人には休みが必要だ。 走り続けるための時間も走る距離も、限界というものがある。 私もいま正に。 「ただいまーってうわ、何やってるのアコちゃん」 「なにって……度重なっていく理不尽な業務に疲れ果ててソファで足と仕事を放り出して逆向きに寝っ転がっているだけですが?」 「自分の無惨な状況を把握してるのにその悪びれなさ」 「悪くありませんからね、正義はここにあり」 「お酒は大人からだよ」 「酔っていません、何なら何も飲んでいません」 「そりゃ飲まず食わずは疲れるでしょ……コーヒー淹れようか、私も飲みたいし、淹れるね」 辟易した顔のイオリは私の使っているコーヒーミルを少し頭を回して眺めると、それだけで仕組みを理解したのか、ゆっくり、しかし澱みのない動きで豆を入れていく。 「無許可での業務用物品横領」 「懲役30分くらいで勘弁してほしいね」 「被告人は静粛に」 「裁判官こそ越権行為ですよ」 「越権行為とはなんですか!!!ゲヘナの風紀委員行政官たるこの私よりも権限を持っている貴様は何者か!!!」 「何が地雷なの…………。ん?ああいや、もしかしてパンデモ案件でそんなへばってるの?」 「ご名答、イオリも察しがよくなりましたね。手塩にかけて育てたアコちゃんは嬉しいですよ」 「そりゃあこんなの日常茶飯事だからね」 「むしろ茶飯事よりも頻繁に起こってる気さえしますね」 「アコちゃん最後にまともにご飯食べたのいつ」 「ちゃんと昨日の晩は食べましたよ。その前は…………いつだったかしら」 「本当に倒れる前に言ってね」 「委員長が立ち続ける限り私にKOの二文字はありません」 「タオル投げたいくらいなんだけど」 「優しいのは結構ですがそれは私から生き甲斐を奪うことに繋がりますよ」 「知ってる。だからやらない」 「まあ?この山積みの書類を少しばかり触っていただくのは?やぶさかではありませんが?」 「はいはい。とりあえずこれ飲んだらね。アコちゃんミルクと砂糖は?」 「入るだけ」 「私の許容範囲ギリギリで入れとくね」 「糖分が欲しいんですよ。カフェインと糖分。だいたいコーヒーなんて基本シャブと変わんないですよ。覚醒剤です覚醒剤」 「その認識でこれまで委員長の淹れてたならコーヒーミル泣くよ」 「泣かせといてください。塩味のコーヒーというのも乙なものかもしれません」 「私はそんなのいらない……。はい、アコちゃんの分」 私がほとんど目を閉じて鼻をひくつかせている間にいつのまにか完成したらしいカップがことんとテーブルの上に置かれる。 良い豆と良い機械によって作られた良い一杯。部屋中に心地良い香りが立ち込める様子が目に見えるようだった。 集中力を上げるためのアロマ(チナツ曰く「ヘンテコな」)を今炊いていないことについて、過去の自分に感謝する。 この香りは直に嗅がねばならないものである。混ざっていたら台無しだ。 「ん、褒めて遣わします」 「ありがたきお言葉」 「代わりに私も褒めてください。誰からも褒められずそろそろ自尊心が死にそうです」 「先生に連絡すればしてくれるんじゃないの?」 「そんな甘えたことしたらむしろ今まで残っていた矜持が粉々に砕け散ります。人には譲ってはならない一線というものがあるのです」 「私はいいの」 「だってイオリでしょう」 「はいはい。で?どこ褒めればいいの」 「人に聞いてばかりでは成長できませんよ。自分でやることを見つけなさい」 「ダメ上司の典型みたいなこと言うね」 「典型がダメ上司なんですよ」 「いや意味わかんないけど。えー、じゃあそうだなあ………………………………………………………………」 「え?本当に何もないんですか?私部下にそんなに何も頑張ってないように思われてたんですか?」 「いやいやいやいや探せばあるよ、うん。でもアコちゃん私に業務全然投げないじゃん。やったことないモノの大変さは私にはわかんないよ。委員長は現場出るからブワー!ってわかりやすいけども」 「これが営業職と技術職間の溝ですか」 「治安維持機関を営業に例えられてもね」 「あーあ、悲しいですよ、手塩にかけて育てたイオリがこんなにも上級生の心がわからないなんて。あなたも下級生から『えっ銀鏡先輩?いや嫌いではないですけどどこで何やってるのかわからないっていうか……ずっと自由にやってるような……はっきり言って普段の職権濫用じゃないですか?』とか言われればいいんです」 「それアコちゃんが言われたことでしょ。誰だよそんなこと言うの」 「言ったらあなた動くでしょう」 「そりゃあね。一応尊敬してる先輩のことですから」 「それですよイオリ。もっと言ってください、具体的にどこが、私の尊敬する部分、素晴らしい部分を箇条書きで10個言いなさい」 「本当に自尊心崩れてるの?これで?」 「それは"強い克己心を持っている"という褒め言葉としてワンカウントしてあげましょう」 「うーん……こんなヘロヘロになっても"メイクちゃんとしてる"とか?」 「どっちかというとあなたがしなさすぎな気もしますがね」 「いや私も休みの時はするけど、学校はどうせ砂まみれ硝煙まみれになるからさ」 「ふん、どうせ私は活発性に欠けたインドア日陰モノですよ」 「被害妄想がすごい」 「"想像力に長けている"」 「ええ……嘘でしょ……もう何言っても良いじゃん……あっ"字が綺麗"!アコちゃんの用意した図とか小さい文字も潰れずキッチリしてて読みやすいんだよね」 「しっかり練習したんですよ。通信講座で」 「ああいうの詐欺じゃなかったんだ」 「ぼったくりではありましたが。結局努力のトリガーさえ引ければいいわけですからね」 「そういうさ、"頑張れるところ"はすごいと思ってるよ」 「ああ良いですね。どんどん心が洗われていきます。これでイオリがヒナ委員長であれば死んでいますよ」 「死ぬんだ」 「嬉しすぎて頭が爆発します。万が一生存しても意識不明の重体です」 「そうなったらお見舞い行ってあげるよ」 「熟れてないリンゴがいいですね」 「意識不明で食べる気なんだ」 「委員長があーんしてくださるなら前後不覚でも食べます」 「見上げた忠誠心……いやファン精神かな」 「今私が犬だと?」 「言ってないけど!?私たちは悪魔でしょ。んー、アコちゃんこの書類さあアコちゃんと委員長のサイン必要なの多くない?私もやるけど最後は結局アコちゃんになるけど」 ため息をつきながらイオリが山の上からペラペラと捲って中身を確認する。 コーヒーを飲んだらと言っていたが、彼女のカップにはまだ半分ほど残っているように見える。 「良いですよ、元々私のものです。イオリの手の届く範疇でどうぞどうぞ」 イオリが動き出したのなら本来仕事をするべき私もいつまでも寝ているわけにはいかない。 もぞもぞと姿勢を戻し、頭のスイッチを入れる。さすがにそろそろテンカウント経ってしまう。 「なんかこういう関係者以外閲覧禁止な資料読んでるとワクワクしない?」 「全く」 「少女の心が失われた限界OL」 「少年の心の間違いでしょう。いちいちこんなの気にしてたらやってられませんよ」 「えーそんなもんかなあ」 「イオリだって最初に銃を向けた時はドキドキしたでしょう」 「納得いった」 軽口を叩きながらちまちまと積み上げられた山を処理していく。 チラリとイオリを見る。さすがにこの手のことには慣れてないからか、私よりも手が遅い。けれど、イオリの手は決して止まる気配がない。 紙を手に取り、頭から末尾までゆっくり目を通した後、問題点にチェックを入れ、完璧なものにはサインを下書きして、案が求められるものには仮案として最適解を記述する。 その速度は変化せず、一定のペースを保ち続けている。迷う気配がないのだ。 たぶん、こういうものを普通の天才というのだと思う。ヒナ委員長のような圧倒的な神秘を持った絶対者や、トリニティの魔女たち、百年問題を解き明かす車椅子の天才ともまた違う。 イオリのこれは単なる要領の良さと思考の速さ。 普通にできることだから、普通にできるのだ。そこに一切の無駄はなく、努力も、下準備も、あまりに尖りすぎてしまったがゆえの不利益もない。 ただただ常にその場で最高のパフォーマンスを発揮し続けられるという優秀さ。 何よりも本人がそれを自覚していない。周囲ですらおそらく気づいているのは少数だろう。 側から見れば普通の少女で、勝ち気な性格もどこか抜けたところも芯にある真面目さも愛嬌として受け入れられる。 なのに、そのメンタリティが身体に現れない。 震えることはあるだろう、臆することもあるだろう。でもきっと、彼女は身体が思い通りに動かないなんて経験をしたことはない。 彼女はこの先自らの天才性に喰われることも害されることもなく生きていく。 それが羨ましくない、と言ったら嘘になる。 ここまで血反吐を吐くような思いをしてヒナ委員長の隣に立てるようになった私と、イオリは今並んでいる。 私が先にこの部屋に入って、あらかじめこの席に座っていたから、野心の無いイオリが私の場所にいないだけで、もしも彼女がその気になれば私はお払い箱になる。そんなのズルい。 「とはいえ、努力でこの立場が得られたというのは、悪くないところですね」 「え?何アコちゃん?」 「いいえ、お返しにイオリの良いところも教えてあげようと思いまして」 「へえ、そういえば言ってもらったことないかも」 「やる必要も見せる必要も言う必要も聞かせる必要もさせる必要もありませんでしたからねあなたは」 「その割には結構お小言多くない?」 「半分私のストレス発散なので」 「最低だよこの上司」 「だから褒める必要もないでしょうと思っていたんですが、気が変わりました」 「私の頑張りがついにアコちゃんに届いたんだね」 「いえそれとはまた別ですが」 「ええ……じゃあなんなのさ」 「"コーヒーが美味しい"です。泥水の中から覚醒物質を補給するだけの液体じゃなかったんですね」 「アコちゃん味覚は正常なんだ……コーヒーへの認識がおかしかったんだね……」 おかしいのはあなたも大概ですよ。という言葉は飲み込む。イオリの特異さは自覚して良くなるものでもない。 社会と折り合いをつけなければならない奴らとはまた違うのだ。 「あーそっちの束よこして、私もう終わっちゃったから、先にアコちゃんのサイン必要なのだけ渡すよ」 「仕事が早いですね。疲れ果てたこの私よりも優秀でよかったですねえ?」 「隙あらば難癖付けてくるな。だからアコちゃんろくなの私に任せないじゃん、たまに私も書類仕事やるけど本当に大変なのはアコちゃんが独占してる。こんなの誰にでもできるし、ああだけど部外秘だから誰にでもやらせちゃダメなのか」 勘違いだ。イオリが手に取ったものと私が取り組んでいるものに大差は無い。ただアトランダムに取っただけ。 誰にでもできるものを誰にも頼らずにできるというのは、やはり異様なのだ。 「はっ!私の大変さがよく伝わっているようですね。ではこちらの大変なやつをお任せしましょう。ほらほらほらほら早くそちらの道路整備の許可書を渡しなさいハリーハリーハリーハリー」 「調子戻って来たじゃん。やっぱりコーヒーキマってない?」 「何か混ぜましたねイオリ?私をドーピング違反で失格にさせるつもりですか」 「なんの競技に出るのさ。光輪大祭はもう終わったよ」 「終わりは新しいものの始まりですよ」 「哲学じみたこと言われても。まあ確かに、もう早いところは次回の準備してるみたいだね」 「それが飯の種の人もいるでしょう。一度の祭りで二年分の銭を確保して、また次の二年を過ごす人たち」 「この目まぐるしいキヴォトスじゃあ長期的視点すぎるね。想像もつかないよ。ドタバタで壊されたりしないのかな」 「意外となんとかなっているようですよ。全てが予定外ならあらゆることは予定の内だとか」 「言葉遊びだね」 「祭りは遊びでしょう」 「神事だったりしないの?」 「それこそここで何を敬っても仕方ないでしょう。アビドスの彼女たちでも信仰しますか?」 「アレはまた別なんじゃないかなあ。私は詳しく聞いてないけど、アコちゃんもそっち方面の専攻じゃないでしょ」 「ええまあ。トリニティや百鬼夜行の領分でしょうね、もしくはゲマトリアとか。どちらにせよ&ruby(私たち){ゲヘナ}には無関係なことです」 「冷たいね、氷みたい。私もそんなもんだけどさ。言ってみただけであんまり興味もないし」 「蛇のようになんて枕詞を付けなかっただけえらいですよ。私は蛇が嫌いなので、もし言われていたらイオリを蛇にしてました」 「それはそれでどういう比喩なのさ。手足を切り落とす的なやつ?」 「そっちはダルマですね。手足を切り落としてから上下に引き伸ばすという意味です」 「グロ」 「身長が伸びて嬉しいでしょう」 「別に背にコンプレックス持ってないけどなあ。あっ、でもいいん 「委員長について触れるなら刺しますよ、ペンで、眼を」 「グロいって。攻撃性が女子の陰湿さとはまた別方向なんだよアコちゃん」 「私がサバサバ系女子だと」 「いや吠え声がキャンキャン系の……」 「キャンギャル?」 「ギャルとはもっと遠いでしょうよ。真面目だし、四角四面とは言わないけど」 「球体一面だと」 「そんな無理矢理対義語作られても伝わらないよ。まず球体ってあれ一面で良いの、良いのか」 「無限面と捉えられなくもないですがね。これは定義の話でしょう」 「じゃあ球体一面って熟語は『一面しか無いように見えて実は無数の面を使い分けてる』って感じ?嫌だねこれも」 「人はみんなそういうものでしょう。表裏すらないのはメビウスの輪ですよ」 「メビウスの輪も私よくわかんないんだよね。シームレスに表裏が入れ替わってるだけって気がする。ぱっと見で表の場所と裏の場所はあるわけじゃん」 「屁理屈言って、子供ですね」 「アコちゃんも大人ぶってる」 「賢しらぶってるんです」 「いい意味じゃないでしょ」 「着飾ってるの同義語です。自分をより良く見せるための努力の一環ですよ。技術と言ってもいいですね」 「それ見栄って言うんじゃ……」 「虚勢を張れないよりはマシです。それにしてもあなたの字はなんというか、性格が出ていますね」 「えっなんか変だった?汚い?」 「いえ読むのに支障はないのですが、気の抜けると言いますか、可愛らしいと言いますか、媚びてると言いますか」 「最後のは絶対いい意味じゃないね。丸文字なのはなあ、直した方がいいのかな」 「良いと思いますよこのままで。親しみやすいでしょう。あなたはヒナ委員長よりも見た目が怖いですから」 「いや委員長の方が怖いでしょうどう考えても」 「それは委員長の神秘と力が委員長の見た目と紐づいているからですよ。純粋なビジュアルだけ見るならあなたは委員長の足元にも及びません」 「なんで委員長と比べるんだよ」 「なんでって」 だって、次代は貴方でしょう。 私がいなくなって、ヒナ委員長がいなくなって、残るのは貴方なんですよ。 「理由はありませんよ。ただそうですね、並んでいる姿を見慣れているのでつい」 「上に立つならむしろ威厳は必要なんじゃないの、私がそうなるかは置いといてさ」 「ありすぎても困るでしょう。それこそシャーレのあの人なんてまるで舐められていますよ」 「あー…………悪い見本じゃない?」 「もちろん理想はヒナ委員長ですが」 「私もああなりたいね」 「なれませんよ」 「知ってる。ん、とりあえず私の分おしまい。アコちゃんおかわり淹れてこようか」 「お願いします。悪魔のように苦く天使のように甘いやつで」 「底に砂糖が溜まるくらいドバドバ入れるの嫌だよ」 「上官命令です」 「『えっ天雨先輩?嫌いじゃないけど……ずっと自由にやっているっていうか……普段の命令職権濫用じゃないですか?』」 「貴方が陰口の犯人でしたか。もう私の味方はいないんですね」 「委員長は違うの」 「私がヒナ委員長の味方であってヒナ委員長には求めていません」 「それ言うと傷付くと思うなあ委員長。結構私たちのこと好きだよ」 「解釈違いです」 「限界OLじゃなくて限界オタクじゃん」 「ふふっそんなに褒めないでください」 「どこが?」 「そういえば後5個残ってますよ褒め言葉」 「今のはノーカンだしそもそも10個は多いって」 「じゃあ半分にまけてあげましょう。残り一個です」 「大安売りのバーゲンセールだよ」 「在庫一掃セールで売れ残りを防ぐんですよ」 「学生で売れ残り気にするの」 「買い手は多い方がいいでしょう。どうせ選ぶのは私です」 「傲慢だね」 「業腹です。…………イオリ、コーヒーもう一杯追加でお願いします」 「お腹ちゃぷちゃぷになるよ。ああ業腹ってそういう」 「なんぼ私でもそんなコーヒーでお腹をくちくしようとは思いませんよ。そうではなく、もう一人来ます」 「は?」 「ヒナ委員長の足音は判別が付くんですよ」 「き……………………すごいねアコちゃん」 「いまキモいと言いかけましたね?」 「噤んだんだから許してよ。なに?はしたない格好でぐだついてたのは委員長が来てもすぐわかるからだったの?」 わかるものは仕方がない。 正確には足音ではなくもっと曖昧な気配のようなものなのだけど、口にして伝わるものではない。 「そうそう。イオリも来そうだなとは思っていたんですが、まあイオリですしいいかなと」 「いいけどさあ。じゃあ最後、アコちゃんの良いところは"耳が良い"ってことで」 「身体的特徴を褒められても嬉しくありませんね」 耳ではないし。 「さっきまであんなに判定ガバガバだったのに」 「もっと内面について触れてほしいです。持って産まれたそれはまた別です」 「"声が可愛い"」 「身体的特徴」 「"セクシー"」 「身体的特徴」 「"美人"」 「身体的特徴。わざとやっていますね?」 「いやもうそんな私に引き出し期待しないでよ。アコちゃんそういう我儘なところよくないよ」 「"良い性格をしている"」 「結局自分で見つけるんだ……だからそれ良い意味じゃないでしょ……」 私たちが全ての書類を終わらせて雑談に興じる中、重い扉の開く音がする。 当然来訪者は分かりきっていて、振り向かずとも誰が来たのかは理解している。 「何やってるの貴方たち」 「あっいい「ヒナ委員長おかえりなさいませお疲れ様です」被せないでよ……」 「仲良いのね」 「はぁ!?ちょっちがっ私は委員長一筋でっ、イオリ!!!!!」 「なんで私が怒鳴りつけられるのさ……委員長コーヒー飲む?」 「ありがとう、いただくわ。二人はここで仕事を?」 「うんまあ。一応ね、私は最後の方ちょろっと触っただけだけど」 「はいその通りイオリはいてもいなくても変わらず全て私一人で成せたのですが下のものに仕事を振るのも私の仕事なのでこのように練習も兼ねてイオリに手伝わせていました」 イオリの眼がどんどん蔑みに変わっていくのがわかるが、どうでもいい。 「そう、あら、これ美味しいわね」 「あー、普段と違うからね、新鮮さもたまには良いでしょ。委員長これから暇?もう仕事ないんなら一緒帰ろうよ」 「そうね、一応見かけたものは全部片付けたつもりだけど。アコ、まだ何かあったかしら?」 「なんっにも無いです!微塵もありません!一欠片たりとも!委員長のサインが必要な書類は私が筆跡偽造して書き込んでおきました」 「全部終わるわけないと思ってたのに全部終わったのそういうことだったんだ……」 「そう、ありがとう。なら良いわ、着替えてくるから待っていて」 「はい!」 ヒナ委員長が部屋を出ていく。 イオリがさっきからずっと信じられないものを見る目でこちらを見てくるが気にしていない。 ヒナ委員長と帰宅できるとは今日はとても良い日だ。 死んでも良いくらいに。 「ところでイオリ?あなた急用を思い出したんじゃありませんか?」 「本当に性格悪いよアコちゃん…………良い性格とかじゃなくってさ…………私も委員長と帰りたいからやだよ」 「ふーん、逆らうつもりですか」 「私はヒナ委員長とヒナ委員長が絡まないアコちゃんのことが好きだよ」 「媚びますね」 「そういう意図は無いけどさ」 「まあ今日は?頑張ってくれましたし?とーくーべーつーに相伴に預かることを許しましょう」 「もういいよそれで。で、コーヒーのおかわりできたよ」 「む、物で釣るつもりですか」 「アコちゃんみたいな魚はいらない」 「意外と美味しいかもしれませんよ?」 イオリからコーヒーを受け取る。スプーンもついていて、真っ黒い液体を混ぜると底にザラザラとした感触がある。 まさしく注文通りで、イオリの腕に唸らざるをえない。 「これどうやって淹れてるんですか。すごく美味しいんですけど」 「どうも何も普通に。今度見せようか、今日はもう無理だけど」 「はい、お願いします。ヒナ委員長に是非とも味わっていただきたいです」 「私が淹れてもいいけどね」 「仕事を奪う気ですか」 「わかったよやらないって。そんな眼で見ないでよ」 「わかっているのならよしとします」 ため息をついて席に座るイオリを見ながら、私はカップの底から砂糖の塊を掬い上げる。 ジャリジャリさせながら、たっぷり、真っ黒に染まった白い塊を口に運ぶ。 目が覚める甘さが脳を襲う。精魂尽き果てた肉体に今一度だけ鞭を打つ。 苦しい時間は終わり。 報われる時が始まるのだから。