「ねえイグニートモン。」 「なんだよラクネ」 「私がデジモンになって戦えたらいいと思わない?」 「んだよ急に何言い出すかと思ったら…」 樹上に腰掛けた二つの影は、楽しげに会話を交わしていた。 「私聞いたんだ〜デジモンに変身する人間がいるんだって!私もそうやって戦えたらいいと思わない?」 「オレは…ラクネが危ないのは…やだな。」 「え〜!イグニーやさしい〜!」 「腕掴んで揺れんなよ!落ちるって!」 ゆらゆらと揺れる樹。その下にもう一つの影があった。 「おーい!二人ともー!」 「あっ!ミネルちゃ〜ん!」 少女は器用に木を降りると、自分たちを呼ぶ声の主にこっそりと耳打ちをする。 「ねぇミネルちゃん、やっぱりイグニーのお嫁さんは強いほうがいい?」 「ん?そうだなぁ…やっぱりアタシに並ぶぐらいには強くいてほしいかなぁ〜」 それを聞いた楽音は、やはりデジモンになって戦えるよう、ある人に頼み込んでみようという決心をした。 「うおっ!ここすべっ───」 「大丈夫イグニー⁉︎」 「あ…ありがとラクネ」 しかしミネルヴァモンからすれば、木から降りる際に足を滑らせた弟を咄嗟に助けることができる彼女は、すでに十分強いのだった。 「大丈夫か?」 「平気だよ姉さん。それより何の用?」 イグニートモンは姉に少女との時間を邪魔されたからか、それとも彼女に助けられている所を見られてしまったからなのか、少しぶっきらぼうに尋ねる。 「そろそろ暗くなる。ラクネもそろそろ帰った方がいい」 そう言えば、と要件を話すミネルヴァモン。 「もうそんな時間!?早く帰らないと」 そう言って少女は、左手を突き出すと「ゲートオープン」と唱えた。 すると空間にノイズが走り、四角くヒビ割れたようになる。 「じ…じゃあなラクネ!」 「またねイグニー!ミネルちゃん!」 楽音は手を振りながら、その中へと消えていった。 そのひび割れが消えると、ミネルヴァモンが口を開く。 「で、どうだったの?今日は。ラクネとうまくいった?」 「ね、姉ちゃんには関係ねえだろ!」 そんな茶化しあいをしながら、姉弟も住処へと帰っていった。 ───────── 翌日。楽音の姿はとある大学の、神月研究室にあった。 「ね〜ぇ!いいじゃんハカセー!私の事デジモンにしてよー!」 「だからそれは無理だよ…あと僕はハカセじゃなくて教授…」 彼の名は神月ユウ。楽音のゲートを開く能力を与えた張本人である。 「私この力をもらえたことにとっても感謝してる!だからまた実験台にして!」 「君は良くても僕が良くないんだよ…前の時は君のお父さんに殺されかけたんだから…」 「できないって言わないってことはできるのね?」 「っ……確かに研究はしてるけどさ…」 彼女は勘の鋭い子供だった。 教授はデスクの引き出しから、手から少しはみ出す程度の大きさのペンのようなものを取り出した。 「どこかで見たことあるような形…エピペンに似てる…?」 「これはデジインジェクターって言うんだ。」 教授は続ける。 「これはデジモンのデータを接種することで、人間をデジモンに近づけることを目的として作った。」 教授は腕に注射をするジェスチャーをする。 「すごい!それを使えば私も戦えるようになるの?」 「理論上は…ただ動物実験が一件も成功しなくてね…だから君が望むような事は今はできない。実験に使えるデジモンのデータもないんだ…これももうカラだよ」 多分失敗作だよこれは…と軽くため息をつきながら、 教授はインジェクターを引き出しに戻した。その時だ。 「教授。10分後にデジ庁の方が面会に来られます。それと娘さんについてなのですが────」 部屋の外からホーリーエンジェモンが声をかけてくる。 「ヤバい!もうそんな時間か!?とにかく!君をデジモンには出来ない!いいね!」  「お待ち下さい教授!娘さんの事を────」 慌てて部屋を出て廊下を走る神月教授と、それを追いかけるホーリーエンジェモン。 楽音は1人研究室に残されてしまった。 「はぁーあ…守られてるだけはやだな…」 一人ごちる楽音の耳に、声が聞こえた。 『──を─────いか?───よ』 「誰⁉︎」 彼女は周囲を見回したが、部屋には誰もいない。 『願いを叶えたいか?少女よ』 今度ははっきりと聞こえたその声は、どうやら自分に話しかけているらしい。そう感じた楽音は、意を決して話しかける。 「私の願い…叶えてくれるの?」 『如何にも。デジモンになって戦いたいというその願い、叶えられる。』 「どうすればいいの?」 『インジェクターを持ってそこのゲートに入れ。』 彼女が振り返ると、そこには自分が開いたものではないデジタルゲートが開いていた。 (ごめんなさい。ハカセ!) 楽音は心の中で謝ると、引き出しからデジインジェクターを手に取り、ゲートの中へと歩みを進めた。 ───────── (あれ…まだデジタルワールドにつかない?) いつもは入ってから数歩歩けば向こう側へと出られるゲートだが、今回はいくら歩いても、抜けられなかった。 『もう歩かなくてもいい。』 先ほどと同じ声が、楽音に止まるよう促した。 『インジェクターを掲げてくれ。』 声の言うとおりにするとそれに赤黒い光が集まり、空っぽだったインジェクターは使用可能になったように見えた。 「これで…使えるの?」 『ああ、これで君は強くなれる。』 「ねぇ…あなたはどうして声しか聞こえないの?」 声しか聞こえず、姿が見えない存在に恐怖を感じないほど楽音は愚かではなかった。 『恥ずかしがり屋なんだよ…私は。』 「じゃあせめて…名前ぐらいは教えて?」 『名前…名前か…そうだな…デジモンイレイザーとでもしておくよ。』 その声と同時に、周囲はいつの間にかデジタルワールドの見慣れた風景になっていた。 「お礼…言えなかったな」 しかし、そんな存在に願いを叶えてくれると言われ、安易に乗ってしまう程度には、彼女は子供だった。 ───────── 「えっと…こうだっけ…」 楽音は左袖をまくりインジェクターを突き立てると、そのまま押し込んだ。 僅かな痛みの後、少女の体内にデータが流し込まれてゆく。 「おわった…のかな?」 データはすぐにインストールされたようだ。彼女はインジェクターをしまう。 「あれ…ラクネ?もう来るなんて…珍しいな」 その頃、イグニートモンは楽音がこちらに来ていることに気づき、迎えにいった。 「ラクネー!」 自分を呼ぶ声に気づき、彼女もそれに応える。 「イグニー!」 いつものように名前を呼び合いながら近づいてゆく二人。しかし、異変はすぐに訪れた。 「ラ…ラクネ?」 近づいてくるイグニートモンに、倒れ込むように抱きつく少女。 少年はゼロ距離のふれあいに興奮を覚えそうになったが、すぐに何かが起きていることに気付いた。 「ごめ…イグニ…ちょっと…変で…」 少女の体は、まるで制御を失ったかのように痙攣していた。 「ラクネがおかしい!姉さん!!!」 彼が助けを呼ぶ間にも、変異は進行していた。 髪が白く変色していき、赤い角がその間から見え隠れするようになった。 「わたシ…何が起きてルの…?」 「ラクネ…ラクネ!しっかりしてく」 少女の左腕が白く変色した次の瞬間、それは元の数倍かに伸長し、イグニートモンの胸を刺し貫いた。 「どうした!イグニー…ト…モン…?」 助けを呼ぶ声を聞いたミネルヴァモンが駆けつける頃には、すでに彼は息絶えていた。 「あ…ア……る…アぁ…あァ………」 もはや声と呼ぶべきかもわからない音が、少女だったものの口から流れる。 「まさか…ラクネ…なのか?」 その声を聞き、"それ"はミネルヴァモンの方を向いた。 もはや人間ではない姿へと変わっていた”それ”だったが、顔はまだ、楽音であった頃の面影を残していた。 「ラクネ…なんだな。」 弟と笑い合っていた顔、それを彼女が忘れるはずもなかった。 その直後”それ”の下半身が丸く肥大化し、足が裂けるように分裂、6本足となった。 「私は…アルケニモン」 誰に問われるわけでもなく、”それ”はまずそう名乗った。その声は楽音のものにも似ていたが、確実に違っていた。 次に、アルケニモンは左手に刺さったままのイグニートモンの体を口元に運び、思い切り喰らい付いた。 「待て!やめろ!!」 悲鳴混じりの静止を聞くはずもなく、アルケニモンは体を飲み込む。 「小さい割にいいデータ量だ…これならば沢山の仔が産める…」 アルケニモンからどんどんとコドクグモンが産み出されていく。 その衝撃的な光景を前に、ミネルヴァモンは立ち尽くしていた。 だが、彼女の体を突き動かさんとするものがあった。憤怒だ。 「お前は…お前はもう…ラクネじゃないんだな…!」 「ラクネ?誰だそれは?私はアルケニモン。そう言えばお前は誰だ?」 「アタシは…アタシはミネルヴァモン!アルケニモン!お前を倒す者だ!」 彼女はオリンピアを構え、宣言した。 最初に仕掛けたのはもちろんミネルヴァモンだった。 大剣の斬撃を喰らわせようとするが、アルケニモンは糸を巧みに操り後ろへと飛び退く。まだドクグモンが育ち切っておらず、本調子ではないため逃げようとしているのだろう。そう感じたミネルヴァモンはある方向へと誘導するように斬撃を繰り出していく。 「しつこいヤツだ!コドクグモン!」 防戦一方の状況に痺れを切らしたのか、子蜘蛛たちを消しかけるアルケニモンだったが、生まれたてのコドクグモンでは足止めにすらならない。 再び飛び退いて逃げようとするが、彼女はそれが無理であることに気付く。 背後には崖があったのだ。 「かかったな。お前にもう逃げ場はない!ストライクロール!」 「スパイダースレッド!」 アルケニモンが放った糸はミネルヴァモンの頬を掠め、僅かに傷を負わせたが、前転斬りを止めるまでには至らなかった。 「クッ…!こんなところで…!」 吹き飛ばされ崖から落ちてゆくアルケニモンだったが、糸を伸ばしなんとか掴まっていた。 「弟の仇だ。」 ミネルヴァモンは冷たく言い放ち、糸を切り裂いた。 「ああぁぁぁっっ!!!」 今度こそアルケニモンは崖下へと落ち、見えなくなった。 「はぁ…はぁ………イグニートモン…」 緊張の糸も切れ、オリンピアを取り落としたミネルヴァモンの目からは、涙が流れていた。 崖下では今もまだ、アルケニモンが生きていることを知らずに。 「許さない…!ミネルヴァモン…!!必ず報いを…!!!」 憎悪は渦巻き、因縁となる。 ─────────キャラ設定───────── 南雲 楽音 デジタルワールドと現実を行き来できる少女。小学5年生。 父親が大学で勤務しており、たまたまついて来ていたところ、学内で行われていた神月教授の実験に巻き込まれてしまい、自由にデジタルゲートを開く能力に目覚めた。 能力に目覚めたばかりの頃は制御ができず、しばらくデジタルワールドから帰れなくなっていた。その際にイグニートモンと出会い、彼を半ば一方的に自らのパートナーとした。 その際度々彼に助けられていたが、一方的に助けられるだけの関係であることに不満がある模様。 人やデジモンを勝手につけた愛称で呼ぶ癖がある。 現在は自在にゲートを開くことが可能になり、イグニートモンに会いに行くためや、気分転換のためにデジタルワールドへと行っている様子。 神月 ユウ 大学でデジタルモンスター学の教授をする一方、人間とデジモンの垣根をなくすことや、デジタルワールドとの行き来の簡易化などの研究を行っていた。 楽音の父親は同僚だが、そこまで親しいわけではない。 デジタルゲートを特殊なデバイスなしで開く実験を行っている際、楽音が実験室に入り込んでしまい、彼女にデジタルゲートを開く能力を与えてしまう。 小学3年生のカオルという娘がいるが、研究に没頭するあまり、ホーリーエンジェモンに任せきりになっている。 イグニートモン 怠け者な面のある成長期デジモン。 姉であるミネルヴァモンと喧嘩し不貞腐れていたところで、まだゲートを作る能力を制御できず、デジタルワールドで一人彷徨っていた楽音を見つける。 彼の話を聞いた楽音が姉との仲直りを仲介した際、そのお礼として帰る手立てを見つける手伝いすることを要求され、彼女のパートナーとなる。 楽音が能力の制御に成功し現実世界に帰った後には、姉に「本当は帰ってほしくなかった」と漏らしたが、その後すぐに彼女が戻ってきたため、めちゃくちゃ茶化された。 ミネルヴァモン イグニートモンの姉。究極体に進化したことで、少し舞い上がっているようだ。弟とは喧嘩も多いが、とても大切に思っている。楽音の弟に対する思いを知っており、彼女から相談を受けることも。 楽音との関係で弟をよく茶化すが、本心では幸せになってほしいと考えている。 アルケニモン デジモンイレイザーを名乗る者がデジインジェクターに注入したデータを、楽音がインストールし変異した姿。他のデジモンを捕食することによってコドクグモンを産み出すことができる。 デジモンの意思が完全に主導権を握っており、楽音の意思は残っているかどうか不明。 ミネルヴァモンによって崖下に突き落とされるが、トドメは刺せていなかった。 ━━━━━━━━━おまけのネタ解説的な部分━━━━━━━━━ アルケニモンによってイグニートモンが殺された今回の事件はミネルヴァモンの心に深く傷を残し、彼女が強い力を求める理由になっている。 彼女が思う力は、「誰かを守り、気遣える」というものから、「敵を滅ぼし、自らの大切な人に危害を及ぼせないようにする」というものに変わってしまった。 ───────── アルケニモンとミネルヴァモンに因縁を持たせたのはギリシャ神話に由来するもの。アラクネが醜い蜘蛛の姿になったのがアテナによるものであるように、楽音が戦える力を求める決心をした理由にミネルヴァモンとの会話を持ってきている。 ───────── 楽音の名前はそのままアラクネから。苗字は蜘蛛→雲の連想。 ───────── この出来事の時系列は5年前に持ってきてあるので、楽音の年齢は自作の久亜アイナ(No230)に合わせてある。使うかは不明。