家に帰ってウィスキーをたしなむために踵を返そうとしてふと浩一郎は立ち止まり夜空を見た、既に星が出ている、耳をすませば人々の喧騒が聞こえる、海が近いことを思い出す、潮風が香る潮の香りに混じる香ばしい香り。 「焼きそば……」  偶然風に乗ってきたのであろう焦げるソースの匂い。思わず腹が鳴った。 「チューモン」 「ん?」 「俺はウィスキー派だ」 「そうか、俺っちは日本酒はだぞ」 「だが夏の夜空で飲むビールは最高だと思う」 「風情も最高だな」 「つまみもある」 「焼きそばとタコ焼きがいいな」 「ぼったくり価格のフランクフルトを忘れるな」 「……」 「……」 「行くか」 「行こう」  飲兵衛共は酒に弱かった。 〇  人がごった返している。あまり観光地としては有名ではない浜辺に100を超える男女がいるということに少しばかり目を見張った。何かをやり終えて誰もが明るい顔をしている。足を運ぶ、革靴の裏に浜辺の砂の感触が来る、柔らかく反発する感覚。 「うわ……こりゃ絶対に靴、砂だらけになっちゃうな」  小さく溜息を吐く、高い靴ではないとはいえ気に入っている靴だ、それが汚れるのは少々困る。しかし戻るつもりはなかった、既に腹の具合がビールと焼きそばになっている、濃い味の食事を喰えば舌は油で包まれ、それを苦みのある麦酒でいに流し込む快感は説明しがたい、そう言った個人の感覚によるものを正しく言葉にすると言うのは難しい。首を回し、周りを見る、出店を探す、人とデジモンがそろって屋台を出している、酒酒酒、とにかく缶ビールがほしい。瓶ビールも好きだがこんな日は缶のほうがいい。氷水に沈み舌が痺れるくらいに冷えた缶ビールが今は何よりもきっと美味い。 「お」  ほんの数分見回して店を見つける、女が店番をやっていた、サンバイザーの下にはほろ酔いの顔があり、椅子に座りながら酒を飲んでいる。 「それ、売りものじゃないの?」 「ん?これ?売り物で私の飲み物」  そう言いながら女が片手の缶を軽く振った、中で小さく水音が起きる、それが脳裏にビールの味を想起させた、唾液を飲む、早く買うべきだと思い財布を取り出す。 「えっと、ビールロング缶……2……いや、6本頼む」 「ひゅぅ……なかなかいくね」  そう言いながらも女が氷水の中から6本取り出してビニール袋の中に入れる、酔っている割にその手つきに淀みはない。よく見れば座っていても重心がぶれていないのは何かの訓練をしているのか、やりてなのかもしれない 「はい、これ」  そう言ってビニール袋を差し出してくる。受け取り金を渡し礼を言う、よしと小さくつぶやいた、そろそろチューモンもそろそろ買い物が終わったはずだし合流しようと踵を返す、人がいる。 「あ!浩一郎くんじゃーんっ!!」  顔を赤らめていい気分になっている女性だ、その顔には覚えがある、覚えがある以上の存在だ。 「すみれちゃん……?」 「そうだよー!あははは!!」  どうにも何か外れているのかいつもより笑い上戸になっているみたいだ、思い切り肩を叩いてはまたすみれが笑う。 「ちょっ…痛い痛い!」 「もぉ、この程度で痛いわけないじゃーんっ!」 「うわぁ!凄い酔い方してるよ!?」 「何言ってるのぉ、私よってないもーんっ!」 「それは酔いが回った人の言葉だよ……」 「だったらなにさー!ん~~~?」  そう言いながら顔を近づけてくる、普通ならときめくシチュエーションだというのに酒臭さがそのときめきを全て取り浚っている、とりあえず考え方を切り替えた、間違いはこの状況ならおこらないと思える、それはそれとしてこの状況はまずい、誰か助けを求めなければならない、そうだ、すみれのパートナーもいるはずだシンドゥーラモンがこんなになっているすみれを放っていくわけがない。割と大きなデジモンだからすぐに見つけられるはずだ、最悪大声で叫んでやろうと思い周囲を見渡し、こういう時に限っていない。 「もー!なんで私がいるのに他を見てんのさー!女漁りかー?」 「ちょっ!?流石にそれは風評被害!?」 「何が風評被害だー!かっこつけー!きざー!」 「わぁ、どうしてこうなるまで周りが飲ませたー!?」 「なんだー!浩一郎君ものめー!のめー!」  収集がつかなくなってきたな、と思いはじめたころに助けは来た。 「すみれ先輩!」  女性の声だ、すみれの声よりも少し低くクールに聞こえる。しかしその声もやや困惑に染まっているから弱っているようにも聞こえた。 「あ……」 「えっと……すみれちゃんの関係者?」 「あ……はい……同じ部署の後輩の仁尾橋源乃といいます」 「ご丁寧にどうも源浩一郎、よろしく」 「あなたが……」 「あれ……どこかで噂でも聞かれた?」 「ま、まぁ……」  歯切れの悪さにあまりいい噂を聞いてないのかもしれないと思ってしまう。割と裏では派手にやっているから耳に届いても仕方がないのだろう。 「あ!源乃ちゃーんっ!」  すみれが絡む対象が源乃に移りようやく一息、これでチューモンのところにも戻れるな、と思った。 「それじゃすみれちゃんのことよろしくね」 「あ……待ってください」  源乃が声をかけてくる。 「一緒に行きませんか?」 「え?」  少しだけ間抜けな声が出る。腕を取られた、すみれがいつの間にか手を取っていた。 「そうだ!いこ!」  言いながら引っ張ってくる。無理矢理振り払おうとしてもしそんなことをすれば、と脳裏によぎりそして諦めた。悲しい顔をしてふーん、私のことーなどと今の状況ならいいそうだ、こうなったら後は白旗を上げるしかない。 「OK、わかった、俺も行くよ」  浩一郎は促されるままに歩を向けた。 〇 「そうだったんですか……あなたも世界を」 「そんな大層なものじゃないんだけど」  向かった先は少しばかり開けた場所だった、人込みから外れているから少しだけ静かだ。そこに引かれたビニールシートの上に腰を下ろしビールをあおる。濃い味のつまみがほしいなと思った、今買い出しに行っているチューモンは大丈夫だろうか、はぐれているときにこんなにゆっくりしていていいんだろうかと思いつつもここまできてしまった以上仕方ないと考える、チューモンには後で謝り倒すことにしようと意識の片隅に置く。 「もー……こーいちろーくーん、そうやって謙遜するのはどうかと思うんだけどー!」 「そうですね、自分のやったことは正しく認識するべきかと」 「あはは……どうも」  そう言って額を軽く指でかく、どうも尻の座りが悪いなと思った。こういった褒められるような空間に最近身を置いていないのが余計にその気持ちを強くさせる。  かつての戦いを思い出す。デジタルワールドを白紙にしようとする勢力がいた、何かが生まれるから悪が生まれる、悪をうむ世界が悪いのであれば全てを零に戻すしかないという思想。苛烈な戦いだった、よく小学生の、それも1桁の時代に戦い抜くことができたと思う、あの頃は勇気と……そして愛だけで戦っていたと思う、今の自分とは違うもっと純粋だったころの思い、今は少し思い出せなくなっている。 「えっと……浩一郎さんは……」 「呼び捨てでもいいけど」 「そう言うわけには……」 「そう?俺はそっちの方が嬉しいけどね源乃ちゃん」 「……あなたは割と距離の詰め方が早いですね」 「遅くたって損さ」 「そうじゃない人もいますよ」 「ごもっとも、だけど自分のことを素人思ってくれる人を悪く思うって言うのは少ないからね」 「詐欺師みたいだ」 「酷いなー」 「おっ!もう2人とも仲良くなってるー?」  けらけらと笑うすみれについ吹き出してしまう。 「はは……そうだね、仲良くなった!」 「え、そうなんですか……」 「イエース!」 「イエーイ!」 「わぁ、飲んだくれ2人だぁ……」  源乃のそんな姿をちょっと不憫に思いつつも、可愛いなとも思った、愛嬌と言うわけではないが愛らしさとでも言うべきか。 「んー……源乃ちゃーん」  甘えるようにすみれが源乃にしな垂れかかる、せんぱい、と小さく呟きながら源乃が受け止めた。すみれは目をつぶっている。小さな寝息。 「……こんな先輩初めて見ました」 「実は俺も」 「付き合い長そうでも、見たことがないんですね」 「すみれちゃん普通に自制心強いからね、普段だったら理性飛ばしたりしないって」 「確かに、飲み会でももっと嗜む程度ですから」 「やっぱりね」  そう言いながらビールを飲む、あまり時間が経っていないというのにもうぬるくなっている、家で飲むならこんなものは美味しくないが外で飲んでいるということが不味さを感じさせない。これもまた味さ。 「えっと……詳しい部署は聞いたことがないけど」 「警視庁電脳犯罪捜査課です」 「それ言っていいの?」 「……大丈夫のはずです」 「うん、大丈夫、昔勧誘されたことあるから」 「からかいましたね?」 「からかいました」 「……すみれ先輩の言うとおりの人ですね」 「俺の名前出ることあるんだ」 「時折、過去の話を聞くときに」 「そっか」 「先達の話は貴重です」 「確かに温故知新だ……ああ、そうだ、ビール飲む?」 「いえ、流石に私まで酔うのは」 「確かに……まぁ俺は飲むけど」 「どうぞ、介抱はできませんよ?」 「あまり酔えない体質でね」 「ザルの方でしたか」 「あんまり自慢にはならないよ、程よく酔えた方が楽しいさ」  その割に酒が好きだからつい酒量が多くなるのは本当によくないことだが、それを直せる気がしない、酒好きの生きざまはきっと肝臓との戦いだ。  源乃がすみれを膝に下ろしてから浩一郎に向き直る。頭を下げた、 「ありがとうございました」 「俺……何かしたっけ」 「隕石落下のさいにサポートしてくれたでしょう」 「なんことやら」 「とぼけるのでしたら結構…実は私狙撃手でして」 「……見られてた?」 「後方からあの一撃、警戒しないわけがない」 「やっぱりウィスキー飲みに帰るべきだったかな」 「……そこまで嫌がらなくても」 「バレないようにわざわざ人がいなそうなところを選んだんだけどなぁ」 「何故そうまでして?」 「本当は俺、いらなかったと思うんだけどね……ほら、表舞台は今頑張ってる子達の物だろ?だからちょっとさ、サポートって言うか本当にちょっとだけ手助けって思ってたんだけど」 「その割には結構な一撃でした」 「あはは……ちょっと昔の血が騒いだのかもね」 「それだけですか」 「それだけってことにしてよ」 「……あの一撃……妙にすみれさんの近くの隕石が撃ち落されていましたね」 「……嘘ぉ……割とまばらになるようにしたはずじゃ」 「残念ながら、すみれさんと色井……今ちょっと走り回ってる同僚周りが一気に片付いたおかげで皆さらに周りに目を配れるようになったのでありがたい限りです」 「あはは……無意識って怖いね」 「いいじゃないですか……先輩を大事に思っているんですね」 「まーね、なんだか長い付き合いになっちゃって」  ちらと源乃の膝の上で眠るすみれを見る、本当に長い関係だな、と思う。どこかで離れてもおかしくない関係だったのに気づけば20も後半になるまで時折かかわりがあるなんて昔は思うべくもなかった。それがいいことか悪いことかで言えば1も2にもなくいいことでしかないが、どこか……ほんの少しだけ違和感。おぼれていきそうな何かが心に浮かぶことが少しだけある。 「……源さんは……警視庁電脳犯罪捜査課に入るつもりないですか」 「いきなり勧誘は褒められないね」 「……失礼、ですが、つい……先輩いつも大変そうですから……それを一緒に担いでくれる人がいるなら……もう少し楽になるかな、と」 「それは君らがすることさ」 「後輩と言う立場、責任感の強い先輩はほんの少しだけ……ね」 「一線か、なるほど……でもわかる気がする、可愛いけどお姉さん気質でしっかり者だ」 「でしょう」 「……だからこそ俺みたいなちゃらんぽらんがいるべきじゃないよ」 「一緒に世界を救ったあなたがそのようなことを」 「……たった1度さ」 「そのたったができない可能性だってあった、あなた方は手繰り寄せた」 「買い被り」 「あなたが買い被りなら、すみれさんのことも買い被りになる」 「……それはズルいぜ」 「結構……それで如何ですか?」 「……さてね……考えておくさ」  もしかしたらそのような生き方もあったかもしれない、だがすべては仮定だ、論ずるに値しない、しかしそれでも少しだけ考えたことがある、初期の頃からすみれの、あるいは警視庁電脳犯罪捜査課の勧誘にのり自分の力を公共に使うという生き方、しかしきっと無理だったのだろうなと思う。浩一郎は自分自身を自己中と定義している、自己中心的、あまり世間ではよく思われない概念だが楚のようにしか言えない、だからこそ自分の周りには格別の配慮をする。すみれのためには頑張れる、力を尽くせる、自分のためにも頑張れるだろうがその対象がより広く民衆だとかに広がっていけばその際に能力を発揮しようと思えるかといえばそうは思えなかった、心が狭いといえばそうなのだろう。組織にいるにはあまりにも自由人が過ぎる、そんな存在は不和しか生まない。かつて世界を救う一団に居られたのはそれが本当に手の届く範囲だからこそ集団と言うあり方に自分を置くことができたのだ、おそらく、と。 「ま、本当にすみちゃんがのっぴきならなくなったら考えるさ」 「それ、一生来ないやつです」 「一生来ない方がいいんだよ、そんな状況」  すみれのもつ能力を超える事態なんて想像するだけ嫌になる。 「ん……ぅ……あれぇ、私の話してるぅ?」  少しの寝息が絶え、声がする、すみれが起きたようだった、声をかけるおはよう、元気、と。 「ん、ぅ……喉乾いた……」 「あー水ないな」 「んぅ……浩一郎君それ飲む」 「え、これビール」 「いーから!」  寝起きでもまだ酔うほどだったのか持っていたビールを取り上げられ、すみれはそれを一息に飲み干す。顔をしかめて呟いた。 「マズイ」 「ぬるくなったうえに飲みかけのビールだからそりゃしょうがないよ」 「うぅ……飲み物ぉ」 「先輩……あー、私水買ってきますから介抱のほうを」 「やだ」 「え?」 「私もいく!」 「先輩は休んでいた方が」 「行くのー!!」  そう言ってすみれが勢いよく立ち上がる。 「こーいちろーくんも立てー一緒にいくぞー」 「あ、ちょっ、すみちゃん落ち着いて!」 「源乃ちゃんごーごー!浩一郎君もいくぞー!」 「あ、待って!足ふらついてますよ先輩っ!」 「すみちゃんちょっと!?」  言いながら、走る。不安定な浜に足を取られつつも、追いかける。  その後すみれが源乃を巻き込み水着大会に応募する、止める暇もなくエントリーし、ステージに上がった瞬間顔を赤く青く、そして白くするところをみて浩一郎はあとでフォローしようと心に決めた。