”さあ、用意はいい?” 風のない夕方19時。デジタルワールドではもう日が沈んで夜の世界だ。 でもあたり一帯はささやく声でいっぱい。 まだかな、もうすぐだよ、楽しみだね。 成長期の子が幼年期の子をあやしている。その隣には成熟期の大きなデジモン。サボテンみたいな姿で腕組みしてる。後ろの子のためにちょっとかがんでもらったほうがいいかな? 森の脇、柔らかな草原にでんと置かれた丸太製のステージ。 ステージ上はきれいに板が敷き詰められていて、月明かりでもつやつやしているのが分かる。 そんなステージの脇、楽屋として建ててもらった丸太小屋から外を眺めている。 ここからから見える座席は大入り満員。まあ座席というか原っぱだから、そのまま座っているだけなのだけれど。でもこれはちょっと予想外。座れるスペースがもう大分少なくて、席を探してうろうろしている子がいるくらい。 わたしのかわいい教え子の発表会をしたいなと考えていたのだけれど、むしろコンサートといったほうが近い規模になっちゃってる。でもたくさんのデジモンたちにうちの子を見てもらえるなら万々歳!場所やステージ、楽屋まで作ってもらっちゃって本当に感謝!まったく賢木さんには頭が上がらない。 インターネットもないのにこんなに人を集められるなんて、すごい顔の広さよね。 このコンサート、もとい発表会は、わたしが歌を教えているゲコモンたちに、人に聴いてもらう楽しさを教えてあげたくて企画したものだ。楽しく音楽をするなら、その楽しさを広げることだって大事だもの。だから近所のデジモンたちに発表できそうな場所がないか聞いて回ったのだけれど、このスケールはちょっと想像以上。わたしの小学校でも年に一度合唱コンクールをするから、この人数相手でも経験はある。でも保護者と児童だからほとんど全員味方のようなもの。 でも今日のステージは、初めてステージに立つゲコモンたちと、初めての観客になる。 気に入ってもらえるかな。ううん、気に入ってもらえないわけがない。わたしの教え子たちはなかなかのくせものだけれど、チームワークと歌声はピカ一だ。 普段通りの声が出せるなら、万事問題ないと思う。この観客たちの期待にかならず応えられる、と思う。 そう思って楽屋を振り返る。と、すごいどんより模様。この人数に完全に参っているみたい。まあ仕方ないよね。 まずは一声かけるところからかな。 「さあ、ようきはふらふらしないの!しんちょうも背筋伸ばす!おだやかは・・・大丈夫ね。」 いつも通りの声掛け。途端にゲコモンたちからはじけるような文句の山が出るわ出るわ。 「こんなに集まるなんて聞いてない!せんせーの詐欺師!貧乳!」 「もうちょっと練習したほうが良かったんじゃないかなぁ・・・」 「見たことないデジモンいるね!」 ようきというかなまいきかも。どこでそんな言葉覚えたのやら…。 まあそんなに集まらないよなんて安請け合いした私が悪い。 ようきの頭をぽんぽんとなでる。ようきもやるしかないのはわかっているようで、もにょもにょ口ごもって静かになる。 おだやかのマイペースさは正直助かる。はいはい、こっちに戻った戻った。頭を挟んで外を眺めるおだやかを引き戻す。 問題はしんちょうだ。実はこの子にソロパートをお願いしている。歌声だけなら三匹の中で一番なのだ、この子は。 しゃがみこんで目線を合わせる。視線の定まらないしんちょうの手を取って、一言しんちょうの名前を呼ぶ。 あちこちに飛びっぱなしな目がだんだんと落ち着いてくる。 ようやくわたしと目が合ったタイミングでもう一度、できる限り優しく名前を呼ぶ。 まだちょっと緊張が残っているみたいだけれど、冷たくなった手はだいぶ暖かくなった。このくらい落ち着いたならもう大丈夫かな。しんちょうは、しんちょうではあっても臆病ではないのだ。 しんちょうを真ん中に、ようきとおだやかが左右に並んでいる。いつもの授業の並び順だ。 一人の先生として、音楽に触れるものとして、ここからが大事なところだ。 不安や失敗、成功はどうしても体を固くしちゃうから、そこから別のことに意識を向けてやる必要がある。 「わたしの教育方針は知ってるね?はい、しんちょうくん」 すまし顔でクエスチョン。まずはこたえられる質問で緊張をほぐす。 「まじめなときはまじめに、楽しむときは楽しむこと・・・です。」 「よろしい!じゃあ、君たち、今はどっちかな?」 彼らに尋ねてみる。 「「「まじめ。」」」 まあそう答えちゃうよね。腕を組み、うんうんと彼らに同意を示す。 でもわたしは腰に手を当てて、すぐに楽しくなるよって、反り返るほど胸を張って三人に言う。 どうかな? しかし疑いのまなざしが返ってくるばかり。これはいつも通りの反応。いい兆候だ。 「ね、なんで楽しくなるんだと思う?」 一斉に首をかしげるゲコモンたち。 思わずふふふと笑みがこぼれてしまう。ゲコモンはきょとんとした顔も愛嬌があるね。 「じゃあ、なんで楽しくなるのか、確かめに行こっか!」 観客が見つめる中、ステージに立つのは恐ろしい。失敗したくないし恥をかきたくはないのは当然だもの。もしかしたら、そうなっちゃうかもって想像をこの子たちは恐れている。でもそんなの怖がってられないほど、全部の不安を吹き飛ばすほどの楽しさが待っている!それをわたしは教えてあげたいのだ! 顔を見合わせるゲコモンたち。まだ足が震えてるのもわたしには見えている。 わたしだって実は心臓がばくばく。本当は誰だって震えや怯えを消すことなんてできやしないのだ。でも、それ以上に高ぶる気持ちなら、弱気な気持ちだって塗り替えてやれるのだ。 怯えもある、恐怖もある。でも彼らの瞳には自信や好奇心だってある。 自分たちがうまく歌えたら、そうしたらみんなはどんな風に反応するんだろう。そして、それを自分はどんな風に見ることになるのだろう。こればかりはやってみなくてはわからないことだ。 みんなと目が合う。もうやるしかないって目。大変よろしい。 「じゃあ、そろそろ行こっか。」 指揮棒をくるくる回して、最後の確認を一つ。 「ステージでは笑顔を忘れずに。はい、復唱!」 覚悟はできてるさあ行こう! 一塊になってステージへ飛び出すゲコモンズ。それにちょっと遅れてわたし。 いざ、ショータイムだ!! おまけ(コンサート後のすがた) 「うわ、せんせーもう寝てるよ。お酒弱いのに何で飲むのかなぁ」 「あーあー、せんせー起きろってねえ!おーい!!」 「よだれ酷いなぁ…。これ拭くのぼくらかぁ…」