「――というわけで、あなたを暗殺する話が出ています」 のどかな昼下がり。行き交う人々は午前の仕事を終えて昼食にありつこうと早足となり、あるいは休日を満喫する人々が町中をゆったりと闊歩していた。 そんな喧騒のなかでは、いかに物騒な話をしようと気にする人間などいない。 例えそれが黒スーツにサングラスを付けた暗殺者――名無鬼であろうと。 「やっとか。予想より動きが遅かったな」 「……知っていたんですか」 「こそこそ嗅ぎ回っている奴らがいた。大方、今BVに雇われているのが癇に障ったのだろう」 情報を流した少女、三津門伽耶は苦い顔を隠さなかった。 現在FE社に在籍しつつ、自身の目的のために名無鬼と個人的な契約を結んでいる彼女には、莫大な依頼料を抱えさせられていた。 暗殺計画を流したことがバレればFE社からどのような処分が下るかわからない。 しかし、その時はこの男を利用して会社ごと潰せばいいと考えた彼女は、依頼料の減額目当てでこうして接触を図っていたのだが、彼はそれを予期していたようだ。 「で、相手は?」 名無鬼は端末に金額を入力し、伽耶に見せる。 依頼料に対しては雀の涙程度だが、それでも情報料としては十分な金額だ。 こういう時の話の早さは助かると同時に、金に執着する割には使う時は躊躇せず盛大に使うのかと伽耶は思った。 「『金行』のファントモンと永須芽亜里です」 「あー、やろー目当てのあの殺人鬼ですか」 名無鬼の傍らでサンドイッチを頬張っていたシスターの装いをしたデジモン――シスタモンノワールが、伽耶が見せた端末に表示されたデータを覗く。 永須芽亜里。近頃男性目当ての不可解な殺人が連続しており、その犯人と目されている存在。 彼女の正体はFE社に所属する殺人鬼であり、その犯行の一部には会社のバックアップがあった。 それ故に警察も足取りを掴めておらず、現在メアリーという名で指名手配中の身だ。 「ゲオルグじゃないのか」 「あなたなんて彼女で十分ということでは?」 伽耶は皮肉をぶつける。とはいえ、FE社戦闘部門最強と目される『火行』ゲオルグ・D・クルーガーを充てない時点で、会社がこの任務にどの程度本気かは窺い知ることができた。 連続殺人鬼とは言え奇襲専門、それも一般人相手のそれが、裏社会に名を馳せる傭兵に敵うとは思えない。そのことは伽耶自身が身を以って知っている。 要するに殺れたら殺れ。期待はしていない。捨て駒。そんな言葉が伽耶の脳裏に浮かんだ。 知らぬは当人ばかりなり、と同僚に僅かながらに同情してしまった。 「ししょー、嘗められてますよ」 「構わん。あいつが来ると出費が嵩む。安く済ませられるならそれでいい」 仮にも命を狙われているというのに、名無鬼の言葉は買い物の出費をどう抑えるか考えているような気楽さだ。 話は終わりとばかりに伽耶は踵を返し、手を振って別れを告げる。 「それでは、生きていたらまた会いましょう」 ―――――――――――― 「それで作戦はどうします?」 拠点である廃ビルに戻ってきたノワールが尋ねる。 机の上には周辺の地形を細かく記し、様々な書き込みがされた地図が広げられていた。 「やっぱりいつも通りトラップでドカーンですか?」 「いや、奴らは透視用の装備を持っている。トラップは見抜かれるだろう」 「じゃあどうするんです?私がファントモンを引き付けてる間に殺っちゃいます?」 「いや、今回は殺さず済ます」 えー、とノワールが抗議の声を上げた。 「ししょ―、最近キル数減ってないですか?」 「この国は人が死ぬと五月蠅いからな。処理にも金がかかる」 「そーですかー……」 ぶーぶーとノワールが不満を垂れる。普段命を狙いに来た相手には因果応報を以って応えていた。 そうしなければいつまで経っても命を狙う輩に付きまとわれる。 しかし、名無鬼には今回別の目的があったのだ。 不満げなパートナーに気にも留めず、作戦を伝える。 「敵はこちらの情報を知った上で仕掛けてくる。その裏をかく」 「というと?」 名無鬼が説明する。 敵はビル内に何か仕掛けてあると考え慎重に行動する。恐らくはファントモンを侵入させ、芽亜里当人は外から透視装備で中の様子を伺ってくるだろう。 そのためこちらはビル内を空にし、あえてトラップも仕掛けず遠方から様子を伺い狙撃する。そういう作戦を立てた。 「二人一緒に行動する可能性は?」 「なくはない。が、その可能性は低いと見ている。奴の手口はハニートラップからの不意打ちだ。デジモンとの同時行動は目立つリスクのほうが大きい。万が一の時に備えてビルごと吹っ飛ばす準備はしておくが、その手を使うことはないだろう」 「わーお」 ゲオルグのようにデジモンとも渡り合える人間の存在は承知している。しかし、伽耶から知らされた情報と、裏で流れている芽亜里の経歴から、彼女はその類の人間ではないことはアタリが付いていた。 名無鬼は地図を俯瞰し、敵がどこに構えるかの地点にピンを立てる。 このビル全体を把握できる地点をいくつかピックアップし、どこからそこを狙撃できるかを吟味する。 その動きには無駄がない。少々の熟慮の末、地図には一点のピンと2か所の書き込みが示されていた。 「よし、仕事を始めるぞ」 「はーい」 その言葉と共に、部屋の中にあった僅かな荷物を鞄の中に押し込む。 その鞄も名無鬼が持つバイタルブレスに吸い込まれ、数刻後にはこの部屋に人がいた痕跡は全く残っていなかった。 ―――――――――――――― 「こちらメアリー。目標地点に到着。そちらはどう、ファントモン」 『こちらファントモン。同じく目標地点に到着。作戦に問題はないよ、メアリー』 夜。目標が潜伏しているであろう廃ビルを俯瞰できる場所で永須芽亜里はパートナーとの通信を繋いだ。その面持ちはまさしく決死隊である。 作戦内容は『名も無き鬼』の暗殺。簡単な話ではない。 相手は明らかに自分より格上。恐らく奇襲が失敗した時点でこちらの命はないだろう。 作戦前にゲオルグからさんざん脅しのような激励を聞かされたが、やはり聞かなければよかったと今更ながらに後悔した。 とはいえ話を聞いていても聞かなくても作戦は行わなければならない。 故に今日は慎重に慎重を重ねて行動する。ここで死ぬつもりなど毛頭ない。 芽亜里は相棒と作戦内容を再度確認し、互いの健闘を祈った。 「それじゃあ、作戦開始。明日の朝日を無事に拝むために」 作戦開始を告げる。芽亜里はファントモンの持つ眼球水晶を加工した伊達メガネを装着し、ファントモンは屋上に飛び上がった。 眼鏡が持つ透視と望遠機能で建物全体を俯瞰する。 今のところ怪しい動きはない。 内部へと侵入したファントモンは、恐る恐る内部を進んだ。 『確か相手はトラップを仕掛けるんだよね。見落とさないようにしないと』 薄暗い室内は電気が通っておらず、辺りは荷物が乱雑に散らかっており、内部の暗闇は一寸先すらも覆い隠している。 とはいえこの暗さはファントモンにとっては苦ではない。ゴースト型デジモンである彼にとって暗闇とは日常だ。 問題はこの散らばった荷物に紛れているであろうトラップである。 名無鬼の使用する装備はデジモンといえど有効打を与えられるという報告を受けている。 地雷か爆弾か、あるいはそれに類するものか。警報装置の類だろうと見落とせば侵入を感づかれてしまう。 メアリーの持つ眼鏡ならば見つけることは容易だろうが、それは奇襲の成功率を下げる悪手と判断し、こうして別行動を取った。 この奇襲作戦が感づかれているとは思いたくないが、念には念を入れ、辺りを警戒しながら、死神は牛歩の速度で目標を探った。 それが疑心暗鬼という檻であることも知らずに。 「んー……?」 芽亜里は内部の様子を観察しながら、あまりの動きのなさを訝しんだ。 既に作戦開始から1時間が経過している。 成功にしても失敗にしても、そろそろ何かしらの動きがあってしかるべきだが、その様子は一向に訪れない。 気になってファントモンとの通信を繋ぐ。 「……ファントモン、状況は?」 『異常なし。異常なほどにね。本当に目標はここにいるのぉ?』 「調査部門を信用する限り、間違いなく」 そう、調査部門を信用する限りは、である。 この時間ここに目標がいることを確信したからこうして出向いているのだ。 この世界に身を置いて1年ほどになるが、それでも自分はまだまだ素人の域を出ない。 であるのならプロの調査に従い作戦を続行するべきだろう。 「……ん?」 『どうしたのメアリー?』 「今、なにか……」 光ったような、と思った時には、手に衝撃が走り、FEpHoneを取り落とし、そして自分の判断が間違っていたことを悟った。 ―――――――――― 「気温よーし。湿度よーし。風向きよーし。目標よーし。いつでも行けますよ」 少し時間を戻す。 予定地点の高層ビル上で狙撃体勢を取っていたノワールは、流れるように自身の師に報告していた。 狙撃銃に備えられたスコープにはすでに目標の姿が捉えられている。事前に立てた予想地点にのこのこ敵が現れたときには拍子抜けしてしまいそうになった。 『そのまま待て。少し様子を見る』 「はーい」 名無鬼自身は別の狙撃ポイントで待機している。 バイタルブレスによるパートナーと直接会話できる能力が二人の連携をより密接なものにしていた。 スコープ越しに目標を視認する。 見たところやたら胸のでかい女子大生くらいの年頃のようだ。眼鏡を掛けており、顔立ちはノワールから見ても可愛いと言っていい。こんな形でなければあのデカチチをどうやって育てたのか聞いておきたかったが、それは叶わぬ夢であろう。 『……やはり素人だな』 「ですね。時間かけすぎです」 トラップを警戒してのことだろうが、内部の走査に時間をかけすぎている。 あれでは例え自分たちが目標でなくとも侵入を感づかれて逃げられてしまうだろう。 作戦も敵地にわざわざ乗り込むよりは、移動中を奇襲していたほうがまだ成功の目があったはずである。 名無鬼は概ねそんな評価を下した。 『敵の力量は把握した。決めるぞ』 「了解」 ノワールが宣言し、心身を狙撃体勢に移行する。 銃口と目標との間は約1km。ノワールにとってはぴったりと銃口を付けているにも等しい。 心を無にし、全身を大地と同化させる。 呼吸を静止させ、スコープのレティクルを目標に合わせる。 銃口をブレさせるような余分な力を全身から排除し、トリガーをゆっくり引き絞った。 ――パァンッ 乾いた音と共に銃口から弾丸が撃ちだされる。 正確無比な射撃は銃弾を目標地点まで飛翔させ、対象の手に持つ通信端末を弾き飛ばした。 相手は未だにこちらが狙っていることに気づいたのか両手を上げ、壁を背にする。 撃とうと思えば撃てたが、ししょーには何か思惑があるのかそれをゆっくりと見送る。 目標は足元に落ちた通信端末をゆっくり拾い上げると、どこかに連絡するような仕草をした。 やがてビルからファントモンが出るのを確認すると、手を上げたままゆっくりとその場を移動する。 どうやら撤退したようだった。 ―――――――――――――― 「終わりましたねししょー。銃弾一発で済むなんて安い出費です!」 バイタルブレスによる召喚で移動してきたノワールが声をかける。 名無鬼は既に銃を片付け、すぐにでも移動できる準備を整えていた。 「どうします?一応追いかけますか?」 「いや、いい。鼠一匹見逃して獅子を仕留められるならその方が利が大きい。それに命を狙われたんだ。ドゥフトモンからの依頼料を引き上げても文句は言われんだろう」 「……それだけじゃないんですよね?」 「……こちらの実力を示し、相手を生かして返した。FE社に恩を売っておくのも悪くない」 「悪い人ですね〜ドゥフトモンが怒っても知りませんよ?でもそういうところも大好きです!」 師の考えに合点がいき、にししと黒猫が笑う。 夜のビル風に靡かれる男の顔は、いつも通り何の感情も窺い知ることはできなかった。 ―――――――――――――― 「で、そんな理由で生かして返したんですか?」 翌日、芽亜里が生きて帰ってきたことを顔に出さずに驚愕した伽耶は、事情を問い質すために再び二人のもとを訪れていた。 しかしそこに当人の姿はなく、キッチンカーで買ってきたであろうクレープに舌鼓を打つノワールのみがいる。 デジモンを一人で出歩かせるのかと伽耶は思ったが、ノワールの容姿ならそういうコスプレをした少女としか思われないということなのだろう。 街とは良くも悪くも他人に無関心な人間の集まりだ。 「ししょーの考えてることは私もよく分かんないです。ま、相手さんの今回の仕事くらいの本気度じゃないですか?」 わざわざ殺しに来るくらいなら金を払って味方に引き入れに来い。 永須芽亜里を生きて返したのは、彼からのそんなメッセージだった。 はたしてFE社がどのように受け取るかは分からないが、それは現在彼の雇い主であるBVへの背信行為でもある。 こんな敵を増やすような生き方をよく今まで続けてこれたものだと、呆れを通り越してもはや感心すら覚えた。 「ああ、あなたとの依頼は完遂するまで裏切るつもりはないですから安心してくださいね。BVとは作戦の度に都度都度契約しているだけで専属ではないですし。というかししょー裏切りには厳しいですから」 「……そうですか」 心でも読めるのだろうか。普段おちゃらけているようでこのデジモンも侮れないと伽耶は思った。 「まあ、今のところFE社はあなたたちを重点ターゲットから外しました。今後は狙いに来るとしてもゲオルグさんが個人的にだと思いますよ」 ――私やタツミさんもですが。とまでは口にしなかった。 それを聞いたノワールは、あの暑苦しいオヤジの姿を想像して辟易した。 「げぇ……あのおっさん相手にするの疲れるんですよね……」 「仮にもウチの最高戦力相手にその物言いですか。殺されるとは思わないんですか?」 「お互い今生きてるのがその証拠ですよ。何回戦り合ったと思ってるんですか?」 (知らないわよ) とはいえ、彼女の物言いが真実ならばFE社がどのように動くか予想が付かない。 ゲオルグ並みの戦力を本当に抱き込むのか、あるいはいずれ業を煮やして今度こそ本気で排除するのか。 どちらにしても自分はその状況を利用するだけだ。全てはいなくなった姉の手がかりを掴むために。 呑気にクレープを頬張るノワールを見つめながら、少女は決意を新たにしていた。 「あ、ししょーから伝言です。『ゲオルグによろしく言っておけ』だそうです」 「……言いませんよ。私とあなたたちとの繋がりがバレます」 「分かってますよ。言ってみただけです」 こいつら……と伽耶は今度こそ呆れかえるのだった。 ―――――――――――――― 生きているって素晴らしい。そんなことを考えながら、芽亜里は駅のホームで電車を待っていた。 昨夜は散々だった。ミッションインポッシブルな作戦に突っ込まれ、案の定敵の手のひらの上で転がされるだけに終わった。 こうして生きているのはきっと奇跡だ。この幸運を噛み締めて今日も生きていこう。 作戦の失敗はファントモンが絞られてくれているし、自分はリフレッシュしようとこうして街中を出歩くことにした。 昨夜殺しそびれたことでフラストレーションが溜まっている。今日の目的は『個人的趣味嗜好』のための下準備だ。 あえて男受けしそうな服に身を包み、気弱な女子大生を装う。そうすれば不埒な考えを持つ男は自分にちょっかいをかけてくる。これまで何度となく繰り返してきたことだ。掛かった獲物と関係を持ち、あとはじっくりとその日が来るのを楽しみに待つのだ。 その日のことを考えると、誕生日を待つ子供のように興奮が収まらなかった。 『まもなく、電車が到着いたします。危ないですので――』 アナウンスが流れ、電車がホームに入ってきた。 電車が巻き起こす風が顔に拭きかかる。心地いい、やはり生きているって素晴らしいと改めて実感した。 ドアが開き、降りようする乗客の流れが殺到する。そんな時だった。 ――次はないぞ。 突如、心臓を貫くような殺意が背後から突き刺さった。 立ち止まり振り返るが、昇降する乗客の流れに紛れたのか殺気の発生源は見当たらない。 冷や汗が噴き出す。恐らく自分はまたしても見逃されたのだろうと彼女は直感した。 「こっちこそ、次なんて御免よ……」 芽亜里を乗せぬまま、ドアが閉められた電車はホームから走り去っていった。