それは、ある夜のこと。 「ふぅ、ごちそうさまでした」 「…うん、ごちそうさま」 いつものようにみことちゃんと夕食を終え、食器の片付けを始める。 「…………」 二人で並んで台所に立ち、洗い物を終わらせ、給湯器のスイッチを入れ、茶を飲みながら風呂を待つのもいつものことだ。 だが、今日はみことちゃんの口数がやけに少なく感じる。 「…みことちゃんさ、なんかあった?」 「え、な、なんで?」 茶を一口含んでから答える。 「なんかいつもと雰囲気違うから。体調悪いとかだったら無理しない方がいいよ」 そう伝えると、彼女は少し逡巡するような顔をした後、ゆっくりと口を開いた。 「……あのね」 「うん」 「私、告白、されちゃった…」 「ゴフッ」 思わず茶を吹き出してしまう。頭の中が一瞬真っ白になる。みことちゃんが慌てて台拭きを持って来てくれた。 それを受け取り、テーブルを拭いながら思考を走らせる。 ……え?告白された?誰に?いつ?どこで?……!? 「あっ、ちがっ!もちろん断ったよ!?初めて会う人だったし……好きでもない人に告白されたってそんな嬉しくないしすっごい失礼なこと言ってたし…」 「え?あぁ、そう……」 みことちゃんがブンブンと両手を振りながら慌てて付け足す。その言葉で一気に自分の精神が沈静化され、思考力が帰ってくる。 ……冷静になれば、別にみことちゃんが告白されたくらいでそこまで慌てる必要はないだろう。 外の人間との接触や、彼ら彼女らの目に入り魅力的に映る、つまりはその社会に溶け込めているということなのだから、喜ばしいことだ。 いやむしろ驚いたのは大分失礼なことだ。 「そっか。うん、そっかぁ…」 「ねえねえ、ビックリした?ほっとした?」 みことちゃんが身を乗り出しこちらの顔を覗き込みながら聞いてくる。顔が近い。 なぜだかその顔は少し嬉しそうに見えた。 「うん。めちゃくちゃ驚いたし、安心もしたよ」 「んふふ。なら私も安心かな~」 自分が思っていたよりもずっと、みことちゃんは普通の人間の社会に馴染んでいけている。 会ったばかりの頃はあんなにもあんなだったのに、彼女なりの社交性を身に着けそれが他者に受けるまでに成長していたとは。 それが、とても嬉しかった。 ただ、嬉しいばかりでもないのも事実ではあって。 「そういえば、みことちゃん、明日からまどかちゃんたちとお泊り会行くんだっけ?」 「?うん、ちょっと不安だけど…」 「うーん、まあ大丈夫だよ。何かあれば呼んでくれていいし。それで、何持っていくかとかもう準備した?」 「……………………あっ」 「…準備、はじめよっか」 「──と、まあ最近のみことちゃんの様子はそんな感じかな」 「それで、みことさんがお泊り会に出かけた隙にこっちまで来てくれたんですね「」さん」 ベンチに腰掛けたいろはさんへ一通りの報告を終え、一息つく。 今日はみことちゃんたちがお泊り会に出かける日。それを見計らい、いろはさんに会いに来ていた。 彼女の家およびみかづき荘ではなく、わざわざ公園にしなければならないのは、自分のあの時の選択の結果ゆえである。こんな夜更けにいろはさんの時間をもらってこんな所にまで来てもらっているという事実に、申し訳なさと不甲斐なさを感じざるを得ない。 「それにしても、みことさんが告白されたってビックリですね」 「ほんとにね」 「…………「」さんはいいんですか?」 「みことちゃんが上手くやれるようになってきてるってことだから、いいことなんじゃないかな」 「………………そうですか」 なにやら言いたそうな顔をしていたが、結局いろはさんは何も言わずに会話を切り上げた。 ほんの少し、沈黙が支配する。秋の虫の声が、綺麗に聞こえている。 「それでもやっぱり思うところがあるんですよね?」 「……、なんだかんだ寂しくはあるかなぁ」 そう、寂しい。 みことちゃんが成長して、いつか自分の元を離れていくのだと実感が湧いて、少しだけ寂しい。 彼女の身の回りの世話を少しばかりしてちょっと話を聞いていただけなのに。それもほんの少しの間でしかないのに。 「まあでも、だからといって縛りつけたりするつもりはないけど」 それは、みことちゃんの成長を阻害しかねない。みことちゃんはみことちゃんであって、自分なんかのものじゃない。 彼女にも、友人ができた。 彼女には彼女の世界がある。 もうそろそろ、彼女は自立する時なのだ。 きっといつかは来るであろうと分かっていたその時を、迎えればいいのだ。 「…………「」さんってみことさんのことどう思ってるんですか?」 「え?」 いろはさんの目は真剣で、真っすぐにこちらの両眼を捉えている。下手な誤魔化しや逃げはさせないと、目が語っていた。 いろはさん相手にわざわざそんなことをするつもりも度胸もなかったのだが、少し圧されてしまう。 「他のみんなと同じように大事に思ってるよ。ただ」 「ただ?」 いろはさんの目に覗き込まれる。 「みことちゃんに恨まれたり憎まれたり殺されたりしても文句は言えないなってのも、ずっと思ってるよ」 「……」 いろはさんの目が、ほんの少し見開かれる。 「それは……その、みことさんを傷つけるつもりがあるってことですか?」 そう探るようにいろはさんが聞いてくる。 確かに、そう思われても仕方のない言い方だったかもしれない。 だけど、違う。そうじゃない。 傷つけるというのなら、もう傷つけてしまっている。 「今のこの世はみことちゃんにとっての最高がもういない世界なんだ。そんな世界で生きていくのは、あまりにもつらい」 最高を失うという哀しみも、そんな存在のいないで世界で生きる苦しみも、覚えがないわけではない。 にもかかわらず、彼女をそんな道を歩かせてしまっている。 「だから、恨まれても仕方ない。むしろ自然なぐらいだよ」 恨まれるのが当たり前で、憎まれたって当然なのだ。 こんな世界に引っ張り出した自分が、彼女にどう思われようがそれは無理のないことなのだ。 「──ただ、それでも」 「それでも、なんですか?」 いろはさんが、こちらの言葉の先を聞いてくる。 「それでも、だからってオレはみことちゃんを嫌ったりしないし、オレが大切に思ってるのはきっと変わらないんだ」 必要ならば距離を置くし、離れる。実際、それはとても辛いし悲しい。 だけど、どれほど嫌われようが、それでも自分は大切に思っているんだろう。 どれほど遠く離れたとしても、彼女が幸せで笑顔でいられたらいいなと思い続けるんだろう。 「…そんな感じかな」 いろはさんへの説明を終え、ベンチの背もたれに体重を預ける。 少し喋りすぎたかもしれない。喉が渇いたなとぼんやりと思う。 「「」さんはほんとにそういうところ─」 いろはさんが口を開く。呆れたような声色に聞こえた気がした。 「うん?」 「……いえ、なんでもないです」 いろはさんは何かを言いかけ、やめてしまった。少し気になるが追及しないことにする。 そうしてまた沈黙が訪れる。今度は二人分の呼吸音しかしない、心地よい静けさだった。 「………きっと、みことさんも「」さんのこと大事に思ってますよ」 「そうかな」 「はい、きっと」 「…そうだと、いいなぁ」 いろはさんの優しい言葉に、そう返す。 みことちゃんがどう思っているかなんて分からない。 ただ、もしもほんの少しでもそう思ってくれていたのなら。 自分にはそれだけで十分すぎる。 「………………ふぅ」 それから、いろはさんをみかづき荘まで送り、今はフラフラと星を眺めながら歩いている。 あんなに二人きりで話したのは病院で会っていた頃以来だろうか。 自分が見舞いに行く理由がなくなってしまい、すぐに引っ越しもしてしまったのでそう長く付き合っていたわけではないけれど。間違いなくあの時間は安らかな時間だったなと、今になって思う。 「星、綺麗だなぁ……」 自分に残された時間は長くはない。できる事だって多くない。 みことちゃんに限らず、みんなのこれからには色々なことがあるんだろう。間違いなく辛いこともある。 きっと、それらの殆どは、じきに消えてなくなる自分がどうこうしてあげられることではないのだろうけど。 それでも、いつかは、誰かを好きになり、温もりに気づかされ、細やかでも幸せになれるような。そんな未来が訪れてくれたなら。 なんて、柄にもなく、星に願ってみたりした。