【これまでのあらすじ】 歪んだ性衝動に突き動かされ、次々とオイランドロイドを弄び破壊、殺戮を繰り返すおぞましき猟奇ニンジャ・ダメージド。 ひょんな事から彼は傷ついたウキヨ・マツユキを保護。己の実態を秘め、修理に取り組む奇妙な関係を続けてきた。 人間を恐れ警戒していたマツユキだが、共に過ごす時間の中、ダメージドの表の顔カスガイ・オカベに少しずつ心を開いていく。 やがてマツユキはカスガイに自身の淡い想いを打ち明けた。 だがその矢先。マツユキが身を隠す廃ビルに、ウキヨを狙うスカベンジャーのニンジャ達が現れる。下劣なニンジャに無惨に 陵辱されようとしていたそのとき、マツユキに異変が生じる。 マツユキは恐慌しながら恐るべきカラテを発揮、彼女はウキヨにして無自覚のニンジャソウル憑依者だったのだ。だが正気に戻り、 再び弱々しく追い詰められたとき、駆け付けたダメージドが彼女を救った。 そしてダメージドはついにマツユキを標的にした。 【クラック・イン・スノーフィールド】#7【前編】 草木も眠るウシミツ・アワー。トコシマ区からほど近い、取り壊し予定のまま放置され十数年が経過するマニアック性癖退廃前後ホテル 「ゴルゴ田」跡の廃ビル。 ユーレイ・スポットとして気味悪がられ、誰も寄り付かないその一室。薄暗い電灯に羽虫が舞う、ゴシックな牢獄めいた窓のない部屋。 厳つい拘束椅子に猿轡と大量の鎖で拘束される女がギシギシと音を立てもがいている。 そのバストは平坦であった。その表情は恐怖と困惑、焦燥がないまぜの絶望。顔の左半分は額から目元にかけオモチシリコンの皮膚が削げ、 サイバネ・アイとクロームが露出している。マツユキだ。 「7歳か8歳ぐらいの時だったかな?夜中にね、トイレに起きたんだよ」部屋の隅でガタガタと工具棚を漁るカスガイが一方的に話しかける。 マツユキのよく知る姿、黒のジャケットとパンツ、「すどうふ」とポップにショドーされた白Tシャツとテック・スニーカー。しかし。 「突然物音がして窓の外を見たらさ、屋根の上に女の人が居たんだ。なんだが疲れてるみたいに屈みこんで」せわしなく手を動かし続けるカスガイ。 「最初は泥棒かと思ったね。けどよく見るとその人血だらけで、服もボロボロで」素朴な声音に対し、見開かれたその両目は爛々と輝き、 異様なアトモスフィアを放っている。 「でも一番驚いたのは……体のあちこち、特に顔半分。額から皮が剥がれて、眼は赤く光ってて……機械がむき出しだったんだ。オイランドロイド、 もしかするとその人もウキヨだったのかもね」 やがてカスガイは工具棚のネイルハンマー、スタンジュッテ、電動ドリル、歪んだ鉄パイプ、ガスバーナー、硫酸瓶、有刺鉄線金属バット等の数々 からカタナを選び取った。今日のメイク道具だ。これが一番馴染む、大事な夜だ。 「その後はもう大惨事。色々漏らしながら『ママー!』って叫び回って」照れたような苦笑に反し、丸く見開いた眼はそのまま、カスガイは マツユキに向き直る。その口元はメンポで覆われている。 「悪い夢でも見たんだって母さんには言われたけど。それから何年も夜が怖くて……寝る時は何度も窓の外を確認して、頭からフートンに潜って。 夜中のトイ……は恥ずかしいな」 カスガイは拘束されるマツユキに近寄り、屈んだ。猿轡を外す。「…………」視線を泳がせ、無言で唇を震わせるマツユキ。瞼のない剥き出しの 左のサイバネ・アイから、一筋涙が零れる。カスガイの顔からふいに笑いのニュアンスが消える。 「忘れたつもりだった。けどマツユキ=サンと会う少し前、大学のノミカイで潰れてぶっ倒れて……目が覚めたらやけに頭がスッキリして、 ちゃんとわかったんだ。昔のこと」カスガイはマツユキの頬に手を添え、涙の跡を掬う。 「ひび割れたサイバネ・アイの揺らいだ光」「裂けたオモチシリコンの雪のような白さ」 「血に濡れてテラテラ光る武骨なクローム」「胸だって……」 「すごく、キレイな人だった」 「おれはオバケに怯えて毎晩外を気にしてたんじゃない。また彼女が来てくれないか、ずっと待ってたんだよ。たぶん、それが初恋。 わかってない子供だったんだ」マツユキの破損した左顔面、むき出しのフレームとオモチシリコンの境目を、愛おしむように指先でなぞる。 「でも10年以上は前の話だよ。もう彼女には二度と会えないよね。だからこう、自分でメイクしようってさ」ちらりと見たベッドを囲う、 トルソーめいてポールに突き刺さる物言わぬ複数の裸体。 マツユキは一瞬それらに僅かな既視感を覚え、そして慄いた。いずれも鮮やかな紫色の髪、豊満なバスト、少女めいて小柄な体躯…… 複数のドロイドの残骸を繋ぎ合わせ、オモチシリコンの表皮は鎹で無理矢理継ぎ接ぎした奇怪なオブジェたち。 足元には、バラバラのマヌカンめいて積み重なる大量の残骸。不要な首、手足、胴。ゆうに30体近く。いずれも左顔を中心に殴打、切創、 火、薬品、あらゆる方法で凄惨に破壊されている。 「わたし、を。どうするの」狂気の光景に釘付けになりながら、掠れた声でようやくマツユキは言葉を絞り出す。 「あのコ達と同じ、違うな。もっと滅茶苦茶にするよ。形も残らないぐらいに」カスガイはオブジェたちと残骸を見ながら淡々と答えた。 マツユキの全身に悪寒が走った。 「……ずっと……最初から」「違うよ」振り向いたカスガイからは瞳の異様な輝きは失せていた。マツユキのよく知る瞳だった。 「たまたまあの日、川で沈みかけてたマツユキ=サンと眼があった時、思ったんだ。助けなきゃ、カワイソウだって。本当に咄嗟だった」 「前に言ったよね?マツユキ=サン、全然おれのタイプじゃないって。おれのタイプはああいうコたち。だから一緒にいてもマツユキ=サンに そういう下心なんて」ふいにカスガイは表情を曇らせ、口ごもった 「なかった、筈なんだ」やがてカスガイは拘束されるマツユキの腰に手を回し抱きしめ、平坦な胸に顔を埋めながらずるずると膝を着いた。 先程までの狂気じみたそれとも異なるアトモスフィアの変化に、マツユキは困惑した。 「一緒に居る時、おれはいつもおれだった。おれで居られた」「マツユキ=サンはオイランドロイドで、ウキヨで、壊れてて、凄くキレイで」 「だけどあの人とは……おれが好きになるコとは全然違ったから、なのに」「……マツユキ=サンのこと、こんなに」 更に小さく背中を丸めながら、堰を切ったようにカスガイは止まらなかった。 「すきなもの、だいじなものを、全部自分で壊すんだ」「壊れたものがすきなんじゃない、壊すのがすきなんだ」「おれはこうなんだ」 「おれの脳ミソはぶっ壊れてるんだよ。小さい頃のあの日から、もしかすると最初から。ニンジャはただのきっかけ、今更気付いただけだよ」 カスガイの背中は震えていた。まるで幼い子供が泣くように。 (このひと)マツユキの感情と思考は乱れていた。あのサザンクラウドと同じ、狂ったニンジャ。オイランドロイドを破壊し弄ぶ醜悪な人間。 心の大半を占める愛しい人。言葉は見つからなかった。ただ名前を呼んだ。「カスガイ=サン」 「ダメージドだよ、おれは。それがおれの名前」カスガイは……ダメージドは朗らかに答え顔を上げた。爛々と輝くその目は笑っている。 まるで人間の顔をしていなかった。 ダメージドは何事もなかったように立ち上がるとカタナを抜き、マツユキの肩に乗せた。「じゃあ、しよっか」マツユキの顔は再び絶望に染まった。 「脚は後までとっておくよ、折角一緒に頑張って直してきたんだ、モッタイナイ」ダメージドの口はどこまでも穏やかに、よく回った。 「マツユキ=サンの部品、みんなあの子達から貰ったんだよ。助かったよ」言葉はマツユキの耳を素通りしていく。理解したくなかった。 「凄く痛いと思うけど、ごめんね」先程のように恐怖に呑まれ、訳も分からずもがくうちに全てが終わるならどれだけ楽だろう。 「おれのこと、好きって言ってくれてありがとう」だがそうはならなかった。「本当に、凄く嬉しかった」 今、マツユキのニューロンにソーマト・リコールめいて湧き上がるのは、かつて道具として過ごした時間、闇カネモチに刻まれたトラウマではなかった。 カスガイと出会い過ごした時間、鮮やかな感情の色彩。恐れ、不審。怒り。苛立ち、呆れ。怒り。興味、信用。怒り。期待、信頼。怒り。好意、恋慕。怒り。 幸福、希望。怒り。全てを錆び付かせ腐らせていくような絶望、そして激しい怒り。……何に対して? やがて何もかもを覆すようにマツユキは叫んだ。腹の底から、自分の意思で。 「アアアアアアアアァーーーーーーーッ!!!」床に厳重にネジ止めされていた拘束椅子は無惨に砕けた。同時に質量がダメージドの胴に叩きつけられる! 「グワーッ!?」KRAAAASH!!暗黒カラテ奥義・ボディチェックめいた、遥かに粗削りな至近距離のタックル!ダメージドは吹き飛び、工具棚に突っ込んだ! 「…ハァーッ……!」拘束の緩んだ鎖は、ジャラジャラと音を立てマツユキの足元に落ちる。スカベンジャー達にカラテした時と同じく、マツユキの両眼は とめどなく涙を流し、瞳は緑色にゆらめき発光する。だがその顔には張り付いた恐怖ではなく、複数の感情がないまぜになった悲壮な表情と明確な意思が宿る。 そしてマツユキはダメージドを見据え、手を合わせオジギする。 「……ドーモ、ダメージド=サン」全身を廻るカラテの感覚。(わたしは醜い)マツユキは己を自覚した。(わたしは弱い)己は何者か、(わたしは愚かだ) 記憶素子によぎったのは小さな白い花の画像。(こうなっても、わたしは)あの時から既に。 「スノードロップです」ウキヨのニンジャはアイサツした。 瓦礫を押し退け起き上がったダメージドは一瞬目を丸くし、力強く立つマツユキの両脚に微笑んだ。襟元を正すように服の埃を払うと、オジギを返す。 「ドーモ、スノードロップ=サン。ダメージドです。脚、やっぱり直ってたんだ。よかった」 ダメージドの瞳の暗紫色の発光が深まる。やがてそれは肩、背中から陽炎めいたエンハンス光となって立ち上る。スノードロップの瞳も同様だ。右目は元より 剥き出しの左のサイバネ・アイはサーチライトめいて煌々と緑に発光した。 両者はゆらりと構え、円を描くようにじりじりと足を運ぶ。血流が巡る、駆動音が鳴る、呼吸が熱を持つ、カラテが満ちる。目の前の愛しき存在を砕き、引き裂き、 破壊するために。 「マツユキ=サンもニンジャ。嬉しいな、おれ達身体の相性いいかもね。興奮してきた」「…………っ!」 スノードロップは瞼のない左目から涙と絶望を振りまき、口元はオニめいて歯をむき出しに食いしばる。ダメージドは狂気と欲望に爛々と輝く瞳を見開かせ、 耳まで裂けるような笑みを浮かべた。二人のニンジャは同時に跳んだ! 「アァーーーーッ!!」「イヤーーーーッ!!」 【NINJASLAYER】