食べてすぐ寝ると牛になる、とは有名な言葉だ。 実際に健康面や体型管理を考えれば避けるべきではある。 しかしわかっていても、時にはどうしてもウトウトしてしまうモノだが── 「……え……なに、これ……」 ──食後の寝落ちから目覚めた時。 俺の胸にぶら下がる大きな二つの脂肪の塊を前に、言葉を失った。 「え?……え、え……え……?」 思わず両手のひらでそれを鷲掴みにする。ずしりとした重みと、しっとりとした温もり。そしてたぷたぷと、自分の胸そのものが震える感覚があって──作り物ではなく、本当に俺の身体の一部なのだと理解してしまう。 さらに胸だけではなく、頭と腰からはウマ娘の特徴に合致する部位が生えていて──逆に、ヒトの男である証はどこにも見つからなくて。 ゆっくりと、鏡の前に立っても。 「……だ、ダンツ……フレーム……?」 ジャケットに身を包んだそのウマ娘が、俺であることを認めるのに随分と時間がかかった。 トレセン学園で異常があれば、真っ先に疑うべき生徒がいる。 「アグネスタキオンッ!」 ズンズンと勢いよく、肩を怒らせて──歩調に合わせて暴れる胸を押さえながら、俺はカフェテリアへと駆け込んだ。 彼女とまるで面識は無いが、俺の身に起きた出来事について何か知っているのではないか、もしくはこの変身そのものが可能の仕業ではないか、と。 目当てのウマ娘は同期でありクラシック戦線にて活躍したマンハッタンカフェやジャングルポケット、そしてダンツフレームたちと談笑をしていた。 そして、俺の声に紅茶をテーブルの上に置いて振り向くと。 「おや、そのバッジ……君はトレーナーだね? 私に何か用かな?」 まるでなんてこともないかのように口を開いた彼女に、一瞬反応が遅れる。 「その格好は……ふぅン、どうせ食後に間を置かずに惰眠を貪りでもしたのだろう?」 「牛になるってよく言われるからなー」 「う、牛って……もー、確かに牛みたいなウマ娘だって言われたりするけど……」 アグネスタキオンも、ジャングルポケットも、そして今の俺と瓜二つの顔をしてあるダンツフレームですら。 俺を前に、なんてこともないような顔をしている。 彼女達は俺を揶揄っているのか? しかしカフェテリアの他の生徒達もまるで反応を示さない──いや。 「あの人、食べてすぐ寝ちゃったのかな?」「トレーナーさんなのに、ちょっとダラシないねー」 まるで俺だけが、『常識』を知らないみたいに。俺以外の全員が、くすくすと小馬鹿にするような目線で、俺を見ている。 「ああ……しかし、『牛』であれば言葉は話せないはずですね。『もうもう』と、鳴くはずです」 今まで黙っていたマンハッタンカフェですら、やっと口を開いたかと思えばコレだ。 いくらなんでもふざけているのか、全員で俺を嵌めているのか──勢いのままに俺は耳と尻尾を逆立て、口を開き 「もおっ!……もぅ!? も、もぉ〜……!?」 もうもうと、鳴いた。 「も、もぉ〜……も、も、もぉ……!?」 突然、話せなくなった。どう喉を震わせても、舌を回しても、まるで動物の鳴き真似のような声に変換されてしまう。 マンハッタンカフェの言った通り、牛のような鳴き声に。 「なぁなぁ、じゃあ立ってるのもおかしくねえか? 牛って立つのか?」 「もぉっ!?」 ジャングルポケットのその一言の直後に、ガクンと膝から力が抜けた。迫り来るカフェテリアの床を前に慌てて腕を突き出し、身体を支え四つん這いの体勢となる。 「……もぉ!? も、もぉ〜……!?」 立てない。二足歩行の仕方を身体が忘れてしまったかのように、立ち上がることができない。勢いを付けて上体を起こしても、大きな胸が虚しく暴れるだけだ。 「うーん。でも牛さんならカフェテリアにいるのっておかしいよね? 迷い込んじゃったのかな?」 「確かにそうだ。しかしトレセン学園に牛小屋は無いからねぇ。だとすれば──」 ──目が覚めた。 「……もぉ……」 ゆっくりと起き上がる。喉に付けられたカウベルが鳴る。肘と膝を床に着けた、四つん這いの体勢で。 同時に、カランカランと、喉に着けられた首輪のカウベルが鳴った。 「あ、起きた? ちょうどご飯の時間だね〜」 「……もぉ……」 この部屋のもう一人の住人であるヒシミラクルが俺の顔を覗き込んで、顔を撫で回した。 『生徒達の部屋で持ち回りで育てられている、牛のようなウマ娘』──それが、今の俺の立場だった。 「はい、ご飯だよ〜」 幸いにも、と言っていいのか。与えられる食事は生徒達と変わりがないメニューばかり。 しかし立ち上がることも椅子に座ることもできないので、目の前の床に置かれたトレーナーから、うつ伏せの姿勢で食べることしかできない。 「……もお……」 俺の身体と床の間で潰れて広がる大きな胸が、咀嚼に合わせて小刻みに揺れる。未だにこの感覚には慣れない。 ……慣れたくもないが、どうすればいいのかもわからない。 「ごめんね! お散歩連れて行ってあげたいけど、わたしこれからトレーニングだから……また今度ね!」 ヒシミラクルがのそのそと部屋から出て、一人残される。ダンツフレームは遠征で元々留守にしている。 こうなってしまうと、もう出来ることは何も無い。 逃げ出したくてもこの姿勢ではドアも開けられないし、首にぶら下がったカウベルの音は必ず誰かに気付かれてしまう。 「……もぉ……」 結局、俺にできることは寝ることしかなくて──食べたばかりだというのに、俺は再び横になって、目を閉じた。