===== 「右主機冷却水ポンプよし」 「右主機潤滑油ポンプよし」 「右主機圧力・回転数よし」 「左主機冷却水ポンプよし」 「左主機潤滑油ポンプよし」 「左主機圧力・回転数よし」 「ゲート・タリエシン開放完了」 「右舷・左舷キャプスタン準備よし」  次々に入ってくる通信を頭の中で整理し、組み立てながら、何度も深呼吸をする。パズルのピースを埋めるように、すべての準備は整った。  この言葉をこんなに満ち足りた、誇らしい気持ちで口にする日が来るとは思わなかった。何もかも彼のおかげだ。この恩を返すには、自分のすべてを彼に捧げても足りないだろう。  だけどそれでも、これだけは、この台詞だけは自分のものだ。自分が言うべき一言だ。  目を上げれば、ブリッジの全員がこちらを見ている。マーリンは大きく息を吸って手にした指揮棒を振り上げ、そして真正面へ振り下ろした。 「プリドゥエン、抜錨!」  トロールスバードの長大な刃で,モリアーティの腕を切り落とすのはちょっとした一仕事だった.上腕にびっしり生えた金色の結晶が,コンクリートの床にぶつかって硬い音をたてる。  ブラックリリスがすばやく駆け寄り、腕を拾い上げて耐圧ケースに収める。ラビアタは刃についた赤紫色の体液をていねいに拭って、もはや動くこともないモリアーティの死骸を眺めた。ぐんにゃりと力なく横たわり,腕の切り口から体液を垂れ流すそれは、中身を失った大きな袋のように見えた。 「これで、ドクターに頼まれたお土産もできたわね」 「発電所の暴走も始まったようです」ブラインドプリンセスが耳に手をかざして首をかしげた。ラビアタにはまだ、崩落しかかった天井の軋みのほかは何も聞こえないが、彼女が言うならそうなのだろう。 「急ぎましょう、お姉様。もう、いつどこが崩れてきてもおかしくありません」 「そうね」ラビアタは立ち上がり、大剣を担ぎなおした。「早くプリドゥエンに追いつかないと。向こうはきっと、こちらのフォローをしてくれる余裕なんてないでしょうからね」  コンクリートの破片がぱらぱらと落ちてくる。かつてはキャメロットの兵器庫であり、今はモリアーティの墓場となった広大な地下空洞を、まっすぐ横切って三人は駆け出した。 「速度3ノットから5ノットへ増速、ちょい当て舵から五秒で取り舵!」 「よーそろー……チョイアテカジというのは、これくらいでよいのか?」 〈左舷警報出てます! 寄りすぎ! 岸に寄りすぎです!〉 「ちょっとこすったくらいなら平気だから! やばそうになったらバルーン膨らませて!」 〈やばそうってどのくらいですかあ!?〉 〈冷却水温度なんですけど、青から黄緑までのあいだなら問題ないんですよねこれ」 〈気象観測システムからアラートが来てるんだけど、気圧とスクリューの回転数って何の関係があるわけ?〉 「だああああ!!」  プリドゥエンのブリッジは戦場であった。  モリアーティ(一匹目の)を撃破し、イギリスのレジスタンス救出が完了した後も、オルカの部隊はキャメロットにとどまり防衛を続けていた。それはひとえにこの船、プリドゥエンのためである。欧州攻略作戦を目前に控えたオルカにとって、この大型工廠艦に搭載された七十八機のストロングホールドと、艦そのものの生産能力は間違いなく強力な切り札になる。プリドゥエンを起動させ、オルカの編成に組み込むことは急務であった。  作業を始めてすぐにわかったことだが、船体やハードウェアのダメージは意外なほどに少なかった。さすがポセイドンとブラックリバーの技術の粋を集めただけあって、堅牢さの品質が高い。ストロングホールド軍団についても完全に仕上がった状態で保存され、生体回路への置換さえ済めばすぐにでも実戦投入可能な状態とわかった。  最大の問題は管制システムだった。本来中枢となるべきマーリンの脳は取り外され、ここにこうして可愛いマーリンちゃんとして復活してしまった。つまり、現在プリドゥエンの頭は空っぽである。いかにドクターとスカディーが天才でも、これほどの大型艦を管理するAIをゼロから組み上げるのは短期間ではちょっと無理だ。何度かの試行錯誤のすえ、ドクターは代案を提示した。 「たしか、この船を手動で動かそうと思ったら、マーリンお姉ちゃんが何百人も必要だって言ったよね。でも、それって船の全機能をフルに使う場合の話だよね? 航行だけなら……中継基地のあるシェットランド諸島まで行ければいいだけだったら、どうかな?」 「ええ……うーん」マーリンは考え込んだ。「一応、それぞれの補助システムは生きてるわけだし……それでもねえ、SS級クラスのバイオロイドが少なくとも二十人はいないと」 (……とか言ったら、本当に揃っちゃうんだもんなー)  どうにか一渡りの指示を出し終えて、マーリンは制帽の乱れをなおし、あらためてブリッジを見渡した。操舵士席にサイクロプスプリンセス。航海士席にフリッガ。通信士席に慈悲深きリアン。観測士席にオベロニア・レア。ほかにも艦内各部署の配置表を見れば、旧時代なら世界的に有名だったパリパリの最高級モデルたちが、当たり前のようにずらりと名を連ねている。しかもこれはオルカの全戦力どころか、主力ですらない。ブラックリバーの軍事バイオロイドを中心とした主力戦闘部隊は現在ヨーロッパ本土で作戦展開中であり、アーサーはいわば留守番メンバーだけでイギリスへ乗り込んできたのだ。 「そりゃ反則でしょ……」 「ん? なんか言った艦長?」 「なんでもなーい」  そもそもオルカの部隊構成について、大きな誤算があったことをマーリンは認めないわけにいかなかった。キャメロットでの戦いから、オルカは三安のメイドを中心とした混成部隊であり本格的な軍事バイオロイドはいない、とマーリンは踏んでいたのだ。そうであれば、生粋の戦争用バイオロイドであるこの自分が当然、参謀としてオルカの軍事面を一手に引き受けることになる。そしてアーサーの隣に座り、ぞんぶんに王佐の才をふるうのだ。そういう未来図だったのだが。 (それが何? ブラックリバーの八兵科と指揮官級がほとんど勢揃い、おまけにラビアタ・プロトタイプにレモネードアルファに無敵の龍ってふざけんなー! こんなのバイオロイドオールスター総進撃じゃん! 私ちゃんの出る幕ないじゃんかー!) (捕らぬ狸のなんとやらですね。ぷーくすくす) (うっさい痛風になれ)脳内ブラインドプリンセスの突っ込みに毒づいて、マーリンは目の前の海に意識をもどす。  即席クルー達はみなSS級とはいえ、一夜漬けで操船技術を叩き込んだだけの素人だ。ともかく、何が何でもドーバー海峡を抜ける。それまでは一秒も気が抜けない。 「通信席! オルカは10キロ以上先行してるんだよね? 距離を保って絶対に近づかないよう、もう一度念を押しといて! こっちは避航もろくにできないんだから、頼むよホント!」  背後で、大きな破片が落ちて砕ける音がした。さして広くもないトンネルの壁全体がびりびりと震え、ひっきりなしに埃や細かい土が落ちてくる。今はもうラビアタにも、爆発が近いことが肌で感じられた。 「ブラインドプリンセスさん、大丈夫ですか。私が……」  背負いましょうか、と言いかけて、ラビアタは続きを飲み込んだ。両目を黒布で覆ったブラインドプリンセスは、ラビアタとリリスに少しも遅れることなく、悠々と併走していたからだ。 「ありがとうございます。でもご心配なく」足元の段差をひらりと飛び越えて、ブラインドプリンセスは微笑んだ。「私、耳がいいので。こういう暗くて音のよく響くところなら、私の方がお二人より速いかもしれませんよ」  天井から落ちてきた石塊を、聖女は速度をゆるめずワンステップで避ける。ラビアタはもう彼女を心配するのをやめた。 「うふふ」先頭を走るブラックリリスが、ふいに笑う。 「どうしたの?」 「なんだか昔を思い出してしまいました。ご主人様も、マリーさん達もいなかった、ずっと昔のことを」リリスは言いながら、前方をふさぐ朽ちた木材を拳銃で吹き飛ばした。 「あの頃は私もお姉様も、毎日のように前線に出ていました」 「そうね……確かに、あなたと組んで戦うなんて、あの頃以来かしらね」  まだレジスタンスが百人あまりのちっぽけな集団だったころの話だ。人手も物資も何もかもが足りず、リーダーであるラビアタを含め全員が最前線で戦わねばならなかった。リリスは最も頼りになる妹の一人で、何度となく共に死地をくぐり抜けたものだ。  あの頃の灼けつくような焦燥感と使命感、それに駆り立てられた炎のような日々を、ほんの一瞬だけラビアタは懐かしく思い返した。  突き当たりをふさぐ薄いモルタルの壁を蹴りやぶると、そこは広大な地下ドックだった。海風が吹き込んでくる。ゲートは開け放たれ、もちろんプリドゥエンはとっくに出航してしまった。だが、脱出用に高速艇を残していったはずだ。ラビアタはすばやくドック内を見渡した。 「お姉様」  埠頭の先へ向かったリリスが、硬い表情で手招きした。その足元を見て、ラビアタは理解した。  ボートはそこにあった。水底に。  梁の一部が崩落し、ボートを巻き込んで押し潰したのだ。 「なあ、思ったよりスピードが出ておらんかこれ?」 「潮流のせいだね。機関部! 回転ちょっと落として、速すぎる!」 〈やってみるけど、これ両舷同時にやらないとダメ?〉 「当たり前でしょ、片方だけ回転下げたら曲がっちゃうよ。ネオディム、左舷に合わせてあげて」 〈わかった。三、二、一、せーのでいくよ〉 「まったく……」 〈あの、出航前と比べると喫水線がじりじり下がってるんですけど、これ水漏れとかしてないですよね!?〉 「いーんだよ、船ってのは走り出すとちょっぴり沈むもんなの!」 「マーリンさん、気象データの照合終わりました。あ、操舵席の方でも確認お願いしますね。要注意海域をマークしておきましたので」 「うむ、どれどれ……ちょっと待て、要迂回エリアが多すぎるわ! どこも通れんではないか!」 「でも万一のことを考えると……」 「5キロ先を見て操舵しろと昨日習ったであろうが。5キロ以内のやつだけ表示してくれ。艦長、この先の海底にトンネル状構造物があるようだが、無視してよいのだな」 「ああ、それは大丈夫」海図をチェックして、マーリンは航海士席へ目を向けた。「……サイプリちゃんって、滅茶苦茶ちゃんとしてるよねえ。あのブリスの生まれ変わりなのに」 「設定上の話だ。あれと一緒にするでない」サイクロプスプリンセスは前を向いたまま、なんとも苦々しげな声で答えた。 「半端な知識で乗り物を動かすと大変なことになると、キャメロットで学んだからな。慢心だけはせぬようにしておるのだ」 「あー……まあ、あんなヤバくはないから、そう気負わなくていいよ」マーリンも思い出し苦笑いをする。「いざって時のためにタグボートも用意してあるし」 〈そのタグボートってのは、もしかして俺っちのことかい〉  ブリッジに音声が響くと同時に、正面窓の外、前甲板に寝そべっていたペレグリヌスがむっくりと身を起こした。〈さすがの俺っちもこんなバカでかい船を引っ張ったこたァないぜ。あまり期待はしないでくれよ〉 「まーまーそう言わずに、君ならできるさ。よっ、ハーピーの王!」 〈ちぇっ、調子いいことを〉甲板上のペレグリヌスは鋼鉄の肩を器用にすくめて空を見上げた。〈姐御、はやく戻ってこねえかなあ〉  ぱらぱらと石塊が降ってきた。ドックの天井を震わせているのが暴走した発電所なのか、押し寄せる鉄虫の軍勢なのか、もはやわからない。  海に面したこのドック以外、キャメロットのあらゆる場所は鉄虫で埋め尽くされつつある。脱出路はここしかない。他に使える移動手段がないか、一瞬だけ構内を見渡してから、ラビアタは決断した。 「泳ぎましょう」  トロールスバードの刀身とトランクを切り離し、トランクの方だけを背中に背負う。小型核融合炉を爆発に巻き込むのは危険すぎる。0.3トンある剣は諦めるしかない。 「リリスはケースをお願い。ブラインドプリンセスさん、泳げますか?」 「泳いだことはあまりないのですが……」言いながらもブラインドプリンセスは急いでドレスの裾をからげ、白く長い脚をむき出しにする。  作戦では、モリアーティ討伐班の脱出を確認してからキャメロットを爆破することになっている。ご主人様の性格上、こちらの無事が確認できるまでは決して起爆スイッチを押さないだろう。 「私たちのせいで、作戦に支障を来すわけにはいきません。いざとなれば海底を歩いてでも……」 「この寒空に海底探検などする必要はないぞ、同胞よ」  突如、冷たい風が吹き込んできた。開け放たれたゲートの向こうから、氷のような蒼と白の巨大な竜が姿を現し、ドックの天井をかすめて埠頭に着陸する。 「グラシアスさん!?」 「万一の事態にそなえて、迎えにいってほしいと盟友に頼まれた。どうやら、来て正解だったようだな」 「……!」ラビアタは一瞬だけ、目を閉じて感動にひたってから、捨てた剣を拾い上げグラシアスの背中に飛び乗った。リリスとブラインドプリンセスもすぐさま後につづく。 「ゆくぞ、忘れ物はないな?」  氷の翼をひと打ち、大きく羽ばたくと、竜は悠然と舞い上がり、ゲートをくぐって外へすべり出た。  たちまち、真冬の海風が横なぐりに吹きつけてくる。グラシアスの外装は常にひんやりと冷たく、しがみつくには少々つらいが、贅沢は言っていられない。 「盟友よ、グラシアスだ。三人を拾っていまキャメロットを離れた。……ああ、全員大きな怪我はない。爆破をはじめて大丈夫だ」  ご主人様の返事は聞き取れないが、グラシアスの様子から喜んでいるのは察せられる。大きな頭が、ちらりとこちらを見た。 「挨拶が遅くなったが……久方ぶりだな、光の聖女よ。過去世の存在であるそなたと現世でこうして再びまみえるとは、運命とは本当に愉快なものだ」 「あなたの声と冷気が懐かしいです、氷河の女王」  ブラインドプリンセスはスカートを腰に巻きつけたままの恰好で、風に暴れる髪をおさえながら微笑んだ。「この七十年、あなたがいてくれたらいいのにと何度思ったかしれません」 「それはお互い様さ」 「お二人は、面識があるのですか?」モリアーティの腕が入った耐圧ケースをしっかりとかかえ込み、両足でふんばったリリスが訊ねた。 「ああ。私は古竜ゆえ、転生前の聖女とも、転生後の姫とも共に戦ったことがある……そういう設定でな。いくども共演したものだ」 「有名なポスターがあったんですよ。ご覧になったことありませんか? 私がグラシアスの頭に乗って、こう剣をかまえて」ブラインドプリンセスがポーズをとってみせる。 「あれ、お気に入りだから一枚だけ手元にとってあったのですけどね。二十年くらい前になくしてしまいました」 「箱舟に行けば、データが残っているかもしれん」グラシアスが慰めるように言った。「オルカはよい所だ。戦い以外にも、いろいろなことができる」 「落ち着いたらでいいので、いちどゆっくりお話を聞かせてください」ラビアタも言った。「私も、かつてはこの抵抗軍のリーダーでした。お酒を飲みながら、愚痴でもこぼし合いませんか」 「いいですね!」ブラインドプリンセスの頬がぱっと輝く。「オルカには素敵なバーがあると聞きました。私、まだ行ったことがなかったのです」 「ラビアタ殿、忠告しておくが」グラシアスがおかしそうに口を挟んだ。「あまりこの聖女の手綱を緩めすぎないことだ。こやつ、昔から酒とジャンクフードに目がなくてな」 「まあ、失礼な。目がないのは生まれつきです」 「……」 「……」 「……聖女よ、そういうたぐいのジョークは反応に困るからよせと」  その時、背後から赤い閃光が噴き上がり、数秒おくれて轟音と熱風とが、大波のように背後から叩きつけて、ラビアタ達をグラシアスの背へなぎ倒した。  爆風がおさまってから、三人が頭を上げて振り返ってみると、キャメロットがあった場所には巨大なオレンジ色の火の玉のようなものが、どろどろに溶けて燃えているばかりであった。 〈グラシアスさん、着艦しました。モリアーティ討伐班の皆さんも収容完了〉  マーリンは大きく深呼吸をして、胸をなで下ろした。ともかく、最も重要なミッションは無事に終わった。あとはドーバー海峡さえ抜ければ、まっすぐ北上するだけだ。シェットランド諸島に入港するのがまた一仕事だろうが、そっちはオルカの勢力圏内なのだからどうとでもなるだろう。背もたれに体を預け、ゆったりと頬杖をついたところで、艦内通信のコールが鳴った。 〈こちら船倉のドクターだよー。マーリンお姉ちゃんいる?〉 「いるわよー。どしたの?」 〈ストロングホールドの最初の一機を起動させたけど、会いにくる?〉  マーリンは上体を起こした。「うー……会ってみたい。でもちょっと今ブリッジを離れるわけには……」 「皆さん、お疲れ様」  ちょうどその時、ラビアタが階段を上がってきた。ブリッジをさっと見渡して、マーリンの方へ挨拶をする。「ただいま戻りました。よかったら、休憩してきてはどうですか? 少しの間なら代われると思いますよ」  マーリンは受話器を耳から離して、ラビアタの方を見た。「あーえーと、お疲れ様……できるの? 操艦?」 「昔、ちょっと勉強したことが」 「マジか。さすがは」  年の功、という言葉をマーリンは寸前で飲み込んだ。「……ファースト・バイオロイド」  ラビアタは静かに微笑む。ドレスがあちこち破けているほかは、怪我らしい怪我もしていない。三対一とはいえあのラスカルを仕留めてきたのにだ。マーリンは余計なことを口にせず、ありがたく厚意に甘えることにした。 「初めまして、マスター。私はストロングホールド002」  デッキから生身の肉体で見下ろすストロングホールドは、何十年も毎日カメラごしに見ていたよりはるかに力強く、威圧感があった。 「初めまして。ずっと君のことを見てきたけど、こうして会話するのは初めてだね」  いつかぶつけてやりたい言葉を山ほど考えていたはずだったのだが、今となってはどれも、大した意味はないように思えた。  ちょっとした戦車の砲塔くらいある頭部の中央に、視覚センサーを保護するゴーグルが冷たく輝いている。額には個体番号「002」が、雑なステンシルで印字されていた。これも驚きだが、なんとオルカにはすでにストロングホールドが一機いたのだ。つくづくおっかない集団だ。 「でも、私ちゃんはもう君のマスターじゃないよ。アップデートファイル読んでない?」 「いや、当然読込済みだとも」ゴーグルがいたずらっぽく点滅した。「我々の存在のために、君がどういう目に遭ったかも知っている。だから一度くらいは、この名で呼んで差し上げるべきかと思ってね」 「イギリス製の連中ってホント、性格悪いうえに気の回し方がわけわかんないよね……」  マーリンは深いため息をついてから、デッキの手すりをひらりと乗り越え、ストロングホールド002の胴体……脚?の上に降り立った。ここに立つと、ストロングホールドの頭とほぼ同じ高さで目が合う。 「ま、でもせっかくだし、二つばかり命令させてもらおうかな。もとマスターとして」 「うかがおう」  マーリンは装甲板の上を歩きながら、自分のこめかみのあたりを叩いてみせる。「君の中枢回路が生体素材に置換されて、そのおかげで鉄虫に寄生される心配がなくなったことは知ってるよね?」  002が肯定のしるしにゴーグルを瞬かせた。マーリンはくるりと体を回し、彼の背後にならぶ残り七十七機のストロングホールドを手で示す。「これから君の弟たち全員にも同じ措置をしないといけないんだけど、肝心の生体回路を作るための素材も培養装置もぜんぜん足りない。必要なブツがオスロの大学ラボにあることまではわかってる。鉄虫の勢力圏だから、こっそり殴り込んでかっぱらってこないといけない。で、私ちゃんと君でやるから、心構えしといてね。中継基地に着いたらとんぼ返りだよ」 「了解した。大いにやりがいのありそうな仕事だ」ゴウン、と002の両肩の砲塔が上下した。「二つ目は?」 「命令というか、提案かな」マーリンはタブレットを取り出すと、一つの画面を呼び出して002に見せた。箱舟生態保護区域の区画分譲抽選ページだ。 「欧州が一区切りついたらでいいんだけどさ、一緒に喫茶店やらない?」 「喫茶店?」  002のゴーグルが真っ白に光り、巨大な頭部がぴょこんと真上へ持ち上がった。そんな方向へも動くのか。 「そう、カフェ・ポセイドン。トリトンにも声かけてさ。なんかホライゾンの連中がカフェ開いてるらしくて、負けてられないんだよね」 「喫茶店……喫茶店ね。確かに、紅茶には一家言ないではないが……」002は頭部を左右に揺らす。「しかし、私はこれでもブラックリバーのAGSなのだがね。カフェ・ポセイドンというのは」 「いいじゃん、プリドゥエン生まれなんだから半分ポセイドンみたいなもんでしょ。業務提携よ、業務提携」 「ふうむ」  巨大な頭部に登り、対電磁コーティングの施された装甲表面を撫でさする。軽いモーター音とともに、青いゴーグルの向こうのレンズが、考え深げに絞りを細めるのが見えた。 「どうやらオルカというところは、ずいぶんユーモラスな場所のようだ」  マーリンは身をかがめ、ゴーグルの奥のレンズとまっすぐ目を合わせた。そして、とっておきの悪戯を披露する子供のように、にっかりと笑った。 「私ちゃんもまだ来たばかりだけどね。どうも、そうみたいだよ」 End =====  かるくお尻を突き出すようにして、腰部ソケットにアームを接続する。  モジュールにデータが流れ込んでくるのを確認し、エンジンに火を入れる。ソロヴィヨーフD99ターボファンエンジンの重い振動が、すぐに空気を引き裂く甲高い唸りに変わっていく。  まわりでも次々に暖気がはじまる。無数のエンジン音が、夜明け前の薄闇を下から持ち上げていくような、この瞬間がエクスプレス76・3128は好きだった。 「今日、どこ?」 「南沙諸島。最初は」 「じゃ、いっしょだ」  通りすがりに声をかけてきた姉妹が、ニコッと笑って隣のユニットにつく。大型貨物用のウラジミール・エアギア拡張フレーム3Lタイプは大きすぎて、飛行ユニットを背負っているというより、飛行機の先端に人がくっついているように見える。自分もそう見えているのだろうな、と思いながらバイザーを下ろすと、隅の方で光っていた黄色のインジケーターが、ちょうど緑色にかわった。離陸許可の合図だ。 「じゃ、行きますか!」  エンジンの唸りがさらに一段高くなり、17人のエクスプレス76と、183機のドローンが一斉にニャチャンの空へ舞い上がる。そしてくるり、と全員で管制塔のまわりを一周してから、めいめいの目指す方角へ出発した。  南シナ海は今日も晴れ。配達日和だ。  人類抵抗軍オルカの拠点は、アジアを中心として世界各地に存在する。それぞれの拠点は農畜水産、採鉱、食品加工、機械製造など抵抗軍を支えるための役割を担っていると同時に、隊員たちの生活の場でもある。生産した物資はオルカへ運ぶが、それだけでなく拠点どうしの間にも需要と供給が発生する。そのため抵抗軍には数百人のエクスプレスと、数千機のドローンからなる輸送隊が存在し、日夜世界の空を飛び交っているのだ。 〈G8f、A2v、D9o、S9v……〉  無線から流れてくる暗号通信を、手もとのタブレットの解読キーと照合し、地図と見比べる。どの拠点からどの拠点へ行くにも必ず複数のコースが設定されており、天候や風向き、そして鉄虫とレモネード勢力の動向に応じて最善のコースを選択する必要がある。 「今週ずっと荷物多すぎない?」 「大きな作戦が近いらしいよ。あとほら、クリスマスが来るし」 「クリスマスかあ。南半球行くとぜんぜん暑いのにねー」  とはいえ今日の最初の目的地まではせいぜい二、三百キロ。東向きのジェット気流に乗ってしまえば、雑談をしながらでもあっという間だ。オレンジ色のバイザーにするどい光がさし、エクスプレス3128は目を上げた。飛行速度のぶんだけ加速のついた朝日が、みるみる昇ってくる。眼下を流れていた何か暗いもやもやしたものが橙色になり、すぐに真っ白の雲海に変わる。おかしいくらいの速度で夜が朝になる、この光景もエクスプレス3128は好きだった。  雲の切れ間から、目を射るような濃い藍色の海と、そこへ緑のかけらを撒いたようなちっぽけな島々が見えてきた。そのかけらの間にぬっと立つ鉄灰色のプラットフォームへ向けて、エクスプレス隊は降下コースに入った。 「やあ、待ってたよ」  ヘリポートでは、くわえタバコのダッチガールが出迎えてくれた。挨拶もそこそこに、ウラジミールからコンテナを下ろしてチェックを始める。 「えーっと、小麦粉20袋、冷凍豚肉と冷凍野菜が5ケースずつ」 「米10袋、缶詰セット50カートンに、機械油と洗浄液と……」 「タバコあるかな」 「カップ麺頼んだんだけど」  ほかのダッチガールがわらわらと寄ってくる。ここのヘリポートにはいつ来ても、タバコ休憩中のダッチガールが何人かたむろしている。原油の採掘をしているから、建物内は火気厳禁なのだろう。 「砂糖が先週より多い気がする」 「そうなの!」3128はにっこりした。「フーイエンの製糖工場の改修がやっと終わって、増産第一号よ」 「それは嬉しいな。お菓子のメニューが増えるかな」ダッチガールは破顔した。笑うと年相応の子供っぽさが見える。海上採掘プラットフォームは外界から隔離された苛酷な労働環境で、しかも働いているのは大半がダッチガールだ。食料、特に嗜好品類は優先して配給するようオルカから指示が出ており、皆もそう心がけている。 「あとこれね、今週分」  最後に、小型コンテナから大きな郵便袋を取り出すと、遠巻きに見ていたダッチガール達がわっと寄せてきた。 「待った、待った! こっちでいったん預かって、ちゃんと配るから」  受付担当のダッチガールがあわてて皆をせき止める。拠点間はもちろん通信ネットワークで繋がっており、メールや通話は自由にできるのだが、それでも物理的な手紙のやりとりを好むバイオロイドは一定数いる。個人的な買い物や贈り物なども、意外とあったりする。  エクスプレス的には、そういった細々とした品こそきちんと一人一人に届けたいのだが、仕事の量を考えればそうも言っていられない。現に今も、次の配送の時間が迫っている。 「このあとヨッカイチに行くのって、どっち?」 「私」エンジンの回転を上げながら3128が手を上げると、ダッチガールは隅にあった小さなトランクを差し出した。 「これ、向こうのフォーチュンに渡しておいてくれるかな。先週当たった新しい地層のサンプル。よさそうな石があったら、本式に採掘するから。うちらも増産、効くと思うよ」 「ありがと、了解。じゃまた!」  南沙諸島から海を越えて、ミンドロ島の農業拠点へ。ニャチャンから一緒だったエクスプレスとはここで別れ、別の姉妹と合流して、イリオモテ島のサトウキビ農園へ。オキナワの牧場で別のもう一隊と合流し、海上をさらに北東へ一千キロ。明け方から正午まで、地面に足をつけていたのは合計しても一時間に満たない。 「交代します」 「お願いね」  編隊を組んで長距離を飛ぶときは、縦列になって風の抵抗を減らす。先頭は寒いので、定期的に交代する。旧時代から変わらず受け継がれてきたノウハウだ。 「私サッポロ所属なんだけどさ」風よけができたので昼食のキンパを取り出して頬張りながら、3128は後ろのエクスプレスに話しかけた。 「今年は雪まつりっていうのやるんだって。みんなで雪像を作るの。あなたのとこ、クリスマス何かやる?」 「普通にパーティかなあ。うちアウローラさんがいるから、ケーキ超美味しいんだ」 「えー! いいなあ。ドローンさんとこは?」 「マニラ拠点では隠し芸大会が行われます。ノースカロライナ工場第二組立ラインに伝わる一発芸『四輪駆動』を披露する予定です」 「何それ超気になる」 「前方、雲が切れてます。迂回しますか?」  先頭のエクスプレスc96T1の声に、みな雑談を止めて一斉に前を向く。 「あそこ、シアーあるね。低気圧速いな」 「上昇して飛び越えますか」 「今ちょうどジェット気流の下だからねえ。これだけ人数がいれば突っ込めない?」 「いやー、北回りでよけよう。みんな、密集隊形ー! 雲の中入るよ!」  ウラジミール・エアギアは大型航空機による空輸よりもはるかに燃料効率にすぐれ、小回りがきくのが強みだが、小型なぶん風に弱い。航空機の何倍も慎重に天気図を読みながら飛ばなくてはならない。 「うひー」  襟首をつかんで上下に振り回してくるような風に、なんとか水平を保ちながら前のコンテナを追いかける。航空用バイオロイドの強化された肺でも、凍てつくような雲の中で呼吸するのは楽ではない。 「結局私たち、いつでもどこでもやること変わってないよねえ」まとわりつく冷たい水滴を振り払いながら、3128は思わず近距離通信でぼやいた。  旧時代からずっと、平時でも戦時でも変わらず、エクスプレスは空を飛び、荷物を届けつづけてきた。滅亡戦争では武器を持ち、前線で戦った姉妹もいくらかはいたが、主な任務はやはり輸送だった。主人が誰であろうと、運ぶものが何であろうと、エクスプレスのすることはずっと変わらない。 「それだけ我々の役割が普遍的だということです」とドローン。 「どこでも同じなんてことはないですよ」エクスプレスc96T1が言った。「オルカは素敵です。他のどこよりも、ずっと」  c96T1は北米にいたエクスプレスだ。バンクーバー作戦で救出され、その後志願して輸送隊に加わった。彼女の言葉はさすがに重みが違う。3128は頭を振り、雲の暗さと寒さがもたらしたふいの憂鬱を振り払った。エクスプレス型は人なつこい性格に設定されているゆえに、孤独に弱い傾向がある。昔から単独での長距離輸送には向かないとされ、その分野ではドローンが主流だった。 「c96T1はさ、いまの所属どこ?」 「グアムです」 「そっかー。グアムいいらしいね、年中あったかくて」 「はい。妖精村の皆さんが、とても良くしてくれて……明日帰るのが楽しみです」  c96T1の声からは、ほころぶような微笑みが伝わってくる。今は孤独ではない。エクスプレスはバイザーをもう一度引き下ろし、周囲の雲に目を配った。オルカにいるかぎり、誰も孤独ではない。  ヨッカイチ拠点はオルカの工業生産拠点の中でも最大のものの一つだ。見渡すかぎりタンクやパイプや煙突が立ち並ぶ中を、隊列を分散して縫うように降下していく。 「待ってたわ~!」  出迎えに出てきたフォーチュンは、南沙諸島で預かってきたトランクを抱きしめんばかりに受け取ると脇目も振らず駆け去っていった。もう一人の出迎え、イグニスが苦笑して頭を下げる。 「すみません、あとは私が確認しますので、休憩していて下さい」 「はーい。先頭のが私信類、うしろの二つが衣類とお菓子とか。残りはぜんぶ部品です」  ここほどの規模になると、近隣に生活のための拠点を別に置いており、食料や生活資材はほとんど自給している。限られた特産品の類いをのぞいて、外部から持ち込まれるのはほとんどが加工前の部品や材料。そして、持ち出されるものは完成品だ。  搬入ポートにコーヒースタンドがあるのも、大規模拠点ならではだ。十数時間ぶりに椅子に腰かけ、熱いカフェラテとドーナツをゆっくり味わう。おいしい。 「エクスプレスさん、エクスプレスさん!」  ぼーっと外を眺めていると、店員をしているアクア型がくいくいとシャツのすそを引っぱってきた。 「なに?」 「えへへー、見て見て」  自慢げに突き出したエプロンの胸には、大きなバッジが輝いている。水しぶきとパラソルと太陽、そして飛び跳ねるシャチのマーク。 「え、これ……もしかして、アクアランド!? 行ったの!?」 「くじで当たったの! いいでしょー!」 「いいなー! どうだった? どんな所だった!?」  それはしばらく前から、あらゆる拠点で噂の的になっていた。オルカがどこかに建設したという夢の大型レジャー施設、アクアランド。プールあり、ウォータースライダーあり、VRゲームセンターあり、エステあり、フードコートあり……あまりに夢のようなので実在を疑う声すらあったが、こうして実際に行ってきた者が着実に増えている。輸送隊の中にも行ってきたというエクスプレスがおり、もちろん3128も毎週くじに応募していた。 「すごかったよ! ものすごくおっきなドームの中に、波の出るプールがあってね、滑り台があってね、お姉ちゃん達が飲み物を売っててね……」 「司令官はいた? 司令官が自分でエキス売ってるっていうのは本当?」 「うーん、司令官には会えなかったな……でも『私が出しました』っていうCMはおっきなテレビで流れてた。よくわかんないけど」 「そっかー。それじゃあさ、あれは本当?……」  夢中になって話を聞いているエクスプレスの肩に、誰かが遠慮がちに触れた。振り返ると、さっきのイグニスだ。 「あの……お待たせしました。搬出物、揃いました」  言われてポートを見れば、さっき降ろしたコンテナはいつのまにか姿を消し、かわりにもっと大きなコンテナが整然と並んでいた。 「本命です。よろしく」  エクスプレスの背丈より二倍も高い、重量級コンテナが十台。3128はため息をついて、ぬるくなったカフェラテの残りを飲み干し、それからおなかに力を入れて息を吸いなおす。最後にこれが来るのは、朝からわかっていたことだ。 「よっし、行きます。コーヒーごちそうさま!」  「本命」とは、拠点間のやりとりではなく、オルカに届ける資材という意味だ。抵抗軍の首脳部と最精鋭の戦闘部隊、そして何よりも人間の司令官がいるオルカへは、あらゆる物資が最優先で届けられるし、品質も最高のものが選び抜かれる。運ぶ方の気も引き締まるというものだ。そしてまた、運び方自体もすこし違う。 「えっと今日は……ザヴィチンスク集積場だったよね」  記憶をたよりにユーラシア大陸の奥深く、旧時代のロシアと中国の国境付近にある山間の平地に到着した時には、すでに太陽は山の向こうに沈みかけていた。 「お疲れ様!」  かつて小さな街があったらしき廃墟の一隅が、ならされて広大な発着場になっている。重たいコンテナの安定を取りながら降りていくと、先に来ていたエクスプレスがにこやかに手を上げた。タグ情報の「005」というIDを確認して、3128はちょっと緊張して会釈をする。  オルカがどこにいるかは、鉄虫にもレモネード陣営にも決して知られてはならない最高機密だ。世界中を移動している頃はよかったが、ヨーロッパのどこかに腰をすえた(らしいとは3128も聞き及んでいる)今、その正確な位置は輸送隊にさえ秘密にされている。最古参のたった十人のエクスプレスだけがその座標を知っており、他の隊員は世界各地に設けられた集積場(その座標は暗記しておかねばならず、端末には記録されない)で、オルカへの貨物をかれらに引き渡すのだ。 「私が最後ですか?」 「いやー、まだまだ。あと三往復」  砂利の敷かれた集積場にはすでに数個のコンテナが並んでおり、3128の運んできたコンテナとの連結を待っている。砂利の乱れ方を見れば、今日だけでも相当量の貨物がすでに運び込まれ、そして運び出されたのがわかった。005は朝から休まず飛び続けていたに違いない。笑顔の陰に隠せない疲労のあることは、同型機だけによくわかる。  集積場からオルカまでの航路は拠点間航路より何倍も複雑に隠蔽され、聞くところでは一箇所につき数十ものルートを暗記し、天候と戦術情報に応じて使い分けなくてはならないという。オルカ内部の配送業務も担当するため休日は少ないし残業も多い上、内勤中は戦闘部隊に編成されることもあるらしい。憧れのオルカに出入りできるとはいえ、羨ましいとは思わない。 「聞いて聞いて、こないだ司令官とプールデートしたの! もー最高だったのー!」  ちょっとしか。 「それで、3128はサッポロだったよね。オルカからの荷物、これね」 「はーい」  小さな段ボール箱を受け取る。オルカはむろん生産を担当してはいないが、オルカから供給されるものもある。内勤の隊員からの私信はもちろん、司令官の生写真だとか、最近作られ始めたオルカ公式グッズだとかだ。 「それから、これ!」  005がみょうに嬉しそうに、ぱんぱんに膨らんだ紙袋を押しつけてきた。中にはポプリのような、小さな包みがいっぱい入っている。一つ取り出して匂いをかいでみると、 「お茶?」 「そう! アクアランド、知ってるでしょ。あそこの地下に農場があってね、そこで作ってるの」 「へえー」  オルカに食料品を運ぶのはしょっちゅうだが、オルカから食料品が運ばれてきたのは初めてだ。物珍しさでためつすがめつしていると、005がクスリと笑った。 「司令官がね、いつもオルカを支えてくれる隊員に何か恩返ししたいんだって。それでわざわざお茶を作って、みんなに配ることにしたんだってさ」 「恩返し」想像もしなかった言葉だ。 「帰ったら、みんなに配ってよ」 「…………」小さな包みを振ると、カサカサという音がした。3128はしばらくの間、無言でその包みを眺めていた。それからゆっくりと笑顔になり、力強く胸を叩いた。 「まっかせて下さい!」  肩かけのメッセンジャーバッグを出して紙袋をしまう。荷物をすべて吐き出したウラジミールが、おかしいくらい軽やかに夜空へ舞い上がった。 「あれ? じゃあ、アクアランドってオルカと同じところにあるんですか?」 「ひみつ」  本来、輸送中に積み荷を開けたりすべきではない。それでも我慢できなくなって、雲の上に出たところで3128はバッグの中へ手を突っ込み、小さな包みをひとつ取り出した。よく見ると、包み紙にはアクアのバッジと同じ、シャチのマークがプリントされている。  サッポロに帰って、これを配るところを想像してみた。司令官がみんなのために作ったお茶。みな、驚いてぽかんとするだろう。それからだんだんと、わけもなく嬉しくなって、じっとしていられなくて、踊り出したいような気持ちになるに違いない。3128がそうだったように。  そういう気持ち、そういう気持ちにさせてくれるものこそ、実のところエクスプレスが何よりも届けたいものなのだ。  エクスプレス3128は包みをていねいにバッグにしまうと、ウラジミールの速度を一段上げた。  切りつけるような冬の夜風は、それでも南に向かうにつれて、わずかずつ暖かくなっていく。 End =====  崩れ落ちそうなビルと、もう崩れ落ちたビルが立ちならぶ間を、一台のフォトレスが歩いていた。  いたるところに瓦礫が山をなし、その隙間から雑草が生えのびて、もはやどこからどこまでが路面なのかもよくわからない灰茶色の道路を踏みしめて、フォトレスはゆっくりと歩いていた。 「だいぶやられてるっすねえ、このへん」ブラウニーが言った。 「旧時代にはこの地域の中心都市だったそうですから。鉄虫も相当来たのでしょう」ヴァルキリーが答えた。  フォトレスの胴体上面には、本来あるはずの機関砲がない。そのかわり、軍用バギーのものを流用した座席が二つ溶接されており、ブラウニーとヴァルキリーが座っている。ブラウニーはハンドルを握っているが、それはただ手すりがわりに付けてあるもので、運転しているわけではない。 「なんか残ってるといいっすねえ」ブラウニー6301が言った。 「それを探すのです」ヴァルキリー485が答えた。  人類抵抗軍カゴシマ拠点守備隊、第27偵察分隊。それが今のフォトレス7927の所属である。 《こちらは人類抵抗軍オルカです。当方に戦闘の意志はありません。救助を希望する方がいれば……》  ブラウニーの声が、瓦礫の山の向こうへ流れて消えていく。  同じ台詞を何度か読み上げたあとで、ブラウニーはマイクを置いて、枯れてきた喉をボトルの水でしめした。  この都市に集まっていた鉄虫は先日、人類抵抗軍の艦隊が駆逐した。会敵の危険はない。第27偵察分隊の任務は利用可能な物資の調査と、生存者の捜索である。 「動きが見えませんね。警戒されているのでしょうか」  これほどの規模の都市なら、隠れ住んでいるバイオロイドがいてもおかしくはない。鉄虫に支配された街でも、少人数なら目をのがれて暮らすことは難しくないのだ。人類抵抗軍は、そうしたバイオロイド達を積極的に勧誘し、自軍に加える方針をとっている。  先日など、そのためにわざわざライブを開催し、その模様をPVにして配信したという。 「音楽でも流してみるっすか」  ブラウニーがダッシュボードのスイッチを入れると、フォトレスの胴体に取りつけられたスピーカーから今度は明るい音楽が流れ出す。 《ふと見上げた空に 光り輝く星 はるか遠い星が……》 「フォトレスはどう思うっすか? 生き残りがどこにいるか」 「私にこのような状況における判断の知見はありません」  ブラウニー6301はしばしば、フォトレスに意見を訊ねてくる。歩兵の盾として作られただけのAGSに、さほど多様な状況に対応できる専門知識があるはずもないのに。 「……ですが、可能性としてはヴァルキリー485の発言通り、我々を警戒して距離をとっていることがありえます。他には、たとえば都市周辺の山野に本拠地を置き、都市部には定期的に物資調達に来るといった居住形態であれば、現在無人であっても不自然ではありません」 「なるほどっすね」ブラウニーが大きくうなずいた。 「周辺の山地も捜索範囲にふくめましょう」ヴァルキリーも言った。「市街をひととおり探して見つからなければ、入ってみることにします」 「了解しました。間もなく鉄道線路が見えてきます」 「そういや、アクセサリー屋とかあるっすかね?」 「これだけの都市なら、どこかにはあるでしょう。必要なのですか?」 「仲間に頼まれてるっす。最近うちのレッドフード隊長が、オルカのレッドフード隊長の影響で服を集めだしたんで、自分たちもオシャレしやすくなったっす」ブラウニーは笑って髪をかき上げ、左耳につけたささやかなピアスを見えるようにした。 「中佐はなにか、探したいものないっすか?」 「私は別に……ああ、小さくて良いナイフがあったら一、二本ほしいですね。民生品であるかわかりませんが」 「フォトレスは?」 「特にありません」答えてから、フォトレスはもう一度自己診断プログラムを走らせて、「強いて言えば、潤滑油が調達できると稼働効率が上がります」 「よーし、アクセとナイフとオイルも探すっす!」  ブラウニーは朗らかに言った。ブラウニーはほとんどいつでも朗らかだ。かつて人類がいた時代から、常にそうだった。フォトレス7927はもうあまりその頃のことを覚えていないが、ブラウニーの笑い声だけは、記憶回路の底にいくつも残っている。 「埋まってたっす……」  大通りの両脇に設けられた小さな下り階段の入り口から、ブラウニーがとぼとぼ戻ってきた。  バイオロイドは基本的に、人間の所有物を勝手に使うことはしない。それは本能に近い刷り込みである。それゆえ人類がいなくなった現在でも、生き延びたバイオロイド達が人間の住居や宿泊施設に寝泊まりしていることはまずない。都市で暮らすならば、住み処とするのは誰でも出入りできて、雨風をしのげる公共の建造物。地下街などはその筆頭である。 「地図で見るかぎり、この真下の地下街が一番大きいのですが……」  ヴァルキリーがタブレットと地図を何度も見比べる。フォトレスの音響索敵システムでも、この下に細長い大きな空洞が現存しているのは確かだ。しかし、見つけた入り口は今のところ、すべて崩落している。 「この先で地下街は終わっていますし、もう入り口は……」 「あっ、あれ! どうすか!」  あたりを見回していたブラウニーが、ぱっと近くのビルを指さした。銀行か何かとおぼしきそのビルのエントランスの片隅に、青いマークの看板が出ている。地下鉄を表すこの国の標識だ。 「あそこも地下へ通じてるんじゃないっすか?」 「見てみましょう」  ブラウニーとヴァルキリーが小走りに近づいて中を覗く。すぐにヴァルキリーが戻ってきて、 「中へ入ってみます。崩落にそなえて、フォトレスさんはここで待機。私たちの位置を捕捉しておいてください」 「了解しました」どのみち、あんな細い階段はフォトレスには下りられない。  ヴァルキリーはフォトレスの脚の裏側へまわり、手早く懐中電灯、ロープ、有毒ガス検知器などの装備一式を引き出す。フォトレス7927の脚からはシールドカノンが撤去されており、弾倉があったスペースはトランクケースになっている。 「オイルもちゃんと探すっすからね! 楽しみに待っててほしいっす!」  手を振るブラウニーとそれをせかすヴァルキリーを見送ってから、フォトレスは位置センサーを起動した。 〈聞こえますか、フォトレスさん?〉 「はい、お二人は地下4.7メートルを北北西方向に移動中です」  通信感度に問題はない。それでもフォトレスは冗長性確保のため、音響索敵システムに指向性マイクをつないで、音波でも二人の位置をトレースすることにした。 (……焚き火…………りますね……)  ややくぐもっているが、会話が拾えた。ヴァルキリーの声だ。 (……ヶ月くらい前っすかね? 誰かいたことは確かっすね)  どうやら、生存者の痕跡を見つけたらしい。二人の移動が停止し、カサカサ、キリキリと高周波数のノイズが増える。あたりを歩き回って捜索しているのだろう。 (……ブラウニーは、あのフォトレスさんと付き合いが長いのですか?)  その途中、ヴァルキリーが唐突に自分の名前を出した。 (いいえ? 今回の遠征が初めてっす) (そうでしたか。たいへん仲がいいようでしたので) (そりゃそうっす。フォトレスのおかげで命拾いしたことがないブラウニーは、フォトレス配備前に死んだブラウニーだけっす)  しばらく、瓦礫を取りのけるような音だけが続く。 (……スチールラインジョークっす) (あ、そうなのですか)  そうだったらしい。 (でもブラウニーなら誰でも、フォトレスに何度も何度も命を助けられてるのは本当っす。だからブラウニーはみんなフォトレスが好きっす。もちろん自分もっす!) (よくわかりました)ヴァルキリーのくぐもった声は、なぜだか微笑んでいることを察知させた。(オイル、あるといいですね) (はいっす!)  フォトレスは音響センサーの感度を下げ、位置だけを把握するモードに切り替えた。うまく言語化できなかったが、それ以上会話を聞くのは礼儀に反すると、メモリの中の何かが言ったのだ。 「ただいまっす!」  54分後、ヴァルキリーとブラウニーは2ブロック先の別のビルにある階段から出てきた。痕跡だけで、生存者は見つからなかったようだ。 「でも収穫はあったっすよ。ほらこれ!」  ブラウニーは両手に大量の雑誌を抱えていた。「本屋さんがあったんで、観光ガイドっぽいの全部持ってきたっす」 「私たちの地図は公共ネットワーク上に残っていたものですからね。現地の情報は大事です」  ヴァルキリーも頷く、二人で地べたに雑誌を広げようとしたので、フォトレスはいそいで脚を一本さしのべ、テーブルのかわりにした。  ガイドブックのおかげでその後の市街捜索はスムーズに進み、宝飾品もナイフも無事見つかった。そして驚いたことに、潤滑油も見つかった。  オートバイ専門誌によれば、この街には知る人ぞ知るバイク修理の名工がいたそうだ。彼の腕をたよって海外からも愛好家が訪れるほどだったという。工房のあった住所を訪れるとむろん破壊されていたが、よく探してみると建物奥の倉庫が無事だった。そこに大量の機械部品や整備ツールがストックされていたのだ。 「これとか、見た感じ高級っぽくないっすか?」  とブラウニーが持ち出してきたのが、モリブデン配合アルミニウムコンプレックスグリースの完全密封品だった。ラベルの表示が確かなら、SS級AGSに使われてもおかしくない純度だ。ためしに一包み開けて、グリスガンを使って脚部関節に差してもらったところ、駆動音が2.7%も低下した。 「あんまり変わった気がしないっすけど……」  バイオロイドにはこの夢のようになめらかな低トルクが理解できないらしい。フォトレスは自分の自己実現感情係数がいかに高まっているかを伝えようと、意味もなく何度も膝関節を屈伸させた。 「たいへん快適です。ありがとうございます」 「喜んでもらえたならよかったっす!」  笑顔になったブラウニーの腹がぐう、と大きく鳴った。ヴァルキリーが笑う。 「今晩休むところを探しましょうか。ちょうど、行ってみたいお店を見つけたんです」  半分だけ焼け残った木のドアを引き開けると、奇跡的に残っていたドアチャイムがカラン、と鳴った。 「よかった。かなり状態がいいですね」  ヴァルキリーが向かったのは、ガイドブックに載っていた喫茶店だった。 「食べられるものはもうないと思うっすが」 「インテリアの雰囲気がとてもいいと書いてあったので……あ、ほら、このカップとか」  ヴァルキリーは埃の積もった店内のあちこちを懐中電灯で照らして満足げだ。ブラウニーもおっかなびっくり後に続いたが、やがて古めかしいソファの埃をはらって腰を下ろした。 「あーなるほど……ちょっと落ち着ける感じっすね」 「ここをひとまずの拠点にしてもいいかもしれません。日が落ちる前に、掃除だけでもしてしまいましょう」  二人はそのまま窓を開け、割れた家具を片付けたり、埃やガラスのかけらを掃き出したり、バタバタと立ち働き始めた。言うまでもなくAGSが入れるような広さではないので、フォトレスは壁の外に待機したままそれを観察していたが、ランタンを吊す場所をさがして右往左往しているらしいブラウニーを見て、妥当性と合理性の観点から論理回路がある提言を導き出した。 「ブラウニー6301。提案があるのですが、よろしいでしょうか」  カウンターの奥の配電盤を開けて、フォトレスのバッテリーから伸ばしたコードをつなぐと、店内の照明がぱっと灯った。 「おおー!」  ブラウニーが飛び跳ねて喜ぶ。配線が生きていて幸運だった。戦闘機動で消費するエネルギーに比べれば、喫茶店一軒分の消費電力など微々たるものだ。 「レンジと電気ポットも動きますね。夕食にしましょうか」ヴァルキリーも嬉しそうに言った。 「音楽かけましょう、音楽! フォトレス、なんかないっすか!」  ブラウニーの要請は時々ひどく抽象的で困る。フォトレスはしばし回路を空転させたあと、ライブラリの中から「Gray Clouds」を再生した。 「おっ、いい感じ」 「ロイヤル・アーセナル少将の歌ですね」 「あの人ものすごいドスケベだって聞きましたけど、本当なんすかね」  喋りながら室内の二人は湯を沸かし、携帯食料を温め、テーブルを拭いて食事をはじめる。フォトレスも静かに関節負荷の小さい姿勢にうつり、待機モードに入った。 「こんな綺麗なカップで飲むと、インスタントコーヒーも美味しく感じるっすねえ」 「割らずに持って帰る方法をあとで考えないといけませんね」  店内の会話を聞きながら、フォトレスは今日一日のデータの整理にとりかかる。  フォトレス7927は、旧時代のことを断片的にしか記憶していない。確実なのは自分のいた部隊が潰走したことと、その時仲間の後退を援護するため単機で陣地に残ったことだけだ。そして、いつ来るかわからない救援と次の命令を待って節電モードで休眠していた数十年の間に、ストレージに欠損が生じ、データが失われてしまった。それと一緒に火器管制プログラムも破損してしまったため、7927は機関砲もシールドカノンも扱うことができない。完全に失われたのではなく、壊れたデータが一部残っているのが厄介で、復旧するにはモジュールをすべて初期化するしかないそうだ。  通常であれば迷わず初期化か、さもなくば廃棄だ。フォトレス7927も当然そうなるものと予期していた。しかし、7927を再起動したフォーチュンは言ったのだ。 「なにか、あなたがやりたいことや、試してみたいことはない?」  7927は沈黙した。そのようなことを思考したことはなかったからだ。数千秒を費やした長い自己診断の果てに、7927は答えを出した。 「私は、また仕事に就きたいです。兵士を守る仕事に。できれば、スチールラインの皆さんとともに」  自分にそのような願望が存在することを、フォトレス7927はその瞬間まで知らなかった。しかし、自覚してみれば、確かにそれは存在していたのだ。  働きたい。兵士の、スチールラインの役に立ちたい。役目を十分に果たしたと思えるまで、消えたくない。  フォーチュンは拠点の上層部と相談し、この仕事を見つけてくれた。フォトレス7927は、「感謝」そして「満足」という感情の意味を理解したと思っている。  すでに日は落ち、あたりは深い藍色に沈みかけていた。唯一照明のついているこの喫茶店だけが、浮き上がるように明るくかがやいている。 「……?」  フォトレス7927はセンサーにわずかな熱源反応を感知した。1ブロックほど離れた所に、バイオロイドが二体いる。  生き残りのバイオロイドだろうか。こちらの様子をうかがっているようだ。何度も立ち止まりながら、少しずつ近づいてきている。  熱源の強度があまり強くない。生命活動が弱っている。じゅうぶんな食事をとっていないに違いない。そういう者にとって、灯のともる飲食店から音楽と人声が聞こえるということがどういう意味をもつか、フォトレスにも類推できる。  来訪者のために、ヴァルキリー485は熱いコーヒーをいれるだろう。ブラウニー6301はパンをトースターで温め、チョコレートの包みを開けるだろう。  フォトレス7927は音楽を邪魔しないようモーターの回転を落とし、センサーライトの光量も下げた。そして、かれらが勇気を出して道路をわたってくるのを、しずかに待った。 End =====  エレベーターが止まり、ドアが開くと、湿った生あたたかい風が吹き込んできた。  天井の高い、広い広いフロア。そこを埋めつくして、透明なアクリルの水槽と、無数の白いパイプがどこまでも、どこまでも並んでいる。 「ほおー……」  思わず、声がもれる。ランバージェーンがさも自慢げに、手をさっと振ってみせた。 「ようこそ、司令官。できたてほやほやの地下水耕農場、アクアランドファームへ」  島のほとんどを氷河に覆われた姿からはちょっと意外に思えるが、スヴァールバル諸島は地熱が豊富だ。火山こそないものの、島の北西部には天然の温泉が湧いているし、島内のあちこちには旧時代の地熱発電所も残っている。  ここにしばらく腰を据えると決めたとき、俺たちは当然、この地熱を何かに利用しようと考えた。そして出てきた案が、温泉と、発電所と、地下農園だ。  温泉案はその後発展に発展を重ねて、アクアランドとして先日めでたく落成した。発電所は旧時代のものを手直しして、そのまま使わせてもらうことにした。そして農園案から生まれたのが、アクアランドの地下深くに広がるこの水耕農場というわけだ。 「もー、大変だったんだから! 私は現場作業員だって言ってるのに、半月も地下で工程管理やらされてさ。しかもフェアリーシリーズの連中ってば、物腰は丁寧なのに注文は細かいわ、絶対ゆずらないわ……」 「ははは……ご苦労様」俺は苦笑いするしかなかった。技術班の上の方がみんな天才肌というか、趣味人気質の人々ばかりのせいで、ジェーンに苦労が集中しているのは聞いている。「忙しいのに案内までさせちゃって、すまないな」 「逆よ、逆! こんなに苦労したんだもの、エスコート役くらいもらわないと割に合わないわ」ジェーンは俺の腕をぎゅっと抱きかかえ、ニッと笑った。「で、どう?」 「うん、すごいな。でもこれは、農場っていうより……」  水耕農場というもののことはよく知らないが、もうちょっと何かしら畑っぽいものを想像していた。ここには土もなければ緑もない。まぶしいくらいに明るい照明が、清潔な水槽とパイプを照らしているだけだ。 「工場みたいよね」  ジェーンが俺の感想を先取りした。「私も同感。植物工場なんて呼び方もあるらしいわ。種苗エリアに行ってみない?」  水槽には水がはってあり、よく見るとわずかにさざ波が立っている。たぶんどこかにポンプがあって循環しているのだろう。横目で見ながら広いフロアをてくてく歩いて反対側に着くと、そこには巨大なシャフト状の建造物が、天井から床までをつらぬいてそびえ立っていた。立ち並ぶドアの一つを、ジェーンが気軽にノックして開ける。 「ヘイ、ドリアードいる? 司令官がきたわよ」 「ご主人様! ようこそお越し下さいました」  中央のテーブルで何やら作業をしていたドリアードが、ぱっと笑顔になって出迎えてくれた。  そこは実験室のような感じの部屋だった。一方の壁がぜんぶ大きな棚になっており、平たいバットがずらりと置いてある。バットの中には小さい緑の双葉が何百も、整然と並んでいた。 「キャベツの芽です。もう少し大きくなったら、外の栽培ユニットへ移します」 「これ、全部がキャベツ?」 「下の段はレタス、こちらはセロリとほうれん草です」ドリアードが指さして教えてくれるが、ぜんぜん区別がつかない。キャベツの芽って芽キャベツじゃなかったのか。 「地下一階は葉物野菜フロアなのよ」ジェーンも横から言った。「ここがいちばん遅れてるけど、下の階はどこももう動いてるわ。見に行くでしょ?」 「ああ、たのむ」  地下二階も同じような作りだったが、こちらの水槽には分厚いスポンジの土台が敷かれたうえに、すでに植物がぎっしりと生い茂っていた。中には小さな実をつけ始めているのもある。 「これはトマトで、あっちがナス?」 「正解です」ドリアードが嬉しそうに笑う。「あと一月ほどで、もぎたてを召し上がっていただける予定です」 「ソワンも喜ぶだろうな。土がなくても、こんなに立派に育つんだなあ」 「この水に必要な栄養素がぜんぶ入ってるのよ。あとは光と、温度・湿度管理ね」ジェーンが自慢げに透明な水槽を叩いた。「虫も病原菌もいないから農薬だっていらないし、収穫も全部オートメーション。未来の農業って感じよね」 「フェアリーシリーズとしては、複雑な気分でもあります」水槽の中で揺れるトマトの根を眺めて、ドリアードはしみじみとした顔になる。「大地に根をはり、太陽の恵みを受けてこその作物、という気持ちがどうしても」 「いいじゃないの、汚れないしラクだし、何より虫がいないし」ジェーンは肩をすくめた。「古いやり方にこだわるのって、アナクロだわ」 「微量栄養素や光の周波数が偏るために、成分が微妙に異なるというデータもあるんです。新しい技術はもちろん大切ですが、軽々に乗り換えていいということには」 「この島に農業できる場所なんてないでしょ? まずは収量、そしてコスト。地上の畑なんて今はぜいたく品なのよ」 「まった、まった。喧嘩はなしで頼むよ」  俺ごしに言い合いをはじめた二人を、俺は苦笑いしながら止めた。なにか他の話題をさがしてあたりを見回すと、外周の壁際に何か大きな建造物が貼りついているのが目に入る。 「あの壁際の建物は何? 上のフロアにはなかったよな」  ジェーンが顔を上げ、「ああ、あれは地下トンネルの入口。オルカのいるドックまで直通で、リニアも走ってるわ」 「おお! 秘密の連絡通路とか、そういうのワクワクするよな」 「男の人って、ホントそういうの好きよね」さっきまでにらみ合っていた二人が、呆れたように顔を見合わせて笑った。  もう一階下りると、そこは色々な豆を育てているフロアだった。その下は根菜。さらにその下は果物。そしてそのまた下のフロアには、青々とした田んぼが広がっていた。 「本当にすごいな。ここから出なくても一生食べていけるんじゃないか」稲の青いにおいをかいだのも久しぶりで、俺はふかぶかと深呼吸した。ドリアードはまだ細く柔らかい葉を、確かめるようにやさしく撫でている。 「オルカの食料自給率もちょっとは改善するかな」 「自給率ですか?」  オルカで消費する食糧や生活物資は、一部の海産物や、上陸先で見つけた分などを除いて、すべて外部拠点から送ってもらったものだ。世界中の外部拠点がオルカのために生産したものを、オルカが消費し続ける。そういう関係がずっと続いている。  そういう役割分担だからと言えばそれまでだが、なんとなく引け目というか、借りのようなものを俺はずっと感じていた。オープンしたばかりのアクアランドには、外部拠点の隊員たちも順番に招いて楽しんでもらう予定だ。この農園によって、彼らの負担を少しでも減らせるなら、それに越したことはない。 「ご主人様が、そのようなことをお気になさっているとは存じませんでしたが……」しかしドリアードは、ちょっと困ったような顔で首をかしげて言った。 「ここの農園の産物だけで自給できるのは、多めに見積もってもバイオロイド三十人くらいですよ」 「三十人」  思ったよりだいぶ少ないので、俺は驚いた。オルカの乗員の、せめて半分くらいは養えると思っていたのに。 「農業って大変なんだな……」 「司令官のお世話をしつつ、司令部機能を維持できる最低限の人数だそうよ。ここを閉鎖シェルター化する時にそなえて、設計の一番はじめに計算したわ」  ジェーンの言葉に、俺は天井を見上げた。太いフレームが無数に組み合わさった、強固な構造がむき出しになっている。この地下農場はただの農場ではなく、いざという時の防空シェルターでもある。レモネードとの戦争を見越して、そういう風に造ったのだ。一時的にであればオルカと箱舟、アクアランドの全人員を収容できるはずだが……一時的でない使用法まで考えられていたとは知らなかった。おそらく、秘書室や参謀達の配慮なのだろうが。 「……ここをそんな風に使う時は、来てほしくないな」  俺はつぶやいて、両隣の二人の手をにぎった。二人ともちょっと驚いた顔をしたが、笑顔でにぎり返してくれた。 「あれ、土がある?」  最下層はそれまでのフロアと様子が違っていた。水槽もパイプもなく、自然光に近い照明の下、ふつうの畑のように土の地面が広がっている。そこへりっぱな木が何本も生い茂り、向こうも見通せないくらいだ。 「試験的に、人工土壌を使っているんです。効率は落ちますが、木本はまだどうしてもこの形でないと……」 「ここだけ、定期的にエルフの連中に来てもらわないといけないのよね」ジェーンがちょっと唇をとがらせた。「まあ、あそこの上の二人はホントにすごいし、別に噛みついてこないからいいんだけど」  柔らかい土を踏んで、木々の間を進んでいく。案内してくれるドリアードの声は心なしかはずんでいる。 「ここから向こうがリンゴの木、あちらがオレンジの木。反対側はブドウ畑です」 「やっぱり、こういう土のある畑の方が好きみたいだな?」 「それはもう! ここがシェルターになった時には、セラピーエリアとしても役立つんですよ」 「だから、そういう使い方はしたくないって……」  ふいに木立が途切れて、開けた場所に出た。ほかと同様に土はあるが、何も植わっていないのだ。 「ここは?」 「実はここだけ、まだ何を植えるか決まっていないんです」ドリアードがちょっと恥ずかしそうに言った。「栄養配分の効率なんかを考えて、樹木の配置と面積を決めているんですが、ちょうど半端に土地があまってしまって」  空き地の端から端までを見渡す。この農場は地上のアクアランド同様、おおまかな円形をしており、ピザのように放射状に区画分けされているのだが、そのピザの小さめの一切れ分くらいが、ぽっかりと空いている。 「これだけの広さがあれば、なんでもできそうだけど」 「はい、それでよけい決めかねてしまいまして。よろしかったら、ご主人様が決めていただけませんか」 「俺が?」 「熱帯の果実がいいと思うんです。グアバとか、マンゴーとか」  サニーとスノーフェザーの声がきれいに揃った。 「傷むのが早くて、どうしても長距離輸送がむずかしいので。新鮮なものを司令官様にも食べていただきたいです!」  引き受けたはいいが、農業についてはまるで素人の俺にはアイデアも指針も何もない。そこでオルカの皆に「何か栽培したいものはないか」と募集してみたところ、予想以上の反響があった。  毎日のように誰かしらが俺のところへやってきては要望書を置いていく。もちろん、実際にそれが作れるかどうかは確認しないとわからないが、希望が多いのは大変いいことだ。 「ドリアード、どうだ?」  アドバイザーとして来てもらっているドリアードに聞いてみると、微妙な顔で首をかしげた。 「素敵だと思いますが、他の果樹と同じ空間で育てることを考えると、気温の調整がすこし難しいかもしれません」 「うーん……」俺は腕を組んだ。「魅力的だけど、保留で」 「ホップです。ホップしかありません」  〈I ♡BEER〉と大書したプラカードをかかげたキルケーがデスクごしに身を乗り出してきた。 「今は主に乾燥ペレットを使っていますが、やっぱり鮮度が違うのです。私どものような小規模ブリュワーは量産性に劣る分、材料の品質や鮮度で勝負したいのでして」 「ブリュワー?」  きみ占い師じゃなかったっけ。という突っ込みをする隙も与えずキルケーは矛先を変える。 「だいたいドリアードさん! あなたビール造りの名人だそうじゃないですか! どうしてもっと早く言ってくれなかったんですか!」 「そ、そう言われましても」 「教えてください! 飲ませてください! そして力を合わせてオルカブリュワリーを」 「落ち着けキルケー。ちょっとサディアスかソニア呼んで」 「余分な畑があるのなら何をおいても麦を増産すべきです! 米か芋でも構いません!」  キルケーが連行されていったのと入れ替わりに入ってきたシャーロットは、大きな胸をぶるんと揺らして力強く言い切った。 「いやまあ、確かに主食は大事だけど」 「飢えは最大の敵! 古来より、食べるもののなくなった軍隊ほど悲惨なものはありません。ぜいたく品など作る前に、まずカロリーの確保です!」 「現状、食糧自体は十分ありますし……」 「リストを拝見しましたがジャガイモが三種類しかないじゃありませんか!」ばんばん、とデスクを叩くシャーロット。よく見たらちょっと涙目だ。「アウグスブルガー! フォントネー! メザメ・オブ・インカ! おいしいおイモはまだまだいっぱい」 「外部拠点に頼んで、いろいろ作ってもらうようにするから」 「よかったらなんですけど、鶏を飼えませんか?」  アウローラはおずおずと切り出した。「やっぱりまだまだ新鮮な鶏卵は貴重で……供給が増えれば、カフェのスイーツなんかもぐっとお手頃になるんですけど……」 「それは嬉しいが……動物って、どうなんだ?」 「難しいです」ドリアードは無情に即答する。「管理が格段に大変になってしまいます」 「そうですかあ……」  しょんぼりと肩を落としたアウローラを見かねて、俺は言ってみた。「暖房のきいた寝床を用意すれば、地上でも飼えるんじゃないか? 確か、レアが地上にも菜園を作るとか言ってただろ」 「その菜園が荒らされるからって、ダメ出しされたんです……」 「柵をきちんとすれば大丈夫です。私からもお姉様にお願いしてみましょう。アウローラさんのスイーツ、私も楽しみですので……」 「動力施設にしよう」  サディアスは入ってくるなり言った。「最近規律が乱れすぎている。懲罰装置が必要だ」  ちなみにキルケーはあの後農園に忍び込もうとして、シティガードに捕まったらしい。今は禁酒刑に処されている。 「懲罰装置? 動力施設ってのは?」 「その両方だ。大型の人力発電機を据えつけて規則違反者に回させる」 「いやいやいや」 「賛同者の署名も集めたぞ。倉庫管理担当アンドバリに、調理班長ソワンに、ホードの衛生兵ケシクに」 「いやいやいやいや」  たしかに皆規則違反に悩まされていそうな面々ではあるが、せっかくの農園にそんな発電所だか超人墓場だかわからないものを作るわけにはいかない。サディアスに突きつけられた署名用紙を、俺は丁重に押し返した。 「うーん……」  プランを並べたホワイトボードを前に、俺はうなっていた。どれも悪くない(発電機以外)が、どれも決め手に欠ける。  みんなの意見を聞くうち、俺の中にも漠然と、何を作るべきかのビジョンが見えてはきている。必需品ではないが、あると嬉しいもの。できるだけ多くの人に行きわたるもの。鮮度が大事で、できれば日持ちもするもの。オルカの皆や、外部拠点の隊員たちにも喜んでもらえるもの……。  条件は固まってきたが、さてそれに当てはまるものは何かというと、さっぱり浮かばない。そんな都合のいい農作物があるだろうか。  朝から首をひねり続けて、ちょっと痛くなってきた。そんな俺を見かねてか、 「ご主人様、休憩になさいませんか」  コンスタンツァが銀のお盆を差し出してくれた。お盆には熱い紅茶と、湯気の立つスコーンが載っている。  俺は目を見開いて叫んだ。 「それだ!!」 〈夏もちかづく八十八夜 野にも山にも若葉がしげる……〉  スピーカーからリズミカルで軽快な歌を流しながら、ドローン達が一列になって進む。あざやかな黄緑色の茂みがどこまでもまっすぐに続き、密生した葉の一枚一枚に、霧のように水が降りそそいでいく。 「お茶かあ。なるほどね」また案内役をつとめてくれたジェーンが感心したように言って、俺は得意げにうなずいた。  お茶なら少量でもみんなで飲んで楽しめる。製茶まで済ませてしまえば保存もきくし、かさばらず重くない。お土産にもぴったりだ。 「素晴らしいアイデアです。さすがです、ご主人様」 「ふふふふふ」  ドリアードも褒めてくれて俺はますます得意になる。 「ところで、ドローンが流してるあの歌は何?」 「ゼロさんに教わった、お茶の栽培をするときの伝統歌だそうです」  本当ならお茶の木というのは苗から育てても四、五年かかるらしいのだが、そこはセレスティアの力を借りて早送りさせてもらった。アクアランドのオープン期間中に、オルカ製茶の第一弾が出来上がってくる予定だ。ちなみにこの間まで知らなかったが、お茶というのは紅茶も緑茶もウーロン茶も、ぜんぶ同じ葉から作れるらしい。 「遠くからわざわざ来てくれた隊員たちに、お土産として渡せたらいいよな」 「なあに、まだそれ気にしてたの?」ジェーンが笑った。「言っとくけど、オルカは別に輸入超過ってわけじゃないのよ。お土産品ならもう一杯あるんだから」 「えっ?」それは初耳だ。「いやでも、何を?」  ジェーンはニヤニヤ笑って、タブレットを差し出した。動画ファイルと画像ファイルがびっしりと並んでいる。「司令官/8月10日」「司令官/9月28日」「司令官/ボイス_No559」「司令官/生歌02」…… 「これは……」 「司令官ポスターとか、マグカップとか、シーツもあるわ。あとは何といっても生写真が大人気。正真正銘、オルカでしか撮れない特産品ね」 「…………」  俺のこれまでの試行錯誤は一体……いやそれより、いつの間にこんなものが……。 「そういえばドリアード、例のキルケーを弟子にしたんだって?」 「熱意に負けまして……」 「ビールのレベルが断然上がったらしいわよ、ね、司令官、今夜みんなでバーに行かない?」 「そうだな……」  ジェーンに肩を叩かれて、俺は力なくうなずいた。実際、飲まないとやってられない気分だ。 「オルカ製のお茶、皆さん本当に喜ぶと思いますよ、ご主人様」 「うん……ありがとう……」 「でもあんたも持ってたでしょ、生写真」 「ジェーンさん!」  とぼとぼと家路につく俺のうしろで、ドローン達は軽快な歌を流しながら、ゆっくりと茶畑に水を撒いていた。 〈摘めよ摘め摘め 摘まねばならぬ 摘まにゃオルカの茶にならぬ……〉 End ===== 「あ、雪……」  おれいの声に、弥一郎はふとんの中から目を上げた。  ほそく開けた板障子の先、ほんのりと薄明るくなりかけた京の空に、ちらり、ちらりと、白いものが舞っている。 (どうりで、冷えるはずだ)  弥一郎は口の中でつぶやき、寝返りをうって、おれいの白い肌に手をはわせた。 「あれ、弥一郎さま」 (もうじき、師走だものな……)  まだ眠気ののこる頭でうすぼんやりと考えながら、むっちりとした乳房のあいだに顔をうずめる。 「もう、夜が明けますよ……」 「なに、まだ……あたたかいな、おまえの肌は……」  昨夜、あれほどむさぼるようにかき抱いた肌身だというのに、おれいの肢体はなんどでも弥一郎をとりこにして離さない。 「いけません、いけません……あ、あ……」 「おれい……ああ、おれい……」  おれいは、美馬弥一郎が遊里で出会った女である。  まじめ一辺倒の弥一郎は、それまで「そうした店」に足を踏み入れたことがなかった。ある時たまたま、気がむいて同僚のさそいに乗ってみたら、入った店におれいがいた。  とびきり美しいというわけではない。しかしふしぎと品のある顔立ちで、それが笑うと花の咲くようにやわらかくなる。何ごとにつけよく気がつき、酔客のあしらいもうまく、ふとした受け答えにはしっかりした教養を感じさせた。  このおれいに、弥一郎は、すっかりまいってしまった。本人のいうのに、 (一目ぼれ)  で、あったという。  そこから毎日のように通いつめ、一月もたたぬうちに、乏しいたくわえをはたいて請け出してしまったのだ。  おれいもまた、よく弥一郎に尽くした。寵愛をいいことに肉欲におぼれさせるような真似はけっしてしなかった。それどころか、 「弥一郎さま、お起きになってくださいませ。出仕に遅れます」 「弥一郎さま、そのようなお召し物ではいけません。繕っておきますので、お着替えください」 「む、むう……」  むしろ弥一郎の尻をたたくようにして、前よりも仕事に励ませる。かえって主家の評判も上がったほどである。  遊女を家にむかえたことによい顔をしなかった家人や同僚も、 「美馬のやつ、まことよい女を引き当てた……」  と、ほどもなくおれいを認めるようになった。  今ではおれいは、美馬の家のことをすっかりまかされている。祝言こそまだあげてはいないが、ほとんど正妻も同然である。 「さ、お召し上がりくださいませ」 「うむ。うまい、うまいな……」  麦飯と菜の汁、漬物だけの質素な朝餉を、弥一郎はもりもりとかき込む。白湯を一杯、うまそうにすすってから、隣にひかえているおれいへ目をやった。 「そうだ、まえの日記を出しておいてくれ」 「はい」素直にこたえてから、おれいが不思議そうな顔をした。「前のでございますか?」 「うん。今日はすこし、書きものをするのだ」弥一郎は愉快そうな顔をした。「お前にも関係のあることゆえ、見てみるか。ふふ……」  この時代、紙はまだ高級品である。日記をつけるなどというのは、弥三郎の身分では贅沢といえるが、きちょうめんな弥三郎は毎日、その日おきた色々なことをこまかく書きとめていた。  板の間へ文机をすえて、弥一郎は先月の日記をひろげ、真新しい紙を横において、何ごとか書きうつしはじめる。その手もとをのぞき込んだおれいが、 「ま……」  頬をぱっと赤らめて、顔をふせた。  弥一郎が書きうつしているのは、おれいが毎夜どのような技巧をつかい、どのように弥一郎をよろこばせたか。要するに、閨事の記録であったからだ。 「みょうに思うであろうな」弥一郎も、さすがに苦笑した。 「だがな、これが本当に務めなのだ。三好さまの、末の娘御がな。まだ子宝を授からぬそうな」 「は……」  三好さま、とは弥一郎の主君、三好長之のことである。讃州細川家に代々つかえている、歴史ある武家だ。  讃州細川といえば、いまを時めく天下の管領・細川家の分家である。三好家はそのいち陪臣にすぎないが、それでも家格はそれなり以上のものだ。領国である阿波のほかに、この京にも屋敷をもっており、弥一郎は京屋敷をあずかる奉公人のひとりである。 「おまえのことを、三好さまがご存じでな。閨の技に詳しかろうから、手本がほしいと、直々に頼まれた。このようなこと、人に知らせるものではないが、な……」 「恥ずかしゅうございます……」  袖で顔をおおって下がろうとするおれいを、弥一郎は笑いながらひきとめる。 「そう言うな。さ、ちょっと読んでみて、間違いなどあれば言ってくれ」 「あれ、もう……ご勘弁下さいまし……」  その夜、深更のことである。  京の冬は寒い。夜ともなればいっそうのことだ。足元から立ちのぼり、からみついてくるような冷気のことを、みやこ人は、 「京の底冷え」  と呼びならわしてきた。  寒気の沼に首までとっぷりとつかり、凍てついたように動かぬ町並みを、とある寺院の屋根から見下ろす一つの影があった。  おれいである。  いや、おれいであって、おれいではない。  檜皮色の麻の小袖は、黒い布を体にまきつけただけの動きやすい装束にかわり、白くなまめかしい脚にはうすい鋼の脚絆を巻いている。唐輪にまとめていた黒髪は頭のうしろで高く束ね上げられ、白い鉢金が月光をはねかえす。何より、やわらかく愛嬌のあったおれいの面立ちは別人のように冷たく引きしまり、殺気すらまといつかせているではないか。  おれいの本当の名を、 〈ゼロ〉  といった。  おれい、いや、ゼロは冷たい月明かりの下を、屋根から屋根へ音もなく跳びわたる。そして蝶が花にとまるように、ひときわ広大な屋敷の塀のすみへ、しずかに降りきたった。  花のかおりが、かすかにただよう。冬の夜には異様なことである。  あちらに臘梅、こちらには椿。冬でも花をつける木々が、そこかしこに植えられている。いや、冬にかぎらず、四季折々の花木が、広大な庭園をくまなく飾っているのだ。  この広大な屋敷の名は、室町第。別名を「花の御所」という。  京の都の中央に位置する、征夷大将軍の居宅にして執政所である。目をこらせば夜闇の中にも、贅をこらした庭木や柱、飾り障子のさまが見てとれる。屋根までが、にぶく輝く黄金でふちどられていた。  広壮な庭園のすみずみまで、ゼロはするどく目をはしらせる。石橋、あずまや、池の小舟……。そのいずれにも、おかしな点は何もなく、やがてゼロは失望の表情で、ふたたび鳥のように屋根の上へ舞い上がった。 〈おまえの母は生きている。手がかりはすべて、花の御所に〉  ゼロの脳裏には、あの謎めいた仮面の剣士の言葉が、影のようにまといついて離れないのであった。  ――――姉の仇、そして母の仇を探しもとめて京の都にたどりついたゼロは、炎の剣技をあやつる奇妙な剣士のうわさを聞きつけた。不思議に心ひかれるものを覚えたゼロは、ひとまず母の仇のことはおいて、その謎の人物を追うことにした。身につけたムラサキ流のわざをもってすれば、遊里にもぐり込むことも、目をつけた郎党衆のひとりをたらし込むことも、造作もないことだ。  謎の剣士はすぐに見つかった。しかし、その正体を突き止めるよりも先に、その口からゼロは、とうにこの世にいないと思っていた母の所在を聞かされることになったのだ。 (――――何者なのだ、あの男は……?)  ゼロの心は千々に乱れる。  あの太刀筋は間違いなく、ムラサキ流のものだった。それも、ゼロが教わらなかった「火神の型」だ。  あの日から折をみて、こうして御所に忍び込んではさぐり回っているが、母の手がかりなどどこにも見つからぬ。屋根に開いた大きな穴を、ゼロは舞うように飛び越えた。  室町幕府の中枢たるこの花の御所であるが、じつは開府以来ずっと御所であったわけではない。三代義満公が北山第へ移り、一時は完全にうち捨てられた廃園同然のありさまだったことすらあった。ほんの数年前に、いまの将軍・義政公がふたたびここを御所とさだめ、改築もはじまったが、まだまだ荒れ果てた一隅がそこかしこにある。あるところは豪奢に、あるところは荒涼と、奇怪な風格をたたえた魔邸と化しているのが、いまの室町第のすがたである。  いくつめかの屋根をひらりと躍りこえたゼロは、 「式部少輔(しきぶのしょう)さま」  と、呼びかける声を足の下に聞いて、動きをとめた。  この下はうち捨てられた回廊だ。そこを誰か、歩くものがいる。いま、御所で式部少輔と呼ばれる者といえば、弥一郎のあるじ・三好長之しかいない。 「美馬のやつに、例の件お申し付けなさったとのこと、まことでございますか」  美馬、という言葉を耳にして、ゼロはかがみこんで耳をすませた。声はとがめるような調子で、もう一人の人物を問い詰めている。 「あやつの妻は遊里の女と聞きますぞ。かようなみだらな手業を、あのお方に……」 「口をつつしめ」  ぴしりと答えたしわがれ声は、やはり三好長之のものだった。 「もはや、体裁を気にかけていられる時ではない。細川様からも、そう仰せつかっておる」 「しかし……」 「お前でもかまわんのだぞ。なじみの端女の一人や二人はいよう……子をなす方法に心当たりがあれば、知らせよ。手立てはひとつでも多い方がよい」 「な……」  足音が廊下をすすんでいく。一呼吸おいて、もう一人がいそいで後を追った。  ゼロは屋根のへりに手をかけ、音もなく夜の庭へおり立った。直垂すがたの背中がふたつ、角をまがって消えていくところだった。 (……)  ゼロがひそかに調べあげたところでは、三好長之は讃州細川家の中でも、真面目で故実にくわしいことだけがとりえの、変哲のない武人にすぎない。子作りの法などをとつぜん訊ねてくるのは妙だと思っていたが、どうやら何か裏があるようだ。 (止めるべきか? 弥一郎さまを……)  房術もりっぱなムラサキ流の秘技のひとつ、余人に漏らしていいものではない。何か理由をつけて弥一郎の仕事をさし止めるなり、妨害するなりすべきか、ゼロは朝からずっとそれを考えていた。  しかし、いまの会話をきいて、ゼロはひとまず静観することにきめた。この糸は、どうやらより身分の高いだれかにつながっている。うまくたどれば、あの剣士や母の行方をたどる手づるになるやもしれぬ。  冬の風が一陣ふきつけ、枯れ葉を舞い上げた。それが地面におちた時、もはやそこには誰もいなかった。  菜飯に干魚のつけ焼き、豆の汁に、茸と昆布の炊き合わせ。来客があったので、いつもより一品皿をふやした、豪勢な夕餉だ。 「やあ、うまそうだの」  相好をくずす草野司馬次郎を、隣の弥一郎がにんまりと見た。  弥一郎の自慢の一つに、おれいの料理がうまいことがある。それもとくに値のはるものを使うわけでも、時間をかけるわけでもなく、ただありきたりの材料に少しの工夫で、 「おう、これは」  と、舌つづみを打つようなものをつくるのだ。 「干魚ひとつ焼かせても、美馬の家では味がちがう」  近ごろはそんなことを言って、夕餉の時分になると仲間の家人が、手みやげを持って弥一郎の家へやってくることも少なくない。  無論、これも忍びの手管のひとつである。人があつまるところには、情報もあつまる。「寄せ餌ぶるまい」と呼ばれる、ムラサキ流の基本の心得だ。 「ごゆっくり、どうぞ……」  酒の徳利を出し、奥へさがったと見せかけて、おれいのゼロは次の間でぬかりなく耳をすます。 「そういえば、どうなった、あのみょうな剣客とやらは」 「あれから、まるで姿を見せぬ」杯をうまそうに干して、弥一郎はふーっと熱い息をはく。「なんだったのか、今でもわからぬよ。伊勢殿の家人に、似た姿を見たという者もいるが……」 「なんでもよいわ。どのみち、これからしばらくの間は、そんなわけのわからぬ男にかまってはおれんぞ、美馬よ」  草野はぐっと声をひそめた。 「義尋(ぎじん)どのが、いよいよ還俗なさるときまった」 「まことか」  弥一郎の声が緊張をおびた。 「おお。今年のうちにも、寺をお出でになって、どこぞの屋敷へ移られるそうな」 「ということは、いよいよ……」 「義政公も、お子をあきらめられたということであろうよ」  次の間のゼロも、目をみはった。  義尋とは、いまの将軍・足利義政公の弟君の名だ。義政公に子がないことは誰もが知っている。仏門に入った義政公の弟が還俗するということは、すなわち義政公の跡継ぎになるということだ。 「御台さまは、どうお考えなのだろうな」 「あの方が、金のことのほかに何をお考えかなど、誰にもわかるものかよ」  そうなれば、義政公の正室である御台所……富子さまの心中も穏やかなはずがない。なんとしても、子をもうけようとするはずだ。 (つまり……)  三好長之のあの奇妙な言いつけは、娘のためなどではない。あるじである細川成之の、そのまた後ろ盾、御台様……将軍正室・日野富子のためだ。 「さればよ。きさまが命じられたという、例の件……安からぬお役目ということになりそうだぞ。どうだ、できたのか」 「あはは。まあ、な……」 (なんと、まあ……)  声に出さず、薄暗がりの中でゼロは含み笑いをした。昨晩、長之に食ってかかっていたのが誰かはわからぬが、気持ちもわかろうというものだ。天下をすべる将軍の正室が、娼妓のわざを頼みにしようとは。  しかし、これは随分と大物に糸がつながってしまった。手づるとしては申し分ないが、しかしこれほどの大物にムラサキ流の技を知られてしまうことは、 (かえって、危うくはないか……?) 「何しろ、数がおおくてな。なかなか、終わらぬ」 「なにを、惚気おって……しかし、この茸はうまい。もう少し、ないか」 「聞いてみよう。おおい、おれい、おれいよ」  じぶんを呼ぶ声に、ゼロは思案をいったん胸にたたんで立ち上がった。今は、弥一郎の妻になりきるとしよう。  その時、ふと一抹のかすかな違和感を、ゼロは感じたような気がした。しかし、それはあまりにおぼろであったので、そのまま忘れてしまった。そのことを、ゼロは悔やむことになる。  その夜遅く、草野を送っていった弥一郎はそのまま帰らなかった。翌朝、鴨川の河原に、冷たくなって横たわっているのが見つかった。 「家の前で別れた時は、したたか酔ってはいたが、いたって元気であった。も少し、様子に気をつけておればよかったが……この草野の不覚じゃ。詫びる言葉もない」 「いえ……」  戸口で深く頭をたれる草野司馬次郎に、おれいもしずかに頭を下げた。  行商人、与太者、乞食、病人、罪人……この時代、鴨川の岸辺には、ありとあらゆる身分の定かならぬ者どもがたむろしていた。そのうちの誰が弥一郎をおそったとしても、また、よし何ものかがそれを装ったのだとしても、突きとめるすべはないと言ってよい。  祝言をあげたわけでもなく、内縁のあいだがらにすぎないおれいには、美馬の家に対してなんの権利も、かかりあいもない。ただ、まわりのものの気遣いで、なきがらを荼毘に付すまでは家にいられることになった。 「お前も、望むならどこか奉公先をさがしてやるが」 「身にあまる、ありがたきお言葉なれど……」  三好長之の言葉を、おれいはていねいに辞退した。  寺に遺骨を埋めるという風習はまだ一般的ではない。焼いた骨は小さな壺におさめ、主君があずかって郷里の阿波まで持ち帰ることになる。  長之と、供をする草野がかえってゆく後ろすがたに、おれいは深く頭をさげる。。  ふいに、その目が見開かれ、そしてするどく細められた。  おれいは……否、ゼロは何もいわず、夕暮れの中に遠ざかる二人の男の背中が見えなくなるまで、じっと見つめていた。 「ふう……」  はや薄闇につつまれつつある鴨川のほとりを、ひとりの男があるいていた。  息が白い。  ひら、と男の首すじに冷気があたった。見上げると、薄闇の空からちらちらと、白いものがおりてくる。 (ゆるせ、弥一郎……身の不運とおもってくれよ……)  男は草野司馬次郎であった。  なにかから逃げるように早足であるく司馬次郎が、ふと立ち止まった。  道ばたに、女が立っている。  被衣(かつぎ)を深くかぶっており、顔は見えぬ。しかし司馬次郎は女の着ているのが、美馬の妻がよく着ていた檜皮色の麻の小袖であるのにすぐ気づいた。 「草野さま」  司馬次郎が口をひらく前に、女はつっと進み出てきた。その声も、間違いなくおれいのものだ。 「このようなところで、何をしている?」  司馬次郎の険しい声にはこたえず、おれいは続けた。 「草野さまの義理の妹御は、伊勢の塩屋隆頼さまに嫁がれたとか」 「それがどうした。なぜ、そのようなことを知っている」 「塩屋さまの弟ぎみは、浄土寺で義尋さまにお仕えしたことがあるそうでございますね」 「それがどうしたというのだ!」  司馬次郎は声をあららげ、腰の刀に手をかけた。おれいが、しずかに被衣をぬいだ。 「どうもいたしませぬ。ただ、最後に確かめたかっただけにございます」  おれいの髪は高く束ね上げられ、ひたいには白い鉢金が光っていた。 「最後に、だと」  白菫の被衣が、ふわ、と宙をとんだ。司馬次郎がおもわずそれを目で追ってしまったのは、投げ上げるおれいの仕草があまりに優美で、無造作だったからだ。  そして見上げたその首が、もどることはなかった。  あごの下がぱっくりと大きく、赤く、口を開ける。そこから真紅の血をしぶかせ、司馬次郎はそのまま、声もたてず後ろへ倒れた。  おれい……否、ゼロは小太刀の血をはらい、懐へもどしてから、司馬次郎の死骸をつめたく見下ろした。大きな体を爪先でひっくり返すと、直垂の背中には、草野家の家紋である隅切角紋が染め出されていた。あの夜、三好家の三階菱に五つ釘抜の家紋とともに、廊下を曲がって消えていった家紋が。  河原に住む乞食やならず者たちが集まってくる前に、ゼロは死骸を蹴って川へ落とす。  それから、弥一郎の好きだった檜皮色の麻の小袖を脱ぎ捨て、これも鴨川の流れに捨てた。  御所の廊下をいそぎ足にあるいていた三好長之は、ふと足を止めた。雪がだんだんと激しく舞いはじめた縁側に、汚れた書きつけが数枚、小石を重しにして置かれている。 「はて……?」  女御の誰かが置き忘れでもしたのか。何かの帳面からやぶりとったように見える。とりあげた長之は目を見張った。  そこには、閨のうちにて女が男を夢中にさせ、子種をしぼり、まちがいなく子をなすための手管が、ていねいな筆はこびで子細に書き出されていたからだ。 「これは……美馬の……?」  あたりを見回したが、だれもいない。長之はもういちどあたりを用心ぶかく見回してから、書きつけをていねいに畳んでふところへしまい、足早に歩き去った。  それを見届けて、すこし離れた屋根の上から影がひとつ、白い闇のむこうへ音もなく飛び去った。  ゼロの書き残した、ムラサキ流秘伝の房術――それを将軍正室・日野富子が実際に目にしたか、そしてそのわざを使ったのかどうか、それを確かめるすべはない。  ただ事実として、翌年富子はひとりの男子を身ごもった。その子・足利義尚と、還俗した義尋……足利義視との対立が、かの応仁の乱の火種の一つとなる。  また、三好家はこれ以降、急激に頭角をあらわし、細川家中での発言力を増していく。そして四代ののち、梟雄・三好長慶を生み、ついに主家を滅ぼすにいたるのである。  しかし、そのどちらも、今のゼロには知るよしもない。  ゼロはただ駆ける。家族の仇と、血のよすがとを求め、雪降る京の都を駆けぬけてゆく。  華麗なる花の御所を焼き尽くし、室町という時代をおわらせる大戦乱が、そのゆくてに待ち受けていることを、若きクノイチはいまだ知らぬのであった。  つ づ く  ―――― 「……おおー」  大きな「つづく」の文字がバーンと画面に出ると、俺は思わず声を上げて小さく拍手をしていた。 「なるほど、これが時代劇ってやつかあ。ありがとな、カエン」  隣に座ったカエンが、嬉しそうに笑って、ぺこりと頭を下げる。  サレナの事件でテンランスタジオを捜索した際、結局かんじんの劇場版のデータはなかったわけだが、それ以外の作品の映像データはいろいろと残っていた。特に、ゼロとカエンの出演した『大戦乱』シリーズについては、シーズンごとの全話をおさめた「ボックス」と呼ばれる(らしい)映像ディスクセットがずらりと揃っていた。全部観たら何百時間になるかわからないほどだが、 「まあ大戦乱シリーズはスピンオフ作品も山ほど作られてますし、なんなら本編より長くなったシリーズとかもありますし、ゲーム版はゲーム版で一大ユニバースですし、さらにアニメも漫画も小説もありますから、作品世界全部を把握しようとしたらこれでも全然足りないんですけどねウェヘヘ……」  フレースヴェルグによればこれでも氷山の一角といった感じらしい。おそろしいことである。  ともあれ彼女がきっちりと整理した上でオルカのライブラリに入れてくれるというので、いずれ観ようと思っていたのだが、どこで聞きつけてきたのかカエンが先日、 「殿とこれが見たい」  と、ディスクを持ってきたのだ。 「あの、途中の回想でちらっとだけ出てきた、謎の剣士がカエンなんだろ?」 「そう」カエンは得意げに胸をはる。「これは、第二部、シーズン3……の、第1話。このあと、カエンの……正体、わかって、ゼロと再会する。強敵」 「なるほど。じゃあ、続きはゼロと一緒に見るか?」  だが、カエンは顔を曇らせて首を振った。俺はびっくりして二人がけの大きなカウチから起き上がる。 「カエン?」 「殿。今の、第1話、見て……どう思った?」 「どうって……面白かったよ。映像がリアルで、アクションもかっこよかったし。実際の歴史とつなげてるんだろうなっていうシーンもあって……俺はそこ詳しくないから、よくわからなかったけど」  時代劇、というジャンルがあることはゼロを復元したときに知っていたが、実際に見たのは初めてだ。歴史ドラマの一種なのだろうが、強く様式化された部分があり、独特の美意識を感じる。なるほど、ゼロやカエンはこういうものを演じるために作られたのかと、あらためて納得できた。  だが、カエンはじれったそうに首を振った。「お色気は?」 「お色気?」 「シーズン3は、リアリティと、お色気がコンセプト。ゼロ……毎回、えっちなことする。それは……どうだった?」 「ああ……!」確かに今回の話の冒頭には、ゼロと弥一郎という武士とのベッドシーンがあった。オルカで暮らしているとその辺の感覚がだいぶ偏ってくるが、言われてみれば相当きわどい所まで映していた気がする。 「そうだな、よく知ってるゼロがそういうことしてるのはちょっとドキッとしたけど、でも、まあ……」  しょせんは演技だし、そもそもオルカにいる今のゼロとは別の個体の話だ。と、続けようとして、ふいにゾッとした。  俺にはもちろん、そのことがわかっている。でも、ゼロは? もしも、ゼロがこれを見たら、どう感じるのだろう?  言葉が止まってしまった俺に、カエンが大きくうなずいた。 「ゼロ……は、これ、お芝居だって、知らない。わからない。ぜんぶ……本当。殿じゃない人と、えっちなこと、見たら、つらい」  顔を上げて、カエンを見た。その真剣な眼差しで、俺はようやく気づいた。「じゃあ、もしかしてカエンは今日……」 「これは、このシリーズだけは……ゼロに、見せないでほしい。それを、お願いしにきたの」  俺はテーブルの上から、ディスクが入っていたケースをとった。薄いプラスチック製のケースの表には、暗闇に浮かぶゼロの顔のアップにタイトルロゴ。裏には煽り文句と各話のかんたんな解説が書かれている。 「フレースヴェルグに言っておくよ。このシリーズだけはライブラリに入れないで、しまっておこう」  カエンはにっこり笑った。「ありがとう。殿」 「それにしても、よく気がついたな」俺はカエンの頭をなでた。 「お姉ちゃんだから」  嬉しそうなカエンの頭をもう一度なでて、俺は深く息をつきながらふたたびカウチに身を沈めた。カエンも、俺の横に寝そべる。 「この次のシーズン。カエンが、えっちなことになる話も、ある。……見たい?」 「……そういうのは、いいかな」  上目遣いで俺を見上げて、そっと体をすりつけてきたカエンを、俺は抱き寄せた。  第2話のアバンタイトルが流れはじめた。でも俺もカエンも、もう画面を見てはいなかった。  なお、これは余談になるのだけれど、その翌日、アルマンが俺のところへ来た。  カエンとまったく同じ懸念を口にしたので、昨日の話をすると目をまるくした。 「よもや、カエンさんに先を越されるとは……姉妹愛というのは、すごいものですね」  呆然としているその表情を、いまでも覚えている。 End =====  インジケータがまた一つ赤くなった。ココ・マーキュリーは機械的に手をのばしてアラーム音を切った。ことここに至ってはアラームなど、うるさいだけで何の意味もない。  暑い。狭いコクピットの中はまるでサウナだ。汗がとめどなく噴き出し、そして斜め下への強烈なGで流れ落ちていく。  外部カメラはすべてシャットダウンされ、下がり続ける高度計の数字と、上がり続ける温度計の数字、そして骨にひびく振動だけが外の様子を教えてくれる。  現在、地中海上空5万5千メートル。  唇まで垂れてきた汗をプッと吹き飛ばし、ぎゅっと一度目をつぶってから、ココはふたたびバリアの焦点と出力の微調整に集中した。  ――1時間前―― 〈あっ痛う……〉 「大丈夫!? ユサールお姉ちゃん!」  火花と煙を噴き出す、いびつに歪んだ鉄虫の群れ。もう動くこともなく、慣性のまま回転してゆっくり遠ざかっていこうとするそれらをワイヤーでひとまとめにくくってから、ココはホワイトシェルの補助スラスターを噴かしてユサールの方へ移動した。 〈ケガは大したことないけどな。これ……〉  銀白色のボディスーツの脇腹に空いた穴はすでに気密テープでふさがれている。しかし、まわりに漂っている無数の凍った血のかけらが、テープの下の傷が決して浅くないことを告げていた。そしてなお悪いことに、背中の大きなケースにも弾丸が食い込んで亀裂が入っている。ユサールモデルの専用装備、簡易大気圏突入ユニットだ。 〈データ吸い出し終わったぜ。ざっと見ただけだと、変なログはないみたいだ〉  スパトイアの声にココは顔を上げた。間近で見る偵察衛星BLSAR-27は、ここまでの戦闘でパネルやアンテナのほとんどがちぎれ飛び、ぼろぼろの小型トラックが逆さまに浮いているように見える。そのトラックの運転席のあたりを蹴って、大きなタキオンランスを手にスパトイアがこちらへ接近してくる。 〈エイダーにも送った。あと、衛星はもう完全にダメ。復旧は無理そうだ……っと〉  ユサールの背中を見て、スパトイアもヘルメットごしに顔をしかめた。その意味するところをすぐに理解したのだ。  大気圏再突入の際にはホワイトシェルがスパトイアとスティンガーを引き受け、ユサールだけは自前のユニットで単独帰還する計画になっていた。だが、これでは単機突入は不可能だ。 〈置いてってもらってもええよ〉 〈バカ言うな〉スパトイアが即答し、ココもうなずいた。 〈データの解析が終わりました〉小さな電子音とともに、ホワイトシェルのキャノピーの隅に小さなエイダーの顔が現れた。〈半径800km以内に鉄虫の反応なし。最も近傍の衛星は三安の「アナシスXIV」ですが、物理的・電子的に接触があった痕跡はありません〉 「つまり?」 〈今回のことは偶発的な事象であり、鉄虫に感染した衛星はその一基だけと考えていいと結論します〉 〈決まりだな。こいつぶっ壊して、後片付けして帰ろうぜ〉言いながらスパトイアは、さきほどココが縛り上げた鉄虫の残骸をロボットスーツで蹴り飛ばした。眼下……ココの主観的には左手方向にかがやく地球へと、ゆっくりと落下ルートをたどり始めた残骸をしばし目で追ってから、ココはひとつ深呼吸をした。 「スティンガー、スパトイアさん、衛星を破壊して大気圏へ落として下さい。それから、帰還フェーズの手順を変更。ホワイトシェルで全機を抱えて再突入します。エイダーさん、軌道計算のやり直しお願いできますか」 〈了解〉  軌道上のエイダー本体から直接送られてくる音声は、こころなしか地上で聞くよりクリアに聞こえた。  ―――― 「アブレータ三層め、パージ」  ドシン、と小さな衝撃がコクピットに走る。  断熱圧縮により超高温となりプラズマ化した大気は、強い磁場をかければ操作できる。これを利用して断熱と減速を同時に行うのが電磁エアロブレーキングであり、ホワイトシェルの電磁バリアの出力ならば理論上単独での大気圏突入が可能だ。ただし、それはあくまで理論でしかなく、実際に試したのはおそらく自分が初めてだろう。  機体には戦闘のダメージが残っているし、予定外の重量を抱えてもいる。念のため積んできた断熱材もたったいま使いきった。「理論は完璧に。しかし何事も理論通りにはいかない」宇宙でのミッションで最初に心得るべき鉄則の一つだ。  ホワイトシェルは現在、体をまるめて背中から落ちる姿勢で大気圏に突入している。暑さとGは耐えがたいほどだが、コクピットにいる自分はこれでもましな方で、ホワイトシェルの腹の上に伏せているだけのスパトイアとユサールはもっと苛酷だ。スティンガーが冷却ジェルを絶え間なく吹きつけているが、それでも危険なレベルの高温のはずだ。 〈ユサール、もっと真ん中寄れよ〉接触回線ごしに、ノイズ混じりのスパトイアの声が聞こえる。 〈いやだって悪いやろ、元はといえばうちのせいで……〉 「ユサールお姉ちゃん、誰のせいとかじゃないです」ココは声を張り上げた。「スパトイアさんのロボットスーツの方が耐熱性能が高いんです。それにユサールお姉ちゃんのスーツは破損してるでしょ。一番熱の少ないところにいなきゃ駄目です」 〈同意します〉冷却ジェルを噴きつつ、ホワイトシェルと連結して重心移動と姿勢制御を担当していたスティンガーも言った。〈本ミッションでは全員の生還が高い優先度で義務づけられています〉 〈……ごめんなあ〉ユサールが移動してくれたらしい。重量バランスが微妙に変化したのを、スティンガーのスラスター制御で補正する。 〈一番キツいとこはあと何分かだ。踏ん張ろうぜ!〉  大気摩擦によるものとは違う、こもったような微かな振動がコクピットに響いてきた。たぶん、スパトイアがユサールの背中をバシバシ叩いているのだろう。 〈怪我人、叩くなや〉弱々しいユサールの声は、それでも笑っているのがわかった。  ――4時間前――  空が黒い。  地上の空は眼下にほの青い光を満たし、ココ達を押し上げるように下から照らしている。そして上を見れば天は黒く、星をちりばめた吸い込まれそうな闇がどこまでも広がっていた。 〈宇宙、来れたなあ〉 〈ホントやなあ〉  スパトイアとユサールが、ぽつりと小さくつぶやくのを、ココは接触回線ごしに聞いていた。  地上190km。厳密にはここは電離層の中ほど、大気圏の上層部であって宇宙空間ではない。だがこの浮遊感、この無音、この希薄な空気。何よりこのあたりはすでに、低軌道衛星の限界高度をこえている。この高度での作戦は、立派な宇宙ミッションと言える。  言葉にはしなかったが、ココも二人に同感だった。いやむしろ、感激のあまりに言葉が出なかったのだ。  ついに来た。ここで働くために自分は生まれた。その入り口に、ようやく、とうとう、立てたのだ。 〈目標補足。座標を共有します〉  スティンガーの無機質な声に、三人は我に返った。キャノピーに映る光景に、小さな矢印がインサートされている。映像ではまだ豆粒のように小さな光点でしかないが、あれが目的地、ブラックリバーの軍事偵察衛星BLSAR-27だ。 「接近します。しっかりつかまって下さい」  増設プロペラントタンクに残されたわずかな燃料を使い切って加速をかけてから、タンクを捨てる。モジュールにしまわれたまま一度も使ったことのなかった微小重力空間での移動感覚が、ちゃんと指先まで行き渡っているのを新鮮な満足感とともに確認する。豆粒ほどだった光点が、ぐんぐん大きくなってきた。 〈なあなあ〉ホワイトシェルの左肩につかまっているユサールがふいに言った。 〈ココって、スチールラインの隊長さんと仲ええん? 打ち上げ前、ずいぶん色々話しとったやんな〉 〈あれ、言ってなかったっけ〉ココが答えるより前に、右肩からスパトイアが口を挟んだ。〈ココは昔、マリー隊長直属の部下だったんだぜ〉 〈そうなん!?〉 〈第1部隊第1スクワッド、隊長に常に随伴する精鋭部隊だ。なーココ〉 「やめてください、スパトイアさん」ココは照れ笑いをする。「司令官がいらっしゃる前、レジスタンスが今よりずっと小さかった頃の話です。それに精鋭っていうか、マリー隊長の護衛が役目でしたから」  マリー隊長、不屈のマリー4号機は自らの身を砲火にさらすことを少しも厭わない。人としては高潔だが、将校としては……とりわけ指揮をとれる者が数えるほどしかいない零細軍隊においては、致命的な問題点でもあった。放っておくと一人でずんずん死地に飛び込んでいってしまう彼女の身を守るために、常に付き従う専属の護衛部隊が編成された。ココもその一人だったのだ。 〈へー! すごいわあ〉  司令官が来てからレジスタンスはみるみる大きくなり、それにつれて組織も再編成された。今のマリーにはスチールライン生え抜きの立派な親衛隊がついており、かつての第1スクワッドはもうない。しかし今でも、ホワイトシェルのボディにはかつてマリーを守ってついた傷がいくつも残っているし、それはココの大事な誇りだ。 「えへへ。あ、ほら見えてきましたよ!」  肉眼でも形状がわかるくらいまで近づいてきた衛星を画面内で拡大する。なんだか逆さまにした小型トラックに、無数のアンテナやパネルを盛りつけたような形だ。事前に入手しておいた設計図と照合すると、ほとんどの箇所は一致するものの、明らかに損傷や経年劣化とは違う形状のゆがみがいくつかあった。最大望遠をかければ、黒っぽい生物めいた組織があちこちに食い込んでいるのがこの距離でも見てとれる。  BLSAR-27はブラックリバーの軍事衛星の中でも大型の部類で、中枢部にはA級AGSに相当する情報処理系を備えている。したがって当然、鉄虫の寄生床にもなりうる。  太陽電池パネルの付け根のあたりになかば埋まった赤い球体が、ぴくりと動いた。あたかも、こちらの接近に気づいてぎろりと目を向けた、とでもいうように。 「宇宙戦闘、用意です!」  ココの声と同時に、スパトイア、ユサール、スティンガーがぱっと上下左右に散った。  ――――  高度計が3万メートルを割った。真っ赤だったインジケータ群のいくつかが緑に戻り、それと同時に猛烈な振動がコクピットを襲う。電磁エアロブレーキングが無効になり、ホワイトシェルのボディに直接大気がぶつかっているのだ。それはつまりボディ前面の空気がプラズマ化しなくなったということであり、すなわち速度と温度が十分に下がったということを意味する。  外部カメラが復活する。真っ暗だったキャノピーが全天ディスプレイに変わり、いちめんに広がる濃い青が目に飛び込んできた。はるか下に綿をちぎって置いたような雲が、そしてそのさらに下にかすんで海と陸地が見える。 「ああ――」  ココは声にならないうめきをもらす。帰ってきた。帰ってこられた。そして、宇宙はふたたび大気と重力の向こうへ去ってしまった。  しかし感傷に浸っている間もなく、位置情報システムからアラートが来る。危惧していたとおり、予定座標よりかなり北東へ寄ってしまっている。バリアの出力不全と予定外の重量による、進路のブレのせいだ。このままでは地中海に……レモネードデルタの勢力圏内に落下してしまう。 〈補助推進を開始します〉  スティンガーが飛び出し、ホワイトシェルの肩にとりついた。スパトイアとユサールもそれに続く。ココもホワイトシェルの四肢をひねって体を裏返し、両腕を広げて重力下での滑空体勢をつくった。全員の推進器をあわせて少しでも落下速度を遅らせ、西へ、外海のほうへ距離を稼ぐ。いまできることはそれだけだ。  ――5時間前―― 〈待たせたな。打ち上げ準備が整った〉  ホワイトシェルの背中に装着された耐熱カプセルの中で、スパトイアが両手を打ち合わせるのが聞こえた。〈やっとかよ。待ちくたびれたぜ〉 〈鉄虫の作ったシステムを逆用するなんて初めての試みですので。本当はもっとやってみたいことが色々あったのですが〉悪びれもせずのんびりと言う声はアザズだ。 「こちら、準備完了しています。いつでもどうぞ」 〈いやー、緊張するわあ。言うて宇宙に行くの初めてやってんもんなあ〉 〈航法データをエイダーに送信完了。ナビゲーションデータ受信体制に入ります〉  ローディングケージが動いて、ホワイトシェルを発射位置へ運んでいく。背中にスティンガーを連結し、スパトイアとユサールを収めた耐熱耐Gカプセルを背負って、燃料タンクを付けられるだけ付けた上で、全身に銀色の反磁コーティングを施された今のホワイトシェルに普段の面影はない。スパトイアは「やっぱ宇宙の色は銀の色だよな!」などと無邪気に喜んでいたが、ずいぶんといびつな姿になってしまった。 〈ココ。今更言うまでもないが、必ず生きて帰ってこい〉  コクピット内でもう一度作戦指示書を読み返していると、キャノピーの隅にマリーの顔が小さく現れた。 〈たとえ任務が失敗しても、全員無事に帰ることが優先だ。これは閣下の厳命でもある。忘れるな〉 「はい」  司令官は今、ヨーロッパ侵攻作戦の準備が大詰めの段階を迎えて通信の余裕さえない。マリーもこのあと発射の成功と、砲塔の破壊を見届けたらスヴァールバルへとんぼ返りする予定だ。すべてがギリギリの状況での緊急作戦である。 〈本当ならもっと入念に準備してから始めるべき作戦だが……如何せん時間がない。宇宙へ出てしまったら、こちらからは何もフォローができん〉 「マリー隊長。私たちはオービタルウォッチャーです」画面の向こうのマリーに、ココはにっこりと笑いかけた。 「私たち以上にこのミッションに適したチームはありません。生まれて初めて、本来の仕事ができるんです。必ずやりとげて、無事に帰ってきます。任せて下さい」 〈データリンク確立〉エイダーから通信が入ってきた。〈打ち上げ後は、こちらでモニターしつつ誘導を行います。スティンガー223番機は回線の維持に注力して下さい〉 〈本体の方の世話になるのは久しぶりだな。よろしく頼むぜ〉スパトイアが笑った。  ケージが大きく揺れて、止まった。発射位置に装填されたのだ。印加が始まれば、地上との通信はできなくなる。小さなウィンドウの向こうから、マリーが笑いかけた。 〈甘いカフェオレを用意しておく。帰ったら久しぶりに、茶飲み話でもしよう〉 〈はい!〉  ウィンドウが消え、コクピットに静寂が訪れる。ジェネレータのアイドリング音だけが静かにひびく中、ココは数秒後に訪れる発射の瞬間を、ただ一心に待った。  ――――  ホワイトシェルの軌道計算プログラムを使うまでもなく、ココは直感と暗算でその結果を予測していた。 (足りない……)  偏西風を考慮に入れないとしても、スペイン中央部あたりへ落ちるのが限界だ。これは推進剤の残量、スラスターの出力、そして全員の重量から算出される必然的な結果で、努力や根性の入り込む余地はない。物理は無情である。  おそらくオルカの方でも自分たちの位置は探知しているだろう。だが通信は封鎖されており、助けを呼ぶことはできない。いや、仮に通信ができても、レモネードデルタの支配するヨーロッパのど真ん中へ救援を派遣することなどできはしない。 〈提言。ホワイトシェルの成形斥力場内での本機の自爆によって、一時的な推進力の確保と恒久的な重量の低減を同時に達成できます〉 「それは駄目」〈ダメだバカ〉〈駄目に決まっとるやろ〉三人の声がきれいに揃った。 〈任務遂行にともなう破壊は想定内の運用です。記憶データは作戦開始直前にバックアップされており損失は最小限です〉 〈そういう問題やない、だいたいさっき全員で帰るて自分で言うたやろが。おにい……司令官はAGSの命も大事にするて、スティンガーも知ってるやろ〉 〈AGSは生命ではありません。非合理的な運用方針。しかし所有者のオーダーには従います〉  不承不承、といった態度を不思議に感じさせる機械音声を最後にスティンガーは黙った。  ユサールの言うとおり、司令官はAGSも人間やバイオロイド同様、心と命をもったかけがえのない存在だと考えている。ココ自身としてはそれに完全に同意するわけではないが、とても素敵で尊重したい考えだと思う。実際、AGSには人間と同じような心があるのではないかと感じる瞬間はココにもある。 (……だけど、ホワイトシェルは違う)  ホワイトシェルにAIは搭載されていない。もちろん感情モジュールなどもない。あくまで操縦に必要な情報処理系だけを備えた、ただのパワードスーツだ。ホワイトシェルならば自爆しようが解体しようが、司令官の意志にそむくことにはならない。  たとえ、百年間いっしょに戦ってきた、ココ・マーキュリー402の大事な大事な相棒だったとしてもだ。 (…………)  ココは誰にも言わずにサブウインドウを呼び出し、ホワイトシェルを自爆させる手順と、それによって得られる運動エネルギーの計算をはじめた。  ――19時間前――  モニタに映し出されたそれは、横倒しになる寸前で持ちこたえている超高層ビルのような、斜めに天へのびる細長く巨大な建造物だった。 「カナリア諸島、二日前の映像だ。鉄虫が建造した、超長距離電磁高射砲だと推測されている」 「電磁砲? このデカさで? それってほとんど……」画面をにらんだスパトイアの言葉に、マリーがうなずく。 「ドクターの分析の結果、スケロプ級かそれに準ずる鉄虫なら、この砲を使えば高度200km程度まで上がれるという。つまりこの高射砲は、小規模なマスドライバーとも言えるものだ」 「鉄虫がマスドライバー……!?」  思わず声に出したココの方を見て、マリーは再度重々しくうなずいた。 「とはいえ、奴らが宇宙に関心を持っているとは現状考えにくい。当該地域では二派の鉄虫が激しい交戦状態にあり、一方の側が高高度飛行可能な新種のレイダー型を投入している。この大型砲は単にそれに対抗するためのものだろう……というのが、ドクターのさしあたっての結論だ。しかし」  画像が切り替わり、ワイヤーフレームの世界地図の上に、大きく蛇行する無数の線と、数字の付いた光点が並んだ。その光点のひとつだけが、不吉に赤く明滅している。 「昨日、旧ブラックリバー・アビオニクスの偵察衛星の一基が突然変調を起こした。ちょうど、この高射砲の射界上空を通過した直後のことだ。発信された電波の解析結果から、ほぼ間違いなく鉄虫に寄生されている」  ざわめいたブリーフィングルームを、マリーが手を上げて静める。 「これが奴らの作戦なのか、偶然の結果なのかはわからない。だがどちらだったとしても、この砲も衛星も完全に破壊しなければならない。万が一にも鉄虫が宇宙へ進出し、衛星網を汚染するようなことがあれば、その被害は想像を絶する」  ココは挙手して訊ねた。「軌道上へ行く手段はあるんですか」 「手段は奴ら自身が用意してくれた」  マリーはふたたび画面を切り替え、最初の映像に戻した。 「我々はまず、この高射砲を破壊せずに占拠する。そしてこれを使って、衛星攻略部隊を軌道上へ送り込む。すなわち……」 「俺たち、ってことだな」マリーが言い終えるのを待たずに、スパトイアが満面の笑みとともに両手を打ち合わせた。  ――――  キャノピーの隅をななめに横切って、黒い線のようなものが揺れている。はじめそれは、カメラに付着したゴミか、画像処理の不具合のように見えた。  自爆シークエンスの計算を続けながらココはそれにちらりと目をやって、また計算に戻った。しかし再度ディスプレイに目を向けた時も、その線はまだあった。しかも、さっきより視界の正面に近づいてきている。 「……?」  クローズアップするとオートで焦点が合った。つまり画像の不具合ではない。レンズに付着した何かでもない。確かにそこに、前方50メートルほどの距離に浮いている物体だ。 〈おい、あれ!〉右肩のスパトイアが身を乗り出し、はるか上空を指さした。  黒い線の正体がようやく掴めた。船舶や航空機の牽引に使われる、テザーケーブルだ。ケーブルの末端がココ達のすぐ前方を、ほぼ同じ速度で飛行している。  カメラを上に向けた。ケーブルはゆるやかにしなりつつ斜め上方へ、百メートル以上も伸びている。その先に何かがいる。何かがケーブルを垂れ下げて飛んでいるのだ。  最大望遠でそのシルエットを確認した瞬間、ココは残り少ない推進剤を使って最大加速をかけ、ケーブルへ手を伸ばしていた。  届かない。もう少し。手がずれた。スティンガーがホワイトシェルの肩を押して位置を補正してくれる。スパトイアとユサールが腕を這いのぼり、思いきり体をのばしてケーブルをつかまえ、全身をたわませて引っぱり寄せてくれた。カーボンナノチューブ製の太いケーブルを、ホワイトシェルの右腕のマニピュレーターがしっかりと掴む。 〈やっほー、やっとランデブーできた!〉そのとたん、スレイプニールの明るい声が接触回線で飛び込んできた。〈さあ、しっかり掴まっててよ!〉  言うが早いか、ケーブルがぐんと上方へ引っ張られる。ココは慌てて両手でケーブルを掴みなおし、ぐっとボディに引き寄せた。 「スレイプニールさん! どうしてここに!?」 〈空で困ってる人がいるなら、どこであろうとスカイナイツは駆けつけるわ! せーのっ!〉  答えになっているような、なっていないようなことを言うのは間違いなくオルカのスレイプニールだ。上空でノズルがぱっと輝き、ふたたびぐっと上方へのGがかかる。  ホワイトシェルの両手にロックをかけて、ココはほっと息をついた。これで何とかなるかもしれない。  だが、じきにその顔がふたたび曇る。 〈んーっしょ、んぎぎぎぎぎ………!〉  スレイプニールが頑張っているのは声からも、ケーブルごしに伝わってくるエンジンの駆動音からもわかる。だが上空の彼女自身を見てみると、駆動音に対して不自然なくらい噴射炎が小さい。加速も思ったほどにはかからない。いや、高度こそ維持できているものの、水平方向の速度はむしろだんだん遅くなっている。  ここはまだ高度2万メートルの超高空、通常の航空機が飛行できる高度の上限に近い。この薄い空気の中では、いかにスレイプニールモデルのエンジンといえど十分なパワーを出せないのだ。ココはごくりと唾を飲み下して、途中でやめた自爆シークエンスの計算を再開した。 「スレイプニールさん、無理しないで下さい。こちらで重量を減らす方法を」 〈大丈夫だいじょーぶ! もうちょっと距離を稼いで、スピードも落としてやれば、私より遅い二番手が追いつくからね!〉 〈誰が二番手ですって?〉  ガツン、とこんどは下から殴られるような衝撃があって、ホワイトシェルの体がまた一段上に持ち上がった。 「!?」  上にばかりカメラを向けていたので気づかなかった。すぐ真下を、黒い円盤のようなものが飛んでいる。円盤の中央には玉座のような立派なシートがあり、そこで悠然と足を組んでいる小柄な赤毛のバイオロイドがこちらを見上げた。 「メイさん!」  それはドゥームブリンガーの指揮官、滅亡のメイであった。ココはあまり話したことはないが、たしか円盤の名前はスローン・オブ・ジャッジメント。彼女の二つ名の由来である核ミサイルを搭載した、空飛ぶミサイル基地だ。しかし今、サイロがあるはずの玉座背面には無骨なアームが何本も取り付けられ、それがホワイトシェルの胴体を下からつかんで支えていた。 「あ、あの、重くないですか」思わず口から出た言葉に、 〈はん?〉メイはあからさまに小馬鹿にした表情で答えた。〈私がふだん積んでるミサイルがどれだけ重いか知ってる? あの貧弱なツバメと一緒にしないで。そんなロボットの一体や二体なんでもないわ〉 〈誰が貧弱よ! 私はスピード重視なの! スマートなの!〉  メイが鼻で笑う。たしかにホワイトシェルとスパトイアのロボットスーツ、そしてスティンガーの全重量を支えてもスローン・オブ・ジャッジメントは小揺るぎもせず安定して飛んでいる。ココは今度こそ、深い安堵のため息をついた。 〈いや、ほんま助かっ……助かりました! ありがとうございます!〉 〈でもさ、スカイナイツもドゥームブリンガーも作戦準備中だろ? こんなとこに出張ってきて大丈夫なのか?〉スパトイアがホワイトシェルの肩から身を乗り出して下をのぞき込んだ。 〈大丈夫なわけないでしょう、この忙しいのに引っ張り出されていい迷惑よ。玉座までこんなみっともない姿に改造されて〉 「ご、ごめんなさい」反射的にココは身をすくめて謝る。 〈冗談よ。ミッションの内容は聞いてるわ〉メイの声は笑っていた。〈マリーのやつに頭を下げさせるのも、悪い気分じゃなかったし〉 「マリー隊長?」 〈私たちにどうしてもって頼み込んで来たのよ〉上からスレイプニールが口を挟んだ。〈なんとかホワイトシェル込みで無事に回収したいから、こっそり出張してくれってね〉 「……!」  ココはキャノピーを開けた。薄く冷たいカミソリのような大気が全身を切りつけ、紫がかった髪を一瞬でめちゃくちゃにかき乱す。狭いチェンバーから身を乗り出して、上空のスレイプニールと、下方のメイにそれぞれ敬礼してから、ココは二十時間ぶりの大気を小さな胸いっぱいに吸い込んだ。  ――20時間前――  シュッと最後の一吹きを終えると、ココは少し離れて出来映えを確かめ、それから満足げにマスキングテープを剥がした。ホワイトシェルはその名のとおり、キャノピーから爪先までぴかぴかのパールホワイトに輝いている。 「おー、綺麗になったやん」  ちょうど格納庫へ入ってきたユサールが、ホワイトシェルを見上げて言った。  装備の手入れはすべて自分の手で行うのがオービタルウォッチャーの鉄則だ。宇宙では自分の装備品をどれだけ熟知しているかが生死を分けることがある。 「この色、例のやつ?」 「そうです。箱舟に仕様書があって、純正の合成装置が作れたんですよ。しばらく触らないで下さいね」  ホワイトシェルのボディの白色はただの塗料ではない。宇宙空間での熱吸収をおさえ、耐熱・耐衝撃・耐放射線性能にすぐれた、専用の特殊コーティング剤である。地上で戦う分にはさほど有効なものでもないのだが、それでもココは手に入るかぎり必ず、この塗料でホワイトシェルを塗り直すことにしていた。  万一の備えを怠らない、という気構えでもあるが、それ以上にこの塗装はココの希望だった。いつか宇宙へ行ける日がきっと訪れる。その望みを捨てないために、ホワイトシェルはいつでも宇宙で活動可能な状態にしておきたいのだ。 「お、試作品できたのか」  ロボットスーツの整備をとっくに終えて一服していたスパトイアが、手にした雑誌をぽいと捨てて起き上がった。ユサールが手にしたタッパーを開けると、ふわりと香ばしいかおりが立つ。ココも手袋を脱いでデッキへ下りた。 「何味?」 「こっちからココア、ジンジャー、コオロギ」 「コオロギ?」 「宇宙っぽいやろ。わざわざアクアランドで売るからには、なんかうちららしい所出してかんとな」 「受けるかなあ。あ、ジンジャーおいしい」  とはいえ現状では宇宙へ行くどころか、地上での仕事が増える一方だ。最近は大きな作戦の準備だとかでブラックリバーの隊員たちがほとんど訓練に出ずっぱりで、その分遠征や偵察などの雑務が頻繁に回ってくる。この間など、ホワイトシェルで氷山の下へもぐる羽目になった。今はこんな些細なことにでも、宇宙のかけらを想うしかない。そう思いながらかじったコオロギビスケットは、やっぱりあまり美味しくはなかった。 〈オービタルウォッチャー、緊急ミッションです。至急第二作戦室へ集合して下さい〉  エイダーの声がアラート音と共に通信機から響いてきたのは、その時のことだった。  ―――― 「なあなあ、これ!」  いつの間にかコクピットのすぐ横に来ていたスパトイアが、ごうごうと鳴る風に負けないよう怒鳴りながら、一枚のビスケットを差し出した。 「なんや、うちの試作品やん。持ってきてたん?」反対側の隣に来ていたユサールが身を乗り出す。 「いや、ポケットに入れたの今まで忘れてた。せっかくだからここで食べようぜ」  ビスケットを三つに割って一かけずつ、風に飛ばされないよう注意しながら口に入れる。よりによって、コオロギ味だ。 〈ちょっと、のんきに何やってるの?〉メイの声が飛んできた。下を見ると、こっちを見上げて拳をぶんぶん振っているのが見える。〈気を抜かないで。まだヨーロッパ圏よ〉 〈何々、おやつあるの? 私にもちょうだい〉と、今度はスレイプニール。 「いや、これは余りもんで。オルカに帰ったらあらためてご馳走しますね」ユサールとスパトイアはあわててホワイトシェルの肩の上へ戻っていく。ココもチェンバーにもぐり直し、通信機を喉元へ当てた。 「作戦が終わったら、マリー隊長とお茶を飲む約束をしてるんです。お二人もよかったらいかがですか。オービタルウォッチャー特製、コオロギクッキーがありますよ」 〈〈え、何それいらない〉〉 「なんでやねん!!」  装甲をばんばん叩いて憤慨するユサールにひとしきり笑ってから、ココはもう一度ホワイトシェルの機体を見渡した。ほんの一日前まで美しい純白だったボディは戦闘で傷つき、高熱で灼けて、見る影もなく真っ黒だ。フレームの地金がむき出しになっている部分さえある。 「……帰ったら、また塗りなおしてあげるね」  キャノピーを閉める前にココは手を伸ばし、ザラザラにささくれ立った、まだ熱い装甲を撫でた。もうただの夢や希望ではない。現実に、確かに行くべき場所へ行き、果たすべき仕事を果たして真っ黒になったこの相棒を、もう一度真っ白に塗りなおし、ぴかぴかに磨いてあげるのだ。ココはその時が待ちきれない気がした。  白く泡立つ雲の海がとぎれた。その下の、うろこのように小さな光をいっぱいに反射する青緑色の海が、少しずつ近づいてきた。 End =====  ティーワゴンが小さく揺れて、白磁のポットとカップがカチャンと音を立てた。向かいに座る龍がちらりと目を走らせると、ワゴンを押していたウンディーネが身をすくませる。 「ありがとう。あとは俺がやるから」 「はいっ。お呼びがあるまでお邪魔しないようにしますので、ごゆっくりどうぞ」  ぴょこんとバネ仕掛けのようなお辞儀をして小走りに去っていくウンディーネの背中を、ラビアタは小さく苦笑いして見送った。緊張するのも無理はない。  疑似太陽光がやわらかに降り注ぐ、昼下がりの箱舟生態保護区。カフェ・ホライゾンの裏手、ほとんど人の立ち入らない静かな木立のあいだに、瀟洒な丸テーブルと椅子が四脚持ち出され、小さな茶席がととのえられている。 「えー、ではと。まずはラビアタ、長期間の任務お疲れ様」  司令官がぱん、と両手を打ち合わせ、ラビアタへ笑顔を向けた。 「勿体ないお言葉です」ラビアタは深く頭を下げる。 「龍も、拠点再建とPECS艦隊の相手、大変な仕事を二つも丸投げしてしまってすまない」 「海は小官のホームグラウンドだ。大役を任された誇りとやり甲斐にくらべれば、苦労など何ほどもない」  龍は謹厳にぴしりとした答礼を見せた。 「そしてアルファ。内務を本当に上手く切り回してくれて、助かっている」 「アルマンさんをはじめ、オルカの優秀なスタッフあってのことです。私だけの力ではありません」  アルファは奥ゆかしくお辞儀をした。  ラビアタ・プロトタイプ、無敵の龍、レモネードアルファ。旧時代の三大企業それぞれが持てる技術の限りを尽くして作り上げた最高傑作というべきバイオロイドであり、オルカでも最高幹部の地位を占める三人だ。一番の新参であるアルファが加わってから一年あまりになるが、この三人だけが集められた会合というのは前例がない。 「皆にはそれぞれ重い仕事や責任を背負ってもらっているから、普段あまり気軽に話もできないと思う。今は少し余裕のある時期だし、一度ちゃんとお礼を言って、ねぎらわせてもらいたいと思ってこの席を設けた。今日は仕事のことはいったん忘れて、お互い打ち解けてくれると嬉しい」  言い終えた司令官はいそいそとティーポットカバーを取り、意外に手際よく紅茶を淹れて三人に配った。 「過分なお心遣い、ありがとうございます」  三人はもう一度深く礼をしてめいめいのカップを持ち上げ、司令官に向かって小さく掲げてから口元へはこんだ。 「旧時代に、この三人で会ったりしたことはあったのか? トップ会談みたいな感じでさ」 「いいえ」アルファが控えめに首を振った。「私たちは企業秘密の塊のようなもので、できるかぎり秘匿されていました。自由になる時間も連絡手段も持っていませんでしたから、とても」 「ブラックリバーとの身柄交換の時に、龍さんと一度だけ会ったことがあります」ラビアタが言い添えた。「でも、私もその一回きりです。アルファさん達レモネードシリーズとは一面識もありませんでした」 「でも、お互いに関心を持ってはいたんだろ」 「それは、まあ」 「言ってしまえば小官もレモネード殿も、ラビアタに対抗するために開発された面がある」龍が腕を組んで言った。「当然あらゆる情報を集めていたし、常に動向を注視していた。その意味では、大いに関心はあったが」 「ラビアタから見たらどうだったんだ? 二人は後輩みたいなものだろ」 「後輩というか、ライバルでしょうか」ラビアタは苦笑した。「もちろん、お二人には注目していました。アルファさんの言うとおり企業秘密でわかることは限られていましたが、なんとか少しでも情報を得ようと……そうそう、隠し撮り写真を買ったりしましたよ。私でなくて、三安の研究所がですが」 「まあ、本当ですか?」レモネードが手の甲を口元にあててコロコロと品良く笑った。 「今はどうだ? お互い会ってみて、どんな風に思う?」 「二人とも、素晴らしい能力の持ち主ですね」ラビアタは丁寧に言葉を選んで答える。「私が一人で仕切っていた頃より、抵抗軍がはるかによく機能しているのがわかります。ご主人様と、お二人のおかげです」 「ご謙遜を」レモネードがしずかに微笑んだ。「私から見れば、これだけの規模の組織をたった一人で立ち上げて、50年以上も戦線を維持してきたことの方が驚異的です」 「同感だ。小官が初めて本格的に肩を並べたのはグアム島の戦いの時だったが、貴殿の指揮能力には感服させられた」 「あまり持ち上げないで下さい」 「お茶のおかわり、いるか?」 「かたじけない。いただこう」 「今日のためにお茶の淹れ方を練習したんだ。ちゃんとできてるといいけど」 「お見事ですよ。コンスタンツァに教わったでしょう?」 「わかるの!?」 「あの子の癖が出ています」 「……」 「……」 「えーと……そうだな……」  ラビアタはティーカップをしずかに傾けて上等の紅茶を味わいながら、司令官に見えないようそっと嘆息した。どうやらご主人様もようやく気づきはじめたようだ。  このお茶会が、全然盛り上がっていないということに。  彼の意図するところはわかる。自分たちは三大企業それぞれのバイオロイドの頂点といっていい存在であり、したがって抵抗軍を構成する主要三グループの頂点でもある。自分たち三者の親疎は、グループ間の関係にも直接間接に影響をあたえるだろう。いま特に対立や摩擦があるわけではないが、この先PECSとの本格的な戦争に突入すれば、それに絡んで感情的なしこりが生まれないとも限らない。三人が一箇所に集まる機会は少ないのだから、先に手を打っておくのは悪いことではない。 (だからってね……)  いきなり集められて「さあ打ち解けろ」と言われても、そう簡単にできるわけはないのだ。 「不足しているものなどはないか? 南アジア方面に手の空いている艦が数隻ある。今のうちなら調達に回すこともできる」 「あら、有り難いです。あとでオレンジエードから、希望優先度つきリストを回させますね」  案の定、龍もアルファも「仕事を忘れた」話題は早々に尽き、業務がらみの話に逃げつつある。  かつて自分たちはライバルであり、商売敵であり、政敵であり、時には砲火を交える正真正銘の敵同士だった。そして同時に、それらはすべて自分たちの所有者の関係性にすぎず、おのれ自身は等しく企業という檻に厳重に囚われた奴隷同士なのでもあった。当時お互いのことをどのように思っていたか、説明することはラビアタ自身にも難しい。同じ立場の存在として関心はあったし、多少の同情めいた共感を覚えたこともないではない。しかし、あの頃自分たちが生きていた世界で、そんなささやかな共感にはなんの意味もなかった。もっとはるかに重く、冷たく、巨大なものが、自分たち全員を押し流していたのだ。 「このあいだ乗せてもらった、レアとティタニアの様子はどうですか。訓練、うまくいっています?」 「二人ともなまじの気象レーダーより役に立つ。常備したいくらいだが……肝心の気象操作の方は、まだ連携に難があるようだ。少しずつ改善しているみたいだがな」  少なくともラビアタは旧時代、この二人と腹を割って話したいなどと考えたことは一度もない。夢見たことさえない。もし仮にそんな機会が与えられたとしても、何を話せばいいのかわからず困るばかりだったろう。まさに今、そうなっているように。 「……お茶の葉を新しくもらってこようか。食べるものももう少し足すから、三人で話しててくれ」  ついに司令官がそんなことを言って、そそくさと席を立った。  足すも何も、ティースタンドの軽食はまるで減っていない。最初に取り分けられたタルトを遠慮がちに少しずつ口にするだけで、誰も新しいものを取っていないからだ。司令官が去ると、龍とアルファが目に見えて気を緩めた。 「お心遣いは本当にありがたいのだが、な……」  いちばん直截な物言いしかできない龍が、小さく苦笑いをして呟いた。レモネードはもちろん何も言わない。この中で一番本心を隠すことに長けているのが彼女だ。  ラビアタも何も言わなかったが、同意の印にほんの小さく肩をすくめた。ご主人様は確かに未熟だ。ことに人の心を読み、動かす技術については、まだまだ勉強してもらわねばならない点が多すぎる。  しかしそれでも、彼の真心は間違いなく本物なのだ。それを無碍にすることなどあってはならない。  ラビアタはティースタンドから小さなレモンクッキーを一つつまんで口に入れると、少しのあいだ無心にそれを咀嚼した。 「…………」  自分には少なくとも、アダム・ジョーンズ博士という心から尊敬できる父のような人がいた。この二人にそんな相手はいなかった。対等な誰かと本音で語り合うという経験自体を、二人はしたことがないはずだ。  だから要するに、ここは自分が踏み出すしかないということなのだ。ラビアタはすっかり冷めた紅茶を飲み干し、一つ咳払いをした。 「もう、だいぶ以前のことです。オルカがまだ、アジア近海で足場固めをしていた頃。私はセラピアス・アリスから秘密裏に相談を受けました」  突然あらたまった調子で話し始めたラビアタに、龍とレモネードが怪訝そうに目を向けた。ラビアタは構わず続ける。 「ご主人様を発見した功労者であるコンスタンツァ416に、バトルメイドの皆からサプライズの贈りものをしたいので協力してくれと言うのです。私は喜びました。アリスが妹たちのことをそんな風に気にかけることは、それまで滅多になかったからです。贈りものは夜着で、骨格の近い私に採寸モデルになってほしいとのことでした」  二人は怪訝そうな顔をしたまま、とりあえず黙って聞いている。 「ずいぶん過激なデザインでしたが、ご主人様のために着るのだろうと、特に不審にも思いませんでした。採寸と仮縫いに二回付き合い、三度目の調整の時、オードリーが何か忘れ物をして席を外し、私は仮縫いの夜着を来たまま待たされました。……そうしたら数分後、ご主人様が入ってきました」 「!」 「あとで知ったのですがその時ご主人様は、皆のたくらみでしばらく禁欲状態だった上に、強精料理ばかり食べさせられ、大変……欲求不満が溜まった状態でした。そしてその部屋には大きなベッドがあり……つまり私は、妹たちにまんまと嵌められたのです」  ごくり、と二人のどちらかが唾を飲んだのが聞こえた。両方かもしれない。 「ご主人様は限界に達したご様子で、私の肩をつかみました。『すまない。もう我慢ができない』というのが、その夜ご主人様が発した、最後の理性的な言葉でした。私が意識を取り戻したのは翌日の昼のことです。あとでご主人様に聞いたところでは、気絶している私は溶けかけたアイスクリームのような有様だったとか」  さすがに頬が熱い。ラビアタは大きく息をついて首筋の汗をぬぐうと、二人をまっすぐ見返して、あえてニヤリと微笑んでみせた。 「これが、私とご主人様との馴れ初めです。……貴女がたは?」 「「…………!!」」  二人の顔がさっと朱に染まる。ガタリ、と音を立てて、二人とも前のめりに椅子へ座り直した。 「……箱舟へ落ち着いて少ししてからのことでした」先に応戦したのはレモネードだった。「ご存じでしょうがレモネードシリーズにはそれぞれ呪いが課されており、私のそれは『色欲』です。その頃私の呪いは限界に達していたのですが、積もりに積もったそれを……旦那様は一晩で解ききって下さいました」 「時期的には、小官の方が先だな」龍も負けじと身を乗り出す。「アラスカを攻める数週間前のことだ。グアムでの戦闘指揮のご褒美をいただけることになっていたので、小官は主との一夜を所望した。緊張する小官のために、主は特別に、海の見える展望寝室を用意して下さった。まあ最後の方は、海など目に入らなかったのだが……」 「ご主人様って、ああ見えて力も強いんですよね」機を逃さずラビアタはたたみかけた。「私のこの体も軽々と持ち上げて、自由自在に動かして下さるんです。お二人もご存じかもしれませんけど」 「もちろんだ」龍が勢い込んで頷く。「小官は知らなかった。あんな、あんな風に抱き上げられて、あんな角度から……」 「たくましい殿方って、いいですよねえ」アルファもうっとりとため息をついて、「旧時代にはもう毎日毎日年寄りの顔しか見ていなかったものだから、本当たまらなくて……」 「ご主人様ったらどこで手に入れたのだか、日本の秘伝書だっていう四十八種類のラーゲが書かれた本を持っていらして、四十まで試したんですけど……」 「私の全身で、旦那様の子種に洗われていない所はどこにもありません。強いて言えば耳の中と肺の中くらいでしょうか」 「以前など、わざわざセイレーンから制服を借りてきて下さってな。小官はそれを着て……」  競うように言いつのる三人の言葉が、あるところでピタリと止まる。そしてほんの一瞬にらみ合ったあと、三人はいっせいに弾けるように笑い出した。  笑いながらラビアタは理解していた。確かに旧時代、この二人と腹蔵なく話したいなどと夢にも思ったことはなかった。だが叶ってみれば、なるほどもっと早くこうすべきだった。もっと早くに、これを夢見ればよかったのだ。世界に三人しかいない、同じ立場を分かち合える仲間なのだから。  この二人だけに話せる思い出。この二人だけに打ち明けられる悩み。この二人だけに通じる冗談。そんなものがあることすら知らなかったが、それは心のずっと深いところから、泉のようにとめどなく湧き上がってきた。不思議な驚きとともに、ラビアタは幸福に、それを受け止めた。 「……だからほら、第二次スエズ危機を覚えてる? 三安はあの時、ウラジミールとカラカスは静観すると踏んでいたのだけど……」 「なんてこと! あの時それを知っていれば、油田地帯の半分は私たちのものになったのに」 「待て待て、あの年なら我々も秘密裏にキプロスへ艦隊を仕込んでいたんだぞ。まさかそこまで見抜いていたとは言うまいな?」  せっかく準備したお茶会が今一つ盛り上がっていない気がする。どうしたらもっと皆の会話がはずんでくれるか、あれこれ考えていたらずいぶん時間がたってしまった。次に振るべき話題をあれでもないこれでもないとひねりながらワゴンを押して戻ってみたら、三人はそれまでと打って変わった様子で何ごとか熱心に論じあっていた。 「なんだ、すっかり盛り上がってるな。何の話だい?」 「やあ主。昔の感想戦といったところだ」龍がかるく手を上げて迎えてくれる。「サンドイッチか、ありがたい。早速いただいていいだろうか」 「もちろん、どうぞどうぞ」  見ればティースタンドはすっかり空だ。俺が席を立った時にはほとんど手が付いていなかったはずだが。龍はワゴンの上から直接サンドイッチをひょいひょい取って、ラビアタとアルファにも回した。 「そうだアルファ殿、さっきの話の引き替えというわけではないが、エルブンシリーズを何人か艦隊に配備するわけにいかないか。最近、例のミルクの愛好者が艦隊にも増えてきていてな」 「あら、気前がいいと思ったらそういう話だったんですか? 私どもは龍さんのところほど上下関係が厳しくないんです。私が命令しても聞いてくれるわけではないですよ」 「むろん正式に嘆願書は出す。その時に口添えしてくれればいいんだ」 「エルブン達は緑のないところにはいたがらないわよ。レア達が乗った艦に、小さな温室を作ったと言っていたでしょう。そこならいいんじゃない?」  みんなくつろいだ楽しげな笑顔で、さっきまでとまるで雰囲気が違う。もしかして、俺がいない方がみんなリラックスできたのだろうか。それはそれで少し寂しいな……。  そんな風に思っているのを見透かしたように、ラビアタがにっこり笑って立ち上がった。 「ご主人様、次は私に淹れさせて下さい。たまには腕を振るいませんと、なまってしまいますので」 「あ、ああ。みんな、仲良くなってくれたみたいで嬉しいよ」 「それはもう」魔法のようになめらかな手つきで茶葉とポットを扱いながら、ラビアタは朗らかに言う。「来週も、この場所をお借りしてよろしいですか? 三人で話したいことがまだまだあるんです」 「ああ、もちろん……ん? 三人?」  ラビアタは笑いながらうなずいた。「ええ、私たち三人だけで。殿方はご禁制です」  俺は龍とアルファの方を見た。二人ともにこやかに同意する。  それは確かに、この会の目的は三人に打ち解けてもらうことだった。それは十二分に達成されたようだが、俺は聞かずにいられなかった。 「俺がいない間に、何があったんだ?」  三人は顔を見合わせ、そろって俺の方をちらりと見てから、一斉にくすくす笑い出した。何を聞いても答えてくれないので、俺は仕方なくラビアタの差し出してくれた紅茶をだまって飲んだ。  悔しいことに、それは俺が淹れたものより、ずっとずっと美味いのだった。 End =====  白っぽく色の抜けた赤毛はカサカサに乾いてよじれ、額から頬にかけてへばりついている。柔らかな皺がいく筋も刻まれた、透けるような象牙色の肌は、色ガラスで作ったオブジェか、でなければ干物になる途中の魚を思わせた。  うっすら開かれたまぶたの下の、色素の薄い瞳が、不安定にふるえながら右から左へさまよう。その視線が俺の上へ止まったタイミングをとらえて、俺は立ってベッドの傍らへ進み出た。 「おはようございます。初めまして、ミセス・マリア・リオボロス」  リールで回収したマリア・リオボロスの棺をドクターが検査した結論は、 「不完全」 だった。 「これって正確には遺体じゃなく、ヒュプノス病の末期状態になったところを冷凍したんだね。でもプロセスが不完全だし機器の調整も甘い。少しずつだけど細胞の損壊がはじまってる。ヒュプノス病のことも色々わかってきたから蘇生はできそうだけど、今すぐやって成功率は六割ってとこ。一年後にはゼロになるかな」  報告を聞いた俺はオルカの幹部達と相談し……最終的に、今すぐ彼女を蘇生させることにした。賛否は色々あったが、この場合まず優先されるべきはワーグとの約束だと判断したのだ。 「…………要は、アンヘルは死んだ。人類も全部滅んだ。地上にいるのはバイオロイドと鉄虫だけ、と」 「はい。ここにいる俺と、たった今目覚めたあなた以外は」 「………………」  マリア・リオボロスはリクライニングベッドに背中を預けたまま、天井と壁の境目あたりへ視線を投げていた。事前に読んだ資料では、整形手術によって七十を越えても若々しい外見を保っていたとあるが、冷凍されている間に整形の効果も抜けてしまったのか、目の前にいるのはどう見ても年相応の老婆だ。皺の刻まれた顔には何の表情もなく、俺の話を信じてくれたのかどうか、それ以前に聞いているのかすらわからない。  もういちど最初から説明した方がいいかしらと思い始めたころ、マリア・リオボロスはようやく枯れ枝のような指を持ち上げ、病室の窓をさした。 「窓を開けてもらえる?」  俺は言われたとおりにカーテンを引き、窓を開けはなった。部屋の隅に控えていたラビアタがさっと立ち上がり、女帝の肩まで毛布を引き上げる。北極圏の風が、病室に吹き込んできた。  窓の外には雪に覆われた原野と、そして冷たい青灰色の海が広がっている。女帝は弱々しい手で酸素マスクを外し、深く息を吸い込んで、そして少し咳き込んだ。 「ともかく、奴のいない世界の空気を吸うことはできた」  他人事のように彼女はそう言って、うすく笑った。 「……ミセス・マリア。ここには、エンプレシスハウンドの隊員がいます。彼女たちに会っていただけませんか」 「……?」それは何? というように、女帝はしばらくぽかんとした顔になった。「……ああ。あれか」  手を上げて合図すると、ドアのロックが開き、薔花、チョナ、そしてワーグが順に病室へ入ってきた。  薔花は顔をしかめて目をそらしている。チョナはいつも通りの態度に見えるが、笑顔が固い。そしてワーグは、 「女帝陛下! マリア様……っ!」  女帝の姿を一目見るなり駆けよって膝をつき、そのまま泣き崩れた。ベッドのふちに顔を埋めるようにして嗚咽するワーグを、女帝はただぼんやりと眺めていた。  ラビアタの目配せで、俺は外に出た。よそ者がいない方が話しやすいこともあるだろう。どのみち、あまり長時間接触しないように言われていたのだ。 「相手は三大企業の幹部、『あの』女帝マリア・リオボロスです。人間と会話した経験さえないご主人様が彼女と渡り合うなどとんでもない。ハムスターが狼の相手をするようなものです」  ラビアタの言い様はあんまりだと思ったが、反論もできない。俺はそのまま廊下をすすんで、突き当たりに設けられた監視用の部屋へ入った。この小さな療養施設は、女帝のために大急ぎで建てたものだ。医療設備が整っているのはもちろんだが、室内の様子は厳重に監視され、録画されている。施設の周辺には常にスナイパーが控えており、最悪の場合には建物ごと爆破して海に沈めることもできるようになっている。  モニタを睨んでいたシラユリが、俺の方へ小さく会釈をした。彼女の隣に座って、監視カメラの映像をいっしょに見る。  マリア・リオボロスはベッドに横たわったまま、エンプレシスハウンドと言葉少なに会話をしていた。大半は今の世界の状況に関する質問や確認だったが、自分のことやワーグ達に関する他愛ない話もあった。喋っているのはほとんどワーグで、たまに薔花やチョナも短い相づちを返す。俺が映像を見ていた間、女帝は一度も笑わなかったが、かといって声を荒らげたり、怒りや憎しみの感情を見せることもなく、ただ淡々とまわりの物事を見聞きしているようだった。  それは全体として、上品で知的で心身のおとろえた、ごく当たり前の老婦人の姿に見えた。怨念に凝り固まった残忍な女帝ではなく。 「まだショックが抜けてないんだろうか。もしかして、脳にダメージがあったとか?」 「というよりは、むしろ……」シラユリは細いきれいな指で、下唇のまわりをゆっくり撫でた。 「彼女は滅亡前の世界で、あまりに多くの物事を……財産や、計画や、敵や味方を抱えていました。それらが一度に消えたために、価値判断や情緒的反応の基準まで同時に失われ、ある種の……殻が取れたというか、精神的に初期化された状態になっているのでしょう」 「つまり、今の状態が本当の彼女ってことか?」 「それは微妙な問題です」シラユリはうすく笑った。「蝋燭の芯だけが本当の蝋燭だと言えるでしょうか?」  ワーグはずっとベッドの側にひざまずき、主人の足元に控える犬のように、幸せそうに頭を垂れていた。そして女帝は、その頭をゆっくりと撫でてやっていた。  慈愛に満ちた母のように、などという感じでは全然ない。しかし、優しくないわけでもない。例えるならそれは、他人の子犬を撫でるような手つきだった。親密さも思い入れもないが、「これは優しくしてやるべきもの」ということだけはちゃんとわかっている。そんな風に見えた。 「時間です。これ以上は患者の体に障ります」  ラビアタの指示でワーグ達が外へ出されると、監視部屋へ呼んできて話を聞く。 「あれが女帝? アタシを罵っては殴ってきたあのババアと同じ人間だなんて思えない。本物なの?」 「いっぺんに三十歳も老けたみたい。肉体的にはあの頃から大して時間たってないはずなのに、不思議だね~」 「いや。あれはマリア様だ。間違いなく」戸惑いを隠せない薔花たちとは対照的に、ワーグはきっぱりと言った。 「頭撫でてくれたからとかじゃなくて?」  チョナのからかうような言葉にも、ワーグは動じず首を振る。「そんな表層的な理由ではない。マリア様は本来、穏やかで思索的な方なのだ」 「本当かよ」  肩をすくめる薔花を無視して、ワーグは俺に深く頭を下げた。 「あらためて感謝する、司令官。最後の願いが叶った。もう思い残すことはない」  翌朝、マリア・リオボロスが呼んでいるとの連絡をうけ、俺はふたたび病室を訪れた。 「私には、どれだけ時間が残っている?」  俺が部屋に入るなり、女帝は挨拶もなしにいきなり言った。俺は一瞬、言葉に詰まって立ちすくんでしまい、彼女はそれで大体のところを察したようだった。  マリア・リオボロスは死から蘇ったわけではない。ヒュプノス病の症状を中断させた結果、生命活動が一時的に再開しただけだ。不完全な冷凍で傷ついた神経は、重金属被覆手術には耐えられない。彼女はほどなく、永遠の眠りに戻ることになる。それは最初からわかっていたことだった。  ドクターの見積もりによれば、覚醒から再入眠まで長くて48時間。  実際のところそういうタイムリミットがなければ、いかにワーグのためといえど、レモネードデルタとの戦争がまだ続いているこの時にブラックリバー上層部の人間を復活させるなどという選択はできなかっただろう。  隣のラビアタが肯定の目配せをしている。俺は咳払いをしてから、事実をそのまま告げた。  女帝は顔を冷たくこわばらせた。さすがに、あと一日というのは予想を超えていたのだろう。しばらく黙ってから、彼女はひどく虚ろに聞こえる声で言った。 「……私にさせたいことは何だ。あるいは、訊きたいことは」 「してほしいことは別にありません。……鉄虫とヒュプノス病、星の落とし子について、知っていることがあれば教えてください。それと、PECSとレモネードシリーズについても」 「どれも大したことは知らんな。星の落とし子とやらは聞いたこともない。何だそれは?」  俺は星の落とし子とヒュプノス病の関係について、できるだけかみくだいて説明した。女帝は大きく息をついて、枕に頭をあずけた。 「ブラックリバーの機密でも訊かれるのかと思ったが」 「ブラックリバーがもうないのに、機密など意味がないでしょう」 「それはそうね」女帝はつまらなそうに鼻を鳴らしてから、「つまり私を蘇生したのは、ワーグに私を会わせるためか」  それだけではないが、それが一番大きな理由なのは確かだ。頷いてみせると、女帝は唇の端をゆがめた。 「バイオロイドのために、人間の命を左右するとは……確かに、ここは私の生きる時代ではないようね」  そうして彼女はぐったりと横になったまま、遠い目線を窓の外へ向けた。  俺はだまってその姿を見ていた。滅亡前の世界を知らない俺には、彼女の本当の胸中はわからない。たとえばある朝目覚めたら見知らぬ誰かに「もうオルカもレモネードオメガも、鉄虫も星の落とし子も、誰もいません」と言われたら、どう感じるだろうか。  長い時間が過ぎた。女帝は枕から頭を上げ、きっぱりとした口調で俺に告げた。 「窓を開けて。それから、エンプレシスハウンドを呼びなさい」  駆けつけてきたワーグ達を女帝はベッドの前へ整列させ、その顔を順繰りに眺めてからおごそかに言った。 「今日までご苦労だった、エンプレシスハウンド。お前達の任を解く。私から命じることはもうない。好きなように生きるがいい」  薔花は忌々しげに目を伏せて肩をすくめた。チョナはおどけた調子でひょいと頭を下げた。膝をついて深々と礼をしようとするワーグだけを、女帝は呼び止めた。 「ワーグ、お前だけは別よ。最後の任務を与える。私を殺しなさい」 「はっ…………?」  ワーグが凝然と動きを止めた。俺も聞き違いかと思って、何度か目をしばたたいた。 「ミセス・マリア、一体何の……」 「黙れ」  俺を遮ったのは女帝ではなく、ワーグだった。 「女帝は冗談など仰らない。言い間違いをすることもない」  食いしばった歯の間から、一言ずつ押し出すような言葉だった。 「やはりお前は他とは違うわね」女帝は満足げに言った。 「どうせ明日にはない命。お前の百年にわたる精勤に報いるものは何もないが、せめて私の死をお前にやろう」  ワーグは肩を小さく震わせ、跪いたまま動こうとしない。ようやく顔を上げたとき、その白眼がまっ黒に染まっているのが、俺にも見て取れた。 「本当に……よろしいのですね」 「古来より、子は親を殺し、人は神を殺して、自己を確立してきた。次はバイオロイドの番かもしれない。せいぜい立派に務めてみせなさい」 「薔花。チョナ」  立ち尽くしていた二人は、ワーグに小さく名を呼ばれて我に返ったようだった。「外に私の装備が置いてある。持ってきてくれ」  ラビアタがドアを開ける。二人はワーグの言葉に一言も返さず、小走りに出ていった。 「司令官。……外に出ていてくれないだろうか。殺人を犯すところを、見られたくない」  消え入るような声だった。俺はマリア・リオボロスに最後の一礼をして、部屋を出た。  廊下には、ワーグの武器スコルとハティを抱えて戻ってきた薔花たちがいた。俺はここでも何も言わず、目礼して二人とすれ違い、そのまま建物の外へ出た。  スコルとハティはワーグの身長と同じくらいある長大な刀だ。狭い病室で振り回すのには向いていないが、生涯で最も重い任務を果たすのに、使い慣れた愛用の武器以外を使う気にはなれないのだろう。ワーグの腕前なら、見事に扱ってみせるに違いない。  風が冷たい。こんな時煙草を吸えたらいいのだろうかと、ふと思った。  病室の窓ごしに、ワーグのすすり泣く声が聞こえてきた。  立ち会うのは俺と護衛数人だけという、寂しい葬儀だった。  マリア・リオボロスの蘇生はもともと限られた幹部にしか知らされていない。この墓が誰のものであるかも、ほとんどの隊員は知ることがないだろう。  ワーグは誰よりも長い間、その簡素な墓の前に頭を垂れていた。 「私の命は女帝のものだった。今日この時からは、私のものだ」  最後に小さくそう呟いて、ワーグは立ち上がった。 「そして、私はこの命を司令官、あなたのために使う。あらためて、そう誓います」  こちらを振り向いた彼女は目尻に涙を浮かべていたが、今まで見たこともないような、澄んだ力強い笑顔をしていた。俺は手を差し出し、ワーグはその手をかたく握り返してくれた。  オルカへ戻る道すがら、俺は二日間女帝の看護を担当してくれたラビアタに礼を言った。万が一のことを考えて、ブラックリバー製以外かつ人間の強制力が絶対効かないとわかっている彼女にしか頼めなかったのだ。 「ご主人様のためですから、何でもありません」  ラビアタは涼しい顔で言ってくれたが、旧時代の人間、それも企業幹部と接することが辛くなかったはずはない。俺は感謝の気持ちを込めて、隣を歩くラビアタの手をとった。 「でもな、ラビアタ。マリア・リオボロスのあの様子を見ていて、俺はこんな風にも思ったんだ」  バイオロイドに対して信じがたいほど残酷で邪悪な仕打ちを繰り返してきた旧時代の人間たちは、しかし決してその本質から残酷で邪悪だったわけではない。おそらくは時代が、社会が、彼らをそのような人間にしてしまったのだ。まったく新しい世界、まっさらの状況でバイオロイドと向き合えば、ちがう関係を築くこともできる。そう希望を持ってもいいはずだ。 「…………」  ラビアタはだまって微笑んだまま、俺の言葉を肯定も否定もしなかった。  ある日、マリア・リオボロスの墓の前にロクがいるのを見かけた。  ロクはつい先日まで、ずっと長期遠征任務に出ていた。あれが誰の墓なのか、俺はまだ伝えていない。  ハウンドの誰かが教えてやったんだといいなと、俺は思ったのだった。 End ===== 「……そんな次第で、余はつい先日やっと、本当の意味で殿の御心を知ったというわけさ。まったく、己が不明を恥じるばかりだ」  プレスターヨアンナが短い話を終えて、小さく頭を下げる。拍手と、様々な思いのこもったため息がそれに答えた。 「たしか貴殿は主君が来て間もない頃、外部拠点の開拓任務を買って出てオルカを離れましたね。もしかして、あれも?」アタランテが空のグラスにワインを注ぎ、ヨアンナは会釈をしてそれを受け取る。 「ああ。人間とできるだけ距離を置きたかったのだ……ただ、思えばあれは悪手であった。もう一月か二月、共に過ごしていれば、殿のお心の広さはすぐにわかっただろうにな」 「本当ですよー」マジカルモモがぷうと可愛らしく頬をふくらませた。「ヨアンナさんがずっとそんな風に悩んでたなんて、モモ全然知りませんでした。もうけっこう長い付き合いなのになー」 「ヨアンナ公はなんでも内にかかえ込みすぎなのです」なぜだか水着姿のシャーロットが割り込んでくる。「もっと、すべてをさらけ出せばよいのに。この私のように」 「なかなか、卿のようにはいくまいが……今後はもう少し心がけよう」 「懺悔のため部屋を暗くして……なるほど、そういう手が……」クノイチ・ゼロは何ごとかメモしている。  ヨアンナを囲んで盛り上がる伝説サイエンスのバイオロイド達を、クローバーエースは目を輝かせて眺めていた。 「すごいな、テレビや映画で見たヒーローが勢揃いだ」 「貴女もそのヒーローの一人でしたけれどね」  その隣でアルマン枢機卿が、微笑んでグラスを傾けた。  SS級への昇級手術も受け、もうじき外部拠点再建のためふたたびオルカを離れるヨアンナの壮行会と、最近オルカに加わったクローバーエースの歓迎会を兼ねて、伝説組だけの小さなパーティを開こうと提案したのはマジカルモモだった。 「それではもう一度、ヨアンナさんのためにかんぱーい!」  箱舟の会議室をひとつ借りて、白いクロスの敷かれたテーブルに軽食と飲み物、そして誰がどこから調達してきたのか、差し入れの高級そうな酒や菓子が並ぶ。昔テレビで見た芸能人の打ち上げのような光景だと思って、クローバーエースは一人で笑った。ここにいるのはまさしく芸能人ばかりなのだ。自分も含めて。 「クローバーエース卿、正式な挨拶がまだであったな。プレスターヨアンナだ」グラスを二つ手に持って、サーコート姿のヨアンナがエースのところへやってきた。 「初めまして! 『エルサレムの黒き盾』観たことあります。会えて嬉しいです」頬を紅潮させて、エースはグラスを受け取る。ヨアンナが苦笑した。 「伝説の同僚からそう言われるのは、みょうな気分だな。もちろん『クローバーエース・ショー』は余も知っている。それに、世界のあちこちでバイオロイドを助けて鉄虫と戦う『不思議な流れ者ヒーロー』の噂もな。オルカに加わってくれてくれて心強い」 「そんな、こちらこそ。オルカの話はあちこちで聞いてました」 「モモのことも知ってます?」ヨアンナの後ろから、モモがひょこりと顔を出した。 「マジカルモモ! 本物はやっぱり可愛いなあ! 新作映画のたびに観に行ってたけど、特に『花の都のミルフィーユに想いをこめて』が最高だったよ。ディスクも買ったんだ、パリの風景がすごく良くて、ちょっぴりロマンチックで」 「拙者たちの戦いの映像もご覧になったでござるか?」 「もちろん! 『大戦乱』は私たちの学校じゃ歴史の教材になってた。授業で観たのは第一部だけだったけど、私は第三部が好きだな」 「当然私もご存じですわね?」 「ごめん、『シャーロットロマンス』は小説版しか読んだことないんだ」 「なぜ!?」  ショックで涙目のシャーロットに、アルマンがくすくす笑う。「あれには私が出ているからですよ。さすがに、同じ顔が画面の向こうにいては怪しまれますからね」 「いや、見たかったんだよ? 小説はすごく好きだったし」クローバーエースもあわてて弁解する。「でもリバイバル上映があるたび、なんでかちょうど機械帝国が出てきて……ああそうか、でもあれも番組の都合だったのかあ」 「そうですね。実際、『シャーロットロマンス』はかなり貴女好みだと思いますよ。箱舟のライブラリにありましたから、あとで観てみたらいいでしょう」 「絶対観て下さいね! 絶対ですよ!」 「いやー、緊張したなあ」  ひととおりの挨拶を終えたエースはテーブルに戻って、並んだ料理をぱくぱくと平らげる。 「伝説の人たちってさ、なんていうか、いろんなタイプがいるんだね? みんな私みたいのかと思ってた」 「そうですね……あなたはむしろ、新しい番組製作スタイルのテストケースでした。役者、俳優タイプの方が、数としては主流ですね。私もそうですし」  アルマンも小さなサンドイッチを上品にかじりながら、エースの方を横目で見やった。 「……本当によかったのですか? オルカに腰を落ち着けてしまって」 「え、どういう意味?」シュリンプフライを頬張りながら、エースは目を丸くする。 「あなたは旅の途中でしょう。途中で止めていいのですか? 陛下はバイオロイドの自由と主体性を何より尊重して下さいます。旅を続けたいと言えば、きっと許して下さいますよ」 「そりゃ……」エースは言いよどんだ。「……ここは、バイオロイドが幸せに暮らせる場所だって聞いたけど。違うの?」 「違いませんとも。私たちにとって今この地上で、陛下のおそば以上に幸せな場所はありません」きっぱり言ってから、アルマンはクローバーエースの顔をまっすぐに見た。 「ですが、それは普通のバイオロイドの話。あなたは自由も、幸せも、すでに手にしているはずです。自覚していますか、それはとても希有なことなのですよ? 特殊な立場と、そのために与えられた人格と性能、そして偶然のタイミングが奇跡のように噛み合って、自由なるヒーロー・クローバーエース、今のあなたは生まれました。そのあなたをここに留めてしまうのが果たしてよいことなのか、私は測りかねています」  エースは口の中のものを飲み込んで、唇をペロリとなめた。「私のこと、すごく気にかけてくれるんだね」 「私はルージュの伝言と記憶を預かった身です。貴女が本当に自由で、幸福であるか、見極める責任がありますので」  真顔で答えるアルマンに、エースは小さく笑う。 「そういうところ、ルージュとそっくりだ」 「基本的な人格プログラムは同一ですから」アルマンが小さく肩をすくめた。その仕草もルージュによく似ていて、エースはまた笑った。 「さっきも言ったけど、オルカのことは前から聞いてたし、興味があったんだ。最後の人間が率いる抵抗軍なんて、いかにもヒーローにふさわしい場所じゃないか」 「それだけですか?」ナプキンで口元をふきながら、アルマンがちら、とエースを見上げる。 「……元々、目的地のある旅じゃないし。一人旅も、そろそろ寂しくなってきてたしさ」 「それだけ?」  エースは顔をしかめてアルマンを見た。「……もしかして、わかってて聞いてる?」 「さあ、どうでしょう?」  エースはしばらくためらってから、身をかがめてアルマンの耳元へ口を寄せ、小声で何事か囁いた。アルマンは満足そうに頷く。 「それなら、何も問題はありません。ようこそ、オルカへ」 「そういう意地悪いところも、ルージュそっくりだな!」顔を真っ赤にしたエースに、アルマンはすました顔で言った。 「基本的な人格プログラムは同一ですからね」  夕暮れの風が冷たい。  北極圏に位置するスヴァールバル諸島では、盛夏であっても摂氏10度を越えることは稀だ。人間ならばコートが必須だが、バイオロイドにはさほどのこともない。クローバーエースとプレスターヨアンナの二人は黙ったまま、冷たい夕陽が照らし出す岩だらけの湿地を歩いた。  太陽はまもなく西の海に沈みそうに見えるが、決して沈むことはない。白夜の季節だ。 「……すごいな。これが白夜か」  最初にこの島に上陸した時は特に見るところもないと思ったものだが、間違いだった。クローバーエースはため息とともにあたりの景色を見回し、そうしてヨアンナの背中に視線をもどす。 (少し、外を歩いてみないか)  パーティも半ばを過ぎ、皆がなんとなく落ち着きだした頃、ヨアンナがふいに声をかけてきて、エースは外へ連れ出されたのだ。  彼女はオルカの中でもかなりの古株だと聞く。新参者を一発シメておこう、とでもいうのだろうか。昔の学園生活を思い出してひそかに腹筋に力をこめたりしていると、ヨアンナが歩きながら振り返った。 「クローバーエース卿」 「は、はい」 「敬語はよしてもらいたい。ここでは皆、同僚だ」ヨアンナはやわらかく笑う。 「卿は……かつての時代、巨大なセットとして丸ごと作られた街の中で、普通の人間と同じように暮らしていたのだったな」 「はい。あ、いえ、うん」エースは頷いた。「当時は、自分は人間で、本当に悪と戦ってるんだと思ってま……思ってた」 「リアリティ・ショー形式というやつだな」  ヨアンナは、淡いオレンジ色に染まる湿原のほうへ目を投げた。つられてエースもそちらを眺める。 「思えば伝説は常に、よりリアリティのある表現形式を追求していた。あのまま世界が続いていればあるいは、卿のようなスタイルが主流になったのかもしれぬな」  足音と風の音以外、聞こえるものは何もない。ほとんど呟くようなヨアンナの声も、はっきりと聞こえた。 「余は伝説のバイオロイドの中でも、ごく初期のモデルだ。そのせいか知らぬが、モモ卿やシャーロット卿と比べると役者魂というか、俳優としての意識が希薄なようでな。演技の技術は身につけていても、演じること自体の喜びや誇りといったものはあまりないのだ。おそらくそれも、リアリティを追求する試みの一環だったのだろう。……最初期のモデルと最後期のモデルが、ともに演じることから離れていったというのは、思えば面白い話だ」  どう答えればいいのか、クローバーエースが戸惑っているうち、ヨアンナはふと足を止めた。エースも合わせて立ち止まる。特に何があるわけでもない、湿原の真ん中だ。 「失礼を承知で聞きたい。卿は先ほど、『エルサレムの黒き盾』を観たと言ったな。それはくだんのショーが続けられていた頃……つまり、卿が自分を人間だと思っていた頃、ということでよいのか」 「え……うん。そうだよ」 「そして後になって、バイオロイドや伝説のことを知った?」  エースはもういちど頷く。ヨアンナはしばらく黙ってから、エースの方に向き直った。 「感想を聞かせてくれまいか。あの映画を観て、卿はどのように感じた?」 「……!」  まっすぐな視線をまともに受けて、エースは言葉につまった。  あの映画の撮影で何が行われていたか、もちろん今のエースは知っている。それは外の世界では隠すことでも何でもなく、どんな映画情報誌にも書いてあったからだ。  自分は責められているのだろうか? 無責任にも人間のように、あの映画を楽しんでしまったことを? いや、彼女の眼差しにそんな色はない。考えろ。きっと、自分にしか答えられないことがあるのだ。この問いのためにこの人は自分を連れ出したのだと、今はエースにもわかった。 「……あの映画の撮影のために、伝説がどんなことをしたかは聞いてる。あんなことは、二度とあっちゃいけないと思う」  ゆっくりと、一言ずつ考えながら、言葉をつむいでいく。ヨアンナは黙って聞いている。 「でも、そういうことを何も知らないで観た時は……感動した。すごかった。戦争も、信仰も、人の死も、それを乗り越えて生きる人たちも、まるで本物みたいな、ものすごい迫力で輝いて見えた。私はたいして映画に詳しいわけじゃないけど……それでも、あんな映画はほかにないと思う」  エースが言い終えても、ヨアンナは長いこと黙っていた。  どれくらいそうしていただろう。夕陽は水平線の上をいつまでもすべるように動いて、時の経過を教えてはくれない。吹きつける風がさすがに肌寒く感じられてきた頃、ヨアンナはようやく口を開いた。 「あの……あの現場からどんな作品が生み出されたにせよ、余が奪った同胞の命とつり合うものだとは決して思わぬ。しかし少なくとも、まるきり無価値というわけではなかったようだ。それを慰めと思うべきかは、まだ判断がつかぬが」  それから、ヨアンナはエースに深く頭を下げた。 「ありがとう、クローバーエース卿。心より感謝を」 「い、いやいやいや!」エースはうろたえて頭と手をぶんぶん振った。 「私なんかそんな! 今のオルカが発信してる映像も、私は大好きだよ。『プロジェクトオルカ』は何度も見た」 「ほう! あれを観たのか」  ヨアンナが頭を上げて、ぱっと笑った。エースはようやくほっとして、「もちろん。どこへ行っても、あれを見てない人なんていなかったよ。これからオルカに合流するんだって言ってた人もいたし、ひみつ付録の方だってみんな……」 「ひみつ付録?」  エースはぱっと口元を押さえた。  しかし、もう遅い。しばし怪訝な顔をしたヨアンナが、ハタと手を叩いた。 「ああ、あれか。タロンフェザー卿がデータ漏洩を装ってこっそり配信したという、ライブの後のスカイナイツの」  必死に平静を保とうとしたが、無理だった。頬がぐんぐん熱くなる。ヨアンナの顔をまっすぐ見られない。そんなエースを見て、ヨアンナがにやりと笑った。 「もしや、卿はあれでオルカに興味を持たれたか?」 「そ、それだけじゃないし!」叫んでから、墓穴を掘ったと気がついた。ヨアンナがいっそう笑顔になる。 「はっははは! そうか、そうか! いや結構、大いに結構。卿が望みさえすれば、それは遠からず叶えられよう」  先程までの空気を吹き飛ばすようにひときわ大きく笑ってから、ヨアンナは大きく息をついた。白い息が風に流れて、すぐに消えていく。 「さて、帰るとしようか。主賓が二人とも抜けたままでは、会も締めようがあるまい」  行きより少しだけ早足に、二人は歩いた。先をゆくヨアンナは時折思い出したように、クックッと小さく笑う。 「……そんなに笑わなくたっていいじゃないか」 「いや失敬、おかしくて笑ったわけではないのだ」ヨアンナが少し歩をゆるめて、エースの隣に並んだ。「ただ嬉しくてな。卿のような特別なバイオロイドまでもが、殿にあらがえぬ魅力を感じてくれるということが」 「私は別に、特別なんかじゃ……」 「卿は自分が幸せだ、と断言したそうではないか? 生まれてこの方、余はそんなバイオロイドを見たことがない。無論、殿にお会いする前の段階では、という意味だが」 「……アルマンにも同じようなこと、言われたな。さっき」  ヨアンナの横顔を眺める。夕陽に照らされた浅黒い顔は穏やかだ。 「司令官さんって、どんな人? まだ挨拶しかしてないんだけど」 「アルマン卿は何と?」 「自分で知っていくのが一番だって、何も教えてくれなかった」 「では、余の答えも同じだ」  不満げなエースをなだめるようにヨアンナは微笑んで、エースの目の前に指を二本立ててみせた。 「だが先達として、二つほど助言を授けておこう。この先、卿が殿にどのような気持ちを抱くにせよ、その気持ちのまま、自由に振る舞うべし。おそらく殿も、いや殿こそが誰よりも、それを望んでおいでだ」 「……二つ目は?」 「卿が興味を抱いたそのことが、この先起こったとしてだが」ヨアンナはいたずらっぽく片目をつぶる。「これまでどのように期待を膨らませてきたにせよ、それをはるかに超えるものだと心得よ。殿は大層タフであられるゆえな」  赤面したエースを見てヨアンナは笑い、両手を大きく空に広げて、歩きながらくるりと回った。 「“夕暮れの時はよい時、かぎりなくやさしいひと時。冬なれば暖炉の傍ら、夏なれば大樹の木陰。それは過ぎ去った夢の酩酊、今日の心には痛いけれど、しかも全く忘れかねた、そのかみの日のなつかしい移り香……”」 「ヨアンナさん、役者魂がないって言ってなかった?」 「これは素だ」  よく通る声が朗々と、湿原の上をわたる。その声の残響を追いかけるように歩いてゆく二人のバイオロイドを照らす夕陽は、いつまでも沈まなかった。 End =====  ティートカップをよく拭いて消毒槽に入れ、腰の高さまである大きなミルク缶を台車に載せる。台車に積んだ缶の数をもう一度数えて、エルブン・フォレストメーカーは深いため息をついた。 「ぐぬ~。今週も対先月比マイナスかあ……」  エルブン・フォレストメーカーをはじめとする一連の森林保護・育成用バイオロイド、いわゆるエルブンシリーズは、パブリックサーバントの中でも独自性の高い一種のサブブランドを形成しており、それを反映してオルカでもチームとしての共用部屋をひとつ与えられている。エルブンミルクの生産加工所も兼ねているためそこそこの広さがあるその部屋の内部は、セレスティアとセクメトの力で壁や床から木々が生い茂り、ふかふかの下草まで生えて、ちょっとした森の中の空き地といった風情にしつらえられている。はらり、と缶のフタに舞い落ちた一枚の木の葉を、エルブンは優しくつまんで捨てた。 「やっぱ箱舟に落ち着いちゃってからぱっとしないんだよなー。早くヨーロッパ本土に侵攻しないかなあ」 「物騒なこと言うんじゃないわよ」木の根に腰かけてネイルの手入れをしていたダークエルブン・フォレストレンジャーが眉をひそめた。 「だってこの島、どこ行っても氷ばっかりで木が一本もないじゃない。箱舟の中は中で私たちの仕事全然ないし。おかしくない!? 自然といったらエルフでしょうが!」 「あの中はだって、水も光も温度も全部管理されてるじゃん。私らの出る幕なんかないでしょ」 「箱舟とやらは、生態系全体を保存して未来へ残すのが目的と聞きました。植物だけが繁茂しても、それはそれでバランスを欠くということなのでしょう」  黙々と料理書を読み込んでいたセクメトも目を上げ、しずかに言い添える。 「芝生潰してカフェやらバーやら建ててるくせにー!」 「そのカフェのおかげでミルクの消費も増えたんだから文句言わない。先月は例の選挙もやったし、ずいぶん売り上げ伸びたでしょ。それが元に戻っただけじゃないの」 「元に戻っちゃダメでしょーが! そんな甘い考えじゃこの生き馬の目を抜くオルカで生き残れないよ!」 「オルカってそんな所だっけ?」  だんだん、とミルク缶のフタを叩いてエルブンは力説する。彼女たちエルブンシリーズに共通する特殊体質にして、余人に真似のできない独自商品であるところのエルブンミルク。日夜文字どおり身を削って生み出しているそのエルブンミルクの売り上げが、このところ芳しくないのだ。具体的には飲料用の売り上げがどうも落ち込んでいる。ダークエルブンの言うとおり、先月の「ミルク総選挙」イベントで健康飲料としての認知度が一気に上がったのはよかったが、ブームが去るとまた需要は落ち着いてしまった。 「なんか対策立てないと……だいたいあんたのせいでもあるんだからね。もっと新人どものおっぱいに危機感持ちなさいよ!」 「はあ!? 何それ!」  エルブンミルクのうたう効能の一つにバストアップ効果がある。それに説得力を与えているのが、そろって豊かなエルブン達のバストだ。とりわけダークエルブンの胸はオルカでもトップクラス、身長比の補正を入れれば単独首位であり、エルブンミルクの人気をおおいに高めていた。  しかし最近、それはもう野放図に巨大なバストを備えた新人が立て続けに現れており、ダークエルブンの存在感は相対的に薄れつつある。エルブンミルクの消費低迷にはそのあたりが関係していると、エルブンは睨んでいるのだ。 「ただでさえ巨乳が渋滞してるところへバイソン女だの熊女だの忍者ママだの……あんたももっとミルクがぶがぶ飲みなさい!」 「毎日飲んでるわよ! だいたいミルクだけで胸が大きくなったら世話ないわ!」 「商品価値を根本から否定するなあ!」 「あらあら、賑やかですね~」  部屋の奥の木陰から、ミルク缶をかかえたセレスティアが頬を火照らせながら出てきた。 「今日の分のバナナミルク、できました。納品をお願いしますね~」 「セレスティア様! 聞いて下さいよ~!」  泣きつきにいくエルブン。話を聞いたセレスティアはおだやかに小首をかしげ、 「人気が落ちているのは悲しいですね~。でも、私たちのミルクに頼らなくてもみんなが健康で元気にしていられるのなら、それが一番かもしれませんね」 「そういうことじゃなくてー! 私たちの存在が軽くなってるってことですよ! セレスティア様だって不満じゃないんですか!」  セレスティアは困ったように笑う。「むかしの時代や島にいた頃に比べれば、オルカは夢のように幸せですから、不満などはとても」 「う……」  旧時代から生き抜いてきた彼女にそういうことを言われると、復元組のエルブン達としては何も言えなくなってしまう。もちろんエルブン達とて苦労してこなかったわけではないし、今の環境に幸福を感じていないわけでもない。司令官が来るよりずっと前、戦いが一番厳しかった頃は、エルブンミルクは販売どころか軍需食糧として徴収されていたのだ。その頃に比べれば、確かに今のオルカは夢のようである。 「でもミルクの売り上げは、えーとほら、エルブンシリーズ全体の地位向上にもつながるんですよ! 向上心! そう向上心です! 不満でなく!」 「どんな命にも、それに似つかわしい地位と役割があるものですよ~」 「そうですよエルブン。高望みをするのは高貴ではありません。陛下のおそばに侍る者は、つねに謙虚でいなければ」セクメトまで本を置いてそういうことを言う。 「うぐぐぐぐ」  どうもエルブンシリーズの上位モデルはみんな浮世離れしたところがあって、こういうことにはまるで頼りにならない。いったん諦めて出荷作業を済ませようと、エルブンは台車を押して部屋の出口に向かった。飲料用以外にも加工用、調理用、製菓用など、エルブンミルクにはいろいろな需要があるのだ。  ドアを開けると、緑色の壁が行く手をふさいでいた。 「あっ、すみません。こちらは、エルブンシリーズの皆様のお部屋とうかがったのですが」 「うげげっ!」  思わず素の声が出た。入口に立ち塞がっていたのは壁ではなく、一人のバイオロイドだった。たった今やり玉に挙げていたエルブンミルク低迷の元凶の一人、ガーディアンシリーズのフリッガである。熊の遺伝子を導入されたというその体躯は2メートル近くあり、エルブンとは大人と子供ほども違う。エルブンは思わず身構え、 「なななんなんなんですか! やろうってんですか!」 「いえ、あの……ご迷惑でしたら出直してまいります」 「何やってんのよあんた」声を聞いたダークエルブンが出てきて、ひとまずミルクの台車を後ろに下げた。「お客さんじゃない。ごめんごめん、ちょっと驚いただけ。とりあえずどうぞ」 「お邪魔します……うわあ、素敵な部屋」  身をかがめておずおずと戸口をくぐってきたフリッガに、エルブンはあらためて息を呑んだ。 (でっっっか……)  背が高いだけでなく、左右にも前後にも大きい。骨格自体が大柄な上に、みっしりと筋肉がついているのだ。彼女がいるだけで部屋がちょっと狭くなったような気さえする。 (そりゃ胸もすごくなるわけだわ……) 「あら、珍しいお客様! ようこそいらっしゃいました」  セレスティアが立ち上がり、にこやかに両手を広げて歓迎の意を示した。「ミルクはいかがでしょう? 搾りたてがありますよ」  決して背の低い方ではないセレスティアだが、それでもフリッガの方が頭一つ以上大きい。気づけばダークエルブンも、まじまじとフリッガの胸を見つめていた。少しは危機感を抱け。 「これは……カシの木? 本物なんですか?」 「ナノマシンでできた疑似植物です。でも本物と同じように呼吸や光合成をするし、季節になれば花も咲くんですよ」 「へええ……では、この地面も?」 「そちらは私のナノマシンで構成した疑似土壌系です。制御にコツがいりますが、有機物や埃を分解してくれる、便利なものですよ」  ひとしきり感心したフリッガは大きなマグカップで出されたバナナミルクを美味そうに飲み干し、大きく息をついてから口を開いた。 「実は、今日はお願いがあってうかがいました。こちらには、母性をイメージした牛柄の衣装があると聞いたのですが」 「別に母性をイメージしてませんが、牛柄ビキニならありますよ」  エルブンが答えると、フリッガはずいと身を乗り出した。 「それを一着、貸していただけないでしょうか?」 「……ほほ~う?」  肉の質量にちょっと後ずさりつつ、エルブンはニヤリと笑った。「ご自分で着るんですか?」  頬をさっと赤らめてうなずくフリッガ。エルブンの笑みがさらに深まる。  オルカにおいて、ビキニを好んで着る隊員は非常に多い。中には単純に肌を出し、肉体美を誇示すること自体を楽しむ者もいるが、フリッガはどう見てもそういうタイプではない。にもかかわらず、あんな扇情的な衣装を着たがるとすれば、その理由は一つしかない。 「司令官様のためですね~?」  ニヤニヤしながらさらに斬り込んだエルブンは、しかしオヤ、と笑みを消した。反応が予想していたのと違う。  フリッガは頬を赤らめつつも唇をきゅっと引き結び、眉根を寄せていた。その表情からは欲望や期待というより、ある種の決意と悲壮さが感じられる。どうも、単に司令官を悩殺するために水着を欲しがっているわけではないようである。 「……まあいいですけど、あれって数があんまりないんですよね。背丈が違いすぎるから、貸したら伸びちゃうだろうし」  しかしいずれにせよ、理由はそれほど重要ではない。エルブンは思考を切り替えた。せっかく獲物が向こうから飛び込んできたのだ、遠慮なくたっぷり搾り取らせてもらおう。ミルクだけに。 「私にできるお礼でしたら、何でもいたします」 「えー、それじゃ~あ~」 「エルブン?」  わざとらしく顎をさすってみせるエルブンの頭上から、セレスティアのしずかな声が降ってきた。 「私たちはエルブンミルクの生産にかかわって、いくつもの特権を司令官様からいただいています。この上、べつの代価を求めるのはよくないことですよ」 「う……はい」 「フリッガさん、私のビキニをお貸しします。紐の長さを調整すれば着られるでしょう、手袋とソックスは……」 「私用の予備がありますから、お譲りしましょう」セクメトが言い添えた。「何かただならぬ事情があると見ました。私の方は当面着る予定がありませんから、伸びてしまっても構いません」 「ありがとうございます」フリッガは深々と頭を下げた。「何かお礼をさせて下さい。そうでないと私の気が済みません」 「そのようなことは~……」 「はいはい! お願いしたいことあります!」エルブンは慌てて手を上げた。こうなったら最初に思いついたアイデアだけでも実現させなくては。「フリッガさんもこう言ってるんだし、いいですよねセレスティア様!」  セレスティアが仕方ない、というようにうなずき、エルブンはガッツポーズをとった。 「じゃあですね、コトが済んだらでいいので……」 「エルブンミルク、体によくてとっても美味しいエルブンミルクはいかがですか? 皆さんもエルブンミルクを飲んで、私のような健康で丈夫な体になりましょう」 「コーヒーミルクのホット二つ」 「プレーンください」 「こっちバナナミルクをLで」 「はい、はい。少しお待ちくださいね。あっ、プレーンミルクは今ので品切れです。申し訳ありません」  生態保存区域の広場の一角、朝から行列の絶えないミルクスタンド。少し離れたところからそれを見守るエルブンは得意絶頂だった。 「へっへーん! どうよ私のこの商才、この企画力!」 「はいはい、大したもんよ」  ダークエルブンが肩をすくめて賛同する。エルブンが要求したお礼とは、牛柄ビキニを着たフリッガにそのままエルブンミルクの販売係をやってもらうことだった。  彼女が看板娘をつとめることで、バストアップ効果の説得力は前にも増して復権。そのうえ新たに、身長を伸ばしたい隊員達にも需要が広がり、売り上げはミルク選挙の時すら超える勢いだ。 「本日はご好評いただきまして完売です。ありがとうございました~、皆さん」  フリッガが一礼して、スタンドの後片付けを始めた。そこへやって来た子供組と何ごとか話していたと思うと、ピッチャーを手にこちらへそそくさと走ってくる。 「あのう、すみません。あの子たちのために一、二杯分だけ、どうにかならないでしょうか?」 「しょうがないな~。ここで出しちゃうから、貸してください」  今日も夕方前に完売してしまった。明日からは増産も考えるべきかもしれない。木立の影で胸をはだけながら、エルブンは鼻息も荒く考えをめぐらせる。 「アクアランドももうすぐできるし、あっち用の新商品もどんどん考えていかないとね。今晩も企画会議だからね、遅れずに来るのよ!」 「あんた本当にそういうの好きね……いいからはい、出して出して。フリッガさんもありがとうね」 「いえ、やってみるととても楽しいです。小さい子たちも大勢来てくれますし」  フリッガの満ち足りた笑顔からは、先日の悲壮さは少しも感じられない。彼女があの「デート抽選会」の幸運な当選者の一人だったことを、エルブンは後から知った。ビキニを使って司令官とどんなデートをしたのか、さすがのエルブンもそこに立ち入る気はなかった。 「今度あのアイアスさんって人も紹介してくださいね。ライバルはどんどん取り込んでいかないと」 「ライバル?」 「いえこっちの話です。このままエルブンシリーズの地位を爆上げして、ゆくゆくはアクアランドの隣にフォレストランドを建設するのよ!」 「あ、それちょっと面白そう」  陽射しの下、エルブンの明るい笑い声に合わせて、白とコーヒー色の二すじのミルクがキラキラと揺れながら、それぞれのピッチャーに降り注いでいった。  この数日後、生態保存区域は夏周期に入り、タイミングを合わせてオープンしたムネモシュネのかき氷屋にエルブンミルクは人気を根こそぎ持っていかれることになるのだが、それはエルブン・フォレストメーカーのいまだあずかり知らぬことである。 End ===== 「この一月で、うちの連中がすっかりあんたに懐いてしまった。あんたの作る飯が美味すぎるせいだ」  窓際の椅子の埃をはらって、迅速のカーンは腰をかけ、湯気の立つ大きなスペアリブへおもむろにかぶりついた。 「心をつかむには、まず胃袋をつかむこと。基本よ」  少し離れた椅子にラビアタ・プロトタイプも座り、こちらは上品にナイフで肉を小さく裂いてから口へ運ぶ。二人の視線の先、部屋の中央に組まれた大きな暖炉にはホードとストライカーズの隊員が群がり、大鍋にぐつぐつ煮えているシチューをてんでにすくっていた。 「うまっ、アチチっ、うまっ」 「副司令! このソースみんな使っちゃっていいの?」 「アンカレッジに着けばまた何か手に入るでしょうから、いいわよ」 「やったー!」 「ちょっと、それまだ食べてないやつ!」 「そういえば、ヘラジカのもも肉は首に巻くとノドの痛みに効くそうですわ」 「んな勿体ないことしないわよ」 「うぎゃー!!」 「ウル! 裸眼では無理でしょう、こんな近くに鍋があるのに」 「だって眼鏡くもって何も見えない……」  ウルが昨日仕留めた、スパルタンほどもある巨大なヘラジカがもう跡形も残っていない。子供のように口いっぱいに肉を頬張ってはしゃぐ隊員たちを、二人の隊長は満足げに眺める。 「よかったらお料理、教えましょうか?」 「遠慮しておく。私は食うだけでいい」脂身のついた大きな肉片を歯で裂きとって、カーンは肩をすくめた。 「暇があったら、ケシクにでも仕込んでやってくれ」 「ケシクにできるなら、貴女にもできるでしょうに」  カーンはそれには答えず、口をもぐもぐ動かしながら窓の外へ視線を投げる。割れた窓ガラスの向こうには凍てついた木々と砂と岩、そして硬く青白い雪におおわれた原野がどこまでも広がり、はや夕闇に沈みはじめていた。  北米作戦後、アラスカにある鉄の王子の遺跡を再訪するためオルカと別行動をとったアンガー・オブ・ホードとストライカーズは、鉄虫とレモネード軍双方の目を避けるため海岸沿いの山地を縫うように進み、ようやくアラスカ州の半ばまでたどりついていた。遺跡のあるアンカレッジまで残りおよそ100キロ。バイオロイドの行軍速度なら一日の距離である。ハイウェイ沿いに、かつてはレストランかホテルだったとおぼしき広いロッジを見つけた彼らは、ここで休んで明日残りの行程を一気に進むことにした。 「このあたり、グレイシャー・ビューっていうそうですよ」  大きなマグカップに汲んだシチューをふうふう吹きながら、タロンフェザーがタブレットの表示を横目で見た。 「マジ? じゃあ氷河見られる?」 「上空からは見えました。少し海側へ行けば、すぐ見えると思います」ずずー、と両手でかかえたお椀を傾けてティアマト。 「私、氷河見たことないです。明日の朝、ちょっと行ってみませんか」 「氷河は何色? グレイじゃー」 「ぎゃははははは! ……ところでさあ。気づいてる?」  骨に残ったわずかな肉を、鋭い前歯でガリガリとかじりながら、ハイエナが急に声をひそめた。 「あったり前でしょ」 「誰か入口の外に来てますね」  全員がラビアタとカーンの方を見る。二人の隊長は手だけでサインを送り、ミナが全員をかばえる位置に、ティアマトとウェアウルフ、タロンフェザーがエントランスからの死角に、音もなく移動した。  その一呼吸後、エントランスのドアが押し開けられ、 「ちょっとあんた達……え?」  向けられた七つの銃口と一本の刃に、目を丸くしたのは一人のウェアウルフだった。 「そっか、あんたたちがあのオルカね」  全身に赤黒い傷跡の走るそのウェアウルフ……ウェアウルフC5F3m6は、差し出された熱いシチューを一口すすって、長い息をついた。 「ええ。悪いけど、今は隠密任務中なの。あなたの所属によっては、しばらく拘束させてもらうことになります」 「所属? 所属なんかないわよ」C5F3m6は自嘲的につぶやいた。「拘束したけりゃご自由に。でもそんな暇があるなら、さっさと逃げた方がいいわ」 「逃げる? 何から?」油断なく彼女の全身に目を走らせながらクイックキャメルが訊ねた。 「もちろん、鉄虫よ。このへん一帯奴らの縄張り。暗くなるとやってくるの」 「鉄虫? ここへ来るまでぜんぜん見なかったけど?」 「あんたたち、東から来たでしょ?」C5F3m6は逆に問い返した。「奴らはここから西の一帯と、北の山側にいる。どういうわけか知らないけど、ちょっと前から二手に分かれて敵対してるみたいなのよね」  ラビアタとカーンはすばやく視線を交わした。北米作戦の最後に鉄虫たちが見せたあの狂乱状態は、鉄虫の中に新たな敵対的派閥が発生したことによるらしい、という分析をオルカからも受け取っている。 「詳しく話してほしいわね。そもそも、あなたはどうしてここに?」 「急げっつってんじゃないの……別に話すほどのこともないわ」  ぼやきつつウェアウルフC5F3m6が語ったところによれば、ここには元々ブラックリバーや三安など、PECS以外のメーカー製のバイオロイドからなる小さな集団が暮らしていた。レモネードの支配はPECSのバイオロイドにとっても地獄だが、それ以外の者にとってはよりいっそう苛酷であり、彼女たちはそれを逃れてこのアラスカの山中までやってきたのだ。 「楽じゃなかったけど、なんとかやれてたわ。ド田舎のせいか、鉄虫もそんなにいなかったし。でも先月、突然奴らがとんでもない数で押し寄せてきた。私たちも抗戦したけど……結局は、ほとんど死んじゃった」  C5F3m6は肩をすくめた。「それだけ」 「プロジェクトオルカの放送は見たのでしょ? オルカに来てみようとは思わなかったんですの?」マーキュリーの問いにもC5F3m6は答えず、ただ再度肩をすくめた。 「私たちが逃げるとしたら、一緒に来ますか?」  今度は、C5F3m6は目を上げ、怯えるように一瞬だけ外を見た。 「……そうね。連れてってもらおうかな……」 「あんた、なーんか暗いわねえ。ほんとにウェアウルフ? サンドガールなんじゃないの?」オルカのウェアウルフ、ウェアウルフ1640があきれ顔で大きな声を出す。 「言ってくれるじゃない。そういうアンタは、ずいぶん幸せそうね?」 「まあねン」皮肉な口調に気づいているのかいないのか、ウェアウルフ1640はジャケットの襟をひらひらと振って笑った。「美味いメシ、いいオトコ、血湧き肉躍る戦場。これで幸せじゃなかったらウソでしょ」 「…………」 「お、羨ましくなってきた? 今からでもオルカに……」 「そのくらいにしろ、ウェアウルフ1640。ちょっと来い」  カーンはウェアウルフを手招きして、ラビアタと共にフロアの反対側へ移動した。 「どう見る」 「嘘はついてないと思いますね」ウェアウルフは声を潜めて、二人の上司を交互に見る。「いろいろ抱え込んではいるみたいですが。まあ、自分で言ったとおりの経歴ならそうもなるかなって感じです。でも、同型機の勘ってだけですからね」 「よし。十分だ」カーンが言う。ラビアタも小さく頷いた。 「なら、確認することはあと一つだけね」  ラビアタの言った通り、この任務は隠密作戦である。オルカの部隊が、なかんずくラビアタ・プロトタイプがここにいることを、絶対にレモネードに知られてはならない。ゆえにレモネード配下であろうと、それ以外であろうと、他勢力との接触は極力避けるのが基本方針だ。  しかし一方、傷つき苦しむバイオロイドともしも出会ってしまったのなら、それを放置することを司令官が許すはずもない。ここにいる全員が、そのことをよく承知していた。 〈カーン隊長、ラビアタ副司令〉  屋根に上がって索敵をはじめていたタロンフェザーから通信が入った。〈鉄虫の反応です。北と西の二方面から……数、どちらも数百から数千。やばめです〉 「だから言ったじゃない」C5F3m6がじれったそうに言った。「早く逃げようってば」 「まだです」ラビアタが大股に歩み寄った。「『ほとんど死んじゃった』と言いましたね。つまり、まだ生きている仲間がいるのでしょう。その人達はどこに?」 「……そんなこと訊いてどうすんの」C5F3m6は警戒する顔つきに変わる。「こっちのことは関係ないでしょ」 「関係はあります。死にかけた仲間を捨てて自分だけ逃げ出すような人なら、同行させるわけにはいきません」 「ふざけんな!!」C5F3m6は血相を変え、椅子を跳ね飛ばした。「そんなことするわけないでしょ。あいつらは……あいつらが私を……」 「自分たちはどうせもう助からないからって、送り出してくれた?」  サラマンダーが横合いから挟んだ言葉に、C5F3m6は目を見開く。 「ま、そんな所だろうな」カーンが静かに後を引き取った。「お前たちは死んでも仲間を捨てたりしない。何百人ものウェアウルフを見てきたが、そんな奴は一人もいなかったよ」 「嫌なことを言ってごめんなさい。私たちには医療スタッフがいるし、薬もあります」ラビアタが言い添えた。突然話を振られたケシクがぴょこんと立って頭を下げる。 「助けられるかもしれないわ」 〈あと20分以内に会敵見込み〉 「……ここから南に下った、氷河沿いの崖の穴」C5F3m6はぽつりと言った。「そこに、みんな寝てる」 「人数は?」 「五人」 「自分で歩ける奴はいるか」 「いないわ……私だけ」 「よろしい。総員戦闘用意」ラビアタの言葉に、全員が素早く立ち上がった。  極地の夜は早い。まだ五時にもなっていないのに、すでにあたりはとっぷりと夜闇につつまれていた。幅広のハイウェイをはさんで広がる原野の向こう、急峻に立ち上がっていく山々のすそに、無数の赤黒い光点がひしめいているのが見える。凍てついた大気に耳をすませば、足音の轟きもかすかに聞き取ることができた。 「うひょー。すげえ数」ハイエナが呟いた。 「頑張らナイト、チック電もできないねえ」 「ぶはっ」 「そうね。私とカーンで遅滞戦闘を仕掛けます」ラビアタは無造作に言った。重い金属音とともにトロールスバードの刀身が展開し、彼女の身長の二倍近い長さになる。 「他のみんなはウェアウルフの案内で負傷者を回収後、氷河伝いにアンカレッジ方面へ抜けて下さい。夜明けまでには合流します。合流ポイントはBからF」 「了解」 「うーす」  口々にうなずく隊員達。C5F3m6は信じられない、というように大きく手を上げた。 「何言ってんの……? え、あんたとあんたが隊長なのよね? その二人が捨て石ってどういうこと?」 「捨て石?」ウェアウルフ1640が怪訝そうな顔をした。「あそっか、あんたこっちで復元された口だもんね。生カーン隊長を知らないんだ」 「生ラビアタ隊長もね」とミナ。 「まあ、ちょっと大変な仕事になるかもね」ラビアタも笑った。「でも百年も戦っていれば、この程度のピンチは何度もあったものよ。ねえ、カーン?」 「弾は十分、体力は万全。欠けた仲間もいない」カーンも、片手にリボルバーカノンを抱え上げて微笑んだ。「ピンチの内にも入らないな」  カーンがさっと手を振ると、アンガー・オブ・ホードの全隊員が踵のホイールを起動し、甲高い唸りが周囲の空気を震わせた。ティアマト、ミナ、マーキュリーの三人はふわりと浮き上がり、ウルはC5F3m6といっしょにバーニングウォーカーの荷台へもぐり込む。 「作戦開始!」  迅速のカーンは一度踵を打ち鳴らしてから身をかがめ、二方向から押し寄せる鉄虫の群れのちょうど真ん中へ、稲妻のように突っ込んでいった。一拍遅れて、路面をくだく砲弾のような踏み込みとともにラビアタが続いた。  同時に残りの隊員達も反対方向へ駆け出す。そして、鋼鉄の嵐が巻き起こった。  ホードの隊員たちが目にしたことのある「本気のカーン」は常に独りだった。彼女と同じレベルで戦える者などいるわけがないからだ。  ストライカーズの隊員たちにとってラビアタ・プロトタイプは常に、自分たちだけでなくレジスタンス全体の長だった。彼女はいつでも最初のバイオロイドとしての責任と使命を背負い、過去のこと、将来のこと、そして全隊員のことをを考えていた。  だからかれらは知らなかった。自分と同等の相手に背中を預けた時、カーンがどれほど迅く駆けるのか。  だからかれらは知らなかった。すべての重荷を解かれ、ただ目の前の戦いだけに集中したラビアタがどれほどの戦闘者であるのか。 「おおおおおおおおおう!!」  リボルバーカノンが赤く輝く鉄虫のコアを貫き、砕き、また貫く。  思考の半分だけで目の前の敵を処理し、残りの半分で休息する……などという、節約じみた戦い方はもはや必要ない。脳の100%を叩き起こし、一体でも多く、一秒でも早く、一歩でも深く、敵を殺し、平らげ、蹂躙し尽くすことに全身全霊をそそぎ込む。その結果の隙だとか、消耗だとか、そういう小難しいことも考えなくていい。誰よりも巨きく、力強く、頼もしい剣が、いま自分の後ろにはそびえ立っているのだから。 「ぬうああああああああ!!!」  トロールスバードが鉄虫をなぎ払い、叩き潰し、またなぎ払う。  ここに守らなくてはならない弱者はいない。慮らなくてはならない主もいない。ただ芸術的なまでに鍛え抜かれ、研ぎ抜かれた牙を持つ一頭の狼だけが隣にある。今はただ、その最強の狼とどんな風に踊り、どのように戦場を組み立てていくか、それだけを考えていればいい。ああ、なんと愉しい仕事、なんと心躍る戦いだろうか。 「あれ絶対遅滞戦闘じゃないよね」 「もうあの二人だけでいいんじゃねーかな」 「呑気なこと言ってる場合ですか! 今のうちに距離を稼がないとです!」  バーニングウォーカーを中心にして、急傾斜の氷河を滑り降りるホードとストライカーズ。誰かが後ろを振り返るたび、鉄虫が破壊される新たな火柱が上がる。 「よかったねミナ! 氷河見放題じゃん!」 「もうちょっと落ち着いて見たかったんだけどなー!」 「私は……私たちは」遠ざかる戦いの光景を呆然と見ていたウェアウルフC5F3m6が、ふいに絞り出すように言葉を発した。「オルカを信じなかった。あんたたちの放送が本当だと思わなかった。なのに一月前のあの日、バンクーバーから輸送機が何台も飛び立ったと聞いて……それ以来、ずっと私たちはバラバラ。行くべきだったとか、もう遅いとか。ずっと後悔しかなかった」 「ああ、なるほど。あんた、それで出てきたのね?」操縦席のサラマンダーが振り向いた。「もう後悔したくないって。いいじゃない、そういうの」 「一つだけ言っておくことがあります」荷台のすぐ横を低空飛行するティアマトがきっぱりと言った。「私たちの司令官様は、差し伸べた手をいちど振り払ったくらいで見捨てるような、そんないじわるな方ではありません」  C5F3m6はうつむいた。激しく揺れる荷台の振動で、月明かりにちらりと、水滴のようなものが舞った。 「……ありがとう。ごめんなさい。私たちを助けて。おねがい」 「任せなって!」バーニングウォーカーの足元から、ウェアウルフ1640が大声で怒鳴った。  冷たく輝く星空の下、穴やヒビが一面に開いた古いハイウェイを、二人のバイオロイドが歩いていた。  服はボロボロ、あちこちに擦り傷や火傷を負っているが、大きな怪我はなく足取りも確かだ。 「思えば、こんな風に二人で戦ったことなかったわね。けっこう長い付き合いなのに」 「ホードはあまり他と組まないしな。それに私が来た頃にはもう、あんたは全軍の指揮官だった」 「そうだったわね」ラビアタ・プロトタイプは焼け焦げのできた長手袋を脱ぐと、両手を組み合わせてぐっと上に伸ばした。 「ねえ、信じてもらえるかしら。私、この旅がけっこう楽しいのよ。もちろん、大事な任務だとわかってるけれど」 「そうだな」迅速のカーンは歪んでしまった左のレッグブレードを何度も引っ張って取り外す。「帰る場所……帰りたい場所があって遠くに行くのは、いいもんだ。根無し草の旅とは全然違うな」 「アンカレッジで一息つけたら、バーでも探してみない? こんどは戦術論なんか、ゆっくり話したいわ」 「構わないが、あんた意外と絡み酒だからな」 「え、嘘!?」 「自覚なかっただろ」  やがてハイウェイの彼方に、見慣れた矩形の明かりが小さく見えてきた。バーニングウォーカーの灯火だ。誰かが手を振っているのも見える。まだ顔まではわからない。  二人のバイオロイドは一度だけ、お互いの拳を小さく打ち合わせ、それから大きく手を振りかえして歩を早めた。 End ===== 「おそらくそれは、シュールストレミングというものではないでしょうか。ニシンを塩漬けにして発酵させたスウェーデンの伝統食品で、画像がこちらに」 「ほらー! ほらあー!! やっぱり失敗してなかったじゃない! お姉さんのツナ缶製造機ちゃんと動いたじゃないーーー!!」  何やら一人で憤慨して、鼻息も荒く去っていくフォーチュンの背中に向かって、ムネモシュネは静かに頭を下げた。ツナ缶製造機でシュールストレミングができたのなら、それは失敗なのではないだろうかと思いながら。  記憶の箱舟には「人類が残したすべての記録」が保管されている。具体的にはそれは、旧時代に公共または商業電子ネットワーク上に存在していたありとあらゆるデータを収録した超巨大なメインアーカイブと、電子化されていない紙の文書記録や書籍、絵画、音楽、映像作品などを可能な限り収集・データ化したこれも巨大なサブアーカイブからなる。レモネードデルタの侵攻により深刻な被害を受けはしたが、無事に残った部分だけでも世界最大規模のデータベースであり、レジスタンスの今後の作戦計画においても、もっと身近な日々の生活のためにも、情報源としての価値は計り知れない。  しかし一方、その情報量はあまりに膨大すぎて、扱い方をよく知らない者がアクセスしても簡単には求める情報にたどり着けない。それにまた、箱舟は人類共通の遺産でもある。オメガの暴虐は論外としても、不用意なアクセスによりデータを損なうことは厳に避けねばならない。  そんなわけで、知りたいことや調べたいことのある者に代わって適切にデータベース内を探し、しかるべき情報を速やかに引き出す、いわば「司書」の役割が必要ではないか?という議論がオルカで起こったらしい。そしてその任には、これまで箱舟の管理者だったムネモシュネがあたることになった。  ムネモシュネにとっては、長年慣れ親しんだ業務の一環である。むろん人間から直々の任命であれば断ることなどありえないが、不満も不安も少しもない。ただ想定外だったのは、閲覧窓口が開設初日から大盛況だったことだ。 「質のいい読み物が欲しいの。そうね、ピュリッツァー賞とゴンクール賞の歴代受賞作を、新しい方から10年分くらいお願いできる?」 「『陳氏菜経』の李卓吾本はありますか? 隆慶以降の校閲版では削除されたレシピが載っていると聞いたことがあるもので」 「ダイエット法を調べてください。できるだけ簡単でよく効くもの……」 「火星の開発状況の情報って見られますか」 「昔サンディエゴの空軍基地で最初のグリフォンモデルに飛び方を教えたっていう伝説のテストパイロットのこと、何かわかる?」 「マジカルモモ! マジカルモモの資料をあるだけお願いします! 設定資料と台本と絵コンテと、あと製作スタッフの個人SNSで公開されたラフデザインとか、そういう非公式なやつは特に重点的に!」  一般来館者用の第二閲覧室に設けられたカウンターには朝から晩まで行列が絶えることがなく、受付時間を一時間以上延長して、それでも足りずに翌日用の整理券を急遽配布することになった。 「……ふう」  初日だから皆、物珍しさで来ているのだろう。慌ただしかった一日の最後に、ムネモシュネはそう結論づけた。  しかし、翌日も、その翌日も、窓口はやはり大盛況だった。 「ご希望の15坪前後のカフェの設計図ですが、近代欧米のものを中心に32件見つかりました。それとノルウェーの建築法規集がこちらです」 「ありがと。ホライゾンの連中ってば、意外と注文が細かいのよ。ちょっと勉強し直さないと」 「こちらが当時の業界紙、こちらは芸能関連のエッセイ類です。これらを見る限り芸能プロデューサーというのは商業面の責任者のことであって、アイドル個々人の身の回りの世話や精神面のケアといったことは業務に入っていなかったようです」 「ほら、だから言ったじゃない!」 「ええー! だって聞いたもん! プロデューサーはアイドルの一番のファンでパートナーだって! だから私達も司令官に」 「それゲームの話じゃないの?」 「旧時代の主要な大型船舶輸送航路と、主な海難事故のニュース記事です。両者のデータを重ね合わせれば、大型船舶が沈んでいる座標が調べられるかと」 「うーん、そういうのもいいけどさ、もっとこう、謎を秘めた海賊の財宝の地図とかないの?」 「フィクションの資料でよろしければありますが……」 「ふう…………」  一日の終わりに消耗を感じるなど久しぶりだ。デルタの襲撃からオルカがやってくるまでの二ヶ月間、ムネモシュネはほぼ不眠不休で施設の修復と警戒にあたっていた。その頃と比べれば、問題にならないほど楽なはずなのに。  オルカの幹部クラスや技術・情報系の上位スタッフなど、業務上データベースを使う者には個別のアクセス権が与えられている。だから閲覧カウンターを訪れるのは、プライベートで知りたいことや読みたいものがある者だけだ。それがこんなに大勢いるということが、ムネモシュネにはひどく意外だった。  ムネモシュネ自身も、業務外でデータベースを閲覧したことはある。吹雪の夜など、たまに植物図鑑や花畑の写真を眺めたりしたものだ。しかしそれには、「命令されていないことを勝手にやっている」という罪悪感が常に伴った。オルカのバイオロイド達に、そんな様子は少しも見られない。彼女たちが特別なのだろうか。それとも、自分のように感情モジュールを抑制していないバイオロイドにとっては、それが当たり前なのだろうか。  その日、最初に訪れたのは一体のAGSだった。 「ここは、AGSの申し込みも受け付けているのかな」  人間とほぼ変わらないサイズのボディ。丸みのある女性型のシルエットに、白と水色を基調にした涼しげなカラーリング。箱舟のデータにあるどのAGSとも違うが、この外見については通達を受けている。ムネモシュネは丁寧に頭を下げた。 「いらっしゃいませ、グラシアス様。その節はお世話になりました」  彼女……ビスマルクコーポレーションのグラシアスはオルカとは別にこの島に駆けつけ、デルタ勢力の駆逐に協力してくれていたという。本来の姿は巨大なドラゴンだが、オルカの技術陣が新しいボディを作ったのだそうだ。 「礼を言われるようなことはできていない。襲撃自体を止められなかったのだから、むしろこちらが詫びなければならぬ」  氷の花弁のような装飾の付いた頭を振って、わずかに視線を落とすグラシアス。その優美な仕草に、ムネモシュネはしばし見入った。 「……それで、本日はどのようなご用でしょう」 「うむ、捜し物をしている。ここは、コンピュータゲームのデータなどは置いているだろうか?」 「もちろんです。題名をどうぞ」コンピュータゲームを欲しがる隊員は実際多い。ムネモシュネは手慣れた指さばきで該当ジャンルの検索窓を呼び出した。 「助かる。『サイクロプスプリンセス 強襲!スクランブル大魔境のマッスルウェディングベル』というのだ」  ずいぶんと長い名前だ。ニュースやレビュー記事らしきものがいくつもヒットしたが、プログラムファイルのカテゴリからは部分一致のデータばかり出てくる。サイクロプスプリンセスの名を冠したゲームは、どうやらずいぶん沢山あるようだ。 「メーカー名や対応プラットフォームなどはおわかりでしょうか」 「すまぬ、名前以外は詳しくないのだ」  ムネモシュネはレビュー記事を一件開いて内容を読んでみた。「あ……これは、『アーケードゲーム』と呼ばれる種類のものですね」 「そうだったかな。その、アーケードゲームというのだとデータがないのか?」 「残念ながら……」  配信されたゲームであれば一般市場にデータが流通しており、それらは残らず保存されている。しかし専用店舗に筐体で置かれるアーケードゲームは、基本的に個々のハードウェアの中にしかデータがない。メーカーや工場の内部サーバにはあっただろうが、そこまで踏み込んで保存できたケースは稀だ。「人類が残したすべての記録」と謳ってはいてもそれは理念であって、限界はあるのだ。 「そうか……いや実は、小さい方の姫君が、そのゲームを知っているらしくてな。この間、姫と楽しそうに話していたので、遊ばせてやれたら喜ぶかと思ったのだ」  検索結果の表示されたホロディスプレイに指をふれて、グラシアスは残念そうに言った。発光機能を備えた光学センサーに過ぎないはずのその両眼が、ムネモシュネにもはっきりと寂しげな眼差しに見えた。  AGSの情報処理系には感情モジュールが標準搭載されており、最高級モデルともなればほぼ人間と同等の感情表現も可能になる。知識として知ってはいたが、実際にその最高級モデルを目にしたのは初めてだ。機械でありながらこれほど情緒豊かにふるまえるAGSがいるなら、それは自分のような……生物でありながら機械に近づくことを求められたバイオロイドの、ほとんど上位互換といえる存在なのではないか。ムネモシュネはふとそのように考え、そんな羨望めいた気持ちが自分にあったことに驚いた。 「つまらぬことで煩わせたな。姫への贈りものは、また別に探すとしよう」 「お待ち下さい」きびすを返したグラシアスを、ムネモシュネは呼び止めた。「力不足で申し訳ありません。もう少し調べておきますので、明日またお越しいただけませんでしょうか」  その日一日、ムネモシュネはわずかな暇を見つけては改めて検索をかけてみたが、結果は同じだった。  より深く潜ってデータベースの中を直接探す方法もあるが、ムネモシュネ自身そういうジャンルに詳しいわけではない。そもそも「記憶の箱舟」計画の重点は自然誌や学術論文・公文書など公共性の高い記録にあり、文化・芸術、それもサブカルチャーには相対的に関心の薄い方だったはずだ(もちろん、それでも膨大な量のデータがあるのだが)。検索で見つからないものが、他の方法で出てくる可能性は低い。受付時間が終わり、夜間の淡い照明に切り替わった閲覧室で、それでもムネモシュネはホロディスプレイに向き合ったまま動かなかった。  脳裏から、グラシアスの寂しげな眼差しが離れない。自分でもよくわからない理由によって、あの眼差しをそのままにしておいてはならないと、ムネモシュネは強く思った。  自分の能力が及ばないならば、他者の手を借りるしかない。さいわい昔と違って、今の箱舟には大勢の他者がいる。 「ふむ。それでその、サイプリさんのゲームを探すのを手伝ってほしいと」 「はい。勤務時間外にご負担をおかけするのはたいへん恐縮ですが……」  すでに部屋着に着替えナイトキャップまでかぶっているT-9グレムリン1933、オルカのグレムリンに向かってムネモシュネは深々と頭を下げた。  オルカが箱舟に来て間もない頃、このグレムリンは真っ先にムネモシュネの所へやってきて、数テラバイトにおよぶ何かのゲームのデータをダウンロードしていった。実際の所、データベースへの無制限のアクセスが差し止められたのは、彼女をはじめとする数名の隊員があまりに頻繁にダウンロードを重ねたのがきっかけともいえる。  グレムリンは難しい顔をして腕を組んでいる。夜間に突然部屋に押しかけられて、迷惑に思っているのだろう。それも当然だ。だが彼女にはおそらくダウンロードしたいデータがまだまだあるはずで、自分の立場であればそれを見返りとして提示できる。ムネモシュネなりの精一杯の打算であったが、 「是非やらせて下さい!」  案に相違してグレムリンは、にんまりと実に嬉しそうな笑顔でナイトキャップを脱ぎ捨てた。 「ご協力いただけるのでしょうか」 「あったり前じゃないですかオタクはそういうの大好きなんですよ! さあ行きましょうすぐ行きましょう」  逆に手を引っ張られるようにして戻ってきた閲覧室で、ムネモシュネは改めてここまでの経緯と、検索結果を説明した。 「『スクランブル大魔境のマッスルウェディングベル』名前は聞いたことがあります。2090年代あたりのタイトルだったかな」  言いながら、グレムリンはキーを叩いて検索をかけている。当然ながら、ムネモシュネと同じ結果が出た。つまり何もない。 「なるほど、こうなるわけね。古いゲームだし、生きた筐体が残ってるってことはないよねえ……アケゲー……アケゲーのデータかあ……」  ブツブツ呟きながらさらにしばらくいくつかのキーワードを試したり、ファイルリストを眺めたりしていたグレムリンがふと目を上げた。 「旧時代のインターネット上にあったデータは、全部ここにあると思っていいんですよね」  ムネモシュネは頷いた。「『記憶の箱舟』計画の開始から人類滅亡までの30年あまりの期間に存在したあらゆるウェブページ・コンテンツについて一日単位のスナップショットが保管されています。先日レモネードデルタに破壊された分を除いてですが」 「それは、非合法な内容のサイトでも?」 「はい。コンテンツの内容による例外はありません」 「うーん」グレムリンは眼鏡をクイッと直し、顔をしかめてキーを叩いた。いくつかの検索ワードが流れては消え、やがて一つのウェブサイトのスナップショットが現れる。黒い背景に灰色のおどろおどろしい書体で「HAVEN」とだけ書かれている。 「これは?」 「違法ROMデータが置いてあるサイトです。ほんとはゲーマーの道義としてこういう所に頼りたくないんですけどね、まあ今の時代ならセーフで、す、よ、ね……っと」  グレムリンはサイトの内部をあちこち巡回したのち、トップページにある検索窓に、 「SE_KI_GA_N_NO_HI_ME」 と入力した。  隻眼の姫。サイクロプスプリンセスのことだろうか。英語のサイトなのに、なぜ日本語のローマ字などで検索を? ムネモシュネがその疑問を口にするよりも早く、 「ビンゴぅ!」  グレムリンが明るい声を上げた。「多分これです。えーダウンロード、一応ウイルスチェック……」  画面内では数十ギガバイトほどのデータが、ローカルストレージに引き出されている。解凍されたファイル名には確かに「cyclops_princess_romwbish」とあった。 「エミュレータは……同じサイトにあった、よしよし。でもいっぺん走らせてみないとね。すいません、これ一旦私の方で預かっていいですか? 明日の朝にはちゃんとしたのをお渡ししますんで」 「ありがとうございます……」ムネモシュネはほとんど呆然と呟いた。「あの、今のキーワードはどのような?」 「ああ、こういうアングラなデータって検索よけにわざと名前を変えてあることが多いんですよ。英語のサイトならファイル名だけ日本語にするとか、一音ずつ区切るとか」 「検索よけ……ですか」 「検索で見つけやすいってことは、警察とかに見つかりやすいってことでもありますからね」  そんなテクニックがあること自体、ムネモシュネには想像の外であった。「感服いたしました。ありがとうございます」 「いえいえ」朗らかに笑うグレムリンに、ムネモシュネはもう一度、深く頭を下げた。 「あ、ところでこのサイトもうちょっと見てっていいですか? 意外と貴重なROMがちらほら……」  瞳と眼鏡のレンズを輝かせて画面に見入り始めるグレムリン。先ほどゲーマーの道義がどうとか言っていた気がしたが、ムネモシュネは触れないことにした。  翌朝、約束通り窓口を訪れたグラシアスは、二人分のコントロールパネルとホロディスプレイ投影装置を備えた立派なポータブル筐体を見て飛び上がらんばかりに喜んだ。 「こんなものまで保存されているのか、ここは。すごいものだな」 「いえ、箱舟にあったのはデータだけです。そのほかはグレムリン1933様が、すべてあつらえて下さいました」 「おお、その者にも礼を言っておかねばなるまい。姫君たちが大喜びすることだろうな」  一抱えもある筐体を大事そうに撫で回すグラシアスを見ているうち、 「人間様は、なぜ、箱舟の管理者として本モデルを作ったのでしょうか」ふと、そんな言葉が口をついて出た。 「何と?」  表情のないフェイスパネルが、きょとんとしているのがわかる。ムネモシュネは急いで言葉を継いだ。 「本モデルはバイオロイドでありながら、機械のような精密さと堅牢さを求めて開発されました。この業務にはそうした性質が必要だったからです。ですが、グラシアス様のような……」 「まるで人間のような感情表現をする機械がいれば、それで間に合うのではないか、と?」グラシアスはおかしそうに、その先を引きとった。 「それは感情モジュールを買いかぶりすぎだな。私たちの感じているこれが人間の感情と本当に同じものかどうか、確かめる方法はないのだ。それから、これは想像になるが……」  グラシアスは口元にあたる部分に細い指をそえて、周囲を見回した。 「この箱舟は、地球に生きた生命の記憶を保存する施設だ。ならば、それを管理し、守る者は同じ『生命』であってほしいと、人間たちは思ったのだろう。私のような機械ではなく。……つまるところは、思い入れの問題だ」 「思い入れ……」 「人間というのは勝手な思い入れを、勝手な相手に託すものだ。私はそれをよく知っている」グラシアスは肩をすくめて、苦笑するようにクックッと小さな音を発した。「相手にもよるが、私は誰かの思い入れを背負うのは嫌いではない。そなたはどうだ?」  ムネモシュネは遠い、遠い昔の人間たちを思い返した。もう顔も覚えていない、ウォッチャー・オブ・ネイチャーの研究者たちを。  そうか。自分は、彼らに託されたこの仕事が好きだったのだ。ムネモシュネは理解した。だから探し物を見つけられないままグラシアスを帰したくなかった。だから、自分がこの仕事にとって意味のある存在だと思いたかったのだ。 「はい。本モデルも……同じように感じます」  ムネモシュネはもう一度、グラシアスに深く頭を下げた。 「ご要望の動画リストです。2100年代前半の動画配信サイトから、できるだけチャンネル登録者数の少ない零細配信者の、政治・社説系の談話を選び出しました」 「ありがとー! そうそう、こういうのが欲しかったんだ。動画は文書より改竄しにくいし、知名度が低いほどオメガの手が届いてないやつも多いでしょ? こういう所から昔のことを復元してみたいんだ」 「それであれば、欧米の新聞で一般的だった風刺的な一コマ漫画なども役に立つかもしれません。後日リスト化しておきます」 「それいいね! お願い!」  ムネモシュネは今日もカウンターに立つ。  あれからグラシアスは訪れていない。次に来たら紹介しようと、他にもサイクロプスプリンセスに関連したゲームをいくつかダウンロードしてあるのだが。  あの日の朝、筐体を届けてくれたグレムリンが、 (思い出しました。これクソ……ああいえその、個性的なゲームとして有名だったやつです)  そんなことを言って苦笑いしていたのと関係があるかもしれないと思うが、ムネモシュネにはよくわからない。いずれにせよ閲覧窓口は今日も盛況で、お客も仕事もひっきりなしだ。 「しばらく腰を落ち着けることになりそうなので、野外に菜園を拓きたいと思うのです。ここのような寒い土地でも作れる野菜や果樹について、調べたいのですが」 「それでしたら……」  指先がキーの上をすべって、止まる。  ほんの一瞬、ためらうように震えてから、ムネモシュネはきゅっと唇をむすんで検索窓を閉じ、カウンターの向こうの二人……オベロニア・レアとティタニア・フロストの方へ向き直った。 「……その分野でしたら、本モデルがいくらか知っております。検索なさるより早いかと存じます。よろしければ午後にでも、種子保管庫をご案内させていただけませんか」  笑顔でムネモシュネはそう言った。小さくほのかで、だが確かに暖かい、冬の花のような笑顔だった。 End