『ターパンの生態徐々に明らかに 研究チーム発表』(XXX0/05/25) 『ウマ娘体調不良■■■■■人確認 原因究明急がれる』 (XXX0/06/07) 『ウマ娘しっぽウィッグ売り切れ続出 高額転売も』 (XXX0/06/11) 『ウマ娘の体調不良原因はターパン? 専門家否定「関連付け時期尚早」』(XXX0/06/24) 『URA こころのホットライン開通 メンタルケア急務』(XXX0/07/02) 『トレセン学園 Tシリーズ無期限休止 理事長「残念」』(XXX0/07/28) ジリリ… 目覚ましがいつものように朝を告げ、私はベットから身を起こす。スペちゃんと競い合うようにアラームを止める癖は、そんな競争相手がいなくなってもすっかりと体に染み付いてしまっている。 そして私は髪を梳かし、ジャージに着替え、耳当てをつける。そして… 猛暑の準備を整えている日の光を浴びた寮の廊下とラウンジは、早朝といつもより長い夏休みに入ったということもあってシンとしていた。普段はさして気にもしないはずなのに、私はそこから逃げるように駆け出し、練習場へと向かう。 練習場には鳥のさえずりや生活音が独占し、遠くから普段よりも長い電車の警笛がかすかに聞こえる。普段なら朝早くても、レースを控えていたり努力家だったりする子たちがポツリポツリといるはずなのだけれども、ここ最近は貸し切り状態になっている。トゥインクル・シリーズが中止となってしまい、目標を失ってしまったということもあるのだけれども、私にはそれだけが原因じゃないとどことなく感じている。 走る気力が失われつつある。走りたい、勝ちたい、あきらめない。そんな少し前なら当たり前に持ち合わせていた感情が少しづつ抜けていくのを、この身体でもひしひしと感じる。私が今日も走るのは、いつでもレースに迎えるように備えるということでもあり、本来合宿があるはずだった体を持て余していたということもあるけれども、失われていくものを必死に食い止めようと、自分なりの抵抗という意味合いが強かった。ここで止めてしまえば、あきらめてしまえば…どうなってしまうのか。いうなればそれは正真正銘の『逃げ』なのかもしれない。対象がほかの子から、何か得体のしれないに変わってしまったけれど。 コースを走りながら、目まぐるしく変わってしまったここ最近のことを思う。終業式、体育館で理事長から活動休止の知らせを聞いた時、多くの子たちが嗚咽を漏らし、その場でうずくまっていた。私もご多分に漏れず感情を揺さぶられたけれども、何よりも悲しかったのは、どこか冷めた、諦めた視線をそのまま理事長に向けていた子が少なからずいたということ。そのうち何人かはハッとした顔になった後ポロポロと涙を流していたけれど、あれはきっと晴れの舞台がなくなってしまったことに対してではなく、別のことに対して泣いていたのだと思う。…いつか私もああなってしまうのだろうか。不安が頭の中をぐるぐると気持ち悪く渦巻き、その日の夜私はスペちゃんを抱き寄せ、ともに泣き通した。 その後、合宿の中止と学業面のシステム構築___オンラインでも授業が受けられるように環境を整備するということが重なり、普段よりも長い夏休みに入った。これを今後について考えるいい機会だと思った子たちが実家に帰ると、寮はすっかりと活気を失った。私も帰ろうかとおもったけれど、これで戻ってしまったら二度と帰ってこられないような気がして、今も帰ってしまったスペちゃんを恋しく思いながら、物寂しい部屋と目的がおぼろげなトレーニングの行き来で一日一日を費やしている。走ることは、楽しい。それは今も昔も変わらない。けど未来は?そんなことを思うと途端に息苦しくなる。走っているときやライブの時の汗とは違う嫌な汗が流れ出てきたので、私は一度足を止めて、息を整える。 「___外行こうかな。」 そう一人で呟くと練習場を抜け出し、正門から外へと飛び出す。ロードワークは本当に久々で心が弾む。ガランと空いた専用レーンで思い切り飛ばそう。目的地は…うん、春にイヌザクラがキレイに咲いていたあの丘の公園にしよう。そうと決めたらあとは走るだけ。こういう時は自分の集中力に感謝する。温まり切っているはずの体をもう一度ストレッチでほぐしながら、私は駆け出した。 走る。走る。わき目も降らず。 流れる景色___すっかりゆっくりと流れるようになってしまったけれども、それも楽しむ余裕があった。 走る。走る。先をみながら。 横から車道からはみ出してきたトラックに肝を冷やしながらも、行く先一点を見据えて。 走る。走る。風を感じながら。 橋の下に走る電車が止まっていて、線路上に人だかりと青いビニールシートが傍に見えた気がしたけれども、どこ吹く風のようになりたくて。 走る。走る。 走る。走る。 私は間違いなく、走ることを愛している。それを確かめるように、もう味わえなくなるかもしれない幸せをかみしめるように、走り続けた。 一気に公園まで登りきると、後ろを振り返る。わぁ、と小声で漏らすような光景があった。朝焼けだ。町が一望できるこの丘の上で、すべてをその色で染めているのが見えた。うっとりと、ぼんやりと眺めを堪能していると、 「スズカ、朝焼けは天気が悪くなる前触れなんだ。」 いつだったか、エアグルーヴから理科を教わっているときに言っていたことを思い出した。 「夕焼けは晴れるからいいんだがな。私からすると朝焼けはあまり好かない。…走れないから?それはお前くらいのものだたわけ。花の問題だ。雨が降るに越したことはない。ただ、暑い時期にそれが続くと…」 「根腐れを起こす。すぐに対処すればいいんだが、ほおっておくともう取り返しがつかない。一株一株対策ができていれば問題はないんだがな…おい、聞いているのかスズカ?」 「取り返しが、つかない…。」 パチッ、と音がしたので我に返る。後ろを振り返ると、ウィッグの金具が外れて落ちていた。梳いた時の髪で作った自作のウィッグを拾い上げ、じっと見つめる。朝焼けはそれも自分の色に染めていく。 「しっぽの毛並みが夕日にキラキラ光って、キレイ…」 スペちゃんと出会ったときに言っていたことがよみがえり、少しずつ手が震える。目の奥がキュッとなるのを感じる。あの時夕焼けに輝いていた、誰かの憧れや夢になっていたしっぽはもうない。そこにあるのは、朝焼けがすべてを染めるついでに輝かせたような、かりそめのしっぽしかない。渦巻いていた気持ちがまた頭をもたげてきた。涙がにじみ、立っていられなくなり、膝からくずれおちる。 「もう、戻れないの…?」 私が見たかった、スピードの向こう側。はたからみて「孤独」とも言われても追い求め続けていたスピードの向こう側。走り続ければ見つけられるだろうと思っていた、どこまでも静かできれいなはずだったスピードの向こう側…。 ああ、ああ。こんなことなら。 知りたくなかった。私が見たかった景色がこんなにも残酷で、怖さに満ち溢れたものだったなんて。 オレンジ色だった日の光が、少しずつ確実に色あせていった。