ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「どうしたーせっかくお前の分の荷物もオレ様が持ってやってるんだからもう少しキビキビ歩いてもいいんだぜツユホぉ?」 「はぁ…はぁ…ワー様と歩幅揃えるの大変なんだからね。もう……」 大神露穂という女性が迷い込んだデジタルワールドでワーガルルモンと出会ったのはとある城の跡地 何かしらの原因で跡形もなくなった住処に落ち込む彼を迂闊に励ましアドバイスを投げてしまったがゆえに彼に連れられこの世界を冒険するはめになって、振り回されながらもなんとか《家臣》としての務めというやつに食らいついている 今日も今日とて歩き回り、夢見るは新たな安住の地 どこか牧歌的でありながら、同じ"人間"と久しく出会わなくなった異質な旅路はどこか人のぬくもり恋しいこともあった 「のんびりなんてしてられるかよ。なんてったってこの辺にかつて城が建っていたっつー一等地があるそうじゃねえか、他の連中に取られちまう前に下調べしねえと……あ、なんだありゃ?」 「───なるほど、やはり薬の材料を手に入れるにはこの山頂までいかねばならなさそうだな……むっ、キミたちは」 「おや旅の人。あなた方もワタシの依頼を聞いて来てくださったのですか?」 杖をつき皺の寄った顔をくしゃりと寄せて笑うご老体と人馬デジモンが何やら話し込んでいたところへワーガルルモンたちが手招きされ、しかし心当たりが無かった彼等には何のことやらと素直に否定してみせる 「いやオレ様たちはここら辺の城が建ってたでっけえ土地を調べに来たんだ」 「ワーガルルモンに…キミは人間だな。私はケンタルモン、医者だ。この山頂にある不眠症に効くという植物の話を聞きここにいる」 「ふ、不眠症!不眠症って言ったか!?」 さらに薮を突き破り転がり込んできた来客にマメモン老人が笑い、ケンタルモンたちも目を丸くする 「おやおや今日はお客様が大勢いらっしゃる。賑やかで良いことだ」 「珍しいデジモンだな…」 「お、俺はルドモン。俺のパートナーが不眠症になっててさ…なぁその不眠症に効くって植物はホントか?」 「ええ。そして運が良ければワーガルルモン様、貴方の"ご要望"にもお答えできるかもしれません」 「なに?」 「…ところでルドモン君、キミのパートナーというのは」 「あっ!そうだ今あっちにぶっ倒れてんだよ何とか起こさねーと!?」 「いかん…! ギュッ」 「あん?んな事知…」「ええっ!って事はもしかして私以外の人間が……大変ワー様早く助けないと!」 「ハナシを遮るなツユホ!?」 「ほっほっほ、準備が整いましたらまたこちらへ。お待ちしております皆様」 事の発端はこうだった 「クロウ、しっかりしろクロウー!」 「俺はもうダメだ…」 彼らが仲間と逸れ数時間が経過した。木に背を預け力無くうわごとを呟く鉄塚クロウの肩をルドモンが掴み意識を引き戻さんとする 「目開けろって、はやく良子たち見つけて合流しないと怒られるって!」 「……グスタフッ」 「なんて!?うわホントに寝やがった!」 ……鉄塚クロウが"訪れて間もない"デジタルワールドにおいてほぼ毎日ある夢を見る 彼の旅路の目的。その火蓋となった脳裏に焼きついた筆舌に尽くしがたい災禍が度々こうして彼の眠りを蝕んでいた そして何日か連続したのち夢を見るだけの体力も残さず完全に力尽きると夢を見ずに済む日が訪れる 無論、彼はこの事は誰にも口外していない。相棒のルドモンにすらたまに見ると言う程度、なので皆は彼が朝に弱い寝坊助だと勘違いしているのだ だがクロウは今回ばかりは連続してそのような悪夢を見過ぎた。最悪のコンディションに連戦が重なり判断ミスの末、孤立無援のまま睡魔に敗北してしまった…… 「チクショー安全な場所と食いもん探さねーと。とりあえず草や木の枝でクロウを埋めて、と…」 ───そうして見つかった鉄塚クロウは木々と雑草に溺れながら轟沈しており、運悪く露穂が踏んづけて悲鳴をあげるなどしてもまるで死んだように眠ったまま、近くの安全な洞窟まで運ばれて寝かされていた 「ふむ……やはり睡眠が不足した末の過労だな。心当たりはあるかルドモン君」 「そういや、クロウのやつたまに怖え夢を見るからそれのせいであんまり寝られねえことがあるって言ってたな」 「夢か……」 「とりあえず生きてんだろコイツ、ならさっさとオレ様たちの用事を済ませようぜ。ツユホそいつは任せたぞ」 「えっ私!?」 「大丈夫だってクロウは目付き悪いし口も悪いし喧嘩っ早いけど人をとって食ったりはしねーぞ。っつーかオレも行くぞ!」 「大丈夫かな!それ大丈夫なのかな!?」 「医者として患者を捨て置くのは忍びないが、今は彼を寝かせてやるのが最優先だ…その間に薬の材料を取りに行かねばならない。瑠奈くんを連れてくるべきだったな…」 「ケンタルモン先生まで……あうぅ」 推しに弱い性根が祟り、デジモンたちのいいように言いくるめられて露穂が悲しげに唸るしかしできず、納得いかないように目を逸らしたまま背後に眠る彼の顔を見やる 「……」 その苦しそうな寝顔に放ってはおけなくなったのは、彼女の良心の呵責かあるいは小さなおせっかいだったのだろう ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「ったく、オレ様は城建てるための下見に来ただけだってのによ……人助けまでさせられるたぁ」 「しょーがねーだろ、この山頂に不眠に効く薬の材料があるって聞いたんだ。クロウをなんとかしねーとオレが困る」 「あまり彼等を待たせては危ない、手早く山頂を目指すとしよう」 先陣をゆくケンタルモン、その後にワーガルルモンが肩にルドモンを引っ付けたまま歩き始めて10分ほどが経った。 「この程度の山、オレ様の脚にかかりゃちょちょいのちょいで登って降り」「うおっ凄え"吊り橋"…ん、どうしたワーガルルモン」 急停止。ブイの字に滑落した斜面の先を繋ぐように掛けられた長大な木製の吊り橋が彼らを手招いており……肩にいたルドモンがわかるほどにワーガルルモンが身の毛をよだたせながら悲鳴をあげた 「た、たたた…高えーーーーッッもっと安全な登山道とかねえのかココは!?」 「ええー…急に日和るじゃねーの」 「私が行こう ギュッ」 「じゃあオレはワーガルルモンの後ろな。ほらいけいけ」 「脚を押すな押すな押すな!」 古びた橋板はきしみこそしたが腐ってはおらず彼らがのしかかってもしっかりと支えてくれる しかしそこかしこに吹き荒れる冷たい風と谷底にかかった薄い霧が高所恐怖症を隠すワーガルルモンの恐怖をガンガン掻き立てた 橋の半ばでルドモンとワーガルルモンが押し合いへし合いをしている最中、向こう岸に渡り切ったケンタルモンがふと、崖の上で何かが光ったように見え目を細める ヒュンッ カァァン 「「!?」」 ルドモンの立つ橋板に風切り音 そそり立つ細い木の枝のようなそれは金属の先端を軽々と突き立てて立ちはだかる ヒュン ヒュンヒュン ヒュッカカカカカッ 「「うわあああああああ矢!?矢がたくさんナンデェ!?」」 「トラップだ、早く橋を渡れ!」 もはや是非もなし、ここが高いところなどという甘っちょろい恐怖心は突如襲来した矢雨に上塗りされ命がけで走り出す ロープを掴む手元、足元、見る見るうちに橋が無残な針の筵へと変わっていき耐え切れなくなって真ん中からブチリと乾いた破壊音が反響した 「「どわああああ!」」 …が、間一髪獣の脚力でジャンプをかまし崖にしがみついたワーガルルモンWithルドモンが泣き言を叫びながらケンタルモンに引っ張り上げられた 「危ないところだったな。だがこれでは迂闊に退路を引くこともかなわないか……どうやらとんでもない場所に足を踏み入れてしまったようだな」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「…あ?何処だココ……うわペッペッ口ん中雑草まみれじゃねーか」 「あっ…やっと目覚ました。だ…大丈夫ですか?」 「うわっと、お姉さん誰だ?」 気絶同然の体たらくから目覚め、視界いっぱいにこちらを覗き込む彼女をとっさにお姉さんと言ってしまったが、よく見ると背は小柄で顔立ちもあどけなさが残る女性。しかしそのメリハリある豊かなスタイルをアクティブな薄着で着飾る姿はクロウの目には些か刺激が強かったため寝ぼけた脳にガツンと動揺がひとしお そんなことをいざ知らず、おずおずとしゃがみ込んで目線を合わせたまま久方ぶりに出会った人間相手に緊張ぎみに挨拶をかわす 「えっと、ルドモンくんに頼まれてきみを休ませてたの。はじめまして大神露穂大学2年生です」 「て、鉄塚クロウ高校2年っす」 「あ…やっぱり高校生なんだね、歳下の男の子と喋るの久しぶりかも……というか他のヒトと喋るのもかな?ずっとワー様としか居なかったからちょっと寂しくて」 「う、うっす…」 見かけによらず借りて来た猫のように大人しかったクロウの言動にほっと胸を撫で下ろし、やっといつものペースで言葉を吐き出せる 「そんなにかしこまらないで鉄塚くん、ワー様たちが山から戻るまで私がキミを見てるように言われただけだから、少しの間だけどよろしくね。さてと……私はお昼ご飯の準備しないと」 立ち上がる彼女の背後をよくみると、鍋や木の枝が作業途中のように雑然と転がっており1人でこの場を切り盛りしている様子 二、三度この小柄な女性とキャンプ地とを見やりクロウは唸る 「……寝てるのも申し訳ねえんで、キャンプの準備手伝います」 「ええっでも…」 「恩返し」 「うっ」 「させてください」 「ううっ…わ、わかった」 「(めちゃくちゃあっさり折れたな…なんか逆に申し訳ねえ)」 あまりに呆気なくこちらの提案に押された彼女に内心謝罪しつつクロウはふんばり立ち上がる。睡眠の質こそ最悪だろうが多少なりの元気は戻って来た この世界で命を拾ってもらった意義は、この旅に志半ばの彼にとってとても大きい。ならば感謝を示さねば申し訳が立たなかった 「じゃあ、まず焚き火のための薪を集めよっか」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「なんて事だ…まるで天然の城塞ではないか」 「クッソついてねえ!橋まで落ちて下手に後戻りできねえとか…」 「うわぁまた来たぞ!?」 ルドモンの悲鳴と共に前方の斜面から転がり落ちてくる落石トラップ。ケンタルモンが素早く遠距離から破砕しワーガルルモンがコンビネーションでそれを崖下へと殴りつけ退ける 山頂までの道すがらずっとこんな調子だ。絶対に侵入者コロすという意志を感じる 「あんなもんまともに来たらペチャンコにされちまうぞ…頂上はまだかよ」 出発前、マメモン老人に言われたことを思い出す この場所にあった城は彼のご先祖が建てた物でありそれを代々守ってきたが、その道中があまりに厳しく城も自然災害にで朽ちていつしかこの山だけが残された。そして今の所有者であるマメモンも自分の代で土地の放棄を決めたそうで、ワーガルルモンに渡すのもやぶさかでは無いという。 ただし、最後に頂上がどんなものだったかと確かめに行こうとしたらしいのだが…… 「口籠るのも当然か。まさか相当昔の侵入者迎撃用装置がこれほどまでに機能して、登頂する者を拒み続けていたとは…!」 何度目かの矢の雨をルドモンの技が悉く盾として弾き返し、その間に逃げるように駆け抜ける 落とし穴の底には剣山、坂を登れば岩か丸太、角を曲がれば槍が飛び出し、 「アッッッッツァァァァァ!?」 「火炎放射だー!?」 あげく火を吹くドラム缶のようなカラクリに追いかけ回される。人間のパートナーを連れて来ずに正解だったと遠回しに理解……彼等を守りながらでは命がいくつあっても足りない 「ハンティングキャノン!」 「た、助かるぜケンタルセンセー…」 「これではキリがないな。日没までに辿り着けるか…?」 見上げる頂は近いようで遠く歯がゆい 今頃残された彼らはどうしているだろうか ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「あっ、逃げられた…」 「ふん、一匹確保!」 川に素足を浸しながら手掴みで魚と攻防を繰り広げる2人。普段はワーガルルモガルの爪で楽々と獲り込める魚たちも露穂には強敵であり、するりするりと掌を抜けていってしまいあげく水飛沫を顔に受けぐぬぬ…と水面を見つめる横、不動の姿勢を見せていたクロウが動いた 「わぁ…鉄塚くんすごい」 「鍛えてるんで」 「さっきの薪割りもあっという間に終わっちゃったもん、やっぱり力持ちなんだね。スポーツしてたの?」 「いや…まぁ格闘といいますか…」 日がなケンカやってましたとか口が裂けても言えねぇー!と焦るクロウに小首を傾げるも、それより(勝手に家臣にされた身ではあるが)主人たるワーガルルモンよりも仕事を率先してくれて人間としても病み上がりながら筋力体力に優れた逞しい青年の登場は露穂にとってありがたさが何より優っていた 「さっき運ぶ時結構がっしりしてたから大変だったんだよ。すごいねー」 「ど、ども」 続けて食材確保のため河原へと足を運ぶ最中、滅多に交流が無い歳上の女性という存在に素直に褒められ続け慣れないむず痒さにクロウは小恥ずかしげに頭をかき話題を逸らし、またそんな彼女を何と呼べば失礼が無いかと歯切れ悪く敬称で呼ぶなどしてみる 「大神、さんは…なんでデジタルワールドに来たんすか」 「うーんひとりでキャンプしに来てたら、いつの間にかで……城が壊れて落ち込んでるワー様に出会って、成り行きで家臣にされちゃってお城建てるための土地探しとか手伝わされてて」 「ええ何か大変っすね…」 「そーなの。ワー様ったら───」 普通の人だ。彼女の話に耳を傾けて思ったのはまずそれだった。そしてなんて事のないキャンプの準備を共にこなしていく中でその人となりもわかってきた 自身のように苛烈な戦いの日々に身を置くわけでもなく、使命に突き動かされるわけでも無い。仲間たちのように戦うための武や知に突出して秀でたところがあるわけでも無い 本当に……ただこの世界に巻き込まれた等身大の大学生。普通の女性 久しく遠いガラスのように呆気なく壊れた日常のどこかににあったであろう平穏、そんな自分とは無縁だった穏やかなモノの塊のような人 それが妙に眩しく見えた 「…鉄塚くん?」 「あっ、いや何でもないっすよ露穂───」 しまったと口を塞ぐ。相手は年上だというのに安心感についいつも仲間たちと話すように名前で呼び捨てかけたため慌てて軌道修正 「───ねえさん」 いやさすがにそれは変じゃね?と口に出した後気づくが、彼女は手をポンと合わせて何やらその不用意な発言を噛み締めて目を輝かせているではないか 「露穂ねえさん…"お姉さん"かぁ。うんうん、やっぱりちょっといいかも」 「は、はは…そっちのが何か呼びやすいんで多分」 「うんっ。いいよ」 童顔かつ小柄な見た目ゆえに歳上として敬われる経験があまりなかった彼女には、歳下から姉貴分として親しみもらったというのが結果的にクリティカルだった 「露穂ねえさん…露穂お姉さん…ふふっ。よーしお姉さんも頑張ってお魚さんを獲らなきゃね」 「許された…」 「あっ」 「えっ」 浮かれ脚元の確認を怠った露穂が滑り 背後に倒れかけた彼女の全体重を片手で引っ張りながら平然と支えるその力強い指先に掌を預けたまま今度は露穂が惚けて固まっていた 「あ、ありがとう」 「気をつけてくださいよー"お姉さん"」 わざとらしくクロウが笑い、いいところを見せ損ねた露穂がすこしむくれて水を浴びせた 「いじわるな後輩君にはこうだー!」 「うわ冷てぇ!」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「雨…!?」 山の天気は移ろい、雲の中に没したと思しき山道は急激に灰色を帯びて雨粒を運んできた 「諸君、残念だが時間切れだ……日没だ。今夜は近くの岩場で朝を待つぞ」 「マジかよ…」 マメモン老人の話によれば、薬の材料となる植物の花弁は日が登る朝方の短時間のみに採取できる……早朝のアタックになるがギリギリ間に合うはずだった 「ワーガルルモン君の目的、この山頂の下見だけでも早めに果たさせて薬の材料を取る為私は元々こうするつもりだったのだがな…今のうちに英気を養うべきだ」 「チッ…ツユホのやつ、大丈夫か」 「クロウが守ってくれるさ。アイツはデジモンともケンカできるからな」 オイオイからかうのはよせよ、とワーガルルモンが鼻で笑いかけたがルドモンの顔つきにそれがマジそうなオーラを感じ二度見。ケンタルモンもまた冗談半分であってくれと医者として一体のデジモンとして首を振る 「ヘヘッすげーだろオレの相棒」 「俄かに信じがたいが……推奨はできんな。死んでしまうぞ?」 「アイツは死ねない、そんだけの理由がある。オレもそれに手を貸す覚悟をもって旅してる……だからオレも相棒もこんなところで倒れてる訳にはいかねーんだ」 「……へぇ、なかなか骨のありそうなヤツじゃねーかオマエら。どうだ、後でオレ様の家臣に加えてやってもいいんだぜ?」 「いやー、待たせてる仲間たちに怒られちゃうからやめとくよ」 「なんだ他にも旅してる仲間がいんのか」 「おう。みんな強えし頼りになるし、みんなといると楽しいからな!」 「ならしゃーねえな、ダチは大事にするモンだぜ。まぁ気が変わったらいつでも言いな」 「もし彼が怪我をした場合はすぐに診せるんだぞルドモン君」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ワーガルルモン達は日没までに戻らなかった 残りの食材で手早く食事を済ませ夜の支度をする。未だ体力が戻らない自身と戦う術を持たないか弱い女性、ヒト2人でこの夜を明かさねばならない ……そんな状況で運悪く野生のデジモンに襲われたのならば、などとは考えたくなかった 「鉄塚くん大丈夫……?」 「あぁヘーキっすよこれくらい。コーヒーも淹れてもらったし、大神さんの護衛できんのは今俺しかいねえんだ……寝てられるかってんだ」 不安げに覗き込む彼女にカラ元気を絞ってみるが、所詮はカラ元気だとバレているのか眉を顰めて口をむすっとさせている 「よし……私も起きてるから、2人でがんばろう鉄塚くん」 「えっ、いや別に…」 「大丈夫、きみよりお姉さんなんだから夜更かしくらいどうってことないんだから」 「くしゅんっ」 「……ははっ、そりゃ眠いよな」 数刻の時が過ぎて、船を漕ぎ掛けていたクロウを引き止めた小さなくしゃみ 隣を見やると毛布にくるまりながら少し震えて横になった露穂がいた。やはりというべきか日中それなりに動き回った彼女には夜更かしはキツかったのだろう そして雨足が強くなり気温を奪っていく深夜に彼女の薄着では心許ないのはクロウでも察せられる 「メーワクかもしれねえけど、すんません」 先に謝罪し、上着のYシャツとニットを毛布の上からそっと重ねて置く。風邪をひかぬよう少しばかりの足しになれば良いという配慮と、インナーのTシャツのみでこの寒さに身を預ければ少しは眠気に負けぬのではという細やかな抵抗だ 同時に火を絶やさぬように薪を数本焚べておく……彼にとって幸いだったのが、焚き火程度の炎を見る分にはあの日のトラウマが掘り起こされずに済んでいることだろう。あるいは心の中でまだ自制してられる範疇であるといったところか それでも木々爆ぜ耳を打つパチリと爆ぜる音は、まどろみに抗う彼の思考の中にあの災禍をどこか想起させる 「クソッ……寝ぼけてんじゃねーぞ俺」 改めて己に使命を突きつける 万が一の事態に露穂を庇えるのは己独りしかいないのだと。それすらできなければ……また『失うぞ』と脅す 「……秋月さん」 だめだ……行かないでくれ……死んじまう ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「ここが、山頂か…」 ススキが散らばった平地に沈みゆく巨大な月が見える。風がふわりと通り過ぎて急に空気が冷え込んだ 月明かりの真ん中にポツリと黒い陰が佇む 『───ほっほっほ。客人とはいつぶりかの』 「だ…誰だ!」 『余はトノサママメモン、この地を収める者なり。…主らは、何故この地に足を踏み入れたのだ』 この地の主人を名乗るデジモンの出現。だがあれほどの罠張り巡らされた陸の孤島ともいうべきこの場所でただ独り生きているデジモンがいる事に強烈な違和感を覚えた 唯ならぬ気配を感じたまま、穏便にケンタルモンが尋ねる 「"デジアサガオ"、薬の材料となるその植物がここにのみ生息すると聞いた……心当たりはないか」 『おおデジアサガオとな、余のとても好きな花よ。アレは月が消え朝日が満ちる時にのみに可憐な瑠璃の花びらを見せるのだ…主らの目的は理解した』 瞳を伏せ自慢げに頷くトノサママメモン。よく見ればその背後にススキとは別の植物を囲った場所があるではないか 「では、その背後にあるのがデジアサガオなのだな」 『左様、じゃが……いささか独り待ちぼうけも飽きたところでな。余興につきあってはくれぬか』 銀の光が翻り、風が駆け抜けた ワーガルルモンたちの背後でススキの地が裂け爆ぜる 「「「!?」」」 『生憎この花畑は、この地に"朽ちて"尚未練がましくも余の宝……ただの野党にくれてやれるほど余は寛大では無い。なればこそ強き志しを魅せ……余を倒した暁には褒美にデジアサガオを持ってゆくが良い』 「な、何言ってんだこの殿様は!?」 「朽ちた……えっまさか"幽霊"ッッ!?」 「いかん!」 ケンタルモンが咄嗟にトノサママメモンの正体を勘付き動揺するワーガルルモンたちをつき飛ばし、間一髪のところで真空刃から逃がれさせる それらは全てトノサママメモンがいつの間にか帯びていた古びた刀剣…見えざる抜刀術によるものだった 「なんつー剣戟だ…!」 「致し方あるまい…ハンティングキャノン!」 『ふむ…良い攻撃じゃ。だが届かぬぞ』 「ヌゥ!?」 ケンタルモンの必殺射撃が何も無い空間で容易く叩き落とされる。 「ヘッ…城も無くなっちまって尚こんな場所で花畑だけを守ってたってか。大層なお宝だな殿様よぉ!」 ワーガルルモンの言葉に、しかしトノサママメモンは頷く 『左様───争いがあった、災禍が降り注いだ、皆が苦しみ倒れた。城も無くなってしもうた。僅かな者を逃し最後に余に残されたのは、母から譲り受けたこの花畑のみじゃった。余は殿でありながら何も守れぬ弱き存在……なればこそ、最後に残された物を愛で見守る酔狂くらい通さねば』 トノサママメモンの言葉にルドモンがダブって見たのは…… 『男が廃るというものよ』 「……アンタ、幽霊だけどその意地っ張りなトコどっか似てるんだよな」 『ほほう?』 ルドモンの言葉に耳を傾け、しばし剣戟が止まる 「けど、オレも意地を見届けたいヤツと出会ったんだ。そのために戦うって決めた相棒を……デジアサガオで助けなきゃならない。だからまず小さな未来をアンタから勝ち取るよ」 『…良きかな』 「ワーガルルモン、オレを"使え"!」 ルドモンの雄叫びと共に成り替わる姿 無骨な円盤を重ね合わせた《漆黒の盾》がワーガルルモンの腕に備わる。そこへ向け放たれる抜刀……真空刃を、ルドモンの盾が真っ向から打ち砕いた 「ルドモン、お前すげーな…コイツがありゃ百人力だぜ!」 「勝つぞワーガルルモン!」 「私が援護する。トノサママメモンを討ち成仏させるんだ!」 ワーガルルモン、突撃 迎え撃つように金属を打ち鳴らす音が数度、暁の空を歪めて見えざる三日月を織り重ね放つ ケンタルモンの研ぎ澄ませた感覚がそれを察知し、射る そして人狼が大楯を振り抜き三日月をへし折り跳ぶ 『ほっほっほ…いざ参る』 「コイツで、成仏しやがれえええええーー!!」 ワーガルルモンが必殺"カイザーネイル"の力をルドモンの盾に相乗し、上空から解き放つ力任せの合わせ技 「「カイザー・ウォルレーキッッ!!」」 相対する抜刀された真剣が打ち鳴らされ、けたたましい金属音が闇を劈いた 『……見事』 デジアサガオの花壇の真ん中、砕けた切先を墓標の如く突き立たせてトノサママメモンが笑い……姿が掻き消える 「やった…のか?」 「オイあれ見ろよ!」 差し込んだ朝日が墓標を照らす 窄んだ花弁がゆっくりと首をもたげ、天を仰ぐ 幾十、幾百の瑠璃の色が滲んだ空の下満開となる 「……間違いないデジアサガオの花だ。タネを結んでいるものもある」 ケンタルモンが少し躊躇いながらも花を摘み取り静かに見つめる。かつて古の時代に潰えたと思われた花、そしてそれを長い間守り続けて来た亡霊。様々な想いが頭をよぎる 「感謝するトノサママメモン。アナタの守り抜いたものが……今日誰かを救うための糧となるのだ」 いくつかの花と種を仕舞い、花が再び眠りにつくまでの僅かな間彼等はそこに居た 今は無き孤城とその主人に安らかな眠りを祈って ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「……ッ、しまっ…!」 ぐらり。不意に眠りから覚めた視界の端で人影が倒れるのを見た。咄嗟に右手が伸び肩を掴む 「んっ、鉄塚くん……おはよう。あれっ……」 「な、なんで大神さんが俺の横に…ケガ無いっすか」 「う、うん。ぎゅーってされててちょっとびっくり……」 先程まで同じ毛布にくるまり肩を寄せて寝ていたのかぽやぽやとした眠たげな眼で見上げる露穂。クロウが跳び起きた際に倒れてしまいそうになったのを抱き寄せ止めたため彼の腕の中にいたまま、自分の現状と共に見上げた彼の目に浮かぶ涙を見つめて、今度は目を丸くしていた 「……すんません、俺」 言葉を詰まらせながら、見張りとして役割を果たせてない自らの不手際と露穂の無事への安堵と共にか細い声でクロウは謝罪する 「良かった……無事で良かった」 「鉄塚くんみたいな男の子でも、泣いちゃうくらい怖い夢って見るんだね……ずっと寝られないくらいに」 「……デジタルワールドに来てからずっと同じ夢を見てるんです、それで」 その内容など話せるはずもない。戦いに明け暮れ復讐の旅をゆく己とは正反対の、何も知らないただの優しい女性に告げるにはあまりにも躊躇われる記憶 「でもさっきまでお姉さんの肩でぐっすりだったよ。安心して私もまた眠っちゃった……あっ服借りちゃった、ちょっと恥ずかしいけどとっても温かいね」 そんな不器用な彼を咎めるでもなく、泣く意味を問いただすでもなく、むしろ感謝と毛布の上に掛けてあげていたクロウの服をキャミソールの上から着込んでいるのを自慢げに見せながら笑ってみせる露穂 その許しが心に沁み、重苦しい考えを涙と共に払ってみせる 「い、いい、ですよ……風邪ひかれたら困りますし」 「ありがと。じゃあお礼に……きみはもう少しゆっくり寝てていいよ。お姉さんがちゃーんと見張ってるから」 「えっ、ええっ!?」 「お姉さん命令です、さっきみたいにワー様たちが戻るまでちゃんとぐっすり寝てくださいっ」 毛布をポンポンと叩き二度寝を強要する。露穂の考えでは自らの側で眠れば彼も先程までのように悪夢に苛まれることなくじっくりと休息がとれそうなのだ しかし彼はどうにも困惑と未だ露穂のボディーガード代理としての使命感に揺らいで硬直していた 少し迷った後、毛布を脚元まではだけさせて露穂がじっとクロウを見つめる 「……それとも、ちょっと恥ずかしいけれど膝枕…しよっか?」 「いいえ大丈夫です起きます」 「いいの…?」 「恥ずかしいんで」 「……私だと嫌、だった?」 「お願いしまぁす!?」 少し意地悪な言い方をしてしまったようだ。それでも普段押しに弱いと人から言われる自身が、歳下の強そうで勝気な男の子をなんだかんだで言いくるめているというのは新鮮な気分だった 少しドヤりとしたいのを表情には出さず、膝の上にぎこちなく寝そべった彼に毛布をかけ直して、じんわりと温かい真っ赤な耳元にそっと囁く 「おやすみなさい鉄塚くん」 「は、はい…」 それから程なくして小さな寝息がやってきた 彼のバンダナをそっと解き、髪が顔にかからないように少し整えながら少し残った涙の跡を拭ってやる 「ぜぇ…ぜぇ…ツ、ツユホォー!?」 「あっワー様とルドモンくん、ケンタルモン先生も遅いよ!」 一晩留守にしてようやく帰還した彼らに露穂がむっとして呼びかけるが、何やら目を丸くしたままアワアワと震えているではないか 「かっ、かかかか彼シャツしたんか!?」 「うおーっ膝枕だァ!?」 「むっ…水入らずのところをすまない」 「うおあお鉄塚クロウきさまー!オレ様のなー!家臣のなー!」 「しーーーーっ鉄塚くんようやく寝られたんだからっ、ワー様たちうるさい!それもこれもワー様たちが遅くなったせいなんだからね?」 「「「アッハイスミマセン」」」 「……zzz」 「ほれ出来たぞ、先祖代々伝わるデジアサガオの香り袋じゃ。コイツの匂いを嗅げば安眠しやすくなるじゃろう」 「サンキューおじいさん!」 キャンプ地を後片付けしながら、再び現れたマメモン老人に手渡されたいくつかの報酬。そして久方ぶりに存分の睡眠を得られ完全復活したクロウには安眠用のアイテムが配られた 「崖の上はどうじゃった」 ルドモンとワーガルルモンが目配せをした後、頷きあって答える 「その花以外なんにも無かったぜ。しかも道がトラップだらけで骨折り損ってぇヤツよ」 「もう一度登るのは空でも飛べないことにはカンベンだなー」 「やはりそうだったか…すまなかったな」 「だが、景色は綺麗だったぜ。きっとご先祖様もあの景色と華に惚れてあそこに城を建てたんだろうよ……それを踏み荒らすのはオレ様の性に合わねえ。この土地はそっとしといてやんな」 「ほっほっほ、そう言ってくれるのならばご先祖様も浮かばれる。あらためて礼を言わせてくれ」 一連の城塞攻略と亡霊との対峙の様子はクロウと露穂にケンタルモンの口から告げられた。オバケと聞いたクロウはやや青ざめた様子だったが、デジアサガオとトノサママメモンの事を知るとそれらに感謝するように両手をバシッと合わせて黙祷してくれていた ケンタルモンとマメモンと別れ、森を抜けてやがて広がる一面の草原 そのはるか彼方にポツリと小さな施設が見えた 「ほんとにここまででいいの?」 「うっす、仲間の行き先はわかってるんで、ここからなら追いつけます。見送りありがとうございました露穂ねえさん」 「うん。鉄塚くんの旅が無事に……」 「露穂さん?」 「……無事に終わったら……終わってなくても、またお話しできたらなって、なんだか楽しかったからついそう思っちゃって」 「お、お……ああクソっスマホぶっ壊れてんだよ俺!」 「あっ……そっか、ごめんねワガママみたいに」 「ええと、ええと……あった紙とペン。番号ください、そしたら……キッチリ区切りつけたら、連絡するんで!」 「……ありがとう。嬉しいな」 「おっとオレ様の家臣にまたツバつける気かァ?」 「う、うるせーなそんなんじゃねーよ…」 「ワー様ちょっと黙ってて」 「ひどっ」 「はいっ電話番号とメアドもあげる。泣きたいくらいつらいことがあったらお姉さんにも相談するんだよ、後輩くん」 「う、うっす。…じゃあ!」 足取り軽く遠ざかっていく背中をじっと見送りながら小さなため息が零れる 「…私にも、あんなふうに一緒に旅してくれる人がいたらなぁ」 「あん?オレ様がいるだろ」 「そういうんじゃないんですー。さぁ行きましょ」 交わることのないそれぞれの旅路へとまた歩み始めた二人 またね。淡い再会の期待を胸にしまい、露穂は踵を返した