◆ オレ、空上嶺文がデジタルワールドに来てから、早数週間。 厳密に言うと正確な日数は数えていないが、 まあ突然見ず知らずの異世界に放り込まれたにしては、結構な時間が経っていた。 喋る緑の鳥……プテロモンに連れられて旅に出たものの、 当面の敵はいつ出てくるか分からない暴走デジモン――直球すぎるのもどうよと、プテロモンに改名提案しても相手にされない――よりも、生活環境の確保であった。 食糧には意外と不自由しないが、問題は衣服と水回りだ。あと睡眠。 究極的には度外視してもいい部分かもしれないが、特に制服の使い切りは男子学生のプライドとして譲れないものがあった。 ……まあ、いつか戻ったところで違う制服になっているかもしれないが。 そういうわけでプテロモンとの交渉の結果、街に滞在がてら暴走デジモンの調査をしつつ、 日雇いで路銀も稼ぐといった今のスタイルに落ち着いた。 そもそも街の存在や人間の文化圏に近い暮らしがある事にも驚きだったが、 中でも意外だったのは、人間の来訪がそう珍しいものでもないらしいこと。 事実として、数は少ないが人間用の衣料は売ってあるし――最悪、授業でしか経験のない裁縫も覚悟していた――、 道行くデジモン達もオレの存在に大きく驚くことはない。 こうまで定着させるにあたって先人たちの苦労も偲ばれるというものだが、 それぐらい頻繁に起きていることなら、向こうの世界にも何かしらの認知はあるんだろうか。 ……現状の進展がない以上、希望は捨てない程度に思っておこう。 そんな妄想より、人間と言えば――ようやく本題――オレの頭を悩ませるものがあった。 霞澤璃子。 嘗てのクラスメイトで、数少ない友達だった女の子。 当時はスマホも持たされていなかったし、連絡先も知らないままオレが転校で離れて、 もう会う事もないかと思っていたところでまさか再会するとは。 状況としてもこんなところで顔馴染みと会えたのは非常に嬉しい。 嬉しい、はずだったのだが。 "――あァ……?テメェと話すことなんざ、一言もねえよ!!" ……誰だよこの霞澤さんは。 そんなんじゃなかっただろ。 だって君"あ……空上くん……"みたいな感じだったじゃん。 綺麗な長い黒髪だったじゃん。 オレみたいなバカにも優しくしてくれるいい人だったはずだよな。 それが何だあの金髪ヤンキー。 何か凄い形相で睨んでくるし、というか胸倉掴まれた時本気で怖かった。 声がデカけりゃ態度もデカい。身長もオレより……ちょっと、だけ高いし色々デカい。 中学デビューにも限度があるだろ……誰だよ…… 計り知れない悲しみを伴って、今日も夜は更けていく。 願わくば、何らかのほとぼりが冷めるまであいつには会いませんように…… ◇ 「――げ」 「……来やがったな、カラアゲ野郎」 願いも儚く、オレと霞澤璃子は再び鉢合わせてしまった。 そりゃそうか、あっちもオレ達と目的は同じらしいし。 「カラアゲ……?」 霞澤の発言に首を傾げるプテロモン。 カラアゲというのは、オレの苗字から取った小学生時代の仇名だ。 空に上がってカラアゲ。くだらないが、所詮は小学生のセンス。 オレの記憶の中の霞澤さんは当然使わなかった。 「んなことどうでもいいの。ほら始まってんぞ」 プテロモンの視線を向けさせた先では、既に霞澤とそのパートナーのファンビーモン、 そしてその向かい側に、今回のターゲットが対峙していた。 かく言うオレ達も、プテロモンがキャッチした暴走デジモンの反応を頼りにここまで来たのだ。 「あれは……エビか?ザリガニ?」 「エビドラモンだ。……当たりだな」 そうプテロモンに呼称されたデジモンの姿は真っ赤な甲殻に覆われ、 節足を有した腹の先の胴体からは、巨大な鋏となった両腕が備えられていた。 その体躯と合わせ、まさに巨大エビかザリガニかといった風貌だが、言われてみれば顔は確かにドラゴンっぽいかも。 いずれにせよ、どう見ても陸地にそぐわない見た目からして、あれが今回の暴走デジモンと見て間違いなさそうだ。 誰とも知れぬ黒幕が、生息地や環境に関係なく強制進化させたデジモンを暴れさせる事例は何度か経験している。 「そうと決まりゃあ――」 「待ちな」 遅れを取り戻そうと、デジヴァイスを取り出した俺に鋭い制止が被せられた。 声のした方を向くと、霞澤がこちらを一瞥もせずにエビドラモンを見据えている。 「テメェらと手を組む気はねぇ。コイツはアタシらだけで片付ける」 対するエビドラモンも既に動き始めていた。猶予は残り少ない。 「は?お前何言って――」 「いいだろう」 「……決まりだな」 またも遮られたオレの代わりにプテロモンの了承を聞き届け、霞澤の口角が吊り上がる。 霞澤さんはそんな顔しない。 というか、 「……どういうつもりだよ」 「どうにも、お前らの仲はよくなさそうだからな」 「そんな状態で割って入っても邪魔になるだけだろう?」 なるほど、一理ある。 「それにだ」 「それに?」 「あいつらの進化を……戦い方をじっくり見ておきたい……!」 感心して損した。 こいつ、進化が絡むとすぐコレだ。 ……まあ、様子見も間違いではないか。 場違いに興奮する同行者の様子に呆れて、オレの頭も少しは冷えたようだった。 「待たせたな……かますぞファンビーモン!!」 「仰せのままに、お嬢」 気勢を上げた霞澤が、手にしていたデジヴァイスを構える。 長方形に、黄と赤のツートンカラー。 色もそうだが、そもそもの形状がオレの持つそれとは明らかに異なっていた。 さておき、涼やかな声で応じた黄色い蜂型の小型デジモン…… ファンビーモンが空高く舞い上がる。 「デジソウルチャージ!!」 次いでデジヴァイス上部の端子に、霞澤が手を翳す。 するとデジヴァイスは眩い光を蓄え、溜まったそれをそのままファンビーモンへと照射した。 「ファンビーモン、進化――」 光を受けたファンビーモンの身体もまた眩く輝き、その周囲に粒子の環を形成する。 「――スティングモン!」 発光が収まり、粒子も霧散した頃には、ファンビーモンの姿も全く新しい形に作り替えられていた。 昆虫の特徴を持ちながら人型に近いフォルムと、進化前のそれとは打って変わった深緑の体色。 一対の複眼は赤く光り、黒鉄色の両腕にはスパイク状の武器が備わっている。 背部の翅を羽ばたかせ、中空で静止したスティングモンは、向かってくるエビドラモンを迎え撃たんとその間合いに飛び込んでいった。 そして始終を見ていた俺は、 「おぉ……!通常のデジヴァイス進化はこうやるのかぁ……!」 目を輝かせるプテロモンの傍で、口を半開きにさせたまま唖然としていた。 得物が違うのは、まあそういうこともあるだろうが。 「……普通の進化って、ああいう感じなの?」 「ああ!オレも見たのは初めてだが、一般的に伝えられてるのはそうだな」 浮かれ気味のプテロモンの言を聞いて、握っていた自分のデジヴァイスを疑念の目で眺める。 ……もしかして、これ…… 訝しむ一方で、エビドラモンと接敵したスティングモンは激しい格闘戦を繰り広げていた。 巨躯の割に素早く鋏を繰り出すエビドラモンと、それを巧みに躱し続けるスティングモン。 回避の合間に蹴りや爪撃を叩き込み、相手をたじろがせるスティングモンが一見有利に思えるが、 エビドラモンの甲殻の前にはダメージも薄く、戦局は膠着状態にあった。 「……にしても、戦い慣れてんなぁ。リンクモンも速いけど、ああはいかないよな」 「……経験もあるだろうが、デジモンは進化すれば、身体の使い方や特性はその時点で身に着いてるものなんだ。今まで戦ってきた暴走デジモンだってそうだったろ」 「逆に言えば、その辺も手探りでやらなきゃならないオレ達のリンクモンこそ変なんだよ」 「え、そうなの?」 「前にも言ったはずだが……まあ、いい見本がいてよかったよ」 ……やっぱりこれ、不良品掴まされたんじゃ…… 疑念が更に深まった時、戦いも新たな局面に移行しようとしていた。 「ラチがあかねぇ……スティングモン!」 「承知致しました」 業を煮やした霞澤の一声に、スティングモンはすぐさまエビドラモンの額を蹴り出し、 その反動で大きく距離を取る。 そして構えた腕からは大きくスパイクがせり出し、再度相手目がけて突っ込んでいった。 「スパイキングフィニッシュ!」 スティングモンの最大速にはエビドラモンも対応できず、無防備なままスパイクによる刺突を受ける。 刹那、金属音にも似た、弾けるような響き。 エビドラモンは無防備なのでなく、あえて信用のおける甲殻で攻撃を受けたのかもしれない。 必殺の一撃も通じなかったスティングモンはその場で繰り出されたエビドラモンの鋏も潜り抜け、 霞澤の元へと舞い戻る。 「効かねえか……」 彼女の零した言葉が合図となったか、オレとプテロモンは示し合わせずとも顔を引き締め、臨戦態勢に入っていた。 今リンクモンになって割り込めば、霞澤は怒るだろうが大事にはならないだろう。 スティングモンのような戦いは望めないが、ここは何とか甲殻のない部分を狙って―― 「……なら、もう一発だ!」 「はい、お嬢」 思考を巡らせている間に一句継いだ霞澤は、不敵に笑っていた。 デジヴァイスの端子に再び手を翳し、光を迸らせる。 それに呼応するかの如く、スティングモンが掲げた片腕に光が寄り集まっていった。 光は次第に、スティングモンのそれより二回りは大きいスパイクを形成していく。 「長引かせて悪かったな……アタシらが楽にしてやるよ」 そう告げる彼女の横顔に、息を呑んだ。 憐憫と、どこか慈しみが入り混じったような、この表情は―― ――緑の閃光が走る。 またしても無防備に突撃を受けたエビドラモンはその甲殻ごと胴体を刺し貫かれ、 光の粒子となって霧散する。 粒子が飛び散った後に残された繭も解け、地面には両生類型と思われる成長期デジモンが横たわっていた。 霞澤はスティングモンが回収したそれを預かり、汚れも厭わずに抱きかかえる。 「すぐ返してやるからな……」 先ほどの戦法で流石に体力を使ったか、疲労も見える彼女の表情は今までにないほど穏やかだった。 まあ、オレが視界に入っていないからというだけかもしれないが。 「オレ達、結局出番なかったなぁ」 「そうだな。だが――!?」 ――いいものが見れた、とでも言いたげだったプテロモンの表情が強張る。 こういう反応を示した時はいつだって同じだ。 そう察知した瞬間、俄かに地響きを感じ取った。 「んだ、急に……っ」 霞澤のデジヴァイスからと思しき、アラーム音がけたたましく鳴り響く。 地響きは断続的ではあるが、震源が局所的だ。体感震度もムラがある。 となると、地中か。 そこまで考えて、相手の狙いが思い当たった。 この場を動いていないオレ達、宙に浮いたスティングモンの羽音―― 地響きが明確に、オレ達から遠ざかる。 「お嬢っ!!」 ――そして、咄嗟に両手を離せない霞澤。 轟音と共に、土砂が噴き上がった。 土煙が上がり、一瞬顔を出した主も紛れた為、正体は分からない。 巻き込まれたはずの霞澤はというと、 「……んっ……テメ、ぇ……」 「間一髪、出番アリだ」 そう、リンクモンとなったオレに抱きかかえられていた。 とはいえ、また騒がれたのではさっきの二の舞だ。 珍しく余計な事は言わず、無事を確認したらさっさと降ろすことにする。 「……悪い、助かった」 だがその上を行ったのはそれきり言って目を伏せた、霞澤の意外なほどしおらしい反応だった。 もっと殴られるぐらいの被害を予想していただけに、拍子抜けだ。 「……お前、やっぱ霞澤さんなんだな」 それ故に、思ったこともつい口に出てしまう。 「……あ?何当たり前の事言ってんだ」 「……いや、こっちの話」 本日はガラも悪く、こちらも無事我に返った。 空気を読まないのはオレの得意技だが、こういうのはキャラじゃない。 「さて、選手交代でどうだい」 「ふざけんな、アタシはまだ……」 「さっきので疲れてんだろう?それに子持ちだ。スティングモンだって心配するだろうよ」 「ぐ……」 まだ抱えたままの成長期デジモンを指さしながら、とりあえず効きそうなところを挙げてみる。 「手を組みたくないんならちょうどいいだろ?オレだって、今助けたのはお前じゃなくてそのデジモンだ。そういうことにしとく」 「それでいいか?」 「……わかった、頼む」 ひとしきり捲し立てて、ようやく霞澤も強張った肩を落としてくれた。 案外と素直なものだからむしろ罪悪感も湧いてくるが、扱い方は何となくわかってきたような気がする。 結局、今のあいつも霞澤璃子には変わらないという事だろう。 どうしてあんな不良女になったのかは見当もつかないが、別にそれが霞澤自身を偽る仮面でもないことはよくわかった。 むしろ、押し付けていたのはオレの方か。 自分が自分らしくあればそれでいい。 そう自身に言い聞かせてきたくせにこれでは、あまりにもダサすぎる。 こんなのはオレじゃない。 振り回されるのもキャラじゃない。 怒りすら湧いてきて、今なら何でもできる気がしてきた。 不良品が何だってんだ。 こいつのおかげで、こっちだってそれなりに色々と考えさせられてもきてるんだよ。 今回だってやってやる。 ◇ そんなこんなで。 あの後、両腕を高速振動させて行う穴掘り移動を思いついたリンクモンことオレとプテロモンは 地中を追跡し、地上まで暴走デジモンを追い詰めることで打ち上げ、 待機していたスティングモンに止めを刺してもらう形で、一連の戦闘は終わりを見た。 最終的に手伝ってもらったことで霞澤璃子との貸し借りはチャラ――あくまで今回の件に関しては、だが―― という事になり、霞澤自身にも"次はねえからな"と脅されるに留まっている。 ちなみにファンビーモンはオレ達に滅茶苦茶感謝を述べた後、露骨に落ち込みながら霞澤に着いていった。 まあ、霞澤璃子ならパートナーを悪いようにしないだろう。 結局彼女がオレに対して何を怒っているのかはわからないままだが、 そう思えるようになっただけでも、あの戦いは収穫だったのかもしれない。 ……とはいえ、まあ。 「怖いもんは怖いよな、プテちゃん」 「……ゼントタナンだな、カラアゲ」 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