1. はっ、はあっ……ごめんなさい、遅れました! ちょっと思ったより用事が長引いてしまいまして…… そういえば、これはいったいなんの集まりなのでしょうか? 呼ばれたまでは良いのですが、内容をちゃんと聞けていないもので…… はつたいけんのはなし? それはつまり……ええ……? ――ちょうどいいから次は貴女の番? …………ええっ!? 私とお兄――ト、トレーナーさんとのはじめてをって事ですか!? そ、そんなの恥ずかしすぎて言えません……っ! みんな話してるからって言われても、私来たばかりで誰の話も聞いていませよ!? こんなことならもう少しお兄さんと――あ、今の無しです!なんでもありません聞かなかったことにしてください! ……話してくれたら考える? うぅ……本当ですよね? 約束ですよ? …………凱旋門賞へ向けてフランスに向かった最初の日です。 フランスにはパラスホテルと呼ばれるホテルがあるんですけど、私の家の方で奮発して、その中でも選りすぐりの場所を選んでそこのスウィートルームを借りたんです。 フォワ賞にも出るので、ホテル側にも無理を言ってるのを承知で一か月ほど部屋を取っていました。 はい。私の方は最初からそこで結ばれるつもりでした。 トレーナーさんは何度誘っても、そういうのは卒業まで待とうの一点張りだったので、こちらから勝負をかけたんです。 お兄さ――トレーナーさんの私への愛は本物だって信じてますし、それを疑った事なんて一度もありません。 ……でも、キスだけとか、抱きしめ合うだけとかじゃやっぱり足りないじゃないですか。 話を続けますね。部屋まで案内してくれたボーイの方に、しばらく部屋には誰も来ないよう伝えてからトレーナーさんに抱きついてキスをせがみました。 ……それで、ですね。トレーナーさんとお付き合いするようになってからよくキスするんですけど、実はその度にその、ショーツの方が、ですね。……はい。 えっと、そんな感じなので、彼の腕を掴んでアソコを直接触って確かめてもらったんです。 キスでこんな風になる私の事を、どうか愛してくださいって言葉を伝えながら。 後はそのままベッドに連れていかれて押し倒されて。 ……恥ずかしいんですけど、私の方が辛抱できなくなってしまいまして。 準備なんていりません、そのまま貫いてくださいって懇願したら、我慢できなくなったトレーナーさんがそのまま私の初めてをもらってくれました。 はじめてだから痛いとか、何かが破れる感覚とか、血が出るみたいな話は聞いていたのでちょっと覚悟していたんです。 けど、そういうのは一切ありませんでした。むしろ最初から腰が浮くような気持ちよさだったんです。 ……良かったと思いますよね? でも当時の私は逆に怖くなってしまいまして。 今思うとあり得ないんですけど、私が知らないうちにこの身に何かあったのではないかなんて考えをしてしまって、酷く動揺して、遂には泣き出してしまったんです。 そんな私に、お兄さんは落ち着くまで大丈夫だよって優しく抱きしめて、キスしてくれて。 やっと落ち着いてきた私に、激しい運動をしているうちに膜が破れているのはよくあることだよって、教えてくれたんです。 それに、私がどうであっても愛してるこの気持ちは揺るがない。絶対だって。 その言葉を聞いた瞬間、不安だった胸の中が全部好きと幸せでいっぱいになりました。 ……あとですね。お兄さんは全然動いてないのに、私の大事なところがきゅんきゅんってなってしまって、それだけで達しそうになっちゃったんです。 必死にイキそうなのを我慢してたんですけど、お兄さんには苦しそうに見えたみたいで、大丈夫かって心配してくれた時は嬉しさでまた上り詰めそうになってしまって。 せめて一緒にが良かった私は我慢しながら、大丈夫です、お兄さんが気持ちいいように動いてくださいって。そう答えたんです。 最初の方は、私に気を使ってなのかとてもゆっくりとした動きでした。 でも、ですね。その時の私はもう何をされてもイキそうだったので、正直生殺しにされている気分でした。 だからもっと激しく動いてくださいっておねだりしながらキスをして、必死に耐えたんです。。 さっきも言いましたけど私、初めてはどうしても一緒が良かったので。まさか快感に耐える事になるなんて思ってもいませんでしたが。 私の言葉を聞いて、お兄さんもだんだんとペースを上げて、深く抉る様に、どちらかといえば私を味わうかのような腰使いに代わっていきました。 最後の方は余裕が無かったからか、ちょっとだけ乱暴で。それでも、もうギリギリのところで張りつめていた私が達するのには十分なものでした。 私に腰を深く強く押し付けて、一番奥でお兄さんが中にいっぱい出してくれたのを感じた瞬間、頭の中は今まで我慢していた快感で真っ白になりました。 ずっとイキっぱなしで――後でお兄さんに聞いたんですけど、その時10秒くらい痙攣してたって。 お兄さんのは、私の中で固いままでした。していないんだ。なのにお兄さんが私の中から引き抜こうとしたから、こう言ったんです。 私は大丈夫ですから、お兄さんが満足するまで、いっぱい私の体を使ってくださいって。 ――覚えているのは、ここまでです。 ……その、日が沈む前にそういうことを始めたんですけど、落ち着いた頃には日付が変わる前だったんですよね。 お互いにベッドの上から抜けようとしたら、揃って腰が抜けていて動けなくなっていまして……結局、朝までそのままでした。 キスの時にこっそり元気になるお薬を流し込んだのがちょっと効きすぎたんですね、えへへ。 ……え?ナマでそんなにされて大丈夫だったのか、ですか? 元々レースの調整の為にピルも飲んでますし、出場停止をもらうような薬品も使ってないですよ。だから安心してください! これで私の話は終わりです。レースの結果もご存じのとおりですよ、フフッ♪ ……ちゃんと言ったから、みなさんさっきの事は忘れてくれますよね? 2. ウマ娘とトレーナーは適切な距離感を保つ事が大事だと、先輩は言っていた。 彼女達に入れ込み過ぎるな、特に異性同士であるならば若い、言ってしまえば思春期の彼女達の男性観を壊してはならない、と。 確かに、チームトレーナーならともかく専属となると、自然と彼女達ウマ娘との距離感は近くなってしまう。 年上の異性が自分の為に時には熱心に、時には献身的に、しかもつきっきりで自分一人を支えてくれるのだ。 親愛と恋愛の区別が曖昧な時期にそんな体験をすればどうなるかなんて、想像に難くない。 『お兄さん』 ――しかし。 しかしだ。幼い頃に既に会っていた場合はどうなるのだろうか。 『指切り、しませんか?』 小さな頃の約束を、幼い思い出と笑わず再会を果たしたとき、それは彼女の中の男性像を守ったことになるのか、それとも。 「どうかしましたか?」 彼女の名はサトノダイヤモンド。俺の担当ウマ娘である。 彼女との出会いは、もう何年も前になる。 河川敷で小石に足を取られて転んだ彼女に慌てて駆け寄り、怪我の手当をしたのがきっかけだ。 それから随分と懐かれてからしばらくたったある時、実は互いにトレセン学園入りを目指しているなんて話をした時に、こんな話をされたのだ。 もしかしたら今日で会えるのは最後かもしれない。 だから約束してほしい。 もしも学園で再会できたなら、その時は私の担当になってくれませんか、と。 俺なんかの言葉で少しでも彼女のやる気が出るのならばと、軽い気持ちで彼女と指切りを結んだのを覚えている。 所詮は小さな頃の約束だ。トレセン学園に入学するその頃には、彼女の方は忘れているだろうとも思っていたのだ。 「お兄さん? さっきからボーっとしてどうしたんですか?」 まあ、そんな事はなかったわけだが。 「昔の事を思い出していてさ。ほら、河川敷の」 「まあ、懐かしいですね……」 じっと自分の左手を見る。 あの時約束を交わした小指の隣には、彼女と対になる銀の指輪が嵌められていた。 「あの時は君とこんな風になるなんて、まったく想像していなかったな」 「そうですか?私はあの時からずっと、いつかこうなる事を望んでいましたよ?」 「そっか。じゃあ、俺は守れたのかな」 「?」 「こっちの話さ」 改めて、先輩の言葉を思い返す。 ウマ娘とトレーナーは適切な距離を保つ事が大事だ。俺達は彼女達の男性観を壊してはいけない。 俺は彼女との約束を果たし、その男性観を守る事は出来た。それは間違いないと信じている。 だが、距離感の方はどうなのだろうか? 「ダイヤ」「はい、なんでしょう?」 「俺と君の適切な距離って、なんだろうな?」 「また変なこと考えてますね……えいっ」 彼女は疑問を呈す俺に対して、急に抱きついてきたかと思えば、その胸に顔をうずめてきた。 「これが私とお兄さんとの適切な距離です。他の誰でもない、私達だけの距離感です」 「そうか」 「わかりましたか?」 「……充分に感じたよ」 他の誰でもない彼女がそう言うなら、そうに違いない。 俺はダイヤの事を優しく抱き返しながらそう思うのだった。 2のおまけ 「お兄さんって、いつも夕陽をボーっと見てますよね」 「……そうか?」 「そうですよ。学園で再会してからずっと、そんな感じで眺めてましたよ?」 「なにか理由があるんですか?」 「さあ?」 「さあ?って……」 ……夕陽の向こうから自分と似たような誰かが呼び掛けてくる気がするんだ、などとは言えない。 彼女との約束を今度こそ忘れないよう。 今度こそ、誰も泣かないように。 ――約束を忘れるとは、何の話だろうか? 「本当に何でもないよ。さ、行こう」 少なくとも俺は忘れることはなかった。それでいいのだ。 夕陽の中の誰かは手を繋いで帰る俺達を見て静かに微笑み消えて行った、気がした。 3. 【モブ視点メインの為注意】 僕の方が先に好きだったのに、というのはあまりにも身勝手な話だ。 言ってしまえば勝負もしかけずに負けた者たちの遠吠えであり、そんな事相手からすれば知った事ではない。 ……そう、知ったことではないのだ。 休日の喫茶店で時間を潰していると、そんな考えがぐるぐると頭の中を巡る。 あいつの報せを聞いてからはいつもそうだ。その度にかぶりを振ってそんな考えを追い払う。 それは手元にある新聞の記事が原因なのは間違いなかった。 『サトノダイヤモンド、担当トレーナーとの婚約を発表!!』 そうタイトルに書かれた記事には、左手の薬指に指輪を嵌め、幸せそうに微笑む二人の写真。 トレーナーとウマ娘が結ばれる事はそう珍しい事でもない。だが、在学中にこういう事は稀だ。 記事を読めば、中々にロマンチックな事が書いてある。 なんでも、トレーナーと彼女は幼い頃に一度会っており、別れの際にトレーナーとウマ娘としての再会を誓い合ったのだそうだ。 そしてその約束は見事果たされ、トゥインクルシリーズの三年間を駆け抜けた末に、彼らはこうして結ばれた。 写真の彼女の隣で、同じように幸せそうに微笑む男を見る。 彼とはいわゆる幼馴染の関係だった。 家が近かったのもあって、小中高とずっと同じ学校に通っていた。 幼い頃の彼はどちらかといえば物静かな人だった。 だが決して消極的な人間ではなく、むしろ積極的に何かをするタイプだった。 ただ、誰にも伝えないで行動しようとするので、結果として周りが困惑する事が多かった。 『ちょっと、そっちは違う道よ』『あっちに洋菓子屋があるから行きたくて……』 『ダメ』『待って持ち上げないで』 勝手にどこか行こうとする度私が連れ戻し 『そういう事はしっかり言いなさいよね!』『ご、ごめん……』 何も言わず行動する度私が叱る。 それは腐れ縁からの義務感だとかそういうのではなく、望んで私がやっていた事だった。 世話焼き女房だの夫婦漫才だの、冷やかしを受けようが知った事ではない。 こいつには私が居なきゃ駄目なんだ。私が付いてないと。 そう思っていた。 『トレセン、受けなくてよかったの?』『うん』 『受けてもいいって、お父さんとお母さんからは言われてたんだろ?』 私はウマ娘だ。 ならば当然、入学試験を受ける機会はあった。 でも、体を動かすことはともかく、他の子たちほど走る事への興味は薄かったので受けることはなかった。 『私アスリートになるほど走る事に興味がある訳じゃないし。それに……』『それに?』 『……あんたから目を離すのが心配だもん』 『……そんなに?』『そんなに、よ』 嘘だ。本当はただ少しでも離れる可能性を避けたいだけだった。 でも、当時の私はそれを素直に言うことはなかった。 『そっか……ごめん』 『……なんで謝るの』 申し訳なさそうにする彼の顔を思い出す。 思えばそれが転機だったのかもしれない。 中学に入り彼は変わった。 勝手な行動を控えるようになり、私が世話を焼く回数が減ってしまった。 『……なんか変わったね』 『お前に迷惑ばかりかけられないからさ』 その言葉に嬉しさを感じると同時に一抹の寂しさを覚えたのは、きっときのせいじゃないだろう。 __________________ 自分の恋をきちんと自覚したのは、中学三年になっての事だった。 一緒に帰ろうと彼を探していると偶然、校舎裏で彼が告白されているのを目撃してしまったのだ。 結局彼は告白を断り、女子は涙で目を濡らし走り去ってしまった。 が、それに安堵している自分に気が付いてしまった。 そう、私は他人の失恋を見て、自分の恋に気が付いたのだ。 ――だが、私がこの想いを告げた時、彼はどう答えるのだろうか。 私はそれを聞くのが恐ろしかった。 高校に入って、いつもの様に二人一緒に登校していた時の話だ。 『俺決めたよ。必ず中央のトレーナーになる』 『元々なりたいって言ってなかったっけ? どうして改めて?』 『……帰り道に河川敷でちびっこ達と遊ぶことがあってさ』 『そんな事してたの?』 当時私は文芸部に入っていて、彼は勉強に専念したいとの事で帰宅部だった。 『なんとなくな。……それでさ、そこに居たウマ娘の子が、もしかしたら今日がここに来られる最後の日かもしれないから、約束しようって』 『へえ』『もしお互い中央に来られたら、担当になってほしいってさ』 私が言えた義理でもなかったが、回りくどい事をする子もいるものだなと当時は考えていた。 『……大きくなった頃には忘れてるかもよ?』 『俺もそう思う。でもさ、もし彼女が中央に来れた時に約束を覚えてて、俺が居なくてがっかりするなんて事させたくないから』 『……そ。夢、叶うといいね』『叶えるさ』 実際、彼は鋼のような意志をもって狭き門を潜り抜け、中央入りを果たして見せた。 トレーナーという職業は人気はあるが非常に狭く高い門だ。その中でも中央のトレーナーなんてエリート中のエリートである。 普段なんでもない様なそぶりだった彼が、どれほどの努力をしていたのかは想像もつかない。 夢を追いかけるその姿になんとなく遠慮してしまい、うだうだ悩んでいるうちに私自身が就職活動や社会人となってからの忙しさに翻弄されて――ここまで来てしまった。 ……いや、何度も会う機会はあったはずなのに、私はそうしなかった。 出来なかった。 『あのね……』 『ん?』 『……頑張って。私、応援してるから』 『ありがとう。お前がそう言ってくれるならきっと頑張れる気がする』 進学が決まり、一人暮らしが決まった彼との別れ際にかけた言葉と、彼の笑顔を思い返す。 『……』 『……大丈夫だよ。もう迷惑はかけないから』 黙ったままの私を見て何を思ったのか、彼は何も心配いらないと笑って見せる。 違う。 違うの。そうじゃないの。 わたしはただ、貴方と―― 『俺も応援してるよ――お前にもさ、ちゃんと自分の道を行ってほしいんだ』 『…………うん』 違うとは、言えなかった。 あの時素直に言えていれば、何か変わっただろうか。 彼は私の想いに応えてくれただろうか。 でも、結局私は言い出せなかった。 怖かったのだ。お互いの距離感が壊れることが。 ……もう伝えることもないだろう。 もうお互いにいい大人だ。昔だってそうだが、なおの事彼に迷惑をかけるわけにはいかない。 「はあ……」 氷が解け、せっかくの味がすっかり薄くなってしまったアイス珈琲を飲みながら、今日何度目かのため息をつく。 私の方が先に好きだった、なんてものは身勝手な話だ。 言ってしまえば勝負もしかけずに負けた者たちの遠吠えであり、そんな事相手からすれば知った事ではない。 そして私もそんな負け犬の一人――これはそれだけの話。 4. 格好つけることを覚えなさい。かつて大学の講習にやってきたベテランのトレーナーはそう言っていた。 私達はウマ娘を支え導くもの。 その為の知識を身に着け、君たちはトレーナーとしての道を歩もうとしている。 だが、彼女達に走りを教えるだけでは不十分だ。 彼女達の活躍が増えれば、自然と注目を集めることになるだろう。 その時に見られるのは彼女達だけではない。彼女達に寄り添うそのトレーナーも、また同じ様に色眼鏡にかけられるのだ。 普段がだらしなくともかまわない。 自分の担当に恥ずかしい思いをさせたくないのならば、せめて締めるところは締められる様にしなさい。 身なりを整え、大人として恥ずかしくない振る舞いをし、規範を示す。それもトレーナーの役割だ、と 社会人として身嗜みを整えるのは当たり前の事だし、中央のトレーナーとしても恥ずかしくない様、常に意識はしている。 だが、俺は果たして彼女に相応しい振る舞いが出来ているだろうか。 俺が担当するウマ娘、サトノダイヤモンドはいわゆる名家のお嬢様というやつだ。 対して俺は、本来決して彼女に縁があるような家の出ではない。 だが如何なる神のいたずらか――偶然にも俺達は出会い、幾度かの交流を経て、別れの際お互いにトレーナーとその担当ウマ娘として再会を誓い合った事があった。 そしてその約束は果たされ――俺はトレーナーとして、そして彼女はその担当ウマ娘として今ここに居る。 彼女――ダイヤは昔と変わらず俺の事を『お兄さん』と呼び、親しげに接してくれる。 まるで兄の様に慕ってくれる彼女に恥をかかせる真似をする訳にはいかない、と思った。 そのためにまず何をするべきだろうか。 そう悩んだ末、俺はダイヤに悟られぬよう密かに彼女のご両親にコンタクトを取り、頭を下げることにした。 「どうか俺に、マナーを叩きこんではくれませんか」 と。 お二人に理由を尋ねられた時、俺は『彼女の隣に立つのであれば、せめて相応しい振る舞いを覚えたい』と答えた。 ダイヤはとても素晴らしいウマ娘だ。 きっと将来、俺の思い描く未来よりも遥かに輝かしい舞台に立つと信じている。 だから、例えそれがメッキであろうとかまわない。せめて彼女の隣に立つ間は、その煌きに相応しいトレーナーでありたかった。 彼女のご両親は君に覚悟があるのならばと、快く了承してくれた。 そしてその伝手で、彼らが信頼する講師に指導を受けることになった。 トレーナー業との兼ね合いもあった為にマナー講習自体は月に何度かという少なさではあったが、その少ない時間で確実に物とするために俺は必死で学んでいった。 それは基本的な心構えの確認から始まり、細かい所作はもちろんの事、あらゆる食事のマナーやパーティーや社交界でのマナーなどの覚えられる限りありとあらゆるもの。 そうして半年程経った頃には、講師からどうにか合格点をもらえる程度にはなっていた。 皐月賞に向けて最終調整の為にトレーニングを続けていたある日の事だ。 「……お兄さん、変わりましたよね」 と、彼女にそういわれたのだ。 「そうかな」 「なんというか、立ち振る舞いに気品が見えるようになった気がします」 ダイヤの言う通り、意識して普段の振る舞いを変えるようになった。 意識してこれを続けていれば、そのうち自然とふるまえるようになるだろうと考えたのだ。 彼女からそう見えたのであれば、ちゃんと成果はあったと言うことだ。 「君の隣に立つならこれくらいは出来ないとって思って。でも、まだまだだ。待っててほしい」 「……お兄さん、ちゃんとわかって言ってます?」 俺の言葉を聞いて、何故か怪訝そうな顔をしてこちらを見てくる。 ……変な事を言ったつもりはなかったのだけど。 「もちろん、わかっているさ」 「……本当ですか?期待して、良いんですよね?」 よほど信用されていないのだろうか。 分かってると言う言葉を聞いても、まだ不安そうにこちらを見つめている。 その顔を見てふと、彼女がまだ小さかった頃の事を思い出した。 時間が来てまた明日とお別れを言う段になった時、いつも寂しそうにこちらを見つめていたのだ。 だから俺はおまじないだ、と言ってこう言ったのだ。 ――約束しよう。そうすれば、きっとまた会えるから。 「約束するよ。待っててくれダイヤ」 あの時の様に、俺は彼女に約束する。 「……約束」 「ああ」 「……守ってくれましたもんね」 「ああ。今度だってそうさ」 その言葉を聞いて漸く安心したのだろうか。 こちらを見る彼女の顔からは、不安の色は消えていた。 「――わかりました、約束です! 待ってますからね♪」 そう言ってに笑う彼女の顔は、なんだか普段よりずっと輝いて見える気がした。 その笑顔を見て、俺は改めて誓ったのだ。 あの時の約束通り、彼女に相応しいトレーナーになろうと。 「その前に皐月賞だけどな」 「……ふふっ、そうですね」 4のおまけ 三年目のクリスマスの夜。 「ダイヤ」 そう言って手渡したのは手の平に乗る大きさの、小さな青い箱。 「これは……」 「……開けてみてくれ」 「――!」 彼女は中身を見て思わず口元を抑える。 それは『あなたと共に』と刻印された、銀色の指輪だった。 まだ早いなんて、わかっている。 世間がどう見るかもわかっている。 だけど、それ以上に――彼女の気持ちに気が付いてからは特に――彼女を裏切ることはしたくなかった。 それは思えば、再会した時から既に決まっていた事なのかもしれない。 俺は覚悟を決めて言葉を発する。 「ダイヤ、俺と一緒になってほしい」 「はい、喜んで――」 そう答える彼女の目元には涙が浮かんでいる。 でも、それは決して悲しみから流れた涙ではないことを、彼女が口元に浮かべた笑みが証明していた. 5. 運動するということにおいて、冷やすのは大事だ。 熱中症対策としてはもちろんの事。アイシングの事もある。 これは運動により熱を持った筋肉を冷やす事によって、痛みを抑え、筋肉の緊張をほぐしたり疲労回復を促進する効果があるというものだ。 成長期である彼女達は特に肉体に過度の緊張や痛みが発生しやすいため、練習量の調整やストレッチはもちろん、アイシングは決して欠かしてはならないと、トレーナーになる前に口を酸っぱくして講師によく言われたものだ。 「今日はここまでにしよう」 「お疲れ様でした、トレーナーさんっ!」 練習場にて本日のトレーニングを全て終えたサトノダイヤモンドに濡れタオルとスポーツドリンクを手渡し、両手の塞がった彼女の代わりにこちらで用意した日傘を差してやる。 これは、少しでも直射日光を遮るものが必要だと思い用意したものだ。 「暑い中、本当によく頑張ったな。休憩室に行こうか」 「はい!」 彼女に少しでも日が当たらないよう肩をくっつけて歩きながら、観戦用スタンドの近くにある休憩室へ向かった。 「珍しいですね、他に人が居ないなんて」「そうだな」 彼女の言う通り、普段誰かしらいるはずの休憩室には珍しく俺達以外に誰も居ないようだった。 珍しい事もあるものだと思いながら、持ってきたクーラーボックスからアイシングサポーターを取り出す。 ダイヤにベンチへ腰掛けてもらうと、ジャージの上着と靴、靴下を脱がせ、肘、腕、腰、膝の順番に彼女に取り付けていく その後、深めのバケツに水を張り休憩室備え付けの全自動製氷機から取り出した氷を入れ、かき混ぜて温度を下げてから彼女の足元に並べる。 「いいぞ」「はい……相変わらず緊張しますね、これ」 俺の了解を聞いて、恐る恐るといった感じでそれぞれ氷水を張ったバケツに片足ずつ、ゆっくりと沈めていく。 やがて底まで足を入れたのを確認すると、15分にセットしたキッチンタイマーをスタートさせる。 後は時間が経つのを待つだけだった。 「加減はどうだ?」 「……凄く冷たいです」 「悪いけど我慢してくれ」 彼女達にとって脚は命と言っても良いものだ。その負担を少しでも和らげられるならそれに越した事は無かった。 「お疲れ様」 15分経った事をタイマーが知らせる。 アイシングサポーターを取り外し、足をバケツから抜いてもらう その後保温用のランチボックスに詰めていた温タオルを取り出し、先程まで冷やしていた部位に巻いていく。 冷やすだけでも十分だが、こうして直後に温めることで血行を促進し更なる効果が見込まれる。 「お兄さん」 タオルを巻き終わり、サポーターをクールボックスに閉まっている時だった。 二人きりで気が緩んだのか、いつの間にか『トレーナーさん』呼びではなくプライベートでの呼び方になった彼女に背後から声をかけられたのだ。 いつもならタオルで暖を取っている間は座ったままのはずだが、一体どうしたのだろうか。 「どうし――」「えいっ」 むにゅり。と突然柔らかな二つの感触が背中に伝わる。 気が付くと彼女に背後から抱きつかれていた。 「はあ、暖かい……」 普段より薄着な為に、彼女の両腕の冷たさが布越しにしっかり伝わってきている。 それは彼女も同様なのだろう。まるで熱を求めるようにぎゅう、と力強く抱きしめてくる。 ……そのせいか背中の感触もより主張が激しくなっている気がする。 「……俺じゃなくてちゃんとタオルを使ってほしいんだけど」 「やです。今日はこっちの気分なんです」 「気分じゃなくてな」 「いいじゃないですか、せっかく二人きりなんですし」 こちらの抗議をどこ吹く風とばかりに聞き流し、それどころか足も冷えるからと腰も押し付けて、隙間が無くなる様にくっついてくる。 休憩室ならば誰か来るからと完全に油断していた。 人目がない時のダイヤは後先を考えないのだ。 どちらにせよ背中からウマ娘の力で抱きつかれてしまってはどうにもならない。 俺は誰も来ない事を祈りつつ、彼女が満足するまでこのままでいるしかなかった。 「ああ、そうそう」 「……?」 「私、今ブラ外してるんですよ」 「!?」 ……休憩室では何もしてないとだけ言っておきたい。 6. 昼休み。 午前と午後の間に挟まる束の間の憩いの時を、トレセン学園の生徒たちは今日も思い思いにそれぞれの時間を過ごしている。 キタサンブラックとサトノダイヤモンドの二人も、いつもの様に仲良く揃って、食堂で昼食を取っていた。 「……どうしたのキタちゃん。なにか気になる事でもあった?」 サトノダイヤモンドは食事の手を止め、キタサンブラックの方に声をかける。 彼女は先程からサトノダイヤモンドの方をじっと見つめていた。 声をかけられたキタサンブラックが口を開く。 「……ダイヤちゃん、今日はなんだか元気ないよね」 彼女の目には、どうも隣にいる親友の調子が悪いように見えるらしい。 「……キタちゃんにはそう見える?」「うん。見える」 キタサンブラックは強く首を縦に振る。 「ずっとダイヤちゃんとは一緒に居たから、それくらいはわかるよ」 「……そっか、かなわないなあ」 サトノダイヤモンドは苦笑しながら、彼女の言葉を肯定した。 「なにか心配事?」 「ううん。そういうのじゃないの。ただ……」 「?」 「…………今日、お休みだから」 小さな声でそう答え、サトノダイヤモンドはキタサンブラックから顔を逸らす。 よく見ると彼女の頬は少し赤く染まっている。 それを見てキタサンブラックはすぐにとある考えに至り、ああ!とポンと手を打った。。 「今日はトレーニングがお休みで、トレーナーさんと会えないから寂しいって事?」 「…………うん」 答えを口にされた側は、林檎の様に顔を真っ赤に染めている。 「そこまで寂しいなら会いに行けばいいのに」 「でも、予定もないのに会いに行くなんてトレーナーさんに迷惑かもしれないし……」 キタサンブラックの言葉に、サトノダイヤモンドは手をもじもじさせながら俯いている。 普段は何に対しても積極的な彼女も、自分のトレーナーに対しては妙に奥手だった。 「大丈夫だよ! 会いに行ったら、きっとダイヤちゃんのトレーナーさんだって喜んでくれるよ」 「……そうかな」 元気づけようとするキタサンブラックの言葉に、サトノダイヤモンドはそれでも不安げな顔をする。 「そうだよ! だってダイヤちゃんの『お兄さん』なんでしょ?」 その不安を拭い去る様な元気な声で、キタサンブラックは更に言葉をつづけた。 ――お兄さんとはいうが、サトノダイヤモンドとそのトレーナーの間に血のつながりがあるわけではない。 ただ、二人が学園以前からの知り合いで、彼女が彼女のトレーナーの事をそう呼んでいる事はキタサンブラックも把握していた。 なにしろ昔から何度も『お兄さん』の話は聞かされていたからだ。 「昔の約束だって覚えていてくれるくらい、ダイヤちゃんの事を大事に思ってるんだよ? きっと大丈夫」 キタサンブラックの言葉にサトノダイヤモンドはハッとした様な顔をする。 「そうだよね……」「うん」 「きっと全部受け入れてくれるよね」 「……そうだよ、お兄さんなら喜んでくれるよ!」 何か含みがある言葉を聞いた気がしたがキタサンブラックは構わず肯定する。 色んな意味できっとあのトレーナーさんは逃げられないだろうと、彼女は会った時から思っていた。 「ありがとうキタちゃん! ちょっといってくるね!」 「いってらっしゃい! 頑張ってね♪」 礼を言って駆け出――そうとして校則を思い出し、早歩きで食堂から立ち去るサトノダイヤモンドをキタサンブラックは笑顔で見送る。 場所はわかってるのかと彼女は言わない。 サトノダイヤモンドがスマホでいつものアプリを起動しているのを見たからだ。 彼女が居なくなって少しした後、キタサンブラックは椅子から立ち上がってスマホを取り出し画面を点灯させる。 「……私もトレーナーさんの所に行こうかな」 そう言って見つめる画面には、サトノダイヤモンドとまったく同じアプリが起動していた。