「うぅ……」 「――嘘……先生、先生! ○○君が目を覚ましました!」 俺の覚えている最初の光景は、病院のベッドの上。 一定のリズムで音を鳴らすなんだかよくわからない機械たちと――驚いて先生を呼ぶ看護師さんの声。 酷い事故があったらしい。 俺は家族と車に乗っていて、両親は即死だったらしい。 その事故の中で不思議な事に俺だけが生きていたが、脳に大きな傷を負ってしまい、目を覚ます事は絶望視されていた、らしい。 俺は半年近く眠っていたらしいなど――とにかく、色々あったのだという。 ――らしい、というのは何も覚えていないからだ。 医者から聞く俺の話はどれもこれもまるで実感がわかなくて、他人事のようだった。 ;------------------- 目覚めてすぐ、脳も含めなんどか検査を受けたが結果は健康そのものである、という診断結果が出た。 肉体的には明日にでも退院できるそうだ。半年寝たきりだったというのに筋力も問題ないらしい――そんなことあり得るのだろうか? いろいろ勉強してきた今になって余計に疑問に思う。 ただ記憶は戻らないかもしれない、と言われた。 なんでも、当時の事故の傷は本当にひどくて、頭に風穴があいていたのだとか。 それで生きていたのなら、俺は本当に人間なのだろうか。 あと、退院については親戚ではなく後見人の人が俺を引き取りに来てくれるらしい――俺に親戚は居ないのだろうか。もしかしたら、俺の家族は嫌われていたのだろうか。 それすらわからない。 わからない。 何もわからない事だらけで、何がどうなっているかもよくわかっていないが――トレセン学園、そしてトレーナー。 その二つの言葉だけは、起きてからずっと頭の中で反響するように残り続けていた。 その時、何故だか俺は、トレーナーになってトレセン学園に行かなければならない気がしていた。 ;------------------- トレーナーへの道のりは、険しかった。 元々狭き門ではあったが、中央行きの切符自体が選りすぐりの人物に与えられるものであること。 そして、俺が半年間寝たきりであった事と、事故によって歯抜けになったような知識の偏りによるハンデは大きかった。 特に、ひらがなに歯抜けがあったり、数字や四則演算を使えなかった事については相当に辛かったのを覚えている。 幸い日常会話に支障はなかったので、孤立することはなかった。 それでも、後れを取り返す為にとにかく死に物狂いで勉強した。 トレーナーにならなくてはならないと、トレセン学園に行かなくてはならないと。 なぜだか強迫観念にも似た思いに捕われ、骨身を削りトレーナーになるために必要な知識を身に着けていった。 後見人――養父はただ、必要なものを与えてくれた。 養父の事は今でも好きだし、感謝している。だが、俺の前に立つたび許しを請う目でこちらを見てくる姿は嫌いだった。 そんなのまるで罪人じゃないか。 罪を犯したと言うのなら、俺をこうして育てる事は出来なかったはずなのに――変な人だ。 ;------------------- トレーナーを目指して勉学を続けていた、ある日の事だ。 その日は、こんな曇り空だったのを覚えている。 養父に連れられて、なんだか大きな屋敷に向かった。 後に、それが知らぬ人は居ないと言われる程の有名人の家である事を知ったが、どうして養父が俺をそこに連れて行ったのかはわからないし、そもそもどうしてその人と知り合いなのかすらもわからない 時々思い出した振りをして訪ねても、申し訳なさそうな顔ではぐらかすばかりだ。 「しばらく待っていなさい」 何故か庭に置いていこうとした養父に応接室で待ちたいとお願いしたが、珍しく首を横に振っていいからそこにいなさい、と言葉を残していってしまった。 「なんか雨に降られそうでいやなんだけど……」 曇り空の下、外で待たされることになるのは気が進まない。 だが珍しい養父からのお願いだ。理由はまるでわからないが、いつも世話になってるのだからこれくらいは聞くべきだろう。 「あ、お客さんだ! いらっしゃい、お爺ちゃんの知り合い?」 ――そしてそれが、後に俺の担当になる彼女との出会いだった。 ;------------------- 「へー、あのおじちゃんの子供なんだ! あの人独身だったはずなんだけどなー」 そのウマ娘の少女は、こちらに興味深々でいろいろ訪ねてきた。 なんでも、お爺ちゃんの家に俺くらいの年の子が来ることは今までなかったらしい。 「色々あって血は繋がってないし、実は養子縁組もやってないんだけどね」 「へー、それなのに一緒に暮らしてるだなんて、変わってるねお兄ちゃん」 「事情があるんだよ……多分ね」 「自分の事なのに変なのー」 記憶の事はややこしいので言わなかった。言っても混乱するだけだろうから。 事情とはいったが実際の所、俺は養父に対して深入りするつもりはなかった。 何故だかそれだけはしてはいけないと思っていた。 ;------------------- 「あ、そうだ!」 「私ね、トレセン学園に通おうと思ってるんだ!」 「さっきも言っていたね」 「それでね、お兄ちゃんはトレーナーになりたいんでしょ?」 「なりたいんじゃない。なるんだ」 何故だかは分からないが、ならなくてはいけないと言う気持ちは――あのころからずっと変わらなかった 「だったらさ、その時にまた再会できたら、私のトレーナーになってよお兄ちゃん! 約束しよっ!」 「……っ」 ――約束。 その言葉を聞いた瞬間、何故だか頭がズキリと痛んだ……気がした。 思い出せない。思い出せないけれど、その言葉を裏切ってはいけない気がする。 ;------------------- だから、彼女にこう答えたのだ。 「ああ、絶対だ。約束するよ、キタサン」 「――えへへ……私、絶対待ってるからね!」 まるでパッと花が咲いた様な彼女の​笑顔を見て、俺は改めて決意したのだ。 必ずトレーナーになって、彼女――キタサンブラックとの約束を果たすのだと。 ;------------------- _______________________________ 「クソ……」 思い出せない。彼女の事を。 「クソ――クソッ、クソッ、クソッ!!」 思い出せない。彼女との約束を。 「……なんでだ、なんでなんだよ!」 『私のことすら忘れていた酷い人ですけど』 そう寂しそうに語ったサトノダイヤモンドの顔を思い浮かべ、必死になって記憶をたどる。 ――思い出せない。あの病院より前の記憶がわからない。 家族の事すら気にした事はなかったのに、今更になって記憶がない事をこんなに後悔する事になるなんて。 今まで思い出す努力すらしなかった自分が許せなくて、苛立ちが止まらない。 ;------------------- ……イライラのあまり、気が付けば校舎の外に飛び出していたらしい。 「三女神の像……」 気が付くと目の前には学園のシンボルでもある三女神の像が立っていた。 三女神。 ウマ娘の始祖とされ、彼女達を常に見守り、導くとされる三柱の神々。 キタサンも何度かここで勇気を与えられたと言っていた。きっとそれは本当の事なのだろう。 だが俺はウマ娘ではないただの人間で、しかも約束を覚えていないようなクズだ。 例え祈りを捧げても、女神たちに鼻で笑われてしまうだろう。 「……はあ」 学園内を歩き回っているうちに少しだけ落ち着いてきた。 一度帰ろう。そして、ダイヤとは改めてちゃんと話し合うべきだろう。 ……もちろん、キタサンとも。 そう思い踵を返しトレーナー寮の自分の部屋へ戻ろうとした瞬間――真っ暗な空間に飛ばされていた。 ;------------------- 「え?」 意味が分からなかった。遂に俺はおかしくなってしまったのか? 不思議と恐怖はない。それどころか安心感すら感じる。 しかし、どうすればいいのかわからず困っていると、後ろから一人のウマ娘がやってきて通り過ぎていく。 一瞬しか顔は見えなかったが……何故だかこちらに優しく微笑んでいた気がした ――あの衣装。あの髪の色。 それは、写真や記録でしか見たことのない、あの事故で死んだはずのウマ娘。 そんな、そんなはずは。でも、間違いでなければあれは俺の―― 「待っ――――」 思わず駆け出して追いかけようとしたその瞬間――目の前が光で埋め尽くされた。 ;------------------- 『…お兄さん』 『うん?』 幼いウマ娘の少女が、横に立つ少年の手を弱弱しく掴み声をかける。 ――何故だか、あの少年は俺だという確信があった。 そして、隣に立つ少女の鹿毛の髪色と前髪の白いダイヤの模様。 間違いない、彼女は。 『私、大きくなったらトレセン学園に通おうと思ってますす』 『さっきも言っていたね』 『だから…もし、もしもですよ? 私が無事入学できて、その時お兄さんに担当が誰も居なかったら――』 『わ、私だけの専属になってくれませんか、お兄さん』 不安そうな少女の声に少年は何かを決意したで答えていた。 ;------------------- 『いいよ。もし俺がちゃんとトレーナーになれたら、君を最初の専属にするよ』 『本当ですか!? 本当ですよね!? 約束ですよお兄さん! 嘘は無しですからねっ!!』 ああ、俺は。 俺は、この光景を知っている。 だってこれは。 『ああ、絶対だ。約束するよダイヤ』 『――はいっ、約束ですっ』 キタサンと約束を交わしたあの時と全く同じだったのだから。 ;------------------- 「ハハ……なんだよ、それ」 ポツ、ポツと降ってきた雨粒が徐々に地面を濡らす。 最初はゆっくりとした勢いだったそれは、次第に勢いを増し土砂降りに変わり、容赦なく体を打ち付ける。 いつの間にかもとに戻っていたみたいだが、そんな事はどうだってよかった 「……これが奇跡だって言うなら、あんまりじゃないか。なあ、女神様」 ウマ娘ではない人であるこの身に、女神は手を差し伸べてくれた。 だけどそれは決して優しさによるものではなかったのだろう。もしかしたら、戯れだったのかもしれない。 叶うならこのまま、雨に流されて消えてしまいたかった。 だがそれは叶わない――叶ってはならない。 俺は、俺はここで答えを出さなくてはならない。 そしてどの答えを選ぼうと、どちらかを裏切る事になるのだ。