「結局どれもダメだったね、ミサキちゃん。」 文化庁デジタル文化振興室、その応接室で紙コップのコーヒーを片手に男が言う。 「せっかく君のお手伝いができると思ったのに申し訳ないよ。」 ソファーにだらしなく座るこの男、実は部外者である。 「あれ名張さんじゃないですか。なんでこんなところにいるんです?」 今応接室に入ってきた男は正規の職員のIDカードを首からぶら下げている。 カードには顔写真と『取置』の文字が見える。 「あなたがいるとミサキちゃんの教育に悪いんですけど?」 「あっはっは、君がそれ言っちゃう?」 名張と呼ばれた男はまるで意に介さないかのように振る舞う。 「私からしたら二人とも十分教育に悪い気がしますけど?」 取置に続いて入ってきた女性がそう言う。 「いやぁ、芦江さんは手厳しいな。いや僕だって自覚はあるんだよ?」 「だったらあまり満咲姫さんにちょっかいを出さないでください。」 悪びれない名張に芦江はメガネを指で直しながら言った。 「ごめんなさい芦江さん。わたしが呼んだんです。」 ミサキが名張を庇うようなことを言った。 「植物系プラグインについての、相談があって。」 言われて取置と芦江は納得しつつも少し歯がゆい気持ちになる。 目の前にいる名張という男は、デジタルワールド関連技術という点では自分たちには及ばない。 しかし動植物の豊富な知識と、それをデジタルワールドやデジモンに応用する能力という点では向こうが圧倒的だ。 同時に彼のあらゆる技術に対してただの道具扱いする割り切り方が好ましく思えずにもいるのだ。 二人が去ると名張は再びしゃべり始めた。 「しかしあの森はどこ行ったんだろうね?デジタルワールドにマクベスモンとかがいるのかなぁ?」 「あの名張さん。」 意を決したように呼びかけるミサキを名張は一瞥する。 「何だい?」 「あの、どうして、木を燃えなくするプラグインにしなかったんです?」 やっぱりか、と思ったが名張は声には出さずにミサキの言葉に耳を傾ける。 「森を一晩で作るとか、早く成長させるとか、そういうのばっかりで。もっと単純に燃えない木を作ればいいんじゃないですか?」 そこまで言ってからミサキはあることに気づいたような表情をした。 「もしかして……燃えない木って、無いんですか?」 「……無くはない、ね。」名張の声が少し冷ややかになる。 「例えば七度竈に焚べても燃え尽きないことからナナカマドと呼ばれる木がある。」 「じゃあ……」 「ただそういう木は成長がものすごく遅い。ゆっくり頑丈に成長するから燃えにくいんだよ。アトラーカブテリモンの森が燃やされるペースに追いつけない。」 説明を聞いて残念そうな顔をするミサキを見て、名張は紙コップを置いて頭をかく。 「……まあ、成長が早くて燃えにくい木もあるよ。」 それを聞いてミサキの目が輝く。 「ついでにいうと山火事そのものに耐性のある木もある。あるんだけど……」 「名張さん、それを使いましょう!」食って掛かるようにミサキが言った。 「なんで最初に教えてくれないんですか、名張さんのイジワル!」 「僕が意地の悪い人間なのは否定しないけどね……」 言って視線を逸らした先にインプモンがいた。 そのインプモンの視線に気まずそうに再度目を逸らす。 「まあ、これも勉強か。」そう言うと名張はソファーから身を起こした。 「じゃあやってみるか。多分君なら問題なくその木をデジタルワールドに持ち込むプラグインが作れる。」 そこまで言うと置かれていた紙コップを手に取り中身を飲み干す。 「だけど最初に言っておくよ。何があっても僕は責任を取らないからね。」 数日後。 「キミがアトラーカブテリモン様の森を治してくれる人かい?」 まだあちこちが燻ってる、いかにも山火事鎮火直後という様相を呈している森。 そこにいた夕立と名乗る少女の目は期待に輝いていた 先日のミサキが見せたような、失意の中で希望を見つけた者の目だ。 「名張蔵之助だ、よろしく。ミサキちゃんの紹介でやって来たよ。」 その目の輝きに若干の罪悪感を覚えつつ名張は握手する。 デジタルワールドはリアルワールドとは違う、誇張の強い世界だ。 焼け焦げた木々はもうすでに再生をはじめている。しかし…… 「なるほど、再生速度がもうかなり遅くなってる。燃やされすぎて疲弊してるのかな。」 通常の破壊された森のリスポーン……『再生』の速度に比べると明らかに遅かった。 「それでどうやってボクたちの森を治してくれるんだい?早く頼むよ。」 森を焼かれた不安と助けが来た安心が混ざった夕立の言葉にミサキがポーチからプラグインカードを取り出した。その数、3枚。 「じゃあまず説明するね。まずこれがユーカリプラグイン。」 「ユーカリってコアラが食べるっていうユーカリ?」 「うん。ユーカリって、火がつくと皮の部分だけはがれ落ちて中の幹まで火がまわらないんだって。」 説明するミサキの言葉に懸命に耳を傾ける夕立。 「根っこに栄養を貯めてて、火事の後もすぐに成長できるんだって。」 「ユーカリっていうのはユーカリ属の総称で900近い種類がある。今回は精油原料に使いやすい種をメインにミックスしてみたよ。」 「せいゆ?」名張の補足に小首をかしげる夕立。 「ユーカリの油には鎮静とか殺菌の効果があるんだって。咳止めにもなるって。」 「へー……」ミサキの説明に夕立は感心した。 「次はバンクシア。これは火事になると芽が出るんだって。」2つ目のプラグインカードを取り出すミサキ。 「えっ……火事になると?燃えちゃわない?」説明を聞いて驚く夕立。 「松ぼっくりみたいな固い実でね、火事でようやく種が出てくるんだ。山火事の後でスタートダッシュで他の植物より優位に立とうって植物だよ。」 「へー、なるほど……。」名張の説明に一応の納得はしたようだ。 「バンクシアの花は密がいっぱい出て、虫や鳥や動物が寄ってくるんだって。虫型や鳥型のデジモンが喜ぶと思うよ。」 すこし嬉しそうに言うミサキの説明に、夕立は自分のパートナーをちらりと見た。 テントモンは少し嬉しそうな顔をしていた。 「最後にサンゴジュ、これは火を防ぐんだって。」ミサキが3つ目を取り出す。 「火を、防ぐ……?」 「サンゴジュは燃えにくい葉をしてて、古くから防火林にも使われているんだ。」 「へー、そっか、そうなんだ……」 目を輝かせて説明を聞き入る夕立の様子に、名張はますます気が重くなった。 「ありがとー!これでアトラーカブテリモン様の森が救われるよー!」 嬉しそうに手を振る夕立に見送られて一行は森を後にした。 その道中、ミサキが名張に話しかけた。 「あの、名張さん。」 「……何だい?」 「さっきからどうしてそんな暗い顔をしてるんです?いいことをした後なのに。」 「……まあ、すぐに分かるよ。」 名張はその場では答えなかった。 3日後。自宅兼事務所にいる名張にミサキから電話がかかってきた。 『名張さん、夕立ちゃんから連絡があって……その、』一呼吸置いてから彼女は告げた。 『森が倍の速さで復活するようになったけど、森が燃える回数も倍になったって!』 「あー、やっぱりそうなったか。」 『やっぱり!?やっぱりってどういうことです!?名張さんこうなるって……』 「予想はしてたよ。」ミサキの疑問をあっさりと肯定した。 『なんで!?わたしの作ったプラグインになにか問題が……』 「いいや、君の技術は完璧だったよ。ただ……発想が悪かったんだ。」 『……発想?』 「一つずつ説明しよう。」 「まずサンゴジュ、この海岸性植物は葉に魚毒性がある。根流し漁という漁法にも使われる。水棲系デジモンには毒になるから、それがまずトラブルのもとになる。」 『毒……』 「次にバンクシア、これの蜜は虫型・鳥型のデジモンを呼び寄せる。人が増えるっことは新たなトラブルの火種になる。」 『……でも、それだけでここまで燃やされる回数が増えるなんて』 「その認識が違うんだよ、ミサキちゃん。」名張は指摘した。「『燃やされた』んじゃなくて『燃えた』んだ。」 『……どういうことです?』 ミサキの疑問に即座には答えず名張は説明を続ける。 「最後にユーカリ、油が取れるって言ったろ?その主成分であるテルペンは可燃性で、ユーカリはそれを大気中に放出する。」 『……えっと待ってそれじゃあユーカリはわざわざ」 「そう。わざわざちょっとしたことで発火して山火事になる環境を、自分から作ってるんだ。」 『……なんでそんなことを?』 ミサキがそんなふうに疑問に思うのは当然である。理由もなく自殺する生物など考えられない。 「種を広範囲に飛ばすためと、もう一つは天敵であるコアラ対策とも言われているね。」 『コアラ?コアラってあのコアラ?どうして!?』 「ユーカリにとってコアラは何の利益も生み出さないからだ。」名張の口調には棘があった。 「毒をどれだけ変性させても対応して消化し、受粉にも播種にも関与しない。一方的に葉を食べるだけの関係なんだ。」 言われてみればそのとおりだが、納得しがたいものをミサキは感じた。 『だからってそこまでする……?』 「いいかいミサキちゃん、『逆境に強い生き物』というのは逆境に単に耐えるだけの生き物じゃなくて、むしろそれを武器にして生存競争を戦う生き物なんだ。」 名張の口調が諭すようなものに変わる。 「『山火事に強い木』を選んだ時点で『自ら山火事を呼び込む木』になるのは必然なんだ。」 発想が悪い、という意味をようやくミサキは理解した。 『それじゃあ、わたしがやったことって……』 「悪くない選択だったと思うよ。」口調はそのままで名張が続ける。 「一方的に奪う者に対して反抗するユーカリ、利益をもたらすものに蜜という利益を与えるバンクシア、直接的に火から守る力を持つサンゴジュ。」 指折り数える名張。 「この3つが揃った森なら、何度燃やされても蘇ることができるさ。夕立ちゃんには少々気の毒だけどね。」 『……なんで最初に教えてくれないんですか、名張さんのイジワル。』 「僕が意地の悪い人間なのは否定しないけど、この場合、教えたら君、やらないだろ?それに……少しぐらい痛いほうが勉強になるものだからね?」 『名張さんは、イジワルです。』そう言って通話は切られた。 「……そうだね。」誰に言うでもなく名張は呟いた。