「ねえブルコモン……」 またか、とブルコモンは内心で呟いた。 わがパートナー霜桐雪奈は不機嫌になるとどんどん思考がネガティブに偏っていく。 幸い戦闘などの窮地においてはそのような傾向が鳴りを潜めるが、日常のふとした不幸からこうして愚痴に発展することは長い付き合いにおいて数えきれないほど起きていた。 なお、今回の不機嫌の原因は立ち寄った町の宿泊施設が軒並み満室で野宿が決定した点だろう、と推測した。 「ん、なんだ?」 既に慣れたものと邪険にすることなく応える。 長い付き合いから雪奈が愚痴を出すのは親しい相手のみということは理解していた。 これもパートナーとの信頼の証と前向きに捉える。 「わたしたちって何のために旅してるんだろう?」 思わぬ角度からきた問いかけに、流石のブルコモンも吹き出さざるを得なかった。 「今更か!?今更それを聞くのか!??」 「いや、だってこれから固い地面の上で寒い思いすると思うと何やってるんだろうなって……」 はぁ、とため息をつき頭を抱える。 確かにこれまでの旅に目的というのはない。 気の向くまま各地を回っては出会った人たちの困りごとを聞き、時には手を貸し、たまにデジモンイレイザーの悪事を挫き、はたまたデジタルワールドで巻き起こる騒動に巻き込まれたりと、とにかく無軌道な旅だった。 「だいたい無理やり旅の大目標を定めても実行する気はあるのか?そんなものが続くとは思えんぞ」 「だよね〜。でも何も考えず旅を続けるのもな〜ってのも時々思うんだよね」 「雪奈はたまに周りを気にしすぎている。みんながみんな目的意識を持って旅をしているわけでもないだろう」 うーんと唸る雪奈。 聞いた話によるとデジタルワールドとリアルワールドでは時間の流れが違うらしく、それならこんな珍しい体験をすぐに終わらせるのはもったいないと帰還に積極的にならず、ならば各地で悪事を働くデジモンイレイザーを打倒しようにも情報が錯綜し、こちらからは手が出せない状況だった。 とはいえ竜馬や颯乃のような目的意識を持った人たちの話を聞いていると、自分はこのままでいいのかという焦燥感が日に日に膨らんでいた。 「あら〜、何やらお悩みを抱えた女の子発見!ちょっといいかしら〜」 うんうん唸っている二人の頭上から突如声を掛けられる。 視線を向けると、そこには目を包帯で隠した女神のようなデジモンがいた。 「あたしはウェヌスモン。愛を司るオリュンポス十二神の一人よ。霜桐雪奈ちゃん、今お悩みのようね?」 【ウェヌスモン】 慈愛を司るオリュンポス十二神族の一人。目隠しをすることで心眼で世界を正しく捉え、嘘やまやかしを見破ることができる。 はあ、と生返事が漏れる。 悪意はないようだが、突然の来訪者に思考が追い付かない。 「あの、そのオリュンポス十二神の方が何か御用でしょうか?……あれ、わたし名前教えましたっけ?」 「ん〜あたしに隠し事はできないわよ。あなた、今お悩みのようね?あたし悩んだ子のお話を聞くの大好きなの。よければ聞かせて頂戴な」 どうする?と雪奈は相棒に視線で問いかける。 狂暴なデジモンではなさそうだが、オリュンポス十二神となると戦いになれば苦戦は免れない。 下手に機嫌を損ねることは避けたかった。 「まあ、いいのではないか?このまま二人で悩んでも仕方がない。それにウェヌスモンからなら何か知見を得られるかもしれない」 「それもそっか。そういうわけなんで、いいですよ」 あら〜、と目に見えてウェヌスモンの気分が上がる。 「それじゃ、あたしの部屋でお話を聞かせてもらいましょ!移動〜!」 え、と二人が戸惑う間もなく、ウェヌスモンが指を一振りすると三人はその場から消え去っていた。 ―――――― 気が付くと三人は白い部屋にいた。 室内には丁寧に手入れされた花と高級そうな酒瓶が並び、備え付けられたソファにブルコモンと並んで座らせられ、目の前には三脚とカメラが向けられていた。 「あたしの部屋へようこそ!ゆっくりくつろいで頂戴な。ああ、これは気にしないでいいわよ。後で見返す用ね」 部屋主は丁度カメラをいじっていた。 指を振ると一人でに照明が点灯し、設定をいじりピントを合わせると指で丸を作り準備ができたことを知らせる。 (なんかお父さんが見てたえっちな動画みたい……) 「いやね、そんなことしないわよ。それじゃ始めましょうか。答えたくないことは無理に答えないで気楽にいきましょ。ここからは地の文少なめで行くわよ〜!」 「え?え?何ですかそれ?」 雪奈の困惑をよそに、はいスタートとカメラの録画ボタンが押された。 「それじゃ、まずはお名前を聞かせてもらおうかしら。もう知ってるけどこういうのは大切よね」 「え、はい。霜桐雪奈。14歳です」 「ブルコモン。成長期だ」 「うんうん、雪奈ちゃんデジタルワールドに来る前はどこに住んでたの?」 「えっと、まあ田舎でも都会でもないくらいの町で、ちょっと雪が多いかなって以外特に言うこともないところです」 「あらそうなの。学校のお勉強はできるほう?」 「まあ赤点は取らないけど、50点以上取ることもない感じです……テストになるといっつもシャーペンの芯が切れたり消しゴムが飛んで行ったり、解答欄がずれてたり山勘が外れたりで……ところでデジタルワールドって学校あるの?」 「あるところにはあるんじゃないか?おれは行ってないが、氷雪系デジモンの仲間たちと日々切磋琢磨していた」 「うーん実力を発揮しきれない感じね。そうね……趣味は?」 「えー何だろう?ぱっと思いつかないや……スイーツショップ巡り?」 「あら、せっかく若いんだからもっといろんな事をして楽しまないと」 「おれはまあ、困っているやつを助けることだな」 「偉いわねぇブルコモンちゃん。お姉さん褒めちゃう!」 (お姉さん?) 「あら〜余計なことは考えないでいいのよ〜」 「じゃあ好きな食べ物は?」 「えーとアイスクリームかな。ラーメン食べた後のデザートに食べるのが特においしいの」 「かき氷だ。最近流行りのふわふわしたやつよりはしゃりしゃりしたものがいい。何もつけずに食べるのが最高だ」 (それってただの削った氷じゃないかしら……?) 「何かここは改善したいってところはあるかしら?」 「あの、わたしの運のなさって十二神の力とかで何とかなりませんか!?」 「……ごめんなさいね、ちょっと管轄外かな〜」 「ですよね〜……」 「それじゃあ……好きな人のタイプは??」 「なんか他の質問よりテンション高くありません?これといって特には……多分同年代くらいの子がいいかな?」 「えー、こういうのは特に大事でしょ?それで竜馬君や鉄塚君たちはどうなのよ?」 「いや何で知ってるんですか?あの三人は仲間としては頼りになりますけど恋人としては『ない』です」 (あら、これは本気で脈なしね……) 「じゃあほかに仲のいい人はいるの?男の子でも女の子でもいいわよ」 「良子ちゃんと颯乃ちゃんはよく一緒にいます。あとは竜馬さんと鉄塚さんと三下くんと……最近は勇太くんや光ちゃんにも知り合ったし、他にもたくさん」 「あら、いい出会いに恵まれているのね。お姉さん嬉しいわ」 (お姉さん?) 「三度目はないわよ〜」 「そうね……デジタルワールドにはどうやって来たの?」 「どうって言われても……転びそうになってとっさに目を瞑ったら、なかなか転ばないなって辺りを見回したら一面氷だらけで、そこでブルコモンと出会ったんです」 「今にも転びそうに脚をぷるぷる震わせていたからな。助けてやらねばと駆け付けたわけだ」 「傍から見たら運命的な出会いって感じでもなかったけどね……そんなわけで、それからいろいろ事情を話して、旅を始めることになったんです。最初はまあ帰りたいなって思ってたんですけど、だんだんこっちが思ったより楽しくなっちゃって。あっちでは縁がないだろうなって人と知り合えたりとか、ついてないことは相変わらず多いけど、それでもブルコモンやみんなと乗り越えたり、わいわいお祭りみたいに騒いだり……」 「雪奈といるとトラブルが向こうからやってくるからな。自然とおれたちのことが後回しになってしまった。しかし、おかげで大勢人助けができた」 「うん……いっぱい助けたし、助けてもらった」 「……あなたたちの出会いは十分運命的よ。あたしが保証するわ」 「……ありがとうございます」 「それじゃあ……あなたたちはこれからの旅で何がしたい?」 雰囲気が変わる。先ほどまでの弛緩した空気が目の前の女神から消える。 この問いから逃げるなと視線が告げている。 今まで抱えてきた疑問。 知らずに膨らんでいた『何か』。 目的意識のなさと、自然とそれをよくないことではないかという不安を直視させられる。 「…………」 「雪奈……」 ブルコモンが心配そうにこちらに視線を向けた。 すー、と息を吸い考える。 ブルコモンとの出会い、これまでの旅。縁ができた人々。してきたこと。 やがてぽつぽつと、絞り出すようにゆっくりと言葉を紡いだ。 「……わたしなんかが言うのは烏滸がましいかもしれないし、わたしなんかができることは少ないかもしれないけど、これまで会った人たち、これから会う人たちに何かしてあげられないかなって。困ってたら手を差し伸べたり、話を聞いてあげたりさ。これまでいっぱい助けてもらったんだし、ちょっとくらいはお返ししないとかなって、そう思う」 「おれもだ。元から雪奈のために始めた旅だ。雪奈が望むなら、おれは誰かのための力となろう」 「なんかいままでと変わらないね」 「それもいいだろう。旅の目的は無理やり見出すものでもないさ」 まっすぐな強い視線とは言えない。 またこれからも迷う時が来るだろう。 それでも、先ほどよりはしっかりとこちらを見据えて発せられた言葉に嘘はない。 ふふっ、と女神は満足そうに微笑み、カメラの録画を停止した。 「ちょっとは悩みが晴れたみたいね。お話はこれでおしまい。ありがとうね、二人とも」 すっ、と指を振ると、来た時と同様三人の姿が部屋から消えた。 ―――――― 気が付くと先ほどまでいた場所に戻っていた。目の前には上機嫌のウェヌスモンがいる。 「いやーいいお話を聞かせてもらったわ。あとでお酒飲みながら見返しましょう!」 「えっと、あれでよかったんですか?」 「いいのいいの。今のところは満足したから。でもまた聞きたくなったらお邪魔するかもね?」 ひらひらと軽く手を振る。神のごとき雰囲気はすでに霧散し、出会った頃の軽い空気がウェヌスモンから漂っていた。 「あ、そうだ。これあげるね」 ぽん、と手をたたくとウェヌスモンは懐から取り出した手のひら大の丸い物体を雪奈に手渡した。 見た目より軽くかすかに温かみを感じる。 「これは?」 「デジメンタルの素。ここから何になるかはあなた次第よ」 はあ、と気のない返事を返すと、デジメンタルの素はデジヴァイスに吸い込まれていった。 「それじゃ、これからも頑張ってね。じゃあね〜」 ふっ、と指を振ると、来た時と同じように唐突に、姿が消えてしまった。 「何だったんだろうな」 「何だったんだろうね。ねえブルコモン……」 パートナーに呼び掛ける。その視線は先ほどのような迷いは薄れていた。 「この先もいっぱい落ち込むかもしれないし、迷惑もかけるかもしれないけどさ……これからもよろしくね」 「……うむ、おれは雪奈のパートナーだからな」 ふふっ、と笑いあう二人。 これからどんな困難があろうとこの二人なら大丈夫だろうと、ウェヌスモンは遠くから見つめていた。 「あ!」 突然雪奈が素っ頓狂な声を上げた。 「どうした?」 「今日寝るところ!ウェヌスモンに頼んであの部屋に泊めてもらえばよかった!」 「いや多分無理だろう。おとなしく寝袋を確保しよう」 「うう〜……ウェヌスモン様、もう一回来てください……」 (あらあら、まだまだ大変そうね) しょんぼりと肩を落とす二人の姿に、慈愛の女神はただただ乾いた笑みを浮かべるのだった。