晴天に白い花弁が舞う。揺蕩う風が胸を持ち上げる。 埋め尽くす人々の歓声が祝福を歌う。海のように切り分けらた道を進む。 陽光が照らす白い衣が輝いて、花嫁を光纏う天使に変えた。 新郎新婦の姿が教会へと歩みを進め、ロードナイト村のブライダル祭は最高潮に達していた。 「いや〜、凄かったねえ長閑ちゃん。あたしもこういうの見るの初めてだったけど、やっぱ迫力違うわ……長閑ちゃん?」 「…………」 「長閑ちゃーん?」 「っ!?……あ、すみません、りんねさん。本当に綺麗だったので、つい夢中になっていました」 そして、結婚式の迫力に圧倒されていた少女が二人。りんねは現場では言葉を失い、新郎新婦の姿をただ目で追うばかり。 長閑に至っては完全に心が引き込まれていたようで、両手で口元を覆った姿勢のまま硬直し、りんねに突かれるまで余韻から戻らず浸り続けていた。 「えひめくんの言っていた、幸せを掴む、という言葉を思い返していました。きっと、これが」 「幸せ……?そういえば言ってたかな?ところでえひめくんは?」 「見ていません。式は愛媛県内で挙げるのかもしれませんが……!」 辺りを見回して、ロードナイト村に聳え立つ時計塔が目に留まった。それを見た長閑がはっと眼を見開く。 「すみません!もうバイトの時間ですので行かなければ!!」 「あっ長閑ちゃん!?」 ぴゅーっと脱兎する長閑に手を伸ばしながらも、りんねはその場に留まるしかなかった。 「でさ、幸せってなんだと思う?」 「どうしてそれを俺に聞くんだ俺に」 崖の方角が騒がしくなってきた頃。あちこちを食べまわった後のシメに再びラーメンを啜りながら、りんねが語りかけてきた相手はルガモンであった。 将軍もまた「ディノの字とブシの字と一緒にウェディングドレス品評会がワガハイを待っている!」と飛び出していったため、留守番同士の組み合わせとなった。 「だって、さ。あたしもまだ結婚って歳じゃないし、母は死に父は長期入院、将軍はキャバクラに身をやつしてあのザマだから……他に話す相手もいないし」 「それは、すまなかったな……ん?つまり俺は返答を求められない犬猫の役割か?」 ルガモンが少し頭を下げたが、自分が取り留めのない話の相手に使われていることに少し眉を顰めた。 「まあ、実際。俺たちデジモンには結婚なんて文化はなかった。愛を語るデジモンなんてものも存在するが、そういう性質はデジタルの海を漂う情報から発生するもの」 人とデジモンの大きな違いの一つが、一般にデジモンは死と共にデジタマを残す単為生殖という点だ。彼らは情報として愛と結婚を知っても、それを実践する生態を持たない。 「それでも、いや、だからこそか。婚姻を幸せに感じられるのは、良いものは良い。というだけの話じゃないのか」 「それがドレスで着飾って、周りも祝うのなら尚更だ。人は人同士で次代を形成するのだから、遺伝子がそれを好いものと覚えているのだろう」 「最近は結婚しない人も結構いるけどね。あとおんなじ性別のカップルとか」 「多様性の許容と既存の価値観の置き換えは違う。新しい選択肢が生まれても、元々あった普遍的な価値観が消えるものではない」 ふーん、とルガモンの講釈に耳を傾ける。自分にとっては単に物珍しさや、華やかさに目を奪われていただけだったかもしれないが、 長閑の顔が脳裏に思い浮かんだ。いつも仏頂面といっても差し支えない硬い表情の彼女が見せた、花嫁の姿に夢中になっていた表情。 自分が知らないだけで、彼女の内面はまた少し少女に近かったのかもしれない。 いや、別にあたしも枯れてませんことよ?と、りんねは軽く頭を振って想像をかき消した。咄嗟に話題を切り替えようとして、 「そういえば、ルガモンは結婚とか考えたことある?」 「……急に何の話だ」 咄嗟になんか口走ってしまった。 「!……あー、いやさ?デジモンだから結婚の見方が違うって言ってたから。仮に、仮にそのルガモンが人間だったらって想定でね!?どうなるかなーって」 ノープランで切り出した話題を制御しようと焦って言葉を繋げる。これが無意識に出てくるあたり、りんねは脳内色恋沙汰をすぐに振り払える年齢ではなかったらしい。 「俺が人間だったら、か?ふむ……」 考え始めたルガモンから目を逸らす。他意はない、ただ長閑のそういった憧れのことを考えていたら、つい、彼女に相手がいたらどんな男性なのかを考えて、 そこで不意に思考が結びついてしまった。普段は一緒にいて、長年の付き合いだという青い仔犬型デジモンの姿。その、ひょっとして、 「無いな」 さいですか。 「俺に結婚は考えられん。資産の殆どを掌握されて住居に居場所のない生活は、俺には割に合わん。それも選択肢の一つだ」 それはそれで情報偏ってないか?そうりんねは考えたが言わないことにした。つまり彼は自由を愛すると、そういう格好いい風に纏めておこう。 話をしていたらラーメンの麺は粗方消費され、残ったスープの器をぐっと傾けた。 「ご馳走様、さてと。将軍はまだ帰ってこないし、どうしよっかな」 「そういえば、お前はバイトじゃなかったのか、リンネ。ここは金入りが結構良いのだが」 「まぁ今回はお祭りに来たわけだし……ところで長閑ちゃんのバイトって何だったの?」 「ウェディングドレスの貸し出しと撮影、だったか。場所はあっちだ。お前も行くか?」 ルガモンがナビを展開して、りんねへと投げ渡した。 ―――着せる側なんだ。 そう思ってしまったから、りんねは現場に足を運ぶことにした。 「すみません今度は楓乃の方が花嫁役でもう一枚お願いします。ドレスはこっちで……ってあれ?なにこれ……?」 「っ……!!少し待ってくれ雪奈!ゴブリモンにお灸を据えてくる……!」 「了解しました、次の予約に回ります。あと乱闘はお控えください」 「ごめんください!もう一度タキシードを貸してくれますか?あとこれリボンどうやって外すのクラースナヤ!?」 「それは私の管轄外ですシュヴァルツ。サクラコさんお願いします」 ウェディングドレス試着会場の舞台裏では、慌ただしくドレスが取り出されては参加者に合わせてフィッティング、着付けと撮影の作業が繰り返されていた。 実際のそれに比べてフィッティングは簡易的なものだが、撮影場所の選定と移動も含めると一人当たりの時間はそれなりにかかる。 ちょうど長閑のシフトが入った頃、正確には大広場での結婚式が行われた後、ドレスに憧れる乙女たちで試着場はごった返しを始めていた。 「どもども〜っ。くらま霊能……じゃない、お手伝いに来ました鞍馬です〜っ」 「!?……り、りんねさん。どうしてここに?」 「いやいやね、お祭りも一通り回って暇してたから、こっちが忙しいなら手伝おうかなって……べ、別にバイト代欲しいとかじゃ」 想定外の来客、ならぬ来アシスタントに驚きを見せる長閑。それに対して殊勝な態度を示そうとしたりんねだったが、思わずバイト代のことが思考に挟まった。あわよくば。 「バイト代は出ませんよ」 さいですか。 「けど、ありがとう、ございます。それではこちらを運んでください」 「了解了解、霊能探偵事務所仕込みの仕事ぶりをご覧あれ〜。なんでだろうね……」 こういう雑事は、悲しいことに普段から慣れっこである。手際よく仕事を進めるりんねの助けで、想定よりも来客の捌きは加速していった。 「それでは本日はありがとうございます。またいつかお会いしましょうね」 「はい、いつかまた」 終業。共にバイトに勤しんでいたサクラコが礼儀正しく頭を下げて去っていくと、試着会場の作業部屋に残るのは長閑とりんねの二人だけとなった。 後の片づけは村の運営によって行われる手筈なので、二人はこのまま帰宅するだけでいい。だが、 「あのさ」 「最後に、ドレス着てみない?長閑ちゃん。あたしも一緒にさ」 りんねの提案に、長閑は眼を丸くしてこちらを見てきた。 最初からりんねはそう考えて、長閑のバイトに参加していた。バイト代が欲しかったのはそのついでの2割、いや3割の欲でしかない。幸いにもバイト代は出た。 多分、長閑はこのままだと今日はドレスを着ないかもしれないと思ったから。他に必要な人がいたら遠慮して譲ってしまうし、それを手伝ってしまうだろうと思ったから。 勿論今後はどうなるかわからない。いつかの日には"本番"がやってくるかもしれない。でも、すぐに着れないともったいないでしょ? 「あの」 「本当に、いいんでしょうか……?」 「勿論!それに、あたしもちょっと着てみたいしさ」 屈託なく笑顔を浮かべる。自分が着ると言ったら、多分付き合いで長閑も着ようと思うだろう、という考えもあった。それは狡いだろうか。いいや、このぐらい強引に引っ張ってあげた方が良い。 「ですが……着ると婚期が遅れる。という深刻なバグがあると聞いたことがあります」 「いーからいーから!明日の婚期もわからない!でしょ!?」 ……一瞬不安になったが大丈夫だ。多分、デジタルだし。そう言い聞かせて押し切った。大丈夫だよね? お互いにドレスを選び、いざお互いの身体を触れながらだとぎこちない着付けに苦戦しながら、やっとの思いで外に出るとどっぷりと深夜に入っていた。 ロードナイト村は尚も街灯りと星灯りに照らされて、夜の青の中で揺蕩う光が幻想的な光景を作り上げている。 「どう?何かヘンだったりしない?」 「いいえ、着付けは完璧です。綺麗ですよ、りんねさん」 「おおう面と向かって言われると恥ずかしいですな……あ、お腹周りのアレはアレよ?ちょっとラーメン食べ過ぎただけだから普段の値じゃないからね?」 「ふふ、そういうことにしておきます」 長閑はフォーマルなウェディングドレスを、りんねは神前式の白無垢を身に纏うことにした。どちらもアレンジは抑えられており、二人の乙女は仮想上の花嫁に姿を変えている。 いつかは、二人とも本当の意味でこの服を着ることになるのだろう。その実感を強く感じさせた。 「んじゃぁ早速撮ろっか。……長閑ちゃんこれスイッチは?あのアレ、こっちで押したらカメラが動く奴」 場所は大噴水の前。カメラの設置までは完了したが、そこでりんねはカメラのシャッターを切るボタンを遠隔で押せないことに気が付いた。 「リモートは実装されていませんね。今回のバイトでは想定されていなかったので……タイマーはありますので、りんねさんが押してからこっちに戻ってきてください?」 「え゛、走るの!?」 「私はドレスなので速く動けません。タイマーが切れる前にお願いします」 「私の方が動きづらくないこれ!?まぁいいや……」 自分の方は多少ブレても仕方がない。そう割り切って、まずはフレームの左側に長閑が入るように調節する。後はタイマーを10秒ぐらいでセットして…… 間違えてボタンを押した。タイマーは残り3秒。 「あ、ヤバっ……!」 慌てて駆け出し、長閑の元へと急ぐ。しかし不幸は重なり、慣れない衣装で急に走り出したりんねは足元の段差に気が付かなかった。 躓く。その勢いのまま長閑の元へ、そしてシャッターが切られた。 噴水の水しぶきがフラッシュの光を反射し、二人を明るく照らし出す。 コケるりんねを長閑が胸で受け止め、ドレスと白無垢が風を受けて広がる。長閑はいつもの表情より少し驚いたようで、りんねは大きく口を開けてギリギリのところでカメラに視線を向けた。 その流れるような一瞬が写真に収められた。まるで、二人で踊っているかのような姿が。 一瞬は過ぎ、重力に負けた二人はそのまま地面に転がった。 即座に謝ったりんねに対して長閑の含み笑いが返ってきて、やがて笑い声は二人のものになった。