはどうにも釈然としない表情を浮かべる。 「な、納得いかねえ…なんでオレらが命張ってたのにこいつら気持ちよく熟睡してんだよ…」 「まったくですぜ…もうちょっと申し訳なさそうにしてほしいっていうか…」 そんな二人に回復魔法をかけながら、イザベラは苦笑する。 「まあまあ…二人がいないと皆やられてたから…皆二人には感謝してる、よ?」 「百歩譲ってそいつはいいとしてよォ…本当に釈然としねえのはあっちだよ」 顔を顰めたマーリンが顎で指した先、王国の兵士たちに囲まれるドアンの姿があった。 兵士たちは皆一様にキラキラした笑顔でドアンを讃えている。 「さすが勇者ドアン様!あのまま操られていれば我らは仲間を傷つけているところでした!」 「ありがとうございます勇者ドアン様!この恩は決して忘れません!」 「勇者ドアン様、万歳!あなたこそ真の勇者です!」 思い思いに自分を称える兵士たちの顔を見渡し、ドアンは最大の営業スマイルで返した。 「王国の頼もしい精鋭たち、君たちが無事で本当に良かった!これからも勇者ドアン・セスをよろしく頼む!」 兵士たちの大歓声。それを傍目にマーリンはイライラと足踏みしながら吐き捨てる。 「作戦考えたのオレじゃねえか!手柄を独り占めしやがって!」 「ま、ドアンはああいうやつさ…私らはアンタたちに感謝してるよ」 そんなマーリンに話しかけたのは傭兵アリシア、ドアンのパーティの一員である。 続いてシーフのフレイ、魔法屋クロウがぞろぞろとやってくる。 「借りができてしまいましたね…いつか必ず返します」 「なんかあったらウチの魔法屋に来な、格安で力になってやるよ」 「格安って…やっぱ金は取るのか…」 わいわいと話が弾む冒険者たち、そんな彼らの元にやってきたのはアリエルだ。 兵士の仲間たちも全員無事だったようで、その顔には安堵の表情が浮かんでいる。 「マーリンさん、ヴリッグズさん!本当にありがとうございました!あたしはお二人の活躍も知ってますから!」 「へへ…アリエルの嬢ちゃんも大戦果でしたぜ、あんたがいなきゃオレら二人ともお陀仏だ」 「いえいえ!あれはマーリンさんが貸してくれたチンチロッドのお陰です!」 「素でピンゾロ二連発なんて見たことねえけどな…どういう運してんだよ…」 呆れたように言うマーリンだったが、ふと何かを思いついたように顔を輝かせた。 「なあ、アリエル!オレと一緒に良いところ行かねえ?ギャンブランドっていう…」 その言葉はすぐに遮られる。 ユイリアががっしとマーリンの首根っこを掴みアリエルから引き剝がしたのだ。 「マーリン、何やってるんですか!次の目的地に行きますよ!」 「げっ、ユイリア…ちょっと待て!大事な話が…」 「マーリン殿、いたいけな少女に悪い遊びを覚えるのは吾輩感心しないであるぞ」 「マーリンさん、サイテー」 「やかましい!オレの勝手だろって、あっ、ちょっ、すげえ力!引きずらないで!あぁぁぁぁ…」 ユイリアたちは挨拶もそこそこに、マーリンを引きずったままワナデスを出発した。 それを苦笑して見送りながら、イザベラも仲間たちと目を合わせる。 「それじゃあ…私たちも出発しよう、か…」 「へい!イザベラの姐さん!」 「ほな、アリエルはん、お元気で」 「魔王軍が現れたらいつでも呼んでくださいね!……次は不覚は取りませんので」 イザベラたちもまたワナデスを出発していく。 最後に、讃えてくる兵士たちから解放されたドアンもようやく合流した。 「おや…マーリン君もヴリッグズ君も出発したのか、僕に挨拶もなしとは釣れないことだ」 「アンタの営業が長いんだよ、さ…出発するよ」 「短い間とはいえ時間を無駄にしてしまいましたね、早く稼ぎに行きましょう」 「お嬢ちゃん、これが今回の特別救援の請求書、偉い人に渡しといてくんな」 アリエルに謎の請求書を押し付けつつ最後にドアンたちも出発していく。 そうして各々の道を往く勇者パーティたちに、アリエルはいつまでもいつまでも手を振っていた。 「よし…!あたしだっていつか、あんな風に誰かを助ける勇者パーティに…!」 そんな決意を胸にしながら。