** 父さん、母さん、お元気ですか。 中央でやっていこうと決意して、俺が故郷を出てから暫く経ちましたね。 前に手紙を出して、早三カ月。 その時は何を書いていたのか、もう思い出せません。 それくらいに、中央での日々は色々な事が起きて、毎日いつも目が回りそうです。 ですが、とても充実しています。 俺が担当しているウマ娘のトウカイテイオーについては、前の前の手紙に書いたのを覚えています。 明るく騒がしい、良い子……というのも、その時に確か書きましたね。 彼女と共に歩む日々は、忙しなくも得るものが多い日々であると、確信しています。 一時は、才能溢れる彼女と、俺なんかが共に居て良い物なのか。 本当なら、もっと優秀なトレーナーと高みを目指すべきなのではないか。 ……そう、悩んだ事もありました。 そんな悩みを吹き飛ばしてくれたのは、なんと彼女でした。 俺が良いのだと。俺以外の下で走る気なんて無いのだと。 なんとも情けない事に、何歳も年下の子に元気づけられてしまいました。 * なんというか……本当に、俺には勿体無いくらいに良く出来た子です。 分不相応だと思います。それでも、俺を選んでくれた事が嬉しい。 期待に応え、今度は俺が彼女の寄る辺になれるように。常に学習、進歩を止めぬように。 彼女と共に……いや、追いつくために、それ以上の速度で。更なる成長を目指し努力を続けています。 ……そういえば、そんな彼女も、やはり年相応の女の子なようで。 実は少し前に……「好きな人が出来た」……と言われました。 彼女にも、ついに春が来たらしいのです。 曰く、彼女の事を誰よりも知っている人物。 曰く、ずっと一緒に歩んでいく。 照れから頬を赤くしつつも、はにかみながら俺を見て話す彼女。 ……思わず、泣いてしまいました。 誰よりも幸せになって欲しい彼女に、そんな頼もしい人物が居たのです。 それがどうしようもなく嬉しくて、胸の奥から溢れてきた物を止められませんでした。 * 突然泣き出したせいで、滲む視界に慌てる彼女が映っていました。 ……大の男として、彼女には情けないところを見せてばかりな気がしますね。 どうしたの?と聞いてきた彼女へ、素直に「嬉しいんだ」と伝えました。 すると、認められて嬉しいのか、笑ってくれました。 居ても立っても居られず、その日はトレーニングを中止して、二人で遊びに出掛けました。 記念……というヤツでしょうか。嬉しいという気持ちのまま、彼女の手を引いて出てきてしまったのです。 当事者でもないのに有頂天になっている俺に、黙って付いてきてくれる彼女。 目が合うと、心底幸せそうに笑うんです。 それがまた、俺を動かす原動力になって。 ゲームセンター、ショッピングモール。その中にある、普段は行かない、ちょっとお高いレストラン。 とにかく彼女に喜んで貰おうと、色んな場所を回りました。 彼女はずっと笑ってくれてましたが、最後には泣き出してしまったのです。 どうした!?と慌てて聞いた俺へ、「嬉しいんだ」と。 「嬉しすぎて、幸せすぎて、ボクもう、胸がグチャグチャだよ」 そう言って泣きながら笑う彼女は、とても綺麗で、胸を打ちました。 * 「また来ようね」と言われましたが、きっと行く事は無いと思います。 次に訪れる時は、彼女と“良い人”の二人だけで。思う存分、楽しんで貰いたいものです。 まぁ、ちょっと名残惜しい気もしますが、それが一番良いでしょう。 ……そういえば。あの日はなんだか、朝から彼女が妙に綺麗だった気がします。 恋という物は、少女を大人に変える……とは、何処かで聞いた事があります。 俺は、恋とは無縁な人生を送ってきたので今までわかりませんでした。きっと、真実なのでしょうね。 つまり、それくらい彼女は魅力的なのです。 いつか、父さんや母さんにも紹介したいですね。 ……そうだった。こうして筆を執ったのは、その事についてなのです。 今度、そっちの近くのレース場に遠征に行くので、その際に帰省しようと思います。 もちろん、勝ってトロフィーを掴んだ彼女を連れていく予定です。 ですので、なるべく人様に見れるように掃除を……特に俺の部屋の掃除をお願いします。 近況報告と帰省の連絡だけの筈が、なんだか長くなってしまいましたね。 それでは、また。今度は故郷で会いましょう。 * ** 父さん、母さん、お元気ですか。 まず先に。この前は、本当にすいませんでした。 掃除などお願いしていたのに、結局寄らずに中央へ戻ってしまいました。 レースも快勝し、恐らくお祝いを含め準備もたくさんしていてくれていただろうに、本当にごめんなさい。 理由は、そっちでのレースの後、テイオーが不調を訴えたんです。 不調と言っても、足首に軽い痛みがあるという程度だったのですが。 それでも。俺の肝を冷やすには十分でした。 テイオーが三冠ウマ娘だという事は、お二人も知っていると思います。 三冠の最後。日本ダービーを終え、次は菊花賞というタイミングで、彼女の怪我が発覚しました。 菊花賞には、まず出られないでしょう。そう言われるほどの怪我でした。 ……ですが、彼女は出たいと言いました。彼女の夢は、三冠ウマ娘になる事なのだから、当然でした。 何度も迷いました。 俺は、自分に非凡な才など無いと知っています。 俺の決断で、トウカイテイオーほどの才能を、人生を台無しにしてしまうのではないか。 出走を止めても、俺だけが彼女に恨まれるだけで済むのでは。新しいトレーナーと共にやっていけるのでは。 * 散々悩んで、唸って、それでも俺一人では決めきれず。 結局決め手は、「出たいよ」と言いながら流す彼女の涙だったのですから、俺も優柔不断が過ぎますね。 俺も腹を括り、彼女が万全な状態で出られるように出来る限りの事をしました。 ……結果は、書いた通りです。 彼女は走り切り、堂々と三冠目を取ってきました。 もし、これがトドメとなったなら。もし、三冠を、夢を逃したら。 走り終わるその瞬間まで、そんな不安と焦燥が胸に満ちていたというのに。 彼女の笑顔を見たら、全て消えてしまったのです。 まだまだ道半ば。彼女の頂点への道はこれから。 それでも。あの時ばかりは。 彼女がゴールした瞬間、安堵と達成感で膝から力が抜けてしまいました。 トレーナーが観客席で腰砕け。本当に情けないですね。 周りの人に助けて貰い立ち上がり、手摺りを伝ってどうにか彼女の下へ。 胸に飛び込んで来る彼女を受け止めた時、思ったのです。 あぁ……これまで生きてきた中で起きた事の、何よりも、嬉しいと。 * とはいえ、です。 正直、あんな、この先の人生を左右するような経験はもう御免です。 なので、そっちのレースが終わった後、すぐ病院に駆け込みました。 もう比喩とかでなく、すぐです。 苦笑いで不調を語る彼女を抱きかかえ、レース場を飛び出しました。 あぁ……あの時、俺は彼女を……俗に言う、お姫様抱っこというヤツで抱きかかえたのですが。 ……周りにたくさん人が居た事を思い出すと、顔から火が出そうです。 多分、彼女も恥ずかしかったのでしょう。 病院に着いた後、赤い顔で怒られてしまいました。 「すまない。けど、何よりもテイオーが大事なんだ」 と、素直に謝意を示すと、落ち着いたのか静かになってくれました。 まぁ、謝りはしましたが。同じ事が起きたら、きっと俺はまたやるでしょうね。 ……結局。診てもらった結果、彼女の不調はちょっと足首を捻った程度でした。 しかもレースには関係無く。勝ってファンサービスでステップを見せていたらやったとの事で。 調子に乗った彼女も悪いですが、話をちゃんと聞かなかった俺も悪かったです。はい。 * 本当なら、そちらへ向かってもよかったのです。 ですが、万が一、億が一が怖かった。 病院から近場のホテルを取り、彼女をそこで休ませました。 ……つまり、俺が過保護だったせいなのです。 まぁ、その、次のレース明けにでも、休みを取って行かせていただきます。 そういえば……話したい事があると返事に書いてありましたが、何の事だったのでしょうか。 なるべく彼女の居ないタイミングで、父さんと母さん二人と。 と書いてましたが、何かあったのでしょうか。 そうだ。俺からも、少し聞きたい事があるのです。 前の手紙に、彼女にも好きな人が出来たと書きました。 成就できるように、どうにか応援したいのです。 生憎、俺には恋愛経験が無ければ、そんな経験を積む相手も居ません。 なので、父さんと母さんから何か聞けたらな、と。 彼女の……テイオーのためなら、何だってやる覚悟です。どうか、教えていただけませんか。 それでは、また。返事を楽しみに待ってます。 * ** 父さん、母さん、お元気ですか。 返事も待たずに、続けての手紙になってしまいましたね。 というのも、すぐにお聞きしたい事が出来てしまったのです。 俺は昨日、中央の洗礼を受けました。 先輩方から飲みに誘われたのです。勉強ばかりではなく、たまには羽目を外せと。 ……俗に言う、飲みニケーションというヤツですね。 その日は、ちょうどテイオーのトレーニングもお休みの日だったので、お邪魔させていただいたのですが。 ……途中から記憶がありません。 気づいたら、部屋で寝ていました。いや、寝ていただけなら良かったのですが……。 今まで経験した事の無いほどの頭痛と吐き気が、朝から俺に引っ付いてます。 特に起きてすぐは、本当に酷かっ     今も酷いです。 トイレからしばらく出られませんでしたし、ここ数日分の食べた物を出した気がします。 まぁ……水と酔い止めを飲んだので、じきに回復するとは思いますが。 今はだいぶ落ち着いてきたので、トイレが友達になる事は無    いと思ってました。 * ……お酒とは、怖いですね。 これまで飲む機会が無かったので、耐性という物が無かったからというのもあるのかもしれませんが。 味もわからずに飲んでいましたが、まさかこんな事になるとは。 いつか俺も、父さんみたいに楽しんで飲めるようになるのでしょうか。 もしその時が来たら、父さんと飲んでみたいですね。 あぁ、本題を忘れてました。 そんなわけで、昨日は泥酔状態で帰宅したのですが。 ……実は、帰っている途中で、彼女に……テイオーに会ったらしいのです。 ふらっふらになっていたところを、介抱して貰ったとのことで。 もう……なんといいますか。 年下の彼女にこんな様を見せて……情けないというか、恥ずかしいというか。両方でしょうか。 それに、その、もっと酷い事なのですが。 介抱して貰っている間。俺は彼女に何をしたのか、口走ったのか。 その辺りの事も、何も覚えていないのです。 * ともあれ、迷惑を掛けてしまったのは間違いないのです。 なので。彼女へ、お詫びとして何かプレゼントを贈ろうと考えました。 最初に食べ物が思いつきましたが、餌付けでどうにかなると考えている……なんて思われるかもしれません。 彼女はうら若き女の子です。となれば、アクセサリでしょう。 ……なんて決めたはいいものの、俺には流行りとかそういうモノはわかりません。 それに、彼女が走る邪魔にならない物でなければ。ネックレスや、指輪などでしょうか。 そうやって彼女への贈り物を考える内に、思い当たったのです。 父さんと母さんは覚えていますか。 俺が小さい頃、家族で中央の近くまで来た時の事です。 初めての都会に舞い上がっていた俺は、二人に強請った物がありました。 指輪です。何の装飾も無い、銀色の指輪。 その飾りっ気の無さが、あの頃の背伸びしたがった俺には、とても大人びて見えたのです。 二人に買って貰ったそれを、俺は今も持っています。もう成長して、指に嵌まりはしませんが。 幼い頃の思い出と、今居る中央への憧憬。色んな想いが詰まった、大事な物です。 それを彼女にあげました。 * ちょうど、指輪のサイズは今の彼女の指に合っていました。 何度も彼女の手に触れてきたのです。間違えようもありません。 ……ですが、失敗してしまったのかもしれません。 渡した後、彼女の様子がおかしかったのです。 なんと……書き起こしましょうか……。 彼女の手に指輪を乗せて、彼女がそれを見たのを確認してから「とても大事な物なんだ」と言ったのですが。 「ぴぇ」 と一言零して、固まってしまったのです。 ……余計な事だったのでしょうか。 不要な物だったのではないか。謝意の押し付けではないか。 今、こうして冷静になって考えてみると、不安です。 とにかく、別の形で改めてお詫びをしなければならないかと思います。 今度は物ではなく、行きたがっていた遊園地に誘ってみようと考えているのですが、どうでしょうか。 これが聞きたくて、こうして手紙をしたためさせていただきました。 それでは、また。短い期間にごめんなさい。お返事を待っています。 * ** 父さん、母さん、お元気ですか。 俺は変わらず、元気に中央で過ごしています。 それと、俺にも彼女が出来ました。 ……なんて報告が出来れば、孝行息子なのですが。 出会いも無ければ、今はテイオー……彼女に付きっきりですので。 ……ですが、やはり独り身で居るよりは、身を固めた方が二人も安心しますでしょうか。 こちらに来てからというもの、ずっとトレーナー業に打ち込んできました。 なので、どうにもそういった事が掴めていないのです。 こう言い切ってしまうと、二人には怒られてしまうかもしれませんが。 俺は、まだ今のままで居たいと思っています。 未だ半人前の身ですので。頂点へ突き進む彼女のために、出来る事は全てしておきたいのです。 俺が彼女の足を引っ張るわけにはいきませんから。 いつか、一区切りがついたなら。その時は、二人に良い報告ができるようにしたいな、と思います。 ……まぁ、そちらの方も半人前なので、あまり期待せずお待ちしていただければ……。 あと、俺の予定が空いてる日を教えてとの事ですが、いずれこちらから向かわせていただくので大丈夫ですよ。 * ……そういえば。彼女は、好きな人とはどうなのでしょうね。 俺から聞く事が無いというのがあるのかもしれませんが、その辺りの話題を全然話さないのです。 最近の素行も、特に変わった様子も無く……。 強いて言えば、前よりも近くに来る事が増えたくらいでしょうか。 トレーナー室で作業をしていると、すぐ隣に座ってきたり。 二人で街を歩いている時、腕に抱き着いてきたり。 昼食を取ろうとしたら、お弁当を作ってきたから一緒に食べようと言ってきたりなど。 ……最近の女の子の距離感というヤツでしょうか……。 好きな人が居ると事前に聞いていなければ、勘違いしてしまいそうですね。 彼女はとても可愛く、明るく、側に居ると元気になれます。 そしてそれは、俺だけでは無いはずです。 きっと……いえ、絶対に、彼女の好きな人も同じように感じているはず。 俺相手にこれだけの距離なら、好きな人相手にはどんなアタックを掛けているのでしょうか。 この分ですと、彼女の好きな人が陥落するのも時間の問題でしょうね。 * あぁ、そうでした。 この前二人にお聞きした、彼女へのお詫びの件なのですが、無事解決しました。 話を切り出す前に、「二人で街に行きたいな」と彼女に言われたのです。 ちょうどいい、そこで伝えればいいか、と。 とはいえ、その日のお出かけは、普段とそこまで変わりはしませんでしたが。 まず初めに俺が謝罪を告げると、彼女は笑って、「気にしなくていいよ」と言ってくれました。 そしてそれに続けて、「どうしても気になるなら、これからも街に出る時は付き合って欲しい」とも。 快諾しましたが、正直、拍子抜けでした。 テイオー様のワガママが、何個も飛んで来るかと思っていたのですが。 ……彼女は聡い子ですので、俺の謝意を汲んでくれたのかもしれませんね。 その後は、いつものようにゲームセンターに行ったり、カフェで彼女が大人びた注文をするのを見守ったり。 「ボクも大人だから、こういう苦味がすごい美味しく感じるなぁ」 なんて事を顔を顰めながら言うので、思わず少し笑ってしまいました。 それに、そう言っていたのに、カフェから出た時の第一声が「手を繋ぎたい」だったのです。 彼女も年相応で、子供っぽいところは隠せないんだなと。 * 年相応と言えば、帰り道の途中。彼女がふと、足を止めたのです。 近くのお店のショーウインドウを眺めていたので、なんだろうと思い、俺も見てみたのですが。 そこには、ウエディングドレスが飾られていました。 ジッと見つめて、彼女は動かなかったのです。女の子ですので、憧れる物なのでしょうね。 そんなに気になるのなら、実際に着てみればいい。 そう思い、彼女に笑って、「着せてみせるよ」と告げました。 帰ってから思ったのですが、ドレスのレンタル料とはお幾らほどなのでしょうか。 中央に来てから、彼女のための勉強ばかりで打ち込む趣味など無かったので、資金は大丈夫だと思いますが。 それともレンタルではなく、買ってあげる方が大人らしいでしょうか。 それなら、彼女が好きな人と結ばれた折、役に立つでしょう。 ……ちょっと過保護というか、過干渉すぎる気もします。 ですが、伝えた時の花咲くような笑顔を見たら、間違いではないとも思います。 ……先程も書いた通り、その後彼女が腕に抱き着いたまま帰る事になったのは、距離的にどうかと思いますが。 それでは、また。いつか、父さんと母さんにも、彼女の晴れ姿を見せたいですね。 * ** 父さん、母さん、お元気ですか。 こっちは今、少し慌ただしい生活を送っています。 なにせテイオーの……彼女の次のレースが迫ってきているので、仕方ないですね。 彼女のために、出来る事は出来るだけ。万全を期しておきたいのです。 とはいえ、不安もあります。 俺が足を引っ張らないか……というのは、いつもの事なのですが。 それ以外に大きな不安といいますか、気になる事がありまして。 ……最近、彼女の様子がおかしいのです。 なんだかずっと、こう、ふわふわとしているのです。 心此処に在らず。学園で授業を受けている時も、そんな感じなようで……。 こう言っては学園に怒られてしまうかもしれませんが、それだけならまだいいのです。 ですが……トレーニング中も、こうなってしまっているのです。 少し目を離すと、どこかを見つめて、ほうっと溜息を一つ吐く。 声を掛けると元に戻るのですが、その後は俺を見つめてボーっとしだすのです。 この前は特に酷く、走っている最中だというのに俺の方へ余所見していたりもしました。 * ……原因については、恐らくですが見当がついています。 つい先日、学園である噂が流れたらしいのですが、その内容が……。 『俺がトウカイテイオーのトレーナーを辞める』 というモノでした。 ……ちょうどその頃、偶然、同期と会っていたのです。 その同期とは、俺が彼女のトレーナーになって少し経った辺りから会わなくなっていたのですが。 当時、彼女と釣り合うには程遠い俺の弱音を聞いてくれた、とても頼もしい人物です。 そんな同期との思いもよらなかった再会で、長々と立ち話をしていたのです。 その話の途中、話題が昔話に移っていったところで……。 「あの頃、テイオーの担当は俺じゃない方が良いんじゃないか〜なんて言ってたな?俺が変わってもいいぞ!」 なんて、冗談で言われました。 もちろん。今は彼女の担当を降りる気は微塵もありませんので、笑い飛ばして、すぐに否定したのですが。 ……それを、誰かが聞いていたのでしょう。 人から人へ伝わっていく間に、情報が削ぎ落されて。 俺が彼女のトレーナーを辞める、だなんて物に変わったのだと思います。 * そしてその問題は、俺と彼女の間だけで収まらず。 ……シンボリルドルフ。トレセン学園の会長であり、三冠ウマ娘であり、テイオーの憧れでもある人物。 誰もが認めるカリスマと実力の持ち主。間違いなく、トレセン学園の頂点に立つ人物。 その人に、直々に呼び出されたのです。 シンボリルドルフは、彼女の事をとても気にかけていましたから。 このような噂が流れれば、自ら真偽を確かめたくなるのも仕方ないのでしょうね。 予想していた通り、噂について問われたので、即座に否定しました。 そうか。と言葉は少なかったのですが、安堵していたのはわかります。 安心したのか、目を閉じて微笑む姿。まるで彼女の母親の様でした。 とはいえ、そんな姿を見せていても、あのシンボリルドルフ。 直前まで部屋を支配していた張り詰めた空気と、詰問される状況。正直、かなり辛かったです。 なので、すぐさま退散しようと思っていたのですが。 生徒会室を出ようとドアノブに手を掛けたその時、もう一つ、問われました。 今の俺の目標は何か、と。 * 噂の原因である言葉。過去に俺が放った弱音。 『彼女の担当トレーナーは、俺じゃない方が良いのではないか』 そんな軟弱な意志がどこまで変わったのか。今の俺は何処を目指しているのか。 ……言われて考えて、ようやくわかりました。 過去の俺は、どうにかしてトウカイテイオーに追いつければと考えていました。 少し前の俺は、頂点を目指す彼女の寄る辺になれたら。そう思い、動いていました。 思えば単純な事だったのです。 俺は、彼女には、もっと笑顔でいて欲しいのです。 レースに勝たせたいのも、寄る辺でありたいのも、全部それの枝葉でした。 頂点を見つめ、駆け抜ける彼女。溢れる自信のままに、快活に笑う彼女。 ただ、それを見ていたいのです。 その答えで満足して貰えたのか、生徒会室を出ようとしても何も言われませんでした。 ……彼女にもそれを伝え、これで噂問題は解決したと思ったのですが。彼女の不調はなかなか治らず……。 こんな時、彼女の好きな人なら癒してやれると思うのですが……高望みでしょうか。 ともあれ、それでは、また。二人に会えるのも近づいてきましたね、楽しみです。 * ** 父さん、母さん、お元気ですか。 テイオーの……彼女のレースも間近に迫っておりますが、こちらはいつもと変わらない日々です。 ここまで迫ってくると、もう焦りとか緊張も無くなってしまうもので。 普段通りにトレーニングをして、普段通りに彼女のクールダウンを共に過ごす。 そんな、のんびりとした日々です。 まぁ、彼女は負けませんから。 絶対に勝ちます。断言してみせます。 調子は絶好調ですし、この分だとレコードだって出せるかもしれません。 ……とまで言ってしまうと、流石に調子に乗りすぎでしょうか。 それだけ、彼女の勝利を確信しているのです。 そうでした。この前の手紙に書いた、彼女の不調についてなのですが。 彼女の方で何かあったのか、無事いつも通りに戻りました。 それどころか、先ほども書きましたが、これまで以上に調子が良いのです。 つい最近までぼんやりとしてたのは、どこへやら。頼もしい無敵のテイオー様のご帰還です。 ……彼女の好きな人とやらが、何かしてくれたのでしょうか。 * ともあれ、元に戻ってくれたのは良いのです。 いえ、戻ったどころか常に上機嫌といった様相で。 俺の側に居ると、いつもニコニコと笑うのです。 走り終わった後は、真っ先に俺へ感想を求めに来るのです。 それもまた、とても良い笑顔で。 ……それだけなら、喜ばしいのですが。 ただ……俺が座って作業をしていると、隣に座ってくるのです。 そして、頭を俺の肩に預けてくるのです。 ……寝不足でしょうか。 たまに、微かに寝息が聞こえてくる時もありますので……そこまで心を許されているというのは嬉しいのですが……。 それに、彼女の友人に聞くと、学園の授業中などではそこまで機嫌が良いわけでは無いらしいのです。 ……やはり、好きな人関係でしょうか。 機嫌を良くしてもらうのはありがたいのですが、ペースを崩されるのは困り物ですね。 生活リズムの乱れなどが無いか、正直心配です。 * ……そういえば、散々ここまで上々と書いておいてなんですが、先週は珍しく不機嫌だったのです。 声を掛けると、頬を膨らませてくるもので。ツンとした態度を取られてしまいました。 何かしてしまったのでしょうか。思い当たる節は無いのですが。 ……いえ、一つ……あるには、ありますね。 彼女がよく遊びに行く、トレセン学園の生徒会。 前の手紙に書いたシンボリルドルフも、当然生徒会長ですので所属しているのですが。 そこの副会長であるエアグルーヴと、よく話すのです。 ここ最近、何かあったか。テイオーの様子はどうか。俺は不備無くやっているか。 テイオーをどう思うか、などなど。 色々な事を聞かれたり、話したりしています。 ……まぁ、よく怒られてしまうのですが。 それでも、“女帝”と謳われるエアグルーヴとの語らいは、間違いなく得る物の多い時間だと思っています。 昨日もそうして話していたところに、彼女が現れたのです。 誘ってみようかと思って、声をかけようとしたのですが。 何故か彼女には、「別にいいけど」と、ジトーっとした目で言われ、そのまま立ち去られてしまいました。 * ……エアグルーヴと喧嘩中だったりしたのでしょうか。 その時は、エアグルーヴもしまったと言わんばかりの表情を浮かべていたので、恐らくはそうかと思います。 もしくは……彼女は対抗意識が強いので、それでしょうか。 トレーニング中に他のウマ娘を見てしまうと、「他の子を見てたー!」なんて言われますから。 俺は、彼女以外を本気で見るつもりなど無いのですが。 人の想いとは、伝わりづらいものですね。 ともあれ、彼女と二人で少し話したら、すぐに機嫌が直ってくれたので助かりました。 酷い場合は、数日の間不調が続くので……。 こういう時こそ、彼女の好きな人がそういう事を気にならなくなるくらい癒してあげて欲しいのですが。 ……いや。そこまで求めるのは、担当トレーナーの名折れですね。 彼女の不調があったなら。俺が原因を見つけ、俺がどうにかすべき問題です。 俺は、彼女が最高の状態で走れるようにしなければなりませんから。 レースももう、すぐそこまで来ています。もう、不調になどさせるつもりはありません。 ……彼女に一着を取らせてみせます。絶対に。 それでは、また。 * ** ……俺は。 * 父さん、母さん。 俺は、これまでの人生で、何度も二人に情けない姿を見せてきました。 小さなガキだった頃も、学生だった頃も。 なりたてとはいえ大人になった今も、変わらないと思っています。 だから。 この愚息の、どうしようもなく情けない様を、どうか聞いていただけませんか。 ……俺が今の目標を認識した日から数日経ったある日、シンボリルドルフにまた呼び出されたのです。 話したのは、テイオー……彼女についての事でした。 「テイオーの調子はどうか」「最近変わったことは無いか」 ……聞かれた事は、シンボリルドルフの右腕であるエアグルーヴに話す事と、ほとんど同じなのです。 ですので、同じように返していました。 「良好です」「特にありません」と。 「ふむ、そうか」 満足そうに頷いたシンボリルドルフは、俺に聞いたのです。 「……回りくどい事はやめて、単刀直入に聞こう。君は、テイオーの事をどう思っているんだ」 * 質問の意味が、いまいち掴めませんでした。 彼女の事をどう思っているか。 俺が担当するウマ娘。誰よりも幸せにしたい人。 浮かんだ答えは、何個かありましたが。 ……シンボリルドルフが何を聞きたいのか、わからなかったのです。 ここまでに浮かんだ物は、目の前の人物が求める物とは違う気がして。 うまく考えが纏まらず口を閉ざし続ける俺を見て、シンボリルドルフは再度聞きました。 「質問を変えよう……君は、テイオーにとっての何だ」 今、俺は、彼女の……。 この質問に対しても、答えは幾つか浮かびました。 ですが……胸を張って言い切れるのは、一つだけでした。 「俺は、テイオーのトレーナーだ」 ハッキリと、言い切りました。 彼女にとって、俺はトレーナーだと。 これだけが。間違いなく俺が言える事だと。 * ……返ってきたのは、射殺さんばかりの圧が籠った視線でした。 皇帝、シンボリルドルフ。 本当ならば。俺なんかでは、こうしてすぐ側に立つ事も許されざる存在。 そんな存在に、睨まれた。 ……臆するのを、抑えきれなかった。 彼女と共に過ごす内に、忘れていた。ずっと、彼女が忘れさせてくれていた物が。 失敗したという実感が、俺を貫きました。 目も、口も、動かせずにいる俺に。 シンボリルドルフは、告げたのです。 「テイオーは、愛する者と結ばれた」 一瞬、何を言っているのか、わかりませんでした。 ですが、脳が理解しようとそれを噛み砕いている間にも、時間は過ぎていきます。 「テイオーが幸せになる道に、もう君は必要無いだろう」 何も言えず立ち尽くす俺に、そう告げて。シンボリルドルフは去っていきました。 * ……俺は。 俺は、彼女の幸せには、もう必要無いのです。 そうです。万が一、今後レースで勝てなくとも。どれだけ辛い道が待っていようとも。 彼女の愛する者が、彼女を愛する者が、支えてくれる。 それなら、そうだ。俺は、もう要らないでしょう。 考えてみれば、当然の帰結でした。 そもそも彼女の歩む道には、俺の力は届かない。 俺自身、ずっと言ってきた。彼女には、俺なんかでなくても良いと。 幸せに笑うテイオーの側に居たい。 掲げた目標は、なんて滑稽でしょうか。 俺の目標。これは、彼女を巻き込んだ俺の我儘ではないですか。 なにせ、実力不足の情けない存在なのですから。 彼女の才能の恩恵をただ浴びるだけの存在なのですから。 なら、俺はもう、彼女には必要無い。 * ……だけど。 違う。 違うんだ。 こうして書いて、ようやくこの感情が纏まってきた。気づいてしまった。 俺は、幸せに笑うテイオーの側に居たいんじゃない。 シンボリルドルフに、俺はテイオーには必要無いと言われたその時から。 ずっと、胸の中で暴れる物がある。 それは、テイオーの笑顔を思うと強くなって。 けどそれが、俺じゃない誰かのおかげと思うと、苦しくなる。 あぁクソ。なんで気づいたんだよ。 俺が、テイオーを幸せにしてやりたいんだ。笑顔にしてやりたいんだ。 * テイオーの走りが好きだ。 テイオーの笑顔が好きだ。 テイオーが俺に向けてくれる笑顔が、何よりも好きだ。 俺は、テイオーが、好きなんだ。 学生の頃にも、嫉妬する事なんて何度もあった。 勉強も、運動も。努力はしているのに、どうしてアイツだけ。 だけど、これは違う。それらよりも、ずっと深く、胸に突き刺さる。 けどもう、無理なんだよ。 テイオーには好きな人が居て、もうとっくに結ばれているんだ。 ちくしょう。なんだよこれ。 努力なんかじゃ、どうしようも無いじゃないか。 気づいた時には、終わってたんだ。 * 俺は、怖い。 自覚してしまったその時から、堰を切ったように溢れてくるこれが、怖い。 あぁそうだよ、俺は馬鹿だ。 自分の感情にも気づかず、テイオーの側で驕っていた馬鹿野郎だ。 だから、俺が無様を晒すなら、別に良い。 気づかぬ内に失恋したマヌケだって幾らでも馬鹿にされてやる。その全部を受け止めてやる。 けれど。 これからテイオーを笑顔にする誰かの事を考えると、胸を満たすこれが。 この想いが、胸を握りしめてグチャグチャにしてくる想いがいつか。 今は耐えられても、いつか耐え切れず、外に溢れ出したら。 溢れだしたこれが、テイオーの道に、薄汚い泥を零したら。 それが、何よりも怖い。彼女の幸せを曇らせる、爆弾になってしまうのが恐ろしい。 誰よりも愛しいテイオーに、影を落とす存在になりたくない。 だから。 * 俺は、次のレースで、テイオーの担当を降りる。 ごめんなさい。父さん、母さん。 あの日、故郷から出る選択なんてしなければよかった。 こんな男が、中央に憧れを抱かなければよかった。 俺はどうしようも無い屑で、馬鹿で、無能です。 ごめんなさい。 *