「なんだよ!ボクを2冠にしかできなかったくせに!トレーナーなんか大嫌いだ!どっか行っちゃえ!」 原因も思い出せないような、ちょっとした言い合いから発展した喧嘩で飛び出した暴言 決して本心なんかじゃない、偽りの言葉。だけど、絶対に言ってはいけない禁句 ―それがどれだけこのヒトを傷付けるかなんて、興奮していたボクは分かってなかった そんな言葉をぶつけると、トレーナーは「…そうか」と一言呟いたきり出て行ってしまった ふんだ、トレーナーのバカ!分からず屋!逃げるだなんてもう知らない! しばらくプリプリと怒ってたけど、ご飯を食べて、寝る前くらいには頭が冷えて落ち着いた 明日、トレーナーが謝ってくるようなら許してあげようかな。テイオー様は寛大だからね ―傲慢で、幼稚。直ぐに謝りに行くべきだった。そんな機会は…もう二度とない 朝、嫌な気持ちで目が覚めた。何か胸騒ぎがする 着替えていると慌ただしく扉を叩く音。何だろうと思っていると会長がボク達の部屋に飛び込んできた。その顔は真っ青だ 「か、カイチョー?どうしたの?そんなに慌てて」 「テイオー、落ち着いて聞いてくれ」 ボクの肩を掴んで真剣な顔で見つめる会長。嫌な予感が膨れ上がる 「君のトレーナーが、事故にあって…先程亡くなった」 世界が、凍り付いた 「は…?え…?う、嘘だよね?カイチョー」 「いつもの冗談より、面白くないよ…?ねぇ、カイチョー…」 沈痛な表情で顔を伏せる会長。そんな…嘘だよ…だってボク、まだ仲直りしてない… 昨日の言葉と去り際のトレーナーの顔が脳裏に浮かぶ ボクはトレーナーをいっぱい傷付けて…イヤだ、イヤだイヤだ。あんなのがお別れだなんて! あんなこと言わなければ…トレーナーはもしかしたら、なんて… 「う、うわああぁぁぁぁああっ!!」 頭の中が滅茶苦茶で、ボクはそのまま気を失った そこから先はあんまり覚えてない。ハッキリした時にはもう火葬場で煙が上がっていて、トレーナーは小さな壺に収まっていた トレーナー…ボクを撫でてくれたガッシリした手も、勝ったボクを抱き締めてくれた大きな体も全部、こんなに小っちゃくなっちゃうんだ… トレーナーがお墓の中に入れられる。そばではトレーナーのパパママや会長、皆が泣いているけど、何故かボクは泣けなかった お墓に向かって、手を合わせる。それでお葬式はおしまい 手を合わせてる間もトレーナーのことを考えてたけど、やっぱり涙は出なかった 数日後、ボクはトレーナーの部屋にいた 所謂遺品整理というやつで、ここにはボクの私物もいくつかあったから片付ける前に回収してくれと言われたのだ お揃いで買ったマグカップやゲームセンターで一緒に取ったぬいぐるみなんかを箱に入れる 思い出の品だけど、持って帰っても使うかは分からない。でも捨てたくはない 次々と箱に詰めていると、机の上の万年筆に目が留まった トレーナーの愛用品の万年筆。目覚まし時計と一緒にトレーナーの師匠に贈られた大事な物だと言っていた 手帳に書き込む姿がカッコよくて、ボクも欲しいと駄々を捏ねたこともあったっけ 幸いトレーナーのパパママからは気に入った物があれば持って行ってくれてもかまわないと言われている。これを貰おう 万年筆を手に取ると、机の上に大量の紙が置いてあることに気付いた 見てみると全てレースのデータだった、国内だけじゃなく海外のものまである そのどれもがボクが出場した場合の傾向や対策が書かれていて、トレーナーがどれだけボクのことを考えてくれていたのか直ぐに分かった そして顔を上げると、いくつのも張り紙 『テイオーに三冠を!』『彼女の努力と実力の為に、自分も最大の努力を!』…そのどれもが、ボクを信じ、自分を追い込み鼓舞する物だった トレーナーへ投げつけた最期の言葉が蘇る。トレーナー…こんなに頑張ってくれていたトレーナーにボクは何てことを… ボクがボクらしくいるためには…無敵のテイオー伝説には、トレーナーが必要だって、分かってたのに… トレーナーとの思い出が頭を巡り、ボクの胸を締め付ける。トレーナー…トレーナー…ごめんなさい…あんなのが最後なんてイヤだよぉ… トレーナーが死んでから初めて、ボクは泣いた 一体どれくらいそうしていただろう。外はすっかり暗くなっていた 今のボクはまるで抜け殻。身体に全然力が入らない でも、いつまでもそうしてはいられない。トレーナーはボクを信じてくれていた。だからボクはこれからも頑張らなければいけない それでも、今日は、今日だけは許して欲しい。 トレーナーのベッドに横になる。ベッドの中には、トレーナーの匂いがまだ残っていた 会いたいよぉ…トレーナー…また抱き締めて、頭を撫でて「頑張ったな、テイオー」って言ってよぉ… 目の前にあった目覚まし時計を抱き締め、身体を丸める。明日からまた頑張るから、だから今日だけは…このままで… トレーナーの残り香と温もりに包まれて、ボクは眠りについた 遠くで、目覚まし時計が鳴った気がした 「わぁっ、お姉ちゃんありがとー!すっごいジャンプだったね、かっこいー!」 「…え?」 「んー?お姉ちゃんどうしたのー?」 気が付くと、ボクの目の前にはどこかで見た女の子。あれ?ボクはトレーナーの部屋で寝ていたのに…なんで公園に…? 混乱していると、後ろから声が聞こえてくる 「キミ、大丈夫?!あんなジャンプして、着地の衝撃とか…足、痛めてないか?!」 この声は、まさか…でも、聞き間違えるはずがない ゆっくりと振り返る。そこには、どうしても会いたかったあのヒトが―― 「トレーナー!!」 思わず抱き着く。この匂い、温かさ、夢でも幻でも無い。トレーナーだ…! 「会いたかったよぉ…トレーナー、トレーナーぁ…」 もう離さない。そんな思いで抱き締めていると、トレーナーは戸惑いの声をあげた ゆっくり顔を上げ、トレーナーを見る。トレーナーの顔に浮かんでいるのは困惑。まるでボクを知らないみたいな… 「えっと、確かに俺はトレーナーだけど、キミは誰だい?学園のウマ娘だよね?」 ――目覚まし時計の音は、まだ鳴り止まない 「2分28秒!凄いタイムだな!記録更新だぞテイオー!」 「そーでしょそーでしょ!なんたって無敵のテイオー様だからね!」 あの後、ボクはトレーナーと初めて出会った場所まで時間が戻ったのだと気付くのにあまり時間はかからなかった 原因は分からない。けど、ボクはトレーナーにもう一度会えたのが嬉しくて、そんなことは頭の端に追いやってしまった その場でトレーナーを逆スカウトして、会長に宣戦布告もした。3冠だって達成した トレーナーが生きていて、夢も達成して笑い合える。幸せだ、幸せなはずなんだ でも…分かってしまう。このヒトはトレーナーだけど、トレーナーじゃない 仕草も、笑顔も、優しさも、全部が全部おんなじ だけどこれは…よくできた偽物だ ただの思い出の美化なのかもしれない。でも、魂でそう感じるんだ 同じ道を二回歩いたって、同じ時間には着かないし歩幅も足跡も変わる 出会いからして違うし、ダービーで足も痛めてない。夏合宿で負担も与えなかった このヒトはボクがトレーナーと歩んできた道を、違う歩幅で歩いてるんだ 3冠目を取った時から、それを顕著に感じるようになった このヒトは紛れもなくトレーナーだ。でも…ボクが好きになったヒトじゃない 日常で見えるわずかな差異が、違和感が、軋みとなってボクを蝕む このままいくとボクの中のトレーナーは歪み、壊れてしまうかもしれない でも…それでも、あの別れを考えると、どうしたって手放すことはできない ――頭の中ではまだ目覚ましが響いてる。ボクは…本当に幸せ? 「…オー、テイオー?」 「あっ、えっと…何かな、トレーナー?」 「大丈夫か?最近よくぼーっとしてるみたいだけど」 「そ、そうかな?だいじょーぶだいじょーぶ!なんたって無敵のテイオー様だからね」 ある日のミーティング。目覚ましの音が消えないせいか、最近寝不足だ 前までは気にならなかったけど、音が大きくなってるように感じる 「でも、たまにはどっかでのんびり羽を伸ばしたいなー」 「お?言ったな?そう思ってほら、これ」 トレーナーが何かを差し出す。あれ?この流れってどこかで… 「これ…温泉旅館のパンフレット?」 「ああ、3冠のお祝いと慰安を兼ねてさ。ここなんてどうだ?」 思い出した。そうだ…これが喧嘩の原因、そして…今日はボクがトレーナーを傷付けた日だ。このままだとトレーナーは…トレーナーは… 「テイオー?どうした?」 そうだ、ここで何も言わなければ、ただ受け入れれば、時間が長引かずトレーナーは死なない。ずっと一緒に居られるんだ 言え、言うんだボク。そこでいいよって、ありがとうって… 「う、うう…うえぇぇぇぇ…!トレーナーぁ…ごめんなさいぃぃぃ…」 「テイオー?!なんで泣いてるんだ?!」 「ひっく、あの時、酷いこと、言って…うっく…ホントは、ずっと感謝してたのに…」 「温、泉もっ、凄く、嬉しかったのに、ひぐっ…変に意地張って、ワガママ言って…」 「ごめんなさい…ごめんなさい!トレーナー!死なないで!」 泣きながらトレーナーに謝る。そうだ…ボクはずっと、トレーナーに謝りたかったんだ 罪悪感でずっと目を反らしていた。会いたいとか、幸せとか何とか言って誤魔化して なんて自分勝手。自分のことしか考えてない、傲慢な願いだった もう言葉ですら無い何かを叫びながらワンワン泣く。今願うのは、純粋にトレーナーのこと 神様。3冠なんていらない、ボクがどうなってもいい。だから…だから…トレーナーを、助けて… その時、ふわりとトレーナーに抱き締められた 「大丈夫だよ、テイオー。分かってる…分かってるから」 トレーナーの笑顔は、ボクがよく知ってるトレーナーの笑みで… トレーナー…?ボクの知ってる、トレーナーなの…?不思議な気分になりながらボクは目を閉じた パチリと、目が覚めた。身を起こし周りを見渡す…トレーナーの部屋だ ボクが持って来た段ボールや机の上の張り紙には見覚えがある 違うことと言えば、ボクが抱いていた目覚ましが粉々になっていることくらい 全部、夢だったの…?トレーナーに会って謝りたい、許されたいって願ったボクの、都合のいい…夢? そんなの…そんなのってないよ…!ジワリと目に涙が浮かぶ。そのまま泣きそうになったところで ――ガチャリと、扉が開く音が聞こえた 「あー、やっと帰ってこれた…って、テイオー?なんでウチにいるんだ?」 「トレー…ナー…?」 間違いない、トレーナーだ。ボクの…ボクのトレーナーだ…! 「段ボールまで持ち込んで、また物を増やそうと…おわっ?!急にどうした?!」 ベッドから飛び出して抱き着く。このヒトだ…このヒトだけが、ボクのトレーナーなんだ… 「トレーナー…トレーナー…!酷いこと言って…大嫌いなんて言って、ごめんなさい…!」 「本心じゃないことくらい分かってるから、気にしてないよ。テイオーのことは俺が一番知ってるんだから」 優しく抱き返してくれるトレーナー。おかえりなさい。そして、ただいま…トレーナー 「入院中は暇でなぁ。おかげでいいトレーニング法を考えることはできたけど」 トレーナーから話を聞くと、事故にあったのは本当みたい でも奇跡的に無傷で、今までいなかったのはただの検査入院だったんだって 「なんかさ、テイオーの声が聞こえた気がしたんだよな。『ごめんなさい!死なないで!』って」 「えー?ボクそんなこと言わないよー?」 「それでもさ、テイオーが守ってくれたように感じたよ。…ところで、そろそろ降りてくれない?」 「やーだよー♪ボクを放っておいて寂しくさせた罰だもーん」 話を聞いているボクはトレーナーの膝の上。両腕も前に持ってこさせて完全ホールド状態だ 「そうだ!それならボクのお願いを一つ聞いてくれる?」 「選択肢無いだろそれ。まぁいいや、言ってみ?」 「うん…今日はトレーナーと一緒に寝たいな…ダメ?」 「寝るだけ!寝るだけだから!お願ーい!」 「うーん、テイオーも年頃の女の子だし、同衾はちょっとなぁ…」 「えー?もしかしてトレーナー、変なこと考えてる~?エッチー!」 「寮に叩き返すぞ?」 「わーっ!冗談冗談!ごめんなさいー!」 「でもね…どうしても、今日は一緒に寝たいの…トレーナーと、一緒がいいの…」 今離れたら、またトレーナーがいなくなっちゃいそうで… 「全く…仕方ないな。ほら、おいでテイオー」 トレーナーのベッドに潜り込みギュっと抱き着く。この温かさを、今度こそ離さないと心に誓った 「トレーナー…温泉、一緒に行こうね」 「ああ、一緒に…な」 背中に手が添えられる。そのまま撫でられると、ボクはたちまち微睡みの中に落ちていった 今なら間違いなく言える。ボクは…幸せだ。いや、違う…ボクが幸せにするし、幸せになるんだ。トレーナーと一緒に ――目覚ましの音は、もうしない