「ワレのクリスマスか。初めて本格的に触れたのはたしか1583年のことだったかな」 当時元春様の側室だったワレは義子の広家と共に秀吉がいる大坂へと人質に出された。万が一の時は毛利一門と逃げ出す自信があったし元春様もワレならば問題ないと認めてくれたからである。 そうして秀吉との謁見も済みその1ヶ月ほどあと京と近かったものだから兄の在昌に呼ばれてクリスマスパーティーをしたのが始まりだった。 最初はあまり乗り気ではなかった。というのもこの兄は家の当主としては落第としか言いようがない行為をしていたからだ。キリスト教という異国の宗教に傾倒し父上が死去した時も後を継がず土御門の家から養子を出してもらう始末である。その後土御門の者が12年も勘解由小路として活動していた上に本人は健在だったのだから正直兄及びキリスト教への印象は悪かった。 しかしそれでも数十年ぶりの肉親との再会であり純粋に会ってみたくもなっていったらクリスマスをしていた。 家族と共に過ごし家を飾り付けビリャンシーコ、今でいうクリスマスキャロルを歌う。そう言った風習であった。 それと共にマノエルを洗礼名として自称する兄の勧誘が始まった。ついぞ入信することこそなかったものの少なくともキリスト教のイメージは変わった。特に今までワレが知るものとは全く異なる宇宙観や暦はとても新鮮であり一気に引き込まれた。どうやら兄もそこが入り口でキリスト教を気に入っていったらしい。クリスマスパーティー自体は新鮮なものばかりで非常に楽しいという他なかった。 それから毎年クリスマスパーティーに顔を出すようになっていたのだが1587年、秀吉によりバテレン追放令がら発せられた。流石にこの年はクリスマスパーティーはないかと思ったが12月25日にもなお兄に呼ばれた。 内容自体は兄の家族総出の食事会ではあったがクリスマスを意図していたのは明らかであった。いかに禁教令が発せられたとしても家族で食事をするだけでは取り締まることができないという寸法であった。 これはワレの主観ではあるが禁教された後の隠れキリシタンはそのように25日に別々で住んでいる親戚を集めて食事をするといったことを行なっていたように思う。 兎角そこそこに楽しいクリスマスパーティーは兄が死ぬ前年の1598年まで招待された。 「とまあワレのクリスマスはこのような感じではあるがフランスの魔法少女たちに聞けばよかったのではないかな、彼女らは本場の敬虔な教徒であるはずだ、そうであろうナマエ殿?」 「タルトさんたちにはもう聞いたから戦国のクリスマスがどうなってるのか賀茂さんに聞いてみたの」 「なるほど、戦国のクリスマスといえばたしか三好と松永の軍勢が戦いの折にちょうどクリスマスでその時に一時休戦したという話がある。戦国のクリスマスなら日本に住んでいた方のトルテにも聞けばいい。あちらはより庶民的な視点でクリスマスのことを聞けると思うぞ」 「ありがとう賀茂さん、これで少しでも記憶が取り戻せそう。クリスマスパーティーも楽しみにしておいてね!」 「うむうむ、楽しみにしておるよナマエ殿」 それにしても記憶を失った少女、一度脳内を見てみたが恐らくアレは…いや、まだ深く考察するべき時ではない。 「わかっておると思うが式神、お前も考察は我慢せいよ」 羽根を羽ばたかせながら近くに鎮座していたハーピーのような自分の式神に声をかける。考察しないのは当然である。なにしろまだ時計の針は動き出していないのだ。今年中には動くと思っていたが結局動くことはなく残り数日で動く様子もない。だが恐らく来年の春には動くことだろう。早く時計の針が動いてほしいものである。