「アレ、どうしましたかシュヴァルツ。その荷物は」 BVの拠点の一室、長椅子に腰かけていたアスタモンがシュヴァルツに話しかける。視線の先のシュヴァルツは、何かの箱のように見えるフォルダを運んでいた。 「ボスから貰ったヤツだよー、招待状沢山貰ってきたって。置いといてもアレだし皆にも配ろうかなって」 「はァ、招待状だけでえらく重そうじゃねェですか。中身なんなんですそれ?誰から?」 もたれていた身体を起こして膝に掌を載せた。彼らのボス、ドゥフトモンがその手の招待を山ほど受け取ることが、アスタモンにとっては意外だったようだ。 「えっとねー、これ」 フォルダの中から一通のメールが解凍された。中身の添付ファイルを一回毒見してから開く。 「どれどれ、あの軍師サマのお友達というと……」 そこでアスタモンは黙りこくった。次いでシュヴァルツもファイルを裏返して中身を確認する。 「……ナニコレ?」 眼を黒点にして疑問符を大きく頭に浮かべながら、シュヴァルツが尋ねてきた。 「あ゛ーーー……はい、まァなんつゥか」 「こいつらァこれで本当にロイヤルナイツなんですよねェ……?頭痛くなってきましたよォ……」 項垂れるアスタモンの表情は、筆舌に尽くし難い。強いて言えばこの世全てのうんざり感を煮詰めたような顔を浮かべていた。 「あ、この人ボスの友達なんだ、美人〜。だから招待状いっぱい貰ってきたんだねぇ」 「いやァ違いますよシュヴァルツ。それはアレです、ボスと同レベルのアレなんですって」 「そうなんだ、友達なんだから同じレベルのアレなんだね」 はぁぁと大きなため息をついた。さて、この招待状どうしようか。 「せっかくだし遊びに行こうよアスタモン。皆も連れてさ、ボク、ボスと同レベルのお友達見に行きたい」 「いやいやいや……私ァあんまり気乗りしませんねェ。アレでもロイヤルナイツの一角ですから、見物気分で舐めてたら痛い目見ますよホント」 「大体、この指止まれして招集できるほど集まり良くないでしょォウチは」 「それもそうだよね……最後に揃ったのっていつだったっけ」 頭に非合法とか裏とか冠詞が付くが、彼らの属するBVも一応は仲間がいる。が、仲間がいることと仲間意識が十分に高いことはイコールではない。 「とりあえず転送するだけして見に回ろっか。えーとこれはアルナブに、これが李華ちゃん。これがタツミ師匠で……」 メールボックスを開き、シュヴァルツは知ってるアドレスにぽいぽいとメールを投げ込み始めた。 「後はリーダーかな。多分こういうの好きだと思うし来てくれるよね?」 「ちょっと待ちなさいよォシュヴァルツ。リーダーに送るのだけァダメです」 「え、でも……」 「来ちゃ困るんですって。こんなイベントでも一応ロイヤルナイツの手駒が他所のロイヤルナイツの縄張りの敷居跨ぐわけですからねェ。歩く不祥事が来たら全面戦争でしょうが」 手で遮るようにメールボックスを塞いだ。仮にアレが炎上したら、いや来た時点で炎上確定な気もするが、間違いなく相手側の尊厳を著しく侵害する事態になる。 ロイヤルナイツとは元々独自の正義を掲げる聖騎士の集まり。一度誇りを穢されれば仲間同士であっても容赦のない戦いが始まるし、それで得をするのは混沌の側の存在ばかりだ。 アスタモンも悪魔の貴公子と呼ばれて入るが、秩序とは影で手を結ぶウィンウィンの関係を維持したい。何より過剰な面倒ごとはストレスの下に…… 「……一通足りない」 「はい?」 アスタモンは思わず素面で聞き返した。 「フォルダの容量に対して一通分足りない。これ……リーダーもう手紙持って行ったんじゃ……」 再び、彼の表情は筆舌に尽くし難い。強いて言えば、やっぱりこの世全てのうんざり感を煮詰めたような顔を浮かべていた。 「……行きましょうかシュヴァルツ。酒……なるべく嫌なこと忘れられそうな酒置いてあると良いですねェ……」 「行っていいの!?やったーーー!!ボク早速支度してくるね!!」 パッと笑顔を浮かべて部屋―――電車の車両を改造した―――を飛び出したシュヴァルツを見送りもせず、どっと疲れの溜まったアスタモンは再び長椅子に座り、そのまま寝転んだ。 リアルワールド、6月、くらま霊能探偵事務所。 「りんねさん、デジタルワールドに来ませんか?」 その日は長閑の唐突な話から始まった。 「………んぁ?」 「デジタルワールドです。デジタルワールドとは一般に人がネットと呼ぶ電脳空間の更に向こうに広がる」 「いやわかってるわかってるわかってる。ナレーションいいから。え、何?急に?」 丁度寝起きだったりんねは、一瞬何を言われたのか分からなかった。え、デジタルワールドってアレだよね……ダメだあんまり知識がない。ナレーション聞けば良かった。 ただ、ある意味ではいつも目にしている。パソコンの画面の中に長閑がいて、ルガモンがいて、その向こうの背景がりんねのよく知るデジタルワールドだ。 で、そこに来ないか。と言われているわけだが…… 「なんじゃ長閑ちゃん。一緒に住まないかとかそういうアレかの?そういうのはワガハイにだな……!!」 「全然違う。ノドカもちゃんと説明しろ、イベントの誘いだ」 いつもの絡み方で飛び出してきたカブトシャコモンの将軍を、画面越しにルガモンがその柔らかい方の頭部を押さえつけた。 「はい、ええと……これになります。古い知り合いから送られてきました」 少し間をおいて、長閑はポスターのようなファイルを画面の前に広げて見せた。 『無料、入退場自由』『ご希望の方実際に挙式できます!』『6/14(FRI)〜』 『ロードナイト村』 そのような文字が書かれた青い紙、丁寧なことにQRコード付き。そして黄緑の髪を丸めた見目麗しい女性の姿と……ウエディングドレス。 そしてもっとも目立つ文字は、『BIG BRIDAL FAIR』 「……結婚式?」 若干怪しい英語力で、なんとかりんねは一番目立つ英語を翻訳してみせた。 「イエスです。このロードナイト村という場所で結婚式が開かれますので、その招待に」 「入退場自由はリアルワールド側も含む、どういうカラクリかはわからんがメールの中からデジタライズして入れるそうだ」 「いや、うん。それはデジタル技術の脅威ってやつで……ケッコン?」 その神聖な婚姻四文字で脳が空白と疑問符に埋め尽くされる。結婚、え、そんなまさか…… 「あ、結婚される方は複数いるそうですが私じゃないです」 「あっですよねーーー!」 ふーやれやれ、とりんねは背もたれに体重をかけた。まさか本当にデジタルの脅威で遥かに速くに先着されるのかと。 「いやー、でもなー。めでたいことだと思うけど、そんな他人様の式にあたしなんかが勝手に来ちゃっていいわけ?正直そういうの勝手がよくわからないというか……」 それはそれとして。長閑の誘い自体は乗りたいと一瞬考えたが、りんねの頭には再び迷いが生じた。 世代というべきか、彼女の知識常識には『みんなで野外で集まって盛大に祝う結婚式』というのがなじみが無かった。漫画アニメではよく見たが、 リアルな婚姻となると式場の中で美しくも厳かに行うものか、あるいは神前式か……りんねとしては後者の方のイメージが強い。 そこに入退場自由ですと誰もが入れると言われても、どういう気分で入ったものか。まだ16歳の彼女は大人の儀式の多くを知らない。まだ見ぬ新郎新婦への遠慮もあれば、今回ばかりは見送りを――― 「それと村には様々な設営物があり、スナック店や飲食店売店など開かれます。招待状持ちは6月にちなみ全店6割引きが適用されて」 「ハイハイハイ行きます!要するにお祭りねお祭りそれならあたしできますことよ!」 「ヨシ決まりであるな!いや〜ディノの字が最近しきりにウエディングドレス推しておったがこれは実際に眼に焼き付けなければならんのう!」 お祭り。そうだ忘れてた、FAIRはお祭りのことだった。祭りだったら採算度外視、祭りだったら無礼講。えっしかも6割引?赤ちゃんもびっくり! 御祝儀には侘しさを包んで、盛大に祝って楽しんでいこうではないか。ありがとう知らない新婦、ゴチになります知らない新郎。 片や子供めいた理由で、片や下世話な理由で急にはしゃぎだした二人を見て、ルガモンは小さくため息をついたが、長閑はにこりと笑ってみせた。 「決まりです、ね。それでは早速開きます」 「えっ?」 「今日が開催当日ですので。急ぎましょう」 その言葉を飲み込む前に、パソコンの画面から白い門が開かれた。 落ちる。 落ちる。 落ちる。 落ちる。 落ちる。 落ちる。 六つの幕を超えて、だだ広い空と荒野に向かって。 「っっっるっぇぇえぇぇぇええええぇぇぇ!!?」 デジタルゲートを潜ったら……というより有無を言わさず呑み込まれたら、そこには荒野ばかりがあった。聞いていた話と違う。 位置はたぶん遥か高空。突風の強さに涎が垂れる。何故か重力はリアル。このままでは地面とリアリティなショックで即お達者。 だが、左手には殻にこもった将軍の硬い感触。もう片手には、柔らかな感触。 「案内します、このまま物理レイヤーを通り抜ければ直行です」 強風の中に桃色の髪が揺れる。しかし表情はいつも通り乱れない長閑の姿があった。その手の柔らかさと暖かさを、久しぶりに味わった気がする。 その光景に少し浮遊感がミックスされ始めた途端、下の方からの光に視線が逸れていった。 「また門だ……!」 「最後のレイヤー層の窓です。あれを抜ければ……」 スカイダイビングの要領で風を掴む長閑の手に引かれて、地面に沸いた光の中に飛び込んでいく。減速どうすんの?と頭をよぎった想像に、りんねは少し腹の奥がきゅっと持ち上がった。 が、 風にやさしくキャッチされたように速度が落ちる。光に瞑れた視界が少しずつ回復していくと――― 「うわ、わ……!」 「ここからが、本当のデジタルワールドです」 島と海……いや、空と世界。様々な色彩の空間が無数に浮かび、その先に遥かな大空が覗く。 これがデジタルワールド―――だと長閑は言うが、一体どこからどこへだとか、詳細な説明は頭に入ってこない。 ただ、鮮やかで、果てしない天上楽土。そのようなフレーズが脳裏を走り、眼前のスケールにすっと風が胸を開くような感覚を覚えた。 そして、長閑がその小世界の一つを指し示す。崖に囲まれたような小さな村落。なのに、中にある設営物と人々の活気までが目に見え、その規模を何倍にも大きく感じさせた。 「あそこがロードナイト村。結婚式の会場になります」 「うん……長閑ちゃん、今更だけど聞いて良い?」 「はい、どうぞ」 「ロードナイト村……って、何?」 今更である。 今更だけど、 なんだその名前。