前髪に触れその場でくるりと回りもう一度確認する。変じゃないかな?自分に問いかけ、息を吸い、ドアノブに手をかける。 人の声が聞こえる。テレビ?トレーナーさんの声だ。電話?違う、女性だ。女の子の声。 ダイヤちゃんの声。 反射的に手を離す。どうして?今すぐドアを開けようと思い、頭を振る。 ダイヤちゃんの専属トレーナーはいつも修行だの理由をつけて練習メニュー残してを去ってしまう。 それを心配した私のトレーナーさんは「親友同士切磋琢磨できる方がお互いのためだろ?」とダイヤちゃんの練習もまとめて面倒を見てくれている。 だから、そう、もしかして、トレーナーさんは私に何かプレゼントを贈ろうとしていて相談をしているのかもしれない。トレーナーさんとは10歳程度とはいえ年が離れている。だから、きっと。 そうやって自分を納得させ、そっとドアから離れようとする。 ダイヤちゃんの泣き声。 異常事態だ。すすり泣くようなんてものじゃない、子供が泣くような声。たとえ何か泣くような事があっても、壁越しに声が聞こえるのはおかしい。 もしかしたら誰か、悪い人が二人を脅しているのかもしれない、トレーナーさんはダイヤちゃんを泣かせるような人じゃない、きっと何か悪いことが、悪いことがおきているんだ。 ドアを蹴破ろうと息を吸い、腰を落とす。待ってて、今、 『お兄さん!私!嬉しいです!お兄さん!』 頭が真っ白になる。これ以上は良くない。ダメだ。本能がここから去れと叫ぶ。 いっそドアを開けてしまおう。そうすればこの話は私の勘違いでおしまい。 手を伸ばすだけなのにやけに腕が重い、口が渇く、呼吸が乱れる。 一歩踏み出してドアを開ければ全てが終わる。だから 『こうしてまた会えたこと、奇跡なんです!お兄さんは約束を忘れてた時はショックで諦めてたんですよ…?でもこうして結ばれた、これは運命な…』 気が付いたときにはもう走り出していた。ダイヤちゃんの言葉がぐるぐるぐる回り始める。 「また会えた」「約束」「運命」そして「結ばれる」。 また会えた、前がある?約束、何を?運命、何に対して?結ばれる。誰と誰が。 どんなに鈍くても分かってしまう、誤魔化しようがない事実。 私の知らない憧れの人の姿、私の知らない親友の過去。 ダイヤちゃんは私がトレーナーさんが好きだと知っていた。だから休日に二人で買い出しに出かける時服装の相談もした。プランの相談もした。 帰ってくる答えはどれも的確で何度お礼を言ったのか分からない。それなのにどうして。瞬間的に怒りが湧き上がる。 同時にさっきの言葉が思い出される。「忘れていた」、「諦めていた」。 ああ、私に遠慮してくれていたんだ。純粋に応援してくれていたんだ。自分の気持ちを抑えて、私に。 私のほうが先に好きになったんじゃない。ずっと、それも私達が友だちになる前からずっとダイヤちゃんはトレーナーさんのことが。 自己嫌悪で頭を抱えたくなる。でも足を止めたらもう二度と立ち上がることはできないような気がして走り続ける。 気がついた時には寮のベッドだった。全身が軋み喉も痛い。どうにか起き上がり鏡を見る。ひどい顔だ。今日の授業は休ませてもらおう。 そう思いもう一度眠ろうとすると部屋に誰かが入ってくる音が聞こえた。 「キタちゃん!昨日はどうしたの!?部屋に戻ったらドロドロのお洋服のままベッドの上で倒れて………」 私はあの後限界まで走り続け、そのまま部屋で眠り続けていた事を思い出す。ダイヤちゃんの心配する声がどこか自分のことじゃないように聞こえる。 後で取りに行ってあげるねと見せられた洗濯室の使用カードとパジャマ姿の私。きっと彼女は動かない私の服を脱がしパジャマに着せ替え布団に運んでくれたのだろう。 親友の変わらない優しさが辛かった。この学園に入学してからも、私が恋敵となってからもずっと変わらない親友の優しさ。 あまりの情けなさにまた涙が溢れそうになるが「無理な自主練で風邪を引いたから今日はお休みするね」となんとか伝え布団をかぶる。 「後で栄養のあるものいっ~ぱい持ってくるね!」 ドアが閉まる。 その優しさが本当に。