ボクのトレーナーは厳しい。 走ってる最中に気が削がれるとすぐに声が飛んでくるし、指定のラップタイムが守れないともう1本ダッシュが増える。 体は大きくて腕を組んでる姿は鬼みたいだし、目つきだって鋭い。 それでも、全部ボクのために時間を使って生きている。 「ねーえー、まだー?」 「まだ」 トレーナーの部屋、僕はベッドに座ってぱかプチのジャイアントマックイーンをぽこぽこ叩きながら不満を訴える。 ボクのトレーニングが終わっても、トレーナーのお仕事は終わらない。データの整理をして、それに伴ってメニューも少しずつ変えてる。ボクは少しだけ脚が怪我しやすいから、そのマッサージの時間も増やしたりずらしたり。多分正解なんてなくて、だから放っておくといつまでもやってるのだ。 時々目に大きな隈を作ってきて、ただでさえ怖い顔が悪魔みたいになるのが嫌だから、時々こうして監視に来るのだ。 だというのに、愛バが嘆いているのに、トレーナーは振り返りもしない。 ジャイアントマックイーンの顔の真ん中に凹み痕が出来た頃、漸くトレーナーが椅子から立ち上がった。 「終わった!?」 「コーヒー」 「ぶーぶー!」 ボクの抗議を無視してキッチンに立ち、コーヒーを入れる後ろ姿。ボクのためなのは百も千も承知で、だからこそ頑張りすぎないで欲しい。 ゆえに、ワガママで困らせて休ませるのがボクの仕事なのだ。 「さーみーしーいー!」 「貰い物だけど」 「カスタードシューだ! はちみつ入ってるやつだよね!」 「美味しいよ」 放り投げられたおやつが美味しくて一瞬完全に目的を忘れかけたが、頑張って軌道修正。 「心配してるのにぃ……」 「知ってるよ」 「じゃあそろそろ休憩してよー!」 「こんな事でテイオーの将来について後悔したくないから」 「ボクを放っておくのは後悔にならないのー?」 「いつか解る」 「わかんない! ボクは今トレーナーと一緒に居たいの!」 「ありがとな」 ちら、とボクの方を見て、トレーナーは苦笑いをした。なにさ、大人ぶっちゃって。そんな風に思って、ボクは色仕掛けに出た。 「ふっふーん、トレーナーくん、今すぐベッドにくればテイオー様が大サービスしちゃうよ?」 「そいつは凄いな。心が揺らぐ」 「いっぱいシていいんだよー? でも優しくしてよね!」 「その時はそうする」 ダメだビクともしない。ボクの中の女の子が悲鳴をあげて、ジャイアントマックイーンにパンチを振り下ろした。 半分ヤケになったボクは、スカートはそのままに下ろしたての下着を脱いで、トレーナーに投げつけた。ぱさ、とトレーナーの頭に乗るボクのぱんつ。面白すぎる。 何が乗っかったのか、とトレーナーが手にとって広げたそれは、ちょっと面積の少ない薄いブルーのかわいい下着。今日のために用意してきたのに、下着だけ先に見られる形になった。 ゆっくりこっちを振り返り、席を立つトレーナー。無表情。あ、怒ってる。やばいやばい。 「テイオー」 「ご、ごめんなさいっ」 ジャイアントマックイーンで頭を防御すると、そっとそれを奪われて、優しくベッドへ倒された。 「俺がこんなに我慢してるのにそういう事するんだ」 左脚を撫でて、そっとスカートの下に手が入ってくる。下着はさっき脱いだから何もつけてないそこを、手の甲がさっと撫でていった。 「どうしてこんな子になってしまったのか」 「トレーナーが教えてくれたことだもん……」 弁解しようとするボクの口を口で塞いで、シャツのボタンを手品みたいに外していくトレーナー。 口の中はさっき食べたカスタード。はちみつが少し香る、とろんとするような味 ボクのトレーナーは厳しい。けど味は甘い。 変な事を考えながら、目一杯甘えようと、心の中で謝りながら背中に手を回した。 ボクのトレーナーは厳しい。 でも、厳しさを優しさだと感じるようになったのはいつ頃からだろう。トレーナー室のソファ左脚のマッサージを受けながら、ぼんやり思った。 ペースキープの練習中、つい楽な走り方をした。要するに、ボクの脚の柔らかさに頼ったフォーム。 確かに楽に速く走れるけど、その結果どうなるかは菊花賞の頃に思い知った。だからトレーナーは凄く怒ったし、ボクも反省してる。 「ごめんねトレーナー」 仮にも自分より年上の男の人に、脚を揉んでもらうのは結構絵的に気が引ける。だからつい謝罪の言葉が出てしまうのだけど、彼は意にも介さずに首を振るだけだ。 「テイオーの持ち味を活かすのは、もっと大きくなってからだな」 「あー、子供扱いだ」 「違うよ。文字通り、筋肉の量が増えればこの脚の柔らかさは最大限に活かされる」 「なんかえっちだね」 にしし、と笑うとトレーナーはボクの足ツボをぎゅうっと押した。すごい痛い。 「ああー! ごめんなさいいー!」 「全く」 眉間に皺を寄せて溜息。怖いけど、トレーナーがボクを思ってするこういう顔が好きだ。 ふくらはぎ、膝、そしてふともも。何の遠慮もなくスカートを捲りあげてマッサージをする手管はいっそ清々しい。 ボクも見えていいパンツを履いてるとはいえ、もう少し緊張とかしてくれてもいいのに。 「ボクがボクらしく走れるようになるまで、どのくらいかかるかな?」 「そうだな」 マッサージ後のはちみつレモンを飲みながら聞くと、顎に手をやって暫し考えるトレーナー。 「3年……早ければ2年? いずれにせよもう少し上背がつくといいな」 「身長かぁ……会長みたいなスタイルになりたいよ」 「あの人は天から二物も三物も受けてるからな。でもテイオーだってシンボリルドルフに無い才能を沢山持ってる」 「ホント?」 「勿論」 そう言って、トレーナーはタブレットを手にボクの隣に座って今日のトレーニングの振り返りを始めた。やっぱり厳しいとこは厳しい。 いくつか意見交換をしたり、内容についてやり合って、ミーティングはおしまい。ジュースも空になったし、時間はあるけど後は寮に帰るだけ。 なんとなく離れがたくて、トレーナーの空いてる手をいじいじ。 「3年後って言ったよね。それって3年後も一緒ってことでしょ?」 「勿論」 「えへ」 嬉しいな。昔は「俺がテイオーのトレーナーに相応しいかどうか」なんて言ってたけど、今はハッキリこういう風に言ってくれる。 「3年後のテイオーはもっと美人になってるだろうな」 「お、わかるぅ? 流石ボクのトレーナー!」 嬉しくなってトレーナーの膝に頭を乗っけると、苦笑いをしながら髪を撫でてくれた。 「今より走りも良くなって、魅力的になって……楽しみしか無いよ」 「その頃ボクとトレーナーはどうなってるかな?」 「さあ。案外テイオーも俺よりいい男とねんごろになってるかも知れんぞ」 意地悪そうにトレーナーはそんな事を言う。そんなこと絶対無いのに。ぷくっと頬を膨らませて抗議。 「トレーナーだって他の子ばっかり見てちゃダメなんだよ」 「そんな余裕無いよ」 「ホントに? ボクだけ見てられる?」 「当然」 トレーナーはボクのお腹をぽんぽんと撫でながら微笑む。なんかあやされてるような、誤魔化されてるような、そんな気がして体を起こした。 そのままトレーナーの膝に正面から跨って、両頬をぱちんと包む。 「ボクにどのくらい夢中なのか知りたいな」 「門限は」 「だいじょうぶ」 ホントは大丈夫じゃないけど、大丈夫。だってこっちの方が大切だから。 「じゃ、俺もテイオーに悪い虫がつかんようにしないと」 するっと背中に手を回してきたトレーナーの腕の中で、重力を感じないほどするりと、ソファに寝かされる。こういう時、トレーナーが男の人だなって感じる時、すごくドキドキする。 「何年経とうが俺はテイオーしか見てないよ」 ボクだって、と言おうとした口を塞がれて、仕方ないなあ、みたいな気持ちで目を閉じる。労るように制服を脱がし、体に触れる手付き。 ボクのトレーナーはやっぱり優しい。 終わったらすっかり門限は過ぎてて、ミーティングが盛り上がり過ぎたと一緒にフジ先輩に謝ってくれた。 盛り上がったのは盛り上がったよね。うん。あとはマヤノにも言い訳しなくちゃ。 ボクのトレーナーは厳しい。普段は。 「ほらー、頑張ってよー!」 返ってくるのはうーんという情けない声。こんなの初めて聞いた。 今日はマヤノも外泊で寮にはボク1人。じゃあトレーナーとご飯でも、と思っていたら同期会とかで夜は不在。仕方ないからトレーナーの部屋でゲームでもしながら帰ってくるのを待とうと思って、預かった合鍵で留守番を始めたのが少し前。 ぱかプチのジャイアントマックイーンを枕にしてベッドでゲームを遊んでいたら、玄関から凄い音がした。泥棒かなと思ってびっくりしたけど、居たのはへろへろになったトレーナーだった。「おおテイオー」なんてにこやかに言って、そのまま突っ伏してしまったのだ。 「お酒弱いんだね……」 「まあな」 普段なら絶対見られないふやけた顔がかわいいが、このままにはしておけない。 腕を取って肩を入れて、よいしょと持ち上げる。重くはないけどボクより体が大きいから、どうしてもちょっと引きずるようになってしまう。ごめんね。 そのままベッドへ運んで、寝かせた。丁度よくジャイアントマックイーンも枕になっている。ぺたんこだけど。 ボクもベッドの端に座って声をかけた。 「気持ちわるいとかない?」 「大丈夫」 「お水飲む?」 「頼む」 家について落ち着いたのか、ようやくハッキリした言葉が出てきた。言われるままに、未開封のミネラルウォーターのペットボトルを渡すと、首の辺りに挟み込むトレーナー。多分冷たくて気持ちいいんだろう。 目を閉じた顔は凄く穏やかで、普段ボクを叱り飛ばす時みたいな険もない。というか、優しい顔だとただのイケメンだ。ずっとこうならいいのに。 でもトレーナーが優しいだけの人だったらここまで一緒にやってこれなかったと思うし、厳しいからこそ優しい所もよくわかる。皆に自慢のボクのトレーナーはこれでいいのだ。 うとうとと、ボクを見たり前髪を払ったり、ジャイアントマックイーンに頭を乗せ直したりするトレーナー。とりあえず休ませてあげたほうが良さそうだ。 「ボク、寮に戻るけどちゃんと寝てね」 「帰るのか」 そんな心細そうに言われると帰れない。時計をちらっと見て、やれやれ、とベッドに座り直した。手を握りながら、自然と口角が上がるのを自覚する。 「仕方ないなあトレーナー君。テイオー様が寝るまで居てあげるよ」 ころんと転がって体を寄せると、思いがけないくらい強い力で抱き寄せられた。酔っぱらいこわい。 顔をボクの首から胸あたりに寄せてきて、深呼吸とかしてる。さすがに恥ずかしい。 「テイオーはいい匂いするな……」 「トレーナーはお酒臭いよ……」 ぐりぐり、顔をこすりつけてくる。出会った頃より膨らんできた胸を確かめるような動きだけど、大きな猫みたいでかわいい。 とか思っていられたのも束の間で、ボクの背に回ってたトレーナーの手が、やわやわと腰、次いでお尻の方へ向かっていく。 「ちょ、ちょちょちょ待ってトレーナー!」 「待たない」 「ボク準備してきてない!」 パンツも普通のやつだし、ブラとデザイン違うし、そもそも今ジャージだしで、求められるのは嬉しいが今は困る。 「大丈夫」 「何がー!」 そうだった、トレーナーは結構こういう時強引なんだ。初めての時もそうだった。ボクの心の準備とかお構いなしだったし、まああれも今思えば必要以上に怖がらせないための優しさだったんだろうけど、それはともかく。 「だめっ!」 どん、と力を込めてトレーナーを押すと、ジャイアントマックイーンごとベッドの向こう側へ滑っていった。ごつん、と落下する音。 慌てて膝立ちをして様子を見に行くと、トレーナーはぱかプチを枕に眠っていた。大きな大きな溜息が出た。 「ごめんねトレーナー……」 正直、トレーナーに触ってもらうのも、触るのも好きだけど、お酒の勢いみたいのは許して欲しい。 頑張って持ち上げて、ジャイアントマックイーンだけは片付けて、トレーナーに上掛けをかけてボクは寮へ戻った。 1人になって、服から立ち上る彼の匂いとちょっとしたお酒の匂いで盛り上がってしまった。マヤノが居なくてセーフだ。 翌朝、出会い頭にちゃんと謝ってくれたから、ボクは寛大な心で許してあげた。 「飲み過ぎはダメだよ」 「反省してる」 「する時は、ちゃんとして欲しいからね」 「……善処する」 珍しい。照れてる。ボクはそんな変化が嬉しくて、トレーナーの手を取ってトレーニングへ向かった。 ボクのトレーナーは厳しい。そう思ってたけど、案外生真面目なだけかも知れない。 ボクのトレーナーは厳しい。 今日はプールでのトレーニングで、もうかれこれ2時間くらい泳ぎ続けてる。プールサイドで一緒に歩きながら時々「ノーブレス!」の声が飛んできて、その時は呼吸禁止で半分以上泳がないといけない。 確かに走るよりも脚に負担をかけずに心肺を鍛えられるから、水泳の効果はボクもよく理解してる。けど、苦しいのは当然苦しい。 そしてトレーナーはボクの残り体力でも見えてるかのように、限界ギリギリまでスイムを続けさせるのだ。もう無理、と思った所から少し先にある無理! までぴったり攻めてくる。 「ラスト!」 大きな声だ。他の子も泳いでるけど快適そうで羨ましい。けど、これが帝王のトレーニングなんだ。思い切り壁を蹴って出来るだけ無呼吸で泳ぎ、反対側へゴール。 「はぁっ、はぁっ、おわりっ……?」 息も絶え絶えにトレーナーを見上げると、手元のバインダーに何か書き込みながら無表情に頷いた。褒めてほしいけど、この程度じゃ褒めてくれないのがちょっとだけ寂しい。 わかってる。トレーニングは凄い事じゃない。出来て当たり前のラインだ。だから褒めない。とても解りやすい人だ。 プールから上がってシャワーを浴びて、トレーナー室でいつもの振り返り。 流石にこれだけ泳ぐと全身だるくてクタクタで、今にも寝ちゃいそうだ。居眠りなんてしたらまた叱られちゃうから頑張ってまぶたを持ち上げる。 「数字は高止まりしてるな」 「ホント?」 「これを維持したんじゃ意味が無い。底上げのためにもう少し増やすか」 「えー!?」 一応文句を言ってはみるけど、ボクに不可能な事は絶対にさせないから、結局トレーナーの言う通りになるのだ。きっとこの人は凄いトレーナーとして名前を残すと思う。なんたってトウカイテイオーを無敗の三冠に導いた人だし。 やいのやいのとボクの一方的な言葉を受け流しながら、トレーナーは次のトレーニング量を増した。がっくりうなだれた所に、はちみつレモン。 「ボク最近露骨なアメとムチを受けてるんじゃないかって気がする」 「アメは要らないか?」 「ムチを減らしてよぉ……」 そうぼやいてもトレーナーは眉を上げて肩を竦めるだけ。いじわるそうな顔して。でも根っこで優しいのは知ってるから、許せてしまう。こういうの、多分惚れた弱みって言うんだ。 トレーナーの部屋から引っ越してきたジャイアントマックイーン人形を膝に抱いて、ソファでジュースをちびちび。気を抜くと寝ちゃいそうだから、飲んだら帰ろうかな。 「トレーナー」 「ん」 「たまには、テイオー頑張ったなって褒めてほしいよ」 つい口から出た言葉。まぶたが重い。トレーナーから返ってきたのは溜息だけ。 いいんだ、厳しい人だけど、ボクに関して常に全力だから。褒めてくれるのは、レースの後だけでもいい。 ああこのまま寝てしまいたいな、と目を閉じて船を漕ぎそうになった頃、隣にトレーナーが座った。少しくらいいいかな、と思って頭を預けると、なんとなんと肩を優しく抱いてくれるではないか。 「テイオー」 あんまり聞けない低くて優しい声。肩に添えた手が、生乾きの髪を撫でている。気持ちいいから、目は閉じたまま。 「テイオーは本当によく頑張ってるよ。偉いな」 わあ。目が覚めた。凄い凄い。最近はレースも少ないからこんなの久しぶりだ。 なんだか胸がどきどきして、嬉しくて嬉しくて、ぐいーっとトレーナーの方に体を倒していく。トレーナーからはいい匂いがするからくっつくのが本当は一番好きだ。 「テイオー」 お、次はなんだろう。寝たフリ作戦は今後も使えるかも知れない。わくわく。 「起きてるだろ」 「……」 「こら」 溜息まじりの声と共に、ほっぺたをぐいっと引っ張って引き剥がされる。こんな扱いある? 「いたたた! ひどいよ! 半分寝てたもん!」 「寝るなら自分のベッドで寝ろ」 「もー……でもいいもん、トレーナーやっぱり優しいね」 頬を撫でながら、厳しいだけじゃない所を見られて、ボクは満足だった。こういうのギャップ萌えって言うんだってマヤノも言ってたかな。 「ねえ、もしかしたらボクが寝てる時結構色々言ってくれてるでしょ?」 「早く帰って寝ないと坂路増やすぞ」 「ふふー、こわいこわい。じゃあまた明日ねトレーナー」 隙を見てトレーナー頬に唇でやり返して、ボクは退散した。 ボクのトレーナーは厳しい。けど、ボクに絶対嘘をつける人じゃない。別れ際の照れ顔で、改めて確信したのだった。 ボクのトレーナーは厳しい。思えば最初からだ。 ムキになって走り込もうとしたボクを怖い顔で止めた時から、ずっと厳しかった。それが嫌にならなかったのは、この人が本当にボクを思って言ってくれてるのが解ったから。 よく、心と心が通じ合う、みたいな文句を見るけど、あれって本当だと思う。 「ね、トレーナー!」 「何が」 本当だと思うよ。 一時は出走も危ぶまれた菊花賞を勝って、マックイーンとも競り合ったし、URAという大きな舞台でも優勝出来た。 商店街の福引で当てた温泉旅行にも一緒に行って、そこでは珍しくトレーナーの綻んだ顔を沢山見られた。 振り返ると、あの頃にはもうボクはトレーナーのことが大好きで、でも自覚してたのはお兄ちゃんとか、先生とか、そういう人に向ける感情の部分だけだった。敬愛とか、尊敬とか。 だから恥ずかしげもなく毎日のように皆にトレーナーを自慢してたし、何気なくマヤノに言われた言葉で凄く動揺した。 「テイオーちゃんのトレーナーちゃん、凄く優秀だし、他の子のトレーニングもするのかな?」 言われてみれば確かにそうなのだ。 無敗の三冠、それどころか会長に並ぶ七冠。一度は故障も起こしかけたけど、トレーニング方法の改善とボクの成長にあわせた対症療法で克服させ、今ではプロトレーナー協会から論文を依頼される程だ。そんな人ならもっと沢山の子の育成に携わるべきだ。 マヤノとの話の翌日は丁度お休みで、よく晴れた日だったのをよく覚えている。なのに寮で1人、ベッドに膝を抱えて、塞ぎ込んでいた。 想像してしまう。トレーナーがボク以外の誰かに指導をする姿。 何故かそのやり方はとても優しくて、微笑みかけたりなんかして、新しい子と凄く仲良さそうで。 もやもやしたものを何度も溜息に変えては、たまに携帯電話を見る。 電話くれないかな。声聞きたいな。そんな風に思うのも、初めてだ。 ボク1人で悩んだって仕方ない。会って、話をしてみよう。そう思い立ったのは夕食時だ。 「トレーナー、今からそっち行っていい? 話したいことがあって」 動揺を悟られないよう努めて明るくそう言うと、トレーナーはもちろん、と返してくれた。こういうのを、断られた事って1度も無いな、と思いながら身支度をして彼の部屋へ。 インターホンを押すとすぐに出てきたトレーナーは、体を開いてボクを招き入れた。室内には少し甘い香りがしてて、何度も一緒に話し合った座卓にはカップが2つ。ココアだ。 トレーナーはコーヒーを啜りながらそっぽを向いて、ボクが話し始めるのを待ってくれた。ココアをちびりと口に入れて、言葉を探して、それから問う。 「トレーナーは、ボクだけのトレーナーだよね?」 そんな物言いに、ちょっと驚いたような顔をして、頷きながらも「何故」と彼は言う。 「トレーナーなら、引く手あまただと思って。チームとか、他の子も一緒に受け持つとか」 「そんな事聞きに来たのか」 「そんな事って……」 苦笑いを浮かべて、トレーナーはボクの言葉を一笑に付した。必死なのはボクだけなのかと、なんだか俯いてしまうが、彼は続ける。 「初めてテイオーを見た時の衝撃は忘れられない。俺すら飛び越えて、女の子の帽子を取ってあげてたな」 「古い話」 思わず吹き出した。あの頃は怖いものなんて何も無かった。 「模擬レースも圧倒的だった。だがシンボリルドルフに負け、悔しさを知り、そして今自分の道を自分の力で歩いてる」 だから。もうボク1人でも歩いていけるって事だろうか。そう思ったけど、違った。 「これからテイオーがどんなウマ娘になるのか。毎日楽しみで仕方がない。こんな役得、誰にも譲るもんか」 そう言われて、胸が詰まって、返事が出来ず代わりに涙が出た。珍しく慌てた様子で、トレーナーがボクのそばへ来てどうしたものかオロオロしている。 わかってたんだ。トレーナーがボクを一番に考えてることなんて。ずっと大事に想ってくれてることなんて。 「トレーナー」 「ああ」 「ボクトレーナーのこと大好きだよ」 だから、すんなり言えた。今度は面食らった顔をするトレーナー。泣き笑いみたいになりながら、続ける。 「もちろん、女の子として好きなんだ。誰にも渡したくない。ずっとトレーナーと一緒がいいよ」 「テイオー」 「だから、もしダメだったら……嫌だったら」 その先は怖くて言えなくて、震える手をトレーナーの両頬を包むようにして伸ばした。至近距離で目が合う。すき。 「いいのか、俺で」 「トレーナで、じゃなくって……トレーナーがいいんだよぅ」 腰に、大好きな手が回されて、抱き寄せられた。 「その後はマヤノ君……これだよ」 耳の前に両手を添えて、ぴこぴこ指を曲げ伸ばしするジェスチャー。マヤノがきゃーっと声をあげた。 「はー、ラブラブだねえテイオーちゃん……」 「そ。だから厳しく見えるけど、全然だいじょうぶ!」 七冠になっても、相変わらず過酷なくらいのトレーニングをしているボクを心配したマヤノに、夕食後のカフェテリアで馴れ初めを語っていた。 マヤノ曰く「いじめられてるようだ」だが、そんなことはない。絶対に無理をさせないとわかってるから、どんなに辛くてもやりきれるのだ。 「いいなー! マヤもいつかトレーナーちゃんとそうなりたい!」 マヤノはグイグイ行くから、彼女のトレーナーもそう遠くないうちに、なんて考えてたら、トレーナーがカフェテリアへ入ってくるのが見えた。ボクとマヤノに気付くと、ちょっと手を上げてこっちへ寄ってくる。 「楽しそうだな。明日は休みだしゆっくりするといい」 ほら優しい。マヤノと顔をあわせて、吹き出した。不思議そうな顔をするトレーナー。うん、やっぱりボクはもちろん、トレーナーもボクのこと大好きなんだ。 「ね、トレーナー!」 「何が」 わかってるからね。