都立デジモン学園、開校して4回目の春を迎えようという春先。その初等部保健室。 「南野先生、来客の方が見えてます。体育館までお願いします。」 事務員の女性に言われて保健教員の南野清子は一瞬めんどくさそうな顔をする。 (えー何だろめんどくさー……)渋々席を立って体育館へと向かう。 「はいはーい、今行きますよー、っと?」 呼び出しに来た事務員の姿がもう見えない。いつ立ち去ったのか気が付かなかった。 そう言えばここに来てもう3年が経つのにあの前髪と眼鏡で表情のほとんどわからない事務員の名前もよく覚えてない。 (影薄いわねーあの人……どうでもいいけど。)それよりも呼び出した人物の方だ。 この都デジ(人によってはデジ学と呼ぶ)は、セキュリティがかなり緩い。 そのため、たまにオアシス団連絡員のデジモンが生徒のふりをしてやってくる。 この学校の保健室の先生というのは彼女の表の顔であり、裏の顔はオアシス団の団員。 (しっかし体育館とはまた変わったとこに呼び出すわねー。いつもは談話室とかカフェテリアなのに。) しかもただの団員ではない。 (仮にも裏十闘士である私をあんな場所辺鄙な場所に呼び出すとか何考えてんのよ。) 特殊部隊delに所属する伝説の裏十闘士、"毒"のセルケトモンでもあるのだ。 体育館は学園敷地のはずれの方にある。高等部の保健室からは近いのだが初等部からは遠いのだ。 「はーい、南野でーす、何の御用……げっ!?」 てっきりオアシス団のデジモンかテイマーがいるだろうと思って開けたドアの向こうには、予想外の人物がいた。 「やあ南野先生、ひさしぶり?」たしかデジ対の外部職員の名張とかいう男だ。 3年前の開校直前の時にこいつに振り回されて鬱陶しかったことはまだ忘れてない。 見ればこの男の両脇に子供が一人ずついる。 一人は見たところ小学校中学年ぐらいの男の子だ。 もう一人は低学年ぐらいだろうか、真っ白い髪が目を引く女の子だ。 「……たしかデジ対の名張さん、でしたっけ?こんなところに呼び出して何の用ですか?」 「いやなに、今度の新学期から僕の子供達が二人ともこちらに入学するんでね。」 ニコニコした笑顔が清子の苛立ちを煽る。 「ちょっとご挨拶をしておこうと思ったんだよ、裏十闘士のセルケトモンにね?」 「!!」その言葉を聞いた瞬間に清子の表情が一変する。 半歩後退り、大人っぽく見せようと無理して穿いてるタイトスカートのポケットに右手を入れる。 「あなた……なぜそれを?」右手がディースキャナを握る。視線は目の前の男から外さない。 たしかこいつもテイマーだったはずだ。パートナーはホークモンだったか。 しかしその姿はどこにも見当たらない。差し込んだ西日で体育館の中は存外に明るい。 いないのか、隠れているのか。どちらにせよすぐ傍にはいないようだ。 近距離戦は苦手な清子であるが、『進化』してしまえばただの人間に遅れを取るはずもない。 「だいたいは知ってるよ?君がアオシス団の特殊部隊だってこともね?」 そこまで知られているのならタダで帰すわけには行かない。 間抜けなことに相手は幼子を連れている。人質にすればこちらのものだ。 「スピリットエボリューション!」右手に持つディースキャナで、左手に浮かぶコードをスキャンする。 "毒"のヒューマンスピリットが人型に展開して清子に重なる。 「セルケトモン!」清子はサソリ女とも呼ぶべき姿のデジモンに変身した。 「まずはその生意気そうな目をしたガキからよ!」さっきからこちらを値踏みするような目で見ている男の子の視線が気に食わなかった清子=セルケトモンはそちらに向かって突進する。 「!?」突然その男の子の右腕が見えなくなった。直後に何かがセルケトモンの顔面にぶつかる。 結構な衝撃だ。デジモンの体でなかったら気絶していただろう。 「……なっ、今のは?」直後、男の子の姿が4人に増えた。その両手には何か短い刃物が握られている。 それらが同時に別方向から、かろうじてセルケトモンの視力で追える速度で接近する。 「くっ、『スコルピオンカッター』!」両手のハサミで迎撃を試みる。 時間差で次々と襲いかかる合計8つの刃をかろうじて捌ききる。 その瞬間に間近から見えた刃物――これは、クナイ? 「ブシアグモン!」4人の男の子が1人に戻ると、何かに呼びかけた。 「応よ!!」背後からの声にセルケトモンはとっさに体を捻る。 直後、何者かの斬撃が背中の装甲を撫でた。斜めになった背甲に逸らされた二本の刃、その向こうにアグモンがいた。 いや、その和風な服装と頭の丁髷はブシアグモンと呼ばれる亜種のものだ。 「なんで返事すんだよブシアグモン!」男の子が口を尖らせる。 「俺ぁこういう騙し討ちみたいな戦い方は嫌ぇなンだよ。」 その野太いダミ声がアグモンの顔から出てくるのは滑稽な絵面ではあった。しかしそれを笑う余裕はセルケトモンにはない。 (今の……どこにいた!?どこから出てきた!?) いないはずのデジモンが突然出てきた。そう言えばさっきなんて言ってた?今度ここに入学する? ということはこいつはテイマーだということじゃないのよ! だとしても何も無い所からデジモンが出てくるのは理解できない。 とりあえずこの異常なガキとブシアグモンなどという近接型デジモン相手に接近戦するのは自殺行為だ。 距離を取るために頭のポイズンテールを相手に向ける。 「ポイズンキッス!」麻痺毒を噴射してこいつらを動けなくしてやる! 避けられたとしてもその間に離れられると踏んでいた。 そこへ割り込んできたものがあった。ゴースモン……それも、透き通るような真っ白さと赤く光る目のゴースモンだ。 噴射された毒の全てをそいつが受け止める。 (……こいつも!いったいどこから!)このデジモンが出てきたことにも気付けなかった。 「ゴースモン、そのまま。分析開始。」たどたどしい、それでいて淡々とした口調で白髪の女の子が喋る。 「……照合、検証、確認完了。神経阻害型のデジタルパラライザートキシックと確認。血清パターンはB-A-A-B」 左手でスマホを操作しながら右手から何かを取り出す。それは一見して普通のUSBメモリのように見える。 女の子がそれをゴースモンに向かって投げると、見事にゴースモンの背中に突き刺さる。 突き刺さったそれは光の粒子となってゴースモンに吸い込まれるように消えていった。 「オーバーペルソナクォーター起動、解毒開始。」 ゴースモンが数度痙攣するように震え、テクスチャに一瞬ノイズが走った。直後、強く光を放ったゴースモンが動き出した。 「解毒完了よー。サンキューイチカ。」ゴースモンが口を開く。 セルケトモンにも、わずか数秒で自分の毒が解析・解毒されたのだと理解できた。 「よそ見しちゃ、ダメ。」 続いて女の子が言った言葉の意味がセルケトモンはすぐには理解できなかった。 次の瞬間、自分の口の中に猛烈な苦みが広がった。気づけば、自分の口に小さな瓶が刺さっていて、その中身が流れ込んできていた。 「うわっ、ぺっ!ぺっ!」慌てて中身を吐き出すが、まだ口の中が苦い。どうやら少し飲んでしまったようだ。 さっきまでUSBメモリを持っていた女の子の右手に、なにか金具のような物が摘まれていた。 ――小瓶の蓋だ。ということは今の瓶はこいつが投げたものか!? その直後、急に胸が苦しくなった。呼吸が浅くなり、立っていられなくなるほどの目眩を感じる。 「……っ!!」たまらず膝をつくセルケトモン。おそらくこの姿だから耐えれているのだろう。 人間の状態だったら―― 「さすが同じ裏十闘士。このぐらいじゃ死なないかー。」ゴースモンが見下ろしながら言う。 「でももう」背後から男の子がクナイでポイズンテールを体育館の床に縫い付け、 「遅いなァ!」ブシアグモンが両の刀で首を左右から挟み込んだ。 「いきなり襲ってくるなんて酷いなあ。僕はただ挨拶しに来ただけだってば。」 笑顔のまま名張が歩み寄ってくる。 「シュリモン、念の為に拘束を頼む。」 西日で伸びる名張の影の中からぬらりとシュリモンが姿を現した。 「そうか……影の中に!」ブシアグモンとゴースモンが突然現れたカラクリがようやく分かった。 最初からそれぞれの『影』の中に潜んでいたのだ。 シュリモンのバネ状に伸びる腕でセルケトモンの両手両足が縛られる。 頭のポイズンテールは丁寧にまだ床に縫い付けられたままだ。 「とりあえず進化解除してもらおうか?」 逆らえるはずがなかった。進化を解除するとポイズンテールを固定されていたせいで動かせなかった頭が自由になる。 手足は相変わらず拘束されたままだ。一方で先程までの胸の動悸と呼吸困難がきれいに消え去った。 一体どうやっているのか、あの毒はデジモンとしての肉体の方に強く作用するようだ。 「……私をどうするつもり?」悔しさを隠そうともせずに清子は名張を睨みつける。 「どうもこうも、挨拶だってば。ついでにちょっと、オアシス団へのコネが欲しくってさ。」 「……コネぇ!?」素っ頓狂な声を上げる清子。 「そう、コネ。君たちってあんまり他の危険団体と絡まないでフリーダムに動くから僕も動きがつかみにくくてね。」そう言って肩を竦める素振りをする。 「そしたらちょうどオアシス団の裏十闘士がこの学校にいるじゃないか。だからちょっとお願いしようと思うんだ。」 「……お願い、ですって?」 「そう、政府とのパイプ役をね?ああそうそう、名乗るのが遅れたね。僕は名張蔵之助、デジ対の外部嘱託職員というのは表向きで、本当はC別の所属だ。」 「……しーべつ?」聞き覚えがない言葉だった。 「あー、そこからかぁ……。陸自の諜報機関さ。それだけ覚えておいて欲しい。」 頭をかきながら名張は言った。 「もちろんタダとは言わないよ。君にとって有益なプラグインをいくつか提供しよう。あとそれから……」 そう言いながら名張は女の子のほうを見る。 女の子は視線に気づくと清子の傍まで寄ってきてしゃがみ、至近距離から顔を覗き込んだ。 「おねえさん、毒の使い方が全然ダメ。」 「なっ、何を……」何か言い返したかったが、現に目の前で即座に解毒されてしまった手前、言い返すことが出来ない。 「毒に対する何もかもが足りない。知識も、理解も、努力も、工夫も、敬意も、美学も、何よりも恐怖が足りない。」 まるで無感情に思える赤い目がじっと見据える。 「だからわたしが、教えてあげる。おねえさんに、わたしの知ってる毒の全てを。」 この子は一体、何を見て言ってるの?清子にはその目の焦点が自分以外に合わせられているように感じた。 「そうすれば、セルケトモンは本来の力を発揮してもっと強くなれるよ?」 「ああそうだ、紹介がまだだったね。あっちの男の子が侘助、今度4年生になる。」 ポイズンテールを縫い付けていたクナイを引き抜きながら、侘助は鼻息だけで返事をする。 「そしってこっちが今度2年生になる一華だ。」 「よろしくね、おねーさん……じゃなくて、せんせぇ。」 その時ようやく、一華の目の焦点が自分に合ったような気がした。 「それで南野先生、僕からのオファーを受けるかい?」 シュリモンが両手の拘束を解き、名張が右手を清子に差し出した。 おまけ 事務員の女性:テイマーではありませんが公安D課のエージェントです。 右腕が見えなくなった:ノーモーションの手刀での真空斬「雀蛾」を放ってます。 苦い:一華が使った毒はアルカロイド系の中でも節足動物への効果が高いものを使っています。アルカロイドは必ず苦みがあって身近なものだとピーマンの苦みがそうです。