待ちに待った卒業式の日、今日こそトレーナーにボクの思いを伝えるんだ わがまま言って卒業式の後に砂浜に来たけど、やっぱり緊張しちゃうよ… ボクは今どんな顔をしているんだろ、いつも通りだといいな 「にしてもテイオーが大学なんて意外だな、何か夢でもできたのか?」 「ううん、特にないから探しに行くんだ」 「そうか、じゃあ見つけたらまた連絡してくれよ」 他愛もない会話のせいで本題に入れないよ…こういう時はなんで寡黙じゃないのかな 「大学入ってからもちゃんと勉強するんだぞ、遊んでばかりじゃ…」 「あ、あのさトレーナー、ボク伝えたいことがあるんだ」 「…なんだ?」 心臓がレース中みたいにバクバクしてる、でも伝えるって決めたんだ 「ボク、トレーナーがす…好きなんだ…だから…その…結婚して…ください」 つい緊張で変になったけど、まあ結果オーライだよね でもこれでトレーナーはボクのもの… 「…ごめん」 「……え?なんで…」 そんな…やめてよ…こんな時に冗談なんて… 「…情けないけど、前の担当が忘れられないんだ…思いを伝えられなかったから…余計に。 本当にごめんな、テイオー。諦めてくれ…」 ボクは一瞬で頭が真っ白になって、気づいたころには泣き崩れていた。 そういえばボクに話してくれてたな…前の担当はボクよりずっと大人で、いつも冷静で、たまにすごく甘えてくる。 名前は教えてくれなかったけど、すごく強いウマ娘だって。 …でも諦めたって言ったじゃん…ボクが大人になったら迎え入れてくれるって言ったじゃん… 「…寮まで送るよ」 最後の送迎ぐらいちゃんとしたかったけど、結局寮に着くまでずっと泣いちゃった… トレーナーの最後の言葉もあんまり聞こえなかったし、最悪だよ… 部屋に入るともうそこは入学したときみたいな状態だった。 そりゃそうだよね…寂しいけど、もう卒業なんだ… 明日は残りの荷物を運ばなきゃいけないし、お母さんも迎えに来るし今日はもう寝よう …やっぱり眠れないよ、トレーナーの姿が浮かんで苦しかったことなんか今までなかったのに…明日からはもう会えない、明日からはもう一緒にトレーニングできない、明日からはもう…涙で枕を濡らしながらそんなことを考えていると、いつの間にか朝になった。 お母さんはボクの真っ赤な目を心配してくれたけど、大丈夫って答えるしかなかった。 そんな状態でも時間はどんどん進んでいく。 いつのまにか荷物は運び終わって、いつのまにか実家に着いて、いつのまにか一人暮らしの準備をしてる。 でもその間にボクは考えたんだ、大人にならないといけないって。 正直トレーナーのことが諦めきれないのもちょっとあったけど、18歳にもなって子供みたいって言われるのが恥ずかしくなってきたんだ… そこからはもう大変だった。 まずは一人称、子供っぽいボクから私に変えた。なんだかカイチョーみたいだけど、これも大人になるためなんだ…がんばれボク…じゃなくて私! あんまり興味なかったメイクとかファッションも勉強した。メイクは正直慣れないけど、違和感がない程度には出来てきた。服に関してもちょっと高いものを買ってみたりした。 そして髪。今まで結んでいたけど、下ろしたままでも似合うようにしてもらった。もちろん大人に見えるように。 他にも言動とか、交友関係とかいろいろ頑張って、たまたまだけどモデルもやった。 でも運命は残酷だよ、胸はどうしようもなかったんだ。 そしていつからか外を歩いていても声をかけられなくなり、皆はあの頃のトウカイテイオーではなく、一人の綺麗なウマ娘として私を見ていた。 友達もそれなりに居る、正に私が願った通り、幸せな毎日のはずだった。 でも何かが足りない、何かが引っかかる。 なんで?私は大人になったのになんでこんなに苦しいの? 夢を探しに来たのに、このままじゃ… 「うわぁ!」 悩んでいるといきなりスマホが鳴った。 画面を見るとマックイーンだった。そういえば卒業して以来会ってない… 「もしもしテイオー?今度の有マ記念、一緒に見に行きません?」 「あ…うん。いいよ」 「良かったですわ。他の方達も来ますから、寝坊しないでくださいね」 「…マックイーンはさ、夢とかある?」 「どうしましたの?急に…」 「いいから」 「…そうですね…夢というよりは目標ですけど、私のトレーナーだった方のサブトレーナーですわ」 「サブトレーナー…ありがとうね、マックイーン!」 「…それでは切りますわよ」 「うん。じゃあね」 …そうだったんだ…私は決心したときからずっとトレーナーに未練を抱いていたんだ… ごめんね、トレーナー。私の心はまだ子供だったみたい。 でも今の私はそばに居ることができるだけで嬉しいんだ。 待っててね。私はトレーナーを手放す気なんて毛頭ないから。 あれから3年とちょっと経った。この3年の間に私は大人になるための努力を続けたのはもちろん、トレセン学園のサブトレーナーのライセンスも取った。 全てはトレーナーのそばに行くため、他のウマ娘に取られないように守るため、その一心で頑張ってきた。 そして迎えた人生五度目の卒業式。そりゃあ寂しいと言われれば寂しいけど、高等部の時には遠く及ばない。 大学と美容とサブトレーナーの勉強をしてトレーナーとの日々を妄想する毎日だったから正直無理やり色づけたような大学生活になっちゃったな… でもそんな日々は今日で終わり。また新しい所へ引っ越すのもあるけど、なにより明日から見学の名目で学園に立ち入ることが許されてる…だからトレーナー、あと少しだから待っててね… 翌朝、早速私はトレセン学園に来た。 当時と全く変わっていない校舎やグラウンドに私は懐かしさを覚えている。 でも…来たのは良いけどなんか顔見知り多くない?マックイーンにマヤノにネイチャ…他にも少しいたけど…とりあえず皆トレーナーが大好きなんだね その後は少し挨拶と談笑をした。皆元気そうだし、変わった私を覚えてくれてたのは嬉しかったな…ウララちゃんに関しては誰なのか分かってなさそうだったけど。 とはいえ私含め皆がここに来た理由は挨拶と談笑じゃない。本番は言わずもがなこれから始まる自分の(元)トレーナー探し。 やがて談笑を終えると皆示し合わせていたように学園内に入っていった、もちろん私も入ってトレーナーを探しに向かう。 高等部の頃の私と比べると髪型も変わったし、身長も何故か少しだけ伸びた。なにより今はメイクもしてるし、トレーナーは気づいてくれるのかな… そんな不安な気持ちを抱えながら私はトレーナー室の扉の前に着く。 一回深呼吸し、扉を開け、そしてトレーナーと目が合った。 トレセン学園に来たばかりの頃、俺はあるウマ娘のトレーナーとなった。 名前はシンボリルドルフ、後に皇帝と呼ばれるほど強いウマ娘。正直俺が担当していいのかと困るほどに。 来たばかりで右も左も分からない、トレーニング内容も確証を持てないし、彼女の可能性を潰さないようにするのが精一杯だった。そんな状態でも、彼女は俺に付いてきてくれた。 最初の方こそ距離感はあったが、トレーニングやミーティングを重ね、一緒に勝利の喜びを分かち合い、たまにお出かけもしたりする日々が経つにつれその距離感はなくなった… 距離感0の彼女の甘え方に最初は困惑したが、案外次の日には慣れていた。 やがて関係性は結婚を考えるほど親密になり、彼女も白星を重ねていく。俺としてはこれ以上ない幸せだった、でもその幸せは長く続かなかった。 ある卒業が近い日の事だった、彼女の父親が訪れてきたのだ。 要点だけをまとめると、許嫁があるからもうそういう付き合いはやめてほしい、もし続けるのなら君に厳しい処分を下すとのこと。 今思えば最後のチャンスだった。 本当は嫌だと言って、後ろにいる涙目の彼女に大丈夫と伝えたかった。 確かに彼女の家は厳しい家庭だし、説得は難しいかもしれない。しかしやってみなければわからない、そんな正解かもわからない僅かな希望に賭けたかった。 でも俺は情けないことに怖気づいてしまい…了承してしまった。 …まだ明るい太陽が差し込む部屋に居た彼女の泣き顔は今でも忘れられない。 あの日以来、彼女との関係性はまた最初に戻ってしまった。 しかしレースがもう無いにもかかわらず、彼女はトレーニングに毎日来てくれた。むやみに会話ができなかったため雰囲気は重かったが、俺は彼女の顔を見れるだけで幸せだった。 …多分だけど彼女もそうだったと思う。 そんな残りの日々を噛み締めて、ついに卒業式がきてしまった。 ――卒業式の終わり、俺はトレセン学園の正門付近の壁と車道の間に立っている。 せめてもの情けなのだろうか、最後を比較的近くで見届けることを許された。 さて、卒業生が出てきた。俺は正門に近づき、遠くで見ても分かるくらいの人だかりを確認した。 まあルナは生徒会長なんだし当然だよな…俺とは大違いだよ…ははは… …もっと一緒に居たかったけど、仕方ないよな… だめだ、涙が出そう…でも最後はちゃんと見届けるんだから我慢だ 彼女が正門に近づくにつれて、だんだん表情が見えてくる。それは泣きながらの笑顔で、少し悲しみを含んでいるような表情だった。 …見ていると心苦しいな…やっぱり元の場所に戻るか… そしてとうとうこの時、別れの時間がきてしまった。 在校生は正門前で止まり、卒業生は正門をくぐっていく。 「今までありがとう、トレーナー君」 「あぁ、卒業後も頑張れよ」 そんな最低限の会話を交わした後、彼女は俺の前に止まっていた車に乗った。 こんな結末になるんだったら、もっと一緒に居てあげれば…もっと話してあげたら…もっと愛情を伝えてあげたら… 今までの思い出が蘇り、今更どうしようもない後悔が俺を襲ってくる。 …そういえば…ちゃんと面と向かって愛してるって言ってなかったな… そう思った瞬間、車の後ろの窓が下がった。居るのはもちろん彼女だ。 彼女は俺に向かって微笑み、口を開いた。 あ い し て る 口パクで一文字ずつ確かにそう言った後、車はすぐに発進してしまった。 「ルナ…待ってくれよ…俺はまだちゃんと…ちゃんと伝えられてないのに…行かないでくれよ…」 確かに聞こえた愛の言葉を聞いた瞬間、我慢していた涙が一気にあふれ出してしまい、俺はまだ人やウマ娘が大勢いる中で咽び泣いた。―― それ以降、俺はずっと後悔している。いや、後悔というより未練だろうか。 何をするにしても彼女を思いだしてしまい、辛い気持ちになる。でもトレーナー業は何故か辞めたくない。 いい加減どうにかしようと思ってもどうしようもない現実だった。 そんな未練を抱きながら今日もトレーナー業に励んでいると、いきなり扉が開いた。 「久しぶり、トレーナー」 この瞬間をずっと待ち望んでいた。久々に見るこの部屋とトレーナーは現役の頃とほとんど変わっていない。 「お…おぉ…久しぶりだな、テイオー。随分と変わったな」 頭の中で何度も聞いた声…だけどどこか拍子抜けしたような声だった。しかし今更そんなことはどうだっていい。 「トレーナー…ボク、ここのサブトレーナーになったんだ…また一緒に頑張ろうよ」 一人称を戻したのは何年振りだろうか、ボクは我慢できず4年間思い募っていた恋心を発散させるように泣きながらトレーナーに抱き着いた。 分かってるよ、自己中心的だって。でもボクは目の前にあるゴールを見過ごしたくはない、どんな状態だろうと先にゴールした方の勝ち。そのことは現役の頃トレーナーと散々味わってきた。 だから今度こそ…2番人気でも3番人気でもいいから…ボクを1着でゴールさせて欲しい。 「…やっぱりボクはトレーナーじゃなきゃ嫌だよ…何度も忘れようとしたけど…無理だよ…」 涙のせいでうまく言えなかったし、四年前と同じように心臓がバクバクしてる。これでまた駄目だったらボクはもう立ち直れないかもしれない…もうそばに居るだけじゃ済まなくなっちゃったな… 「トレーナー…お願い…またボクと一緒に居てよ…」 「…テイオー、もう少しだけ待ってくれないか。少しやり残したことを思い出してな…」 「それって…」 「必ず戻ってくる。ここで待っててくれ」 「ぴぇ…」 トレーナーはボクを抱きしめた後、スーツのジャケットを着て出て行った。 酷いよ…ボクを抱きしめてからどっか行っちゃうなんて…そんなの…ずるいよ… 一人取り残されたボクはトレーナーが座っていたソファーに座った。 「…戻ってこなきゃボクは許さないから」 テイオーは俺がルナの次に担当したウマ娘だった。バレない様にしていたため本人は自覚していないようだが、俺が立ち直ったのは彼女のおかげでもある。 勝利への執念、才能を感じる走り、表面だけ見れば明るい性格の強いウマ娘。でもいざ関わってみると意外と寂しがりやで嫉妬深い一面を持ってる。そんなテイオーの担当は大変だった。 廊下で会うと突進してきたり、半月に一回お出かけしないと駄々をこねたり、たづなさんと出かけると無理やり尋問されたり…色々テイオーに振り回されていた生活だった。 でもそれらを上書きするような明るさと元気をテイオーは持っていて、俺はその性格に元気を貰い、次第に立ち直っていき、惹かれていった…もしかしたらあの思いを忘れてもう一度やり直せるかもしれないと思っていた。 しかし俺はまた最後で怖気づいてしまい…彼女の告白を断ってしまった。 自分自身の問題で辛い思いさせてしまったのだ。 …本当は気づいていた。見て見ぬふりをしていた。ああなる前にちゃんと伝えられなかった事を。些細な理由だけどそれがずっと引っかかっている情けない自分を… でも今、テイオーのおかげでようやく決心がついた。自分自身の問題でこれ以上テイオーを不幸にしてはならない。しかし思い立ったらすぐ行動してしまうのは、昔から直せてない悪い所だな… 「確か…ここらへんだよな?」 俺は年賀状や暑中見舞いを送るときに教えてもらった住所を記憶の奥底から掘り起こした。あやふやな記憶ではあるけどそれを頼りにするしかない。 しかし幸いにも見つけるのには時間がかからなかった。まるで屋敷のような日本家屋に広い庭園、周りの建物とは頭一つ抜けて目立っていた。 「家の前に来たのは良いけど…いざインターホンを押すとなると変な汗が出るな…」 それもそのはず、もし彼女の父親が出てきたとしたら俺はトレーナーを続けられるか分からない。しかも冷静に考えればここは勢いで訪れる所じゃない。 そのことに気づいた瞬間、俺の頭の中は彼女の父親への言い訳で頭いっぱいになった。 …とはいえ、ここで引き返すと周りの人に不審者だと思われかねないので、俺は考えることを放棄しインターホンを押した。ここからは出てくる人によっては俺の人生が変わるかもしれない。もはや半分おみくじ気分だ。 …扉の向こうから足音がする。心臓の鼓動が速くなり、唾液の量も増えていく、そんな緊張で目線が定まらないまま、扉が開いた。 「…何しに来た」 こんなことを考えるのは失礼だが、おみくじの結果は大凶、彼女の父親だ。 「あの…ルドルフさん…居ますか?」 「…あいつなら離婚して出て行った」 聞き間違いではない、確かにそう言った。予想もしなかった返答に俺はしばらく黙り込んでしまい、その場の空気が一気に重くなってしまった。 …そんな重い空気の中彼女の父親はため息をつき、話し出す。 「もうあいつはこの家に関係ない。でもお前が会いたいならあいつの居場所ぐらい教えてやる」 そう言うと俺がお願いする前に家の中へ戻ってしまった。当然俺は何もできないので待つことしか出来ない。 5分ぐらい経っただろうか、そろそろ周りの目線が痛いと思っていると彼女の父親が小さなメモ用紙を持って出てきた。 「…俺が居場所を教えたとは言うな、分かったらさっさと出て行け」 強引に押し付けられた小さなメモ帳を受け取ると目の前で扉を閉められてしまった。受け取ったメモ帳を見ると住所と部屋の番号が書いてある。場所的にはここから車で1時間ぐらいと言ったところだろうか。 しかしこの家に関係ないとは言いつつも居場所を把握している所に不器用な愛情を感じてしまうな… とりあえず俺は書かれている住所に向かうことにした。一旦学園に戻る事も考えたが、それでは来る前と同じになってしまう…テイオーには申し訳ないと思いつつ俺は車を走らせた。 一時間ぐらい運転してようやく着いた場所は五階建てのマンション。ここで間違いない、住所も合ってる。早速俺はマンションのエントランスに入り、書いてあった部屋番号のインターホンを押した。 …反応がない。一応もう一度押してみるがやっぱり反応がない…寝ているのか…それとも出かけているのか分からないが、こうなってしまうとどうしようもない。 やっぱり学園に戻って後日尋ねるか…そう思い車に戻ろうと振り返った瞬間、入り口で一人突っ立っている女性…いや、ウマ娘が目に入った。寝癖か何かで少し跳ねている髪は鎖骨ぐらいの長さで、パーカーにジャージのズボンといかにも適当に選んだ感が満載な服装に加え、手には大量の酒が入っているビニール袋を持っている。 やっぱりウマ娘は飲酒量も人とは違うんだな…でもこの特徴的な髪色ってどこかで… 「な、なんで…トレーナー君がここに…?」 まさかとは思ったが本当に本人だった。今目の前にいる俺の初めての恋人はもう生徒会長の頃の面影は無く、休日のだらしないOLのような感じになっている。 「…ルナ…だよな?」 いや、これはこれでありかもしれない…にしても酒の量多くないか? 思わず手に持っているお酒に目を向けると、彼女の頬が真っ赤に染まった。 「ち、違うんだ、トレーナー君!これは…その…とにかく…私のじゃないもん!」 そう頬を真っ赤にしながら言うとオートロックを突破し、逃げるように走って入っていった。 「待ってくれ!」 今更ここで退く訳にはいかない、俺はまだ開いている自動ドアを通り、走って彼女を追いかける。 入るとすぐに彼女がエレベーターに乗ろうとしているのを見つけ、俺も追いつこうとエレベーターに向かって走ったが、またもや目の前でドアが閉まった。 …運動不足にとっては辛い道だが、もう階段を使うしか無い。確か四階って書いてあったはず…俺はなけなしの体力を使い、一気に階段を駆けあがる。 静かな空間で俺の足音と荒い息遣いだけが聞こえる中、ようやく四階の文字が見えた。 そしてそのまま階段を上がると、今度はお酒が大量に入ったビニール袋を床に置いて必死に鍵を探している彼女を見つけた。 「ルナ…待ってくれ…」 俺は息を切らしながら重い脚を前に進めて彼女に近づくが、追いつく直前に彼女は俺の顔を見て手で顔を隠しながら泣き出し、膝から崩れ落ちてしまった。 「こないでくれ…今の空っぽで惨めな私を…見ないでくれ…」 …聞いたこともない震えた涙声だった。俺はその言葉に狼狽えてしまい、傍で屈むことしか出来なかった。 「ルナ…話を聞かせてくれないか?」 何分か経った後に提案してみたが、反応がない…しかしまずい状況になってしまった。場所を移動しないとここの住民に悪い印象を受けかねないな… 「…とりあえず、部屋に入らない?」 「……分かった…」 少し落ち着いたのか、彼女は立ち上がって鍵を開け、意外とすんなり俺を部屋に入らせてくれた。 まず玄関は綺麗だった、次にとりあえずリビングにお邪魔しよう…と思ったが、何故か彼女は前をどいてくれない。 「トレーナー君…少しここで待っていてくれ」 お酒が大量に入ってるビニール袋を持って入っていった時点で大体察しはついているが、ここは何も話さない方が良いと思い大人しく待つことにした。 そして案の定リビングからカラカラと何かを袋にまとめている音がする…もしかして飲み終わりをそこら辺に捨ててるのか? 「上がってくれ」 リビングからそう言われたのでお邪魔すると、入ってすぐに酒の匂いが鼻を刺激した。そして横を見ると大きなごみ袋が2つ…ぱっと見全部お酒が捨てられている。 「髪…切ったんだな」 「…少し煩わしかったからね」 「…ちゃんとご飯食べてるのか?」 「ああ、現役の頃ほど豪華じゃないが、ちゃんと食べているよ」 見渡す限り食べられそうなものは無いけど…本当なのだろうか。そんな心配をしていると彼女はいつの間にかテレビを点けてお酒に口をつけている。 「…少し飲まないか?」 「いや、俺はこの後帰るから…」 彼女は不満そうな顔をした後にお酒を口に少し含み、目の前まで歩み寄ってきた。そしてまさかと思った次の瞬間には手で顔を固定され…強引な口付けをされた。 俺は口の中に流れ込むお酒を吐き出すこともできず、つい飲んでしまう。 「…今日はもう帰れないな、トレーナー君」 完全に意表を突かれてしまった。飲んでしまった以上もう帰られないが、ここに居ると次は何をされるか分からない… 「今日はゆっくり休もうか…たまには息抜きも必要だからね、トレーナー君」 「ルナ…冗談はやめてくれ、俺は早く学園に帰らないと…」 「知らない」 不機嫌を感じ取れるぐらいの口調で言葉を遮られ、俺はようやく悟った…逃げ道はない。 「…さあ、どこか適当に座ってくれ。酒は私が持っていくよ」 正直昼間からお酒を飲むのは気が引けるが…どっちみち飲む事は避けられない気がするので、とりあえず俺は割り切ってテレビの前にあるローテーブルの傍に座った。 …本当に変わってしまったな…あれから何があったんだろう… しばらくすると彼女が缶ビールを2つ持って隣に座ってきた。1つは俺の前に置かれ、もう1つは彼女が持ったまま。 「いつもこんな時間から飲んでるのか?」 「まあ…休日はそうだな」 「…平日は?」 「夕方からだが…どうかしたか?」 「いや、そんなに飲んで大丈夫なのかなって…」 「トレーナー君は心配性だな…お酒を飲むようになってしまったけど、体調ぐらいきちんと管理しているさ」 「…そうか」 部屋に大量の空き缶が入ったごみ袋がある時点で信憑性は低い。何年かこんな生活を続けたせいで慣れてしまったのだろうか…流石に毎日この環境に置かれていると考えると心が痛むな… しかし俺がここに来た理由は彼女への未練を断ち切るため…即ちお別れだが、そんな考えの一方で見捨てたくないという考えも生まれてしまった…どうすればいいのかと頭の中で最善の方法を考えるが、考えがまとまらない。 ただお酒を少しずつ飲み、無言でテレビを眺めるという気まずい空気のまま時間過ぎていく。 「…ルナ?」 泣き上戸なのか分からないが、突然彼女が泣き始めた。 「寂しい…」 「ルナ…どうしたんだ?」 「…なんで私はこうなってしまったんだ…寂しいよ…トレーナー君…」 「それは…」 「私が一番頑張ってたのに!なのに…今は独り身でこんな生活になってしまった…皆幸せそうにしているのになんで私は…もう嫌なんだ…助けてくれ…トレーナー君…」 そう悲痛な助けを言った後、彼女が抱き着いてきた。正直助ける方法なんて思いつかないが、今ここで手放してしまうとまた一生癒えない傷を付けてしまう…俺は何も言えずただ抱きしめることしか出来なかった。 「私は仕事以外何もできないんだ…とれーなーがいないと…なにもできない…ずっとそばにいて…」 酒が回ったのか彼女の口調がルナに戻っている中、必死に頭の中で解決策探していると、一瞬ある考えが思い浮かんだ…いや、解決策とは呼べない程の最悪の考え…両方愛せば良い。 「…分かった」 俺は手で彼女の顔をこっちに向かせ、仕返しのキスをした。酒が入っているせいか意外と戸惑いは無かった。 「…愛してるよ、ルナ」 ごめんなテイオー…俺は最低だ…