それは亜空「」がまだ15歳で、周りの魔法少女達ももう少し優しかった頃、三人組の魔法少女に雇われて魔女退治に行った時の話です。 立ち入り禁止のバリケードテープの張り巡らされた、空き家の裏庭から入った結界は真っ暗な空間。 ところどころに白い線の落書きが転がっていて、いくつかは赤い液体を垂れ流していました。 亜空「」は自分の亜空間創造能力が封じられたことに気付き、いつもよりも強い魔女だと伝えます。 すると、リーダーの女子高生は少し迷った後に、あれは二桁に届く死者を出した魔女なので、それでも倒さなければいけないと先へ進みます。 奥にいたのはナイフの頭をした魔女です。全身から生える幾つもの赤い手と、首を吊った使い魔たちで彼女たちを追い詰めます。 皆でなんとか魔女を倒したものの、満身創痍のリーダーは糸が切れたように崩れ落ち、濁り切ったソウルジェムから新しい魔女が吹き出します。 それはバレエのチュチュを纏うオオアリクイの魔女でした。残された魔法少女は訳の分からないまま二番目の魔女も倒しました。そして、結界の外にいたキュゥべえを問い詰めます。 「白いの、どうしてそんな大事なことを黙っていたのさ」 「聞かれなかったからさ」 「ボクは前からキュゥべえのことは胡散臭いと思ってたけど、それでも人間の味方と思ってたんだよ。これじゃあ、ただのマッチポンプだよ」 「君たちが魔女になることで宇宙の寿命が延びるんだ。長期的には人類の文明の寿命を延ばすことにつながるはずだよ」 亜空「」には怒鳴り声と悲痛の叫びの飛び交う会話をあまり理解できません。ですが、魔法少女の真実は心を突き刺しました。魔法少女は魔法少女であったものと戦い続けて、最後に魔法少女に殺されるのです。 彼女は絵本に出てくる騎士が大好きで口調や立ち振る舞いを真似していますが、実際にはそんなに格好の良いものではなかったのです。 ふと、変わり種の騎士ものがたりを思い出します。ただし、その本にはフリガナがなかったので何となく筋書きを読み取っただけです。   昔々あるところに、呪いの霧に包まれた国がありました。   呪いに侵された人間は身体がボロボロになっていき、最後には怪物になってしまいます。   ちいさな聖女さまだけが城の地下深くにある毒の源を祓うことができるのです。   騎士たちはその子を守りながら怪物たちを倒して進みます。霧は濃くなり仲間はどんどん怪物に変わります。   残された騎士たちは辛い気持ちになりますが、残り少ない食べ物を分け合って励まし合います。   最後の騎士が倒れた後に、ねっとりとした霧は消え去って澄んだ青空が見えました。 亜空「」は学校に通っていなかったので、物語から都合の良い教訓を引き出すことはできません。 でも、もしもどこかで魔女になる呪いを解ける聖女さまを見つけたなら、守ってあげたいと思いました。 もちろん、そんな女の子はどこにいるのか分かりません。捜す方法も知りません。 亜空「」はふたりの雇い主の前に出てこう言います。 「なあ、魔女をたおしたんだから、金をくれないか」 「そっか、そうだよね……あーちゃんにトドメを刺したのはボクなんだ」 「なあなあ、魔女をたおしたんだから、金をくれないか」 「違うよイチカ、あれはアカネじゃなくて魔女だよ。あのまま見逃したらもっと犠牲者が増えたんだ、イチカは悪くない」 「なあなあなあ、魔女をたおしたんだから、金をくれないか」 「無理だよ、そんなに簡単に割り切れないよ」 「なあなあなあなあ、魔女をたおしたんだから、金をくれないか」 「……ああもう、さっきからうるさいな。ちょっとは空気を読んでくれない。そんなにお金が欲しいんだ」 「そうだよ、たいやきを食べたくなった」 亜空「」は絵本の騎士が焼き菓子を食べていた光景を思い出しながら、イライラしているウタに答えます。 聖女さまに出会えないなら、好きなものを食べてすっきりするしかないと考えたからです。 ふたりと励まし合う選択肢は浮かべませんでした。難しい話をする子と食事をしても楽しいとは思えなかったからです。 「金の亡者、亡者騎士め……」 「ウタちゃんステイステイ……もしかすると、亜空「」さんは前から魔女の正体を知ってたのかな。  だったら、慣れっこだったのかもしれないけどさ、ボク達にとってあーちゃんは大切な友達だったんだ」 「私も初めて知ったのだが……それにひとりで勝手に食べるから面倒は掛けないんだけどな」 もちろん、亜空「」も一緒に戦った人が死んだことはいい気持ちはしません。 ですが、よく知らない人のためにどう悲しめば良いのか分かりませんでした。 「はあ、あんたが噂通りの人物だって分かったわ。もういいよ、倍払うから帰ってくれる」 ウタちゃんは軽蔑と憐みの眼差しを向けながら、千円札を8枚渡してきました。イチカは少し戸惑っているようでしたが、別に止めることはしませんでした。 「ありがとう」 「それと今日あったことは秘密にしておいてくれるかな。普通の魔法少女はあんたのようには強くはないから」 亜空「」は首を縦に振ると変身を解いて立ち去りました。彼女にも相手がこちらを嫌いになったのはなんとなくわかります。それでも報酬を上乗せしてくれたので、いい人だと思いました。 買い物へ向かう途中で見慣れたしろいものが姿を現します。 「あっ、キュゥべえも追い出されたんだ」 「仲直りしなくてよいのかい、これまでで一番まっとうな雇用関係だったじゃないか」 「君には方法は分かるの」 「僕達には感情がないから難しいね。君自身の力で人付き合いを学んだ方が将来の役に立つと思うよ」 「……じゃあ、別にいいや」 亜空「」は今の暮らしに満足しているので、破格の収入源を失っても大して気になりませんでした。 なにせ、8歳の時に母親が死んで家を失い、契約で新しい家を手に入れるまでの7年間、ガラクタとゴミを漁って生き抜いてきたからです。 「余計なお世話かもしれないけど、人間は、いや魔法少女も社会的動物であることを忘れてはいけないよ」 「しゃか…どうぶつ?」 「君たちは他の人間との関わりの中でしか、人でいられないってことさ」 「グリーフシードを使っていれば魔女にはならないんじゃないか」 「その視点でも変わらないよ。魔法少女はどんなに強くても年月を重ねると魔力が落ちていくんだ。今はひとりで魔女をたおせ――」 亜空「」は飽きてきたのでお説教を無視して店に入ります。キュゥべえがこうやってお節介を焼くのには裏がありました。 希望を知らない人間はうまく絶望もできません。つまり、魔女になりにくいということです。 だから、人との交わりを通して情緒を育み、大きな負の感情も持てるようになって欲しかったのです。 //////// 彼女はホクホク顔で我が家のドアを開きます。思いもよらぬ大金が入ったので、たいやきの他にデパートでおかずを買ったからです。 実はこの頃の亜空「」の魔法練度でも亜空間生成の応用で、腹を満たすだけの食料の生産は可能でした。ですが、キュゥべえに現代人は『かへいけいざい』を学ぶべきだと勧められたので、傭兵で金を稼いで買い物することに決めていました。 それ自体は新鮮で楽しいものでした。ホームレス時代は「親方」に小娘が商売に関わると面倒になると言われ、どんなに換金ゴミを集めても必要最低限の衣食と日用品しか渡されなかったからです。 夕飯を食べた後に、くたびれた絵本を読み返します。これらは昔に母親が古本チェーン店で買ってくれたもので、家を失った後も大きなリュックに入れ持ち運んでいました。 やがて、家の中が真っ暗になります。それでも外の街頭は点灯し、隣の家の窓からはまだ光が漏れています。 このまま魔女退治に向かってもいいのですが、今日は疲れたので早めに眠ることにしました。 亜空「」は久しぶりに幼い頃の夢を見ました。そこから魔法少女になるまでの半生が小さい頃に見たテレビ番組のように流れていきます。 母親の歳はまだ中学程度でまやかし町のアパートに年齢を偽って住んでいました。祖父母は孫がもっと小さい時に夜逃げしましたし、父親は初めからおらず誰なのかも知りません。 生活費は闇バイトとやらに手を出して稼いでいたようで、たまに傷だらけになって帰ってきました。 『お前を見殺しにすればよかった』 それが母親の口癖でした。亜空「」は彼女に甘えた記憶はありませんし、学校へも行けませんでした。母親自身、両親から愛されたことがなかったので、子への愛がすぐに醒めてしまったのです。 たとえ愛し方を分からなかっただけだとしても、家事や育児の能力に乏しく、誰かに頼る知恵も知識もありません。そして、助けを求めた時にこれまでの犯罪の数々がバレるのを恐れていました。 そして、彼女は亜空「」が8歳になった頃にいつの間にか姿を消してしまいました。 後日、キュゥべえから契約する前に聞いたのですが、亜空「」の母親も魔法少女だったそうです。 そして、契約の願いは『子供に長生きして欲しい』というもので、早産で病弱だった亜空「」を健康優良児に変えました。 だから、どんなに育児が嫌になっても娘をどこかに捨てはせず、うっかり殺すのを避けるために暴力は控えていました。人生のすべてを払った決断を無にするからです。 プライドと執念で我が子が8歳になるまで生き続けました。最期は魔女との戦いで「敗北」して肉体は結界に置き去りにされたそうです。 亜空「」は母親が自分を捨てたわけではなかったと安堵しつつ、自分は自分自身のために願いを使おうと思いました。   インキュベーターは母娘が凡人のままだったほうが、病院に担ぎ込まれた時にでも行政に保護されたのではないかと推測していた。   無論、まやかし町はそんな甘い場所ではないので、路上で行き倒れでもしたら臓器ブローカーに狩られていた可能性もある。   言ってみれば、リスクを避けずにまともな生活を受けて成長する道と、未熟であり続けても命だけは守ろうとする道があったわけだ。   そして、彼らの目には亜空「」の人生は常に後者の方向に誘導されているように見えた。   一般論からすると、孤独な少女が無知蒙昧なままで、まやかし町のホームレス環境を7年間も五体満足で過ごせたのは奇跡でしかないのだ。   そこで彼らは仮説を立てた。それは母親の願いの副産物として因果の見えざる手が発生し、亜空「」の運命を操っているというものだ。   ただし、母親の因果量からして運命操作自体は大したものではなく、それによる積み重なった環境が納得の結果を産み出していると分析していた。   そうでなければ、あの赤い手を持つ魔女にギリギリまで追い詰められることはなかっただろう。魔女化したのは別人であったが。   ゆえに、彼らは亜空「」に強く干渉すれば、見えざる手を突破して魔女化も可能と考えており、計画を続けるつもりでいた。 早朝になると亜空「」は起床します。そして、窓から天を見上げながら、騎士に相応しく戦うためのイメージトレーニングをします。 絵本の騎士はこのような澄んだ青空を見ることはできず、亜空「」の母親も娘が自分で金を稼ぐ未来を見ることはできませんでした。亜空「」はそんな人生は嫌だと思いました。 だから、長生きできるようにもっと強くなろうと決めました。そして、いつか魔法少女が魔女になる呪いが解かれて、物語がハッピーエンドになる日をこの目で見たいと願いました。 ですが、彼女はそれほど精神の強い人間ではありません。しばらくすると聖女さまを待つことに飽きてしまいました。 そして、魔法少女の真実を知ったあの日以降、なぜか縄張り争いに関わる荒っぽい依頼が増えました。持ち前の戦闘力のお陰で命の危機に晒されることはありませんでした。 ただし、魔女の正体を知ってから仕事は更に雑になり、多くの魔法少女から煙たがられるようになりました。やがて、キュゥべえも諦めたのかアドバイスを止めてしまいました。 七海やちよや和泉十七夜のような神浜魔法少女社会の改革者でも彼女を変えることはできませんでした。彼女は常に孤独です。 それでも亜空「」は絶望を知らず、持ち前の戦闘力もあって更に5年間生き続けました。時の止まった絶対堅牢なゆりかごに包まれて。 亜空「」が20歳の時に、見知らぬ魔法少女が彼女の家を訪れます。それが運命のターニングポイントでした。 なぜなら、暁美ほむらはミラーズからの来訪者であり、この世界の運命の法則から僅かにずれていたからです。 「そうね、武器を管理する場所が欲しいの」 「………報酬は?」