「どうぞ、トレーナーさん……熱いうちに召し上がってください」 「ありがとう、カフェ…いただきます」 白いマグに、漆黒の液体のコントラスト 黒曜石に似た髪と勝負服の隙間から白い肌を覗かせる彼女はやはりコーヒーがよく似合う マンハッタンカフェ…コーヒーをこよなく愛する彼女と3年間を過ごす中で、レース後のコーヒーブレイクは欠かせないものとなっていた 勝利の日も、惜敗の日も、惨敗の日も。反省会を済ませた後は彼女の入れたコーヒーを啜りながら、ただ静かにひと時を過ごした 彼女のドリップは、日ごとに違う味わいを楽しませてくれた。彼女と出会うまでコーヒーがこんなにも多くの表情を持つなど思っていなかった 豊かな表情と沸る熱さを寡黙な黒で包み込むコーヒーは、マンハッタンカフェというウマ娘そのものだった 「今日は、苦いね」 一口飲むと同時に、感想が溢れた 彼女のコーヒーは日記帳のようなものだ。楽しいことがあれば柔らかく、和む味に。辛いことがあれば苦味と酸味が強く 感想を聞くと、カフェは静かに直近の出来事を話してくれる。トレーナーである僕が知っていることも、知らないこともある。彼女の交友関係は存外に広い そして今日の味わいは…僕の胸にも突き刺さるものがあった 「……URAファイナル……一歩、及ばなかった。どうしても、その味になってしまうんです……」 「嘗胆か。でも薪に臥すのはだめだよ、寝不足になるから」 トゥインクルシリーズ3年間の集大成たるURAファイナル 並みいる強豪を押し退け決勝にまで駒を進めたカフェであったが、惜しくも2着という結果に終わってしまった 彼女を下したのはアグネスタキオン…有馬記念の大一番をかっさらった彼女に、カフェは二度も後塵を拝したのだ カフェはあまり感情を表に出す子ではないが、人並み以上の情熱と、勝ちへの拘りがある 彼女にとって、今日の敗北の苦味は筆舌に尽くし難いだろう 「…彼女…彼女達は凄かった。君は本当によくやったよ。誇りに思う」 「ありがとう、ございます」 カフェの口角がほんの少し…ミリ単位ではあるが上がったように見えた。3年間の短い付き合いではあるが、ありきたりな慰めが嫌味にならない程度には信頼してくれているようで嬉しくなる 「負けたから、というわけではありませんが…タキオンさんは、未だに少し好きになれません。勝手ばかりでいろんな人に迷惑をかけているし、自分のトレーナーさんにまで……」 カフェのぼやきを聞いて、彼女…タキオンのトレーナーのことを思い出す いつも奔放なタキオンに振り回され、怪しげな薬の実験台にされている哀れな『モルモット』君…として、同年代のトレーナーの間では人気者?となっている彼 何回か愚痴を聞かされたが、その語調は半分惚気のようなもので気恥ずかしくなったものだ 自分とカフェの関係とは毛色が違うが…あれもまた、トレーナーとウマ娘の信頼の形なのだろう 「あの二人はあれでいいんだよ。いつも迷惑をかける、かけられる間柄っていうのも一種の絆なんじゃないか」 「絆……ですか」 考え込むカフェ。僕に対して素直…というか、ほぼ従順とも言える彼女にとってあの二人の関係は理解し難いのだろうか と、おもむろにカフェが立ち上がった。まっすぐこちらを捉える金色の瞳に、吸い込まれそうな感覚があった 「否定……して、ほしかったです。あんな関係は認めない。私たちこそがトレーナーとウマ娘の関係の模範だと」 そう言いながら僕の側にテーブルを回り込むカフェ 「迷惑をかけるのも絆なんて……あなたの口から、聞きたくありませんでした。そんなの……」 カフェが椅子の横に立った。瞳は僕を捉えて離さない 「私も……トレーナーさんに、迷惑をかけてしまいたくなります……」 彼女はするりと体を滑らせ…私の膝の上に腰掛け、腕を首に回してきた 彼女らしからぬ大胆な行動に、一瞬思考が凍りつく 融解が進むにつれ、自分の中の押さえ付けていた感情までもが再び熱を持ち始める自覚があった 「…迷惑だと思う?」 「……トレーナーさんは、大人ですから……私みたいな子供に言い寄られるのは、迷惑だと……」 「そこまで年は違わないよ…10年もすれば、変な目では見られないんじゃないか」 「……それ、って」 顔を上げ、こちらの表情を伺うカフェ。赤みが差した白い頬と、驚きと期待が入り混じった眼差し…今まで見たことのない彼女の表情に、心が騒いだ いや、この感触には覚えがある。多分今日よりもずっと前、君の走りを見た、君に声をかけた、あの時から、ずっと… 「迷惑をかけるのは、僕の方だ。僕のような冴えない男が、君の輝かしい未来に付き纏うなんて…これ以上迷惑なこと、ないだろう」 「……そんな、迷惑なんて……あ……嬉しい、です、トレーナー……」 抱きついてくるカフェを抱きしめ返す。華奢な印象とは裏腹な柔らかさを感じ、案外スタイルがいいんだ、と他人事のように思う 「トレーナーさん……私を、抱い」 「待って待って待って…え?早くない?告白した直後は流石に」 「……珍しくはないそうです。噂ですが、中等部の子でも……」 ううん、聞きたくなかった。最近の子は進んでいるというが、流石にこれは性の乱れが深刻ではないかトレセン学園 「君を抱きたくない訳じゃない、本当だよ…しかしレースでも恋愛でも、あまり掛かるのはよくない。他所は他所、うちはうちで少しずつ進んでいこう」 「……迷惑じゃないって、言ったのに」 「こういうことになると攻めなんだね君は」 ふふっ、とお互いに笑う。意気地がないのは自分でもわかっているが、いくら好き合っているといえ教え子と男女の仲になるのは中々怖いものだ。 昔そういうドラマがあったが、あれもラストは破滅を思わせる終わり方だった気がする 「……わかりました、序盤は焦らず脚をためるのは、トレーナーさんが教えてくれたことですから」 笑顔になってくれたカフェだが、膝からは退いてくれない。向かい合う体制になり、何かの準備でもしているかのようだ 「でも……それなら、証が欲しいです……トレーナーさんの気持ちが本物だっていう、証……」 言うや否や、ゆっくりとカフェの顔が近づいてくる。金色の瞳が閉じられ…唇が、触れ合った 唇を合わせるだけの、初心者同士のキス。仕方ない、これ以上はお互いに我慢できなくなる気がした 「コーヒー、冷めちゃうよ」 「飲み終えたら……もう一回、しましょう……ほろ苦い味になる、かも」 悪戯っぽく微笑むカフェが、膝に腰掛けたまま自分のマグに手を伸ばす これはやっぱり…迷惑をかけられるのは僕の方か、などと思ってしまうのだった 後日、タキオンが大々的にトレーナーとの婚約及び妊娠報告を行った結果、触発されたカフェに本気で迫られることになったのは別の話である