※女トレ:ヴィブロスより少し背が低い ――――――――――――――――――――――   船舶免許というのは意外と簡単に取れるものだった。それこそ運転免許よりずっと。 「わぁ〜すごっ!ラウンジ本格的〜♡」 担当ウマ娘のヴィブロスと迎えた四回目の夏。アスファルトの焦土(東京)を逃れてやってきたのは、神奈川県某所の港。 夏合宿前だ。思い出作りに、とモーターヨットを一隻レンタルすることにした。ヴィブロスがしきりに施設を「セレブ」と形容して回ってるのを見るに、満足してくれたみたいだった。 「まだ驚くのは早いよ?」 ふっふっふ。事前に調べた限り、この船はサイズの割にはかなり豪華な施設が揃っている。それに……。 「冷蔵庫にはザクロジュース五リットル!!」 「ひゃぁ〜♡」 ドバイに行った時、この子がやたら気に入ったというジュース。サウジ産だっけな。 「トレっち大好きっ!すきすき~♡」 「いやいや」   抱き着いてくるヴィブロスを胸を張って受け止める。 親御さんから娘を預かっている身なのだ。いくら同性でも身体接触は避けるのが私なりのポリシー……だったのだが。まあ、彼女の方からしてくるなら拒まなくてもいいか。最近はそう思うようになった。 甘え上手だからこっちも応えられる、応え甲斐があるというもの。階段を下り、船内ツアーは奥へと進む。 「洗面所シャワーまで!?これなら心配せず泳げるねっ!」 一泊二日の予定だし、これくらいは私としても欲しかった。船のツアーは続く。豪華客船の綺羅びやかさはなくても、間違いなく日常を振り切れそうなエネルギーに満ちていると思う。 「最後に、これが寝室ね」 船といえば狭い二段三段の狭い寝床のイメージがあったけれど、さすがモーターヨット。最奥、広めの部屋にはホテルで見るようなダブルベッドが一つ。本物だ。 「じゃあ今夜は一緒にぃ……」 「私はラウンジのソファで寝るから」 「むぅ〜……」 「ほら、船を出すから手伝って」 「はーい」 係留のロープやら、さすがに一人でやるには大変な作業。ここだけは手伝ってもらわないとだ。 ともかく、仕事は頭の隅に追いやってしまおう。今日の私はトレーナーではなく船長なのだ。最高のセレブリティ、ヴィブロス嬢をもてなすのが私の使命! 出航してひと段落がつくと、ヴィブロスがそういえば、と口を開いた。   「でも船の免許持ってたなんて知らなかったよ~」 クルーズに誘ったときからワクワクしっぱなしだったせいなのか、今になって疑問が追い付いてきたみたいだ。   「ドバイで言ってたでしょ?クルーズしたいって」 沿岸部、ペルシャ湾をクルーズして夜の街を見たらきっとステキって。時間が無くて実現しなかったけれど、次行くときにはきっと……そう思い、なんやかんやで取ってしまった。空き時間にオンライン講習……今の時代便利だ。 「だからまあ、サプライズ!かな」 「わぁ……こんなお願いまで、聞いてくれちゃうんだね……」 彼女は珍しく静かになり、ボートのエンジン音がラウンジを支配した。港から出たので振り返ると、ヴィブロスは胸に手を当てて、どこか深みのある笑みを浮かべていた。 「そりゃ、貴方のためなら、なんだって」 でも私が見てるのに気づくとすぐ、いつもの明るさを取り戻し、隣の窓の方に身を乗り出した。 「ね、もっとスピード出る?」 「出るよ」 「ほんとっ!?じゃあお願い!」 「よーし……」 スロットルに手をかける。ヨットは穏やかにエンジンを鳴らし、30ノットの速度を目指して加速を始めた。ヴィブロスがかけた曲だろう、アース・ウィンド・アンド・ファイアが聞こえてくる。オーディオも良いの積んでるじゃん。 夏休み、なんだな。口が自然とハッピーな形に釣り上がった。  † 「はい、オッケー」 大海原に出たと言ってもいいあたり。私は海をバックに、勝負服姿のヴィブロスを撮影していた。 「かわいく撮ってくれた~?」 「うん、バッチリ!」 「よしっ、これでおわり~!」 結果に満足そうなので、ウマスタの更新はこれで止まるのだろう。爪をカタカタ鳴らし、打ち込むのはハッシュタグか。 「でも、なんでわざわざ勝負服を?」 「えー、モーターヨットなんてすごいセレブらしいし〜」 くるりと回転し、カーテシーを一つ披露するヴィブロス。このスカートも、ウマ娘の勝負服基準だと長い部類だったりする。 「みんなに一番みてもらう格好がよかったし、デザインも海にピッタリだし!」 なるほど。青のマントが海に合いそう、と言っていたっけ。 「さあ、海に出たけどどうしたい?貴方次第だよ」  「うーん、せっかくだし泳ぎたいな〜」 伸びをしながらそう言った。やはりというか、インナーが目立つ。出会った時よりは育ったとはいえ、そのウエストは心配になるほど華奢だ。つい目が行ってしまうのも意図したデザインなのか。   「船から離れないように気をつけてね」 「あ、あと釣りもしたい!シュヴァちに教わったからやってみたいっ」 ……一度、見ていたのがバレた事があった。理由はわからない。けど、私はひどく焦ったのを覚えている。たぶんヴィブロスから見ても明らかだったろう。トレーナーが担当の体を気にするなんて普通なのに。 ただ、その時の光景が記憶になぜか焼き付いて、寝る前の暗い天井を前にした時なんかに蘇っては、私を困惑させた。   「いいね、このあたりなら何が釣れ……」 離した目線で救命浮輪の位置を確認して、またヴィブロスに向き直った時。見慣れたプリーツスカートが、丁度地面に落ちる瞬間だった。 ぱさり。見てはいけない物を見た気がした。 「な、なんで、脱いで」 「?」 脳に焼き付いた腰回り、その先……何の変哲もない、のに。  「あ、言ってなかったっけ?これ、下は水着になってるの」 生地を引っ張ってみせると、なるほど伸縮性があるわけだ。 「一度こうやって泳い見たかったんだ〜♪」 ヴィブロスの顔は視界の上端にしか写ってない。 「もうっ、そんなり驚かなくてもいいのに〜」 衣装の上も脱ぎ去ってしまった。声色からして、いたずらっぽく微笑んでるに違いない。またバレた。そう思った。   「トレっちだってぇ、下に着てきてるんでしょ?」 「えっ」 安らぐ暇も与えられない。意識が自分の身体に向き直る。   「着てくれてるんだよね」 「それは、まあ……」 着なかったら残念がるだろうし、私のために選んでくれた品だし、海に出るし……。 誰への言い訳なのやら。しかし、こうやって確かにジャージとシャツの下に着てきた。 「恥ずかしがらなくてもいーじゃん、私意外誰もいないんだし!」 靴も上も脱ぎ終わったヴィブロスがずいっ、と近づいて、前のめりに私を見る。 「水着のトレっち見たいな〜」 私よりいくらか身長の高い彼女の、お得意のおねだりポーズを見上げた。   「……」 この子には敵わない。そして着てきたのも自分だ。   「わあっ!やっぱりカワイイ〜似合ってる〜!」 もうそんな年でもないだろうに、私は何を……?はじめて着たときもそう思った。だけど担当からの贈り物は無下にしたくない、姉妹で選んでくれたとなるとなおさら。 こうして、フリフリのセーラービキニを着る成人女性が誕生したのだった……。幸か不幸か、少し痩せるきっかけにはなったのだが。 「じ〜っ」 「なっ、なに……?」 こんなに天気がいい日なのに。あるはずのないスポットライトが全部私に向いているような感覚。その中、強烈に光るのが二つ。鮮やかな青紫が。 「お、泳ぐんでしょ?ほら……」 目を閉じずにはいられなかった。でも、次の瞬間。   「……えーい!」 「きゃっ!?」 固まった体が、空中に投げ出された。気づけば、世界は目の前でひっくり返って。 要するにヴィブロスと一緒に海に落ちた。 底の見えない海から浮上して、視界を確保しようと髪をかきあげる。 一番近い陸地まで約二キロメートル。それすら船に隠れれば、大海原のレンズに集約された彼女の笑顔。心の底から楽しそうな、あの笑顔。 「こら、やったな〜?」 文字通り冷えた頭じゃ、半ば無理やり感情が切り替わる。   「きゃ〜、トレっちこわーい♪」 きっと全部見抜かれていたんだ。その上で恥じらいを除いてくれたなら……私もまだまだ、だな。もっとしっかりしないと。 それにこの子の言うとおりだ。私たち、二人しかいないのだから。 フィットネス目的じゃない泳ぎがこんなに楽しかったなんて。何年ぶりかに思い出した楽しさも、ふたりきりの世界に引き込んでくれたこの子のおかげだ。  † とはいえ、若いウマ娘の体力には当然ついていけず、私は早々に上がり見学だけさせてもらっていた。監督責任を思い出したのもある。 ヴィブロスは本当に海が似合う。泳ぐ姿を見ると思う、ウマ娘じゃなければ、人魚に生まれていたのかもね、なんて。 「ふ〜疲れた」 ざぱっ、と音を立ててヴィブロスがデッキに上がってきた。 まただ。心臓が一瞬だけ止まるような気分だ。濡れた水着に反射する夕日がキラキラ光る。濡れた髪、閉じた目のせいで顔立ちが一層整って見える。 この子のこんな一面を、私が目の当たりにして良いのだろうか? 「ねえトレっち〜」   人魚だ。どうしようもなく、そう確信していた。 「トレっち?」 「あ、わわっ!はい、タオル」    要するに、またジロジロ見てしまっていた。海を写した、見知った虹彩に視線がゆくまでは、それこそ夢中で気づかなかった。 頭を拭くタオルの隙から見え隠れする瞳が、ギラギラと輝いていた。 「ね」 どういうわけか、背筋が伸びた。    「シャワーいこ」 「私はいいから先に……」 「いーから」 そうか、使い方。家にあるような物とは勝手が違うのだ、だから来てほしいに違いない。それでも、手を握る力の強さには、説明をつけられない。 今のヴィブロスには、有無を言わせない雰囲気がある。直接聞くなんてできない。  「トレっちもっ」 「えっ、えぇ!?」 洗面所の角に位置するガラス張りの四角形に、背中から押し込まれる。 「あ……」 振り返ると、ぶつかりそうなほど近くにヴィブロスの顔。身を引くと、背に壁が当たる。 「ね、トレっち」 最初から逃場なんてないのに、彼女の腕が私を壁に繋ぎ止めて「逃さない」と念を押す。   「さわる?」  小声の誘い。右手が細い指に包まれて、引っ張られる先。何度も釘付けになった、水着に包まれたウエスト。 理性って、音を立てて切れるんだ。知らなかった。頭の中で、こうやって。 「ひゃっ♪」 湿った生地を一撫ですれば、くすぐったそうな声。 それに釣られ上を向けた。大きくてかわいい目が細められて、これじゃあ人魚というより鮫だ。ヴィブロスのこんな顔、はじめて見た。 きゅっと音が鳴って、シャワーが水を私たちに降らせる。彼女の空いた手のしわざ。目の前の曲線は一層艶やかになって、余計に私を煽る。夢中で触った。細いくびれを確かめて、おへその下あたりまでの滑りを楽しんだ。ヴィブロスがかわいらしい反応をしてみせるごとに、脳みそが焼かれるみたい。 衝動でズタズタな意識の中で理性が立ち上がる。残された僅かな責任感とか、羞恥心とか。役に立ちそうなものを全部、奮い立たせた。 「ヴィブロス、ダメ、だよ、こんな……んむっ」 また目を合わせようと上を向いた時。大人の私の最後の一押しも、唇を奪われ止められてしまう。押しのけようにも、指を絡めてきて繋ぎ止められる。 鼻から空気を吸おうにも、シャワーの水が入ってくる。吹き込まれるのはヴィブロスの情だけ。――溺れている。私はこの子に、溺れてるんだ。 「っ……♡」 迎え入れてくれた、家族の顔が一人ひとり浮かぶ。しっかり者のヴィルシーナ、内気なシュヴァル、父親、母親。本物の家族みたいに迎えてくれたみんなを、無意識の海に沈めてしまった。残るのは甘えん坊で、私の大好きなヴィブロスだけ。 そうだ、せかいってもっと、単純なものでもいいんだ。好き。好きだよ。言葉にできないけど、きっと伝わってる。 ならもういい。繋いだ手を握り返して、開いてる方を細い腰に回した。ぎゅっぎゅっと、ヴィブロスも満足そうに握り返してくる。私はこの子が好き。この子も私が好き。なら、悩むことなんてなにもない。ただ口づけの快感だけに集中してしまおう。 「――ぷはっ」 潜水から戻るように、呼吸が再開する。目を開けて、焦点が合わないままあの子を見上げる。ありえないくらい鮮やかな瞳だった。 「唇柔らかいね、トレーナーさん」 そう褒められると、うれしかった。 世界は私たちの荒い息と、雨のようなシャワーだけに戻った。 「……ねえ」 ヴィブロスがシャワーを止める。 「こっちきて」 体も拭かず。手を引かれるまま、洗面所を出る。脚がふらつく、狭い通路の壁にぶつかる。 でも、どこに?船は狭い。最奥の部屋のドアまで、時間はかからなかった。 「ここって……」 口に出してしまった。振り返ったヴィブロスの目は、鋭く「そうだよ」って返すみたいで。 ごめんね、みんな。私たち家族ってだけじゃ、たりないのかも。 これから自分がどうなってしまうかを想像しながら、私は部屋に入り、後ろ手に扉を閉めた。