岸辺エリは上機嫌であった、程よい温度の湯舟、火照った顔を撫でる風、風に揺れる木々のざわめき、 手を伸ばせば掴めそうな月の煌めき、それら全てが彼女を祝福しているかのようだった。 「いやぁ、来て良かったですねエリさん!普段のお風呂と違って気持ち良いですよ温泉!」 「そうね…」 いや、何でいるのよイヴちゃん…。 心の中でツッコミをいれる、たまには休養をと思って一人で泊まる手筈がいつの間にか視察という名目にすり替わっていてはいくらツッコミしても足りない。 しかも露天風呂付きの一番高い部屋、予定外の出費は勘弁して欲しい、村に戻ったらきちんと叱っておこう。 「広々としているし深さがちょうど良くて、何より外なのに静かで…」 「空間拡張プラグインの一種ね、多種多様なデジモンに対応できるように浴槽内部の空間を拡張しているし、  内外からの視線対策に外からの情報が遮られてるし、私たちの姿が見られないようにジャミングが展開されている。まったく、大したものだわ。」 「あれ、そんな説明ありましたっけ?」 「パンフレットで軽く触れていたわね、詳細な技術部分は見てからの感想だけど…」 「すごい!ちゃんと事前に把握しているなんて流石エリさんですね!」 あなたが読めと言ったんでしょう。喉元まで出かけていたけどここは我慢よ、エリ。 それにロイヤルナイツたる私が見れば大方の部分は分かるというもの。この程度見抜けなければ務まらない。 よほど腕のいい技術者を知っているのだろう、今は大人しくその恩恵に預かっておこう。 しばしの後、湯舟からあがるとイヴは箱型の機械に興味を示し吸い寄せられる。 事前に読んだパンフレットに依ればタオルで拭けないようなデジモンを乾かす為の装置であるらしい。 「それは人間用ではないそうよ、やめときなさいなイヴちゃん。」 ひらがなで大きく【にんげんが はいっては いけません】と子供にも分かるように表記してある。 ここまでしておけば間違うような者などいるわけが… 「いえ、それならなおの事体験してみるべきかと!ウヒョー!?」 …いたわね。 「あぁもう!」 制止も聞かず飛び込んだイヴを追いエリも装置に飛び込み、直後に吹き付ける温風に思わず身構える。 多数設置された吹き出し口から放たれるエネルギーが濡れた肌の水気を吹き飛ばし、肌の表面が波打ち豊満な胸が荒ぶる。 暴れる胸を腕で押さえつけて出口を見据える。ロイヤルナイツたる私にこの程度の風など障害たりえないのだ! 力強く足を踏ん張り、デジモン用というだけあって強力と表現すべき風を掻き分けて外へ出る、というよりは直結された脱衣所にたどりつく。 「いやぁ、面白いですねえこれ!うちの村にも設置しましょうよ、エリさん!」 「まったく、怪我したらどうするのよ…とは言え清潔感は大事よね、ナイトモン達に使わせてみても良いかもしれないわね。」 彼女が無事なのを察すると備え付けの浴衣に着替える。元々着ていた衣類はコインランドリーなるもので洗濯出来るらしい、後で確認しておこう。 *** 部屋に戻り備え付けの端末で連絡するとものの数分で料理が運ばれてくる、一番高い部屋だけあって特別扱いらしい。 支配人が自ら料理をテーブルに並べるばかりか、連れている成長期デジモン達が酒を注ぐ。 「本日は山菜を中心に山で採れた野菜と川魚を中心に仕上げました、ごゆっくり召し上がってください。」 村では仕事で忙しくしてばかりで食をあまり意識しなかった分贅沢に感じる。否、贅沢しているのだ。 山菜の天ぷらと言ったか、見慣れないが堂々と出してきたからには自信があるのだろう。まずは一口――― 「美味しい…」 つい、口をついて出る。それを聞いて彼が安堵した表情を見せると何やらイヴが喋り始める。 雑談は彼女に任せて、私は箸を進めさせてもらおう。葉の苦みと衣や油の甘みが生み出すギャップが食欲を刺激する。 魚に手をつければ程よい塩気が口の中を整えさせ箸を米へと誘導する。 なるほど、これが人間の探求心、食への情熱…これは我が村に還元する価値があるかもしれない。 食糧事情の把握と、要があれば改善を推し進めるよう指示しておこう。 「あ、お父さんいた!」「しっ!今は仕事中だ…それで?」 何やら声を掛けて来るデジモンに支配人が反応している。…今「父」と言ったのか? 人間とデジモンで親子ごっこなど聞いたことが無い。 「あぁ…ごめん。運送屋さんが来たから確認してもらおうと思って。」 「こんな時間に?分かった。すみません、私はこれで失礼します。お前たち、粗相の無いようにな。」 「「はーい!」」 支配人が足早に部屋を出ると残ったデジモン達が酒を注ぎ足してくる。 「良い呑みっぷりですねぇ、次は炭酸割りとかどうですか?」 向かい側のパタモン提案してくるがそれで何が変わるのか分からない、おすすめというなら素直に聞いておいた方が無難だろう。 ―ふむ、炭酸の刺激が爽快感を生み出して格段に飲みやすくなっている。これは覚えておこう。 「気に入ってもらえて良かったです、僕もこれ好きなんですよ~」 …パタモンは成長期のはずだが…まぁ、食の好みにとやかくは言うまい。 「えぇ~、村長さんと執事さんなんだ?すごーい!」 「そんなこと…ありますね!」 イヴの声に振り向けば一緒に来たツカイモンを膝に乗せ、上機嫌でグラスを傾けている。 「村長さん達ってどんなお仕事するの?ボク、詳しくないんだ。あ、グラス空いてるよ、ほら飲んで飲んで♪」 「やることは沢山ですが、簡単に言えばイグドラシルからの独立のために邁進することとか…グビッ…ふぅ」 どう見ても飲まされているが…まぁ、酒での失敗も学びの一つだ、ここはそのままにしておこう…本当に彼らは成長期なのかしら? *** 「いやぁ、お客さんが楽しそうに飲むから、つい僕も飲んじゃった♪」「えへへ、ボクも~♪」 「そうねぇ、あなたがぁ、お喋りお上手だからかしらぁ?」「やだぁ、エリさん色っぽい~www」 思ってもない言葉が、否、思うより先に言葉が出て来る。まるで自分が自分でないようだ。 「ん~…?」「どうしたのさ、パタモン?」 「いや、この部屋カラオケマシン無いんだって…」「そりゃ宴会場にしか置いてないしアレ…」 「カラオケって何です?エリさん知ってます?」「さぁ、一体何かしら?」 何の話をしているのか皆目検討が付かない。疑問符を浮かべたまま視線をパタモンに向けると、ただでさえ大きな目を更に見開きぱちくりする。 「えぇ!?カラオケを知らない!?そんなのもったいないよ!行こう、いますぐ!!」 「えっえっ…えぇ!?」 急に思い立ったパタモンにグイグイと引っ張られていく。 「あぁなったらアイツは止まんないからねぇ♪ボク達も行こう、お姉ちゃん♪」「はい、ツカイモン様の仰せのままに!」 イヴはツカイモンを抱きかかえてついてくる。あの子にお酒は飲ませない方が良かったかしら…。 *** その頃、宿の支配人たる富士見ゲンキは宿の正面入り口で荷物の確認作業をしていた。 「いやぁ、遅くなってすみません。途中でデジモン達に絡まれちゃって…」 「いえいえ、怪我が無い様で何よりです。もう遅いですし泊まって行かれてください。お代はサービスしときますよ。」 「ありがたいですけど、本当に良いんですか?」 「困った時はお互い様、ですよ。フィルモン、部屋に案内して差し上げなさい。」 「はーい、暗いから足元気を付けてくださいね。」 「やった!ブラックテイルモン、バコモン、今日はちゃんとした布団で寝られるよ!」 配達員の少女とデジモン達が宿に戻るのを見送るとゲンキは煌々と輝く月を見上げる。 (何か、忘れてる気がする…あいつらは気にするなって言うけど、忘れてる事が多いとこういう時に困るな…) *** 「♪夢じゃないあれもこれもぉ♪」「♪今こそ胸をはりましょおぅ♪」 「♪祝福が欲しいのならぁ♪」「♪歓びを知りパーっとばらまけ♪」 「♪ホントだらけあれもこれも♪」「♪その真っただ中暴れてやりましょぉ♪」 「「♪そしてぇ羽ばたくデ ジ ソ ウ ル!!」」 「「「「ハァイ!!!!」」」」 ハァイ!じゃないのよ、ハァイ!じゃ。釣られて跳ねてしまったけれどこれは一体なんなのだ? 急に宴会に乱入したかと思えば二匹仲良く肩を組んで歌いだすし、全く理解できない…。 それに「ウルトラソゥッ!」だの「オアシス団!」だの掛け声はバラバラだしどいつもこいつもゲラゲラと…。 …まぁ、皆が喜んでいるなら良いモノなのだろう。これも研究対象に追加しておくべきか。 「みんな~!歌わせてくれてありがと~♪また今度来るね~♪」 パタモンが愛嬌を振り撒きながら宴会場を後にするのに私たちもついていく、見知らぬ集団に乱入するとは小さな体に似合わず大した度胸だ。 ― ―― 「さっきの何だったんだろうな?」 「さぁ?でも、可愛かったから良いんじゃね?」「だなぁ…」 「あのデカパイのねーちゃん、エロかったよな」「あのデジモン、シコれるよな」 「えっ」「えっ」 「あっ、次、きょーちゃんの番だよ。ほら、マイクマイク!」 「えぇ~…アレの後とかプレッシャーなんですけどぉ…」 ―― ― 「いや~、歌った歌った♪満足満足♪」「お前さぁ、毎回ボクを巻き込むのやめてくんない?楽しいけども。」 見るからに幸せそうなパタモンの後に続いて廊下を歩いていると客室の戸が開く。 「おっと、これはちょうど良い。仲居さんに頼み事しても大丈夫かな?」 「「あ、はい、何なりとお申し付けください。」」 宿泊客らしい道化師デジモンに声を掛けられるとイヴの腕に収まっていたツカイモンも飛び出しパタモンと声を揃えて応じる。 道化師も営業に来るのだろうか?まぁ、私の知るところではないが…。 「お茶が切れてしまってね…お代わりをいただけるかな?」 「それはすみませんでした、すぐにお持ちしますね。」 さっきまでと打って変わって仕事モードで応対するとパタモンはツカイモンに目配せすると大急ぎで飛行してどこかに向かう。 それでは失礼いたします。とツカイモンは私たちを先導し道化師と目が合い軽く会釈してその場を後にする。 途中で別の客室の戸が開き、今度は家族連れと出くわす。 「あ、すみません。小腹が空いちゃって…売店ってどっちでしたっけ?」 「それでしたらそこの角を曲がって…」 道順を説明している途中でツカイモンの視線がちらりとこちらを向く。その意を察してイヴの手を引いて歩き出す。 「ここまでくれば大丈夫よ、私たちはここで失礼するわね。」 見れば親子だけでなくデジモンも付いてぞろぞろと移動していく。武士のようなアグモンとは珍しい、武士の家系なのだろうか? 「仲居さん、この前はお店出させてくれてありがとう!」 「いえいえ、また何かあったら遠慮無く言ってくださって大丈夫ですよ。」 イヴに酒を飲ませてたデジモンと同一デジモンとは思えない応対をしている―プロね。 ここには様々な関係があり、人とデジモンが共に過ごせる空間がある。 平和という言葉が指す姿の一つなのだろうか――そんなことを考えているうちに部屋にたどり着く。 そういえばイヴがずっと静かなような…と見ればふらついているし焦点も合っていない。 そんな事に気づかない程に私自身も酔っていたのかと戸惑いながら何とか二人して布団に横になる。 ロイヤルナイツともあろう者が何と情けない姿であろうか…だが、不思議と満足感がある。 なるほど、これが宿の魅力かと理解を深めた所で意識が途切れた。 翌日、盛大に寝坊したロードナイト村の村長と副村長は重篤な二日酔いより身動き出来ず、宿泊を延長するのだがそれはまた別の話。 この話はこれでお終い。