これは遠山新とモドキツカイモンの昔話の断片 ――今から一年前―― 「スレイプモン……、みんな……。僕のせいでみんなが……」 決戦の最中、アラタは自身の紋章に刻まれた『正義』を失い、膝をつき心折れ、ついには敵として戦い続けた者たちの純粋な願いを知ってしまった。 ここに来るまでに幾度となく経験した別れや犠牲、それらに報いるためにも立たねばならない。そう頭では考えてるがもう体は動かずデジヴァイスも光を失いつつある。 アラタの指示が止まったことで連携が崩れ各個に叩かれる仲間たち。そして……。 巨大な影がへたり込むアラタのすぐ近くの地面へ落下。 落下というにはあまりにも強く、隕石の衝突にも錯覚するほどの大きな衝撃波を発してクレーターを生じさせる。 「スレイプモン!!」 当時のアラタのパートナーデジモンだ。 最上位の聖騎士型デジモンの一つとして数えられ、アラタとともに冒険を重ねてきたその勇者は今、地に伏した。 上空では後光を背負う光に包まれた者たちが、力を失った選ばれし子供とそのパートナーたちを見下すように並び立つ。 スレイプモンは力尽き光を放ってその姿を崩壊させる。 まだライフロストはしていないが傷つき倒れた彼の姿は成長期のパタモンにまで退化してしまった。 そのパタモンの左わき腹、外表のテクスチャが剥がれ落ち明確に亀裂が入っている。 光を失いかけていたデジヴァイスがアラートを発し激しく明滅する。 ダメージはデジコアにまで到達しているのだろう。 「あーくん……ごめんねぇ、やられちゃったぁ」 申し訳なさそうに笑みを浮かべるが、そんな顔を見てしまうと本当に全てが終わってしまいそうで思わず目を背けてしまった。 だが、 「ごめん……、僕の方こそごめんよパタモン!」 顔を上げてそう叫ぶと、直前まで鉛のように動かなかったアラタの身体もパタモンを思うと次の瞬間にはすり鉢状のクレーターを駆け降りパタモンを抱きしめていた。 「僕が迷ったから……。僕が……」 アラタの手にした正義の紋章、正義とは立場、視点、関係性からどのようにも変化してしまう概念だ。 アラタに宿った『正義』の意味とは自分の意思を信じ貫くことだった。 それは時にワガママの極致にもなりうる危うさも秘めるが、仲間を迷わせないカリスマを発揮し気持ちを前向きにさせるともし火でもある。 しかし、敵にも正義があったことを知り、それに共感してしまった今では、アラタにも我を貫く振舞いなどもはやできない。 今まで倒してきた数々の強敵たち、この世界で出会い倒れた戦友たち、そして今ここに集い苦楽を共にして来た仲間に、 彼らに向けてどんな言葉と態度でこの戦いを肯定したらいいのか。 チームのリーダー格として振舞っていたがいまだに小学5年生の子供だ。 こんな重責を背負わされて決断を下せるのは経験を積んだ大人でもそうはいない。 頭上で神々しく輝く敵の軍勢が手をかざして光を集めている。 おそらく最後の一撃にするつもりだろう。 降り注ぐ光は、選ばれし子供たちとそのパートナー寄りそい合う様子を影としてその場に焼き付けんとばかりに色濃く照らしだす。 パタモンを抱えクレーターから這いだしてその光景を目の当たりにしたアラタにも、それは絶望的な光景だ。 「あーくんごめんね……。ぼくたちのせいであーくんにこんな想いをさせちゃって、ごめんね」 パタモンが謝る事じゃない。パタモンにこんな悲しい想いをさせた僕こそ……、でもなんて言葉にしたらいいのか。 アラタの頭の中に悔恨ばかりがあふれ出し思考能力が奪われる。 ……それでも。 ただ一つの熱がアラタに思考放棄することを許さず意思を留めさせていた。 腕の中のパタモンのぬくもりがまだここにある。 パタモンもアラタのぬくもりを感じその小さな手に力を籠めて腕を握り、意思を伝える。 「誰かのためとかじゃない!僕はこれ以上仲間を失ないたくないから!」 「ぼくもそんなアラタを守りたいから!」 いまだ正義は折れたまま。 しかしこの冒険の日々に培った二人の、そしてこの仲間たちとの絆までは砕けない。 信じるものが分からなくても、失いたくない物のためにならまだ戦える。 腰に付けたデジヴァイスが激しく振動するがかまってはいられない。 「行くよパタモン!」 「行こう、あーくん!」 何が如何に作用して何が始まるのかなんて二人にもわからない。 しかし漠然とわき上がる護りたい想いが虹となって二人を包む。 敵の軍勢が光を放つと同時に虹に包まれたアラタとパタモンも軌跡を残して光へ向かって飛び上がる。 巨大な光の玉を霧散させ、敵の軍勢の真っただ中へ突撃すると虹が爆ぜ、輝かしい敵の軍勢を滅ぼしたのだ。 その様子を記録していたものなどいない。 地上で膝をつく子供たちにも何が起きたのかなど理解しようもない。 ただ、事実としてアラタとパタモンの放つ光が敵を倒した。 パタモンは別れの言葉も伝えられぬまま、デジタマへと還るため空中で消えていった。 パタモンの放つ光に包まれた『敵の軍勢』もまたデジタマへと還る。 彼らの身を蝕んでいた悪意あるプログラムも浄化され、あるべき形に戻るのも、新しい道を歩むのも彼ら次第だ。 戦いに身を投じた選ばれし子供たちも歓喜の声を上げ、パートナーデジモンたちはアラタとパタモンを讃える言葉を紡ぐ。 アラタにはもう、その声は届かない。 こんなに大変な苦労を重ね、痛みに苛まれ、それでも進んできた結果、最愛の友を失ったのだ。 デジモンはロストしても卵に還って復活する。 そんな現象を説明されたところで埋められる傷ではない。 アラタの正義の紋章が輝きを取り戻すことは、二度となかった。 ――冒険の結果がこんな悲しみでしかないのならば。 アラタは願う。 いっそ全て無かったことになればいいのに。 最初からパタモンと出会いさえしなければ、 そもそも、こんな関係のない世界で理不尽に戦いに巻き込まれたこと自体がどうかしているのだから、 全部無かったことになってしまえばいいのに。 と。 奇しくもアラタの願いは、彼らを見出し召喚した存在により叶えられることとなった。 どうやって現実世界へ戻ってきたのか、彼の仲間の選ばれし子供たちはどうなったのか、 彼らと繋がりのあるものはすべて、物質的にも情報的にも、今のアラタは何一つ持ち合わせていない。 ただ一つ、キーホルダー型の液晶ゲームが一つ、目覚めたアラタの手の中にあった。 「なにこの……こんな古くさいゲーム?こんなの、僕知らないよ」 言葉とは裏腹にゲームを握りしめる手は決してそれを放そうとはしない。 ゲーム機の液晶パネルのバックライトが光を放ち、画面の上でなにかが動いている。 ドットで表現されたキャラクターが実際に狭い画面の中で右へ左へ動いては表情を変える。 ――あーくん、ただいま すごく疲れた夢を見て目が覚めた朝だったが、こんなチャチな玩具の動作にアラタは理由のわからない涙をうかべるのだった。 ################################ ################################ 1年前、アラタは時の『選ばれし子供たち』として仲間たちとともに事件に巻き込まれ、冒険し、戦い抜いた。 アラタとその仲間が立ち向かったのは他でもない『天使型デジモンたちによるクーデター』だった。 アイスサンクチュアリの天使型デジモンたちが突如、デジタルワールドの法と秩序の番人である彼ら自身がその法と秩序に対して歯向かったのだ。 そこには上位の魔王型デジモンの影すらなく、当初は原因や動機もつかめない全く未知のバグが発生したものと判断され、混乱は収拾の見通しが立たなかった。 のちに事件の原因は多発化するデジタルワールドの事件に対して天使型デジモン達の裁量と処理能力を上げるべく、 事件現場で業務にあたる者たちの自由意志の拡大に起因した現象だったと言われている。 現実世界のハッカー集団によって、秩序を管理する天使型デジモンの処理能力に高負荷をかけ、ほころびを作ることを目的とした壮大な計画。 それまで秩序というシステムの中で動く歯車でしかなかった末端の下位天使型デジモンたちに自由意志を与え、好奇心を刺激し、 歯車としての生に疑問を持たせることで中から組織を崩壊させる、一人のハッカーがブラック企業に従事し培った経験から生まれたおぞましい策略は見事に成功し、 その波紋は下位天使型にとどまることなく、オファニモンなど最上位の天使型デジモンにまで浸透したのだ。 冒険の最中、オファニモン率いるエンジェウーモン軍団によって、単身攫われたアラタは連れていかれた先で手厚い接待を受けるが、 連れ去られた先でオファニモン自身の口から恐ろしい話を吹き込まれてしまう。 ――なぜ、デジモンが人間に近い姿を獲得しているのか。 ――なぜ、麗しい女性の形を得ようとするのか。 簡単な事だ。 この姿は人間が簡単に心を開き警戒を解くからだ、と。 また、別の機会では悪魔系デジモンに襲われた際にも、人間の女性に近い姿で女性の魅力を前面にアピールしてすり寄ってくる場面があった。 悪魔型デジモンもまた、人間の心の内に入り込むために人間の女性の姿を獲得したのだろう。 これらの経験はアラタが冒険の記憶を失った後も強いトラウマとしてアラタの心を蝕み続けている。 人の姿を模した人ならざる異形への強い拒絶は、ゲームを 戦いを終えて記憶を消したあとでも女性型のデジモンに曖昧なイメージではあるが強いトラウマがよみがえるようだ。 携帯ゲームが真の姿を取り戻し、モドキツカイモンとデジタルワールドにたびたび赴くようになって以降、 巻き込まれる事件の多くで、これらの人間の姿に近いデジモンと関わる事が増え、 原因のわからない本能的な恐怖に苛まれるアラタを見るたび、モドキツカイモンは選択を間違えたのでは、と自分を責めている。 彼に課せられた使命はとうに果たされたため、ゲートの開閉は自由に行えるようだ。 今後はアラタとモドキツカイモン2人の問題であると、アラタの記憶を取り除いた上位存在とやらは彼らへの介入を一切控えている。