身体が軽い。最っ高のコンディションだ。今なら誰だって抜き去ってみせる。 だけど、油断は厳禁。目前に迫ってるレースに備えて、この調子を維持しなくちゃ。 ……ボクのトレーナーが、ボクのために、ずっと頑張ってくれてるんだもんね。 でも、ちょっと慢心しちゃうかも。 ……だってトレーナーと一緒なら、誰相手でも勝ってみせるから! 「はっちみ〜はっちみ〜」 上機嫌に鼻歌を口ずさみながら、廊下を歩く。 今日は久しぶりのお休みだ。何して過ごそうかな。 友達と遊びに行ってもいいかな?最近カラオケ行ってないし、誘ってみようかな? ……後は……トレーナーと、デート……とか。 「テイオー!!」 浮かれに浮かれたボクを呼ぶ、切羽詰まった声。 思わず肩が跳ねちゃうくらいびっくりして、慌てて振り向くと、会長が居た。 息を切らして、肩を上下に揺らす会長。 普段のクールで頼れる会長らしくない様子だった。 「な、なになに!?どったのカイチョー!」 駆けよって、疑問をそのまま口にしてみる。 「テイオー!君のトレーナーは何処に居る!?」 聞かれたのは、ボクのトレーナーの所在地。 「えっと、ごめんねカイチョー。ボクもわかんないや……」 珍しく、トレーナーとは朝から会ってなかったから、ボクにもわからない。 まぁ、いざとなったらケータイで呼べばいいし、気にはならないけど。 そう伝えると、会長は汗を一つ垂らして。 「……テイオー」 怖い顔をして、ボクの肩を掴んだ。 「カイチョー……?」 「すまない、聞いて欲しい事がある」 トレーナーは、いつもみたいにトレーナー室に居た。 「トレーナー!!」 全力で走って、切れた息。肺が空気を求めて悲鳴を上げてる。 だけど、そんなの気にせず叫んだ。 「辞めるって、どういうこと!?」 ……会長がボクに聞かせたのは、二つ。 ボクとトレーナーの、認識の食い違い。それを確認するためにトレーナーを問い詰めたという事。 そして、もう一つ。 トレーナーが、ついさっき、辞表を提出したという事。 信じられるわけ無かった。 だって、ボクとトレーナーは、恋人同士だもん。 次のレースだって、絶対に勝とうって言ってたもん。 辞めるなんて、ありえないよ。 ……でも、会長は、すまないとしか言ってくれなくて。 顔を伏せて謝る会長をそのままに、思わず駆けだした。 不安が胸をぐちゃまぜにして、走るペースだって乱れに乱れて。 それでも、一秒でも早く会いたかった。 会って、確かめたかった。 そうして走って、会ったトレーナーは、リュックに私物を詰めていた。 ……なんで、そんな事してるの……?それじゃあ、まるで本当に……。 疑問が頭を支配してる。でも、切らした息の反動が返ってきたせいで声が出ない。 「誰から、聞いたんだ」 胸を押さえて息を整えていたボクに、トレーナーがそう聞いた。 ……息を忘れた。自分の鼓動が、嫌にハッキリと聞こえる。 「……どう、して?」 「知ってる人……理事長は無いだろうし……」 呟くボク。呟くトレーナー。 「どうして、否定してくれないの……?」 笑って否定してよ。テイオーとずっと一緒に決まってるって言ってよ。 願いも混じったボクの質問。それに、トレーナーは答えてくれなかった。 ……うぅん、トレーナーは答える代わりに、ボクから視線を逸らした。 きっと、それが答えなんだ。 足がグラグラ。地面がグラグラ?ちゃんと力入ってる?わかんないや……。 「……ボク、何か、ダメだった……?」 ボクの口から、うわ言みたいに、小さく漏れた。 「……テイオーのせいじゃない」 トレーナーは、ボクを見ずに言う。 ……そんなの……信じられるわけないじゃん……。 「だ、ダメなとこ、言ってよ!ボク、直すから!」 「……」 黙るトレーナーに、言葉が躓く。視界が滲む。 「隠さ、ないでよ……どんなことだって、受け入れる、から……」 縋りつくように、トレーナーに言い続ける。 「ボクたち、ずっと一緒だったじゃんかぁ……!」 それでも、トレーナーはボクを見ない。 ……ボクの言葉は、届かなかった。 ……やだ。 「……トレーナー」 やだよ、いやだ。 「ボクは、トレーナーが好き」 別れたくない。離れたくない。 「他の誰より好き。カイチョーより、好き」 トレーナーじゃないと、やだ。 「ずっと、大好きだよ……!」 想いの全部を、トレーナーに告げた。 これが全部。ボクの全て。トレーナーが大好きでいっぱいの想い。 「……ごめん」 ……ダメ。 トレーナーは、顔を伏せて、たった一言。 胸が、痛い。ズキズキと痛い。 レースが終わった後の痛みなんか、比にならないくらい、痛い。 ……服の下に隠れてるトレーナーから貰った指輪のネックレスが、胸に触れる度に、痛みを増していく。 「う、うぅ……」 トレーナーとの思い出が、二人で見た光景が、胸をぐちゃぐちゃにしていくんだ。 「うぁあああ……!!」 ……涙が、止まらない。 涙が溢れて、嗚咽が止まらなくて。 「……俺は、どうしようない奴で、分不相応のバカな奴だけど」 そんな状態なのに、トレーナーの声は、ちゃんと聞こえた。 「ごめんな、テイオー」 ダメだよ、ボク。聞かなきゃ。トレーナーの、言葉。 流れ続ける涙を拭って、何度も拭って、トレーナーを見る。 どうにか見えたトレーナーは、いつもの困り顔。 ……じゃない。違う。 「……それでも」 今にも泣き出しそうな、顔。 「それでも、俺はテイオーが好きだ」 苦しんでるみたいに顔が歪んで。 トレーナーの目から、ボクと同じ雫が落ちていく。 「やっぱり、テイオーが大好きなんだ」 トレーナーが、ボクを見つめて、そう言った。 ……迷う事なんて何も無い。 トレーナーの胸に飛び込んで、思いっきり抱きしめた。 言葉じゃ伝わらない想いを伝えるんだ。それでも良いって伝えるんだ。 「トレーナー!」 抱き着いたボクに、腕が回る。 それは、強く、強く、ボクを抱きしめて。 ボクも、離す気なんて無かった。 密着して、何処にも逃げ場なんて無い。 いつか、ボクを迎えてくれたこの場所で、ボクは言うんだ。 「ボクも、大好きだよ……!」 涙を隠さず、拭う事もせずに、胸の中でトレーナーを見上げる。 ……あの時と同じ、トレーナーの笑顔。ボクが恋をした、微笑み。 だけど涙が、ボクの顔に落ちた。 涙と涙が、混ざって。 「俺も、テイオーが大好きだ」 このまま、全部一緒になりたい。なんて、考えたんだ。 その後、トレーナーは色々あったみたい。 理事長に謝りに行ったり、会長にも謝りに行って謝られたり。 ……なんで会長に?とも思ったけど、二人にしか通じない事もあるんだろうなって思う。 他にも、トレーナーが後を任せてた別のトレーナーと話してたり。 そのトレーナー曰く、押し付けるように頼まれてたみたいで。 ボクのトレーナーは、もうずっとへーこら頭を下げてばっかだ。 ……でも、いいんだ。 「トレーナー!」 「ん?テイオー、どうした?」 ちょっとの掛け違いのツケが今来たんだって、トレーナーは言ってた。 なら、このツケを払い終わったなら。 「色々片付いて、レースも終わったらさ!」 きっと……ううん、絶対に!ずっと一緒だから! 「またデート、しようね!」