小舟を曳航しながら、シードラモンは物思いに耽っていた。彼女が思考を巡らせるのは紛れもなく真菜のことについてなのだが、今回はその隣にいる男が気がかりだ。 三上竜馬。シードラモンはどうにも彼が気に食わなかった。 「氷の海に、寒さを改善する特殊なプラグインがある」 どこからかそんな情報を仕入れた選ばれし子供達一行は、来たるデジモンイレイザーとの決戦を鑑み、戦力増強を考えて当該プラグインの回収に乗り出した。 しかし氷の海といえば極寒の大海である。寒い所に寒さ避けのグッズがあるってどういうこっちゃという話であるが、ともあれそういうものである以上水中活動が不得手な者が多い一行としては頼める者が限られる。それが真菜とシードラモンであった。 シードラモンとしてはさして興味はなかったが、真菜が「氷の海を見てみたい」とふと呟いたことから二つ返事で引き受けた。真菜のためなら海千山千。それが彼女のモットーだ。 だが、いくら海に慣れた彼女でも氷の海は危険が伴う。勝手が効かない水温の低さや荒々しく聳え立つ氷山、そしてそこに潜む野生デジモンたちは脅威だ。完全体メガシードラモンに進化できるとはいえ、彼女たちだけでは心許ない。 そんなわけで「戦力をよこせ」とシードラモンは端的に所望したわけであるが、それに伴い仲間達から満場一致で選ばれた精鋭が彼、三上竜馬とその相棒のトリケラモンであった。 確かに三上竜馬、そしてトリケラモンの戦闘力は仲間達の中でも群を抜いているし、その実力の高さはシードラモンも認めざるを得ない。地力の高さもだが、百戦錬磨と言っても過言ではない戦闘経験値も目を見張る。 だがそんな強者でありながら、三上竜馬にはどこか卑屈な、暗い影が付き纏う。本人の佇まいが常に憂いを帯びているのを、シードラモンは好まなかった。さっぱりとしつつ合理的な考え方をする彼女としては、要は何を考えているかわからん男は好きになれないのだ。 反面、同じデジモンということもあってか、トリケラモンに対してはそれほど悪感情は持っていない。呑気で穏やかな彼のデジモン柄には素直に好感を持っているシードラモンである。 氷の海に同行すると聞いてその巨体のまま徐に自分に跨ろうとした天然っぷりには閉口したが。 竜馬をあまり好かぬシードラモンに対して、彼女のパートナーたる真菜はそれほど竜馬を嫌がってはいないのもまた理解ができなかった。 以前の森での散歩から、彼女の愛するパートナーはどうにもこのムッツリ男に対して当たりが柔らかい。何があったか知らんが、なぜ真菜はこんな男に優しく接するのか?全く理解がつかなかった。 「三上くん、見て、お魚。デジモンかな。」 「…成長期?」 「あ、ただの魚だった。」 「ししゃもだったら良かったね竜馬!」 「…。」 自分が曳く小舟の上で、今も真菜と三上竜馬、そして大きすぎる故に一時的に成長期に戻ったトリケラモンもといエレキモンが談笑(竜馬は喋ってるのかどうかも微妙だが)している。この状況が何より理解できないシードラモンは、ムスッとしたまま海を進むしかなかった。 進むにつれて、子供が散らかしたおもちゃのように氷山が点在していくように見える。氷の海でもかなり奥地に来たようだ。長く泳いだことで水温に慣れているシードラモンはなんともなかったが、薄着の真菜が体調を崩さないか気がかりだ。泳ぎながらも後ろを気に掛けたシードラモンだったが、真菜が見慣れぬ上着を着ているのに気づく。目が合った真菜が、ふわりと笑顔を浮かべながら一言。 「これね、三上くんが着せてくれたの。寒くないようにって。」 これがまたシードラモンはなんとも気に食わなかった。私が知らぬ間に気安く真菜に触れやがって。「おいらは毛皮になってるから寒くないよ!」とはしゃぐエレキモンは微笑ましいがこの際無視である。件の竜馬はシャツ一枚となり、相変わらず憮然とした顔で海を眺めている。何を考えているのかわからん。 例のプラグインがあるという氷山に辿り着いた。ここまで野生のデジモンに出会うことなく辿り着けたのは僥倖。自分と真菜だけでは辿り着けなかったかもしれない、とシードラモンは述懐する。なんとなく理由は察する。 竜馬とエレキモンもといトリケラモンを連れていたからだろう。 そもそも出会った頃からすでにその勇名は轟いていた。好き好んで猛者に挑みたがる自殺志願者はいないというわけだ。気に食わないとはいえ真菜を危険に晒さずに済んだのは良かった。役には立つではないかこのムッツリ男。 しなる体に船を乗せ、巧みに持ち上げて高い氷に寄せる。ヒョヒョイと降りるエレキモンに、次いで竜馬。そしてゆるりと舟から降りようとする真菜に先行した竜馬が手を貸す。またこいつ真菜に触れおって。不埒者めが。 ジロリと睨むシードラモンを(なんだよ)という顔で睨み返す竜馬。二人の険悪な雰囲気をなんとなく察した真菜が諌める。 「シードラモン、そんなんじゃないから。三上くんも気にしないで。」 「フン。そうは言っても所詮男だ。何を考えてるかわからんぞ。」 「…。」 「もう、シードラモン。流石にそれは失礼だよ。」 「しかし…」 「竜馬のこの顔は悪巧みとかしてる顔じゃないよ。おいらが保証する。竜馬は割と考えが顔に出るんだ。」 「…それフォローしてなくないか。」 「あれー!?」 「ふふっ…」 場を和ませたエレキモンに真菜が破顔したことでその場は収まった。 「三上くん、上着ありがとね。返すよ。」 「…着てていいよ。風邪引くよりいい。」 「でも…」 「着ておけ真菜。いらん厚意でも甘えるのも良い。」 「…戦るか?」 「もう!二人とも喧嘩しないの!」 「すまない真菜…」「…」 「それよりプラグイン探そうよ!時間が余ったらおいら雪合戦がしたい!」 エレキモンの無邪気な発言に当初の目的を思い出し、一行が氷山に向き直ったそのとき。 「はっはっはっ!!!随分と可愛らしいお客さんが来たじゃあないか!!!」 崖の上から突如として声が響く。一行が一斉に振り向いた先には黒い影が。 マリンデビモン! 極寒の海に適応進化したデビモンの亜種デジモン!水中を自在に泳ぎ、ダーティファイトで敵を仕留める海のギャングだ!必殺技は口から吐く猛毒の墨『ギルティ・ブラック』! 「おいら知ってる!あいつ完全体だ!手強いよ!!」 「…厄介だな。上手を取られた。」 「真菜、私から離れるなよ…!」 「うん…どうす…きゃっ!?」 不意をつかれた。神速の触手があっという間に真菜を絡め取る。 「女性の扱いがなってないなァ諸君?柔らかい女人のことを放っておくからこうも簡単に連れ去られるわけだ。」 芝居がかった言い回しで触手に絡め取った真菜の頬を指でなぞりながら、一行を挑発するマリンデビモン。真菜はキッと敵を睨むが、マリンデビモンは余裕の表情でそれをいなす。 シードラモンは静かに怒りを爆発させた。 「真菜を離せ無礼者め…!」 「成熟期如きが大きな口を聞くな。お前などこの娘のパートナーに相応しくない。美しさを知りそれを体現する私に引き渡すがいい!」 ピシャリとシードラモンを切り捨てるマリンデビモンを、シードラモンは射抜かんと言わんばかりの視線で睨みつけ、飛びかかろうとする。しかしそれを無言で制する手があった。 竜馬である。 遮った竜馬は至極冷静に敵に問いかける。 「…目的はなんだ。」 「これはこれは選ばれし子供様。それもトップクラスに強い男の子じゃあないか。たしかえーっと…リョーヤくんだったかな?そうだねぇ…私は美しいものを愛でるのが好きなのだよ。端的に言おう。私はこの娘が欲しい。差し出せばこの山に踏み入ることを許そう。」 「お前に何の権限がある?」 「美しく強い者はどんな権限もある。ここは弱肉強食のデジタルワールドだ。君らもよくわかっているだろう?現に、私の触手に反応すらできなかったじゃあないか。君らのような弱者に権限などない。もっとも…シードラモンにエレキモン…ククッ!君らに私をどうこうできるとは思わんがね!」 「…」 「竜馬、どうする?おいらいつでも行けるよ。」 「やることは決まっている!私が挑むのみだ!!」 「シードラモン待って!!」 エレキモンの制止を聞かず、怒りに任せて勇躍したシードラモン。しかし、陸上では思うように体が言うことを効かない。それを見越したマリンデビモンは余裕の表情で軽く弾いた。 シードラモンの肢体が竜馬とエレキモンに叩きつけられる。3人はもんどりうって海に没した。 「はっはっはっ!!無様だねえ諸君!!ひとえに君らが弱いからだよ!!そうだなぁ!リョウタくん、だったかな?君のことは聞いているよ。どんな強者かと思えば…たわいも無いガキじゃあないか。大方強さに慢心していたんだろう。弱い君は誰も守れず、誰からも愛されないのさ!!美しい彼女は私が大事にしてあげるから安心したまえ!!アディオス!!」 (おのれ…) 薄れゆく意識の中で、シードラモンは憎悪を激らせていた。 「シードラモン!シードラモン大丈夫か!?おいらがわかるか!?」 うっすらと目を開けたシードラモンの眼前には、いつのまにか完全体に進化していたトリケラモンがいた。状況を見るに、咄嗟に進化したトリケラモンが自分と竜馬を引き上げたのか。あたりを見回せば、竜馬が彼方を見つめている後ろ姿が見えた。 「…おい、三上竜馬。どうするんだ。真菜はどうなる?」 「…」 「…黙っていないで答えろ!!確かに私が迂闊だった!!みすみす真菜を奪われ、無様にも奴に負けた!!」 「シードラモン、竜馬もおいらも君を責めるつもりは」 「私を責めたいんだろう!!当然だ!!私自身がそうしたい!!だがこの身を引き裂きたいのに引き裂ける腕が無いのだ!!!どうすればいい!!答えろ三上竜馬!!」 「落ち着けシードラモン!!」 「おのれぇえええ!!」 「お    い   。」 瞬間、後ろ姿から発された声に、デジモン2体は押し黙った。竜馬の発した言葉は、シードラモンが知るどんな深海の風景よりもはるかに「黒」かった。 …殺気。 トリケラモンはパートナーから今までにない怒気を感じ取った。竜馬は怒っている。あの海のギャングに。 ただならぬ雰囲気の二人に、シードラモンも黙らざるを得なかったのだ。 「…今から魚澄さんを助けに行く。…お前が鍵だ、シードラモン。今から作戦を伝える。…できるな?」 「…あぁ。何でもやってやる。真菜を救うためならば…!」 「見たかい?あの間抜けどもを。滑稽だろう?そう思わないかい?マナくん?」 「…」 「はっはっはっ!怒っちゃ綺麗な顔が台無しだよ。」 楽しげに真菜に語りかけるマリンデビモンだが、触手で口を塞がれた真菜は答えることはない。しかし睨みつける眼差しは、気丈にもマリンデビモンをしっかりと見つめている。 「視線が熱いよマナくぅん。そんなに私を見つめていたいのかい?…あぁ、すまないね。そのままじゃ口が聞けないか。これは失礼。」 物言わぬ少女に語りかける児戯に飽きたらしいマリンデビモンが触手を離す。 「…誰が貴方なんか。」 「…フフン。じきに私以外見られなくなるさ。あんな下等なデジモンに、…ミルクギョーザ?ツワモノ気取りの物知らずのガキなんか私の裁量でいくらでm」 「三上竜馬!!!!!!!!」 真菜は思いの外大きな声が出たことに自分でも驚いた。自分のパートナーどころか、仲間の男の子を侮辱した敵に、自分でも気付かないくらい怒っていたのだ。 「…教育が必要か?」 声を低くしたマリンデビモン。これが本性か。真菜はさらに力を込めて睨み返し、敵の責苦に備えた。彼女の心は全く屈しない。 その時、地鳴りの如き猛き咆哮が鳴り響いた。 それがトリケラモンの咆哮であると、真菜はすぐに分かった。轟音のする方を見れば、竜馬の姿が遠目に見えた。 助けに来てくれたのか。これほど頼もしいものはない。快哉を心の中であげた真菜だったが、様子のおかしさを感じた。他の二人がいない。それに… ─────竜馬の様子がおかしい。 それほど深い付き合いというわけでもないが、明らかに異様な雰囲気を纏っていた。 遠目で表情はわからないが、血走った眼差しを感じる。明らかに殺気を漂わせている。 「フン!飛んで火に入るなんとやらだ!!弱者が私に殺されに来たらしい!!」 真菜との時間を害された苛立ちからか、慇懃無礼だったはずのマリンデビモンから余裕が消えているように思える。 こちらですら感じ取れる殺気を直接ぶつけられているのだ。気分の良いものではないのだろう。 真菜を崖の上に放り出すと、手ずから触手を怒らせて突撃していく。目指すは竜馬。ただ一人佇む竜馬である。 「無策で突っ込んでくるとは舐められたものだなァァァァァーーーーーーーーーーッ!!!!死ねぃ弱者がァ!!!」 自ら突っ込んでいくことを棚に上げた、紳士的な姿すらかなぐり捨てた余裕のない口ぶり。これがマリンデビモンの本性である。 鋭い触手を槍のように突き立て、竜馬を亡き者にしようというわけである。逃げようにもギルティブラックの範囲攻撃。デジモンならまだしも、さらにさらにか弱い人間など、幼年期デジモンをひねるかの如きことである。マリンデビモンの勝算であった。 対する竜馬は動かない。不動の山の如き仁王立ちでマリンデビモンを待ち受ける。その目は凄まじい形相で見開かれたままだ。 海の悪魔は目の前のひ弱な獲物を前に舌なめずりする心地だった。 …が、人間の世界にはこのような言葉がある。「獲物の前で舌舐めずりをする者は三流」と。 横からの衝撃。 マリンデビモンの視界は瞬間途切れ、気づけば海の中だった。 (なんだ?何が起きたのだ?) 竜馬に気を取られたマリンデビモンは、まんまと左脇腹から突撃してきたトリケラモンに撥ね飛ばされ、海中に没したのである。自らを囮とするとは。小癪なガキめ。どう料理してくれようか。 水は冷静さを取り戻す。海水で冷やされたマリンデビモンの頭は急速に冷やされ、紳士を気取る彼の狡猾な思考が戻ってきた。バカめ。水は私のホームだ。引き摺り込んでくれる。マリンデビモンは口を下品に吊り上げる。 だが、水中をホームとする者は自分だけではないということまでは思い至らなかったようだ。 「サンダージャベリン!!!!」 「ぐぅぉ!!!!」 正確無比な雷撃がマリンデビモンに突き刺さる。振り向けば完全体メガシードラモンが猛然と突撃してきていた。 (馬鹿な!?パートナーと引き離したデジモンは自由に進化できないはず!?なぜ完全体に!?それにこの電撃の威力…普通じゃない!!) 恐慌の只中にあるマリンデビモンの思考に対して、メガシードラモンの脳裏は至極落ち着いていた。怨敵を倒す。そのために迷いなく選んだ最適解。三上竜馬の策に乗った甲斐があった─────。 「貴様のデジヴァイスを使う?」 少し前、竜馬から伝えられた作戦にシードラモンは怪訝な顔をした。 パートナーが近くにいない以上思うように進化ができないシードラモンだが、完全体のマリンデビモンと渡り合うためには少なくとも同じ完全体にならなければならない。そのため一時的に竜馬のデジヴァイス…になっている彼のスマートフォンを介して進化を図るというものである。だが、これは竜馬のスマホにシードラモンが適合する必要がある。可能性は高くはない。 加えてシードラモンをメガシードラモンに進化させたとして、マリンデビモンと水中で戦うには分が良いわけでもない。せいぜい互角、あの敵の動きの良さを見るに勝算は高いとは言えない。 「それでどうする気だ三上竜馬。」 「…メガシードラモンの武器はなんだ?」 「電撃だ。ザンダージャベリンは海水の中でなら威力も増すぞ。塩水は電気をよく通すからな。」 「原理がわかるなら話は早い。お前が戦う海域の塩分濃度を少しでも上げ電気伝導率を高める。これを使って。」 「…岩塩?おっきいな。どうするのかおいら見当がつかないや」 「氷山を散策してたら見つけた。これ以上の岩塩が埋まってるところがある。それを掘り出してトリケラモンに砕いてもらって海に撒く。サンダージャベリンの威力の足しになるはずだ。…ししゃも食うための虎の子だったんだがな。…ともかくシードラモンには撒いた塩を戦う海域にとどめるよう海流をある程度操ってほしい。」 「…なるほど。話はわかった。だが海流で塩を止めるには時間がかかるぞ。その間どうするのだ。」 「そうだよ竜馬。でんどーりつ?が何かはおいらわかんないけど、おいらたちで食い止めるとして陸の上でならともかく別の方角の海に逃げられたら元も子もないよ。」 「…策はある。」 (よもや自分を囮に不埒者を誘き出すとは。とんでもない男よ…。) スマホを用いた暫定進化は上手いこと言ったが、適合してないデジヴァイスを用いての進化は短期間が限界だ。加えて塩を戦闘フィールドとなる海域にとどめる間の時間を稼ぐとなると並大抵のことではない。 『あの野郎はどうも俺のことが気に食わんらしい。俺というエサをチラつかせれば多分食いつく。野郎、気取ってるが底は浅いぞ。』 竜馬の言葉を反芻する。彼が撒いた岩塩、デジ岩塩により水中の伝導率は飛躍的に上がり、サンダージャベリンがよく刺さる。 (流石の百戦錬磨というわけか) メガシードラモンは素直に彼の作戦を賞賛した。闇雲に突っ込むのではない、竜馬の作戦勝ちである。 「てめええええええ!!!」 取り繕う余裕も無くしたマリンデビモンが、口から泡をぼこぼこと吹き出しながら下品な口調で喚き散らす。 怒りに任せて突っ込んでくる敵に対し、サンダージャベリンの波状攻撃で、メガシードラモンは冷静に、着実にダメージを蓄積させる。 何度も電撃を浴びせられ、叩きのめされたためかもはや水中にいては勝ち目はないと悟ったマリンデビモンは、踵を返して陸上へと逃げようとする。ここまでも竜馬の作戦通りに進んだ。 『図星だったんだ。アレに言われたこと。』 ポツリと落とされた彼の呟きが思い出される。 (図星、か…) 逃げる…否、さらなる処刑場に赴く敵の背中を見送りながら、時間切れにより進化が解けたシードラモンは、それは自分も同じかもしれない、と一人胸中でごちるのだった。 真菜がいなければ思うように進化できない、非力で未熟な自分を敵に詰られ、余計に冷静さを欠いていた。 そして自分だけでなく三上竜馬も、同じだったのだろう。 「はぁ、はぁ、なんなんだあのクソウナギ野郎…!俺様にここまでしやがって…!」 負け惜しみを吐きながら、余裕もへったくれもないマリンデビモンは這々の体で陸になんとか上がった。なんであんなに電撃が高い威力なのか、パートナーがおらず作戦の概念のない彼にはわからなかった。とにかくメガシードラモンから逃げなければと、生存本能を働かせた結果だった。 だが、その背後には、仁王の如く待ち構える影が。 「トライホーンアタック!!!!!!」 咆哮と共に、トリケラモンの巨体がマリンデビモンの身体を吹き飛ばす。 マリンデビモンも咄嗟に触手で攻撃を受け止め、落下の衝撃を和らげるも、ダメージは0にはできない。 だが、休む暇も彼らは与えてくれない。 トライホーンアタック14連撃。馬上槍を構えた騎兵の如きトリケラモンの突撃が雨あられと浴びせられる。突進の嵐がマリンデビモンを苛む。 「ぎゃァァァァァーーーーーーーーーーッ!!!!!!!あぅああいやァァァァァーーーーーーーーーーッ!!!!」 少女のような悲鳴をあげながらもがき苦しむマリンデビモン。もはや紳士ぶった姿は見る影もない。 通算42回目のトライホーンアタックを喰らい終わったマリンデビモンはもはや死に体だった。そして苦痛から逃れたい一心で、本人も死にたい、デジタマに戻りたいとすら思っていた。 そんな彼の望みが叶ってか、デジタマへの強制退化が始まる。デジタマに戻るのは死と同じであるが、輪廻転生がある分幾らか気は楽だ。デジタマに戻る相手は見逃すのがこの社会の不文律のはずだ。少なくとも自分はそうしてきた。紳士だから。 (よかった…これで見逃してもらえる…) 安堵の中光に包まれるマリンデビモンは安らかな面持ちだったが、その表情はすぐに歪んだ。 退化キャンセル。 デジタマに戻る瞬間に妨害されたのだ。腕を掴まれて。 光が晴れた目線の先。マリンデビモン腕を掴んだトリケラモンは、ボロボロの海のギャングをさらに投げ上げ、地面に叩きつけた。 「ごふぅっ!!!」 完全に想定外の攻撃。馬鹿な、こいつらには情けというものはないのか!? 彼は都合のいい考えに逃げる癖があった。そのため自分が相手しているのが自分と同列だと思っていたのだ。 彼が敵に回したのは紳士でもただの戦士でもない。激しい怒りに燃える"暴竜"だったのだから。 トリケラモンの背中から自分を見つめる男の目を見る。そして悟った。 その怪物は、決して俺を許してくれないのだ。 マリンデビモンは、矢継ぎ早に叩きつけられる大激痛に顔を歪ませながら、必死にこの地獄から逃れる方法を探った。けれどもそれが無駄だと悟って、やがて考えることを辞めた。 「…あのー、竜馬?ここまでやっちゃってよかったのかな。」 「…」 あれからようやくデジタマに戻ったマリンデビモンを見ながら、トリケラモンは困ったように背中の竜馬に問いかける。 竜馬は答えないが、まだ恐ろしい形相を解いていない。まだ殺るつもりである。 「あのー、竜馬ー?」 「…流石にデジタマすら破壊しようというのはやりすぎだぞ三上竜馬…。」 いつしか真菜を助け出してきたシードラモンが、地面を這いながら近寄ってきた。しかしいつもの彼女らしくない、おっかなびっくりといった様子だ。 無理もない。端的に言えばその情け容赦の無さにドン引きしていたのである。この男は敵に回すと怖いぞ。思慮深いシードラモンが今回の一件で肝に銘じた事項である。 「…あ、あの…三上くん。大丈夫…?」 おずおずと、真菜も心配そうに問いかける。 そこでようやく張り詰めていた空気が弛緩するのが感じ取れた。言葉は発していないものの、一応は終わったのだろうか。 「…うん。大丈夫。帰ろう。」 ようやく朗らか(よくわからないが少なくとも先ほどよりは)な返事が聞こえて、トリケラモンもシードラモンも、思わずその場にへたり込むのだった。 結局プラグインは見つからなかった。四人で氷山を探し回ったが、かき氷の親玉の如き白い円錐型の山の表面をなぞるだけだった。 そこに親切なゴマモンが現れた。聞けばマリンデビモンはこの辺りの海を荒らしまわる迷惑者だったようで、ゴマモンはその被害者の一人だったという。憎っくき乱暴者を葬ってくれたお礼にと教えてくれたのだが、プラグインの噂はマリンデビモンが流した嘘だったとのこと。 なんでも珍しいものを求めてくる相手を罠に嵌め、甚振るのが好きだったようで、今回のプラグインもそうした嘘の一つだったらしい。 死闘まで繰り広げて探したものが無かった。せっかくの大冒険が徒労に終わった4人はやるせない気持ちでいっぱいになった。 ちなみにマリンデビモンのデジタマは、氷山の麓に丁重に安置してやることとなった。 今度はマシな奴に生まれ変わってこいよー。とトリケラモンに言われている様はどこか牧歌的だった。 …実のところプラグインが嘘だと判明した時、即座に竜馬がデジタマを海に投げ落とそうとしたのだが、それは流石に全員で止めた。 帰りの航路。3人を乗せた小舟を曳航しながら、またシードラモンは物思いに耽った。 何を考えているかよくわからんと思っていた三上竜馬は、自分と同じように、真菜を危険に晒した相手に憤る、同じ感情を持つ相手だったのだ。幾分か忌避感も和らいだと思う。 真菜のためにあれだけ戦って、自分の身まで危険に晒したのである。その度胸は買ってやらねば流石に不義理だ。 だから舟の上で真菜と交流する竜馬に対して、行き道ほど目くじらを立てなかった。 名誉のために言うが怒るとめちゃくちゃ怖いから放っておいたわけではない。多分。 「ありがとう三上くん。私のこと助けにきてくれて。大変だったでしょう?」 「…別に。」 「ううん。お疲れ様。嬉しかったよ。助けに来てくれて。私安心しちゃった。」 「…。」 「竜馬〜。テンション低いよ〜?どうしたの〜?」 行き道に輪をかけて口数が少ない竜馬に、また退化したエレキモンも首を傾げている。 「…ムカついたんだ。アレに魚澄さん連れて行かれて。なんだか。」 発された答えに、真菜とエレキモンはお互いの顔を見合わせながら、いつしかおかしくなって吹き出してしまった。 舟はやがて仲間たちの元へと辿り着くだろう。 よくよく考えてみれば、竜馬は仲間なのだ。まして真菜のために怒りを燃やしてくれるほど仲間想いな。シードラモンはここに来て初めて竜馬をわかってきたような気がした。 …いや待てよ?本当に仲間としての感情か?やましいところはないか? 危機感を抱きながら、シードラモンはこっそり小舟の方を見やる。 むっつりと黙り込んで座っている竜馬と目が合った。その目はどろりとしていて、何を考えているかわからなかった。 やはりこいつはよくわからん。シードラモンはやっぱり気に食わんな…怖いし、と思い直したのだった。