アタシは日本で名実ともに一番のウマ娘になった。 そうしたら海外から声がかかるのは当然と言えば当然の話だった。 最初はアイツも当然ついてきた。でもレース直前に身内の不幸で一時帰国、 のはずだった。 アイツは私を裏切った。アタシを海外に残して、自分だけ日本で新しいウマ娘の担当をすることになった。 悔しくて悲しくて、電話越しに何度も怒鳴りあって、でも結局何も変わらなかった。 「見てなさい……!絶対海外でも一番になってやる……!アタシを捨てたアンタはそれをみて悔しがることしかできないのよ!」 それからは我武者羅に練習に打ち込んだ。日本と違って海外の重賞はダートの比率が高い。 慣れないコース、慣れない食事、そんな障害には屈しない。 通じない言葉、通じない走り、なら鍛え上げればいい。努力は不可欠なのは分かってる。 何度も何度も惨敗して、そのたびに涙をこらえて立ち上がった。 何度も、何度も、何度も何度も、何度も何度も何度も…… いつしか掲示板を外さなくなり、表彰台の常連になり、ライブのセンターをほしいままにした。 すっかり言葉も堪能になって、食事も自分で作って楽しむまでになった。 アタシはもう日本の一番じゃない。世界の一番になった。 それから月日は流れ、引退レースを有終の美で飾った後の話。 『メイクデビューを制したのは、スカーレットローズ!』 テレビの向こうではアタシの3番目の娘のデビュー戦を中継していた。 アタシ譲りの脚を存分に活かした大逃げ。当然一着で華々しいデビューを果たしていた。 『おっ,やったじゃないか』 『当然よ、アタシの娘だもの』 今は旦那と郊外の平屋で二人暮らし。いや、もうすぐ一人増えるので3人暮らし。 子供は全員ウマ娘で上2人は既に中央で活躍中。遠いから直接レースを見れる機会があまり無いことが残念だけど。 旦那はこの辺の地主で、アタシが海外レースに出始めた時からのファンだった。 アタシが一人でくじけそうになったとき、いつも救いの手を差し伸べてくれた素敵な人。アイツとは全然違う。 この人がいなかったら今のアタシは無いだろう。 そろそろ夕食の支度をする時間だ。今日のディナーはこの人の好きなポークソテーだ。 ……そういえばアイツにも作ってやったことがあったな。 「────ット────」 ……んぅ、なによ…… 「──カー…ッ……──」 ……いいきぶんでねてるんだから…… 「スカーレット!」 ベッドから跳ね起きる。 隣には、見飽きたはずの、あの、 「──トレー、ナー……?」 「はは、懐かしい呼び名じゃないか。昔の夢でも見てたのか?」 そうだ、よく見ればあの頃より老けている。間抜け面は相変わらずだが、でもどうして。 「おいおいしゃっきりしてくれよ。今日は皆であの遊園地に行く日だぞ?」 みんな、みんなとは── 「おかーさん起きたよ!」 無邪気に駆け寄ってくる小さな子が、ひい、ふう、みい。 そうだアタシの子供。名前は──── 「ほら、早く支度しろよ。このままじゃ、一番の寝坊助になっちまうぞ」 ねぼすけ!ねぼすけ!と娘たちがはやし立てる。 憎まれ口。いつものことなのに、笑みがもれるのはどうして 「……ふふっ」 ああ──── 「いいえ、アタシが一番早く支度してやるんだから!」 そうか────────── ベッドから跳ね起きる。 隣には、見飽きた顔。 まだぐっすりとねむっている。手探りで見つけた時計はまだ4時前を指していた。 「…………っ……」 夢だ。全部夢だ。 時々こんな夢をみる。今よりもずっと小さい家、日本という狭い世界の夢。 どうしてこんな夢をみるのだろう。今だって十分に幸せだ。 勝ち取った栄誉がある。大きな家がある。家族がある。世界を飛び回る母親にも頻繁に会える。 なのに、 「……うっ……く……」 どうして、 『大丈夫か?』 どうやら起こしてしまったらしい。 『大丈夫よ……なんでもないわ……ごめんなさい……』 『嘘だ、また日本が寂しくなったんだろう?強がらなくてもいいさ』 そう、この人は底抜けにやさしく、また気が利く。事情を全て理解したうえで、ただ黙って抱きしめてくれる。 気遣って日本への帰省を提案してくれたことも一度や二度ではない。 本当に、この人は素晴らしい人。 『ごめんなさい……』 だから、最低なのはアタシの方。 今の幸せを忘れ、ありもしない幻想に憧れるアタシ。 今自分を抱きしめてくれる人より、捨てたアイツへの感情が勝ってしまうアタシ。 違う、捨てたんじゃない。 「ごめん、スカーレット」 言葉はわからない。 「俺じゃ、力不足だ」 海外レースの経験もない。 「俺じゃ、今のお前を一番にできない」 けど、それでも、 「だから、現地のトレーナーに任せた方がいいと思う」 アンタと二人だったらどこまでも行けると思っていたのに。 癇癪を起こして振り払ったアタシ。 後ろめたくて日本に帰れないアタシ。 いつまでも未練がましいアタシ。 それを受け入れてくれるこの人よりもアイツが大切なアタシ。 だから、これは罰だ。 世界で一番幸せな罰だ。 アタシは死ぬまで、この幸福に首を絞められて生きていくんだ。