「ブルコモンちゃん! 今日もひとりで買い物? 偉いわねぇ」 「おまけにアイス、付けておくよ」 「うちの八百屋を贔屓にしてくれて、ありがと!」 商店街の人々が、デジモンである彼をかまう。 言葉と商品を受け取って、彼は買い物袋と共に帰宅した。 「ただいま戻りました」 玄関扉を開け、一声を家にひびかせるが、返答は無い。 いつも通りだ。 帰ってきたのは、都内のマンションの一室。 構造はありふれた3LDK。 デジモンであるブルコモンは、氷の足を、アルコールペーパーで拭いてから上がる。 靴は、子ども用のスニーカーのみ。 家の持ち主は、ずいぶん帰っていない。 生活費を振り込んでくれるだけの存在となって、久しい。 「よいしょ……」 彼は廊下を歩き、リビングまで進む。 買い物袋をテレビ前に置くと、昼食の準備を始めた。 背の高さが足りないので、椅子に登って包丁を振るう。 トマト、アボカド、レタスを切り、サラダに。 8枚切り食パンを溶き卵に浸けると、ハムとチーズをたっぷり挟み、両面を焼く。 ブルコモンはその上に、彩りとして乾燥パセリを散らした。 「完成」 キッチンに響く声は、成長期らしく幼さあれど、落ち着いている。 「さてと」 ブルコモンは"もう一仕事"するために、椅子を降りて廊下に向かう。 部屋を2つ通りすぎ、たどり着いたのは1つの扉。 『たくとのへや!』との看板が下げられている。 彼はノックせず、目的の扉を静かに開けた。 「……」 部屋の中は、ブルコモンが日々掃除をしているおかげで片付いている。 壁にはデジモンのポスターと、十年前のカレンダー。 本棚には漫画と、小中学生の教科書、そして『巌窟王』が並べられている。 別の棚には、アニメのBlu-rayディスクも立てかけてあった。 学習机の上にはタブレット、日記、ノート、デジタル時計、アロマディフューザー。 「よく眠れるように、柑橘の香りにしたんだった」 ブルコモンが小声で呟く。 彼の主"たくと"のために香りを選ぶのは、デジモンの楽しみのひとつであった。 香り漂う部屋、隅のベッドで眠りについているのが。 「……匠人(たくと)」 ブルコモンの主こと、"幸場 匠人"である。 現在、寝息も立てないほどに深く眠っている。 「……匠人」 デジモンは匠人の寝顔を見るのが好きであった。 16歳の少年、右腕には包帯を巻いている。 服装はパジャマだ。 「……匠人」 群青色の髪、閉ざされた目蓋、起床時とは違い、固く結ばれた唇の形を眺める。 そのデジモンは思った。『ああ、起こしたくない』と。 けれどもされども、起こすのは主との約束であるがゆえ、騎士気質のあるブルコモンは匠人の体を揺さぶる。 冷たい爪で、優しく。 「匠人、約束の時間になりました。 起きてください、ご飯もできてます」 「……」 「匠人?」 「──油断したなぁ! ブルコモン!」 目蓋が開かれ、藤色の瞳にいたずらっぽい光が宿る。 そして突然にデジモンに抱きつくと、笑顔を見せた。 「俺のこと、寝こけてるって思っただろ!」 「思ってました! 離してください!」 「ご飯作る音がしたから、それで起きちゃったんだよねー」 「ああっ! ごめんなさい! 静かにやったんですけど……」 「怒ってない、怒ってない! いつもありがと!」 つまりこれは、感謝の抱きつき。 「離してくださいってば」 「ごめん!」 明るく言いながら、匠人は腕をほどいた。 そして肩を回すと、机の上、デジタル時計をにらむ。 「予定通り、12時間睡眠を取った」 声色は先ほどまでとがらり変わって、相方の氷のデジモンより冷ややかだ。 「顔と歯を洗って、ご飯を食べるよ」 「おトイレも忘れないで」 「そうだね、デジモンも人間もトイレは大事だ」 匠人は二面性が激しい、砂漠のような男と評せる。 明るく情熱的な昼の面と、冷静に自分を管理する夜の面。 匠人は、自分のパートナー以外には、夜の面を見せようとしなかった。 「少し待ってて、ブルコモン」 「ご飯をテーブルに並べるの、手伝ってくださいね」 「もちろん」 主の豹変には慣れているデジモンは、先にリビングへ向かった。 匠人は着替えず、パジャマのまま。 同じテーブルについて、食事が始まる。 カラフルなサラダと、黄色い料理は目に楽しい。 「今日のご飯も凝ってるなぁ。 これ、なんて料理?」 「モンテ・クリストです、匠人」 「へー」 匠人はナイフとフォークで、ブルコモンは手掴みで食べ進めていく。 「モンテ・クリスト……巌窟王ってこと? あのダークヒーローの」 「お好きですよね?」 「へへっ、大好き。 でも俺が目指してるのは、もっと日当たりの良い、王道の……」 「卵とチーズ、ハムで栄養満点です!」 「ブルコモン、お料理好きだよね。 シェフにでもなったら?」 ナイフがパンを切り開くと、とろけた黄色の中身が皿を彩る。 「私より料理の腕が立つデジモンは、いっぱいいますから」 「じゃあ今は、俺の専属シェフさんなんだ」 「……んん。 (デジモンを喜ばせること、しれっと言ってくるなぁ)」 「温かい料理、好きだな」 匠人は目を細めながら、モンテ・クリストを口に運んでいく。 「うまーい!」 「ありがとうございます」 「いつもやってもらってるから、お礼、忘れないようにしないと」 「……テレビでも着けましょうか」 ブルコモンは『このままだと誉め殺しにされる』と察知し、匠人の目を画面に向けさせる。 お昼のニュースが流れ出した。 「都内の行方不明届けの数が、1000を越えたことを、警視庁とデジタル庁が発表しました。 両庁は『デジタルワールド関連』だと判断し、合同調査に当たっています」 暗い話題だ。 「今この瞬間も、困ってる人がいるんだよな」 響く金属音の正体は、匠人がナイフとフォークを置いた音。 「……"マインドオブハピネス"の活動時間、増やそうかな」 口に出したその名は、匠人の別の姿だ。 デジタルワールドを飛び回り、人を救い、子の涙を拭う鎧のヒーロー。 匠人は"彼"になり、活動を始めてから、何人もの子どもを助けている。 「だめです!」 ブルコモンの口から、強い言葉が出た。 「……なぜ?」 匠人の藤色の瞳から、熱が消える。 そしてブルコモンの爪に指を置くと、表面を撫で始めた。 「うう……あう……」 主の豹変に慣れていても、突然に触れられてはデジモンも恥じらう。 けれど、意見を伝えるべく、口を動かした。 「今でも、1日20時間以上活動しています。 これ以上時間を増やしたら、匠人、し、死んじゃ……」 「ヒーローは死なないよ? 死んだとしても、皆の声で息を吹き返す」 「そ、それは"おはなし"のヒーローです!」 ブルコモンは逆に、匠人の手を握り返した。 「デジモンだって、ご飯を食べ、トイレに行き、眠らないと死んでしまうんです! 匠人も同じです! 分かりませんか?!」 「……」 言われた方は目を一旦閉じると、息を吐いた。 「そうだね、マインドオブハピネスで活動しすぎると、お前に負担をかけてしまう。 パートナーに無理させるのは、良くないことだ」 彼なりに納得がいったようで、目が再び開かれる。 明るい瞳、深刻な色はない。 「ご飯たべたらさ、もうひとねむりするよ。 今週、頑張りすぎちゃった。 四徹は……キツイ~……」 へなへなとした表情の主を見ながら、ブルコモンは内心考える。 (もっとちゃんと、匠人を休ませないと。 どんな手を使ってでも……) 氷の爪でモンテ・クリストに触れれば、少し冷めていた。 匠人は、食後のルイボスティーを入れる。 双極性障害を患っている彼にとって、カフェインのある飲み物はご法度だったり。 カフェインと脳の特定の部分が結び付くと、不安を強く感じてしまうのだ。 お茶が入るまでに、ブルコモンは準備をする。 プラスチックのケースから、大量の錠剤、料理以上に色とりどりの物を取り出し、机の上に並べる。 「匠人、お昼のお薬ですよ」 「今日も沢山だなぁ。 薬でお腹が膨れちゃうよ」 「錠剤10種、漢方薬がふた包みです」 「漢方薬、嫌い~」 「口直しにアイスあげますから……」 「がんばる~」 匠人は一粒飲むごとに首を振り、唇を歪めたが、ブルコモンの励ましもあって全種類飲み終えた。 「薬、減らないかなぁ」 「お医者さんが匠人を想って、出してくださるんですよ」 「だけどもさぁー」 不満を言う彼の姿は、年齢より幼く見えた。 ……これらの薬は、匠人が患っている『発達障がい』と『双極性障害』の症状を抑えるもの。 精神を安定させるものもあるし、眠りを導く薬もある。 「アイスどうぞ。 寝る前には歯磨き、ですよ」 「はーい」 これではどっちがデジモンか分からない。 ブルコモンは、かいがいしく匠人を世話していた。 ……うんちの世話は、流石にしたこと無いが。 1人と1匹は、匠人の部屋に戻る。 まだ昼過ぎだが、匠人は寝る予定だった。 四日間、徹夜で動き続けた彼の体が、とにかく眠りを求めていた。 しかし、精神はそうではないのが困りもの。 興奮状態の精神を落ち着け、眠らせるため、匠人には薬が必要なのだ。 「今日は何の香りにしましょうか」 ブルコモンが聞く。 アロマを焚いているのも、匠人が良い睡眠を得られるようにするためだ。 「前と同じで良いよ」 「では柑橘を」 「おー……さわやか……」 「まだディフューザーを起動していませんよ」 少しだけ笑いながら、両者は会話する。 「私はリビングで休みますね」 と言って、出ていこうとしたデジモンを。 「待って、ブルコモン。 寝ずにご飯の片付けするつもりだろ」 「うっ!」 「デジモンも寝ないと、体に悪いんだぞ!」 と言って、匠人が引き留めた。 起きた時と同じく、ぐいと抱き寄せる。 「でも私、ひんやりしてるから。 だっこしたままだと、匠人がねむれ……」 「だいじょうぶだいじょうぶ! 薬、飲んだから!」 笑う匠人の態度は、年齢より幼く見える。 精神の発達が鈍いので、彼は同じ年頃の子ども達の誰より、純粋なままだった。 「もう……匠人はわがままだなぁ……」 「わがままでごめんね」 「怒ってないですよ」 「ありがとー」 ベッドにばったりと倒れ込んで、かけ布団に両者は潜る。 「おやすみ、ブルコモン。 また12時間後に」 「おやすみ、匠人。 また……」 ひとときの別れの挨拶から数分後、匠人はすーすーと眠ってしまった。 (……) 目を閉じたブルコモンは、夢を前に夢想する。 それは──自分と匠人以外の全ての命が消えた光景。 買い物をした商店街も。 歩いてきた道路も。 帰ってきたマンションにさえ、命の気配は無い。 (ああ……) 空想の空を仰ぎ見て、彼は思う なんて『平和な世界』だろうと。 子ども達の行方不明事件も無くて、デジモン同士の争いも無い。 匠人が"マインドオブハピネス"に変装することも無い。 ただ、どこまでも静かで、美しい廃墟に世界が生まれ変わった。 (もし、そうなったら……) ブルコモンは考える、理想の先を。 (匠人と手を取り、ずっと遊び続けよう) やがて空が曇り、雪が落ち始め。 全ての廃墟が白く染まるまで、1人と1匹でくるくる踊るのだ。 理想の中で、デジモンは会話まで思い浮かべる。 『匠人、私、幸せです。 だってだって永遠に、匠人はどこにも行かなくて良いんだ』 『ブルコモン、俺も嬉しいよ。 これからは、モンテ・クリストだけを食べて生きていこう 薬なんて、全て捨ててしまおう。 そしてずっと、ずっと……』 夢の中に雪が積もっていく。 色とりどりの錠剤が、白の上へ撒かれた。 夢想するデジモンの脳内も、雪に覆われていく。 ブルコモンはパートナーの手を取り、夢の中で踊る。 『これ』が永遠でないと知っていて。 ──空は鉛。 夢の廃墟は、全て白く。 ただ踊る足音だけが、小さくサクサク響いていた。