デジタルワールドにある癒やしの湯・富士見温泉郷。 先日のデジカカオ争奪戦において、名張家の娘の一華はここの一角を借り受けてショコラトリーを期間限定で開いていた。 その撤収もあらかた終わり、明日にはリアルワールドに帰還するという夜。 「まだ傷はしみるかい侘助?」 「…………。」名張家父・蔵之助の言葉に名張家息子・侘助は何も答えない。 一華がショコラトリーを営む間、名張一家は露天風呂付きの四人部屋を貸し切りにしていた。 今は男二人が風呂に浸かっている。 「……なあ、侘助。せめて戦った相手の情報ぐらいは教えてくれよ。」 アトラーカブテリモンの森での騒動の際、ズタボロになって回収されてからずっとこの調子である。 蔵之助は自分の父親としての薄っぺらな自信が更に薄くなっていた。 「名張衆頭領としてもだけど、父親として君を殴った相手を知っておきたいんだ、頼むよ。」 横目で侘助を見る。その赤い目は風呂の水面を見つめたままだ。 「……ヤシャモン、だったと思う。」 これは今日も教えてもらえないかと蔵之助が諦めかけたところで、侘助が口を開いた。 「……思う?」一通りのデジモン知識が叩き込まれている侘助にしては珍しい言い方である。 「……なんか雰囲気がデジモンらしくないって言うか。」 そこで侘助は言葉を切り、蔵之助に背を向けた。 「あいつが使ってた剣術、『本物』の二天一流だった。」 顔を見られないようにそっぽを向いたまま侘助が言った。 「……そうか。ありがとう侘助。」それ以上何を言えばいいのか分からず蔵之助は口をつぐんだ。 本物の二天一流を使うヤシャモンの姿をした何か。それについて心当たりは一つしかなかった。 (あのじいさん……なんで僕の息子を?) ここで考えていても結論は出ない。今はこの温泉を楽しむか。 そう考えながら蔵之助は空を見上げた。 「やーだー!お風呂やだー!」 「客商売するならお風呂は毎日入りなさい!」 「もう今日で終わったじゃーん!」 男たちが風呂から上がると次は女性陣の番。風呂嫌いな一華は入りたくないと駄々をこねていた。 「姫様、どうか主殿の言う事を聞いて下さい。」 一華は必死で抵抗しているが、母・茜とレナモンの二人がかりでは全くの無駄である。 服はもとから脱いで全裸だったが、洗い場に引きずり出され、お湯をかけられ全身が泡まみれになっていく。 「ゴースモン助けてー!ゴースモ……裏切り者ぉ!」 自分のパートナーに助けを求めたが、ゴースモンはすでに湯船でまったりしていた。 「イチカももうちょっと身だしなみに気を使いなさいよ。」 ギャルのような口調でゴースモンはにべもなく言い放つ。 そうこうしている間に丸洗いされた一華がぽーんと湯船に投げ込まれた。 忍者としての身体能力は底辺クラスと言えどもそこは忍者、さして大きくお湯をぶちまけることもなく一華は湯船の中に着地する。 そのまま鼻のあたりまでお湯に沈みこんでぶくぶくと口と鼻から息を吹き出させている。 その不機嫌そうな表情から、おそらく抗議の表現なのだろう。 「やめなって、お行儀悪いわよ。」 「ぶぐぶぐぶぐ、ぶー!」ゴースモンの言葉に一華はさらにお湯を泡立てる。 「さ、次はあなたの番よレナモン。」 「主殿……はい。」言われて素直に椅子に座るレナモン。 もう長い付き合いであり、自分を洗うことが茜のささやかな楽しみであることをレナモンは知っていた。 モフいデジモン用のシャンプーで、茜によるレナモンの丸洗いがはじまった。 ただ黙々とレナモンを洗う時の茜の表情は、出会った頃の少女の時と変わらないなとレナモンは思った。 入浴を終えて一家はカラオケルームに向かった。 部屋に残ると言った侘助も強引に連れ出された。 「あっきょーちゃんせんせーこんばんわー!」 自分の通う都立デジモン学園の小等部教師の南野清子の姿を見つけて一華が声を上げた。 「げえっ一華さん!……そういえばお店出してたわね。」 清子は半歩引いて眉間にシワを寄せている。 「やあ南野先生、いつも家の子供達がお世話になっているね。こんなところで奇遇ですね?」 「私小等部なんでお世話してるの侘助君だけですけどね?」 その侘助は軽く会釈しただけで何も言わない。彼女の正体を知っているので警戒を解かないのだ。 「まあそう言わずに。一華だって学園の……一華?」 気がつくと一華の姿がない。 「ミサキせんぱぁーい!」声の方を見ると、少し離れたところに赤瀬満咲姫がいた。 一華はそれを見つけるやいなや黙って駆け出していたのだ。 「あっそれじゃあ私これから部屋でお夕食なんでー。」そう言って清子はそそくさと去っていった。 カラオケから戻ってくると隣の部屋からものすごい風音が聞こえていた。 蔵之助の記憶ではデジモン向け強力乾燥機の作動音だと思ったが……隣室の宿泊客は人間だったはずだ。 「いやぁ、面白いですねえこれ!うちの村にも設置しましょうよ、エリさん!」 轟音が止むとそんな声が聞こえてきた。たしかイヴとかいう女性の声だと思ったが…… とりあえず今は深く考えないでおくことにした。 これから自分たちは夕食の時間なのだ。ここの料理の美味しさはここ数日でとてもよく分かった。 お酒はホークモンに止められているから楽しめないのが残念だが…… 「また来たいな、ここは。」 そう言うと蔵之助はスリッパを脱いで畳に足を掛けた。