わたしは世界でニ番目に天才な女の子 だから何ひとつ怖いものなんて無い 無かった。 わたし、名張一華は自室のPCでデータをチェックしていた。 見ているのはデジタルワールドで現在活動していることが確認されている人間についての個人情報。 デジ対のデータベースにあったものを特務自衛官の権限でアクセスして保管していたものだ。 後でバレて高等部退学の一因になったけど、ダウンロードしたデータはなんとか隠しおおせた。 おかげでこうしてデジタルワールドの素敵な男子たちを品定めできる。 「うーん……穂村くんに立花くんに古金くんに……目移りしちゃうなあ。」 今度ロードナイト村で開かれるブライダルイベントで「婚活会場」を申請したのはわたしだ。 出会いを求めて相手のいない若い男の子たちが集まるのを、そしてそれを鑑賞することを目論んでのことだ。 さらに、参加者の中にわたしの好みの子がいたらアプローチを仕掛けて、あわよくばわたしのお婿さんにしようとも思っている。 わたしは自分を被験体にして成長鈍化実験の真っ最中だ。どうせなら妊娠出産のデータも欲しい。 そのためにはわたしの研究に賛同して子種を提供してくれる相手が欲しかった。 さらに言えば、ついでに自身も成長鈍化実験を受けてくれるような男の子が欲しい。 そうなるとテイマーじゃない一般の男の子じゃ無理だ。理解を得られない。 わざわざデジタルワールドに居続けるような子は、きっとわたしみたいに普通の倫理観にとらわれない子ばかりに違いない。 そんな考えでわたしはお婿さん候補をそういう男の子から見繕おうとしていた。 しかしホントにどの子もかわいくてえっちで素敵……っと、いけないいけない。 全裸だとつい右手が股間にのびてしまう。 晩ごはんの時間が近いからいつレナモンが呼びに来るかわからない。 その前に服だけでも着ておかなくちゃ……ママ以上にママなレナモンに申し訳ないと思う気持ちはわたしにもあるのだ。 「姫様、夕餉の支度ができました。食堂までお越しください。」 ちょうどパンツと部屋着を着終えると、ドアのむこうからレナモンの声が聞こえた。 最近になって夕食の食卓が少し賑やかになった。 「一華ちゃん、出店するお店の見取り図、見てくれた?」 こう聞いてくるショートヘアーの女の子は猿梨エンジュお姉ちゃん……お義姉ちゃんだ。 わたしのお兄ちゃんの婚約者にして名張衆の次期頭領になる結構すごい人だ。 特にエンジュお姉ちゃんが侘助お兄ちゃんのいろいろなはじめてを奪い尽くした話は、実の兄が関わっていなければすごく使えるのに、と心底歯噛みしたエピソードだ。 あんな思いをしたのはサンワ先生とパパの関係性を知った時以来だった。 「ああうん、見たよ。いいと思うしエンジュお姉ちゃんの好きにやってみたらいいと思うよ?」 思った以上にエンジュお姉ちゃんが有能なのでわたしはびっくりしている。 わたしが最初にやったショコラトリーなんかよりもずっと練られていてセンスがいい。 デジメンタルに入れるアーマーデータの生成オペレートはパパが手伝ってくれる……というかわたしより上手い。 アバター向けの2DLiveや3Dを作ってたノウハウがすごい活きてる。 おかげで今のところみんなに婚活会場の主催だってことはバレないように準備作業ができている。 なにが『ブライダルイベントでは結婚相談所や婚活お見合い企画もあると聞きました!』だ。 我ながら空々しい。……でもまあ会場に着いてしまえばもう止められない、よね? でもさすがにデジメンタルショップと婚活会場を同時に切り盛りするのは無理があるので、婚活会場の方にはこっそりと応援依頼をイベント主催者に出しておいた。 きっと気ぶり精神旺盛な既婚者な大人が手伝ってくれるだろう。 その時のわたしはそう思っていた。 「やあ、キミが婚活会場主催の名張一華ちゃん……前にどこかで会った?」 えええ穂村くん!どうしようどうしよう!あわわわわ! 「……よ、よろしくおねがい、します。」そう言ってお辞儀をするのが限界だった。 「あはは、年上だからってそんなに緊張しなくていいよ。主催は一華ちゃんなんだし!」 なんでなんでなんで!どうして今回のお婿さん候補のトップティアに入れてた穂村くんがここにいるのよー!! 「はっはひぃ!わたしが主催です!」落ち着け、落ち着くのよわたし!こんなの愛媛が落ちてきたのに比べたら…… 「……んん、あれ?」わたしの顔を覗き込んでくる穂村くん。近い近い近い!距離感バグってない!? 「あっ、思い出した!バレンタインやバーベキューでお店開いてた女の子だ!そうか、キミだったんだ!」 やめてやめてやめて!もうダメもうダメもうダメ!!死ぬ死ぬ死ぬ!!! 「そっそのせちゅはごひーきいただきまことにありがとーございまひたっ!」 ダメだ近くで話し掛けられるとすごいキラキラ輝いて見える。おかしい前に店の客としてきたのを眺めてたときにはここまでじゃなかったはず! 「すごいな、オレより年下なのにそんなにいろんなお店とかやってるなんて。」 やめてくださいほめないでくださいもうりせいが…… その後何を話したかまるで記憶にない。 気づいたら婚活企画運営ブースとして割り当てられた一室で座っていた。 翌日。 運営ブースに行ったら穂村くんがいた。やっぱり夢とか幻覚じゃなかったみたい。 「おはよう一華ちゃん。じゃあさっそく始めよう!」 何を?……じゃないわ参加者リストの作成と割り振りよね!しっかりしなきゃわたし…… 「あっじゃあこっちの書いてもらった用紙の名前の入力をお願いしていい?穂村くんが男性陣でわたしが女性陣やるね。」 よしっ!ちゃんと噛まずに日本語で言えた!いや待ってそんなレベルでいいのわたし? 「うん、いいよ。あと、名字だとなんかよそよそしいから下の名前で呼んでいいよ。」 はい無理―!やっぱ距離感おかしいって穂村くん! ……でもこうまで言われても名字で呼び続けると変に思われちゃうかな? 他の子ならともかく、穂村くんにそう思われるのは……イヤ、かな。 「う、うん、わかったよ、拝くん。」 耳たぶが熱い。多分真っ赤っ赤だ。わたしアルビノで色白だからわかっちゃうよね? ……あーどうしよう!心臓バクバクしてきた!心音聞かれちゃったらどうしよう! とりあえず二人で並んで座って作業を始める。 ……すぐ隣に何度かオカズにした男の子が座ってるのってすごいプレッシャーね! もう今までに感じたことのない罪悪感で死んじゃいそうになるわ! だいたいなんでわたしの企画に協力を申し出てきたの!? ……まさかわたしに気がある?……いやいやいや、ないないない。 あっいけない忍者嗅覚が拝くんの匂いをキャッチしちゃった。 お日様のようないい匂いが……違うわこれサンフラウモンの匂いだわ。 あっでもほんのりちょっと雄の匂いが……拝くんって精通来てるのかな? 待ちなさい名張一華!そんなこと考えるのはわたしの企画を手伝ってくれてる拝くんに失礼でしょ! 「終わったよ、一華ちゃん。」 そもそも頭に叩き込んだデータを思い出すのよ!拝くんはあちこちで人助けを繰り返してるってあったでしょ! 「……一華ちゃん?」 バレンタインの時も森を守るの手伝ってくれてたし、バーベキュー大会も夕立ちゃんの手伝いに来てたし! 「一華ちゃん、一華ちゃん!」 拝くんはいつだって自分のことより誰かのために……って、アレ? 「一華ちゃん、大丈夫?」 おでこがくっつきそうなぐらいの距離に拝くんの顔があった。あっ意外とまつ毛きれい……じゃなくて! 「うびゃあああ!はっ、はい!大丈夫です!!」 思わず奇声が出てしまったわたしをどうか責めないでほしい。 わたしは入力の終わったタブレットを差し出す。 あんな思考を巡らせながらも手が自動的に作業を処理していた。 ……並列処理能力が高い自分の天才的頭脳に心の底から感謝するわ。 「ほんとに大丈夫?あんまり女の子が無理しちゃダメだよ?」 だからそう言いながら寄って来ないで!心配そうな目で覗き込まないで! 「だだだ大丈夫だから!わたしこう見えても忍者だし!一般人より丈夫だし!」 あああああ焦りのあまり何口走ってるのよわたしは!無関係な人に忍者だって明かしちゃダメでしょ! 「あはははは、面白いね一華ちゃんは!でもその様子なら大丈夫みたいだね!」 拝くんのそう言う笑顔がまぶしい。 ……なんだろう、胸の奥でなにかが突き刺さってチクリとするような感じがする。 夕方になってわたしは名張家装甲車に展開された簡易住居に戻ってきた。 拝くんと二人きりだとこっちが保たない。おかげでクタクタだよ。 幸いなことに、婚活パーティの最中は「司会者」という役割を羽織っていられるからか、拝くんと二人きりの時のような奇行は見せずに済んだ。 こういう時は自分が忍者でよかったと思う。忍者は何者かに化ける時は自分の心を隠すことができる。 逆に言うと何者にも化けられない状況だと…… 自分のベッドに倒れ込む。休憩できる時間は小一時間ぐらいかな。タイマーだけセットしておく。 他の家族は色々忙しいようで誰もいない。ママもいない……ということはケンタル先生の所かしら。 誰もいないとなると右手が股間に伸びてくる。そういえば最近してなかったな……。 何をオカズにしようかと考えたところで拝くんの顔が浮かんだ。 同時にわたしの右手が止まる。……それだけは、ダメ。 今そういうことに拝くんを使ったら、わたしは取り返しがつかなくなる。 そう思うとそれをしようという気持ちがしぼんでいく。 ……この気持ち、可愛い男の子を見て感じたモノとも、ミサキせんぱいに対して感じたソレとも、全く違う。 そうか、これが恋って気持ちなんだ。 自分の気持ちを自覚できたからか、わたしは少し落ち着いて物を考えることが出来た。 こう見えてもわたしは世界でニ番目に天才な女の子なんだから。 ……そうだ、拝くんは多分わたしに対して何か特別な感情を抱いてるわけじゃない。 きっと、拝くんにとって困ってる人、助けを求めてる人に手を差し伸べることは当然のことなんだ。 だとしてもあのバグってる距離感はどうにかしてほしい。夕立ちゃんとかよく平気でいられたわね? ……いや、ちょっと待って?彼の個人情報に気になる記述があったのを思い出す。 確か両親の実の子供じゃなくて孤児院から引き取られた……それもある程度成長してから引き取られた子供だったって。 孤児院時代の拝くんの性格分析評価、養母が拝くんの転移直前に妊娠したこと、現在の拝くんの行動パターン。 それらを総合的に考慮すると彼はリアルワールドに帰還したくない可能性がある、デジ対のデータベースには特記事項としてそう記されていた。 ……おかしくない、それ?自分の両親は『困ってる人』にカウントされてないの? それは……ちょっと拝くんらしくない、気がする。 確かめる必要がある。 翌朝。運営ブースに拝くんが来た。 「おはよう、拝くん!今日も一緒に頑張ろうね!」 「おはよう、一華ちゃん。今日は早いね?」うん、眩しい笑顔!でも大丈夫! 自分が拝くんに恋してると自覚して、なおかつ忍者として『婚活企画の運営』という役割を演じているわたしは、彼の笑顔にもなんとか平静を保つことができる! ……なんかあったら簡単に崩壊しそうだけど。 今日も午前の部・午後の部ともに無事に進行し、明日に向けての準備作業をしている夕方。 わたしは拝くんの真意を確かめるべく、慎重に、こちらの真意が気づかれないように、話を切り出す。 「今日来た参加者の人から結婚まで辿り着けるのがどれくらいいるのかなー?」 「いっぱい出るといいね。」あっさりげなくて素敵な笑顔……がまんがまん。 「……ママが言ってたけど、結婚って言うのは家族の一番最初の形なんだって。」 「そう言われると……そっか。」よし、ここまで大丈夫。 「わたしは家族全員でここに来てるけど、拝くんはリアルワールドに家族を残してきてるんだよね?」 「……えっと、オレ、そのこと一華ちゃんに話したっけ?」 拝くんが少し怪訝な表情をする。これは想定内。 「ああごめん、お仕事の関係でリアルワールドにいる人の情報は一通り覚えてるの。ほら、バーベキュー大会の時に、自衛隊の人たちがいたでしょ?」 「ああ、あのガードロモンがいっぱい居た……ああ、そういえば一華ちゃん、あの人達と一緒にステージに出てた!」 よかった、ちゃんと覚えてた!拝くんのパートナーのライラモンが出場してたから彼もその場にいたのは分かってたの。 「わたし、あそこの開発主任やってるの。だからその関係で……」 「えっ一華ちゃんそんなスゴイことしてるの!?」食い気味に寄って来ないで!鎮まれわたしの乙女心! 「えっうん、だからその……じつは拝くんの家庭の事情も、知らされてて。」 ちょっとだけ嘘をついた。ちょっとだけ胸が痛い。 知らされたんじゃなくて、自分の趣味と興味本位で漁っただけだ。 ……わたしって、なんてひどいことしてたんだろう。そして、今もなお。 「え……」拝くんの顔色が変わる。わたしが彼の核心に踏み込んだのは明らかだ。 もしかしたら拝くんを傷つけるかもしれない。でもここで逃げるわけには行かない。 「もしかしたら、拝くんは、リアルワールドに、帰りたくないのかな、って……」 「そんな訳ないよ!」拝くんが立ち上がって大声を上げる。 わたしはビクッ!と驚いた……フリをする。よかった……想定していた中で一番いいパターンの反応だ。 「オレだって父ちゃんや母ちゃんや……弟のことが心配だよ。心配かけてることも分かってるし、早く帰ってあげたいけど……」 拳をぎゅっと握って下を見る拝くん。ああよかった、この子はわたしが思ってた通りの優しくて良い子だ。 「デジタルワールドにはいろんな事件がいつも起きてて、困ってる人やデジモンがいっぱいいて、オレはそんな人もデジモンも助けたくて……」 それに比べてわたしは、他の人やデジモンを性欲や実験の対象としてばかり見てて……なんて悪い子なんだろう。 自分の今までやって来たことが、わたしの胸を容赦なく締め付けてくる。すごく苦しい。 でも最後にこれだけは、ちゃんと拝くんに訊かなきゃいけない。 「拝くんは、ひょっとして、家族のところに帰るのが、怖い?」 今度は拝くんのほうがビクッとして動きを止める。 怯えを含んだ視線が、わたしに刺さる。目尻に薄っすらと涙が浮かんでいる。 しまった、言い過ぎちゃったか?後悔がよぎるかよぎらないか、その瞬間だった。 「一華ちゃん!」ブースの扉を勢いよく開けたのはエンジュお姉ちゃんだった。 「お義母さんが……茜さんが産気づいたの!」 え!?そんな、まだ28週目で、予定日はだいぶ先で…… 「急いで!持ってきた『アレ』のセッティングは一華ちゃんじゃないと出来ないの!」 それだけ言い残すとエンジュお姉ちゃんは駆け出して行ってしまった。 わたしは拝くんを見る。……ああ、これは。 これはわたしのことを心配してるっていう顔だ。 あんな酷いことを言ったわたしのことを、拝くんは本気で心配してくれてるんだ。 そうさせるぐらい今のわたしがひどい顔をしてるのか、それともそれぐらい拝くんが優しいのか。 今ならはっきりと断言できる。両方だ。こんなに良い子を、わたしは今まで見たことがない。 そんないい子に、わたしはこれからすがろうとしている。 彼が断らないこと、手伝ってくれることを承知でわたしは口に出す。 「お願い、助けて!」ああ、 「ママの赤ちゃんが生まれそうなの、手伝って拝くん!」わたしって、なんてズルい子なんだろう。 「いいよ、手伝う。」その言葉を聞くやいなや、わたしは拝くんの手首を掴んで駆け出していた。 わたしが全速力で走ると引きずられて拝くんが怪我をしちゃう。 わたしは半歩だけバックステップして拝くんの背後にまわり、瞬時に彼を抱え上げる。 忍者としては最低クラスのわたしのフィジカルでも、小6男子なら抱えたままで水上走行ぐらいならできる。 先に出ていたエンジュお姉ちゃんを追い越して、わたしと拝くんはケンタル医院の出張診療所の前まで来た。 「姫様こちらです!」名張家装甲車が診療所前に横付けしていて、レナモンが手を振っている。 すでに後部コンテナハッチが開いている。さすがレナモン、わたしのもうひとりのママ! 「『保育器』を診療所に運び込んで!」わたしは指示を飛ばす。 デジタルワールドに出発する前にレナモンから相談されてわたしが作った、低体重児用の保育器だ。 『主殿とお館様はたまに致命的なうっかりをなされます。』レナモンはあの時そう言った。 『念のためにご用意していただきたいのです。姫様、エンジュ殿、お願いできますか?』 ほんとうに自慢の家族だわ、レナモン! 追いついたエンジュお姉ちゃん、拝くん、レナモン、そしてわたしで手分けして保育器を三基、診療所の中に運び込む。 「こっちだ、みんな!」病室の中ではパパが待っていた。ママが横たえられてるのは分娩台でもベッドでもなく出術台。ということは…… 「帝王切開を行います。」ケンタル先生が手術着を着ていた。 「みなさんは病室の外へ。」 わたしはセッティングを終えた保育器の使い方を璃奈ちゃんに説明してマニュアルを手渡すと、通路のベンチに座り込んだ。 医療忍術の心得のあるパパは璃奈ちゃんと一緒に手術の手伝いだ。 同じく医療忍術をかじってるわたしも手伝うって言ったんだけど、璃奈ちゃんに止められちゃった。 『あなたちょっと鏡で自分の顔を見てきなさいよ。』怒ったような顔で言われちゃった。 『そんな状態の人に患者は任せられないわ。』 ……そんなに?でも自覚はあるから何も言えなかった。 エンジュお姉ちゃんは侘助お兄ちゃんを呼びに出ていった。 「おつかれさま。」わたしのすぐ隣に拝くんが座る。 昨日までだったらドキドキしてパニクるような状況だ。でも今のわたしには…… 「聞いたよ。あれ、一華ちゃんが作ったんだって?」そんな言葉を掛けてくる拝くん。 「ほんとにスゴイね、一華ちゃんは」 「すごくなんてないっ!」自分でもびっくりするような大声が出た。 「わたし全然すごくない!ちょっと人より頭がいいってだけで、わたし最低なんだ!」 「一華ちゃん……?」困惑してる。そりゃそうだ。 「人助けなんか全然興味なくて!人やデジモンは実験対象ぐらいに思ってて!家族の優しさに甘えっぱなしで!わたしは!」涙が出てきた。 「ちょっと一華ちゃん!?」困惑が心配へと変わっていってる。 「わだしなんがより、おがむぐんのほうがよっぼどずごいよ!」 ついでに鼻水まで出てきた。ひどい鼻声だ。 「わだじにあんなごどいわれで、ぞれなのにあんなにやざじぐじで!」 ああもう、涙と鼻水で女を捨てたような顔になってるよわたし。 「あんなごどいっでごめんおがむぐぅん!ごめんあざぁい!」 息がまともにできない。嗚咽になってる。 そんなわたしの頭をを、拝くんがやさしく抱きかかえた。 彼のお腹に、わたしの顔が埋もれる。 「いいよ一華ちゃん、オレは気にしてないよ。」 その言葉にわたしは、暫くの間言葉にならない泣き声を上げつづけた。 顔を洗って着替えるために、わたしは装甲車の中に入った。 簡易洗面台で顔を洗うと、目の前の鏡にわたしが写っていた。……ひどい表情。 わたしは自分がどんな人間だったか、心底思い知らされた。 そのことに気づかせたくれた拝くんのことが、好きだ。 そして、わたしは拝くんのために、なにかわたしにできることをしてあげたい。 わたしができることなら、何でも。 ……ああ、ミサキせんぱいごめんなさい。わたし、ミサキせんぱい以外に『主』にしたい人が、できちゃいました。 ……ちょっと待って?わたしのこの気持ちを、伝えるの?拝くんに? ……怖い。すごく怖い。だってわたし、いろんな男の子たちに性欲を向けてた気持ち悪い女の子だよ? 自分を被験体にして実験しちゃうようなイカれた女の子だよ? そんな女の子のことを拝くんが……許してくれるだろうって、わかっちゃうからこそ余計に怖い。 ……でも、わたしの気持ちを黙ったままでこのままお別れしたら、きっと後悔する。 伝えなきゃ、わたしの気持ちを。そして、拝くんの力になりたいってことも。 拝くんみたいな立派な人になりたいってことも。 「ねえ、ゴースモン。」わたしはここに来てからずっとわたしのすぐ後ろにいて、そして一言も発しないパートナーに語りかけた。 「ママもエンジュお姉さんもすごいね。二人とも、自分の好きって気持ちを、ちゃんとパパやお兄ちゃんに伝えたんだよね。」 「そうねイチカ。」ゴースモンはわたしから生まれたデジモンだ。常にわたしの感情と記憶が流れ込んでいる。 だからわたしがここに来てから何を感じ何を思ったのか、ゴースモンには筒抜けだ。 「わたし全然天才じゃない。」タオルで顔を拭きながらわたしは続ける。 「自分の気持ちを男の子に伝えるのが怖くてしょうがない、ただの小学生の女の子だよわたし。」 「そんなこと、アチシはずっと昔から気づいてたのだわさ。」ゴースモンの声が優しい。 「ママもエンジュお姉ちゃんも勇者だよ。あんな勇気、わたしには無いよ。」 「あら、そんなことないわよ?イチカは森防衛も愛媛迎撃もがんばってやってたじゃない。勇気がないだなんてそんなこと……」 「ううん、ゴースモン。わたしはそういうのが怖くなかっただけで、勇気があったわけじゃないよ。」 そう、わたしは気づいたんだ。わたしはただ単に、何も怖くなかっただけだったことに。 愛媛の落下も、森を焼く軍団も、もっと遡ってわたしを人質にしようとした明智さんやピエモンとシードラモンも。 何ひとつ怖くなかっただけで、勇気を出したことなんかなかったんだ。 「ウェヌスモン様が言ってたけど〜、恋愛の前には全てが平等なんですって。アレ?違ったかな?」 「平等……」ゴースモンの言葉を繰り返す。 「女の子は恋したその時からスタートラインは同じなの。天才だろうがなんだろうが関係ないのよ。」 「……そっか。」 「イチカっちならできるって。アンタが普通の女の子だってことは、アチシが一番良く知ってるんだわさ。」 「……ありがとう、ゴースモン。ちょっとだけ、勇気出た。」 わたしは、いろんなものに、今までしでかしてきたことに、ごめんなさいをしなくちゃいけない。 でもその前に、はっきりさせなきゃいけないこと、そして、助けてあげたい男の子が、いるんだ。 診療所に戻ってくると、侘助お兄ちゃんとエンジュお姉ちゃんが戻ってきていた。 「状況は?どうなってるの?」 「一人目が生まれた、みたいだけど……」不安そうな表情でお兄ちゃんが言う。モニタリング機器の表示データをさっと流し見する。 ……帝王切開で一人目は取り出したけど自発呼吸がまだね。人工呼吸器でなんとか…… 『ホギャアア!』扉の向こうから聞き慣れない声が聞こえた。直後に二人分の歓声が聞こえる。 パパと璃奈ちゃんだ。データ表示が一人目の自発呼吸を示している! 「やった!生まれた!」お兄ちゃんがエンジュお姉ちゃんを抱きしめる。 「生まれたね、侘助くん!」エンジュお姉ちゃんも負けじと抱きあう。 「生まれたよ!拝くん!」そう言ってわたしも拝くんに抱きつきそうになって……踏みとどまる。 「生まれた生まれた!一華ちゃん!」拝くんがわたしを抱きしめた。 頭の中は真っ白に、顔と耳たぶが真っ赤になったわたしは何も言えなくなってされるがままだ。 だからやっぱり距離感おかしいよ拝くん! 『はしゃぐのはまだ早い!今回は三つ子だ!続いて慎重に行くぞ!』 向こう側からケンタル先生の声が聞こえてきた。 一瞬でみんな静かになり、モニタリング機器の電子音と赤ちゃんの産声だけが響いていた。 「……あ?」 気づいたら、通路のベンチに座って寝てた。毛布が被せられている。 パパなのか璃奈ちゃんなのか、誰かが掛けてくれたみたいだ。 左を見ると、隣のベンチでお兄ちゃんとエンジュお姉ちゃんが座って眠りこけていた。 二人で一つの毛布にくるまってて……毛布の裾から二人の握った手が見え隠れしてる。 あれも二人が頑張った成果なんだな……うらやましいな。 そう思いながら右を見ると、目の前に拝くんの寝顔があった。 思考回路フリーズ……ちょっと待ってこの右手の感触はなあに? 視線を下げると、わたしの右手と拝くんの左手がしっかりと握られ…… 「うびゃああああ!」 パニクって奇声を発しつつ毛布を跳ね飛ばして手を振りほどいたわたしをどうか責めないでほしい。 「んあ……?」お兄ちゃんと 「ふああ……なあに?」エンジュお姉ちゃんと 「ん……?」拝くんが目を覚ます。 「ちょっと大声あげないで。赤ちゃんが目を覚ましちゃうでしょー。」 ドアを小さく開けそこから顔を覗かせながら、璃奈ちゃんがかなり抑えた声で言う。 「あー……ごめんなさい。その……それで、状況は?」 同じぐらいに声を抑えて尋ねてみる。 「赤ちゃん三人、母親、すべて問題なしよ。今は寝てるわ。」 その言葉にわたし達四人はそれぞれ顔を見合わせ、そして大声を立てないように、 『イエーイ、おめでとう!』ハイタッチをした。 お兄ちゃんとエンジュお姉ちゃんは簡易住居に戻っていった。去り際に 『ボクたちも早く赤ちゃんが欲しいね侘助くん。』 『バカだから気が早いって』 という会話が聞こえてきたけどこれから一戦交えるんだろうか? まあホークモンがコンドームをたくさん持ち込んできてたから避妊はちゃんと……アレ?なんかどっかで配ってなかったっけ? 横付けされていた装甲車はすでに移動していた。レナモンが移動させたのだろう。 少しずつ空が明るくなってきた。もう朝になる。 「一華ちゃん。」診療所のエントランスに出ると、拝くんが待っていた。 ……今が、その時だ。ここが勝負どころ! 「……拝くん。」わたしは拝くんの前にまっすぐに立つ。 「なに?」そしてその目をまっすぐに見る。 勇気を振り絞れ、名張一華!わたしは無敵の忍者の末裔だ!これぐらい自分でなんとかするんだ! 「わたしは、拝くんに言うことがあります。」 「……?」 「拝くんは、一度リアルワールドのお家に帰るべきです。」 「!!」拝くんの表情が真剣になる。 「拝くんの助けを待ってる人、待ってるデジモンはいっぱいいるかも知れません。でも、拝くんが家に帰る間ぐらいは待ってくれるはずです。」 拝くんは虚を突かれたような顔をしている。 「そうしないと、今度は拝くんのほうが潰れちゃいます。拝くんはまず自分を助けなきゃいけないし、自分の家族も助けなきゃいけないはずです。」 今度は衝撃を受けたような表情をしてる。 「一人で家に帰るのが怖いなら、わたしも一緒についてってあげます。天才少女のわたしがいれば、怖いもの無しです!」 これは強がりだ。怖いものはいっぱいある。でも、それを気づかせたくれた拝くんのために、そこは譲れない。 「……一度お父さんとお母さんと話し合いましょう。生まれてくる弟を祝福してあげましょう。」 拝くんに必要なのは帰らない言い訳じゃなくて、帰るべき理由を思い出すことだ。 「それでもし、帰る場所が無かったら……」 考えろわたし!考えろ名張一華!今だけでいい、わたしはミサキせんぱいを超える天才少女になるんだ!! 「わたしが、拝くんの帰る場所になります!」 わたしの目尻に涙が滲んでる。お願いだから鼻水までは出ないで。 「わたしが、拝くんの家族になります!拝くんの、家族にしてください!」 わたしは頭を下げる。拝くんの顔が見えなくなる。 「お願いです!わたしは、名張一華は、穂村拝くんのことが、大好きです!」 ……拝くんの息遣いだけが聞こえる。わたしはゆっくりと頭を上げる。 そこにあった拝くんの表情は――