(24)ミホノブルボンの話 かちり マスターの居住地のセキュリティシステムのアンロックを確認 足に負担をかけない範囲で急加速…のち反転運動を行います 「お帰りなさいませ。マスター」 「お帰りもなにも今一緒に帰ってきたところだろう」 「否定します。私のハナ差先着を確認、ゆえに帰宅を歓迎する挨拶は適切と判断します」 「…そうだね。ただいま、ブルボン」 二人で靴を脱ぎ部屋に侵入。悪い虫が侵入した形跡……検知範囲未満 マスターの部屋は男性の独り暮らしにしては広くて片付いています そして住み始めて3年になると聞いていますが…マスターのにおいで満たされています 安心と高揚…精神的ステータスの乱高下を確認しているとマスターが私の肩を叩きました 「ブルボン」 「はい」 それはマスターがこの部屋に招いた目的を促す合図です ミッションを達成すべく、私は脱衣所へ向かいました 一般家庭に比べるとさすがに手狭ですが独り暮らしには十分な広さと言えるでしょう 私はトレセン学園の福利厚生体制に感心しつつ、上から順に脱いでいきました ふと鏡に写る自分の姿…マスターから見た私の姿が目に入ります 長く突き立った耳。髪と同じくらい長く伸びた尻尾 日々のトレーニングにより無駄な脂肪が削ぎ落とされた体…と不釣り合いに発達した乳房 ……ライスさんとは同学年のはずですがどうしてここだけこうも差違が生じるのでしょうか? いずれ必要になると理解していても思わずにはいられません もしこんなにも大きくなかったら もしあとほんの少し身軽だったら もしあのとき負担を気にせず走れていたら 私は後悔を振り払うように頭を振り浴室に向かいました どれだけ過去を想ったとしても菊花賞でライスさんに敗北したという事実は変わりません その後もハードなトレーニングを重ね足をて負傷し、勝利から遠ざかっているという現実もです 寮の大浴場ではなく一人でお風呂に入っていると色々なことを考えてしまいます 短距離路線でデビュー控えていた私の努力を見出だし、クラシック路線に進む背中を押してくれたマスター スタミナ不足に焦る私から片時も目を放さず指導し自信をつけさせてくれたマスター マイルで、中距離で、クラシックディスタンスで結果を残すたび自分のことのように喜んでくれたマスター… マスターが見る人に勇気を与えると言ってくれたレースを私はしばらく出来ていません ゆえに私はマスターにひとつの提案を投げかけました 『チームを組みましょうマスター。私もサポートいたします』 短距離にしか適性のなかった私をダービーウマ娘に導いたマスターの手腕は私が誰よりも理解していました これほど才のあるトレーナーが燻っているのはURAにとって重大な損失に違いありません そう思っていた…思おうとしていた私をマスターは否定しました 『まだだよブルボン。君の目は勝利を諦めた者のそれじゃない』 『俺も君も…中途半端なままでは終われないはずだ』 『春天に間に合わなかったならアルゼンチン共和国杯、そして有マ記念だ。勝つぞ、ライスシャワーに』 マスターは私の再起をほんの少しも疑わず、それまで付き合ってくれると仰いました 私はそんなマスターのトレーナーとしても在り方に畏敬の念を抱いて… ……決して畏敬の念は揺らがないのですが、近頃はそれだけに留まらないようです マスターのことを思うとレースの時とは異なる激情が顔を出すのを感じます 共に頂点を目指し、練習を重ね、時に触れあうたびに燃え上がるように強くなる この名付けがたい激情を、私は…… 「マスター。お風呂いただきました」 「そうか、準備はいいかい?」 身近な友人…ライスさんやニシノさんに比べるとやはりマスターは長身です 包み込んでしまうような大きな影が近付いたとき、私は小さく頷きました 「ありがとうございますマスター、毎日の送り迎えまでしていただいて」 「気にしなくていい。なるべくブルボンの足に負担はかけたくないからね」 私はマスターの運転する隣でよく冷えたスポーツドリンクを飲んでいました 入浴による発汗に対し水分・ミネラルの補給に最適とマスターがくれたものです 「それで足の調子はどうだい?」 「血行の促進と、筋力の回復を確認…湯治の効果が出ている…かと……」 「高い温泉の元を買った甲斐があったなら何よりだ」 怪我以降の私たちは練習メニューの改善に加え疲労回復に焦点を当て、様々な治療を試していました 湯治もその中のひとつですが寮の大浴場では入浴剤が足りないという問題が発生 手頃な広さであるマスターの部屋のお風呂を使わせて頂くようになって約一年が経ちました 送迎による足への負担軽減もあり、今は怪我をする前より丈夫になった実感があります そして心地よい疲労感とわずかな揺れ…マスターのにおいに包まれた私の瞼は…抗いようも……なく… 「着いたら起こすから眠ってていいよ。おやすみ、ブルボン」 私はマスターの許しを得ると目を閉じ、スリープモードに移行しました (25)ミホノブルボンの話 かちり マスターの居住地のセキュリティシステムのアンロックを確認 滑り込むように室内へ先着…のち帰宅するマスターを出迎えます 「お帰りなさいませ。マスター」 「今日も先を越されてしまったか。ただいまブルボン」 お帰りなさい、の挨拶に抵抗を示さなくなって半年ほど経過したでしょうか 先着を許してもどこか嬉しそうなマスターの部屋に招かれました 二人で靴を脱ぎ部屋に侵入。悪い虫が侵入した形跡……検知範囲未満 相変わらずここはマスターのにおいで充満されていると感じますがマスター曰く 『むしろ最近は俺のほうがブルボンのにおいを感じるような気がするよ』 安心と高揚…精神的ステータスの乱高下を確認しているとマスターが私の肩を叩きました 「ブルボン」 「はい」 それはマスターがこの部屋に招いた目的を促す合図です ミッションを達成すべく、私は脱衣所へ向かいました 少々手狭な脱衣所ではありますが1年近くも通っているともう完全に慣れてしまいました 服を脱いで丁寧に畳み、お湯が溜まるのを待つ間に鏡を見つめます ピンと立った耳、忙しなく動く尻尾、興奮気味に開いた瞳孔 体は限りなく絞られつつも傷ひとつなく大事に育てて頂いたのがわかります ……胸のほうはそれとは関係なく成長を続けているようですが 私はカランから落ちるお湯の音が変わったのを合図に湯船のほうへ向かいました 『やったなブルボン!本当に…よかった…!』 怪我から約1年。再起をかけたGUレース、アルゼンチン共和国杯 年末の有マ記念を見越して挑んだ長距離レースはライバルたちを寄せ付けず、逃げ切ることに成功しました 菊花賞の敗北から入院生活、リハビリ、衰えを取り戻すトレーニング、世間の風評… 少なからずメンタルへの負荷を確認しましたがその全ては今日、マスターの言葉により吹き飛んでしまいました 応援に来ていた学友も、一緒に走ったライバルも、私の再起を待ってくれたファンの方々も あの場にいた誰もが私の勝利を祝ってくれて…本当に幸福な時間をいただきました 久しぶりのウイニングライブも…もしかするとダービーの時よりも盛り上がったかもしれません 今日1日で多くの喜びをいただき感謝を返してきました……が、十分とは言えません 私が今日までマスターから頂いた喜びは一度の勝利で返しきれるものではないと実感しました 次走の有マ記念。URAファイナルズ。マスターに受け取っていただきたい勲章はまだまだあります しかしそれとは別に…今日は、私個人から心ばかりの感謝の気持ちを表しましょう 『初めては上手くいかないものですが、何事も経験です』 『一番大事なのは相手を想う気持ち…ですからブルボンさんならきっと大丈夫ですよ』 私の背中を押してくれた言葉を再生。ステータス『勇気』の充実を確認。行動を開始します 「マスター。お風呂いただきました」 「そうか……って、どうしたんだブルボン?」 「まだおかわりはあります。ご遠慮なく、マスター」 「あ、ありがとう…じゃあもう一杯だけ」 マスターの部屋に通っているうちに私はキッチンの使用頻度の低さを確認しました 朝早くから夜遅くまで私のトレーニングを行うマスターには炊事に費やす時間がないものと判断 食事の提供についてニシノフラワーさんに相談したのは正解だったようです 『ブルボンさんがその…お、『おフロ』してからだとあんまり時間がないですよね?』 『でしたら事前に下ごしらえを済ませた食材を持っていきましょう。加熱して味付けするだけですからすぐに出来ますよ!』 ニシノさんから教えていただいた分量・時間と寸分違わぬ調理により彼女の料理に近い味を出すことに成功しました 「マスター。次回の料理のリクエストを要求します」 「次回って…足はもう良くなったんじゃないのか」 「湯治は継続した治療が効果的であり、マスターの食生活の改善も考慮し……その、ご迷惑でしょうか」 「……温泉の元、買い足しておかないといけないな」 安堵、喜び、そして不明の感情ステータスの上昇を確認 オーダー受領、これからも私はミッションを継続したいと思います