面影の魔女/序 『もしも、過去の後悔を取り戻す事ができたら?』 誰もが一度は考える事だろう。 もしもあの頃もっと勉強をしていたら? もしもあの時勇気を出して好きな人に告白できていたら? もしも───居なくなってしまった友人と、ずっと一緒に居る事ができたら。 そしてそんな『もしも』の可能性が、実際に目の前に現れたら。 この事件は、そんな『もしも』との戦い。 そして同時に、僕がいつか向き合うべきだった『現実(いま)』と、再び向き合うきっかけとなった出来事。 その始まりは、2月のちょうど中頃。 後期の授業を終えた大学生にとって、4月までの長い冬休みの最中に。 /1 窓から差し込む日の光に照らされ目を覚ます。 「う...」 まだ半分眠っている脳に「起きろ」と指令を出して、ベッドから身体を起こすと、すぐに異変に気づいた。 「ここは...?」 木製のお洒落な机やタンス。温かみのある壁紙。 そして、少し古めかしくもこだわりを感じる部屋の造り。 この雰囲気には覚えがある。 「みかづき荘...?」 間違いない。七海やちよが管理し、その仲間の魔法少女達が住まう、あのみかづき荘だ。 では何故、自分はここに寝ているのか? 考えようにも、つい先程起床する前の記憶がひどく曖昧で、存在する筈の昨日の記憶が思い出せない。 とにかく、ここがみかづき荘ならば住人たちが暮らしている筈だ。 ならば、彼女たちに事情を聞けばいい。 そう考えて、部屋を出た。 「普通の状況なら、私がここに泊まる筈が無い。昨日の事を覚えていない事を考えると、魔女に襲われて介抱された...?いや、だとしたら身体に傷も無い...魔女の口付けを受けた...いや...」 考えても答えは出ない。 やはり誰かに訊ねるしか─── 「何朝からぶつぶつ独り言を言ってるの?起きたそばから考え事?」 背後から聞こえた、どこか懐かしい声。 声が した方を振り返ると、そこには─── 「───『』?」 眠気が一気に吹き飛ぶ。 それと同時に、目の前のそれが夢でない事実が確定し、さらに困惑する。 「なに?私、どこか変?寝癖はチェックした筈なんだけどな...」 間違いない。目の前に要る人物は、『』と同じ形、同じ声をしている。 「いろは、ちょっといいかしら───え?」 困惑していた所に、またも聞き慣れた声がした。 「七海さん?」 「「」!?どうしてここに?それに貴方は...?」 現れたのは、みかづき荘の主である七海やちよ。 彼女もどうやら、諸々の事情を知らないようだ。 そして、七海やちよに呼ばれた環いろはが、廊下の曲がり角から現れた。 「やちよさん、どうかしましたか?」 「いろは、どうして「」がここに...それにあの人は?」 彼女は私と同じ疑問を環いろはに投げかける。 そして返ってきた答えは、私たちを驚愕させるには充分過ぎるものだった。 「やちよさんが寝ぼけているなんて珍しいですね。「」さんも『』さんも、みかづき荘の住人じゃないですか」 /2 朝食後、七海やちよに『夜にまた話そう』と言って、私はみかづき荘から出た。 今現在の状況を整理すると同時に、混乱した頭を冷やすために。 ただ、予想外だった事は─── 「もう、さっきからどうしたの、「」?」 その異変そのものが一緒にやって来てしまい、とても考察どころではなくなってしまった事だろう。 「何でもない。というか、これでもう5回も訊いてきている。いい加減判ってくれ」 「その『何でもない』が何かあった言い方なんだよ。私に隠し事を通せるとでも思っているの?」 目の前の彼女は、「」と同じ声で、同じ形。 だが、この『』はもう居ない筈だ。 それでも、視覚や聴覚以上に、言葉では言い表せない感覚が告げる。彼女は『』で間違い無いと。 「さすがにしつこいぞ。だいたい、君も何かあった時には似たような感じじゃないか。何を訊いても『大丈夫』『気にしないで』の一点張りで、他人の事を言えた立場じゃないだろうに」 目の前の彼女が『』である事は有り得ない。 有り得ないんだ。 「はぁ...わかった。何があったか知らないけど、今は訊かない。その代わり...ちょっと付き合ってくれる?」 言うや否や、彼女は私の手を引いて走り出した。 「ちょ!何を!」 「いいから!ね?」 彼女に連れて来られたのは、駅からすぐ近くのゲームセンターだった。 「久し振りでしょ?しばらく来てなかったから、また行きたいって思ってたんだ」 「あぁ...」 このゲームセンターは、昔『』とよく通っていた場所だ。 学校帰り、魔女の気配も他の用事も無い日は、たいてい此処を溜まり場にしていた。 ショッピングモールの中のゲームセンターとは違い、どこか少し古臭い雰囲気だが、それが逆に良い雰囲気を出している。 「さて、何から遊ぶ?」 ここに来たらまずは... 「アレ、だろ...?」 そう、アレだ。 「やっぱり、アレ?」 店の端にある、昔ながらのガンシューティングゲーム。 まずはコレしか無い。 コインを投入口に入れ、筐体からそれぞれ銃を抜く。 「負けたら」 「わかってる」 言葉を交わさなくともわかる。 これでスコアを競い、負けたら何か奢るのが決まりだった。 前にはこれで、学生の懐事情では購入を躊躇うであろうハーゲンダッツのアイスを『』に買わされて、後から仕返しに同じ物を買って貰ったりもしたっけ。 思い出に浸っている内に、画面にはカウントダウンが表示される。 3、2、1─── 「はぁーっ!楽しかった!」 結局あの後、昼食を挟んで一日中『』と遊んでいた。 ゲームセンターの後は高校の近くの喫茶店、その後はショッピングモールと、高校時代によく遊んでいた場所を巡った。 「「」はどうだった?」 「まぁ、楽しかったよ。罰ゲームでスペシャルパフェを奢らされた事を除けばね」 「あはは...ゴチです」 「くっ...覚えてろよ...次に勝ったらとんでもない物を頼んでやる...」 全く、異変について考えるつもりが、一日中遊び呆けてしまった。 ただまぁ、一人で黙々と考え事をするよりかは、気分も晴れたし有意義だったと言えるか。 「...」 ふと、辺りを見回す。 冬の日は傾くのが早く、4時を過ぎれば空が昼と夕の境界の紫がかった色になる。 住宅街には母親と一緒に帰る子供。 寺の方にはお墓参りに行くであろう少女。 コンビニ前にはタバコを吸いながら談笑する人たち。 これだけ見れば、何ら変わらないよく知る日常。 だが、明らかな相違点もある。 まずもって『』が居る事が異常だが、そんな彼女と私が揃ってみかづき荘に住んでいる事もおかしい。 『』にそれとなく訊いてみたが、どうやら以前から二人揃って下宿している事になっているらしい。 さらに驚くべき事に、マギウスやワルプルギスの夜のあの事件について『』が知らない、それどころかネットのニュースを見ても事件に関連する出来事が無かった事になっていたりと、明らかに異常だ。 「『』...」 「ん?何?」 「...いや、何でもない」 「...わかった」 訊けない。 言い出せない。 理性では判っていても、心のどこかで躊躇ってしまう。 結局この日、私は『』の優しさに甘えて問題を先送りにしてしまった。 /3 夜、他の住人達が寝静まった後のみかづき荘のリビング。 私と七海やちよは、コーヒーを淹れ食卓に向かい合うように座っていた。 無論、談笑しながら静かな夜を楽しむなどといった、ロマンチックな目的ではなく。 「...それで、あなたはどうだったの、「」」 「判った事はいくつかある。まず、私と『』は、どうやら七海さんと数年前から面識があり、大学に入ると同時にここに下宿に来たという事。マギウスの事件やワルプルギの夜の襲来が無かった事になっている事。あとは...『』、彼女は間違いなく私の知る『』と同じ...いや、正確にはそれが成長した『もしも』と思われる存在だという事...。七海さんは?」 「ええ。一通り知り合いを見て回ったけれど、やっぱりマギウスやワルプルギスの夜の一件がなくなっていたわ。それと...かなえとメル...前に話した、私の仲間だった魔法少女達が居たわ」 「そうか...」 重苦しい空気。 コーヒーは手付かずのまま。 「ここにくる前の事は、何か思い出していない?」 「残念だけど、何も。恐らく、今の状況に対する答えがある筈なのに...いや、だからこそ、なのかもしれない」 「...魔女の仕業かしら?」 「どうだろう。これ程の規模で現実に干渉できる魔女に会った事は?」 「無いわね。もし居たら、それこそワルプルギスの夜の比じゃ無いわ」 考えても答えは出ない。 どこまで行っても、霧の中に居るような─── 「...あるいは、おかしいのは私たちの方...」 ぽつりと彼女がつぶやいた。 「いえ、忘れて頂戴」 「可能性で言えば、有り得ない話じゃない。世界を丸ごと書き換える事よりも、私たち二人に干渉した方が、よっぽど現実的だよ」 「けど...!」 「判っているよ。そんな事は有り得ない。私たちの記憶の方が現実な筈だ」 彼女に言うと同時に、自分自身にも言い聞かせる。 今までの悲劇が全て幻だったなんて、そんな美味しい話はあるわけ無いと。 「環いろはさんも、同じ気持ちだったのかな」 「え?」 「気づいたら、自分の知る世界が、別なものとすり替わっていて、自分以外の誰も、そうなる前の世界を覚えていない。いや、私たちは二人だから、彼女の方がよっぽど孤独だっただろうね」 言いながら、コーヒーを啜る。 彼女も気づいたように、マグカップに手を伸ばした。 ミルクと砂糖の優しい味と暖かい温度が、少しだけ、不安な気持ちを和らげてくれる。 「ねえ、よかったら彼女の事を教えてくれないかしら?」 「え?」 「あの人、『』さんの事。私は何も知らないから」 「───そうだね。なら少し、昔話をしようか」 魔女になった『』と再会した後も、心のどこかでは戻りたいと思っていた過去。 それに思いを馳せながら、夜は更けていく。 /4 異変が起きてから3日が経った夕方。 茜色に染まった空と影を伸ばす街並みの中、私は一人で散歩をしながら考えていた。 この3日間、私は『』が生きている日常を経験した。 それは僕が欲してやまなかった、けれども実際はこの手の隙間から零れ落ちた未来。 『』と一緒に居られたら、僕はそれだけで良い。 なのに─── 「...違う」 心の奥で何かが叫ぶ。 理想の未来を拒んでいる。 その理由がわからない。 「あ」 目の前で声。 気づくと、そこには買い物を終えた七海やちよが居た。 ばったり会った私たちは、そのまま成り行きで少し話をしてから帰る事になった。 「3日...早いわね」 「うん...」 やはりモヤモヤする。 理由もわからない、この世界に対する拒絶心。 ならいっそ─── 「七海さん」 「え?」 「七海さんはどう思う?今のこの世界に対して」 「この世界...全てが思い描いた通りの、今の状況についてかしら?」 「そう。今の状況は、私にとって理想の世界なんだ。『』が生きていて、過ごせなかった未来を一緒に過ごしている。それは多分、七海さんも同じ筈。けれど私は、この状況を心のどこかで拒んでいる。理想の世界の筈なのに、これを受け入れられないと思っている。その理由がわからないんだ」 思い切って、彼女に悩みを打ち明けた。 一人で考えても、答えは出ないだろうから。 「そうね。私は...私も、この世界は受け入れられないわ」 安堵と驚き。 そして私は疑問を口にする。 「それは、何故?」 「確かに、この状況...かなえやメルが生きているこの世界を、私も何度も『こうあって欲しい』と願ったわ。けれど、結局この未来を、私は手にする事はできなかった。だから、うまく言えないけれど、私にとってのかなえやメルは、彼女たちじゃない気がするの。それに...」 何かを思うように、彼女は一呼吸置いてから口を開く。 「『こうならなかった未来』でしか得られなかったものも、確かに存在する。だから、この世界は受け入れられないわ」 そう話す彼女の顔は、申し訳なさそうに笑っていた。 彼女が言った言葉を反芻する。 『理想の未来でない現実』でしか得られなかったもの。 あぁ───なんだ。 こんなにも簡単だったじゃないか。 「ありがとう、七海さん。おかげで悩みが晴れたよ」 考えてみれば当然だ。 僕にとっての『』は、あの時魔女になってしまった『』だ。 この未来は理想の未来。 けれどそこに居る『』は、あの『』じゃないんだ。 どれだけ同じ形、同じ声でも、それは明確な別人だ。 そに気づかず...いや、もしかしたら気づかないように自分を騙していたのかもしれない。 「強いね、七海さんは」 「え?」 「いや、何でもない。それより、この前話した後、何か判った事はある?」 「あ...えっと、知り合いの魔法少女達を見て回ったわ。みんな何というか、幸せそうだった。けれど...」 「けれど?」 「明らかにおかしいのよ。例えば、ももこは魔法少女になる以前に、好きな人に告白できていた。けれど、魔法少女でもあったし、かえでやレナとも知り合いだったわ。明らかに矛盾だらけだわ」 「過程での辻褄が合わないが、結果として全てが上手くいっているという事か...思えば、マギウスの一件が無ければ、七海さんと環さん達は出会わなかった筈。そこから既に辻褄が合わない...」 ふと、先日七海さんと話した時の言葉を思い出す。 『あるいは、間違っているのは私たちの方...』 そうだ。発想を逆転させろ。 私たち以外の全てが変化したのではなく、この世界にとって私たちの方が異物だとしたら? 「───あ」 脳に浮かぶ、一つの仮説。 「七海さん。間違っていたのは、本当に私たちかもしれない」 「どういう事?」 「過程や辻褄合わせを無視して、理想の結果だけを出力する。ここがそういう『結界』だったら?」 「結界...まさか!?」 「そうだ。神浜全体を改変する程の魔女は確かに現実的じゃない。けれど、『もう一つの神浜を結界内に再現する魔女』なら?」 結界とは内と外とを区切る物。 その内部は、魔女の性質に合わせて変化する。 ならば、その結界内に神浜を再現できても不思議は無い。 「けれど、だとしたら私たちは今、魔女に閉じこめられているという事になるわ。もしそうなら、ここから抜け出すのは困難な筈...せめて何か手掛かりが無いと」 「手掛かりならある」 「え?」 そうだ。仮にこの世界が『過程や辻褄合わせを無視して誰もが幸せな世界』なら、その世界では有り得ない筈のものを、私は先日目にしている。 「今夜、調べたい場所がある。手伝って欲しい」 /5 夜、私と七海やちよはこの世界の核心に迫るべく調査に出かけた。 この世界は、過程を無視して幸福な結果だけを出力した結界。 ならば、私が先日見た『アレ』は、そのルールに反している。 「ここは...お寺?」 「ああ。この世界に来た日の夕方、私はここでお墓参りに来ている少女を見た。おかしくないか?この世界が全て幸福で構成されているなら、彼女が弔うべき死者はそもそも死なない筈なのに」 「確かに、全てが幸福で構成されたこの世界で、その女の子だけが異端...けれど、それが何かに繋がるかしら?」 「正直、そこはまだわからない。けれど、今の私たちには、これ以外の手掛かりが無いのも事実だ。行こう」 私たちは境内に入り、本堂の裏にある墓地へと向かった。 やはりというか、思いがけずというか、其処には異様な光景が広がっていた。 「これは...」 一見すると何の不思議も無く、碁盤の目のように墓石が並ぶ墓地。 しかし、その墓石に刻まれていたのは─── 『繝上し繧ヲ繧ァ繧、繝サ繝弱い』 「何よ...これ...」 本来であれば、死者の名が記されるべき所に記されていたのは、明らかに文字化けした文字列だった。 「これは...本来この世界では不幸の象徴たる死者が居ないから、本来死者の名が記されるべき場所に、代わりに意味の無い文字列が格納されている...のか?」 「何にしても、ここは調べる必要がありそうね。何が起きるかわからないから、離れないように気をつけて頂戴」 「わかった」 七海やちよに守られながら、墓地を探索する。 『荳?オキ繧?■繧』 辺りに広がる、文字化けした墓石の群。 だが、不思議と本物の墓地のような、静謐な気配は感じない。 まるで何も無い虚ろのような─── 「あれは?」 彼女が歩みを止め、一つの墓石を指差した。 そこにあった墓石は、この異常な墓地にあってさらに異常だった。 墓石には何か文字が刻まれているが、その文字が、まるでバグを起こしたゲーム画面のように、ノイズのようなものが掛かって見える。 「なんだこれは...ノイズ?」 「え?」 私が見たままの感想を言うと、彼女は疑問を告げる。 「「」、もしかしてこれが見えて無いの?」 「見えて無い...とは?」 「この墓石、これだけは私には、ちゃんと意味のある名前が刻まれているように見えるわ」 「何だって?私には、ノイズが掛かって見えるぞ?」 認識を阻害する魔法か? 彼女が魔法少女だから見えるのか? 原理はわからないが、それよりも気になる事がある。 「それで、そこには何て名前が刻まれているんだ?」 「えっと...ちょっと待って」 恐らく、そこに刻まれている名前が、この世界の核心。 数秒にも感じられる一瞬の後、彼女は口を開いた 「■■ ■■───」 告げられたのは、何てこと無いよくある男性の名前。 だが、私は不思議とその文字名前に既視感を─── 「っ...!危ない!!」 突然、彼女は私の手を引いて墓石から離れた。 次の瞬間、墓地の底を中心に、真っ暗な空洞が広がっていき、私と七海やちよをあっという間に飲み込んでいく。 「七海さん!「」!」 同時に、近くから聞こえてくる、聞き覚えのある声。 その声の方を向くと、『』が私たちが飲み込まれた空洞に向かって走って来ていた。 そして空洞の中に飛び込んで来た『』は私に手を伸ばし、そのまま私たち3人は空洞の底へと落下していった。 /0 当然だが、私は魔法少女ではない。 魔女と戦う力も無ければ、奇跡も魔法も使えない一般人だ。 だが、そんな私にもできる事はある。 世の中には、理屈や道理では測れない怪事件が少なからず存在する。 そしてそれらは、魔女や魔法少女が関係した事件である事が殆どだ。 だから私は、大学生として民俗学を学ぶ傍ら、そういった怪事件について『フィールドワーク』として調査している。 私の知識が、この神浜に生きる魔法少女達にとって、せめてもの助けになるように。 それは、節分も過ぎた2月のある日の事。 私は一つの噂を耳にした。 『中央区の外れにある、取り壊しが決まったマンション。そこで神隠しが起きている』 噂を聞いた私は、すぐに魔女が関係しているのではないかと考えた。 そこで私は、まずそのマンションについて調べた。 建てられたのは、およそ10年前。 元々は高級マンションとして建てられたが、ここ2〜3年で居住者が居なくなり、取り壊しが決まったらしい。 そしてさらに調べていると、興味深い事がわかった。 このマンションではかつて、高校生の少年が転落死したらしい。 それが理由で居住者が離れていき、新しく入居する人も居なくなったそうだ。 ならばと、次に私はその転落死について調べた。 転落死した少年の名前は、■■ ■■。 どこにでも居るような普通の高校生で、家族関係、学校での交友関係等でトラブルも無く、成績も悪くはなかったらしい。 死亡した日も、特に変わった様子も無く、友人と談笑する様子が目撃されていた。 だが、その日の夕方、突如として件のマンションの屋上から身を投げ、自殺した。 遺書は見つかっておらず、今現在も彼が命を絶った理由は明らかにされていない。 「これは...おそらく、魔女の口づけのせいか。ん?」 その少年について調べていた時、さらに興味深い記事を発見した。 『自殺少年の墓の前で少女の変死体。遺体には外傷も無ければ毒を飲んだ形跡も無く、健康そのものであった。遺体の身元は、その自殺少年の友人と見られる。少年が自殺したマンションの住人達はこれを不気味がり───』 外傷も服毒の形跡も無い変死体。 この死に方を、私は知っている。 「魔女化...」 死亡した時期が、マギウスの活動が開始する前である事からも可能性は高い。 この一連の事件が、神隠しの噂と関わっていると考えた私は、現場調査を行う事にした。 そして、その協力を梓みふゆさんに依頼しようとした。 しかし... 「ごめんなさい。手伝いたいのは山々なんですが、今、灯花に捕まってまして...『ちょっとみふゆ?せっかくわたくしが教えているんだから、電話なんてダメ!』そういう訳ですから、代わりにやっちゃんに話をしておきますので、では...」 彼女も彼女で大変だったらしい...。 「七海さんか...」 正直、私は未だに彼女とどう接したら良いのかわからない。 マギウスの事件の時、私は彼女と喧嘩をして、それっきりだった。 向こうも向こうで、その事を気にしているのか、あれ以来特に会う機会も無いままだ。 そして迎えた調査当日。 「おはよう。今日は協力を引き受けてくれてありがとう。じゃあ、早速行こうか」 「ええ。みふゆから話は聞いているわ。行きましょう」 私たちは二人揃って調査に向かう。 途中、親しげに会話をするような事も無く、少し気まずい気持ちになった。 「そういえば...調査に行くのは、その墓地の方なの?」 「いや、確かに墓地で魔女化したなら、何か痕跡が残っているかもしれない。けれど、マンションの取り壊し日が近いから、工事で入れなくなる前に、まずはマンションから調べよう」 そうして向かったマンションの中で、私たちは件の神隠しに遭い、偽りの神浜の中に閉じこめられたのだ。 /『5』 違和感は前から感じていた。 同じ形、同じ声、気配も同じのいつもの彼。 けれど、違う。 昨日までと同じ人間なのに、外傷も魔力の痕跡も無かったのに。 まるで、異なる過去を歩んで来たかのように、彼はひどく磨耗していた。 直感だけは良い私だから、すぐに何となく事態を察した。 入れ替えられた。 私の知る「」と、今此処に居る「」は、同じ人間だけれど別人なんだと。 けれど、別人だけども彼はやっぱり「」だから、私は彼はをほうっておけなかった。 それで、悩んでいる「」を思い出の場所に連れ出して、同じ時間を過ごして、わかった。 別人だけれど、彼は確かに、人一倍真面目で、なんだかほうっておけない、そんな私の友人なんだと。 だったら、私が今やるべき事は、今目の前に居る「」を助けることだと、そう考えた。 だって怖かった。 今居る「」が本当の「」じゃないなら、私にとっての本当の「」はどうなったの? その問題と向き合ったら、最悪の結末が待っているような気がして、私は本当の「」の行方から目を背けた。 そして、ついさっき。 夜中にみかづき荘から出て行く「」と七海さんを見て、なんだか胸騒ぎがしたから、後をつけてみた。 途中、何度も『この先に行ってはならない』『引き返すべきだ』と叫ぶ直感を無視し、たどり着いた場所はお寺の中の墓地。 (いったい、ここで何を...) 墓地には特に変わった様子は無い。 普通の墓石が碁盤状に並んでいる、よくある墓地。 「」と七海さんは、その中の一つを見つめた後、辺りを警戒しながら奥へと進む。 2人が去ったのを確認し、その墓石を私も調べようと近づく。 「───」 一瞬、息を忘れた。 それほどまでに、目の前の物は衝撃的だった。 だって、目の前の墓石─── 『繝上し繧ヲ繧ァ繧、繝サ繝弱い』 これ、「」の名前だ。 「ア〜ア、ミ〜ツケチャッタ!」 「っ!?」 辺りを見回し、声の主が見あたらなかった所で、私はこれが魔法少女のテレパシーのように、頭に直接響く声だと理解した。 「アノ2人ハ外カラ来タノ。ケレド2人ハコノ結界ニモ居ルカラ?私ガ作ッタ2人ガモウ居タカラ?元居タ2人ハ処分シナイト、コノ結界ハ定員オーバージャナイ?」 「な...何を言っているの...?」 いや、既にここまでで点と点は既に繋がっている。 私がそれに目を逸らしているだけ。 私がそれを見たくないだけ。 「コノ街モ、アナタ達モ、本当ハゼーンブ作リ物!タマーニ私ガ外カラ人ヲ連レテ来テ、偽物ト入レ替エテル理想ノ神浜!神浜ノ人達ノ後悔ヲ吸イトッテ作ッタ、全テガ上手ク行ク楽園ナノ!」 「う...嘘よ...」 嘘だ。騙されるな。 そうだ、これは魔女の幻影だ。 「」と七海さんはこの魔女を倒しに来ていて、魔女が倒れたら全て元通りなんだ。 「そ...そうだ!」 この魔女が言っている事が嘘なら、この「」のお墓には何も入っていない筈だ。 そう考えて、体に千の剣が刺さったようなこの気持ちを早く終わらせたくて、私は目の前のお墓を掘り返した。 その行為がつまり、最悪の真実の蓋を開ける行為にも成りうる可能性を考えもせず。 「嘘だよ...!だってこんな───」 土の中で、手が何かを掘り当てた。 「───」 放心しながら、その先を掘り進める。 そこには、私の知る「」だったモノが入っていた。 「あ───あ───」 「っ...!危ない!」 遠くで七海さんの声が聞こえ、彼方から意識が帰還する。 見ると、「」と七海さんが、真っ黒な奈落に飲み込まれようとしていた。 「あ...!」 さっきまでの脱力が嘘のように、私の身体は反射的に動いてくれた。 「七海さん!「」!」   /6 「う...」 身体に若干の痛みを感じながら、私は目を覚ました。 そうだ、私はさっき、七海やちよと墓地を調べていて、そして─── 「ん...ここは...」 声がした方を見ると、七海やちよが目を覚ましていた。 すぐ側には、『』も倒れている。 「気がついたか」 「ええ。全く、ひどい目にあったわ」 七海やちよの無事を確認した後、私は『』に近寄った。 「『』、大丈夫か、『』!」 「心配ないわ。気を失っているだけみたい」 「そうか...」 安堵と同時に、少し複雑な気持ちにもなる。 この『』は─── 「それで、「」。あなたも思い出した?」 「ああ」 先ほど目覚めた時、思い出した。 この結界を調べに来た経緯。 そして、あのマンションで結界に迷い込んだ事。 「偽物の神浜に居る間は、認識阻害のような魔法で、結界に来た経緯を思い出せないようにしていたのか...」 「そうみたいね」 一通り状況理解が済んだ所で、辺りを見渡す。 「それで...この状況をどう見る?」 目の前には、一棟のマンションがそびえ立っていた。 このマンションには見覚えがある、どころの話じゃない。 私たちは、まさに今目の前にあるマンションから、結界へと迷い込んだのだ。 「あれは間違いなく私たちが調べていたマンションだ。という事は、私たちは結界からはじき出されたのか?」 「いいえ、見た目こそあのマンションと同じだけど、魔力の反応的にここはまだ結界の中よ。何より、結界の外だと言うのなら、魔女由来で作られた彼女...『』さんが居るのはおかしいもの」 確かにそうだ。 魔力については私にはわからないが、この『』が居るなら、確かに結界の外では説明がつかない。 「結界の中にも、あのマンションを再現しているのか...?」 「ねぇ、「」。その...大丈夫なの?」 「大丈夫、とは?」 「その...『』さんの───」 「ん...痛っ...」 七海やちよが言いかけた所で、『』が目を覚ました。 「『』!大丈夫?」 「うん、大丈...」 起きあがろうとした所で、『』は再びぐらりとしゃがみ込んだ。 「あっ...」 とっさに私は『』の肩を支える。 「大丈夫。ちょっとまだ、気分が悪いような気がするだけだから...ここは…?」 問われて、言葉を詰まらせる。 「魔女結界の中よ。私たちは、魔女結界に吸い込まれたみたいね」 「そう...ですか...」 「「」。『』さんを連れて付いて来れる?いつ使い魔が出るかわからない以上、ここに2人だけで残しておく訳にもいかないし」 「あぁ、わかった」 そう言って、『』の肩を支えながら歩き始め─── 「───ありがとう、七海さん」 私は『』に聞こえないようにお礼を言った。 すると彼女は、『いいわ。けど、彼女の事については、覚悟を決めないといけないわね』とテレパシーで答え、マンションへと歩き始めた。 ここに今回の元凶となる魔女が居る。 決着を付けに行こう。 /7 マンションの中はひどく静かで、白色の蛍光灯の明かりだけが無機質に廊下を照らしていた。 私たちは、変身した七海やちよが先導する形で下階から調査を始め、今は階段で3階に移動をしている。 『』は相変わらずひどく疲労していて、肩を貸して歩くのがやっとだ。 「『』、辛くない?」 「うん...。さっきよりは楽になったかな」 この『』は、私にとっての『』ではない。 そして、この結界の魔女を倒したら、きっと─── 「止まって」 3階に到達した時、七海やちよは警戒した様子で武器を構えた。 「あそこ、何か居るわ」 前方を見ると、確かに何かが居る。 「何だ、あれ」 そこに居たのは、人型の黒いモヤのようなものだった。 「魔力は感じる?」 「それが...よくわからないの。なんだかひどく曖昧な気配で───」 七海やちよが話している最中、そのモヤは私たちの方へ高速で接近して来た。 狙いは─── 「七海さん!」 咄嗟に七海やちよを横に突き飛ばし、モヤの進路から退かす。 だが、代わりにその進路には私たちが立ちふさがっている格好になってしまった。 (やられる!) 機器を察知した身体が硬直する。 モヤが私の首元に伸び───直後、真横から振るわれた剣がモヤを払った。 「『』!」 剣は『』の物だった。 『』はふらつきながらも剣を構え、私を守ように前に出る。 すると、モヤは再び『』に襲いかかって来る。 そして『』が横一閃に振るった剣を避けると、『』の首元にモヤがまとわりついた。 「があっ!」 「っ!『』さん!」 直後、体制を立て直した七海やちよがモヤ目掛けて槍を突き出す。 だが、直前でモヤはこれを回避し、マンションの外から上へと飛んで逃げていった。 「『』!大丈夫!?」 『』は変身が解けて、その場に倒れ込んだ。 直後、この階の部屋の扉が一斉に開き、中から手足が刃状の操り人形のようなものが表れた。 「使い魔か!?」 「そうみたいね。となると、あのモヤは...。「」、『』さんを連れて一旦マンションの外に」 「七海さんは?」 「あいつらを倒したらすぐ行くわ。数は居るけれど、一匹一匹はそれほど強くは感じないから」 「わかった。『』、ちょっと我慢して」 私は『』を抱き抱えて、階段から下階へと向かう。 「あ...「」...」 「心配無い。七海さんならまず負けはしない」 「違う...これ...」 『』は右手を私の顔に近づける。 「これは───」 ソウルジェムに、大きなヒビができている。 確か、『』のソウルジェムは、変身後は首元に付く。 そこをさっきのモヤに攻撃されて...何て事だ。 「無理...だから...下ろして...!」 「...」 反論はできない。 私は魔法少女でもなければ、奇跡も魔法も使えない。 こうなってしまったら、私にはどうする事もできないし、根拠なく「助かる」と言うのも、それは誠実じゃない。 結局、私は言われた通り、『』を地面に下ろして寝かせた。 「『』...」 「ねえ...「」...。「」は...あの世界に居たくは無いの...?」 「『』...それは...」 全部知っていたというのか? この『』は、私が外から来たと、自分が作られた偽物だと、知っていたのか? 「何故...!?」 「お墓でね...声が...聞こえたの...。この神浜は...皆の後悔を吸って作った偽物で...外から来た人を入れる時に...偽物を処分して入れ替えてるって...。そうしないと...結界の中は...定員オーバーだって...。ここ...魔女結界の中なんでしょ...?それで...「」は...外から来た「」...」 言葉を失った。 「ねえ...「」...お願い...。ずっと一緒に居ようよ...。「」も...それを望んでいるんでしょう...?私は魔女に作られたから...魔女に頼めば...結界から出ないって謝れば...治してくれるかもしれないから...」 「...」 確かに、私は『』と過ごす未来を望んでいた。 この『』と過ごした日々は、何度も夢に見た理想の未来そのものだ。 けれど─── 「それは...できない。できないよ、『』」 「どう...して...?」 「結局の所、私にとっての『』は君じゃなく、君にとっての「」は私じゃない。それなのに、今目の前に居る相手の手を取って、甘美な理想の世界へと逃げる。それは多分、お互いにとっての本来のお互いを、裏切る行為だと思う。そんな事を私はしたくないし、君にさせたくも無い」 私の『』は、あの時魔女になって、それでも私を守ってくれた、あの『』だ。 私はそれを裏切れない。 それを聞いた『』は、何故だか安心したように笑って「...ありがとう」と呟いた。 「「」...ちょっと...ごめんね...」 言いながら、『』は私の額に指で触れた。 その瞬間、頭の中に誰かが入って来るような、逆に何かを吸われるような、そんな感覚がした。 これは...魔法だ。 それも恐らく、相手の記憶を覗く類の。 数秒後、『』は神妙な面もちで指を離した。 「そっか...やっぱり...真面目だね...「」は...」 多分、この『』は見たんだろう。 私がこれまで経験して来た過去を。 大切な友人が魔女になり、身を裂くような後悔に苦しんだ日々を。 「ねえ...「」...私の事…ここに置いていって...」 「何を───」 「いいから!あんな所...二度も見せられないでしょ...。それに多分...あの魔女を倒すには...七海さんだけじゃ駄目...だと思う...。だから...やってみせてよ。いつもみたいに」 「『』...」 「大丈...夫...。あなたが待っている人なら...多分来るから...。ほら...早くしないと...時間...ない...よ...」 「...わかった」 後ろ髪を引かれるような思いを振り切り、私は『』をその場に置いて、エレベーターへと向かう。 そして後ろを振り返る事無く、上階行きのボタンを押して、そのまま到着したエレベーターに乗り込んだ。 扉が閉まる瞬間、ふと後ろを振り返りそうになったが、ぐっと堪えて扉が閉じるのを待った。 魔女が逃げて行ったのは、上の方向。 何となく、行き先は屋上だと思った。 静かなモーター音と共に、エレベーターは私を屋上へと運ぶ。 「『』...」 私にとっての『』ではない、しかし確かに同じ優しさと強さを持っていたもう一人の『』。 彼女が最後に残した言葉を反芻する。 『だから...やってみせてよ。いつもみたいに、さ』 『』が生きていた頃、私は『』の手助けをする為に、怪事件や魔女の情報を集め、その居場所や性質を調査していた。 「...言われなくとも。ここからは、僕の戦いだ」 ポーン。と、到着を告げる電子音。 ゆっくりと扉が開いていき、前方に奴の姿を捉える。 やはり黒いモヤのように、その姿を正確に捉える事ができない魔女。 だが。 「君には魔女としての本能以外に、明確な意志を感じる。そして、君は恐らく他人の認識を阻害するのが得意なようだ。さっき七海さんの察知が遅れたり、あの偽物の神浜で僕らの記憶を封じていたり。何より、今まさに僕が君の姿を正しく認識できない」 魔女からは、敵意は感じない。 僕の事なんかいつでも消せるから、眼中に無いのか、あるいは... 「だったら、その正体を正しく言い当ててやればいい。さあ、答え合わせの時間だ、魔女」 僕がお前の正体を暴いてやる。 /8 結界の中に作られた、マンションの屋上。 僕と魔女は、そこで対峙している。 改めて、僕は屋上の周りを見回した。 マンションの周り数十メートルより外は、不可思議な壁に覆われている。 そして上を見ると─── 「あれは...!」 そこには、宙吊りになった街があった。 恐らく、偽物の神浜。 魔女は相変わらず敵意を向けず、こちらを向いて佇んでいる。 だが、その姿は黒いモヤのように曖昧で、ハッキリと捉えられない。 その正体を、今から僕が暴いてやる。 「偽物の神浜から出て記憶が戻ってから、僕はずっと考えていた事がある。偽物の神浜を作った犯人の動機だ。犯人は君で間違いない。だが、ただの魔女ならこんな回りくどいやり方で人を集めたりしない。という事は、魔女としての本能、人間を喰らう事以外に何か別な強い動機がある。僕はそう考えてた。そして、さっき『』から結界のタネを教えてもらって、ようやく腑に落ちる答えが浮かんだ」 一呼吸置き、また口を開く。 「偽物の神浜は、本物の神浜の人たちが抱えている『後悔』の念を読み取り、その逆として理想の神浜を作り出す。僕はそこに、君の本性があるんじゃないかと考えてた。そして、あのお墓で一つだけ意味のある文字列だった名前。さらにこのマンション。この2つを繋ぐ事件を、僕は知っている。昔このマンションで起きた、魔女の口づけによるものと思われる自殺事件と、その被害者のお墓の前で不審死した少女。結論から言おう。君はその不審死した少女。あのお墓の前で魔女化した、元魔法少女だ」 思えば、ここまではすぐに繋がった。 だが、その中心にある動機が空のままだったのだ。 けれど、今ならわかる。 「ここからは僕の想像だが、君は自殺した■■ ■■の友人、あるいは彼に恋愛感情を寄せていたんじゃないか?君は当時は魔法少女だ。それなのに、大切な人が魔女の口づけの被害に遭った時、助ける事ができなかった。理由は僕にはわからないが、事実として、彼の自殺を君が止められなかったのは間違いない。大切な人が危機に瀕し、それを救う力を自分は持っていながら、助ける事ができなかった。君はひどく後悔しただろう。その後悔の念が、彼のお墓の前で頂点となり、ソウルジェムが濁りきって魔女化した」 大切な人を助けられない辛さなら、僕もよく知っている。 そしてこの苦しみは、魔法少女を魔女化させるには充分過ぎる絶望となるだろう。 「魔女化した君は、魔女としての本性に『後悔を取り戻したい』という強い思いが組み込まれた。『もしも、あの時〜だったら』という、自分と同じ後悔の念を神浜から読み取って、それを叶える偽物の神浜を作った。そして定期的に結界内に人をおびき寄せ、中の偽物と入れ替えてやれば、自分からは絶対に外に出ようとしない蟻地獄の完成さ」 言い終わり、僕は魔女を見据えて指を指す。 「以上の性質から、お前の本性を言い当ててやる。その名は『面影の魔女』。過去の幻影を追い続け、仮初めの理想に浸る事しかできない、哀れな魔女。それがお前だ!」 どこからか、笑い声が聞こえて来る。 目の前の魔女から、モヤが晴れていく。 正体を言い当てられた魔女は、ついにその姿を表した。 モヤの中から出てきたのは、黒い喪服のような格好の少女。 だが、異様な事に首から上は存在しない。 その代わり、少女が大切そうに抱えている遺影の中の顔が、不気味に僕を覗いていた。 「正解。よくここまで解ったわね。魔法少女でもない、ただの人間なのに」 驚いた事に、魔女は僕に話しかけて来た。 「ええ、ええ。あなたが言った通り、私は■■君のお友達。けれど、そんな■■君を救えなかった、哀れな魔法少女のなれの果て。まさか、あなたが偽物の神浜から出てくるとは思わなかったけれど」 「どういう事だ?」 「私はあなたの後悔を知っている。あなた、私とよく似た後悔を抱えていたもの。もう一人の、青い魔法少女さんもね。私、ちょっと期待していたのよ?あなたなら、あの神浜を気に入ってくれるって。青い魔法少女さんも似た後悔を抱えていたけれど、あの人は現在に繋ぎ止める縁が多すぎる。あなたなら、繋ぎ止めているものは無いと思ったのだけれど」 確かにそうだ。 七海やちよは後悔を抱えていたが、それ以上に今を生きる魔法少女達とのつながりを大切にしていた。 環いろは達みかづき荘の仲間や、梓みふゆや十咎ももこやその仲間達。 僕には、それ程多くのつながりは無い。 けれど─── 「それは、ご期待に添えず申し訳ない。僕にも、今を大切にしたい理由は、多少なりとも有るのでね」 「そのようね、残念ながら。けれど、あなたはここから出られない。下で戦っている魔法少女さんを大人しくさせたら、もう一度偽物の神浜に入れてあげるわ。今度こそ、あそこから出ようなんて気は起こさせないようにしてね」 そう。僕にできるのはここまでだ。 魔女の正体を暴けても、僕一人ではその先が無い。 だが...何故だ? 僕は何かを見落としているような気がする。 『あなたが待っている人なら...多分来るから...』 『』が残した言葉。 あれは─── 「まさか!?」 「どうかしたかしら?」 「なあ、面影の魔女。この結界の中に入るには、既にそこに有る偽物を消さないと定員オーバーになるんだったな?」 「そうよ。だから私が偽物を消さないと、外から人が入って来る事は無い。さっき間違って殺しちゃった偽物も、死体が残っている以上、物理的な隙間は空いてないわ」 「そうか...そうか...!」 繋がった。 あぁ、『』。君は最後に、こんな布石を打っていたなんて。 「何か、私が間違っていて?」 「いや、君は間違いを犯していない。確かに、これじゃあ『人』は入って来れないだろう。だが、肉体が残っていても、ソウルジェムは砕けた。つまり、魂としての隙間はそれで空いている。そして、ソウルジェムから変化した魔女は、いわば物理化した魂そのもの!」 「何を...っ!?何!?これ!?」 そうか、彼女は最後の最後に、呼んでくれたんだ。 いや、呼ぶまでもなく来ると信じて、道を空けてくれた。 背後でエレベーターが起動する。 下階から誰かを連れて動きだす。 「何なの!?誰かが入って来る!?こんな事って───」 ぽーん。と、到着音と共に扉が開く。 中から現れたのは─── 「お待たせ、「」。待った?」 「いいや。これ以上無い、完璧なタイミングだ、『』」 /『8』 落ちていく。 けれど重さは感じない。 自分が何かに溶けていくように、存在がゆらいでいく感覚だけを感じる。 そうか。 私は死んだんだ。 彼に死に際を見せないように、彼が去った後、ソウルジェムは砕け散った。 あのまま待っていても、助からない事は分かっいた。 だから、最後に私は賭けをした。 確かに、彼を私にとっての「」と同一視するのは間違いだった。 けれど、それでも、彼は確かに「」だったんだ。 違う過去を歩んでも、根っこの部分は変わらない、人一倍真面目で、どこか危うい「」だったんだ。 だから、私は彼の力になりたいと、そう願った。 (あ...) 暗い闇の中、遠くに光が見える。 光はゆっくりとこちらに近づいてきた。 それは鳥のような形の光で、それが何なのかはすぐにわかった。 ああ、よかった。 成功したんだ。 正直、ちょっと不安だったから。 けれど、確信もあった。 だって、あれは私だもの。 (私の身体...使っていいよ...だから...!) 光がゆっくりと頷いたような気がした。 そして光は羽ばたいていく。 彼の元に。 /9 「何故...何故あなたがここに居るのよ!」 「決まってるでしょ?私は「」の友達だもの。友達を助けるのに、理由がいる?」 「そういう意味じゃない!あなたは死んだ筈よ!いや...けれどあなたは外から...いやその身体は間違いなく私が作って...あなた一体何なのよ!」 狂乱する面影の魔女。 対して、『』は落ち着いた様子で答える。 「私はあの子の代わり。あなたが作ったもう一人の私は、確かに死んだわ。けれど、身体は無傷のまま残っていた。だから彼女は言ってたのよ。『私の身体を使っていいよ』って」 「だったら...あなたは私と同じ...魔女...?」 「さぁ、どうなんだろうね。実を言うと、今の私が何なのかは私にもわからない。確かに私は魔女になったけれど、こうして今もう一度身体を得ている訳だし」 言い終わると、『』はこちらに振り向いた。 「さすが、相変わらずだね。その洞察力は、昔から変わってない」 「変わらないさ、残念ながら。そう簡単に、人はね」 そう。僕一人なら、ここで詰んでいた。 今、こうして『』が助けに来てくれたから、僕の推理が意味を成しているんだ。 「今も昔も変わらない。僕は君が居ないと何もできない、非力な一般人さ」 「そっか...なら、私も同じかな。昔と同じ、「」が推理してくれたお陰で、私は戦える」 「黙れぇっ!」 魔女が怒声を上げる。 「黙っていれは好き勝手...!もういいわ。あなた達はいらない。ここで二人共殺して、次の餌を探せばいい。そうよ、それがいいわ!」 そう言うと魔女は、地面からふわりと浮き上がる。 同時に、マンションの屋上に多数の使い魔が出現し、ゆっくりと僕と『』に迫り来る。 「「」。下がってて」 「ああ」 僕は『』の後ろに隠れるように下がる。 すると、『』は指輪を中指に指輪をはめた右手をゆっくりと上げる。 その指輪の中には、もうソウルジェムは無い。 だが、手を水平に掲げた瞬間、黒い閃光が指輪から走り、瞬く間に『』を包み込む。 そして気づいた時には、『』はかつて魔法少女として戦っていた時と同じ格好に。 だが、昔とは違う点が一つ。 「光の...翼...」 魔女である『』が変身した為か、その背中からは魔女となった『』の姿を思わせる、藤色に輝く光の翼が生えていた。 『』は左腰の鞘に収めた剣の柄を握りしめる。 そして、光の翼をばさり、と大きく羽ばたかせると、辺りに光の羽が舞い散った。 それらは光の剣の形となり、『』が地面を蹴ると同時に、使い魔達に一斉に降り注ぐ。 そして『』は大きく跳躍し、咄嗟の回避を試みた魔女よりも素早い動きで、魔女の右腕を切り落とした。 「ああっ!」 魔女は屋上に墜ち、辺りにはまるで使い魔達の墓標のように、光の剣が突き刺さっていた。 「くっ...こうなったら...!」 魔女は空に向けて手を伸ばし、雷を放つ。 すると、上空に逆さ吊りに張り付いていた偽物の神浜がバラバラと崩れ落ち、その中から無数の偽物の神浜の住人達が、空中で使い魔に変化しながら降り注ぐ。 「あの神浜を壊してでも、あなた達はここで殺す!」 「させない!」 『』は翼を羽ばたかせながら空へ。 再び大量に舞い散らした羽を光の剣に変化させ、無数の使い魔達に突っ込んでいく。 目にも留まらぬ速さで空を駆けながら、『』は使い魔達を殲滅していく。 だが...。 「っ...!?魔女は!?」 気づくと、先ほどまで倒れていた場所に魔女が居ない。 マンション屋上の端。そこに這って移動した魔女は、そのまま飛び降りて逃げようとしていた。 「逃げられる...!」 駄目だ。 今ここで逃がしたら、あの魔女はまた偽物の神浜を作り、あのもう一人の『』のような存在を作り出す。 それは許せない。 魔女が飛び降りる寸前、僕は魔女で向かって走り出した。 そして屋上に刺さった光の剣を一本引き抜くと、魔女に続いて僕もマンションから飛び降りる。 天地が意味を成さなくなるような、不快な浮遊感。 それを振り切るように、マンションの外壁の柱を蹴って加速し、魔女に近づく。 結界内で空間が歪んでいる為か、とっくに地面と激突している筈なのに地面がまだまだ遠い。 「しつこい...!いい加減...消えて!」 魔女が腕を振ると、使い魔の手足と同じ形の刃が数本、僕に向かって飛んで来た。 「まずっ...!」 頭や体に直撃しそうな刃は何とか剣で弾いて避けられたが、腕や脚を何本か掠め、身体のあちこちから熱の籠もった痛みが走る。 「ああっ...!」 身体から力が抜けていく。 ここまで来て、諦めないといけないのか...? 「まだだよ!」 背後から聞こえる、『』の声。 直後、『』が僕の左手を掴み、そのまま身体を引き寄せる。 『』は僕の身体を支えるように腰に手を回し、僕の瞳を見て「いくよ」と無言で合図した後、魔女に向けて加速する。 「やめろ!来るな!来ないで!」 そしてそのまま、僕が持っていた剣で、魔女が持つ遺影ごと、胴体を刺し貫いた。 「ああああああああああああ!!!!」 響き渡る断末魔。 同時に、歪んでいた空間が元に戻り、急速に地面が接近する。 激突する寸前、『』は僕を守るように抱きしめ、光の翼で包みながら地面に激突した。 /10 「ぐ...ああ...」 身体のあちこちから痛みがする。 「ごめんね、「」...。今の私には、もう回復魔法は使えない...」 「大丈夫だ...。死にそうなくらい痛いが...死にはしない...」 『』に肩を貸されながら、僕はゆっくりと立ち上がる。 眼前には、遺影を貫かれ、腹に深々と剣が刺さった魔女。 あの傷では、あと数分が限度だろう。 魔女が消えれば、この結界も、偽物の神浜も消滅する。 そうすれば、『』も...。 「大丈夫、「」?」 本当は、話したい事が山ほどある。 伝えたい事が、星の数よりある。 けれど... 「『』...すまない。ゆっくり話したいけれど、僕にはまだ...やるべき事が...」 「わかってる。全く、本当に真面目なんだから」 『』は優しい笑顔でそう言った。 「私は大丈夫。生きていれば、きっとまたこういう機会もあるよ」 「...すまない」 『』と共に、僕は魔女の元へ歩み寄る。 「あ...何かしら...今更...」 「君にまだ訊かなければならない事がある」 「はは...この期に...及んで...?」 「僕はあの偽物の神浜の中で、墓地に向かう少女を見た。あの墓地に意味のある墓は、自殺した少年の名前が刻まれた物だけ...つまり、あの少女は君だ。だが、それでは矛盾する。君に言わせれば『理想の神浜』の中で、君だけが悲しみを背負っていた。それは何故だ?」 「ああ...それね...」 魔女は、どこか遠くを見つめながら語る。 「初めは...あの神浜に彼を作って...私は彼と一緒に過ごして居たわ...。けれど...許せなかった...。私に笑いかけて来る彼が、彼(ホンモノ)じゃない事に...。彼と一緒に居る私が、既に私(ニンゲン)じゃない事に...。それに気づいたころには...とっくに私は壊れてた...。私の中で一番大切なのが偽物の神浜そのものになって...何故それを求めたのか...理由を忘れて手段だけが一人歩きしていた...。あなたが私を見たのなら...それは多分...私(マジョ)にのこった私の...最後の抵抗...。何故理想の神浜を求めたのか...その理由を失わない為の...」 「そうか...」 これで、全ての謎は解き明かされた。 「君が話した通り、君と僕の抱える後悔はよく似ている。だから、僕は君を否定した。もし何かが違ったら、面影の魔女になっていたのは、君ではなく僕だったかもしれないから。だから、僕が否定しないといけないと思った」 かつての僕なら、彼女と同じ力を持てば、同じ事をしただろう。 それほどまでに、彼女は僕に似ていた。 「けれど...去りゆく今この時だけは、君を偲ぼう。同じ苦しみを抱えた者として」 その言葉を聞くと、魔女はゆっくりと、しかし満足そうに笑った。 「あなたは...こっちには...来るんじゃ...ない...わ...」 魔女の身体は、そこで霧散した。 「面影の魔女...いや、□□ □□さん。どうか今度こそ、安らかな...眠り...を───」 どうやら僕も限界だったようで、そこで僕の意識は途絶えた。 /11 気づくと、そこは橋の上。 僕はここで、ずっと誰かを待っていた気がする。 誰かに何かを、言わなきゃいけない気がする。 ふと、誰かの気配を感じて振り向く。 そこには、懐かしい友人と良く似た『彼女』が立っていた。 ああ───そうか。 結局、言えなかったんだった。 だからこんな所で、待っていたんだ。 「ありがとう、もう一人の『』。君は僕にとっての『』じゃなかった。けれど、君と過ごした時間は、とても満ち足りていて、幸せだった」 伝えられなかった言葉を言うと、彼女は向日葵のような笑顔を見せてくれた。 「───」 どこかで誰か、呼んでいる君がする。 橋の向こう側から、聞き覚えのある声がする。 僕はそこに向けて歩きだす。 橋の向こうには、『』とは違う、けれどもどこか安心する人影があった。 ふと、彼女の事が心配になって、後ろを振り返った。 逆の岸には、ちゃんと彼女を呼ぶ人が居て、彼女はそこに向かっていた。 ああ───なら、安心だ。 再び僕を呼ぶ人の方へ歩き出し、僕はゆっくりと、夢から出て行った。 /終 全身から来る痛みに、僕はたたき起こされた。 「う...」 窓から差し込む月の光に照らされながらベッドから身体を起こすと、すぐに異変に気づいた。 「ここは...?」 木製のお洒落な机やタンス。温かみのある壁紙。 そして、少し古めかしくもこだわりを感じる部屋の造り。 この雰囲気には覚えがある。 「みかづき荘...?」 間違いない。七海やちよが管理し、その仲間の魔法少女達が住まう、あのみかづき荘だ。 何故だ...? 偽物の神浜はもう、消滅した筈...。 がちゃり。 部屋の扉が開き、思わず警戒する。 だが、その警戒はすぐに無用だとわかった。 「七海さん...?」 入って来た七海さんは、少し驚いたように僕を見た後、ほっと息をついた。 「よかった...起きたのね...」 七海さんから、僕が意識を失った後の経緯を聞いた。 あの後、結界は無事に消滅し、七海さんもマンションから出られた事。 マンションの外で、魔女の姿の『』が僕を見守ってくれていた事。 七海さんが来ると、『』はどこかに飛び去っていった事。 魔女由来の傷を負った僕を、病院には連れて行けなかった事。 「───という訳で、みかづき荘に連れ帰って、ひとまずの処置はしたわ。身体は大丈夫?」 「まだ身体のあちこちが痛むね...本当に申し訳ない、七海さん...」 そう言うと、彼女はどこか残念そうな顔をした。 何か気に障るような事を言ってしまったのだろうか? 「...前から思っていたのだけれど、その『七海さん』って呼び方、ちょっと他人行儀過ぎるわよ」 予想外の発言に、少し言葉を詰まらせる。 けれど...ああ、確かに。 「それなら『僕』は、君を何て呼べばいい?」 友人は、『』だけじゃなくともいいんだ。 「なら、やちよで良いわ」 「そうか...うん。それじゃあ、今回はありがとう...やちよ」 面影の魔女/後語 『もしも、過去の後悔を取り戻す事ができたら?』 誰もが一度は考える事だろう。 もしもあの頃もっと勉強をしていたら? もしもあの時勇気を出して好きな人に告白できていたら? もしも───居なくなってしまった友人と、ずっと一緒に居る事ができたら。 そしてそんな『もしも』の可能性が、実際に目の前に現れたら。 だが、僕は思う。 これまでの過去全てに目を塞ぎ、甘美で理想的なもしもの世界を受け入れる事は、今の僕が持つ過去と現在、その両方に対する裏切りなのではないかと。 確かに、『』が生きていてくれたらと、何度心で願っただろう。 だが、もしもその願いが叶ってしまったら、『』を失った過去から続く現在までもを否定する事になる。 魔女になっても尚、僕を守ってくれた『』の思いも。 そんな僕を支えてくれる、新しい友も。 それら全てを否定し、理想の現在を追い求めるには、僕は現実の今に失い難いものが出来すぎた。 過去を思うのは、決して悪い事じゃない。現在の僕らを形作るのは、結局の所過去だ。 けれど、その過去に引っ張られ続けるのは、きっと良くない事なんだろう。 だからそろそろ、現実(いま)を生きよう。 僕らが生きているのは現在で、向かう先は未来なのだから。