2人の間を、静寂が支配する。 特急列車に乗り換えてから、既に15分。空港を出てから30分ほど経ち、最後に言葉を交わしたのは、荷物を受け取っている最中なので45分ほど前。 その間、なんとか目を合わせたか、頷いたか、その程度のコミュニケーションしか取れていない。 ────思えば、自縄自縛のような気がする。スペシャルウィークの急な旅路に付き合って、彼女の地元へ出向く事になったは良いが、その目的である親御さんへの挨拶に対し、 「年頃の女の子が実家に男を連れていくって重大な事だよ」 と慌ててしまったのが始まりで、成田空港のエントランスで揃って叫び、機内でギクシャクし、今は黙りこくったまま。 結局、引き返す訳にもいかず、そのまま北海道の地を踏んで、なあなあで列車に揺られる我々の間には、わずかな後悔と、静寂ばかりが駆け抜ける。 そんなつもりじゃあなかったのだ。互いの信頼と好意にヒビを入れるつもりなど毛頭なく、ただ3年間の感謝と親愛を込めて、挨拶をしたいと、それだけの事だったのだ。彼女は。 なのに、俺は。 思わず出そうになる溜息を飲み込んで、窓の外を見る。 のどかで静かな、どこまでも青々とした風景が、めまぐるしく、しかしゆっくりと流れていく。 特急車両の4列シートは肩が触れるほどの距離感で、横を向くまでもなく彼女のことは視界に入るし、手を出せば彼女のことなど、どこだって触れられる。 今、肩を抱いてやれば、頭を抱いてやれば、撫でてやれば、何か変わるのだろうか。 どこまでも純粋で、優しくて、無邪気な彼女の好意を汚したという気持ちが、これまで何気なく行ってきたそれらを阻む。 くだらない感情だとは思う。しかし、互いに黙っている事は、事実として頑然と立ちはだかる。 ふと、彼女の座る通路側から、何かが当たる。 膝に、腿に、こつん、こつんと、3度ほどのノック。 思わず彼女の方を振り向くと、相変わらずそっぽを向いたまま、しかし、こちらに左手と、尻尾を差し出す彼女の姿。 覗く顔は僅かに紅く、まるでなにかを恥じらうような、急かすような、そんな──── 差し出された手に自らの手を重ねて、ぎゅっと握りしめる。 甲を向けた彼女の手が翻って、こちらの掌と相対し、握り返される。 ぎゅっ、と握る手を握り返し、そしてまた握り返され、エコーのようなコミュニケーションを取っていると、肩に、腕に、柔らかで滑らかな、尻尾の当たる感触。 少し強めに握られた手を緩めると、彼女の指が、こちらの手指を絡め取る。指の股を隙間なく埋めて、ぴたりと絡んで、それは、まるで、恋人の。 思わず顔が火照ってしまうが、不思議と嫌な訳ではなく、どちらともなく湿る掌を、ぴたりと合わせて握り返せば、僅かに揺らめく尻尾が、ぱたぱたと肩に触れる。 「────あの、トレーナーさん」 彼女が、意を決した声でこちらを呼ぶ。 「嫌でしたか」 その声に、即座に首を横に振る。 「挨拶する前に、ちゃんと言い直させてよ」 「……はい」 「……なし崩しじゃ、スペのお母さんに失礼だからさ」 そう言って彼女の方に顔を向けると、数十分ぶりに彼女と目が合った。 その目は安心、信頼、好意、慕情、様々なものが綯交ぜになったような涙目。 知っている。彼女は感情の起伏が激しい子だ。嬉しくても悲しくても泣いてしまうような、純朴な女の子だ。 けれどもなんだか、申し訳なくて。 「こんな美人を泣かせた責任は、取らないとな」 「……ちゃんと、お母ちゃんに挨拶してくださいね、トレーナーさん」 「ああ────」 ぽたりと、涙の粒が落ちた時。 また、2人の間を静寂が支配する。 車両には人もまばらで、周囲に座る者はゼロ。 4列シートはまるで、2人だけの世界で。 どちらともなく、唇が触れる。 飲んでいたコーヒーと、彼女に買ってあげたハチミツ味のジュースの味が、混じって溶ける。 苦くて甘いその味は、まるでこの先の恋路を示すようで。 「ご乗車お疲れ様でした、次は────」 長い旅路の、終わりが見えはじめる。 長い旅の、始まりと共に。 --- バタバタと、床を踏み鳴らす音。 少しばかり古い家屋でなければ鳴らない、乾いた床板の音に、心地よく叩き起こされる。 昨日はたしか、スペのお母さんに挨拶をして、話をして、生みのお母さんに挨拶をしに行って──── 随分と深く眠ったのか、頭の回りも身体のエンジンのかかりも遅い。 そんな身体を引き起こして、どっこらせと背を伸ばすと、自らを起こした足音の持ち主が目の前に居た。 その姿はTシャツ一枚にパンツのみと、随分だらしなくて──── 「おあっ、ちょっ、なんて格好してんだ!?」 「ええっ、そんな────あっ、ちが、わああーっ!?」 春の空に、阿呆2人の声が響く。 「実家に帰って来たんだって思ったら、つい気が抜けちゃって……」 「ま、まあ、いずれは慣れるつもりだが……」 ジャージ姿に着替えた彼女と、朝食を共にする。 食卓を囲むと、ここに至る3年間と、昨夜の出来事が脳裡に去来する。 ────絶対に、幸せにしてみせます。 俺は昨夜、躊躇いなくそう返した。 3年間、走る事ばかり考えていた彼女を。今後数年はまだ、走るであろう彼女を。 その人生の最後まで、幸せにすると誓った。 スペのお母さんが一瞬面食らった後、綻んだ表情をしたのを覚えている。 隣に座るスペが、ずいぶん頼もしそうに、鼻を鳴らしながらこちらを見ていたのを覚えている。 思えばずいぶん遠くまで来たと、ぼんやり思ったのを覚えている──── 「トレーナーさん、食べないんですか?」 ふと意識を戻すと、茶碗をカラにしたスペがこちらの顔を覗き見ている。 現役のアスリートかつ健啖家の彼女にとって、三度の食事はなにより大切な儀式だ。それに倣って、俺も出来るだけ食事をしっかり取る事に努めている。 「大丈夫、食べるよ。足りないなら分けるけど」 そう言いながら、慌てて朝食をかき込む。塩鮭、味噌汁、白米、沢庵、昨夜の残りのから揚げ、牛乳────朝から食べるにはやたらと品目が多いが、しっかり食べ進めていく。 うまい、うまい。彼女を真似て、美味しいものは出来る限り美味しそうに食べる。実際、やたらと美味しく感じるので、自然とそうなる。 視線を上げると、太陽のような笑顔をこちらに向けて、耳をぱたぱたと揺らす彼女が目に入る。 どうやら、俺が彼女の健啖ぶりを見るのが好きなように、彼女もまた、俺が食事をする姿を見るのが好きらしい。 「味付けとか、濃かったりしませんか」 「いや、満足しております」 そんなやり取りが、食卓に響く。 そうして、あらかた朝食を片した頃、はたと気付いて声をかける。 「なあスペ、お母さんはどうした」 そういえば、起きてから一度も見かけていない。いくら一国一城の主とはいえ、こう姿を見ないという事はないと思う。 それほど忙しい身分なのだろうか。だとしたら、ますます礼をしなければ。そう思っていると、目の前の彼女があっけらかんと、 「お母ちゃんなら、3日ほど家を空けるって出ていきましたよ。春先だし、道南の方まで仕事でも────」 「いや、いやいやいや」 そう語る彼女の口を、思わず遮る。 男女ひとりを置いて家を空けている状況ってなんだ。客を置いて出て行く状況ってなんだ。 北海道のだだっ広い、周りになにもない土地に、娘とその彼氏を置き去る状況ってなんだ、そういえば朝食はスペが用意したのか、俺が味噌汁好きなの忘れて無かったのか、わざわざ洗濯物を出すよう言われたのって────そこまで考えて、パチリと頭のスイッチが入り、額を押さえた。 「……スペ、あとで散歩でも行こうか」 「……ですね!」 彼女にも思うところはあったのか、少し頬を染めながら、僅かに澱んだ返事が返ってくる。 とりあえず外の空気でも吸って、それから考えてもいいだろう。 しばらく歩けばスーパーもあるようだから、そこを目指して歩くのも悪くない。そう思って立ち上がると、彼女に裾を引かれる。 視線を落とすと、意を決した表情の、彼女。 「トレーナーさん、やっぱり、あの、今晩────」 「……うん」 2人の間を、春の日差しが、キラキラと瞬いていた。 --- 隣の布団から伸びてきた手が、こちらの腕に当たる。 湯上りで少し湿った、暖かな手を握り返すと、隣から小さな笑い声と、握り返すエコー。 語れる事は語り尽くした、そんな間に生まれる、小さなコミュニケーション。 握って、握り返して。僅かに指が離れて、絡んで。 指先と掌で繰り返すやり取りに、思わず顔が綻ぶ。 隣に目を向ければ、豆球に薄明るく照らされた、うっとりとした笑顔。 僅かに上気した頬も合わさり、可愛らしさに溢れた彼女の顔に、目が吸い寄せられる。 整った目鼻立ち、ぱっちりとした目付き、意外に凛とした眉。意識すると、その眉目秀麗さに思わずドキリとしてしまう。 慌てて視線をずらそうとした時、僅かにはだけた布団の衿から、彼女の胸元が覗く。 相変わらずなTシャツ姿の、少しだらしない襟口から、しっかりと浮いた鎖骨が、大きすぎない胸が、谷間が、少し湿った、ノーブラの、はっきり言って、結構主張の激しい胸が──── 思い切り溜息をついて、顔を背けてしまう。 いかん。俺はまだ、いや、俺自身は構わない。けれど彼女の気持ちが最優先だ。 気にしてない、気にしてない。あれはスペ。おバカなスペ。ファイナルズの時は緊張しすぎて1週間にお茶を3回こぼしたスペ。そう言い聞かせるように目を閉じようとした時、もそりと何かが動く感覚。 さっきまで片手同士で握っていた手に、気づけば両の手が掴まっている。そうして、それを手繰るように、布団に、侵入者。 暖かな体温が、ぴたりと縋り付いて。 握られていた手に、ひときわ柔らかい感触が押し当たる。 「……トレーナーさん、私、ちゃんと綺麗にしてきましたよ」 手をほどこうとすると、むに、と、柔らかいものに、ますます触れてしまう。 これが何か分からないほど、初心な人生は送っていない。 柔らかい、弾力がある、暖かい、しっかりとした重み、湿り気──── 堪忍袋の緒を弾くには、十二分な威力があった。 唇が重なり、舌が割り入る。脳の髄に、水音が響く。 左腕でしっかりと肩を抱きながら、右手は彼女の、胎を探る。 浅い位置を、中指で、少しずつ。初めてと語る割に、その秘裂は存外素直に、水を湛える。 上の口からは甘い水音を、下の口からは粘り気のある水音を、淫らに同時に響かせる彼女の姿に、大した事もせずに理性を焼かれる自分が居る。 馴染んだ頃かと人差し指を足してやれば、唇を放して熱く息を吐き、肩を震わす姿が目に入る。 その度、たぷん、と音を立てるかのように揺れる豊かな胸が、視覚的な性感をさらに煽る。 じわじわと、浅い呼吸に、甘い声が混ざる。水音が、色を濃くする。 下腹部の熱に、思考を支配される感覚。 ふと、か細い嬌声に、呼び声が混ざる。 「とれーなーさん、私、だいじょうぶですから」 「……いいんだな」 彼女の首肯に合わせて、涙の粒が落ちる。 「はー……っ、あ、あ゙、痛、ぁ」 「大丈夫か、スペ」 「ちょっと、待って、くらさ」 絶え絶えに息を吐きながら受け入れる彼女の頭を、優しく撫でる。 つむじ、耳、額、頬。するりと手を降らせて、首を撫でると、ぴくりと肩が跳ねる。 沙汰を待つ間にと、そのまま鎖骨を指でなぞると、短い嬌声に合わせて、胎がぎゅ、と締まる。 ただでさえ浅く、ぴたりと纏わり付く胎の反応に、つい息を吐いてしまう。 思わずまた、理性を塗り潰しそうになる。胸を軽く撫でた手を引っ込めて、いかんいかんと、彼女の顔を覗くと、そこには、僅かに蕩けた表情の、彼女。 「……あの、もっと、いっぱい、色々、触って……♡」 ぷちんと、何かが切れた気がした。 「ぁ、は♡とれーなーさっ、あっ♡」 首の筋に舌を這わすと、がくがくと脚を震わせながら縋る声がする。 そのまま首筋に口付けをして、強めに吸い付き痕を残すと、彼女が胎と脚を締め付けて快感を示す。 「ぅ゙、うぅ゙〜〜っ♡」 歯を立てて軽く噛んでみれば、柔らかな歯応えと共に、唸るような嬌声と、縋り付く腕の力が強まる。 破瓜の血でシーツを染めた、正真正銘の初夜とは思えぬ痴態に、ますます熱を帯びていく。 顔を覗くと、蕩け切った甘い表情。だらしなく開いた唇をいま一度奪って、纏めて犯し尽くすように、乱暴に舌を割り込むと、まるで寄り添うかのように、柔らかな舌が絡んでくる。 気づけば、ぬめりを増した手応えのある胎。腰は浮き立ち、時折こちらが抽送を止めるたびに、ゆらゆらと、求める動きを見せる。 それはまるで、こちらの全てを欲するような態度。全てを受け入れ、全てを愛したいと願うかのような、彼女の本能──── 「ごめん、スペ、もう」 「ぁ゙、ゔ、きもち、い、とれーなー、さんっ、すき、すきっ♡」 互いに縋り合い、劣情をぶつけ合う。 浅く感じた胎は既に最奥に自らを受け入れていて、水音に肌のぶつかる音が混ざる。 ぐつぐつと煮える脳内は、彼女への愛と、汚したい劣情に満たされる。 俺も好きだ。愛してる。全部が欲しい。 彼女の耳元に全てをぶちまけながら、腰を打ちつけていく。 そうして、一際激しく胎を抉った時。 ぐぽん、と間抜けな音がして、強烈な快感が押し寄せて。 がくんと互いに背を震わせて、熱い息を吐く。 同時に果てた繋がりからは、僅かに、白露が溢れていた。 「……しばらく、ジャージで過ごすようですね」 「すまん」 たははと笑って首筋を撫でる彼女に、素直に頭を下げる。 首から胸元にかけて、歯型にキスマークの応酬で、襟のないセーラータイプの制服には少々刺激的な見た目にしてしまったのは、他でもない自分。 こちらもこちらで力のこもった抱擁を受けた結果、引っ掻き傷に指の跡、オマケで見事な歯型を返されたのだが、全く気にならない。 なにしろ自分が理性的でいられなかったのが悪いのだ。だから──── そう考えていると、彼女が口を開く。 「大丈夫です、私がそう望んだんですから。  だから、今後も────たまに、付けてください。おまじないみたいに」 屈託なく笑う彼女の笑顔は、ターフの上で見せる顔と、同じだった。 --- 「で、」 『どうだった』 「の!?」 「んデース!?」 「んですか?」 「うえぇ……?」 休み明けのカフェテリアで、私は大仰に詰め寄られていた。 議題は言うまでもなく、私の帰省である。 トレーナーさんを連れての帰省。 「────年頃の女の子が実家に男を連れていくって重大な事だよ」 という、今や当たり前な事実を、目の前に並ぶクラスメイト達はきちんと理解していた。 あの日のナビゲーションに総出で並んでいたのも、今日この時、私を冷やかす為。 なんとも騒々しい人たちだ。レースにはあれほど真剣で、トレーニング中はあれほど頼もしいのに、日頃は本当に、心底、年相応で。 けど、それは私も同じことなのかな。そう思いながらクラスメイト達を一瞥していくと、1人だけ、浮いた存在。 セイウンスカイ。掴み所のない、ちょっと変わった女の子。 今は皆の隣に居ながら、一歩引いた姿勢で私たちを見てニヤニヤとしている。 セイちゃんが1人だけニヤニヤしているというのは、今に始まる事ではない。 イタズラをしている事もあれば、事態の真相を理解しながら黙っている事もある。 今回は後者だろうか。この状況の首謀者だろうか。 悩んでいると、ますますクラスメイトの視線が痛くなって──── 「み、みんな落ち着こう!?トレーナーさんとはちゃんと上手くいったから────」 『えっ!?』 「なしてー!?」 弁明をすると、今度は驚かれる。 どうやら、微妙に信用されていなかったか、信用されていたか────とにかく、大成功は期待されていなかったらしい。 「ま、まあ、応援はするつもりだったわよ。ただ、まさかあのスペシャルウィークさんが……」 各々驚く中、一番ビックリ驚き頭と化したキングちゃんは最早ぶつぶつ言い訳をする機械になった。 ここまで落ち着いていたグラスちゃんも、やはりそんなバカなという表情。 エルちゃんはズレたマスクを付け直すのに必死。 果たして、私の評価って────そう感じる中、いよいよセイちゃんが立ち上がった。 「いや、来た時から分かってた事じゃん。それ、見せ付けたいんでしょ」 セイちゃんが、首に手を当てるジェスチャーをしながら、こちらに近づいてくる。 「まさか、みんな素でその反応なの?スペちゃん、平時にジャージで登校してるのに?  ほら、どうせ大した事ないんだし、見せちゃいな、よっ────」 そう言いながら背後に立ったセイちゃんに、ジャージのジッパーを下ろされて、 「あ────」 『えっ────』 カフェテリアを、悲鳴が貫く。 体操服の襟は鎖骨まで開いた丸襟で、制服よりやや広い。 その範囲内だけでもキスマークは5ヶ所以上、歯型もいくらか覗いている状態。 初夜にして激しい情事があった事を物語るそれは、誰にとっても想定外で──── 「あ、え、スペちゃん……やるねえ……」 「なしてさー!」 結局、私の大成功例は、しばらくの間の秘密になった。